アステロイド家族




時には獣のように



 その頃。ハルは、操縦席の上で目を覚ました。
 リクライニングを限界まで倒された操縦席のクッションは柔らかく、子供の体であれば難なく横になれる大きさだ。
マサヨシの服を丸めて作られた枕は心地良く、毛布は自分のものなので安心していたが、次第に妙だと思った。
目を動かすと、大量の計器やモニター、操縦桿が目に入る。どこをどう見ても、ここはスペースファイターの中だ。
家の中で眠っていたはずなのに、どうして。ハルはきょとんとしながら起き上がると、奥からマサヨシがやってきた。

「起きたか、ハル」

「パパ」

 ハルが身を乗り出すと、マサヨシは湯気の昇るマグカップをハルに渡してきた。

「ほら、飲め」

「ん…」

 ハルはマグカップを受け取ると、湯気を吹き、ココアを啜った。

「ママは? お兄ちゃんは? おじちゃんは?」

「ミイムの具合が悪いようなんだ。だから、俺達は念のために避難してきたんだ」

「どうして? ママが病気だったら、お世話してあげないと」

「ミイムは異星人だからな。検診に引っ掛からなかったが、俺達の知らないウィルスを保菌している可能性もある。それが俺やハルに感染したら大変だから、こっちに来たんだ。安心しろ、家にはヤブキとイグニスを残してあるから心配はいらない」

 マサヨシはハルと目線を合わせ、笑顔を見せた。すると、スタンバイ状態だったメインモニターに光が入った。
直後、複数のモニターにも光が入った。モニターの中心に SACHIKO と表示されていたが、映像に切り替わった。
映し出されたのは、イグニスと手中のヤブキの姿だった。イグニスは両腕の装甲を開き、武装を解放している。

「イグニス、お前は何をしているんだ!」

 マサヨシは相棒に通信を入れ、叫んだ。イグニスは即答する。

『見りゃ解るだろうが、戦ってんだよ!』

「まさか、ミイムと交戦しているのか?」

 マサヨシは冗談で言ったつもりだったが、イグニスの返事は至って真面目だった。

『慧眼だな。増援はいい、ここは俺とヤブキでなんとかする。なるべく傷付けないように戦うのは骨が折れるがな』

 くそっ、と毒突いたイグニスは左腕から伸ばした細身のレーザーブレードを横たえ、飛来した物体を切り裂いた。
それは、屋根の一部だった。マサヨシが目を見張ると、ハルは怯えてしまい、マグカップを床に落としてしまった。

「何、なんなの…?」

「サチコ、内部の映像を全て出せ!」

 マサヨシはハルを抱き締めてやりながら、サチコに指示を出した。

〈OK!〉

 操縦席の前面と左右に作られたモニターが細かく区切られていき、その中にカメラの映像が映し出されていく。 
サチコが廃棄コロニー内に設置したカメラだけでなく、備え付けのカメラも使い、ほぼ全ての角度の映像を捉えた。
マサヨシはそれらに素早く視線を送り、状況を把握しようと努めた。イグニスとヤブキ目掛け、攻撃は続いている。
光学兵器の類ではなく物理攻撃だが、恐ろしいまでの速度があれば質量が少なくとも破壊力は充分に生まれる。
実際、マサヨシの目では捉えきれなかった。イグニスとヤブキだからこそ、まともに相手が出来ているのだろう。
マサヨシはあまり確認したくなかったが、攻撃の主を探した。三分の一は破壊された家の上に、彼が浮いていた。
 長い髪を妖しく靡かせ、金色の瞳は狂気に吊り上がり、艶やかな唇を歪ませておぞましい笑みを作っている。
その姿はミイムに間違いない。しかし、表情はミイムではない。マサヨシはこの状況を理解出来ないまま、呟いた。

「あれが…ミイムなのか?」

〈間違いないわ〉

「サチコ。音声も拾えるか」

〈ええ。でも…〉

 サチコが渋ったので、マサヨシは察した。恐らく、あの状態のミイムは聞くに堪えない言葉を吐いているのだろう。
マサヨシはハルから離れると、操縦席の下に収納してある全視角モニタリング用のヘルメットを取り、装着した。
これなら、ハルに音は漏れまい。マサヨシの意図を感じ取ったのか、サチコはヘルメット内だけに音声を送った。

『さっさとくたばっちまえ、このガラクタ共が!』

 声色と口調こそ違うが、ミイムの声だった。予想以上の凄まじさに、マサヨシは圧倒されかけた。

「…凄いな」

〈それはまだ穏やかな方よ。さっきなんて、もっとひどいことを言っていたんだから〉

 ヘルメットの内側に、落胆したサチコの声が響く。マサヨシは視線を動かし、映し出されている映像を見渡した。
ほぼ全ての角度の映像を繋ぎ合わせているので、足元の感覚がなければ、コロニーの中に浮いているようだ。
 ミイムに視線を定めると、サチコがその部分を拡大した。程なくして、マサヨシの視界一杯にミイムの姿が映る。
まるで別人のように変貌してしまったミイムは、上体を反らして高笑いしていた。その声に合わせ、家が崩れる。
屋根は三分の一が剥ぎ取られ、部屋の壁は吹き飛ばされ、窓という窓が粉々に砕け、見るも無惨な光景だった。
あれも全て、ミイムの仕業なのだろう。ミイムが右手を挙げると、それに合わせて砕けた壁の一部が浮き上がる。
そして、視線をイグニスとヤブキに投げかけた。直後、時速数百キロはあろうかという速度で破片が射出された。
イグニスはヤブキを抱えている右手を下げ、左腕から伸ばしたレーザーブレードを振るい、その破片を切り落とす。
だが、応戦する間にもミイムの追撃は続いている。イグニスはともかくとして、このままではヤブキの命が危ない。

「サチコ。リリアンヌ号からの返信はあったか?」

 マサヨシは大切な家が壊されていく辛さを堪え、サチコに問うた。サチコは、すぐさま返す。

〈ええ、ケーシー先生から二分五十一秒前に届いたわよ。これで対応策が立てられるわ〉

「それで、ケーシー先生の診断は?」

〈発情期ね〉

「はあ?」

 サチコの言葉にマサヨシが唖然としたのと同時に、コロニー内の二人の絶叫がヘルメット内に響いた。

『そんなチンケな理由で、あの女装ウサギは暴走してんのかよ!』

『やっぱりそうなんすかー! オイラ達、発情期だってだけで襲われてるんすかー!?』

 イグニスは苛立ち、ヤブキは泣きそうだ。マサヨシは二人のせいで毒気を抜かれたが、おかげで冷静になった。

「なるほどな。確かに発情期になると、どんな野生動物も縄張り意識が強くなり、攻撃的になると言われているが」

『納得してる場合か! 他人事だと思いやがって! それでもお前は相棒かぁ!』

 イグニスのただでさえ大きい声がヘルメットを砕かんばかりの音量で響いたため、マサヨシは頭痛を覚えた。

「…サチコ。続きを頼む」

〈マサヨシに頼まれちゃ仕方ないわね〉

 サチコは仕方なさそうに、解説を始めた。

〈ミイムちゃんの種族であるクニクルス族は、地球で言うところのウサギに近い種族なのよ。元々は草食性の哺乳類でとても小さな体躯だったんだけど、進化を繰り返すうちに人間に酷似した形態へと変化して…〉

『能書きはいいからさっさと本題に入りやがれ電卓女! じゃねぇとぶっ壊すぞ!』

〈うるっさいわねぇ。それじゃ、クニクルス族の進化と発展の歴史に関する五万四千二百三十七文字は一気に飛ばして、クニクルス族の発情期に関する項目に移るわね。小さな草食動物から獣人へと進化を果たしたクニクルス族は、肉食動物に襲われやすく捕食対象だった草食動物時代の名残で生殖能力が強力で、一度の交尾で平均五体の幼生を産むことが出来るのよ。だけど、獣人に進化して文明が栄えると、国土の事情や食糧事情で手当たり次第に同族を増やすわけにはいかなくなったの。そこで、クニクルス族は男女とも成人年齢である十六歳になったらホルモン剤を投与して、生殖本能を抑制する措置が取られているんだけど、ミイムちゃんには肝心のホルモン剤が投与された痕跡がないのよ。きっと、成人前に人身売買されてしまったから、ホルモン剤を投与されていなかったのね〉

『てーことは、そのホルモン剤とやらを投与すればいいんすね!?』

〈いいえ。そんなに簡単な話じゃないのよ、ヤブキ君。ホルモン剤を一度に投与するのは危険だから、手順を踏んできちんとした治療を行わないと生殖本能を完全に抑制することは出来ないのよ。ケーシー先生が返信して下さったメールには処方箋も紹介状も添付されていたから、これからエウロパステーションの病院にでも問い合わせて〉

『そんな暇があるか! とにかく今は、この野郎をどうにかしねぇと家どころかコロニーもぶっ壊れちまうんだよ!』

〈でも、手順を踏まないことには〉

『マサ兄貴ー! 助けて下さいっすー! 四角四面のサチコ姉さんじゃ埒が明かないっすー!』

 ヤブキの悲痛な叫びに、マサヨシは同情せずにはいられなかった。数秒間考えてから、サチコに言った。

「俺の部屋にライフルがあったはずだ。それを使ってミイムの動きを止めろ」

『それでミイムを撃ち殺せってことっすか!? そりゃないっすよ、めっちゃめちゃヤバいのはマジっすけど!』

「いや、そうじゃないんだ、ヤブキ。そのライフルが撃てるのは、麻酔薬の入ったシリンダーなんだ。随分前の仕事で使ったものなんだが、俺の記憶が確かならシリンダーがいくつか余っていたはずだ。有効射程距離は五百メートルだ。銃はばらしてあるから組み立てて使え。外したら面倒だから一発で仕留めろ、いいな」

『あっさり言ってくれるっすね! オイラの射撃の腕が百発百外だって知ってのことっすかー!』

「それは今知った。というか、そんなに下手なのか?」

『教官から、お前の才能のなさは全宇宙に誇れると言われたぐらいっすー!』

「だが、お前しか頼れる相手がいないんだ。頼む、ヤブキ」

 マサヨシは、やや溜めてから語気を強めた。

「但し、無茶はするな。イグニスもだ。万が一、命が危うくなったら、遠慮なく退け。いいな」

『言わせておけば、舐めやがって。この俺が、あんな女装野郎に負けるとでも?』

 イグニスの強気な言葉の後に、ヤブキの緊張で上擦った声が返ってきた。

『やっ、やれるだけやってみるっす! ライフルの組み立て方はなんとか覚えてるっすから!』

「よし、いけるな。ヤブキ、その仕事の後に頼みたいことがある。ハルと俺の朝食を存分に作ってくれ」

『そういえば、まだだったすね! お二人は何がいいっすか!』

「ハル。何が食べたい?」

 マサヨシはヘルメットを外し、ハルに尋ねた。ハルはぐずっていたが、声を詰まらせながら答えた。

「おいなりさん」

『了解っすー!』

 途端に、ヤブキの声は元気を取り戻した。マサヨシは、現金だな、と思いながらもその答えに安心していた。
ヤブキは戦闘に関する才能が皆無だから戦闘経験も当然皆無だが、切り替えの速さと機転は優れている男だ。
マサヨシはヘルメットを外してから、耳に差し込むタイプの小型のインカムを付けた。音声はこれで受ければいい。
サチコも弁えており、即座に音声をインカムへと転送してくれた。マサヨシはハルを抱き締め、その背中をさする。
ハルはまだ怯えていたが、マサヨシの体温を感じていると少しは落ち着くらしく、ぐずり方も徐々に弱くなってきた。
 床に落ちてしまったマグカップを見、ココアを淹れ直さなくちゃな、と思いながら、マサヨシはハルに語り掛けた。
この事態に怯えているハルの手前、マサヨシは動揺すら出来ない。嘆き、悲しみ、戸惑うのは全て終わった後だ。
 父親たる者、折れるわけにはいかない。





 


08 3/28