純情戦士ミラキュルン




第十三話 人類滅亡!? 地球最後の日!



 地球は救われた。
 けれど、何の感慨もない。あるのは、地球の衛星軌道上で爆砕して四散した巨大隕石の破片ぐらいなものだ。 今は日が高いので何も見えないが、夜になればどこぞの地域で流星雨が降り注いで少し騒ぎになるくらいだ。 だが、そんなものが一体何になるのだろう。流れ星に願いを託すにしても、どういった願いを託すべきなのやら。 そうだ、夏休みの宿題が自動的に終わってくれと願おう、と実に下らないことを考えながら、鋭太は待っていた。
 午後一時半に西口改札前。美花と交わした約束を思い起こしながら、鋭太は落ち着きなく周囲を窺った。 どちらかと言えば遅刻する確率が高い鋭太にしてはかなり珍しいことに、美花よりも早く西口改札前に到着した。 しかも、十五分前だ。早すぎたんじゃねぇの、と朝食兼昼食を詰め込んだせいで重たい胃を気にしながら思った。 自宅からは普通に歩いても約束の時間には間に合ったのだが、途中から気持ちが急いてきて早歩きになった。 そして、最終的には走ってしまった。そのおかげで脇腹がずきずきと痛み、ただでさえ鬱陶しい汗が増えていた。
 手持ち無沙汰なふりをして携帯電話を開き、時間を確かめると、午後一時二十八分で二分程度の猶予があった。 それが午後一時二十九分になってから数十秒後、トートバッグを肩に提げた美花が鋭太を見つけて駆けてきた。

「鋭太君!」

「あ、おう」

 鋭太は携帯電話を閉じると、チェーンをぶら下げたポケットにねじ込んだ。

「待った?」

 髪の乱れを整えた美花に、鋭太は尻尾を緩く振った。

「全然。つか、早く来すぎただけだし」

「それで、話って何? 宿題のこと?」

「ん……あー、それもそうなんだけどさ」

 鋭太は尖った耳を引っ掻いていたが、歩き出した。

「とりあえず、どっか入ろうぜ。ここ暑ぃし」

「うん、そうだね」

 美花は鋭太の後に続いた。裾の広がったワンピースにロールアップのジーンズを履き、麦藁帽子を被っている。 暑さを凌ぐためなのか長い髪は左脇で一纏めにされており、ワンピースの色に合った色のシュシュが付いていた。 日に焼けていない肌は眩しいほど白く、浮いた汗の玉が輝き、露わになっている首筋がやけに艶めかしかった。
 気温が、一気に急上昇した。鋭太は訳もなく動揺し、美花の肌を見てはいけないような気がして視線を逸らした。 制汗料と整髪料、そして美花の汗の匂いが入り混じった熱風が鼻先を掠めて通り抜けると、今度は胸が痛んだ。 なんだこれなんだこれ、と鋭太は動揺の理由を見定めようとしたが、解るどころかますます混迷してくらくらする。
 全部、暑さのせいだ。




 冷房の効いたカフェに入ると、落ち着いた。
 氷の浮いたアイスカフェオレを啜った鋭太は、真正面に座る美花を視界に入れないように窓の外を見た。 視界に入るたびに、あの訳の解らない動揺が起きてしまうからだ。だが、話をしようと持ち掛けたのは自分だ。 些細な嘘のせいで広がった波紋を消すためにも、これ以上こんがらがらせないためにも、必要なことだからだ。 けれど、いざ本人を目の前にすると胸が痛んだ。まるで、目に見えない手に心臓を掴まれているかのような。

「なあ」

 鋭太は氷だけになってしまったアイスカフェオレを執念深く啜っていたが、ストローを口から離した。

「この暑いのに、なんでホットなんか頼むんだよ?」

「え?」

 美花は目を丸め、口の周りに付いたミルクの泡を舐め取った。

「だって、冷房の中にいると冷えちゃうんだもん」

「にしたってよ」

「それに、前から気になってたから、一度飲んでみたかったんだ」

「ヘーゼルナッツラテが?」

「うん」

 美花は頷き、ヘーゼルナッツラテのミルクの泡を掻き回した。

「ちょっと嬉しいな」

「は? 何が?」

「だって、鋭太君と私だけで話をするのって初めてじゃない。いつもは七瀬か大神君が一緒にいるし」

「んー、ああ」

「友達らしいな、って思って」

 美花は破顔し、鋭太を見上げた。

「だって、ついこの前まで、鋭太君とはただのクラスメイトでしかなかったから。顔は知っているけど、名前はそんなに 知らなかったし、なんか近寄りがたかったし。だから、こんなふうに話せるようになるなんて、思ってもみなかった。人間、 やれば出来るんだね」

「てことは何、俺はそんなに悪そうだっての?」

「え、ああ、うう、そういう意味じゃなくて」

「いいよ。俺も気にしねーし」

「なんか、ごめん……」

「だからいいっつの」

 鋭太はアイスカフェオレの氷を、太い牙でがきごきと噛み砕いた。大して悪いことはしていないが、悪ぶっている。 さすがに犯罪には手を出さないまでも、中途半端に斜に構えて、似たような年頃の連中と騒ぎ立てるのが楽しい。 何も考えずに目先のことだけを面白がっているのが楽だから、なんとなく格好良いから、そうしているだけなのだ。 素に戻る瞬間がないわけでもないが、現実は常に手厳しい。だから、軽々しく生きているのが一番だと思っている。 下らないことだと解っているが、やめるにやめられない。一度でも楽を知ってしまうと、耐えるのが面倒臭くなった。 そんな自分と話せるようになって、何が嬉しいというのだ。仲良くなったところで、美花には得るものはないはずだ。

「それで」

 分厚いコーヒーカップを置いた美花に促され、鋭太はずり落ちていた腰を上げて姿勢を直した。

「あ、うん」

 鋭太は空になったアイスカフェオレのグラスを押しやると、美花と目を合わせた。

「野々宮さ、なんか、俺と付き合ってたことになってたじゃん」

「うん」

「んで、さ、野々宮は俺と付き合ってないって兄貴に言ったんだろ?」

「うん。この前、大神君と久々に会った時に」

 美花は足元を見つめそうになったが、鋭太に視線を戻した。

「ごめんね、鋭太君。もっと早く、大神君にそうじゃないって言えれば良かったんだけど、その、えっと、あの、 なんかこう、言うに言えなくて……」

 視線をふらつかせた美花に、鋭太は若干罪悪感に駆られた。

「つか、俺も悪ぃし。野々宮だけじゃねーし」

「そんなこと」

 ない、と言いかけたが、美花は鋭太の言動を思い出して声を低めた。

「あるかも、しれないね」

「だから、話そうっつったんじゃねーかよ。俺だって、何も思わねーわけじゃねーし」

 鋭太は美花の視線から逃れるように汗の浮いたグラスを睨んだが、美花に戻した。

「悪かったな。面倒なことにさせちまって」

「迷惑だったよね、大神君に勘違いされちゃったこと。私なんか、鋭太君とは釣り合わないし」

「まぁな」

 釣り合わないのはこちらの方だ。鋭太はグラスを取ったが、最早飲める液体が残っていなかったので下ろした。

「で、でも、これからも友達でいてくれる?」

 美花が懇願してきたので、鋭太は返した。

「つか、それぐらいのことで止めるのはマジ面倒だし」

「ありがとう、鋭太君」

「てか、気にしすぎなんだよ。野々宮は」

「うん、そうだね」

 美花は苦笑してから、底に残ったヘーゼルナッツラテを飲んだ。

「そういえば、また地球は滅びなかったね」

「そうだな。てか、滅ぶんだったらさっさと滅びろっての」

 鋭太が毒突くと、美花は少し笑った。

「でも、滅んじゃったら困るよ。全部なくなっちゃうから」

「二学期マジダルいし」

「あ、うん、そうだね。学期開けにテストもあるし、進路も決めなきゃならないし。でも、自分のことだから」

「そりゃそうかもしんねーけど、面倒すぎだし」

「鋭太君は、高校を卒業したらどうするの?」

「まだ解んね。つか、考えたことねーし」

「私も、そんなにまとまってないかな。でも、やれることはあるから」

「野々宮に何が出来んだよ」

「普通のことだよ」

 美花は照れ混じりに返してから、人肌程度まで冷めたコーヒーカップを両手で包んだ。

「ふーん」

 鋭太はやる気なく答え、何の気なしに尋ねた。

「つか、野々宮さ、俺と付き合ってねーって馬鹿兄貴に言ったってことは、俺と付き合うのは嫌っつーことじゃん?  だから、お前、誰か好きな奴でもいんのかよ?」

「ふえ」

 途端に美花は真っ赤になり、ぎこちなく頬を歪ませた。

「そおっ、そんなことないよう!」

「つか、リアクションでかすぎだし。モロバレじゃん」

 自分で尋ねておきながら少し腹立たしくなった鋭太は、若干身を乗り出した。

「んで、誰? 俺の知ってる奴?」

「う、あ、あぅっ」

 美花は後退ろうとするが、壁際の席なので背中がずれただけだった。

「もしかして、馬鹿兄貴とか?」

 鋭太は冗談半分本気半分で言うと、美花はますます赤面して硬直した。

「う……」

「え? つか、なんで?」

 鋭太が片耳を曲げると、美花は顔を覆ってしまった。

「わっ、解らないよそんなの!」

「てか、俺と兄貴で何が違うん?」

「うぅ……」

 美花は指の間から鋭太を窺ったが、テーブルに突っ伏した。

「え、鋭太君は鋭太君で、お、おっ大神君は大神君だから、その……」

「馬鹿兄貴はそれ知ってんのか?」

「知ってるわけないよ! 言えない言えない、絶対言えない! 宇宙が滅んでも言えない!」

 激しく首を振った美花に、鋭太は少し呆れた。

「つか、言い過ぎだし」

「……あの、鋭太君」

 怖々と顔を上げた美花に、鋭太はぞんざいに手を振った。

「解ってるっつの、兄貴には言うなってんだろ」

「うん……」

「マジめんどいな、お前」

「ごめんなさい」

 美花は深呼吸を繰り返しながら身を起こし、乱れた髪を直し、取り繕うための笑顔を鋭太に向けた。 わざとらしくてぎこちなく強張った笑みだが、見ている方が恥ずかしくなるほど赤面したせいで照れ笑いに見えた。 またもや動揺に襲われた鋭太は、それを誤魔化すために空っぽのアイスカフェオレを啜って耳障りな音を立てた。 美花はちらちらと鋭太に視線を送りながら、すっかり温くなってしまったヘーゼルナッツラテを少しずつ飲んでいた。
 それから、二人は取り留めのない話をした。その中で、美花は鋭太と同じロックシンガーが好きなのだと解った。 共通の話題を見つけたことで、それまでは探り探りだった会話が弾み、鋭太も美花も笑みを交わすほどになった。 途中でカフェからカラオケボックスに場所を移しても会話は途切れることはなく、気付いた頃には日が暮れていた。
 私鉄の駅に入る美花を見送った鋭太は、訳もなく嬉しかった。だが、それと同時に訳もなくやるせなくなっていた。 日中の暑さが残留するアスファルトを踏む足取りは重たく、毒々しい朱色に染まった夕暮れの空が目に入らない。 今日、美花から感じたものが振り払えない。白い首筋が瞼に焼き付き、彼女の匂いが鼻から消えない。 他のことを考えようとしても、全てが美花に塗り潰される。居たたまれなくなった鋭太は立ち止まり、頭を抱えた。

「あーこんちくしょう!」

 意味もなく足元を踏み付け、尻尾を立てた。

「んだよこれ! つかこれじゃ俺は!」

 美花に恋をしているかのようだ。それだけは口から出せずに飲み込んだ鋭太は、ガードレールに寄りかかった。 思い出すだけで胸が痛い、考えるだけで心臓が絞まる。この前までは、本当にただのクラスメイトでしかなかった。 それなのに、この有様はなんだ。付き合っていることにしたかったのは、好きなのではなく都合が良かったからだ。 本当にただそれだけなのに、息苦しいほど切なくなる。だが、つい先程、その美花から好きな人がいると聞いた。 しかも、その相手は選りに選って実兄だ。鋭太は腹立ち紛れにガードレールを殴ろうとしたが、痛いので止めた。 鋭太も一応オオカミ怪人だが、肉体の耐久力や腕力は普通の人間に近い。下手をしたら手の骨が折れてしまう。

「マジどうしろってんだよ、これ……」

 鋭太は大きく肩を上下させてから、暮れつつある空を仰ぐと、一条の光が流れ落ちた。

「あー、あれか」

 神聖騎士セイントセイバーと悪の組織の戦いの名残だ。それは一つや二つではなく、無数の破片が落ちていく。 正義と悪の戦いによって生み出された思い掛けない天体ショーをぼんやりと眺めていると、ふと考えが浮かんだ。

「世界征服、してみっかな」

 兄に出来て、自分に出来ないわけがない。いや、自分こそ出来る。あんな善良な男に世界征服など不可能だ。 世界征服に没頭すれば、失恋した後に悟った恋心など忘れられる。戦い、奪い、侵し、全てを手に入れてやる。

「うはははははははっ!」

 その途端、強烈な衝動に襲われた鋭太は両の拳を突き上げた。

「覚悟しろミラキュルン、世界は俺のものだー!」

 そうと決まれば、やることは決まっている。鋭太は今し方通ってきた道を戻って、市街地へ向けて駆け出した。 今はまだ、悪の秘密結社ジャールの退勤時間ではない。腰のチェーンがじゃらじゃらと鳴り、尻尾に当たった。 それが鬱陶しいので全部ポケットに突っ込んでから、また走り出すと、途中で家路を辿る名護と鉢合わせした。 姉の弓子が寂しがっていると伝えてから、鋭太は速度を上げて駆け出した。止まっていると、胸が痛むからだ。
 夢中で走りながら、鋭太は心が浮き立った。限りなく獣人に近い怪人だと思っていたが、やはり自分は怪人だ。 そうでなければ、世界征服という単語にこれほど心が躍らないわけがない。世界征服。なんて素晴らしい響きだ。
 世界征服することを考えているだけで、失恋の空しさが埋まっていった。





 


09 8/12