純情戦士ミラキュルン




第十四話 忌まわしき因縁! ナイトメアVSマッハマン!



 世界征服。
 それを誰が最初に言い出したのか、また、なぜ全ての怪人がその考えを持つに至ったのか、には諸説ある。 文明開化以前から長々と続く怪人と人外の人間の間の差別によるものだ、というのが怪人の間では一般的だ。 それが自然であり、また当然だからだ。人間を滅ぼし、怪人だけが生きられる世界を成すことは怪人の夢だ。 だが、それ以外にも説はある。怪人は人間よりも古い種族だからだ、というのも怪人の間で好まれる説ではある。 旧人類が新人類を淘汰しようとする、というのはあまり珍しい話ではないので、多少の信憑性があるからである。 また、怪人は突然変異で生まれた者が多いため、生物により良い進化をもたらすための本能だ、とも言われる。
 けれど、そのどれもがピンと来ない。それどころか、世界征服することに対して欠片も興味が湧いてこなかった。 今も昔もそれだけは変わらず、何も感じない。世界とは一人一人の内面にあり、誰かが掌握出来るものではない。 そうでなければ、こんなことは考えない。怪人として生まれたからには、怪人としての本分を果たしたくなるはずだ。 だが、やはり心は動かない。上下が反転している夜景は星空よりも煌めいているが、あまり綺麗だとは思えない。

「随分街から離れちゃった」

 芽依子、もとい、ナイトメアは都市部を見下ろせる山間部の鉄塔に逆さまにぶら下がっていた。

「明日も早いんだから、御屋敷に戻らなきゃならないのに」

 だが、戻る気が起きなかった。というより、大神邸に戻ったところで所在をなくしてしまうと思ってしまった。 己の力のなさとだらしない性格のために世界征服に興味を持たなかった鋭太が、いきなり世界征服に目覚めた。 きっと、今頃は世界征服について両親や姉と話し込んでいるに違いなかった。名護以外は、皆、そうだからだ。
 世界征服談義は怪人一家である大神家にとって大切な家族団欒で、ナイトメアもその席に招かれることは多い。 だが、いつも理由を付けて外れている。世界征服を企むことが楽しいと思えず、彼らの話に共感出来ないからだ。 怪人のくせに嘘を吐けない性格だから、適当なことを言って誤魔化すのが苦手なくせに意見だけは持っている。 だから、興醒めさせる言葉を吐いてしまうだろう。その様を想像すると心が痛むから、加わろうにも加われない。
 使用人であって家族ではないのだから、それでいいのだと思っても、そんなことでは親しくなれない、とも思う。 一線を引いているのはナイトメア自身なのに、使用人ではなく家族として扱われたいと心の片隅で考えてしまう。 それなのに、世界征服という大望を抱けない。その引け目さえなければ、今夜は真っ直ぐ大神邸に帰れただろう。

「……ん」

 超音波を聞き取れる鋭敏な耳に、旅客機とも戦闘機とも異なる轟音が飛び込んできた。

「もしや、彼か!」

 すぐさま上下を反転させたナイトメアは、羽ばたいて鉄塔の頂上に立ち、目を凝らした。

「やっぱり」

 夜気を切り裂く青い影。Mを横に伸ばした赤いゴーグルが付いたバトルマスクは、眼下の夜景を映している。 マントを装備していない代わりに背部から伸びるのは、細身だが筋肉質の体を超高速で飛ばすジェットブースターの アフターバーナーだ。音速戦士マッハマンだ。ナイトメアは夜露に湿った夜気で肺を膨らませ、牙の生えた口を開けた。

「バッドシャウト!」

 声と共に放った超音波の衝撃波は、ナイトメアの立つ鉄塔周辺の木々を揺さぶり、木の葉が大量に散った。 そして、鉄塔に共鳴して鉄骨が甲高く鳴り始め、超高電圧の電線にまで及ぶと足元から青白い電流が零れた。 久しく使っていない必殺技だったのでまともに撃てるかどうか不安だったが、思いの外上手く放てたようだ。ナイトメアは 再度超音波を放つべく深く空気を吸ったが、接近してきた気配に気付き、吐き出さずに肺に止めた。

「何してんだよ、お前」

 一陣の風が抜け、青と銀の戦士がナイトメアの目前に現れた。

「て、あ……?」

 マッハマンは高度を下げてナイトメアと同じ高さに浮くと、ゴーグルを押さえた。

「あー、ちょっと待て。待て。今思い出すから」

「私が名乗った方が早いんじゃ」

「俺にもプライドってのがあるんだよ、ヒーローの! ショボいけど!」

「ああ、あれか。お、お前はっ! というのをやりたいんですか?」

「そうそう、それだよ。おかしいなぁ、俺のシナプスは切れてないはずなんだが、もうちょっとで出てくるんだ」

「じれったいから名乗りましょうか?」

「それじゃ負けた気がするじゃないか」

「勝ち負けの問題ですか?」

「だって、なんだか格好が付かないじゃないか。ヒーローとして」

「私とお前以外の誰も認知しないであろう事実に格好を付けたとして、何か意味がありますか?」

「俺のプライドが守れる」

「ああ、そうですか」

 ナイトメアはうっすらと笑い、手近な鉄骨に腰掛けた。マッハマンはジェット噴射を止め、腕を組んでいる。 マスクの下でぶつぶつと言葉を漏らしていて、音は籠もっているが、ナイトメアの耳ではきちんと聞き取れていた。 ナイト、までは思い出せたらしいのだがその続きがさっぱり出てこないらしく、じれったそうに唸りを漏らしていた。 それから十数分後、とうとう思い出せなかったマッハマンはナイトメアの傍に降りてくると気恥ずかしげに言った。

「お前の名前、なんだっけ?」

「邪眼教団ミッドナイト、第四の使徒、悪夢のナイトメアですよ」

「そうだそうだ、ナイトメアだ! すっきりしたー!」

 そうだよそうなんだよ、と繰り返してから、マッハマンはナイトメアの傍に座った。

「お前の組織の怪人って、ナイトなんとかが多すぎただろ? でもって、俺には見分けが付かない触手系も やたらにいたし、訳の解らない生き物の怪人だらけで、ほとんど顔と名前が一致しなかったんだよ」

「それは全てうちの親がいい加減だったせいです。クトゥルフ神話ならクトゥルフ神話、ギリシャ神話ならギリシャ神話、 キリスト教ならキリスト教で統一すれば良かったんですが、巷の本屋で溢れ返っている能力バトル系ライトノベルのように 宗教がごちゃ混ぜになっていたんですよ。最終的にはヒンドゥーやら仏教も混ぜようとしていたんですけど、 その前にマッハマンの手で壊滅されて本当に良かったです」

「俺、神話とか宗教には興味ないからなぁ……」

 見分けが付かないわけだ、とマッハマンは納得していたが、顔を上げた。

「だが、どうしてお前に感謝されなきゃならないんだ?」

「だって、嫌じゃないですか。そりゃ、日本は宗教の自由が認められているが、それにしたっていい加減でしょう?  そんな調子で世界征服に乗り出したとしても、ヒーローではなくその宗教の信者に本気で滅ぼされるからだ。そもそも、 うちの宗派は浄土真宗なんですよ」

「いっそのこと、空飛ぶスパゲティーモンスター教にすれば良かったんじゃないのか?」

「それはそれで嫌ですね。面白いけど」

 ナイトメアは少しだけ口元を緩め、鋭い牙を覗かせた。

「敵だった相手にこんなことを言うのはおかしいかもしれないけど、元気そうで何よりです、マッハマン」

「怪人に気遣われるほど落ちぶれちゃいない」

 マッハマンは片足を膝の上に載せ、両手を鉄骨に付いて体を支えた。

「で、なんでお前はこんなところにいたんだ?」

「私はコウモリですよ。夜中に出歩くのが本分じゃないですか。そういうマッハマンは?」

「腹ごなしだよ。甘ったるいものを喰っちまったから、胃が重たくて勉強に集中出来そうにないんだ」

「勤勉家ですね。というか、変身すると消化が早まるんですか?」

「変身すると、身体機能が向上するから内臓の動きも活発になるみたいなんだ」

「ああ、それ、解ります。二日酔い知らずですよね」

「そうなんだよ、おかげでサークルの飲み会も三次会四次会と付き合えて……ってなんだよおいこれ」

 マッハマンは自分で自分に突っ込んでから、頭を抱えた。

「なんで俺は怪人と普通に会話してるんだ! しかもこんな低レベルな話題で! 俺毒された!?」

「なんだったら、今から戦闘でも」

「気が進まないから却下。ていうか、萎えた」

「失礼ですね」

 ナイトメアが牙を剥きかけると、マッハマンは顔を背けた。

「だって、お前、女だろ?」

 マッハマンの横顔を見ていられなくなり、ナイトメアも顔を背けた。自分まで恥ずかしくなったからだ。 マッハマンも言ってから恥ずかしくなったらしく、マスクの下からは声にならない声を漏らして口元を押さえていた。 そのせいで、二人の間の空気はぎこちなくなった。それまでは意識しなかったことを意識してしまったからだ。 マッハマンが余計なことを言わなければ気にも留めなかったことなので、ナイトメアはいきなり緊張してしまった。 話題を逸らそう、とは思うが、マッハマンとナイトメアの間には共通の話題などない。あったとしても戦いのことだ。 しかし、マッハマンが邪眼教団ミッドナイトと戦っていたのはほんの三ヶ月程度で、しかも三年半以上前の話だ。 今更掘り返すべき話でもない上に、マッハマンもナイトメアも良い思い出がない戦いなので話題にしたくなかった。
 二人の沈黙を掻き乱すように、温い夜風が木々を揺らした。その風には、電車の警笛の切れ端が混じっていた。 鉄塔の足元から鳴り響く金属的な虫の羽音を聞きながら、両者は話題を探していたが、切り出すべく振り向いた。

「あのさ」

「あの」

 と、同時に声を掛け合った二人は、またも揃って顔を背けた。

「ハズいなー、これ……」

「そうですね……。古臭い少女漫画のようなやり取りみたい……」

 マッハマンとナイトメアはそれぞれでぼやいてから、ようやく顔を向け合った。

「マッハマン、勉強する時間は大丈夫ですか? 都合が悪ければ、私は切り上げますが」

「なんか、その気が失せた。外に出て適当に飛び回ってたら、今日ぐらいはしなくてもいいかなって思っちまった」

 マッハマンは頭の後ろで手を組み、鉄骨に寄り掛かった。

「考えてみれば、俺、本当にやりたいことがあるから大学に行ったわけじゃないんだよな。選んだ学科には元々興味が あったけど、そこから先はないんだ。ヒーローになりたくないから大学に行ったはずなのに、結局俺はヒーローであることを 忘れられずに、こんな格好で夜中に出歩いちまってる。どっちつかずだ」

「私も似たようなものです」

 ナイトメアは膝を抱え、両翼で肩を覆った。

「私は怪人だけど、世界征服に対して情熱を持てない。というか、理解出来ないんです。けれど、私は自分が怪人で あることを捨てきれないんです。あなたを見た瞬間、衝動的に撃ち落とさなければと思った。しかし、命中させる前に 気付かれたおかげで、私はあなたを攻撃せずに済みました。まあ、私の攻撃など、感覚の良いマッハマンに当たるわけが ないんですけどね」

「お前も大変だな、ナイトメア」

「お互い様ですよ」

「そうかもしれませんね。またあなたに会えて嬉しいです」

「ん……」

 マッハマンは妙にむず痒い気持ちになり、意味もなくマスクを引っ掻いた。

「私はずっと、あなたに会いたかったんです」

 今夜を逃したら、次はない。ナイトメアは膝を抱える手に力を込め、顔を埋めた。

「マッハマンが邪眼教団ミッドナイトを潰してくれたおかげで、私は救われました。そうでなければ、私は罰当たりな 多宗教ごちゃ混ぜインチキ教団を継ぐことになってしまったからです。教団が事務所ごと壊滅した時に家出したおかげで、 色んな意味で救えない両親とその部下の怪人達から逃げ出せました。だから、今はとても平和です。住む場所も仕事もあるし、 毎日充実しています。だから、もっと幸せになろうとしたんですけど、どうしても最後の一歩が踏み出せなかったんです」

 首を起こしたナイトメアは、血のように赤い瞳にマッハマンを映した。

「その理由は、あなたです」

「そんなわけねぇだろ、ただの勘違いに決まってる」

 薄々感付いたマッハマンははぐらかそうとしたが、ナイトメアは身を乗り出した。

「マッハマン、私は」

「言うな!」

 マッハマンはナイトメアを遮ったが、ナイトメアは懇願してきた。

「なぜですか? せめて言わせて下さい、でないと」

「言われてもどうしろってんだよ! 俺は引退したけどヒーローでお前は怪人だ!」

「引退したのなら、別に」

「良くない!」

 マッハマンはナイトメアから距離を置くように、若干腰を引いた。

「大体、怪人に好かれて嬉しい人間がいるか? しかも、こんな悪人面のコウモリ女を」

「そう、ですか……。すみません、忘れて下さい」

 ナイトメアは赤い瞳を瞬かせ、うっすらと滲んだ涙を紛らわせてから身を引いた。

「引き留めてしまって申し訳ありませんでした、野々宮先輩」

「ああ、……あ?」

 ごく普通に返事をしてしまってから、マッハマンは硬直した。なぜ、ナイトメアが自分の名字を知っているのだ。 ナイトメアは口元を押さえ、しまったと言わんばかりに目を見開いていたが、恐る恐るマッハマンを窺ってきた。
 本当に帰宅しようと思って中途半端に浮かせた腰をそのままに、マッハマンはマスクの下で目を剥いていた。 ナイトメアは自分の言葉を取り消そうと考えているようだったが、取り繕うことが出来ずに結局口籠もっていた。 真冬の朝方に結露で凍り付いた窓の如く強張った沈黙が広がり、マッハマンもナイトメアも動くに動けなかった。
 最終決戦のような緊迫感だった。





 


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