純情戦士ミラキュルン




第十五話 悪逆非道! 暗黒参謀ツヴァイヴォルフ!



 夏休みは終わった。
 今年もまた、例年通り遊び倒して終わった。宿題は八月末まで手付かずで、仕上げたのは五割程度だった。 もちろん、試験勉強なんかしていない。ノートは文字よりも余白が広く、通学カバンを兼ねたスポーツバッグも軽い。 夏休み中に受けた補習の内容も綺麗さっぱり頭から抜け、考えていたのは勉学に関係ないことばかりだった。
 鋭太の頭を支配していたのは、美花のことばかりだった。付き合っていない、と関係を正してからがひどかった。 意識していないと思えば思うほど意識してしまい、結果として意識しすぎて頭が痛くなりかけたこともあった。 それ以降も美花や七瀬と遊んだが、その時は以前のように接することが出来、自分の異変を悟られずに済んだ。 遊んでいる最中に二人から宿題の進み具合を心配されたが、適当にやっていると答えてはぐらかしてしまった。
 どうせなら、教えてくれと頼むべきだった。鋭太は机に広げた問題用紙を睨みながら、泣きたくなっていた。 異次元の言語にしか思えない数学の問題が更なる異次元に突入しており、これが計算問題なのかすら解らない。 シャープペンシルを動かす音だけが響く教室をそっと見渡すと、美花や七瀬や他の生徒達は解っているらしい。 解っているふりをして答えを書いている者もいるのだろうが、それでも鋭太に比べればまだ理解している方だろう。 時間だけが無情に過ぎ、解答用紙は空欄ばかりだ。名前とクラスと出席番号だけを書いたが、それ以外は白い。
 書くだけでも書こう。当てずっぽうで正解するわけがないが、何一つ書かないよりはまだマシだと思える。 解るわけがないので考えるふりをしながら空欄を埋めていくと試験時間は終わり、教師の声とチャイムが響いた。 答案用紙が全て回収され、教師が出ていくと、背中を丸めていた生徒達は体を起こして思い思いに動き始めた。
 お情けでも点数が付けば良いなぁ、と情けない期待を抱きながら鋭太が顔を上げると、七瀬が現れた。 その後ろには、いつものように美花が隠れていた。七瀬は鋭太に近寄ると顎を開いてみせた。

「テスト、どうだった?」

「聞くだけ無駄じゃね?」

 自分の馬鹿さ加減に嫌気が差した鋭太がぼやくと、七瀬の後ろから美花が顔を出した。

「やっぱり、夏休み中に一度は勉強会しておくべきだったかな」

「するだけ無駄っしょ。本人にやる気ないし」

 七瀬が上両足を上向けると、鋭太は片耳を曲げた。

「つか、解らねーもんはどうしようもねーし」

「解ろうとしなきゃ解らないと思うけど……」

 美花は控えめだったが意見を述べると、七瀬は触角を上げた。

「んじゃ、また大神屋敷に行く? 今日は午前放課で部活もないしさ」

「七瀬、バイトは?」

 美花に問われると、七瀬は爪を振った。

「夏休み中働きまくったから、ちょっとは休めって言われてんの。だから問題なし」

「鋭太君は?」

 美花に話を振られ、鋭太はぞんざいに答えた。

「つか、何もあるわけねーし」

「じゃ、行こうじゃないの。大神屋敷に」

 最初から最後まで七瀬に決められ、鋭太は少し癪に障ったが、別に怒るほどのことでもないと思い直した。 勉強しなければならないのは鋭太も理解しているし、一人だけでは嫌になっても二人の目があればまだ堪えられる。 きっと、これが踏ん張りどころだ。進級すればぶつかる壁は更に分厚くなるのだから、やれる時にやらなくては。

「ん」

 スカートのポケットから振動を感じた七瀬は携帯電話を取り出し、触角を下げた。

「んだよ、バカメレオンじゃん」

「カメリーさんからのメール?」

 美花が七瀬を見やると、七瀬は携帯電話を操作した。

「人がせっかく勉学に励もうって時に、デートになんか誘うんじゃねーよ。空気読めっての」

「でも、七瀬、もう随分とカメリーさんとデートしてないんじゃない?」

「私もこれで忙しいからね。てか、カメリーが暇すぎなだけだし」

「てか、どこに連れて行かれんだよ、天童」

 鋭太が問うと、七瀬は携帯電話を閉じた。

「シーズンオフの海だってさ。あいつ、悪食だから、クラゲなんか喰うんだよ。つっても、ほとんど海水だから 塩辛いだけらしいけど」

 マジキモいし、と毒突く七瀬に美花は微妙な顔をした。鋭太も生クラゲを食べるカメリーが理解出来なかった。 確かに世の中には食用のクラゲも存在するが、海面に浮遊しているクラゲをそのまま啜るのは普通ではない。 そもそも、素手で掴んでは崩れてしまうのでは、と思ったが、カメリーの舌は長く伸びるので捕獲出来るのだろう。 だが、七瀬は虫は食うがクラゲを食べない。それ以前に、人型昆虫は呼吸器官が腹部にあるので泳げば窒息する。 だから、七瀬を始めとした人型昆虫は水泳の授業は見学で、臨海学校に行っても浜辺で別行動を取るものだ。 普通の神経ならば、泳げない相手を海には誘わないだろう。カメリーは、恐ろしく無神経なデートを考えたものだ。 しかし、七瀬がカメリーのデートを断る様子はないので、なんだかんだ言いつつも彼に付き合ってしまうのだろう。
 それが羨ましいようでいて疎ましい気分だった。鋭太は他愛もない会話を始めた二人を見て、思考に耽った。 といっても高尚なことではなく、異性と付き合うとはどういうことか、という年頃の男子なら必ず考えることだった。 中学生時代に経験したことは恋愛ごっこのようなもので、相手の女子とは手も触れ合わずに終わってしまった。 美花もまた、関係がクラスメイトに戻った時に恋心に気付いてしまい、そしてその美花は兄に好意を抱いている。 もしも、振られる前に好きだと気付いてたら、曖昧にはぐらかさずに美花と付き合っていると明言していただろう。 だが、今となっては無理な話だ。振られたのに割り切れない自分に嫌気が差すが、仕方ない、とも一方では思う。
 野々宮美花は可愛い。いちいち情けなくて頼りないが気配りが出来て、料理も一応出来て何よりも顔が良い。 人目を引くような派手さはなく、自慢して回りたくなるようなタイプではないが、小走りに追い掛けてこられたくなる。 いかにも青春らしい初々しい恋愛を謳歌するには相応しい、甘酸っぱい日々を望める相手なのだ。
 だから、惜しくてたまらない。鋭太は二人の話にいい加減な相槌を打ち、膝の上に足を載せて揺らした。 鬱屈した感情ばかりが胸中を渦巻くが、どれもこれも不完全燃焼で燻ったままで、吐き出したいが吐き出せない。 ゲーセンでも行こうかな、と鋭太は思ったが、かかとを潰した上履きのつま先がスポーツバッグに引っ掛かった。
 いや、ゲームよりも面白いことがある。




 午前放課とは実に良いものだ。
 これで通常授業であれば、ハードな部活動が待ち受けるのでやる気は完膚無きまでに削がれただろうが。 それに、美花は部活動に入っていないので帰る時間が合わないし、待たせておいたら鋭太でも気が引けてしまう。 下校時にカメリーと待ち合わせすることになった七瀬は、早々に美花と鋭太から離れ、己の羽根で飛んでいった。 人型昆虫なのでスカートの中身が丸出しになろうとも気にせず飛んでいく七瀬を見送ってから、再び歩き出した。
 美花と並んで歩こうとしたが、恥ずかしいし他の生徒達の目に付くので、鋭太は歩調を早めて美花の前に出た。 美花は鋭太に追い付こうとしたが、歩幅が違うので追い付くに追い付けず、結局は鋭太の少し後ろを付いてきた。 鋭太は会話を始めようとしたが、差し当たって間を持たせておけるような話題が出ず、黙ったまま歩いてしまった。 美花もまた鋭太との会話の切っ掛けを探そうとしているようだったが、こちらも話が切り出せず、少し俯いていた。
 そうこうしているうちに高校から離れていき、最寄り駅に向かうに連れて下校する生徒達の間隔もばらけてきた。 鋭太は教室に教科書を置いてきたおかげで多少軽くなったスポーツバッグを担ぎ直すと、背後の美花を窺った。

「野々宮」

「あ、何?」

 急に話しかけられたせいか、美花は戸惑い気味に答えた。

「ちょっと待っててくんね。すぐに戻るし」

「あ、うん、いいけど」

 美花は少し訝しげだったが、追及してこなかった。鋭太は駆け出し、迷わず通学路にあるコンビニに入った。 ドアを開けると数人の客がおり、レジには兄が立っていた。鋭太が店内に入ると、大神はきょとんと目を丸めた。

「そんなに急いでどうしたんだ、鋭太?」

「関係ねーだろ!」

 鋭太は兄に言い返してからトイレに入り、鍵を掛けた。手近な閉鎖空間は、ここしか思い当たらなかっただけだ。 あまり時間を取っては美花に怪しまれる、と鋭太は床に放り出したスポーツバッグを開き、中身を引っ張り出した。 普段は汗と泥まみれのジャージが詰め込まれているスペースに入っていたものは、新品の青い軍服一式だった。
 制服の上下を脱ぎ、今し方軍服が入っていたスペースに畳みもせずに押し込んでから、軍服を着込んでいった。 ワイシャツを着てネクタイを締めてピンで止め、藍色よりも少しだけ明るめな青の軍用ズボンと同色の軍服を着て、 ベルトを締めたところにサーベル代わりの軍鞭を差し、最後に軍帽を被ったが、そこで致命的なミスに気付いた。

「あ、やべ」

 足元が軍靴ではなくローファーだ。鋭太は一瞬迷ったが携帯電話でメールを打ち、レジに立つ兄を呼び出した。 一分もしないでトイレのドアがノックされたので、鋭太は鍵を外して細く開け、大神を手招いてから声を落とした。

「兄貴、軍靴あるだろ?」

「なんだ、その格好?」

 大神が小声だが呆れると、鋭太は軍帽の下から両耳を立てた。

「見りゃ解んだろ!」

「そりゃまぁ、俺とお前の足のサイズは同じだから履けるだろうし、色々あって俺も学習したから仕事場のロッカーに スペアの軍服一式は詰め込んであるが、なんでいきなりそんな格好になったんだ? というか、お前はそんなものを担いで 学校に行ったのか?」

「別にいいだろ、俺の勝手だし」

「良くない。抜き打ちの所持品検査で取り上げられたらどうするつもりだ。一式作るのに金が掛かるんだぞ」

「没収されても職員室から奪い返せばいいじゃん。つか、悪の組織なんだし」

「悪の組織だから、締めるところは締めるんじゃないか。きちんと手続きを踏んで、きっちり懲罰を受けてから 返してもらうのが筋だ。今回は運良く見つからなかったみたいだからいいが、次はそんなことはするなよ」

「解った解った、つか、軍靴は?」

「制服に着替えて何事もなかったかのような顔をして家に帰れ! 総統命令だ!」

 大神は人差し指を伸ばし、ドアの隙間から突き出た弟の濡れた鼻を押さえた。

「出来るかっての! 野々宮待たせてんだよ!」

 兄の指を振り払った鋭太が外を指すと、大神は鋭太の指先を辿り、美花を見た途端に耳と尻尾を立てた。

「なっ、なんでだ!? お前、野々宮さんとは付き合ってないんだよな!? そうなんだよな!?」

「付き合ってるわけねーし! つか、兄貴もさっさと仕事に戻れよ! だから軍靴寄こせ!」 

「尚更貸せるか! 理由を言え!」

「んじゃいらねーよ! さっさと客捌けよ、待ってんだろ!」

 鋭太はレジ付近に立つ客を指すと大神は口惜しげだったがトイレから離れ、レジに戻って会計を行った。 鋭太は兄の言動に苛立ちを感じながらも、改めてスポーツバッグを掘り起こすと、軍靴は荷物の底に入っていた。 こんなに大きくて重たい物体の存在を忘れてしまった自分が信じがたかったが、あったならそれで結果オーライだ。 軍靴を履いて格好を整え、兄の視線を受けながらコンビニを出た鋭太は、ずっと待っていた美花の元に戻った。 美花は先程よりも不思議そうな顔で、鋭太を見回した。スポーツバッグを置いた鋭太は軍鞭を抜き、高く掲げた。

「我が名は暗黒参謀ツヴァイヴォルフ! 悪の秘密結社ジャールを栄えある世界征服へと導かんがために、地獄の底より 現れた恐怖の権化!」

 自分でも意外なほどきちんと覚えていた口上を述べた鋭太、もとい、ツヴァイヴォルフは軍鞭を美花に向けた。

「これより貴様は我が手中に収まり、悪の枢軸へと誘われるのだ!」

「あの、えっと……」

 美花は軍鞭の先とツヴァイヴォルフを見比べていたが、眉を下げた。

「つまり、それは、誘拐というか監禁というか、そういうアレですか?」

「……たぶん」

 ツヴァイヴォルフは軍鞭を下げ、ベルトに差した。この口上は、兄の剣司が考えて書き溜めていたものだ。 弟の目から見ても出来が良く思えても、本人は納得しないらしく、これらの口上には打ち消し線が引かれていた。 兄からは恥ずかしいから見るなと言われたが、そう言われるとますます見たくなるもので、書類棚から持ち出した。 そして、その中でも特に格好良く思えた口上を覚えてしまったのだが、その意味まで理解したわけではなかった。

「つーわけだからさ」

 ツヴァイヴォルフはスポーツバッグを肩に掛け、顎をしゃくった。

「本社に来てくんね。つか、暇だろ?」

「あ、う、はい」

 ナンパのような言い回しに美花は戸惑いが増したが、やる気のない姿勢で歩くツヴァイヴォルフに続いた。

「あ、あの」

「んだよ」

「えっと、その、さっきのコンビニに私の友達が入っていって、それで、そのカバンはその……」

 つまり、ツヴァイヴォルフが鋭太のカバンを持って現れたのはおかしい、と言いたいらしいが美花は口籠もった。 すげー正体バレてねー、とツヴァイヴォルフは軍服の素晴らしさに感嘆したが、言い訳する必要があると知った。

「あー、あいつなあいつ!」

 ツヴァイヴォルフはわざとらしく頷いてから、高校の方向を指した。

「あいつ、なんかマジ忘れ物したっつって学校に戻ってったんだけど、カバン忘れてったからさー。だから、俺が後で 届けてやろうって思ってさ。つか、そうしねーとあいつ困るし?」

「あ、でも、ツヴァイヴォルフさんは鋭太君のお家を知っているんですか?」

「つか、悪の組織が知らねーわけねーし! てか、俺参謀だし! マジ参謀!」

「だったら良かったです。ツヴァイヴォルフさん、優しいんですね」

 美花に微笑まれ、ツヴァイヴォルフはぎくりとしたが、それを誤魔化すために変な笑い声を上げた。

「うはははははは! つか、そんなわけねーし!」

 安堵する一方で、あんな浅はかな嘘に本当に騙されたのだろうか、と美花の気の良さが心配になった。 繁華街に放り込めば、一分と経たずにキャッチセールスや詐欺のカモにされかねないのでは、と薄ら寒くなった。 もうちょい怪しめよ、つか自衛しろ、と美花の不用心さが空恐ろしくなりながらツヴァイヴォルフは本社に向かった。 本社に向かう道中、美花は悪の秘密結社ジャールに向かう道中にある和菓子屋に立ち寄って差し入れを買った。 昼休み後なので四天王の誰かしらがいるだろうとは思ったが、ツヴァイヴォルフは到底思い付かないことだった。 差し入れの芋羊羹が入った紙袋を下げた美花は、友人の家に遊びに行くかのような気楽な顔をして歩いていた。
 悪の秘密結社ジャールは表向きは人材派遣会社であり、地域社会に密接した企業体制を取る零細企業である。 なので、一般市民に恐れられるどころか馴染んでいるのは仕方ないにしても、美花までもが恐れないのは困る。 これでは、悪事をした気分にならない。それどころか、先程の下校をそのまま続けたのと変わらないではないか。 ツヴァイヴォルフは不完全燃焼どころか消化不良に陥り、早々に帰りたくなったが、芋羊羹に心が引かれていた。 芋羊羹だけは、生まれてこの方一度も食べたことがない。自宅でも親戚の家でも出されたことがなかったからだ。
 せっかくだから、差し入れの芋羊羹は食べよう。





 


09 8/19