純情戦士ミラキュルン




第十六話 超スケールの戦い! 純情昇華ミラキュイーン!



 翌日。美花は、集中力が欠けっぱなしだった。
 あの後、予習も復習もせずに早めに眠ったが、それでも眼精疲労は抜けきることはなく目の奥が痛んでいた。 四限目が終わった今も、美花は気力が戻らなかった。運良く指されなかったが、午後の授業はどうなることやら。 普段よりも字が乱れているが、ノートはきちんと取ってある。それを使えば今日の授業内容は把握出来るはずだ。 小一時間程眠りたい気分ではあったが、さすがに空腹が勝っていたので、美花は弁当箱の巾着袋を取り出した。

「おーす」

 クラスメイトと机の間を擦り抜けてきたのは、七瀬だった。

「おー……」

 美花が力なく挙手すると、七瀬は美花の前に顔を突き出した。

「何その顔、つか、朝からずっとぼんやりしてない? 貧血?」

「違う。ちょっと目が疲れただけ」

 美花は凝り気味の肩を解すために回してから、教室を見渡した。

「鋭太君、今日は休みなんだね」

「らしいね。つか、ここんとこサボってなかっただけだし。鋭太はサボるのがマジ普通だし」

「そうなの?」

「美花と仲良くなる前までだけどね。つくづく鋭太は馬鹿だね。マジ受ける」

 可笑しげに触角を揺する七瀬に、美花は苦笑いした。

「そうだね。この前の実力テスト、鋭太君の答案をちょっと見せてもらったけどひどかったし」

「あー……。まあ、うん、そういう意味でも通じるけどさ」

 七瀬は美花との認識の食い違いに気付き、半笑いになった。馬鹿、とは鋭太の学力を指した言葉ではない。 七瀬としては、好きな女子が出来たためにサボらずに登校するようになった鋭太の単純さを示したつもりだった。 二人から事の次第を又聞きして、美花と鋭太が付き合っていないことを大神に釈明したことまでは把握している。 だが、美花は相変わらず大神に好きだとは言えず、鋭太もまたクラスメイトに戻ったせいで恋心を燻らせている。 事態が進展したようでいて、その実は後退している。結果として、鋭太が関係に深く食い込んでしまったからだ。 けれど、近頃は第二の女である内藤芽依子の姿が見えないので、多角関係の一角は自然消滅したようだった。 それだけは良いことだが、他がダメだ。七瀬がきちきちと顎を軽く鳴らしていると、美花は弁当箱を持って立った。

「七瀬、中庭に行こう」

「ん、別にいいけど。つか珍しいね、移動するなんて」

 美花に続いて七瀬が歩き出すと、美花はプリーツスカートのポケットを押さえた。

「ちょっとね」

 連れ立って教室を後にした二人は、廊下を行き交う生徒達の間を擦り抜けて階段を下り、中庭へと向かった。 裏口から中庭に出ると先客がベンチを占領していたが、校舎の影になった芝生は人気が薄いのか空いていた。 美花は真っ直ぐに芝生に向かうと、七瀬を手招きした。七瀬は美花に招かれるがままに座ると、昼食を広げた。 七瀬とは違って肌の柔らかい美花は、太股が芝生が触れると痛そうだったので、七瀬はレジ袋を敷いてあげた。 美花は友人の気遣いに感謝しながらレジ袋の上に腰を下ろすと、兄手製の弁当を膝の上に広げて食べ始めた。 七瀬も顎を開いて菓子パンを囓ってオレンジジュースを使って流し込んでいたが、美花のポケットに複眼を向けた。 教室から出る時に押さえていたポケットからピンクの物体がはみ出していたので、気になった七瀬は尋ねてみた。

「ねえ、それ何?」

 七瀬がポケットを指すと、美花は咀嚼していたサトイモの煮付けを飲み下した。

「サポートアイテムだよ。確か名前は、ミラキュアパクト、だったかな。違うかもしれないけど」

「何、二段変身でもすんの?」

「ある意味二段変身だけど、ちょっと違うかな」

 美花は弁当箱に箸を横たえてから、ポケットからハートのコンパクトを取り出した。

「巨大化しようと思って」

「は? てか、なんでいきなりそうなるわけ?」

「始業式の後、ジャールの新しい幹部の怪人さんに攫われちゃって、その時に芋羊羹を差し入れしたの」

「うわ、オチ読める。てか、芋羊羹で怪人が巨大化するって知らなかったん? ヒーローなのに?」

「そうなんだよ。ていうか、なんで七瀬は、芋羊羹で怪人が巨大化するって知っているの?」

「ほら、私のアレは一応怪人だし。だから、まあ色々とね」

 七瀬はパンをぶちっと噛み千切り、舌で押し込むように嚥下してから、ハートのコンパクトを見下ろした。

「敵が巨大化したから自分も、ってわけか。つか、巨大化っつっても色々あるじゃん。何系?」

「ロボットになるつもり。いつもの格好で巨大化しても、あんまりそれっぽくないし」

「あー言えてるわー。で、また私に名前付けてくれとか頼むわけ?」

「あ、それは大丈夫。名前はお兄ちゃんだけど、どんな格好のロボットになるかは自分で考えたから。でも、 巨大化するためのエネルギー源がちょっと変でさ。だから、七瀬にも手伝ってもらおうと思って」

 美花は七瀬の黒い爪にハートのコンパクトを乗せると、躊躇いがちに笑みを見せた。

「七瀬。初恋乙女の胸キュンエナジーの充填、手伝ってくれる?」

「……あ?」

 それは胸郭から出任せの枕詞では。七瀬が面食らっていると、美花は両手を組んで懇願してきた。

「自分でも一生懸命やってみたんだけど、なかなか上手くいかなくて。だから、ね? 後で何か奢るから」

「なんでそういうことになるわけ? つか意味不明だし」

 ハートのコンパクトと睨み合う七瀬に、美花はにじり寄ってきた。

「後付設定でそういうことになっちゃったの! だからお願い!」

「初恋なぁ……」

 七瀬は哀れっぽい眼差しを注いでくる美花に辟易した。そんなことを言われても出来るわけがない。 それ以前に、七瀬には初恋と呼ぶべきものがない。繁殖期を迎えていない人型昆虫は、性愛の感覚が解らない。 人型に進化した今でも、昆虫にとっては恋愛とは繁殖に必要な行動原理に過ぎず、意味のない恋は経験しない。 だから、カメリーと付き合っていても七瀬には恋愛感情は全くなく、カメリーもまた恋愛感情は希薄のようだった。 カメリーが恋愛感情を前面に押し出してくれれば、繁殖期前の七瀬も少しぐらいなら共感出来たかもしれないが。 だから、経験していないものを出せと言われても困る。人型といえど、やはり七瀬はテントウムシに過ぎないのだ。

「ごめん無理マジ出来ない」

 七瀬は美花にコンパクトを押し返すと、美花は眉を下げた。

「え? なんで? 七瀬、カメリーさんと付き合っているじゃない」

「なんでって言われても、虫と人との違いっつーかでさ」

「あ、そっか。七瀬、繁殖期はまだだったもんね」

 すぐに察した美花は、コンパクトをポケットにねじ込んだ。

「ごめんね、七瀬。変なこと言っちゃって」

「てか、初恋乙女の胸キュンエナジーだったら、美花が充電すればいいんじゃない? 丁度初恋中だし」

 七瀬の爪先を向けられると、美花は赤面した。

「あ、うっ、でも」

「それが一番手っ取り早いじゃん?」

 にやけるように顎を広げた七瀬に、美花は肩を縮めた。

「そうかもしれないけど……でも……恥ずかしい……」

「大神君のことでも妄想すればいいじゃん。それで満タンになるっしょ」

「うえ」

 ますます赤面した美花は、手を激しく横に振った。

「出来るわけないよー! してない、してないしてないそんなことー!」

「してるんだ」

「してないしてないしてないぃっ!」

「高校生なんだから、妄想しない方が不健全だし。んで、何をどこまで妄想したん?」

「してないぃ……」

 美花は両手で顔を覆い、消え入りそうなほど上擦った声で答えた。だが、大神を絡めた妄想は何度もしている。 もしも告白出来たら、という前提で始まった妄想が行き過ぎて、結婚して新婚旅行に行くまでに至った時すらある。 妄想に気合いが入りすぎて寝付けなかった夜もあり、考えすぎて勉強した内容が吹っ飛んでしまった夜もある。 中には過激な少女漫画のような妄想もあり、それを思い出してしまった美花は悲鳴を上げかけたが飲み込んだ。 深呼吸を繰り返してから顔から手を外した美花は、高鳴る鼓動だけでなく、太股に当たる強烈な熱を感じ取った。

「ん……?」

 熱源はポケットからだった。美花はコンパクトを指で摘んで取り出したが、熱すぎたので芝生に落としてしまった。 すると、その真下にハート型の焼き印が付いて薄く煙が上がり、コンパクトの蓋に付いた大きなハートが点滅した。

「うわやばっ!」

 ヒーロー体質の一部である予知能力、嫌な予感に襲われた美花は右手だけ変身してグローブを装着した。 右手でハートのコンパクトを掴んで力一杯放り投げ、中庭から一気に高校の上空数百メートルまで投げ飛ばした。 適当な投球フォームだったので投げた後によろけた美花は、つんのめってから姿勢を直すと、グローブを消した。 数秒後、美花が放り投げたハートのコンパクトはピンク色の閃光を放って爆砕し、やはりハート型の煙を上げた。 爆音に気付いた生徒達がざわめき始めたが、ピンク色の煙で出来上がったハート型を見た女子は騒いでいた。 何事かと教師達も飛び出してくる。罪悪感に駆られた美花は座り込んだが、足元を見下ろして泣きそうになった。

「……お弁当が」

 いきなり立ち上がったせいで、半分も食べていなかった弁当がひっくり返って芝生に転がっていた。 

「マジ凄すぎだし、胸キュンエナジー。てか、次からはそのパワーで戦えばマジ良くない?」

 他人事なので七瀬が笑うと、美花はむくれた。

「七瀬があんなこと言わなきゃ、コンパクトだって爆発しなかったし、お弁当だって無事だったのに」

「自分の妄想過多を人のせいにすんなよ。早く職員室に行って説明してきなよ。警察呼ばれたら面倒だし」

「うん、そうだね」

 美花は弱々しく答え、ダメになってしまった兄の力作をレジ袋に入れてから、弁当箱も巾着に入れて片付けた。 七瀬の気のない言葉を背に受けながら中庭を後にした美花は、ざわついている生徒達の間を身を下げて通った。 弱い声で挨拶をしてから職員室に入ると、担任の教師は薄々感づいていたらしく、困り顔で美花を手招いてきた。 美花は担任教師の前に立つと、空っぽの弁当箱と芝生に食べさせてしまった弁当の中身を握り締めて硬直した。 その場で怒られるかと思っていたが、放課後に生活指導室に来るように、と言われて職員室から追い出された。 怒られるのは嫌だが、すぐに怒られないのも嫌だ。美花はびくびくしながら教室に戻り、自分の机で俯せになった。
 恥ずかしくて情けなくて、消えてしまいたかった。




 校門を出ても、気分は晴れなかった。
 美花は肩からずり落ちた通学カバンを担ぎ直してから、全身の強張りを抜くようにゆっくりとため息を吐いた。 生活指導室に呼び出されたのは初めてだった。だから、ホームルームの後に言われた時は逃げ出したくなった。 事情を知らない他のクラスメイト達は、クラスの中でも特に目立たない美花が何をしたのかと口々に話していた。 どんな噂が囁かれるのか考えるだけでうんざりしたので、ホームルームが終わってすぐに教室から出ていった。
 生活指導室では、美花のヒーロー活動についての話をされた。校則では、ヒーロー活動は禁止されていない。 普通のボランティアとは大分形が違うがれっきとしたボランティアで、社会平和に貢献する活動でもあるからだ。 だが、校内では控えろと強く言われた。コンパクトの爆発は、事故ではなく戦闘の一端だと思われたようだった。 事故だと説明しても、なぜそうなったのかが上手く説明出来なかったせいで、教師の認識は変えられなかった。 ヒーローでもなく怪人でもない普通の人間には、精神力が溜まりすぎた物体が炸裂する概念が解らないらしい。 充填しすぎたガスのようなものだ、と説明しても、たかが精神力だろうと言い返されると言葉に詰まってしまった。
 美花へ注意を行うはずだったのに、途中から話は脱線して最近目立つ神聖騎士セイントセイバーの話になった。 それまでは全く無名だったセイントセイバーだが、地球を救った直後から率先して怪人を倒すようになっていた。 ジャールの怪人には手を出していないようだが、セイントセイバーが戦っている地区は近いので時間の問題だ。 担任教師は格好も態度もヒーロー然としたセイントセイバーがお気に入りらしく、どんな人物なのかと訊いてきた。 だが、美花はセイントセイバーとは面識がないから知らない、と答えると、担任教師はあからさまに不満を示した。 その後、担任教師は美花から興味が失せたらしく、次はお兄さんを呼び出すからと投げやりに忠告して解放した。
 生徒の姿がない通学路を歩きながら、美花は足元を見つめていた。ヒーローの間にも、格差は存在している。 ミラキュルンに人気がないのは百も承知で、人気がなくて安堵しているが、本人の目の前であれはないだろう。 おかげで、ただでさえ滅入っていた気持ちがますます下がり、このままでは地面に沈み込んでしまいそうだった。 大神の勤めるコンビニの前に差し掛かっても顔を上げる気にすらなれず、美花は足を引き摺るようにして歩いた。 このまま家に帰って昼寝でもしよう、その前にケーキでも食べよう、などと考えていると甲高いブレーキ音がした。

「野々宮さん」

 振り返ると、コンビニを通り越して数メートルの位置で自転車に乗った大神が止まっていた。

「大神君……」

 立ち止まった美花に、自転車を降りた大神は近付いてきた。

「暗い顔して、どうかしたのか?」

「いえ、別に、なんでも」

 美花は笑顔を作ろうとしたが、声が震えてしまった。

「バイト終わったばかりで時間があるから、その、俺で良かったら付き合うけど」

 大神は腰を曲げて美花と視線を合わせてきたので、美花は一層情けなくなって俯いた。

「でも、そんな」

「それに、最近野々宮さんと話す機会がなかっただろう? だから、俺の方が話したいっていうかで……」

 尖った耳を引っ掻きながら照れ混じりに笑う大神に、美花は嬉しいやら情けないやら困るやらで泣きたくなった。 だが、本当に泣いてしまっては大神を困らせてしまうので、美花は声を押し殺して頷くと大神に続いて歩き出した。 話し込むのに丁度良いであろう場所を探しながら、大神は口数の少ない美花とは対照的に絶え間なく話し続けた。 本当に美花と話したかったのだ、と思うと先程の数倍嬉しくなったが、嬉しすぎてまたもや美花は喉が詰まった。 喉どころか胸の奥も引き絞られるように痛み出し、眼精疲労も紛れるほどで、心なしか足元が浮ついてしまった。 コンパクトみたいに爆発しちゃったらどうしよう、と高揚と不安に駆られながら美花は大神と共に公園に向かった。
 緊張しすぎたせいで、道中の会話が全く記憶に残らなかった。





 


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