純情戦士ミラキュルン




第二十一話 機械と野生の融合パワー! 獣装ウルファイター!



 月曜日。
 本社に行くまでの道程はいつもと変わらないのに、行き交う人々の顔触れは見知らぬものばかりだ。 街並みも、西日ではなく朝日が差していると表情が違い、靴底に返るアスファルトの感触も違う気がする。 出勤時間が人並みの早さになっただけなのに、どうにも落ち着かず、大神は自転車のペダルを踏む力を増した。 ネオンも消えて酔いから覚めた歓楽街を通り抜け、悪の秘密結社ジャールの本社が入った雑居ビルを目指す。
 世界征服活動に専念するためにアルバイトを辞めてから、大神の生活のリズムは二三時間ずれてしまった。 午前七時から午後四時までの勤務時間だったので、出勤時間に合わせて午前六時前後には必ず起きていた。 だが、ジャールの出勤時間は午前九時で、鍵を開けるために一番早く来るレピデュルスでも午前八時三十分だ。 だから、朝も七時頃まで眠っていられるのだが、眠るどころか遅刻した気分になるのでつい早起きしてしまった。
 本社に到着した大神は、自転車を止めていつものように鍵を掛けてから、ビルとビルの隙間に押し込もうとした。 すると、そこには既に一台の自転車が入っていた。しかし、四天王は四人とも自転車に乗るような習慣はない。 隣接したビルの社員の所有物だろう、と勝手に結論付け、大神は階段を上って三階にある本社のドアを開けた。

「おはよう、剣ちゃん!」

 大神が挨拶するよりも先に、明るい声が掛けられた。

「……え?」

 大神が面食らうと、そこにはOL時代のスーツを着た弓子が笑顔で待ち構えていた。

「なんで姉さんがここに? ていうか、社員でもないのに……」

「社員じゃないけどさ、身内じゃん? だからお手伝いしようと思って」

 得意げに尻尾を振る弓子に、大神は困惑し、机を拭いているレピデュルスに尋ねた。

「レピデュルス、これ、どういうことだ?」

「よろしいではございませんか、若旦那」

 濡れ布巾を畳んでから、レピデュルスは笑みを零すようにきちきちとヒゲのような形状の外骨格を鳴らした。

「弓子御嬢様は刀一郎様と同じ一流企業に勤めておられたのですから、腕に覚えはありましょう。少なくとも、 就労経験どころか社会経験も希薄な鋭太坊っちゃまに比べればお役に立つことでしょう」

「ね、いいでしょ? 剣ちゃん?」

 弓子に擦り寄られ、大神は片耳を曲げた。

「でもなぁ……」

 身内とはいえ、他の社員と同時間勤務しても給料が発生しないのは良くない。労働基準法に抵触してしまう。

「無理に雇ってもらわなくてもいいよ、剣ちゃん。でも、仕事振りが気に入ったら考えてよね」

 弓子は大神の手を取り、紺色のベストの裾から出ている尻尾をぱたぱたと大きく振った。

「でも、なんでうちなんだよ。他の会社でもいいじゃないか」

「刀一郎さんと結婚してからは三年もだらだらしちゃってたから、社会生活にブランクありまくりなんだもん。だから、 ジャールで仕事のやり方とかペースとか思い出してから、他の会社にちゃんと就職しようと思ってさ」

「でも、だからって何も出ないのはまずいよ」

「えー、いいよー。お姉ちゃんが剣ちゃんからお給料をもらうなんて気が引けるよ」

「俺もそう思うけど、ジャールは会社なんだから。きっちり締めておかないと」

 大神は自分の机に向かい、引き出しを開けて書類を一枚出した。

「これ、書いて」

「うん、解った。じゃ、お昼にでも市役所から住民票を取ってくるね。保険証は後でコピーするね」

 弓子は大神から書類を受け取り、荷物置き場と化している主のいない机の椅子を引いて腰掛けた。 大神は必要事項を記入している弓子の様子を見ていたが、私服から仕事着に着替えるために更衣室に入った。 すると、なぜかレピデュルスまでが入ってきたので、大神は脱ぎかけたシャツを一旦下ろしてから両耳を伏せた。

「なんだ、いきなり」

「若旦那。どうか、弓子御嬢様のお気持ちをお察し下さい」

 レピデュルスが片膝を付いて頭を下げてきたので、大神は頷いた。

「解ってるさ、それぐらい。刀一郎さんのことだろう?」

「仰る通りで」

 レピデュルスは頭を上げ、黒く艶やかな複眼に若き主を映した。

「刀一郎様は勤め人であり、お忙しい身の上だとは存じ上げておりますが、近頃の弓子御嬢様への態度は目に余ります。 しかし、弓子御嬢様が刀一郎様を責めずに明るく振る舞うのであれば、我らは大神家の従者に相応しい態度で弓子御嬢様の 御意志に従いましょう」

「俺もそのつもりだよ。刀一郎さんに会ったら、怒るかもしれないけど」

 大神は、社内の様子に気を向けた。話し声が増え、更衣室に入っている間に他の三人も出社したようだ。 三人は口々に弓子のスーツ姿を褒め、弓子もまた子供の頃と全く変わらない態度で四天王達と戯れている。 明るく弾んだ声色には陰りはなく、いつもの子供っぽいが快活な姉だが、実家での様子を知っていると心が痛む。 名護を出迎えようと一晩中居間で待っていたが、とうとう名護は帰らず、弓子は泣きながら一人で眠り込んでいた。 そんなことばかりが続いては、息苦しくなって外に出たくなるのは当然だ。

「では、私はお先に失礼いたします」

 レピデュルスは一礼してから、更衣室を出た。大神は自分のロッカーを開けて荷物を入れ、軍服を取り出した。 私服を脱いでワイシャツとズボンと軍服を着て、軍靴を履き、軍帽を被り、外出予定はないのでマントはロッカーに残した。 更衣室から出ると四天王と話していた弓子が振り向き、大神、もとい、ヴェアヴォルフを見た途端に言葉を止めた。 笑みの形に細められていた目が次第に潤み、明るい表情を浮かべた顔が崩れて眉が下がっていった。

「姉さん?」

 ヴェアヴォルフが弓子に近付くと、弓子は目元を擦り、両耳を伏せた。

「なんでもないの、剣ちゃん、気にしないでね」

 弓子は泣き笑いの顔で、肖像画に描かれている祖父の姿によく似た弟を見上げた。

「今、ちょっと思っちゃったんだ。どうして、こういう時にお爺ちゃんがいないのかなって」

「俺もだよ」

 ヴェアヴォルフは、その言葉に心底同意した。祖父のヴォルフガングがいれば、どんなことも相談出来ただろう。 ヴォルフガングは分類上では怪人に分類されてはいたが、実際には魔力と称される能力を持った魔物だった。 中世時代から生き長らえていて、第二次大戦中にドイツ軍の将校として来日した時には既に六百歳を超えていた。 恐ろしく長い人生経験に裏打ちされた行動や言葉は、大神家だけでなく、ジャールの怪人達にも尊ばれていた。 だが、その一方で世界征服に対する情熱は誰よりも凄まじく、死する寸前までヒーローに戦いを挑み続けていた。
 もう大丈夫だよ、と弓子は笑ってみせたので、ヴェアヴォルフは姉の言葉を信じて取締役の机に向かった。 四天王から回された書類に目を通し、捌きながら、ヴェアヴォルフは郵便物の仕分けをする弓子の様子を窺った。 涙の名残か、目元は僅かに赤らんでいて耳も伏せがちだったが、その横顔は社会人らしいものに変わっていた。 普段の甘えた顔や拗ねた顔とは違って年相応の緊張感が漲っていて、ヴェアヴォルフは新鮮な気持ちになった。
 年相応の姉を見たのは、初めてかもしれない。




 やけに一日が長かった。
 コンビニのレジ打ちや品出しを行っていると忙しなく過ぎるのに、ジャールの仕事はそれほど忙しくなかった。 何もないわけではないが、デスクワークばかりなので机から動くこともなく、動いていたのはボールペンぐらいだ。 だが、一日本社にいるとそれまでは知らなかったことが見えてきたので、アルバイトを辞めた価値は充分あった。
 疲れたことには疲れたが、熱を持っているのは脳だけだ。デスクワークのせいか、体を持て余してしまった。 ヴェアヴォルフから大神剣司に戻った大神は、同じように帰路を辿るサラリーマンが多い駅前通りを通っていった。 本社から社宅のアパートに帰るには通らなくてもいい道なのだが、少しでも遠回りして体を疲れさせようと思った。 ジャールの退勤時間は午後五時なので、コンビニの退勤時間よりも一時間遅いため、空の色が大分暗く感じた。
 普段、目にするのは駅の西口だ。毎週土曜日にミラキュルンと戦う駅前広場も、西口側に作られたものだ。 大抵の用事は西口付近の店や駅ビルで事足りるし、東口側に友人や知り合いもいないので滅多に向かわない。 線路を隔てた先なので近いはずだが、なんとなく縁遠い。だから、大神は周囲の景色を眺めながら歩いていた。

「いやあっ、そこの君ぃ!」

 唐突に頭上から呼び掛けられたので大神が立ち止まると、電信柱の上に大柄な人影が立っていた。

「とおっ!」

 鮮やかに空中に飛び出した人影は、マントを広げて大神の目の前に着地した。

「パワー・オブ・ジャスティスッ、パァゥワァッイィーグルゥウウウッ!」

 巨体のヒーロー、パワーイーグルは拳を固めて厚い胸板を張り、右の拳を突き上げてポーズを付けた。 頭部はタカを模したバトルマスクで、胸にはデフォルメされた E の文字、背中には翼に似た形状のマントが翻る。 バトルスーツの全体的なカラーは派手な赤と金で、タカというよりフェニックスを連想させるデザインだった。

「とおっ!」

 背後からも掛け声が聞こえたので振り返ると、今度は細身の人影が大神の背後に飛び降りてきた。

「世界中の愛を守るピースメッセンジャー、ピジョーッンレェディッ!」

 長身で豊満な肢体の女性ヒーロー、ピジョンレディはしなやかに上体を反らして片足を振り上げた。 こちらもバトルマスクはハトを模したもので、口上にある通り平和の使者に相応しい純白のバトルスーツだった。 ボディラインを強調しているラインやバトルマスクのゴーグルはピジョンブラッドで、白と赤のコントラストが鮮烈だ。

「ははははははははっ! どこへ行こうというのかね、え、そこの君ぃ!」

 威圧的に笑うパワーイーグルにずかずかと歩み寄られ、大神は怪人の本能で後退った。

「い、いや、俺はその……」

「うふふふふ、あなた、いい体してるわねぇ! 毛並みはふさふさ、尻尾はもふもふ、いやんもう可愛い!」

 後退ったところでピジョンレディに退路を塞がれ、大神は大いに焦った。

「い、いやそのだから、俺はただ仕事上がりで」

「ははははははははっ! 単調な日常に退屈していないかね、しているだろう、君ぃ!」

「いやだからその」

 大神はますます逃げ腰になるが、ピジョンレディがマスクに覆われた顔を寄せてきた。

「ねえ、ちょっと世界とか守ってみない? エクセレントにエキサイティングでエクスプロージョンよ!」

「いや、だから、俺は……」

 その世界を征服する側なのだが。大神が困り果てていると、パワーイーグルに右手首を掴まれた。

「ははははははは、そうか世界を守りたいか、ならば俺の力を貸してやろうっ!」

「あ」

 何も答えていないのに。大神が目を丸めると、右手首の腕時計が変化し、銀色のブレスレットに変わった。

「名ぁ付けてぇっ、パゥワァアーブゥレスゥッ!」

 またも拳を握って力一杯宣言したパワーイーグルに、ピジョンレディはしがみ付いた。

「いやんもうあなたって素敵ぃ、その色々と有り余ってるところが溜まらないわぁっ!」

「いや、だから、俺は……」

 大神はブレスレットを外してもらおうと右手を伸ばすと、パワーイーグルは骨張った人差し指を立てた。

「パゥワァアブゥレスゥはっ、パゥワァアチェェエーンジィッ、と叫べば君の思いのままの姿に変身出来るぞぉうっ!」

「……うぜぇ」

 ブレスレットもだが、パワーイーグル本人が。大神はつい本音を漏らしたが、本人は鮮やかにスルーした。

「はははははははは、そうか嬉しいか、君ぃ!」

「ほほほほほほほほ、これでまた一歩世界平和に近付いたわぁ、ねぇあなたぁ!」

 ピジョンレディは甲高く高笑いし、パワーイーグルに寄り掛かった。

「はははははははは、ではまた会おう、君ぃ! 活躍を期待してるぞぉっ!」

 パワーイーグルはピジョンレディの肩に手を回し、効果音が付きそうなほど力強く親指を立てた。

「はははははははは!」

 騒音を撒き散らしながら、パワーイーグルはピジョンレディを抱いたまま飛び去り、程なくして見えなくなった。 大神は唖然としつつ、右手首を見下ろした。アルバイトの初任給で買った思い入れのある腕時計だったのだが。

「パワーチェンジなんてしてたまるか、俺は怪人なんだぞ!」

 大神はパワーブレスを引っこ抜こうとするが、音声に反応し、腕時計が発光した。

「え、え、あれっ!?」

 大神が戸惑っている間に光は拡大し、白光に包まれて視界が奪われ、エネルギーが全身を駆け巡った。 何をどうすればいいんだ、と大神は困り果てたが、子供の頃にちらっと考えたオリジナルのヒーローを思い出した。 その名も獣装ウルファイター。恥ずかしいことに自分がモデルで、いわゆる機動刑事系のメタルヒーローだった。 だが、考えたはいいが怪人一家である大神家では言えるわけもなく、けれど、忘れるのがなんとなく惜しかった。 しかし、何も今思い出すことはないだろう。すると、大神の視界を奪っていた光が消え、光の粒子が弾け飛んだ。

「……げ」

 すると、真正面のショーウィンドウに、子供の頃に思い描いたものと同じ姿のメタルヒーローが突っ立っていた。

「い、いや、落ち着け俺、落ち着くんだ」

 大神は金属製のアーマーに包まれた手で顔を押さえると、顔の形状に合わせた形状のバトルマスクに触れた。 目元は横長のゴーグルになっており、背中には飛行用のブースターとウィングが付いているが尻尾は丸出しだ。 腰には機動刑事ということでブレードに変形出来るスナイプライフルが装備され、なぜか手錠まで下がっている。

「とにかく変身を解除するんだ、そうすればなんとか」

 大神はパワーブレスを叩いてみるが、元に戻るどころか、背中のブースターが点火した。

「ふおぉおおうっ!?」

 ろくに姿勢制御も行わないまま空中に発射された大神は、ロケット花火の心境を思う存分味わった。 大神は怪人だが飛行能力を持たないので、もちろん空を飛んだことなどなく、真っ直ぐ飛ぶ方法を知らなかった。 ブースターに振り回されているせいで上も下も解らなくなったが、街に突っ込むことだけは避けようと身を捻った。 そのおかげで、進行方向にあったビルに突っ込むことを回避し、暮れかけた空を目指してひたすら上へ飛んだ。 でたらめに飛び回ったためにかなり酔っていたが、大神はバトルマスクの中で戻すと大惨事だと吐き気を堪えた。
 行き先は、あの世でなければ良いのだが。





 


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