純情戦士ミラキュルン




第二十三話 絡み合う陰謀と欲望! 蠱惑のアラーニャ!



 水曜日。
 ただでさえ少ない正社員が二人も欠けると、寂しいものだ。仕事に集中しようにも、気が逸れてしまう。 契約社員達の出勤日数や日給の計算を間違えてはいけないのだが、無意識に目が動いて皆の机に向かった。 落ち込んでいる暇があるのなら仕事をするべきだ、とは思うが、これほど解りやすい危機に陥ったのは初めてだ。 零細企業故に財政難や人材不足で経営が危うくなったことはあったが、悪の組織としての危機にはならなかった。 だが、神聖騎士セイントセイバーと正面切って戦ったところで勝ち目は全くない。それどころか、返り討ちにされる。 けれど、このままでいいはずがない。ヴェアヴォルフに続き、ファルコまでやられてしまっては黙っていられない。

「アラーニャ」

 不意にレピデュルスに呼ばれ、アラーニャは思考を切り換えた。

「はぁい、なぁにぃ?」

「すまんが、若旦那とファルコを見舞ってはくれぬだろうか。私は若旦那の分の仕事があるのでな」

「もちろんよぉ」

 アラーニャは表計算ソフトを上書き保存してから、パソコンをシャットダウンした。

「後でパンツァーにも連絡しておこう。その方が、安全かもしれぬからな」

 レピデュルスがパンツァーの机を見やると、アラーニャは足先を振った。

「あらぁいやぁねぇ、私だって怪人なのよぉ。そう簡単にはやられたりしないわぁん」

「万が一、ということもある。これ以上戦力を欠けば、会社としても立ち行かなくなってしまうのだ」

 レピデュルスは、書類棚の左上に作り付けた神棚に飾られているヴォルフガングの遺影を見上げた。

「我ら四天王の役目は、補佐役として若旦那を支えるだけではない。大旦那様の願いを引き継ぎ、果たすためにも、 ジャールを守り通さねばならんのだ」

「解っているわよぉん」

 アラーニャは机の下から通勤用のバッグを出して、ミラキュルンからの見舞いの品も持った。

「若旦那は退屈しておられるだろう。ファルコ共々、存分に話し相手になってやってくれ」

 レピデュルスからの頼みに、アラーニャは四つの目を閉じてウィンクしてみせた。

「それじゃあレピさぁん、弓子御嬢様によろしくねぇん」

 行ってくるわねぇん、とアラーニャはレピデュルスに足先を振り、ジャール本社を出て病院へと向かった。 ヴェアヴォルフに続き、ファルコもセイントセイバーにやられた。傷は塞がれているが浅くなく、出血もひどかった。 胸を貫かれて大量に失血したファルコは病院の前に倒れており、免許証から身元が割れてジャールに連絡が来た。 ファルコは誰かの手で病院へ運ばれたようだったが、誰によるものかは本人が頑なに言おうとしなかったので 問い詰めなかった。午前十時を過ぎたからだろう、市街地には人通りがまばらだった。
 アラーニャは駅前バスターミナルでバスに乗って市立総合病院に行き、二人が入院している病棟を訪ねた。 入院した日が一日違いだったからだろう、二人は同じ大部屋に入れられ、病室前には二人の名札が付いていた。 アラーニャは他の入院患者達に挨拶してから、窓際のベッドの上からぼんやりと外を眺めている大神に近付いた。

「御加減どう、若旦那ぁ?」

「アラーニャ」

 大神は少し嬉しそうな顔をしてアラーニャに向いたが、動作はぎこちなかった。

「輸血と傷の縫合は終わったけど、当分は出られないってさ。消毒しなきゃいけないらしくて」

「背中の毛、どうなっちゃったぁ?」

「大分剃られたよ。おかげですかすかする」

 大神は情けなく耳を曲げ、入院着に隠された自分の背中を見やった。

「この程度なら、放っておいても塞がる傷なんだけどな。いちいち大袈裟なんだよ」

「無理しちゃダメよぉ。若い頃の傷はぁ、ちゃんと治さないと後になって響くんだからぁ」

 アラーニャは大神のベッドの傍にあった椅子に腰掛け、大神の向かいのファルコのベッドを見やった。

「ファルちゃんはぁ?」

「ファルコは処置室だよ。肺に溜まった血を抜かなきゃならないから」

「それは大変ねぇ」

 アラーニャは、その苦痛を想像して同情した。大神は耳を伏せ、項垂れた。

「一昨日の夜に、俺がセイントセイバーを倒せていれば……」

「あんまり思い詰めちゃダメよぉ、若旦那ぁ。今はぁ、体を治すことだけに専念しなくっちゃあ」

 アラーニャが励ますと、大神は伏せていた耳を上げた。

「そうだな」

「坊っちゃまと御嬢様には上手く誤魔化しておいたからぁ、何も気にすることはないわぁ」

 アラーニャは紙袋から菓子折の箱を取り出し、大神に渡した。

「そうそう、これぇ、ミラキュルンちゃんからよぉ。律儀な子ねぇ」

「なんか、妙な気分だなぁ……」

 怪人がヒーローから見舞いの品をもらうとは。大神はその箱を受け取り、包装紙を剥がして開けた。

「ナボナ?」

「あらぁん、いいじゃないのぉ、おいしいんだからぁ」

 アラーニャが箱を覗き込むと、大神はその半分を取り出してアラーニャに渡した。

「こんなにあっても食べきれないから、会社で食べてくれよ。俺もファルコも、今はそんなに食欲ないし」

「解ったわぁん。でもぉ、お見舞い返しはぁ、若旦那がちゃあんと考えてねぇん」

「解ったよ」

 大神は箱に蓋をし、頭上に作り付けられた棚に入れた。

「若旦那ぁ、何か欲しい物があったら仰ってねぇん」

 アラーニャが八つの目を瞬かせると、大神は顔を綻ばせた。

「ありがとう。アラーニャこそ、無理しないでくれよ。俺達がいない分、忙しくなっちまっただろうから」

「あらぁん、大丈夫よぉん。私もレピさんもぉ、仕事には慣れているからぁん」

 アラーニャは一本の足先で口元を押さえ、反対側の一本を振った。大神は辛うじて笑顔に戻ったが、 その表情に力はない。負傷して体力が消耗しているためと、敗北したショックが抜けていないからだろう。 なるべく不安を削ぐように、とアラーニャは出来る限り明るい話題を選ぼうとしたが、すぐには思い付かなかった。
 近頃、ジャールも大神家も不穏な空気が漂っている。名護の帰りは毎日のように遅く、帰ってこない日すらある。 弓子がジャールに勤めるようになってからは、大神家の両親からも弓子には気を割いてくれと頼まれている。 言われなくてもそのつもりだが、弓子自身が大神や鋭太はおろか四天王の誰にも悩みを相談しようとしないのだ。 出来ることなら弓子の不安を受け止め、和らげてやりたいが、本人が意地を張っていては受け止めようがない。
 それは大神にも言えることだ。取締役として総統として強く出ようとしているが、年相応に打たれ弱い青年だ。 万全の状態で正面から戦えば、大神は、ヴェアヴォルフは強い。生まれながらにボスクラスの怪人だからだ。 ヒーローにも引けを取らないパワーとスピードを持ち、必殺技も強烈で身体能力も並外れていて打たれ強い。 だから、上手くすればセイントセイバーを追い詰められるだろうが、完全な敗北で恐怖を植え付けられてしまった。 けれど、大神は敗北による畏怖を表に出さないようにして、総統らしい力強いリーダーとして振る舞おうとしている。 弱る時は思い切り弱るべきだ、とは思ったが、ヴェアヴォルフの立場を貫こうとする大神のプライドも理解出来る。 なので、アラーニャはセイントセイバーの一件に触れないようにしながら、思い付く限りの明るい話を並べ立てた。
 問題の本質から、一時的に目を逸らすだけだと解っていたが。




 BAR・女郎蜘蛛。
 アラーニャの次にテナントの借り主は現れなかったらしく、十五年前と変わらない看板が付いていた。 風雨に晒されていたために色がぼやけ、プラスチックにヒビが入っており、中の蛍光灯も割れているようだ。 開店当初は毒々しい赤だったが、今ではすっかり色褪せて毒気が抜け、今の自分のようだとアラーニャは思った。 枯れ葉や砂が堆積した階段には足跡は全くなく、アラーニャは小さな同胞の巣を払いながら階段を昇っていった。 アラーニャの昔の店だけでなく他のテナントにも人気はないので、所有していた不動産業者が手放したのだろう。 繁華街からも住宅街からも外れた中途半端な位置にあるので、十五年前も物件価値が低いビルだった。 だから、アラーニャでも安く借りられたのだが、その後は買い手も付かず解体もせずに放置されていたのだろう。
 四階に来たアラーニャは、なんとなく捨てられずにいた店の合い鍵を財布から出し、期待せずに差し込んでみた。 すると、鍵が噛み合って錠が外れた。アラーニャは錆びたノブを回して、時間の止まった空間に足を踏み入れた。

「お久し振りねぇん」

 朱色のスツールは埃を被って白くなり、壁紙は剥がれ、カウンターには天井の破片が落ちていた。 湿っぽい埃の匂いに混じって、壁紙に染み付いていたであろう酒とタバコの残り香が流れ、嗅覚をくすぐってきた。 懐かしさと共に切なさに胸を締め付けられながら、アラーニャはカウンターに入って狭い店内をぐるりと見回した。
 かつては、この店がアラーニャの世界の全てだった。昼と夜が逆転した生活は体には辛かったが楽しかった。 常連も出来て、アラーニャを慕ってくれる店員の子もいて、アラーニャは自分の収まる場所を見つけた気分だった。 だが、それも長くは続かなかった。店を始めてから五年と経たないうちに傾き、閉店せざるを得なくなってしまった。

「天職だって、思ったんだけどねぇん」

 アラーニャは埃の被ったグラスを取り出し、雨戸の閉まった窓の隙間から差し込む光に透かした。

「色んな人とお話ししてぇ、お酒を飲んでぇ、夜明けまで付き合ってぇ……」

 今でも、夜は一人になりたくない。けれど、飲み歩けるほど若くはないから、アパートで一人で飲んでいるだけだ。 水商売を始めたのも、夜が嫌だからだ。眩いネオンや勢いを失わない人混みに紛れていると、気が休まってくる。 単に独り身が寂しいだけなのかもしれないが、誰かの傍にいたくてたまらない。だから、色々な男を好きになった。
 若いだけで芯のない男、地位に溺れて自分を見失った男、何人もの女を捨てた男、女にしがみついて生きる男。
そして、彼だ。埃が溜まったグラスを回したアラーニャは、グラス越しにカウンターに座る姿を思い出して微笑んだ。

「うふふ……」

 けれど、結局、好きだとは言えなかった。

「本当に好きな人ってぇ、近付きにくいものよねぇ」

 アラーニャはグラスをカウンターに置き、背後にある棚から名札の付いたキープボトルを出した。

「あらぁん、あんなにおいしいお酒だったのにぃ」

 十五年の歳月で上等なウィスキーは蒸発し、空っぽになっていた。アラーニャはくすくす笑い、ボトルを置いた。 ウィスキーの首に掛けられた名札には少々乱暴だが力強い字で、Tiegel Ein と彼の本名が書き記されていた。

「邪魔するぜ」

 ぎぎ、と錆の浮いた蝶番に負けぬほどの摩擦音を響かせながら、人型戦車が店に入ってきた。

「あらぁん、いらっしゃあい」

 アラーニャが出迎えると、パンツァーはカウンターのスツールに腰掛けた。

「単独行動を取るんじゃねぇよ。これ以上、若旦那に心配掛けるわけにはいかねぇだろうが」

「心配性ねぇん」

「俺の体は機械だからそう簡単にはぶっ壊れねぇが、お前らはそうもいかねぇだろう」

 パンツァーはセカンドバッグからタバコを取り出して銜えたので、アラーニャはカウンターの下から灰皿を出した。

「すまねぇ」

「どういたしましてぇ。お構い出来なくてごめんなさいねぇん、ティーゲルさぁん」

 と、アラーニャが何気なく本名で呼ぶと、パンツァーは煙を吸い損ねて背中の排気筒から噴き出した。

「な、なんだ急に!」

「せっかく買って下さったのにぃ、お酒、ダメになっちゃったわぁん」

 アラーニャが空っぽのボトルを示すと、パンツァーは吸いかけたタバコを下ろした。

「……そういえば、そうだったな」

「パンさんもぉ、随分な常連だったわねぇん」

 アラーニャはカウンターに上両足を付いて、頬杖を付くような格好をした。

「安いお酒を飲ませる店はぁ、他にも一杯あったのにぃ。そんなに私が気に入ったのかしらぁん?」

「馬鹿言え。そんなんじゃねぇよ」

 頼りなく軋むスツールに座り直したパンツァーは、タバコを深く吸い込んだ。

「大旦那様がいらしていたからだ。そうでなかったら、金もないのにお前の店で酒なんか飲まん」

「あらぁん、寂しいわねぇん」

「大旦那様は、俺や俺の兄弟が稼働するはずだった時代を知っている御方だったからな。突き詰めたい話じゃねぇが、 誰かに確かめねぇと不安になっちまうんだよ。俺が一体何者なのか、ってのがな」

 単眼のスコープの下にある口に似た隙間から紫煙を吐き出し、パンツァーはキャタピラの腕を組んだ。

「よぉく解るわぁん、その気持ちぃ」

 アラーニャはカウンターの中にある椅子に腰掛け、下両足をしなやかに組んだ。

「俺達はつくづく幸運だな。大旦那様に拾われて、旦那様に可愛がられて、若旦那に慕われている」

 パンツァーは灰皿に灰を落としてから、再びタバコを銜えた。

「大旦那様に出会わなかったら、俺達は今頃どうなっていたことか、考えたくもねぇな」

「ろくでもない生き方してたわねぇん、絶対」

 アラーニャはタバコをくゆらすパンツァーを覗き込むように、八つの目をじろりと向けた。

「アラーニャ」

「なぁに?」

「他の連中の手前、聞くに聞けなかったが、お前は元々どんな女だったんだ?」

「うふふふ、知りたい? それじゃあ、今日だけは特別よぉ。私のこと、教えてあげるわぁん」

 知られたくない気もするが、知っておいてほしかった。そうすれば、少しは対等な関係に近付ける気がした。 だが、同じ空間で同じ目的のために働く身になっても近付ける勇気などなく、いつも身を引いて接するだけだった。 そのままでも幸せではあるが、満ち足りることはない。けれど、若くないから飢えるほど欲しているわけでもない。 なのに、一線を踏み越えてしまいたくなる瞬間が訪れる。アラーニャは躊躇うべきか否かを迷ったが、振り払った。 どうせ、本気にはされない。だから、心のままに動いてしまおう、とアラーニャは彼の角張った顎を足先でなぞった。
 初めて触れた感触は、予想通りの硬さだった。





 


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