純情戦士ミラキュルン




第二十五話 忠誠心は鋼鉄の如く! 甲殻のレピデュルス!



 戦場の匂いがした。
 黒々と広がる機械油に沈んだ上下に別れた同胞の姿は、戦場で命を落とした兵士達となんら変わらない。 嗅覚を鋭く突く石油の刺激臭と蛋白質の腐敗臭を思い起こさせる鉄臭さが漂い、日常を非日常に切り替えていた。 かすかな西日の切れ端が瓦礫だらけの採石場に差し込み、掛け替えのない友人であり仲間の影を縁取っていた。 レイピアを下げてから歩み寄ると、無惨に腹部を分断された上半身と下半身が動き、足が軋みながら曲がった。 スコープアイの赤いレンズが砕けた顔が上がり、ぼたぼたと機械油の滴を落としながら、レピデュルスに向いた。

「……レピデュルスさん」

 発声機能から出た声は、パンツァーのそれではなかった。

「ユナイタスか?」

 レピデュルスが歩調を早めると、パンツァーの破損した肉体からユナイタスがぐにゅりと頭部を出した。 機械に対する融合能力を有する怪人であるユナイタスは、自身の能力を駆使してパンツァーの傷口を塞いでいた。

「ああ、マジ良かったっす! 俺だけじゃどうにも出来ないですよ、パンツァーさん!」

「パンツァーは、パンツァーは生きているのか!」

 レピデュルスが支えると、パンツァーの肉体を被ったユナイタスは割れた外装の隙間から手を出した。

「生きてるっすよ。しばらくは意識は戻らないでしょうけど。メインプロセッサーは無事だし、ハードディスクドライブも 見てみましたけどデータは飛んでません。けど、念のため、俺のハードディスクも使ってバックアップも取りました。だから、 記憶も感情もばっちりです。だけど、俺の能力じゃ、ここまで派手な破損は治せないっす。部品だって、外装だって、エンジンだって、 一から造り直さないことには……」

「そんなことはいい、生きていてさえいればいいんだ!」

 レピデュルスはパンツァーと融合したユナイタスの傍に膝を付き、両腕を伸ばしてきた。

「おぉう……パンツァー……」

「何があったんすか、レピデュルスさん! 教えて下さいよ!」

 レピデュルスの両手を自身の手で掴み、ユナイタスは融合した頭部を迫らせた。

「俺もぶった切られたし、セイントセイバーって奴が俺達ジャールを襲っているのは解りますけど、なんでこんなことに なってるんすか! パンツァーさんの携帯に履歴があったから、病院に連絡取ってみたら、若旦那もファルコさんもアラーニャさんも 入院してるらしいじゃないっすか! もしかして、ジャールはこのまま」

「やられはせん。若旦那が、暗黒総統ヴェアヴォルフがおられる限り、我らジャールは不滅だ」

「けど、こんなん……」

 ユナイタスは腰を落とし、がしゃりとパンツァーのオイル溜まりに座り込んだ。

「だって、パンツァーさんっすよ? ダンゴロンもブルドーズも一発でぶっ飛ばされるぐらい強くて、戦車で、マジ硬くて、 それなのに、一撃で真っ二つにされてるんすよ? 俺達なんかじゃ、セイントセイバーには……」

「勝てるとも」

「そんな根拠のないこと言わないで下さい! そりゃ、レピデュルスさんは忠誠心の固まりみたいな人だから、勝てるって 思えるんでしょうけど俺達は違うっすよ! 雑魚も雑魚の怪人で、ミラキュルンにも一発KOされちゃうぐらいのレベルで、 世界征服なんて以ての外で!」

 パンツァーを身に纏ったユナイタスは腰を上げ、頭を抱えようとしたが指が潰れていることに気付き、下げた。

「それでも、総統の下なら世界征服出来るって思ったから、ジャールに入ったんす。だけど、今度ばっかりはマジで洒落に ならないっすよ。パンツァーさんだって、まだ死んでいないってだけで生きているってわけじゃ……」

「死んでいなければ生き返る。パンツァーを信じることだ」

 レピデュルスはユナイタスを支え、立ち上がらせた。

「さあ、早く彼を連れて行こう。君の力が限界を迎える前に休めてやらなくては、死に神の鎌が首に掛かってしまう」

「はい……」

 ユナイタスはレピデュルスの腕に掴まり、ぎこちなく頷いた。

「破損状態を悪化させぬために、少々我慢してもらおう。なあに、静かな眠りが訪れるだけだ」

 レピデュルスはユナイタスの肉体とパンツァーの胸部装甲が混じった胸に両手を当て、叫んだ。

「フォースリゼイション!」

 赤味掛かった茶色の外骨格で成された両手が触れた部分から灰色が広がり、柔と剛の金属が徐々に変質した。 数秒後、ユナイタスが中に収まったパンツァーは完全に石化して滴り落ちるオイルすらも灰色に凝結した。 両手を離したレピデュルスはレイピアを取り、エラから吸気した。久々の能力を使ったため、脳の奥底が疲労した。
 生きている化石であるカブトエビ怪人、レピデュルスの能力は石化能力だが、本来は延命のために使っていた。 五億年以上も前から生きているレピデュルスは、地球規模の異変が起こるたびに自身を石化させて凌いできた。 適応範囲はかなり広く、加減次第でダイヤモンドにも匹敵する硬度に出来れば粘土の如く柔らかく出来てしまう。 だが、戦闘で使用した回数は数える程度だ。触れなければ石化出来ないし、適応されるまでにラグがあるからだ。

「さあ、行こう」

 ユナイタスが融合したパンツァーを担ぎ、レピデュルスは歩き出した。立ち止まっては、心が折れてしまう。 採石場に繋がる曲がりくねった道路に設置された街灯が灯り始め、夕日の色が残る闇をほのかに溶かしていた。 セイントセイバーにパンツァーまでもが敗北したことで、レピデュルスもまた打ちのめされて、ひどく動揺していた。 しかし、社員達の手前、弱ることは許されない。総統と四天王の三人が負けた今、主戦力はレピデュルスだけだ。 逆に言えば、レピデュルスさえ負けなければジャールは倒れない。大神らも退院し、戦線に復帰してくれるだろう。 その時を迎えるまでジャールを守るのが自分の役割だろうが、セイントセイバーを倒さなければ危機は去らない。
 守りに徹するか、攻めに転じるか、二つに一つだ。




 金曜日。
 長い夜を終えて迎えた朝は、いつもと変わらなかった。レピデュルスは自宅のアパートを出て出社した。 朝一で病院に電話をしてみたが、ユナイタスが分離したパンツァーの容態は良くも悪くもなく、意識も戻っていない。 ユナイタスはパンツァーが直るまで融合を望んだが、ユナイタスにも仕事があるので、引き離されて家に帰された。 行き交う人々の顔触れも変わらず、光景も変わらず、世間はジャールで起きている異変など知らずに動いていた。 それが当たり前だと解っていても、少しだけ腹立たしくなる。悪の秘密結社ジャールの影響が及んでいないからだ。 ジャールが世界規模の悪の組織であれば、幹部クラスの怪人が四人も倒されたとなれば多少なりとも騒ぐだろう。 だが、ジャールは零細企業と同等の組織だ。社員の派遣先には多少影響が出るだろうが、その程度に過ぎない。
 レピデュルスが本社に到着すると、既に鍵が開いていた。中に入ると、事務机の一つに弓子が座っていた。 弓子はレピデュルスに気付くと嬉しそうに尻尾を上げたが、すぐに明るさを失ってがらんとした社内を見回した。

「皆、どうしちゃったの?」

「御心配なさらず、弓子御嬢様」

 レピデュルスは自分の机に荷物を置いてから、弓子の前にかしずいた。

「若旦那も、四天王も、少々忙しいだけにございます」

「でも、今週に入ってから、皆がどんどんいなくなっちゃうなんておかしいよ」

 弓子は不安げに両耳を伏せ、泣きそうになった。

「月曜日から剣ちゃんにも連絡付かないし、顔も見てないよ。ねえ、レピデュルス、何があったの?」

「教えるわけにはまいりません。若旦那の御命令ですので」

「やっぱり何かあったんだ、あったんだよね、教えてよ!」

「申し上げることは許されておりません」

「なんで!? 剣ちゃんも皆もおかしいよ、秘密にすることなんてないよ!」

「理由ならございます。我らは悪の秘密結社に属する怪人であり、弓子御嬢様はそうではないからです」

「私だって怪人だよ、耳と尻尾が生えてるよ!」

 弓子は更に叫ぼうとしたが、ぐえ、と喉の奥で声を潰して口元を覆った。

「いかがなさいましたか」

 レピデュルスが肩を支えると、弓子は青ざめた顔で答えた。

「なんでもない、ちょっと気持ち悪いだけ……」

「あまり悪いようでしたら、御屋敷に」

「大丈夫、すぐに収まる」

 弓子は机に寄り掛かり、深呼吸した。レピデュルスは自身の机から椅子を引いてくると、弓子の傍に座った。

「お辛いようでしたら、いつでも申し上げ下さい。私めがおります故」

「うん、ありがとう」

 弓子は笑んだが、覇気はなかった。それが痛々しさを引き立て、レピデュルスは僅かに視線を彷徨わせた。 弓子は、大神家の祖母である大神冴に似ている。幼い頃もそうだったが、年齢を重ねると尚のこと面影が近付く。 少女の幼さを残しつつも成人の美しさを兼ね備えた女性であったが、生まれつき病弱で長くは生きられなかった。 レピデュルスやヴォルフガングのように長々しく生き続けている者にとって、彼女の生は短すぎ、故に鮮烈だった。 長く生きられないことが解っていたから、毎日を全力で生きて、命を燃やしてヴォルフガングと愛を交わした。 それを覚えているから、外骨格の内側がひやりとする。体調不良を訴える弓子の姿は、病床の冴に重なってくる。

「お爺ちゃんの頃とお父さんの頃も、こういうことってあった?」

 弓子がぽつりと呟いたので、レピデュルスは首を横に振った。

「いえ。何度か追い詰められたことはございましたが、ここまでのことは」

「じゃあ、なんで剣ちゃんはいないの? 剣ちゃんがリーダーなんだから、こういう時ほどしっかりしないと」

「若旦那は動ける状態にございませんので」

「なんで?」

「ですから、それは」

「私と剣ちゃんは姉弟で家族じゃない。レピデュルスだって家族だよ。それなのに、なんで何も教えてくれないの?  そんなに私は役に立たないの? それとも、やっぱり邪魔なの? 怪人なのに戦えないから?」

 弓子は身を起こし、目元に涙を溜めながらレピデュルスに縋り付いた。

「ねえ教えて、皆は誰と戦ってるの? どうして皆がいなくなってるの? レピデュルスまでいなくなったら嫌だよ!」

「御嬢様……」

 レピデュルスは弓子の肩に触れ、硬い手で柔らかく包んだ。

「約束いたしましょう。私はどこへも行きません。私めは大神家の従者であるのですから」

「本当だよ? 約束だよ?」

 弓子はレピデュルスの腕を握り締め、俯いた。

「最近、芽依子ちゃんも様子がおかしくって。凄く疲れているみたいなのに休もうとしないし、仕事の途中でどこかに 消えちゃうし、昨日だっていきなりいなくなったと思ったら自分の部屋で寝込んじゃって。だから、なんだか恐いんだ。このまま、 ジャールやうちや全部のことがおかしくなっちゃうような気がして」

「芽依子が、でございますか?」

「うん。レピデュルスは知らなかったの? レピデュルスは芽依子ちゃんの先生だから、知っているかと思ったけど」

「いえ。芽依子も成人しましたし、使用人しての教育も終わっておりますので、近頃はそれほど接しているわけではございませんし、 御屋敷にも立ち寄る時間が取れませんでしたので」

「そう。じゃ、会ってあげてね。きっと、芽依子ちゃんは何か思い詰めてることがあるんだよ。芽依子ちゃんは真面目で良い子 だけど、自分でなんとかしようとしすぎるから。私じゃ話し相手ぐらいにしかなれないけど、レピデュルスが相手だったら何でも 話してくれるんじゃないかな」

「仰せのままに」

「私って、本当に何の役にも立たないねぇ……」

 弓子は小さくため息を零して、背を丸めた。

「お爺ちゃんは物凄く強い怪人で、お父さんも結構強い怪人で、剣ちゃんも立派な怪人で、鋭ちゃんも見た目だけは強そうな 怪人なのに、私だけがちんちくりんで。芽依子ちゃんの相談相手にもなれないし、具合が良くないからって会社の御仕事も大して 手伝えないし、料理も掃除も洗濯も下手くそで、おまけに刀一郎さんも帰ってこないし……。世界征服されたら、真っ先に 切り捨てられるタイプだよね」

「そのようなことはございません。大旦那様も旦那様も若旦那も、皆が生きられる世界を望んでおられます」

「うん。それは解ってる。でもね、ここまで何も役に立たないと、役に立つところが想像出来ないんだ」

 膝に頬を押し当て、弓子は目を伏せた。

「だから、刀一郎さんにも愛想尽かされちゃったのかなぁ……」

「そのようなことはございません」

「優しいね、レピデュルスは。ごめんね、下らないことをぐちゃぐちゃ言っちゃって」

 さあて御仕事だ、と弓子はわざとらしいほど明るく言い、自分の机に向かった。

「では、私めも」

 レピデュルスは弓子に一礼してから、自分の机に向かった。四人もいない分、仕事が溜まりに溜まっている。 書類の束とメモ書きの山に多少辟易しつつ、レピデュルスは書類棚の上に据え付けられている神棚を見上げた。 弓子がしてくれたのか、コップの水は新しい。レピデュルスは、近場の神社の御札に隣り合う主の写真に礼をした。 死する前と変わらぬ笑顔を向けているヴォルフガングを今一度見上げてから、レピデュルスは心を引き締めた。 今すべきことは会社を立ち行かせるための仕事であり、セイントセイバーとの戦いは二の次だ。
 悪の組織の本来の優先順位とは逆ではあるが。





 


09 10/8