純情戦士ミラキュルン




第五話 四天王からの刺客! その名はナイトメア!



 窓の外では、安っぽいネオンサインが輝いている。
 レピデュルスは己の尻尾を折って作ったレイピアを布で拭きながら、薄汚れた窓越しに外界を見下ろした。 本社の入った雑居ビルと道路を挟んだ真向かいに立つ雑居ビルでは、バーが店を開けて客を入れていた。 それほど値の張る店ではないので、仕事帰りと思しき数人のサラリーマンが連れ立ってビルに入っていった。 出される酒も安く、接客を行う女性達もそれ相応なのだろうが、日々の疲れを紛らわすには丁度良い息抜きだ。 皆、背中が煤けているように思える。五億年以上もの長い時を過ごしてきたが、現代の男達が一番疲れている。 この国の戦中戦後は怒濤だったが、だからこそ人間達は活力に溢れていたが、今は無気力さばかりが目に付く。 このままでは働き手達が死に絶え、いずれ世界は崩壊するだろう、故に世界征服しなければと改めて感じた。

「どうしやすか、レピデュルス」

 背後から声を掛けてきたのは、ファルコだった。

「何をだね」

 レイピアを磨く手を止めたレピデュルスが振り返ると、ファルコは手近な電話の受話器を取っていた。

「夕飯時ですから、出前でも取りやしょうか。それとも、帰りにどこか飲みに行きやすかい」

「せっかくの申し出だが、どちらも遠慮しておこう。真っ直ぐ帰らねば、新聞の集金に間に合わぬのでな」

「そんなもん、また明日に回せばいいじゃねぇですかい」

「あちらも仕事なのだ、手間を掛けては悪いではないか」

「そんなもんですかねぇ」

 ファルコは受話器を下ろしてから、応接セットに座る二人に向いた。

「お前さん達はどうする?」

「んー、そうねぇ。アパートに帰っても冷蔵庫に何があるってわけでもないしぃ、かといってお酒を飲みたい 気分でもないからぁ、食べて帰ろうかしらぁ。だからぁ、ごめんなさぁい、ファルコちゃあん。今日は遠慮しておくわぁ」

 ソファーに座るアラーニャは長い足を組み、上半身から生えた細長い足で女性週刊誌をめくっていた。

「俺ぁ付き合うぜ、ファルコ。だが、明日は朝一で外回りがあるから、そうそう長くは付き合えねぇけどな」

 アラーニャの向かい側に座るパンツァーは、どるんと背中の排気筒を蒸かした。

「おう、充分充分。パンツァーの旦那が相手なら、申し分ねぇですぜ」

 ファルコはクチバシを開いて一声鳴いてから、レピデュルスに向いた。

「んで、あいつはいつ頃来るんですかい?」

「若旦那が退勤してすぐに御屋敷に電話を入れたから、そろそろ来ると思うのだが」

 レピデュルスが壁掛け時計を見上げると、パンツァーは赤い単眼を点滅させた。

「しっかし、なんでまたあいつなんかを呼びつけるんだ。あいつも怪人には違いねぇが、前線で戦うほどの力が ねぇから御屋敷に奉公してるんだろ? そんな奴を引っ張り出したって、ミラキュルンは倒せやしねぇと思うがな」

「いやぁねぇん、奉公じゃないわよぉ。メイドさんよぉ、メイドさぁん」

 細長い足先を上げ、アラーニャは口元を隠した。

「似たようなもんじゃねぇか」

 パンツァーがぎちっと顎をさすると、ファルコはけたけたと笑った。

「そりゃあ、どっちも使用人には代わりはねぇでしょうがねぇ」

「大神家の使用人であることは、我らとて同じだ。ただ、少しだけ立場が違うだけのこと」

 レピデュルスは三人を見渡してから、使い込まれたレイピアで床を突いた。

「先々代暗黒総統である大旦那様より四天王の座を仰せつかってから、早六十年。悪の秘密結社ジャールの 手先として、手前勝手な正義を振り翳すヒーローと戦い続けてきたが、未だにヒーローを倒せてはいない。それどころか、 目に見えてその数が増えてきている。理由は至って簡単、ヒーローがヒーロー足るために不可欠な超能力を有した人間が その遺伝子を継ぐ子孫を生み出し、新たなヒーローとしてこの世に送り出しているからだ。しかし、我らはそれを阻むこと すら出来ず、ミラキュルンなどという巫山戯た名の小娘と戦わねばならぬようになった。いずれ、この連鎖を断ち切らねば、 大旦那様の悲願である怪人による怪人のための怪人の世界を成すことは出来ぬ!」

「この話ぃ、何度目だっけぇ?」

 アラーニャが声を低めてパンツァーに問うと、パンツァーは角張った太い指を折った。

「俺の覚えてる限りじゃあ、五十回でも足りねぇな。ヒーローの名前はその時々で変わるがな」

「そんなこたぁ解ってまさぁ、レピデュルスの旦那。要するに、俺達が頑張りゃいいんでしょうや」

 ファルコが羽の先をひらひらと振ると、レピデュルスは教鞭のようにレイピアの先端でファルコを指した。

「口で言うのは簡単だが、実行出来たことがあるか! こんなことでは、大旦那様に示しが付かぬ!」

「その大旦那様は今や土の下でしょうに、そこまで気張ってちゃあ外骨格にヒビが入っちまいますぜ」

「それはそうかもしれぬが、大旦那様がいなければ今の我らはないのだぞ!」

「んで、それとこれとは何の関係があるんですかい?」

 テンションの上がったレピデュルスとは対照的にファルコが冷静に返すと、レピデュルスはレイピアを掲げた。

「大いにあるのだとも! 理由は彼女が来てから話す! 心して聞くがいい、同志達よ!」

「夕飯、やっぱり出前を取った方が良かったんじゃねぇの?」

 半笑いのパンツァーがアラーニャに向くと、アラーニャは八つの目を瞬かせた。

「そうかもしれないわねぇ」

 レピデュルスの話はとにかく長い。重要なことであろうとなかろうと、演説のように蕩々と語るクセがある。 さりとて、内容が面白いわけではない。言い回しも回りくどく、やたらと力が入っているので聞いている方が疲れる。 滑舌も声の通りも良いので、聞き苦しいわけではないのだが、誰もが知っている内容なので大して有益ではない。 そのレピデュルスは、レイピアを手のひらに叩き付けながら、神経質な老教師のようにオフィスを歩き回っている。 下手なことを言ったら授業よろしく当てられてしまいそうなので、ファルコは黙して二人のいる応接セットに座った。
 階段を上る足音がそれぞれの聴覚に届くと、ぐるぐると狭いオフィスを歩き回っていたレピデュルスの足が ぴたりと止まった。話すに話せずにいた三人も顔を上げてスチール製のドアに向くと、ノックされ、丁寧な挨拶の 言葉と共に若い女性がスチールドアを開けた。

「皆様方。夜分遅くに失礼いたします」

 オフィスに入ってきた若い女性は、紺色のロングワンピースに白い胸当ての付いたエプロンを纏っていて、 艶やかな黒髪はさっぱりとしたショートカットで、頭にはエプロンと同じ白のヘッドドレスを付けた、ブリティッシュ メイドだった。小柄ではあるが、確かな質量を持った胸がエプロンを押し上げていて顔立ちも綺麗に整っている。 その手には、メイド姿には少々不釣り合いな風呂敷包みが下げられていて、彼女はそれをレピデュルスへ差し出した。

「差し入れにと思いまして、皆様の御夕食を作ってまいりました」

「君を呼び出したのは我らなのだから、気遣わぬとも良いのだが」

 そうは言いながらも、レピデュルスは風呂敷に包まれた四段重ねの重箱を受け取った。

「して、中身はなんだね?」

「カツオブシと生きた虫と石炭と生肉にございます」

「それは冗談かね?」

「いいえ、至って本気でございます。ちなみに、変な味付けはしておりませんので素の味をお楽しみ下さい」

 大神家のメイド、内藤芽依子は表情筋をほとんど動かさずに答えた。

「まあ、良かろう」

 レピデュルスは、応接セットのテーブルに重箱を置いた。確かに、石炭と思しきものが転がった音がする。

「座りたまえ、芽依子君」

「失礼いたします」

 レピデュルスに促され、芽依子はスカートの裾を押さえながら一人掛けのソファーに座った。

「一介の使用人に過ぎない私めに何の御用でございましょうか」

「芽依子ちゃあん。最近、若旦那にお会いしたぁ?」

 芽依子に緑茶を勧めながらアラーニャが尋ねると、芽依子は答えた。

「いえ、お会いしておりません。というより、若旦那様があまり御屋敷にお帰りにならないのでございます」

「外でも会わないのぉ?」

「はい。私めの買い物ルートと若旦那様の行動ルートはかち合わないようでございまして」

「それじゃあ、知らなくても仕方ないわねぇ」

 アラーニャは盆を下げ、ソファーに腰を下ろした。

「んじゃあ、鋭太坊っちゃまから何かお聞きしたことはねぇんですかい?」

 続いてファルコが尋ねると、芽依子は少し考えてから返した。

「それでしたら、私にも心当たりがございます。先日、鋭太坊っちゃまは御学友とお遊びになられたよう なのですが、その場に若旦那様もいらっしゃったのでございます。鋭太坊っちゃまによりますと、御学友は 御二方ともクラスメイトの女学生だったのですが、片方は人型テントウムシの御方でもう片方は人間の御方で ございました。鋭太坊っちゃまによりますと、若旦那様は人間の御方に御執心されているとのことでございました」

「それでは、若旦那が御執心なさっているのは女子高生ということになるのだな?」

 それは重大だ、とレピデュルスが細長い口を揺らすと、パンツァーが角張った顎をさすった。

「また随分と若ぇのに手ぇ出しやがったもんだ」

「若旦那様がどうかなさったのでございますか?」

 芽依子に聞き返され、アラーニャは肩を竦めた。

「それがねぇ、芽依子ちゃあん。近頃、若旦那の様子がおかしいのよぉ。跡を継いだばかりの頃はそうでも なかったのにぃ、急に世界征服したがるようになったのぉ。それは願ってもないことなんだけどぉ、それだけ じゃないのよぉ。ぼんやりしている時間が長いしぃ、そわそわしてるしぃ、この前だってずうっと携帯と睨めっこ してたんだからぁ」

「それは確かに気をお掛けしてしまいます」

「でしょおぉん?」

 アラーニャは芽依子の前に顔を出し、八つの目で覗き込んだ。

「つうことは、若旦那は鋭太坊っちゃまの御学友に気があるっちゅうことですかい?」

 まさかそんな、とファルコが失笑すると、パンツァーは唸った。

「いやあ、それだけじゃねぇかもしれねぇな。まかり間違って手ぇ出したりしてたら、世界征服に支障が出らぁな」

「そうよねぇ。人間の女子高生なんてぇ、堅気の中の堅気じゃなぁい。痛い目見るのは若旦那の方よぉ」

「うむ。そのような雑念が入ってしまっては、世界征服の妨げになることは火を見るより明らかではないか」

 レピデュルスが頷くと、ファルコはぽんと手を打った。

「ああ、解りやしたぜ! つうことは、レピデュルスの旦那は芽依子を若旦那にあてがって、その女子高生との 仲を引き裂こうっちゅう腹ですな!」

「なんだと?」

 レピデュルスは面食らい、三人に詰め寄った。

「私はそこまで考えていなかったのだが。人間擬態能力を持ち、尚かつ隠密行動に長けた芽依子君ならば、 若旦那の身辺調査にもってこいだと思ったから呼び出したに過ぎぬ。若旦那を御相手に、美人局のような真似は……」

「おお、そいつぁいいぜ! 怪人同士なら何の問題もねぇな! 上司と部下っちゅうのも結婚しちまえばチャラだ!」

 パンツァーが盛大に頷くと、アラーニャは身をよじった。

「そうよねぇ、その方がいいかもしれないわねぇ。芽依子ちゃんってぇ、人間体でも怪人体でも可愛いしぃ」

「いや、だから、お前達……」

「我ながら良い作戦じゃあねぇですかい、なあ!」

 ファルコはクチバシを開き、甲高く鳴いた。レピデュルスは三人を諫めようとしたが、出来そうになかった。 確かに三人の言うことはもっともだが、人道的にまずいのでは。他人の恋路を阻むのは、良心が痛んでしまう。 それ以前に、芽依子が頷くかどうか。雇い主であり大神家の現当主とはいえ、好きでもない男に擦り寄るなど。

「お引き受けいたしました」

 芽依子は四人を見渡した後、深々と頭を下げた。

「ですが、それもまた御屋敷の御仕事の延長に変わりありませんので、それ相応の対価を要求したく思います」

「特別手当ってやつですかい? だが、若旦那に内緒でちょろまかせやすかねぇ?」

 ファルコが頭部の羽を掻き毟ると、アラーニャは足先を軽く振った。

「大丈夫よぉ。私は経理なんだからぁ、その辺は適当に誤魔化せちゃうわよぉ」

「だが、会社を傾けぬ程度にしてくれ。社員は我らだけではないのだからな」

「解ってるわよぉ。うふふふふふぅ」

 レピデュルスに釘を刺され、アラーニャは自信ありげな笑みを零した。

「しかし芽依子よ、本当にいいのかね? 順当に進んでしまえば、本当に若旦那と結婚することになるのだぞ?」

 不安に駆られたレピデュルスに、芽依子は淡々と返した。

「私めは使用人の身分にございますが、現代社会に置いては使用人と家人が恋愛関係に陥って結婚して しまってもなんら問題はございませんし、若旦那様は結婚相手に相応しい人格の持ち主にございます。お給金が 頂けなくなるのは少々不都合ではございますが」

「それじゃあ、芽依子ちゃんの特別手当ぇ、上手く捻出してあげるわぁ。頑張ってねぇん」

 アラーニャが口元を広げると、芽依子は薄く笑った。

「このナイトメア、四天王の御命令を果たしてご覧に入れましょう」

 形の良い唇の下から、短くも鋭い牙が現れた。大神家のメイドである内藤芽依子は、コウモリ怪人である。 内藤芽依子は戸籍に登録されている本名で、ジャールに登録されている怪人としての名はナイトメアという。 もちろん、悪の秘密結社ジャールの契約社員であるが、戦闘員ではなく大神家にメイドとして派遣されている。 怪人と人間のハーフなので人間擬態能力を持っているが、戦闘を行う機会がないのでほとんどは人間体である。 元の姿はコウモリ怪人なのでかなり夜目が利き、特殊な波長の超音波を放って敵を幻惑する能力を有している。 逆さにぶら下がることが出来たり、音もなく飛べる隠密飛行能力も持っているので、夜間の追跡調査には打って付けの 人材だ。だから芽依子を呼んだのにこんな展開になってしまうとは、とレピデュルスは後悔したがその一方でこうも思った。
 オオカミとコウモリの夫婦は悪の組織のトップに相応しいかもしれない、と。





 


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