純情戦士ミラキュルン




第七話 驚異のスピード! 音速戦士マッハマン!



 帰宅すると、夕食は既に出来上がっていた。
 芽依子の一件でひどく気疲れした速人がリビングに入ると、対面式のキッチンで妹が忙しく立ち回っていた。 マホガニーのテーブルには、盛り付けが少々不格好な唐揚げと彩りがどうにも今一つなサラダが並んでいた。 今日の夕食に速人が作るつもりだった料理は美花のそれとは別物だったが、帰宅時間を大幅に遅れた自分が悪い。 速人は自室に戻ってカバンを置いてから洗面所で手洗いうがいをし、それからリビングに戻って妹に声を掛けた。

「ただいま」

「お帰り、お兄ちゃん」

 エプロン姿の美花は、洗い終えたまな板をシンクの脇に立てかけていた。

「ごめんね。冷蔵庫の材料、勝手に使っちゃった」

「いいさ、別に」

 速人はテーブルに並ぶ料理を眺めたが、メニューは前々回と代わり映えがしていなかった。

「てか、この前も唐揚げとサラダだったろ? 間にナポリタンは挟んだけど、にしたってなぁ」

「食べられるんだからいいじゃない」

「もうちょっと料理の幅を増やせよ。同じのばかりじゃ、上達するものもしないぞ」

「食べる前から文句言わないでよ」

「食べるから文句を言うんだ」

 食器洗いカゴから二人分の箸と茶碗を取り出した速人は、テーブルに並べた。

「それと、唐揚げはニンニクを強くすりゃいいってもんじゃない。肝心なのは揚げ具合だ」

「だから、今度は生じゃないってば。ちゃんと切って確かめたんだから」

「次に作る時は、ソースでも掛けた方がいいぞ。その方が変化が出る」

「他には?」

 兄に言い返すことを諦めた美花がむくれると、速人は生野菜を詰め込んだだけのサラダを示した。

「野菜はメインに合ったものにしろ。和食なら和食で統一するべきだ」

「……うぅ」

 正論なので言い返せず、美花は眉を下げた。速人は炊飯器を開け、炊きたての白米を柔らかく混ぜた。

「お前の料理は味はまともなんだから、もうちょっとバリエーションを増やすように努力しろ。将来のためにもな」

「はぁい」

 美花は力なく答え、味噌汁の入った鍋をテーブルの鍋敷きに載せて二人の汁椀に盛ってテーブルに並べた。 速人が作った時に比べればメニューは少ない割に量が多いので、これでは明日の夜まで余ってしまうだろう。 多く作るのは楽しいかもしれないが、飽きが来るのだ。明日は唐揚げを処理しないとな、と速人は考えていた。 準備が整ったので速人はテーブルに着いたが、四人掛けの大きなテーブルはいつも二人分が空いてしまった。 美花が中学校に進学する前までは両親が座っていたのだが、両親の分の椅子には誰も座らなくなって久しい。 だが、こうも長く家を空けられると慣れてしまうもので、今となっては美花も速人も寂しいとは思わなくなっていた。

「いただきまぁす」

「いただきます」

 揃って手を合わせてから、二人は食べ始めた。美花は味噌汁を飲んでから、山盛りの唐揚げに箸を付けた。 続いて速人も唐揚げを食べたが、油の温度が高かったらしく、鶏肉の水気が抜けていて歯応えが硬めだった。 美花もそれが解ったらしく、不満げな顔をしながら自作の唐揚げを食べ終えると、サラダを小皿に取り分けた。

「これじゃダメだね。明日の朝、また新しく作らないと。そのための下拵えもしなきゃ」

「弁当でも作るのか?」

 速人が箸を止めて問うと、美花は頷いた。

「うん。三人分」

「一人分多くないか?」

「多くないって」

 美花は少しむっとしつつ、サラダに小鉢に入れたドレッシングを掛けた。

「お弁当箱も大きいのを出さなきゃならないから、お兄ちゃん、後で探すの手伝ってね」

「……男子か?」

 これは、まさか。速人が訝ると、美花は唇を尖らせた。

「そうだよ。悪い?」

「悪くはないが、どういう奴なんだ」

「鋭太君は見た目と言動は軽薄だけど結構優しいよ。私が落ち込んでた時にも、遊びに行こうって誘ってくれたし。 だから、明日のお弁当はその御礼として作るんだ。七瀬も鋭太君もいつもお昼は購買のパンだから、たまにはいいん じゃないかなって。だから、明日の朝は私の分のお弁当は作らなくていいよ」

 喋り終えてから、美花はサラダを食べ始めた。速人は美花の話の内容よりも、男子の呼び方に驚いた。 君付けなのは当たり前にしても、下の名前で呼んでいる。速人の知る限り、異性の友人が出来たのは初めてだ。 弁当を作って持って行くような関係なのだから、クラスメイトの範囲を超えた親密な関係になりつつあるのだろう。 異性に対しては特に臆病だった美花が大進歩を遂げたのだから喜ばしいことだが、速人の胸中は何か複雑だ。

「かっ、彼氏なんかじゃないからね?」

 速人から目を背け、美花は赤面した。否定しているつもりだろうが、これでは全力で肯定している。

「さ、最近仲良くなったのは鋭太君だけじゃないんだけど、えっと、で、でも、よく話すようになったし、もっと 仲良くなりたいから、だから、それだけなんだよ?」

「そいつの名字は?」

「え、ええと……」

 大神の名を教えて、うっかり大神剣司に辿り着かれたら事だ。美花は茹だった頭を働かせ、誤魔化した。

「お、大きいに上って書いて、オオガミ! オオガミ!」

「大上?」

「そう、そのオオガミ!」

 美花が力一杯頷いたが、速人は頭から疑った。そこまで必死に言われると、嘘だと明かしたようなものだ。 恐らく、オオガミの字が違うのだろう。馬鹿正直で誤魔化しの効かない美花が思い付く嘘など、その程度だった。 となれば、オオガミの字は大神だろう。この町内を含めた近所で目にするオオガミといえば、それ以外にはない。 街を歩けば、様々なビルや駐車場で目にする名字だからだ。大神ハイツ、大神ビルディング、など多種多様に。

「……ん」

 ということは、芽依子の勤め先の御屋敷も大神なのか。速人は記憶を辿り、カラオケボックスのビルを思い出した。 芽依子からキスをされたショックでふらふらしていたものの、言われたことが気になったので確認してみたのだ。 カラオケボックスやファミリーレストランなどの店舗が入ったビルの側面には、第五大神ビルとの文字があった。

「てことは、そいつはあの土地成金の息子か? オオガミはオオガミでも、大きい神のオオガミだろ?」

「あっ」

 あっさり看破されてしまい、美花が俯くと、速人は美花を睨め付けた。

「そうなんだな?」

「え、でも、土地成金って何?」

「だってそうじゃないか。大神なんてそうそうある名字じゃないし、この辺の土地をごっそり所有している大神家 とやらの息子が美花の高校に通っていたっておかしくはない」

「え、あ、そうなの?」

「知らないのか? 駅前のビルを見てみろ、大神だらけだぞ」

「あ、じゃあ、今度戦った時に見てみる。空からなら解りやすいだろうし」

「てことは、エイタとやらは若旦那の弟か?」

「え、あ、あぁ……」

 若旦那、とのフレーズで芽依子のことまで思い出した美花が萎れると、速人は箸を置いた。

「そうなんだな?」

「だったら、なんだって言うの……」

 美花が今にも泣きそうな声で呟くと、速人は首を横に振った。

「悪いことは言わない、深入りするな。そういう成金の息子ってのは例外もいるが大抵は世間知らずの馬鹿だ。 兄貴の方は賢いらしいが、それなら尚のこと弟は馬鹿だ。賢兄愚弟とはよく言ったもんだ」

「そ、そうかもしれないけど……」

「そんな奴と付き合って、まかり間違って彼女にでもされてみろ。痛い目に遭うのは美花の方だぞ」

「だぁっ、だけどぉ!」

「俺も高校の頃に色々見てきたんだ。それぐらいは解る」

「お兄ちゃんはそうだったかもしれないけど、私は違うかもしれないじゃない!」

「違うもんか。大体、そういう連中の頭の構造は鋳型に填めて引っこ抜いたプラモデルみたいに同じだからな」

「違うぅ……」

 鋭太はともかく、兄の剣司は。美花はそう言おうとしたが、兄を言いくるめられない悔しさで泣きそうになった。 友達になったからといって、交際すると決まったわけではない。それは、大神と芽依子の件で身に染みている。 美花と大神は店員と客の関係でしかなかったが、ようやく声を掛けて友達になれたことで喜びすぎてしまった。 告白したわけでもないのに、美花の心中で大神が特別なように大神もまた特別に思っていると思ってしまった。 けれど、そうではなかった。大神には、メイド服が似合う美人でグラマーな芽依子という彼女がいたのだから。
 もう泣くのは嫌だ。だが、悲しくて辛いのは変わらない。美花は椅子に座り直し、機械的に夕食を詰め込んだ。 胸が痛んで苦しくなるのだから、これ以上大神のことを考えるのはやめよう。友達だが、それ以上ではないのだ。 なぜ速人が大神家について知っていたのかは解らなかったが、それを言及するほどの余力は残っていなかった。
 涙を目に溜めて夕食を押し込める妹の様子に、速人は自己嫌悪に襲われた。勢い余って言い過ぎた。 美花の身を案じたまでは良かったが、その後が悪すぎた。会ってもいない人物を頭ごなしに否定してしまった。 芽依子にキスされたために起きた動揺のせいだ、と言い訳するが、言い訳にならないことは自分で解っていた。 美花が泣きそうになっているのは芽依子のせいでもなく、大神少年のせいでもなく、速人のせいに他ならない。
 せっかくの妹の手料理の味が、よく解らなくなった。




 翌朝。速人が起きた頃には、美花は登校した後だった。
 速人の方が遅く起きるのは年に一度あるかないかだが、今日はそのあるかないかの中の一日だったらしい。 芽依子の件と美花の件で余程気分が参っていたのだろう。そうでもなければ、八時過ぎまで眠るわけがない。
 テーブルにはメモがあり、速人の朝食も用意してあり、冷蔵庫には弁当の失敗作がいくつか残っていた。 失敗した卵焼きやおにぎりにしたはいいが入りきらなかった混ぜご飯があったので、朝食と一緒にそれも食べた。 見た目は少々悪いが、味は確かだった。朝から騒がしいニュース番組を横目に、一つ一つを充分味わっていった。 考えてみれば、美花は昔からそうなのだ。速人が出来ることの半分以下も出来ず、行動も遅く、言動もとろくさい。 美花には美花のペースがあるのに失念していた。挙げ句、美花の成長を喜ばずに一方的に責め立ててしまった。 帰ってきたら謝ろう、と思いつつ、速人は梅とじゃこのおにぎりを食べ終えてから野沢菜のおにぎりを手に取った。
 すると、テーブルの片隅に置いておいた携帯電話が着信して震えたので、速人は渋々おにぎりを置いた。 手を拭ってから携帯電話を開くと、美花からのメールだった。壁掛け時計を見上げると、始業時間の寸前だった。 携帯いじってないでちゃんと授業受けろよ、と顔をしかめながらメールを開くと短い本文に写真が貼付されていた。 お兄ちゃんへ、これが大神鋭太君です、とあった。その下の名前を見た途端、速人は不可解な表情を浮かべた。

「……すげぇ名前」

 鋭く太い、と書いて鋭太。一応読みはまともだが、字の前後が矛盾してないか。鋭く太いとは畳針か何かか。 速人自身も長らく自分の名の字面の派手さが気に食わなかったが、鋭太よりはマシだと思えばまだ気が楽だ。 そして、写真を開いた。近頃の携帯電話は画素数が高いのでファイルサイズが大きく、読み込むまでの間が長い。 じれったい数秒間の後、携帯電話の液晶画面に展開された写真を見た速人は携帯電話を投げ捨てたくなった。
 既視感のある教室を背景に、恥じらう笑顔の美花がぎこちなく腕を絡めるのはオオカミ獣人の男子生徒だった。 尖った耳、突き出た鼻、だらしなく広げた襟元から出たふさふさの体毛。不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいる。 だが、明らかに作った表情だ。本心は美花に近付かれたことが嬉しいらしく、画面の隅では尻尾がぶれている。

「どこからどう見ても付き合い始めて一週間目の同級生カップルじゃないか! しかも定番の不良と清純派!」
 
 携帯電話を握り潰したい気持ちを堪えて畳んだ速人は、テーブルを殴り付けて肩を上下させた。

「彼氏じゃねぇかよおおおおっ!」

 叩き潰したい。前言を全て撤回したい。超高速飛行で市立高校に突撃し、ブーストアームで必殺技を。

「いやいやいや、そんなことをしたら大神鋭太が死ぬ! た、たぶん怪人じゃなさそうだし!」

 ヒーローとして、人として、それだけは許されない。頭に昇った血が下がった速人は、椅子に座り直した。

「とりあえず、飯食って大学行こう。うん、それがいい。それがいい。そうしなきゃダメだ」

 普通に生きたいと願っているのだから、荒事は起こすべきではない。速人はヒーローを辞めたのだから。 ヒーローではなく普通の兄としての本分を果たし、美花の遅まきな成長をなるべく手を出さずに見守ってやろう。
 速人にも芽依子との微妙かつ面倒臭い問題があるのだから、優先順位からしてこちらを悩むべきなのだ。 しかし、浅いキスを一度されただけだ。最後まで喰われたわけではないが、やはり、問題には違いないだろう。 順調に進んで芽依子と若旦那が上手くいったとしたら、速人は間男になりかねない立場に立たされている。 もしそうなってしまったら、それこそ大事だ。ヒーローと怪人の戦いよりも壮絶な血で血を洗う戦いになりかねない。
 二度と芽依子に会うものか。並々ならぬ決意を固めた速人は、朝食を終えると自分の弁当を詰め込んだ。 地上を歩けば芽依子に会う可能性が高い、と考え、変身してマッハマンとして空を飛んで大学に行くことにした。 ヒーロー体質を持って生まれただけでヒーローとして生きることを強いられるのは嫌だが、それとこれとは別だ。 我が身と社会的立場とついでに貞操も守るために、ヒーローとしての能力を使うのは間違ってはいないはずだ。
 たぶん。





 


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