純情戦士ミラキュルン




第八話 敵地潜入! 決死のミラキュルン!



 大神家は、紛うことなき御屋敷だった。
 茶色のレンガ造りの壁、四角く長い煙突、三連アーチの玄関、広い庭園。外国映画に出てきそうな邸宅だ。 年季の入った洋館だが、頻繁に手を入れているのか痛んでいる様子はなく、庭園の木々も切り揃えられていた。 これなら、メイドがいてもなんら不思議ではない。というより、メイドがいなければ不自然なほど立派な洋館だった。 アーチ型の門をくぐって庭園に入った美花は、玄関まで繋がっている石畳の歩道を歩きながら感嘆してしまった。 隣に立つ七瀬も感心していて、きちきちと顎を鳴らしている。鋭太からすれば、二人のような反応は珍しくもなかった。

「うわすっげぇ」

 七瀬は男のような言葉で褒めてから、鋭太に向いた。

「つか、これって異人館ってやつ? だよね?」

「まーな」

 鋭太は二人を伴って歩道を歩きながら、玄関に向かった。

「うちの爺ちゃんが戦後に買い上げて、そのまま使ってんだよ。でかいだけで大して良くもねーけど」

「あんたの爺ちゃんって何者よ」

「見りゃ解る」

 鋭太はアーチの連なる玄関に入ると両開きの扉を押し開き、やる気のない声で、ただいま、と呼び掛けた。 美花と七瀬もそれに続き、御邪魔します、と挨拶した。鋭太は土足で室内に入ったので、二人は顔を見合わせた。 洋館だから、生活様式も西洋のようだ。美花は玄関先で靴底の泥を出来るだけ落としてから、室内に入った。 鋭太はだだっ広い廊下を歩いていたが、幅広の階段がある方向を見やった。なので、二人もそちらに顔を向けた。 すると、居間と思しき部屋の天井から黒い物体が落下し、板を鳴らす音と振動を立てて艶やかな床に着地した。 美花と七瀬が固まっていると、鋭太はやりづらそうに耳を曲げ、スカートを払いながら立ち上がったメイドに言った。

「何やってんだよ、芽依子」

「見てお解りになりませんか。シャンデリアの電球が切れておりましたので、交換した次第でございます」

 芽依子は電球を振ってフィラメントが切れた証拠の音を鳴らしてから、鋭太の背後の二人に礼をした。

「御客様の御前ではしたない姿をお見せしてしまい、申し訳ございません。ようこそ、いらっしゃいました」

「い、いえ、こちらこそ、いきなり来ちゃって」

 美花が戸惑うと、芽依子は少しばかり口元を緩めた。

「御気遣いなく。すぐにお茶の支度をいたします」

 客間へご案内いたします、と芽依子は電球をエプロンのポケットに入れ、居間から出て美花らを促した。 美花と鋭太は芽依子に続いたが、七瀬は何の気なしに居間の天井を見上げると、豪奢なシャンデリアがあった。 洋館に見合った古さのもので、価値は解らなくても高価なものだと解る。だが、必要なはずのものが見当たらない。 七瀬のように羽を持つ人型昆虫ならまだしも、人間の芽依子では脚立を使わなければシャンデリアまで届かない。 それなのに、脚立がない。だが、芽依子は間違いなく頭上から落ちてきたので、天井近くにいたことは確かだ。 どうしても気になった七瀬は居間に入り、天井を仰ぎ見ると、天井に貼り付いている埃がうっすらと剥がれていた。

「……マジ?」

 芽依子の靴跡だった。これが事実だとしたら、芽依子は天井から逆さまにぶら下がっていたことになる。

「まさかね」

 七瀬は首を捻りながら、居間を出た。玄関に併設している客間に入ると、革張りのソファーが並んでいた。 いかにも客間らしい客間で、部屋の隅に置かれた花瓶には季節に合わせた花が生けられ、絵も飾られている。 美花が座っているソファーに七瀬が腰を下ろすと、向かい側のソファーにだらしなく座っている鋭太が顎で示した。

「あれがうちの爺ちゃんと婆ちゃん」

 美花と七瀬が壁を見上げると、軍服姿のオオカミ獣人と着物姿の人間の女性が描かれた肖像画と目が合った。 眼差しが鋭いが面差しには柔らかなものがあり、灰色の厚い毛並みに濃い灰色の瞳が立派なオオカミ獣人だ。 兄の剣司も鋭太もオオカミ獣人なので血縁者がオオカミ獣人なのは当然だが、祖母が人間だとは意外だった。 普通であれば、いかに獣人であろうと人間の血が混じると、体毛が薄くなったり体格が小さくなったりするものだ。 だが、鋭太も兄の剣司もそんな様子はない。鋭太はいかにも面倒そうな顔で上体を反らし、後頭部で手を組んだ。

「婆ちゃんは人間だけど、母ちゃんはイヌの獣人なんだよ。だから、俺と兄貴は人間っぽくならなかったんだよ」

「へぇ……」

 美花が肖像画に見入っていると、七瀬は鋭太に向いた。

「ね、あんたのお爺さんって外国の人? だって、あれ、日本の軍服じゃないじゃん」

「ドイツ人なんだよ、爺ちゃん」

 鋭太がぞんざいに答えると、美花は目を丸めた。

「え、じゃあ、鋭太君も大神君もクォーターってこと?」

「うわマジ意外。つか、あんたのどの辺がゲルマンなん?」

 七瀬が可笑しげに笑うと、鋭太は顔を背けた。

「知るかよ! つか、だからどうってわけでもねーんだし!」

 実際、どの辺がドイツなのか自分でも解らない。獣人系怪人も出身地で差はあるが、素人目には解りづらい。 毛並みや色合いや体格や顔付きといったものだが、鋭太はどちらかといえば母親の血が強めに出ている。 兄の剣司は父親似なので体格も良く、オオカミ怪人としての能力も秀でているが、鋭太は限りなく獣人に近い。 祖父の側近だったレピデュルスに寄れば、祖父、ヴォルフガング・ヴォルケンシュタインはそれは強かったそうだ。 だが、その遺伝子が出たのは父親である大神斬彦と兄である大神剣司だけで、鋭太には全く遺伝していない。 ヒーローと戦わずに済んで良かったと思う反面、あらゆる面で兄に劣っている自分を情けないと思ってしまった。

「失礼いたします」

 開け放たれている扉がノックされ、ワゴンを押した芽依子が入ってきた。

「お茶の準備が整いましたが、お昼はいかがいたしましょうか」

「野々宮の弁当があるからいいや」

 紅茶をテーブルに並べ始めた鋭太が芽依子に言うと、芽依子は美花に目を向けた。

「左様でございますか」

「あ、あのう、ごめんなさい」

 美花が通学カバンで弁当箱を入れたバッグを隠そうとすると、芽依子は顔を上げた。

「いいえ、お気になさらず。では、後ほど、そのお弁当に見合ったお茶をお入れいたしますね」

 失礼いたしました、と芽依子はまたワゴンを押して客間を後にした。

「あぁ……」

 声を掛けるチャンスを逃した。美花が早速挫けそうになると、七瀬は美花の肩を叩いた。

「まだ次があるって。とりあえず、美花のお弁当食べて勉強しようよ」

「あ、うん」

「んで、野々宮の弁当ってどんなんだよ?」

 鋭太がローファーを引っ掛けたつま先を振っていると、美花は通学カバンの後ろから紙袋を引っ張り出した。 中には三つの弁当箱が入っていて、一つは見慣れた美花のもの、もう一つはほぼ同じサイズだが色違いのもの。 そして、最後は一回り以上大きい男物の弁当箱だった。恐らく、それは美花の父親が使っていた弁当箱だろう。 美花は男物の弁当箱を鋭太の前に置いてから、色違いのものを七瀬に、いつもの弁当箱を自分の前に置いた。

「んじゃ、いただきまーす」

 七瀬が蓋を開けると、卵焼き、いんげんのゴマ和え、肉団子、カボチャの煮物、きんぴらゴボウが入っていた。 二段目には梅とじゃこのおにぎりと野沢菜のおにぎりが詰め込まれていて、隅にはたくあんが添えられていた。 他も同じ内容だが、鋭太のものはおにぎりが二個多い。美花は不安げに二人を見渡していたが、食べ始めた。 同級生の料理なのでいい加減な弁当だと思っていたが、意外にしっかりしていたので鋭太はちょっと感心した。 食べてみると、味もきちんとしている。卵焼きも菓子のように甘ったるいかと思いきや、だし巻き卵になっていた。

「え、あ、でもね、煮物ときんぴらはお兄ちゃんのだから。冷蔵庫にあったから……」

 美花が口籠もると、七瀬は笑った。

「解るって、それぐらい。美花の比べて、お兄さんのは照りも違えば味の染み方も違うもん」

「え、鋭太君はどう? おいしい?」

 美花が恐る恐る尋ねてきたので、鋭太は褒める気でいたのだが気恥ずかしさに負けてしまった。

「喰えるからいいんじゃねーの」

「そう、なら、良かった」

 美花は安堵感で表情を崩し、自分の分を食べ始めた。鋭太はおにぎりを取り出すと、ラップを剥いて囓った。 一緒に映画を見に行っただけで何をしたわけでもないのに、とは思うが、正直言って美花の弁当は嬉しかった。 これってマジ彼女確定じゃね、と胸中で下心が膨れ上がるが、思い上がるなという自制心も沸き起こっていた。 弁当を作ってきただけで、そこまで考えるのは早すぎる。鋭太だけならまだしも、七瀬にも作ってきたのだから。 だから、ただの友達だ。それを残念に思いつつ、鋭太は梅とじゃこのおにぎりを食べ終えてから紅茶を啜った。 ダージリンの香りと梅の味のアンバランスさに鋭太が辟易していると、板張りの床を打ち鳴らす足音が聞こえた。

「あれ?」

 鋭太が声を発するよりも先に声を出したのは、足音の主、大神剣司だった。

「んだよ」

 鋭太が鬱陶しさを剥き出しにすると、大神は鋭太ではなく美花と七瀬に目を向けた。

「野々宮さん、天童さん、いらっしゃい」

「お、御邪魔してます」

「してまーす」

 いきなりのことに身動いだ美花に続き、七瀬が軽く挨拶した。

「ああ、そうか、期末だもんな」

 すぐに納得した大神は、一階を見渡してから弟に尋ねた。

「鋭太、姉さんは?」

「姉貴は刀一郎さんが出張から帰ってくるからって空港まで迎えに行って、父さんと母さんはまたどっか 旅行に行きやがった。だから、今んとこうちにいるのは俺と芽依子だけ」

「ああ、なるほど」

 それは珍しいことではないが、弓子がいなければ来た意味がない。大神は、留まるべきか出ていくか迷った。 鋭太は今すぐに出ていけという顔をしているし、美花は大神にどう話しかけたものかと戸惑っているようだった。 七瀬はどちらでも構わないらしく、弁当の続きを食べている。だが、弁当の中身は三人とも全く同じものだった。

「え」

 それは一体どういうことだ。大神が弟を凝視すると、鋭太は牙を剥いた。

「なんだよ、見てんじゃねぇよ」

「え、えぇ……?」

 もしかすると、もしかするのか。大神が呆気に取られると、急に声を掛けられた。

「若旦那様、そこに立っておいででは御客様にお茶をお出しすることが出来ません」

「あ、ああごめん!」

 大神はすぐさま扉の前から飛び退くと、ワゴンを押した芽依子が入ってきた。

「紅茶ではお弁当に合わないかと思いまして、玄米茶を入れ直してまいりました」

「つか、先に出せよ。飲んじまったし」

 鋭太がティーカップを置くと、芽依子は返した。

「飲む方が悪うござます」

 芽依子は紅茶を下げてその代わりに玄米茶の入った湯飲みを並べてから、大神に向いた。

「若旦那様。お昼時ではございますが、御昼食はお済みなのでございましょうか」

「いや、まだだな」

 大神が答えると、芽依子は大神に向き直った。

「でしたら、すぐに御用意いたします」

 失礼いたします、と礼をしてから客間を出ていく芽依子に、大神はなんともいえない複雑な気持ちになった。 振り返ると、三人はまた昼食を再開していた。中身が全く同じだが、鋭太のものだけは量が倍以上はあった。 この三人の中で弁当を作りそうな性格なのは美花一人しかいないだろうが、理由がなければ作らないだろう。 一体どんな理由があるのだ。大神が考えあぐねていると、それに気付いたらしい美花が大神を見上げてきた。

「あの、えっと」

 美花は箸を止めてから、照れくさそうに笑った。

「こ、この間、鋭太君が私と一緒に遊んでくれたんです。その時、私、落ち込んでいたんですけど、おかげで 大分良くなったから、だから、このお弁当はその御礼なんです」

「え?」

 大神が鋭太を再度見下ろすと、鋭太は兄の視線から逃れるように顔を背けた。

「兄貴にはマジ関係ねーし」

「え、えぇ……?」

 それは、つまりやっぱりそういうことか。大神が頬を引きつらせると、七瀬が笑った。

「いやぁもう、美花も鋭太も微笑ましいのなんのって! 今朝なんて、ツーショットで写メろうとしたら鋭太が 逃げやがんの! 今更照れることなんてないと思うのになぁー」

「ちょっと、七瀬ぇ」

 困り顔で赤面した美花に、七瀬はにやけた。

「だって事実じゃん」

 確かに七瀬は嘘は吐いていないが、そんなに不確かな言い回しでは語弊がある、と美花も鋭太も感じた。 鋭太のぶっきらぼうな答えと合わせると、まるで男女交際を始めたかのように取られかねない言い回しだった。 美花は七瀬の言葉を正そうとしたが、鋭太と付き合っているわけではない、と大神に言うべきなのか、と迷った。 大神は芽依子と付き合っているようなのだから、言わなくても支障はない。だが、間違えられてしまっては困る。 その大神は、口元を歪ませて太い牙を覗かせて肩を怒らせていたが、俯いていたので表情が解りづらかった。

「あ、あの……」

 少し躊躇したが、やはり事実を伝えようと美花が大神を見上げると、大神は鋭太に詰め寄った。

「そうか、そういうことかぁ!」

 大神はぐいっと鋭太の頭を押し下げ、無理矢理笑みを作った。

「だったら、邪魔をしてはいけないなぁ!」

 本心では泣きそうだったが必死にその思いを隠して、大神は鋭太の頭を押さえ込んだ。

「野々宮さんの弁当は綺麗に食べてやれよ! 解ったか!」

「あ、あぅ……」

 美花が大神に話しかけようとすると、大神は鋭太を解放して美花に振り向いた。

「野々宮さん!」

「ふぁ、はいっ!」

 驚きと戸惑いの混じった反応をした美花に、大神はかなり痛々しい作り笑顔を見せた。

「愚弟をよろしくお願いします!」

「あ、はい」

 友達ですから、と美花が言おうとすると、大神は客間を出てから一度振り返った。

「では、俺はこれで! さようなら!」

 大神は大股に歩いて玄関に向かおうとしたが、食堂から出てきた芽依子に訝られた。

「若旦那様。昼食の御用意が整いましたが」

「悪い、それは芽依子さんが食べてくれ! 勿体ないからな!」

 大神は無理矢理笑ったせいで声を裏返しながら芽依子に言葉を返すと、玄関脇に置いていた自転車に跨った。 芽依子が見送りの言葉を掛けてくれたようだが、それが耳に届く前に大神はペダルを踏み込んで走り出していた。 石畳の歩道と門を物凄い速度で通り抜けた大神は、脇目も振らずに自転車を漕いで胸の痛みを誤魔化そうとした。 朝からろくなものを食べていなかったので腹は減っていたし疲れてきたが、自転車を漕がずにはいられなかった。
 立ち止まれば絶望に飲み込まれそうだ。美花が鋭太と。鋭太が美花と。そんなことは考えたこともなかった。 だが、有り得る。美花と鋭太はクラスメイトで、コンビニ勤めの暗黒総統である大神と違って一緒の時間が長い。 大神の与り知らぬうちに事が進んでいても、なんら違和感はない。むしろ、美花と鋭太が恋仲になる方が自然だ。
 舌を出すほど激しく呼吸を荒げた大神は、住宅街の中に作られた児童公園に自転車を乗り入れてから降りた。 ベンチの傍に自転車を立てると、ベンチに座り込み、泣きたい気持ちを抑えるために頭を抱えて歯を食い縛った。 だが、泣いてたまるかと思えば思うほど鼻の奥が鋭く痛んできて、あまりの悔しさでいくらか押し出されてしまった。
 認めたくなかったが、これは敗北に違いない。





 


09 7/20