純情戦士ミラキュルン




第八話 敵地潜入! 決死のミラキュルン!



 昼食後の勉強会は順調に進んだ。
 美花は七瀬に得意な教科を教え、七瀬も美花に得意な教科を教え、鋭太は二人から全面的に教えられた。 おかげで自分一人では解らなかったことが理解出来るようになったが、鋭太だけは今一つ進展しなかった。 だが、勉強が一段落すると、美花は大神のことを考えずにはいられなくなり、何度も窓の外を窺ってしまった。 もしかしたら戻ってきてくれないかな、と思ったが、どれほど時間が過ぎても大神の自転車の音はしなかった。
 答え合わせを終え、それぞれの教科書や参考書やノートも閉じると、テーブルには三人分の消しゴムのカスが 残った。美花は消しカスを集めてゴミ箱に捨てると、自分の勉強道具を通学カバンに入れ、冷めた紅茶を飲んだ。 鋭太は集中して勉強をしたせいで頭が疲れたのか、口数もめっきり減っていて両耳も下げがちになっていた。 七瀬は、芽依子が差し入れてくれたマフィンを食べていた。美花も皿からマフィンを一つ取ると、小さく千切った。

「大神君に悪いこと言っちゃったかなー」

 七瀬は顎を全開にして、オレンジマーマレードの載ったマフィンを大きく囓り取った。

「今回は私が悪いわ、さすがに」

「え、あぁ、うん……」

 美花はチョコチップが混ぜ込まれたマフィンを口に入れ、咀嚼した。バターの香りが優しい味だった。

「ごめんね、鋭太君」

「ん」

 鋭太はバナナとナッツのマフィンを食べていたが、飲み下し、兄の剣司の痛々しい言動を思い起こした。 何かしらの致命的な勘違いをした挙げ句、明らかに衝撃を受けているのに無理矢理明るい態度を作っていた。 原因は、間違いなく美花だろう。そして、その勘違いを増長させたのは、本人も自覚した通りに七瀬に違いない。 さすがに悪いことをしたかな、と、鋭太は罪悪感が掠めたが、このままでもいいのではとも考えた。大神は鋭太と美花が 付き合っているのだと勝手に思い込んだらしいが、訂正しない方が今後のためなのでは。美花も大神と芽依子が 付き合っていると思い込んでいるようなので、放置しておけば鋭太の都合の良いように。

「訂正するなら早い方がいいね」

 七瀬の呟きに、鋭太は邪心が見透かされたような気分になって片耳を伏せた。

「つか、どうでもいいだろ、馬鹿兄貴が勝手に勘違いしただけなんだし」

「でも、やっぱりこのままじゃいけないよ。鋭太君も迷惑だろうし」

 マフィンを食べ終えた美花は、鋭太に向いた。

「え?」

 迷惑ではない。むしろ好都合だ。だが、それを言うのは浅ましい。鋭太は一瞬の躊躇の後、返した。

「まぁ、そうかもしんねーけど」

「んじゃ、メールして呼び出す?」

 七瀬が提案すると、美花はしばらく考えあぐねた後、立ち上がった。

「駅前広場!」

「は?」

 鋭太が面食らうと、美花は両の拳を握った。

「大神君に駅前広場まで来てもらうの! そしたら、たぶんだけど、きちんと言えると思う!」

「なんで駅前広場なんだよ。呼び出すにしても、なんで俺んちじゃねーの?」

 鋭太は訳も解らずに首を捻るが、ミラキュルンの件を知っている七瀬は納得した。

「そりゃそうだね、あそこなら美花もちったぁ勇気が出るでしょ」

「あ、でも、その前に……」

 当初の目的を思い出した美花は客間からポーチに出ると、庭園で枯れ葉を掃除している芽依子に声を掛けた。

「芽依子さん!」

「御用でございましょうか」

 枯れ葉の詰まったチリトリを置いて振り向いた芽依子に、美花は頭を下げた。

「この間はすみませんでした! えっと、いきなりすぎて、驚いちゃって、逃げるつもりはなかったんですけど!」

「お気になさらず。若旦那様の御前でありながら、あのようなはしたない言葉を口にした私にも非はございます」

 芽依子は美花に近付くと、頭を下げた。

「ですから、その、ええっと」

 美花は口籠もりかけたが、気力を振り絞って言い切った。

「大神君と芽依子さんのこと、応援してますから!」

 力を込めて言い終えた途端、美花は様々な思いが去来して泣きそうになったが、自分の言葉で己を戒めた。 応援すると決めたのだから、泣くべきではない。芽依子は僅かに目を見開いたが、柔らかく微笑んだ。

「ありがとうございます」

 芽依子は膝を曲げて礼をし、美花と目を合わせた。

「私めの持てる力の限りを尽くし、若旦那様の御心を手に入れてご覧に入れましょう」

「あ、はい……」

 美花は言葉を続けようとしたが、出来なかった。嘘ではないが、心からそう思っているわけでもない。しかし、 それが誰にとっても一番良い展開だからだ。美花は残っていた紅茶をぐいっと飲み干し、通学カバンを持った。

「じゃ、行こう!」

「ほら、さっさと立て」

 通学カバンを肩に引っ掛けた七瀬に急かされ、鋭太はきょとんとした。

「なんで俺も」

「ここまでややこしくなったのは、鋭太のせいでもあるんだし。その場にいた方が色々と楽じゃん?」

 七瀬が上両足を上向けたので、鋭太は仕方なく腰を上げた。

「マジめんどいんだけど」

「御邪魔しました、芽依子さん! お茶と御菓子、ごちそうさまでした!」

 美花にしては大きな声で挨拶した美花は芽依子に一礼してポーチへ駆け出すと、なぜかその場でジャンプした。 だが、真っ直ぐ落下して芝生に転がった。鋭太と芽依子が驚いていると、美花はスカートを押さえて起き上がった。 鋭太は今し方目にしたものを見なかったことにしようとしたが、美花の下着は目に焼き付いて消えそうになかった。 他の女子に比べればスカート丈が長く、ガードが堅い美花の下着を見たのは初めてだったので尚更印象が強い。 ちなみに、白い肌に似合う淡いピンクだった。おかげで、鋭太はせっかく勉強したことが脳内から飛んでしまった。

「そうだ、忘れてた……」

 変身していないのだから、飛べるわけがない。駅前広場に行く、イコールで決闘があると勘違いしたせいだ。 一人だけ理由を知っている七瀬は美花に近付いてきたので、美花は曖昧な笑顔を浮かべて乱れた髪を整えた。

「何やってんだろ、私」

「どこもケガしてないんならいいけどさ。マジで何やってんだか」

 七瀬は半笑いになりつつ、鋭太を手招いた。

「ほれ行くぞ。これ以上ややこしいことにしたくなかったら、素直に従いな」

「あ、おう……」

 鋭太は携帯電話と財布をスラックスのポケットに突っ込んでから、二人を追った。

「鋭太坊っちゃま」

 擦れ違いざまに芽依子に呼び止められたので、鬱陶しく思いながらも鋭太は立ち止まった。

「んだよウゼェな」

「野々宮さんの秘密の花園については口外なさらぬことが賢明かと存じます」

「わあってるっつの!」

 真顔でそんなことを言われては言われた方が恥ずかしい。鋭太は尻尾を揺すりながら、美花と七瀬に続いた。 二人は既に門を抜けていて、屋敷の敷地から外に出ている。芽依子は三人を見送ってから、掃除を再開した。 美花は歩きながら大神にメールを打ち、送信した。珍しく意気込んだ美花を、七瀬は軽い言葉で応援していた。 鋭太は二人の会話に割り込むことが出来ずに、駅前広場に向かって歩く二人の後ろを少し遅れて歩いていた。
 鋭太は美花と付き合っていないことは紛れもない事実だが、兄の勘違いを否定するのはなんだか勿体ない。 しかし、なけなしの良心が喚く。美花の気持ちも考えずに付き合ったことにしてしまうのは良くないことだ、とも。 そんなことを考えて思考を切り替えようとするが、鋭太の短絡的な思考は美花の下着に占められてしまった。 必死に先程までの試験勉強や弁当の内容を思い出そうとするが、目の前でひらひらするスカートに目が向かう。 大神にどうやって釈明しようかと悩んでいる美花は気付いてないようだったが、七瀬の複眼の端に捉えられた。 ばつが悪くなった鋭太は意味もなくポケットに両手を入れて、二人との距離を広げるように歩調を緩めて歩いた。
 当分の間、美花の下着は忘れられそうにない。




 決闘でもするのだろうか。
 美花からのメールの通りに駅前広場にやってきた大神は、ベンチの傍に自転車を止めて座り込んでいた。 きっと、鋭太との今後について話すのだ。そうに違いない。大神は喉の渇きを潤すため、缶コーヒーを飲んでいた。 タバコでも蒸かして苛立ちを紛らわしたいところだが、生憎切れていた。買いに行こうにも、自動販売機が遠い。 缶コーヒーはすぐに空になってしまったので、大神は量の多いものにするべきだったと後悔しながら缶を下げた。

「大神君!」

 上擦り気味の声で名を呼ばれ、大神が顔を上げると、息を切らした美花が駆けてきた。

「すみません、あの、待ちましたか?」

「いや、別段」

 メールが来てからすぐに訪れたので、十分も待っていない。大神が立ち上がると、鋭太と七瀬もやってきた。 鋭太は相変わらず不機嫌そうで、七瀬は表情があまり掴めない。美花は頬が少し上気し、顔が強張っている。 美花は呼吸を整えようとしているらしいのだが、何度も何度も深呼吸を繰り返しすぎて逆に息苦しそうだった。 最後に上体を反らすほど大きく息を吸った美花は、拳をきつく固めて大神を睨み付けるように力強く見据えた。

「おっ、大神君!」

 美花は一歩踏み出して大神との距離を狭めると、鋭太の腕を掴んで引き寄せた。

「わっ、私、鋭太君とは、その!」

「解っているよ」

 必死な美花を見た途端、大神は悔しさと悲しさが突き抜けてしまい、気持ち悪いほど優しく笑った。

「野々宮さん、最近鋭太と仲が良いもんな。そうなったって、無理ないもんな」

「えー、あー……」

 美花に腕を引っ張られた格好のまま、鋭太は言葉を濁したので、七瀬はぎちりと顎を軋ませた。

「ここまで来て何キョドッてんだか」

「だからぁ、ああ、もう!」

 美花は鋭太の腕を振り払うと、大神との距離をまた一歩詰めた。

「大神君は勘違いをしているんです!」

「何を?」

 美花の勢いに気圧された大神が後退りかけると、美花は更に一歩詰めた。

「私は、その、鋭太君とは、そういう関係じゃないんです!」

「そういうって、どういう?」

「ああ、ええと、つまりはああいう関係です!」

「だから、どういう?」

「えっ、あっ、うぅ……」
 
 涙目になった美花は七瀬に助けを求めようと振り返ったが、七瀬は美花を反転させて大神に向き直らせた。

「もう一息だろうが。ほれ頑張れ」

「大神君、その、私が、す、好きなのは……」

 美花はおずおずと目を上げたが、本人を目の前にすると言えるわけもなく、脱力してへたり込んだ。 真っ赤な顔で涙を溜めた美花は小動物のように弱々しく、大神は庇護欲に駆られて彼女の前に膝を付いた。 鋭太はといえば、尻尾をやたらと大きく振っている。七瀬は美花の根性の弱さに呆れたのか、首を振っている。

「うちの愚弟と仲良くしてくれよ、野々宮さん」

 大神は美花を抱き寄せたい衝動を堪えて、精一杯の笑みを見せた。

「あ、は、い」

 大神が立ち上がると、美花はますます赤面して俯いた。大神は最後の気力で手を振りながら、立ち去った。 大神の悲哀漂う背中が駅前の雑踏に消える様を見、三者の事情を知る七瀬は言わずにはいられなかった。

「気付けよ! てか、どんだけ鈍いんだよ!」

 普通、ここまで言われては美花が好きなのは大神だと気付くだろう。目の前で泣き出すほど好きなのだから。 更に事態が混迷したのは、鋭太の態度が原因だろう。当の鋭太は、何を言うでもなく頭部の体毛を乱している。 鋭太としては、美花と付き合っていることにしたいのだろう。これだから男ってやつは、と七瀬は頭痛を感じた。 美花は結局真実を言えなかったふがいなさで、座り込んだまま動かない。そして、大神は立ち去ってしまった。
 どいつもこいつも。七瀬は胸郭から愚痴が出そうになったが、なんとか胸に収めて美花を立ち上がらせた。 全く役に立たなかった鋭太を自宅の方向に押しやって、泣き止まない美花を励ましながら、七瀬は歩き出した。 いつまでもこんなことでは、付き合っている七瀬も身が持たない。いい加減にはっきりしてもらわなければ困る。 適当に愚痴らなきゃやってらんねぇな、と内心で毒突きながら、七瀬は美花の自宅がある超高層マンションを目指した。
 他人の恋愛ほど、面倒臭いものはない。





 


09 7/20