純情戦士ミラキュルン




第九話 目覚めた力! 必殺・ミラキュアライズ!



 そして、午後五時三十分。
 軍服姿に着替え、ミラキュルンと戦わせる怪人を連れたヴェアヴォルフは、駅前広場に向かっていた。 梅雨が終わって夏が本番を迎えたからか、アスファルトから立ち上ってくる日中の余熱は衰えることはなかった。 今日の怪人は、ハサミ怪人、シザックである。金属で出来た細長い手足に、刃で出来た胴体を持った怪人だ。 頭部はハサミの持ち手をそのまま大きくしたような形状で縦長の穴が開いていて、目も口も耳も見当たらない。 だが、本人によれば、ぱっと見では解りづらいだけであって、目も口も耳もきちんと付いているとのことだった。 平べったい金属製の胴体にも内臓が入っていて、銀色のパイプのような貧弱な手足にも骨が入っているらしい。 シザックは普段は縫製工場で働いており、衣類の裁断の手際の良さから正社員からも重宝されているそうだ。 そして、今回同行するのはファルコである。何のことはない、たまたま外回りから帰ってきて本社にいたからだ。
 せめて、戦いだけは全うしなければ。ヴェアヴォルフはマントを翻して歩いていたが、軍服の下は暑苦しかった。 長いマントが重たく、熱気を封じ込めて煩わしく、軍服の下のワイシャツは汗を吸って体毛が貼り付いている。 軍帽も、日除けになるどころか鬱陶しい。出来ることなら脱ぎ捨ててしまいたかったが、自分は暗黒総統なのだ。 仰々しい名の割にそれらしいことが出来ないのだから、格好だけは悪役らしくしていなければ存在意義がない。 だから、ヴェアヴォルフは暑さから来る苛立ちを懸命に押し込めながらミラキュルンの待つ駅前広場に到着した。
 駅前広場には、珍しいことにミラキュルンが先に到着していたが、その傍らに見慣れた人型昆虫が立っていた。 私服姿ではあるが、美花の友人、天童七瀬に間違いなかった。なぜ、彼女が正義と悪の戦いの場にいるのだ。

「よく来たな、ミラキュルン! 今日こそは貴様を抹殺し、世界征服への第一歩としてくれる!」

 ヴェアヴォルフは暑くて暑くて頭が煮えそうだったが、それらしく話を切り出した。

「え、あ、はい、今日もよろしくお願いします」

 ミラキュルンは体の前で手を揃え、一礼した。

「それで、ミラキュルン。そちらのお嬢さんはどなたですかい?」

 ファルコが七瀬を示したので、七瀬はミラキュルンの肩に爪を置いた。

「友達の天童七瀬です。うちのへっぽこヒーローが毎度御世話になってます」

「そこまで言わなくても……」

 ミラキュルンが口籠もると、七瀬はミラキュルンの背を叩いた。

「そう言われたくなかったら、必殺技をぶちかまして勝ってこい」

「必殺技?」

 それは初耳だ。ヴェアヴォルフが片耳を曲げると、ミラキュルンは頷いた。

「あ、はい、そうなんです。今日、七瀬と一緒に特訓したんです。そしたら、なんか、出来ちゃって」

「出来ちゃって、って……」

 何か表現が生々しい。ヴェアヴォルフはどうリアクションしたものかと迷いながら、怪人二人に向いた。

「どうする、ファルコ、シザック」

「やります!」

 シザックは刃を二枚重ね合わせたような手を掲げ、しゃきしゃきと刃を擦り合わせた。

「せっかく総統から御指命を頂いたんですから、必殺技だろうがなんだろうが受けて立ちますよ! むしろ、 必殺技を使われて倒された方が怪人冥利に尽きるってもんですよ!」

「それはそうかもねー。一発KOされるのって戦闘員の役目だし?」

 七瀬がもっともらしく頷くと、ミラキュルンは両手をぽんと重ねた。

「あ、そっか。そうだよね。じゃあ、やっぱり必殺技って必要なんだ」

「んで、ジャールには戦闘員はいないんですか?」

 七瀬に問われ、ヴェアヴォルフは言葉を濁した。

「いたらいいんだろうけど、それがなかなか……」

 出来れば戦闘員も雇用したいところが、余裕がない。社員が増える、イコールで収入が増えるわけではない。 契約社員を派遣して収入が増えるようになっても、契約社員の給料や様々な経費に回すと消えてしまうからだ。 戦闘員を雇うとしても、給料が捻出出来るかどうか怪しい。悪の秘密結社の懐事情は、決して温かくはないのだ。

「えっと、それじゃ、行きます!」

 ミラキュルンがシザックの前でヒーローらしく構えると、シザックはじゃきじゃきとハサミを動かした。

「俺のハサミでお前の首を刈り取ってくれる、覚悟しろ、ミラキュルン!」

「はっ、初恋乙女の胸キュンエナジー!」

 ミラキュルンは胸の前で手をハート型にすると、腰を引き気味にしながらその手をシザックに突き出した。

「え、ええと、ええと、次、なんだっけ、七瀬ぇ!」

 シザックにビームを撃つポーズのまま、ミラキュルンが硬直すると、七瀬は呆れ気味に返した。

「あれだけ練習したのに、もう忘れたの? 自分の必殺技なんだからちゃんと覚えておきなよ」

「あ、う、えっと」

 ミラキュルンはしばらく考え込んでいたが、顔を上げた。

「そうだ、思い出した!」

「死ねぇミラキュルン!」

 胴体のハサミを全開にしたシザックが飛びかかるべく跳躍すると、ミラキュルンはハート型の手に力を込めた。

「浄めのラブシャワー、ミラキュアライズ!」

 羞恥が極まったミラキュルンは、飛びかかってくるシザックから思わず顔を背けて発射してしまった。 もちろん、狙いは外れた。おまけに、及び腰だったものだからビームを撃った反動で上半身が少々仰け反った。 更に都合の悪いことにシザックの表面は鏡のように艶やかだったので、ハート型のビームが反射してしまった。 シザックの胸部に命中したが見事に反射されたハート型のビームは、九十度折れ曲がって別方向へと向かった。

「あ」

 七瀬は着弾地点に振り向いたが、既に手遅れだった。

「うお熱っ!」

 ミラキュアライズをもろに受けてしまったヴェアヴォルフは、唐突に胸に訪れた強烈な熱に驚いて飛び退いた。 ミラキュルンが発射を止めたので熱量は少なかったが、ハート型のビームは布を呆気なく焼き切ってしまった。 ヴェアヴォルフは慌てて胸の辺りを叩いて熱を振り払ったが、マントと軍服にハートの焦げ穴が出来てしまった。

「大丈夫ですかい、若旦那?」

 ファルコが不安げに近寄ってきたので、ヴェアヴォルフは泣きたい気持ちでファルコに向いた。

「大丈夫なものか。見てみろ、これ」

「うひゃあ、こいつぁひでぇや」

 ファルコが翼を竦めると、シザックがヴェアヴォルフの胸元に空いた穴を見て萎れた。

「すみません、総統。俺がビームを反射しちゃったばっかりに……」

「いいんだ、お前の責任じゃない。しかし、これはどうしたもんか」

 ヴェアヴォルフはシザックを慰めてから、間抜けな形の焦げ穴が開いた軍服を見下ろした。

「裏から布地でも当てたらどうです?」

 七瀬の提案に、ファルコは苦い顔をした。

「それで穴ぁ塞がるかもしれやせんが、ハート型ばっかりはどうにもなりやせんぜ」

「ハズいパッチワークになるだけですね」

 そりゃ拙い、と七瀬が半笑いになると、ミラキュルンは泣きそうになった。

「う、あ、あの、ごめんなさい、私、その、そんなつもりじゃなくて」

「貴様に悪気がないことは解っている。だから、そんなに気に病まないでくれ」

 ヴェアヴォルフは愛想笑いを見せるが、ミラキュルンはわなわなと震え出し、背を向けて逃げ出した。

「ごぉめんなさぁあああいぃっ!」

 最早半泣きではなく本泣きになったミラキュルンは、アスファルトを蹴り付けて駅前広場から飛び出した。 白いマントを靡かせた背は普段以上によろけながら飛び去っていき、七瀬は唖然としながらその光景を見ていた。

「……おいこら」

「あの、総統。俺の立場は?」

 倒されていないんですけど、と居心地の悪そうなシザックに、ヴェアヴォルフは答えた。

「不戦勝にカウントしておこう。俺としても不本意だが、その方がいくらか気が楽になる」

「いつもこんな感じなんですか?」

 七瀬がファルコに尋ねると、ファルコは苦笑いした。

「大体はこんな具合でさぁ。でも、俺らがミラキュルンに勝てたことは一度もありやせんぜ」

「大神君も大変だねぇ」

 と、七瀬が何の気なしに呟くと、ヴェアヴォルフは目を剥いていた。

「えっ?」

「え?」

 思い掛けない反応に七瀬が面食らうと、ヴェアヴォルフは七瀬に掴み掛かってきた。

「どおして解ったぁああっ!」

「解るっしょ普通! 顔丸出しだし、声そのままだし、つか気付かない方が有り得ないっつの!」

 ヴェアヴォルフに両肩を掴まれた七瀬は、必死に言い返した。

「頼む天童さん、野々宮さんには言わないでくれ、後生だから!」

 ヴェアヴォルフは七瀬をがっくんがっくんと揺さぶりながら喚くので、七瀬はヴェアヴォルフを押さえた。

「解った、わーかったから、もう揺するな! 内臓がずれる!」

「若旦那、こちらのお嬢さんとはどういう御関係で?」

 ヴェアヴォルフの慌てように戸惑いながらファルコが問い掛けると、ヴェアヴォルフは息を荒げながら答えた。

「俺の友達の友達で、鋭太のクラスメイトだ。だが、怪人じゃない」

「えー……。てことは、あの子もそうなの?」

 それはますます面倒臭い。七瀬は曲がった触角を元に戻し、悲劇的な顔のヴェアヴォルフを見やった。 だが、ヴェアヴォルフは七瀬の言葉を聞くほどの余裕はなく、正体が解ってしまった事実に打ちひしがれていた。 しかし、七瀬にはそれが逆に不思議だった。着替えただけで、正体が露見しない自信が持てる理由が解らない。 確かに七瀬が知る大神剣司はコンビニの制服姿か私服姿で、ヴェアヴォルフの軍服姿からは懸け離れている。 けれど、軍服姿は仮装のようなものだ。初見であっても、注視すればヴェアヴォルフが大神剣司だと解るはずだ。 それなのに、ミラキュルンである美花は気付いていない。鈍いにしても限度がないか、と七瀬は若干腹が立った。

「天童さん。一生のお願いだ、俺が世界征服なんて企んでいることは野々宮さんには秘密にしてくれ!」

 ヴェアヴォルフに詰め寄られ、七瀬は後退った。

「解った解った、絶対言わないですから。つか、一生のお願いなんてリアルで聞いたの初めてだ」

「本当だな? 本当に本当だな?」

「へいへい」

「約束を破ったりしたら、天童さんも悪の秘密結社の一員になってもらうからな!」

「あ、ダメです。私、もうバイトしてますんで、掛け持ちするのはきついです」

「じゃあ、別の方法を考えよう!」

 ヴェアヴォルフは必死になりすぎて焦りながら、怪人二人に振り返った。

「ファルコ! シザック! 何か良い考えはないか!」

「ヒーローか怪人ならともかく、一般市民は細切れにしちゃ拙いですしね。虫を切るのは簡単なんですけど」

 シザックがビス止めされた首を捻ると、ファルコが投げやりに言った。

「いっそのこと、ヤキ入れたらどうですかい? でなかったら、指でも詰めちまいますかい?」

「ファルコ、お前はコンクリのブーツでも履かせる気か! いいか、野々宮さんの友達だぞ! 下手なことをしたら、 野々宮さんから大いに嫌われる! そんなことになったら、俺はもうどうしたらいいか!」

 ヴェアヴォルフが泣きそうな声を出したので、七瀬は触角を両方上げた。

「てことは何、私の存在は全無視? 虫だけに? つかマジつまんね」

「ああ、違う違う、そうじゃなくて、とにかく俺は事を穏便に済ませたいんだ!」

 ヴェアヴォルフに再度詰め寄られたが、七瀬は後退らずにヴェアヴォルフを見返した。

「んじゃ、口止め料でも払って下さいよ。それが一番穏便な解決法じゃないですか?」

「最近の女子高生ってスレてますねー……」

 シザックが辟易すると、ファルコが首を横に振った。

「いやあ全く、世も末でさぁ」

「ちょっと待ってくれ、本当にちょっとでいいから」

 ヴェアヴォルフは軍服を探るが、あ、と口を半開きにし、ハート型の焦げ穴が開いた財布を取り出した。

「さっきのビームのせいだな。これじゃ、クレジットカードもキャッシュカードもビデオ屋の会員証も全滅だぞ。ああ、 札も焦げてやがるし小銭も溶けてる。すまない、天童さん。そういうわけだから、これで勘弁してくれ」

 財布を別のポケットに入れ直したヴェアヴォルフは、一枚の書類を出して七瀬に渡した。

「労働者派遣契約書。これがあれば、うちの社員を雇える!」

「……で?」

 だからどうしろと。七瀬が書類を見下ろしていると、ヴェアヴォルフはマントを翻した。

「さらばだ、天童七瀬! 次に会う時は、ミラキュルン共々貴様には地獄を見せてくれる! ふははははは!」

 焦げ穴の開いたマントを広げながらヴェアヴォルフが駆け出すと、ファルコとシザックも上司と共に逃げた。 その場に一人取り残された七瀬は、ヴェアヴォルフから手渡された労働者派遣契約書を広げると眺めてみた。 これさえあれば悪の秘密結社ジャールの契約社員を雇えるが、その場合賃金は七瀬から発生することになる。 派遣社員の雇い主になる契約を果たすための書類だから当然のことだが、口止め料には相応しいと思えない。 これでは、七瀬が損をしてしまうだけだ。こんなのいらね、と七瀬は労働者派遣契約書を丸めて捨てようとした。 だが、直前で爪を止めた。高校の課題や宿題が間に合わない時に使えるかもしれない、と思い直したからだ。
 労働者派遣契約書を綺麗に折り畳んでショルダーバッグに入れた七瀬は、服をめくって背中の羽を広げた。 小刻みに空気を叩いて体を浮かび上がらせると、ミラキュルンが飛び去っていった方向を辿って飛んでいった。 私鉄の駅の上空でホバリングしながら周囲を見渡した七瀬は、複眼のいくつかに映った美花の姿を見定めた。 駅前からは数百メートル離れた雑居ビルの屋上では、美花は自分をひどく責めているのかうずくまっていた。 七瀬は羽ばたきを緩めて雑居ビルの屋上に降りると、美花は顔を上げた。

「七瀬ぇ」

「いちいち泣くな。それでもヒーローか」

 七瀬が美花に近付くと、美花は目元を拭った。

「ヴェアヴォルフさん、大丈夫だった? ケガとかしてない?」

「え、あー……」

 七瀬はヴェアヴォルフの正体をばらすべきか迷ったが、言わないことにした。一応、約束したのだから。

「ピンピンしてたよ。だから、そんなに泣くことないって」

「やっぱり、私、ヒーローには向いていないよ」

 美花は自分の両手を見つめ、唇を歪めた。

「ビームの出力は最低に絞ったし、出来る限り力も込めなかった。レーザーポインターぐらいの光になって、 って思いながら撃ったのに、優先されたのはポインターじゃなくてレーザーの方だったみたいで、ヴェアヴォルフさんの マントも軍服も焼いちゃった。ダメだよ、そんなの正義じゃない、ただの暴力だ」

 ぼろぼろと涙を零しながら、美花は七瀬の胸に寄りかかった。

「ごめんね。もっと、しっかりするから」

 嗚咽を殺す美花を支えながら、七瀬は理解した。美花は自信がないのではなく、自信を持つのを怖がっている。 特殊能力を持っていると、それだけで人は慢心する。増して、変幻自在の超能力であるヒーロー体質なら尚更だ。 ヒーロー体質に目覚めた人間が自意識過剰になった挙げ句暴走したという例は、七瀬も二三は聞いたことがある。 だが、怪人ではなく人外に過ぎない七瀬にとっては現実味のない話で、テレビの中のヒーローと似た感覚だった。 けれど、美花にはその力が備わっている。七瀬には遠い世界の出来事でも、美花には身近な脅威に他ならない。
 事を急ぐのは間違っていたかもしれない。七瀬は自戒しながら、美花が泣き止むまで傍にいることにした。 ヒーローでもなく怪人にもなれない七瀬に出来ることは、安易な慰めでも半端な同情でも短絡的な畏怖でもない。
 友人として対等に接することだ。





 


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