純情戦士ミラキュルン




その姿、変幻自在! 隠匿のカメリー!



 ひとまず、嵐は去った。
 市立総合病院の待合室を兼ねたロビーで、売店で買った雑誌を読んでいたカメリーは眠気に襲われていた。悪の 秘密結社ジャールから午前中に予約を入れていたので、大した待ち時間もなく七瀬は診察してもらえた。その後の 処置に時間が掛かるので、カメリーはそれが終わるまで待っていたのだが、病院の中は静かすぎた。診察の順番 が来たことを患者に知らせるアナウンスがひっきりなしに聞こえてくるが、声色が穏やかなのだ。病人である患者達 は当然ながら静かで、騒ぐのは子供ぐらいだったが、すぐに親が宥めるので派手に騒がない。朝から延々と七瀬に 絡まれ続けた上、病院に連れてくる間にも泣かれたり暴れられたりしたため、疲れ果ててしまった。だから、眠くなる のは必然だ。カメリーは重たく下がってくる瞼を上げることを諦めて、雑誌を被って腰を落とした。
 程良い暖房と病院特有の匂いに促されてカメリーが思いの外深く眠り込んでいると、いきなり視界が明るくなった。 大きく突き出た目の先端にある小さな瞼を瞬かせたカメリーが両目を動かすと、雑誌を持った七瀬が立っていた。

「あら、終わったのね」

 カメリーが身を起こすと、七瀬は丸めた雑誌でぽこんとカメリーの頭を叩いた。

「おう」

「んで、何されたのよ?」

「点滴と注射。でもって、諸々の指導」

 七瀬はカメリーの隣に座ると、カラフルな装丁の薄い冊子を渡した。人型昆虫の発情を解説するものだった。

「これ、あんたに読んでおけってさ」

「あー、そう。てぇことは、俺、旦那扱いってことね?」

「不本意だけどな」

「でも、良かった良かった。七瀬が元に戻って」

 カメリーが笑うと、七瀬は顔を背けた。

「てか、忘れてくれね? 一部始終をさ。思い出すだけでマジ死にたくなるし」

「はいよ。会社の連中にも言っておくよ、言わなくても解ってくれるでしょうけどね」

 カメリーは頷いてから、冊子をセカンドバッグに入れた。

「じゃあ、送っていくから帰りますか」

「いや、行く」

 カメリーの言葉を振り払うように、七瀬は強く言い切った。

「薬のおかげで気分が変なのは収まったけど、色々と足りない。だから、あんたんちに行く」

「そう。んじゃ、晩飯、何にする?」

「つか、私は料理なんてしたことねーし。作るんならあんたが作れ」

「んじゃ、適当に買っていきますか。幼虫、さなぎ、成虫、どれがいい?」

「幼虫。カロリーっつーか、蛋白質が欲しい。あと、糖分も足りない気がする」

「解った解った。んじゃ、一緒に買いに行こうじゃないの。晩飯と甘い物でも」

 カメリーはセカンドバッグを脇に抱えて立ち上がり、雑誌返して、と七瀬に手を出すとぞんざいに渡された。

「あのさ」

 少し間を置いてから立ち上がった七瀬は、触角の先端を小刻みに動かしていたが、カメリーに向けた。

「……手、とか、繋がね?」

「君の場合、手じゃないでしょうに」

「なんでもいいだろ!」

 七瀬はカメリーの右手を引ったくり、大股に歩き出した。表情を見せたくないらしく、一歩先を歩いて振り向こうとは しなかったが、触角はしきりに動いていた。気になるのに気にしてないふりをする七瀬が可愛らしく、カメリーは顔が 緩んでどうしようもなかった。調剤薬局に到着するとすぐに手を振り解かれ、七瀬が先に入っていったので、カメリーは 遅れて入った。薬が処方されるまでの待ち時間も七瀬はしきりにカメリーを気にしていたが、目が合いそうになると 顔を背けた。カメリーはどんな方向にも目を向けられるので、七瀬に片目を据えたが気にしていないふりをした。
 やはり、この距離が一番落ち着く。




 味気ないようでいて、生温い時間だった。
 昆虫料理メインの夕食を買ったカメリーは七瀬を連れて自宅アパートに戻り、向かい合って夕食を食べた。会話の 内容は単語ばかりで、なんとなく付けたテレビ番組があったおかげで間が持っていたようなものだった。一日振りに 制服を脱いで強引にカメリーの私服を着た七瀬は、時折、腹部で曲げっぱなしの中両足を動かした。人型昆虫用の 服は中両足を外に出すための袖か穴が付いているのだが、カメリーのものは当然ながら獣人用だ。ズボンには 尻尾を出すための穴があり、獣人の体格でも楽に着られるゆとりはあるが、中両足用の穴は付いてない。中両足を 使おうとしてシャツを突っ張らせてしまう七瀬が不便そうなので、カメリーは穴を開けようかと進言した。だが、七瀬 はそれを突っぱねて、裾も長ければ肩幅も広いカメリーの服に外骨格で出来た細い体を収めていた。
 いつものクールな態度に戻ってしまった七瀬を残念がりながら、カメリーはアパートに相応しい狭さの浴槽に身を 沈めた。すると、硬い皮膚の所々から血が滲んで鋭い痛みが走った。その原因は考えるまでもなく、七瀬の顎で 噛み付かれたからだ。歯形ならぬ顎形もくっきり刻まれている部分もあり、湯に浸かって血液の循環が良くなった ことで裂けたウロコが剥がれかけている部分もある。下半身までは脱がされなかったので、傷跡は上半身だけで、数は 多いが傷は浅いので明日には治ることだろう。脱皮するまでもなく消える傷だが、治ってしまうのが少し惜しかった。 七瀬の乱暴な愛の証だと思うと、痛みさえも嬉しい。

「つくづく変態よねぇ、俺ってば」

 独り言を漏らしたカメリーは、湯の中から尻尾を出して伸ばした。

「好きなのに、何もしないんだから」

 何もしたくない、と言えば嘘になる。愛して止まない女性に手を出すのを恐れるほど幼いわけではないが、迂闊に 手を出したくない。面と向かって好きだと言いたくなる瞬間もあり、どうしようもなく会いたくなる瞬間もあるが、ぐっと 堪えてしまうのだ。たまに会えればそれだけでいい。好きだと思っているだけで良い。離れなければ充分だ。
 七瀬は美しい。滑らかさと強固さを併せ持つ外骨格と、黒曜石を思わせる光沢の複眼と、毒々しい真紅の外羽。 背中はカメの甲羅のように丸っこく、後ろ姿には独特の愛嬌がある。外骨格も骨も噛み砕く顎は鋭くも強靱で、人間 の足に似たほっそりとした下両足はいつ見ても悩ましい。人型昆虫はどれも同じだと言う者もいるだろうが、カメリー は彼女以外の人型テントウムシには何も感じなかった。実際、七瀬と知り合った後に何人かの人型テントウムシと 会ったが、七瀬から感じ取った扇情感は全くなかった。だから、七瀬だけが特別だ。カメリーは七瀬を食べてしまい たいと思っている以上に、七瀬を愛している。

「そういえば、俺、なんで七瀬が好きなんだっけね」

 背中をずり下げて顔の下半分を湯に浸したカメリーは、七瀬と付き合うようになるまでの経緯を思い返した。

「好きだから、好きなんだっけな」

 カメリーが七瀬と出会ったのは一年半前のことで、当時のアルバイト先のスーパーに七瀬が採用された。カメリー は情報屋の仕事が途絶えていたので、食い繋ぐためのアルバイトなので本腰は入れていなかったものの、要領は 悪くないので店長から気に入られてしまい、勤務経験が浅いのに七瀬の教育係にされてしまった。最初はカメリーも 気が進まなかったが、店長に連れられてやってきた七瀬を見た途端、その気になってしまった。高校の制服の上に 店名入りのエプロンを付けた野暮ったい格好ではあったが、一秒と立たずに好きだと思った。その時はまだ恋だと 思わず、生理的にしっくり来る相手だから好意を抱いたのだと思いながら七瀬に接した。七瀬は口が悪く冷ややかな 性格だが、仕事となればきちんとこなし、すぐに業務を覚えて精力的に働いた。しばらくは一緒に働いていたが、 情報屋の仕事が舞い込んできたので、カメリーは本業に戻らざるを得なくなった。辞めることは全く惜しくなかったが、 七瀬と別れるのが惜しくなり、辞める前日に七瀬を呼び止めて簡潔に言った。
 俺、君が好きだわ、と。辞める直前になってカメリーはようやく七瀬に対する感情を恋だと自覚したから、言った。 バックヤードから店内に出る途中だった七瀬はしばらく考えた後、別にいいっすよ、と短く答えた。それから二人は アドレスを交換し、なんとなく付き合いを続けてきて今に至るわけだが、今日、急変してしまった。

「あんなに迫られちゃあ、ねぇ……?」

 カメリーは足の間からだらしなく伸びた尻尾の先を丸め、左右に振った。

「その気が大してなくても、ならざるを得ないっていうか、なっちゃうべきかもしれないって思うけども」

 だが、押さえるべきところは押さえよう。今日、あれだけ抱き締めたのだから、充分満ち足りたはずだ。

「あう……」

 いい加減に上がろう、とカメリーは湯船から出たが、体温が上がりすぎて血圧も上がって頭がふらついた。

「ああん、もう……」

 余計なことを考えすぎたせいで、のぼせてしまったようだ。脱衣所でしばらく冷ましてから寝間着を着た。それでも まだ体温が高いので、脱衣所にある洗面所で顔の火照りを誤魔化してから、カメリーは風呂場を出た。
 居間に戻ると、七瀬は風呂に入る前と変わらずにテレビの前に座っていた。カメリーが風呂から上がってきても、 振り向きもしなかった。冷ややかな反応に落胆と安堵を同時に感じながら、カメリーは冷蔵庫を開けて酒を出そうと したが、躊躇した。この状況で一杯引っ掛けるのはさすがに拙いだろう。冷蔵庫を閉じてから、水切りカゴに伏せた コップを取った。熱気で乾いた喉に冷水を流し込んでから、カメリーが七瀬に近付くと、七瀬は振り向いた。

「なあ」

「なあに?」

 カメリーが七瀬の隣で胡座を掻くと、七瀬は爪先で顎を引っ掻いた。

「思い出すなーって言った手前、言うのはなんだけど、その、どう思ったよ?」

「何をよ」

「……だから、あー、その」

 七瀬が口籠もると、カメリーは尻尾をゆらりと振った。

「そりゃあ、嬉しいものよ。ああやって大っぴらに求められるのも、悪い気はしない」

「でも、さぁ」

「そりゃあね、俺はそういうのが苦手よ。こういう性格だもの。でもね」

 カメリーは七瀬に顔を寄せ、ぐりんと両目を動かして彼女に据えた。

「相手によるね」

「じゃあ、その、私が噛んだのは」

「怒らない怒らない。怪人だから傷なんてすぐ治るから、いくらでも噛んでちょうだい。でも、痛いのは勘弁してね」

「うん……」

 珍しく萎れた七瀬は、声色を下げた。カメリーは目を左右に動かして躊躇った後、七瀬の肩に手を置いた。

「俺のこと、そんなに好き?」

「好き、っていうか」

 七瀬はカメリーの手を払うべきか否かを迷ったようだが、結局払わずに上両足で下両足を抱えた。

「今まで、そういうのが全然解らなかった。好きだ嫌いだってのは意味としては理解出来るんだけど、その男が好き だってだけで色んなことが出来る心理っていうか、理由っていうかが、さっぱり掴めなかったんだよ。だから、どうして 美花があそこまで戦えたのか解らなかったんだ。駅前広場で大神君達と戦っているところを見ていても、採石場で セイントセイバーと戦っているところを見ても、やっぱりそうでさ。凄いな、とは思うけど、それだけで」

「今は解るのね」

「大体は。ホルモンがどばーっと出たら、なんかのスイッチが入ったみたいでさ」

「それは良かったと思う? 悪かったと思う?」

「半々。理解出来たのは良かったけど、正直嬉しくない」

「なんで?」

「だって」

 七瀬は拗ねたような声を発し、背を丸めて俯いた。

「面白くないんだよ、全部。あんたは私のことを知っているだろうけど、私は全然知らないし。昔に何の仕事をしてた とか、どんな女がいたかとか、今いくつなのかとか、とにかくもう全部が面白くないんだよ。知らないところがあるのが 嫌で嫌で嫌で、体液じゃなくて内臓の辺りが焼けそうなぐらいに嫌なんだ」

「んじゃ、教えてあげる。俺ね、今年で二十九なの。思ったよりも若いでしょ」

 カメリーが言うと、七瀬は顔を上げた。こんなに早く教えられるとは思っていなかったので驚いたらしい。

「あ……うん。どう見ても三十過ぎだし」

「昔はね、俺、物書きっていうかフリーライターを目指していたのよ。でも、見ての通り性格が変だったのと、能力が 能力だったもんで、中学高校とハブられまくっちゃっててねぇ。んで、中学はほとんど行かなくて、高校だって最初の 数日しか通わなかったかな。何年かぶらぶらしてたんだけど、それじゃダメだって思って別の高校に入り直したの。 あ、ちなみに二番目の高校にはナメクジ怪人のナクトシュネッケっていうか中村君が通っていたのね。だから、年下 だけど同級生なのよ。その高校を出て、ちゃんと専門学校に入って、その道の人に弟子入りしたはいいんだけど、 その道の人と相性が悪すぎて追い出されちゃったのよ。でも、追い出される前に一通りのことは教えてもらったし、 新聞記者とも知り合いになっていたから、情報筋を掴む方法も教えてもらったのよ。だけど、その道の人に嫌われ すぎちゃって、大抵の出版社に根回しされちゃって、俺が書いた記事は乗っけてくれなかったの。その後にも色々と 挫折することがあって、なけなしのプライドも自信もなくなっちゃったのね。そんな時に思い出したのが、俺って幹部 クラスの怪人だったってこと。んで、思ったのよ。今までに覚えてきたことを上手く使えば、情報屋として生きていける んじゃないかって。で、色んなヒーローと悪の組織の間を擦り抜けて生きて、辿り着いたのが我らがジャールよ」

「知らなかった」

「教えなかっただけよ。知られても、面白いものでもないしね」

「そうでもない」

 七瀬はおずおずとカメリーに体重を預け、縮めていた下両足を伸ばした。

「教えてくれて、嬉しい」

「そう?」

「ていうか、そうじゃなかったら、こんなにハズいこと言わないし」

「俺も嬉しいね。七瀬が喜んでくれたから」

 カメリーが七瀬の頭をぽんぽんと軽く叩くと、七瀬はむず痒そうに触角を曲げた。

「でも、やっぱり足りない。全然足りない」

「はいはい。お姫様は何をご所望で?」

 カメリーが茶化すと、七瀬は照れ隠しに顔を背けた。

「……続き」

「聞くだけ野暮だね、それは」

 意味を察したカメリーは七瀬を向き直らせ、顔を寄せた。

「他には何かある? あれば言ってごらんよ。夜は長いし、明日は俺はお休み、いくらでも時間はあるのよ」

「あるとは思うけど、すぐには言えない」

「解った解った、じっくり待つとしますよ。言ってくれる時が来るまでね」

「あ、それと」

「うん?」

「名前さ、怪人のじゃなくて、本名で呼んでもいい? 怪人のだと余所余所しいっていうか、他人行儀っていうか」

「もちろんよ。止める理由があると思う?」

 カメリーは七瀬を引き寄せ、三本指の手で彼女の丸い頭部を柔らかく挟んだ。

「でも、しおらしいのは、俺の前だけにしてね?」

「あんた以外じゃ、こうはならないよ。ていうか、なるわけがない」

 七瀬はカメリーの両手に上両足の爪を添え、僅かに食い込ませた。

「凄く変な気分。でも、苦しくない。痛くない。体液は煮えるほどじゃないけど、腹の底から生温くなってくる」

「それが恋よ。俺が言うのもなんだけど」

「そっか、恋なのか」

「そうそう、そうなのよ」

「でも、初めてって感じじゃない。理解したから強く感じるようになっただけで、きっと、ずっと前から」

「嬉しいねぇ。嬉しすぎて、全部食べちゃいたくなるじゃないの」

「だからって、足の一本も喰わせないからな」

 冷たい肌と外骨格が触れ、重なり、温度が混じり合い、暖房に緩まった室温よりも冷たい体温同士が馴染んだ。 ひび割れた緑色の肌に覆われた手で黒く艶やかな外骨格の足を絡め取り、押さえ付けると、畳に横たえる。蛍光灯 の白い光がカメリーの背に遮られ、七瀬が陰って外骨格も複眼も光沢が衰えるが触角は動いていた。その触角を 先細りの口で触れてから、カメリーは七瀬の硬く噛み合った顎をなぞって、彼女の意志で開かせた。虫を絡め取る ための粘液がまとわりついた舌を出し、開いた顎の中に滑り込ませると、七瀬の細い舌が伸びてきた。喰われる者 と喰らうべき者の体液が混じり、七瀬の顎の端から溢れた滴が畳に滴り落ち、一点だけを濡らした。たっぷり時間を 掛けて愛してやってから、カメリーがぬるりと舌を抜くと、七瀬は顎を閉じて上右足で顎を拭った。

「冷てぇ」

「そりゃ、トカゲだもの」

「でも、悪くない。つか、気持ち良いかも」

 七瀬は起き上がり、カメリーの裾を掴んだ。

「あんたはどうなの、えっと、その……竜吉」

「最高よ」

 カメリー、もとい、竜吉は笑みを零し、長い舌を口中に収めた。

「七瀬にだったら、俺は填っちゃってもいいと思う」

「填る? って、何を?」

「俺自身をよ。ああ、やっぱり好きだわ、七瀬が。大好き。愛してる」

 七瀬の体液の味に浮かれた竜吉が甘ったるい言葉を並べると、七瀬は照れすぎて怒った。

「言い過ぎだ馬鹿野郎!」

 何言うんだ、ハズい、死ぬ、と小声で漏らす七瀬の背を見、竜吉は勝手に緩んでしまう顔を押さえられなかった。 だが、事実なのだから仕方ない。人間のそれとは異なるキスの味は、舌を絡め、体液を混ぜ合った快感が濃厚だ。 いつまでも味わっていたかったが、七瀬の味はぬるりと喉を滑り落ち、胃の中で飲んだばかりの水と混じった。竜吉 の言葉にまだ照れている七瀬の背に覆い被さり、抱き締めながら、竜吉は久々に呼ばれた名を噛み締めた。
 カメリーは巻尾竜吉ではない。嫌なことばかりだった巻尾竜吉の過去を捨てるために、カメリーとだけ名乗った。 自分自身の姿をどれほど変えることが出来ても、内面ばかりは変えようがなかったから、名前を捨てることにした。 そうすれば、いずれカメリーと巻尾竜吉の立場が裏返り、巻尾竜吉の本来の姿がカメリーになるのだと思っていた。 だが、そんなことはなかった。やはり、自分は自分なのだ。七瀬には、誰でもない巻尾竜吉を好いてほしい。
 美しい七瀬。愛おしい七瀬。狂おしい七瀬。彼女を腕に収めていると、竜吉の流動体のような心が定まる。もしも 世界が手に入るのならば、七瀬を中心に据えてしまおう。そして、世界の形を七瀬のそれに変えてしまおう。正義も 悪も溶かして、捕食者と被捕食者の境界も溶かして、七瀬と竜吉以外の形を定めることのない混沌の世。
 それが、竜吉の目指す世界征服だ。







09 12/2