南海インベーダーズ




メカニカル・プレイヤー



 脳がひりつき、血管が荒く脈打つ。
 ゴーグルと一体のヘッドギアを付けた伊号は、朝食の後に流し込んだ鎮静剤が回るのを待っていた。海上基地内は ただでさえ機械まみれなので、何もせずにいると電磁波で気が狂いそうになる。目の奥が鋭利に抉られるような 痛みが紛れていくと、ほっと呼吸を緩めた。ヘッドギアのスピーカーからは、最高責任者の声が聞こえてくる。

『いいかい、伊号』

 包み込むような暖かさを持った、柔らかく奥深い壮年の男の声。

『頭の良い君のことだから、衛星写真を見て解ったと思うが、敵はパトリオットミサイルに似た長距離兵器でこちらを 狙っている。俯角から計算しても間違いない。第一波、第二波と、航空部隊が出撃するが、彼らは君ほどの精度は 持ち合わせていない。よって、失敗することは目に見えている。だから、君の力で迎撃してくれたまえ』

「そんなん、どうってことねーし」

 ゴーグルの内側を駆け抜ける情報の羅列を視認しながら、伊号は片頬を吊り上げた。

『良い答えだ、伊号。広域攻撃に掛けて、君に勝る力の主はいない。頼りにしているよ』

「……当然だし」

 伊号は軽い口調で返したが、感覚がないはずの背筋がぞくぞくした。変異体管理局局長である男、竜ヶ崎全司郎 は声も言葉も優しさに満ち溢れている。信頼されるのが心地良く、頼りにされると全力で応えたくなる。自分以外は 興味を抱かない伊号であっても、竜ヶ崎だけは別だ。命の恩人であり、この能力を見つけ出してくれたのだから。
 伊号が変異体管理局に引き取られた切っ掛けは、母親から首の骨を折られたことだった。伊号を産んだ母親は、 夫とは親子ほど歳が離れていた。しかし、母親は遊び足りなかったらしく、歳の離れた夫にさっさと見切りを付けて ホストに貢いだり、頭が空っぽな若者を銜え込んでばかりいた。伊号の幼い頃の記憶はそんなものばかりで、母親 の下品な声と若い男の汚らしい笑い声が記憶にこびり付いている。父親は伊号を可愛がろうとしたようだが、物心 付いた頃には手も繋いでくれなくなり、触れられた記憶がほとんどない。母親も母親で、男遊びをするために邪魔に なる伊号を虐げ、父親が金を渡してくれない苛立ちを晴らしていた。そんなある日、留守番をさせられて寂しかった 伊号は母親に甘えようと縋り付いたが、ピンヒールを履いた足で思い切り横っ面を蹴り飛ばされた。左側頭部には、 細長いヒールで頭皮を削られた傷跡が今も残っている。ごぎ、と細い頸椎が折れる音も、頭皮から耳を伝って首筋 に伝う血の生温さも、ぶつんと神経が切れた感触も、ありありと思い出せる。母親は気絶した伊号を放って遊びに 出掛けたが、仕事を早めに切り上げて昼頃に帰宅した父親に見つけられ、病院に搬送されたが、途切れた神経は 繋がらなかった。意識が戻った伊号が、痛みと寂しさと怖さで泣き喚いて身動きしようとしたため、折れた頸椎の中で 辛うじて繋がっていた部分が千切れてしまったからだった。その後の記憶はぼやけているが、これだけははっきりと 覚えている。伊号を狭いベッドの上から救い出してくれた、竜ヶ崎全司郎の素晴らしい言葉を。

『君はとても良い子だよ。平和のために、役に立ってくれるね?』

「当たり前すぎだし」

 今日もまた、その言葉を言ってくれた。伊号は胸を弾ませ、口元を綻ばせた。竜ヶ崎との通信が切れると、伊号は 声を殺して笑った。手足が動くのなら、顔を覆って足をばたばたさせていただろう。嬉しすぎて、なんだか照れ臭い。 緩んだ顔を他人に見られるのは恥ずかしいので、伊号はひとしきり喜びを噛み締めてから、いつものような表情を 作った。だが、頬の辺りが独りでに持ち上がるのは止めようがなかった。
 伊号の脳波操作で遠隔操作室の窓を塞ぐシャッターが上がり、東京湾が視界一杯に広がった。管制塔よりも高い 位置にある部屋の窓からは、元は高速道路だった滑走路に整然と並ぶ戦闘機が一望出来た。前回の出撃で何機 も爆砕させたF−15は新たに配備されていて、何事もなかったかのように軍備は整っている。そのためにどれほど の金が動き、どれほどの人間が利潤を得、どれほどの人間が犠牲になっていたとしても、伊号に何の関係もない。 日本政府にとっての伊号は多少の維持費は掛かるが使い勝手の良い兵器の一つであり、人的損失を減らすため に有効なものだからだ。もちろん、その中に伊号は含まれていない。たとえ、脳内出血を起こして死亡しても、備品 が一つ減った、ぐらいにしか思われない。世の中、そんなものだ。
 轟音と熱風を撒き散らしながら、F−15の編隊が滑走路から滑り出ていった。伊号は瞬きをして即座に人工衛星と 接続し、回路と電波の中を入り乱れる情報を絡め取った。先日、何らかの理由で日本の光学衛星が忌部島付近に 墜落してしまった影響で取得出来る映像は減っているが、他国の監視衛星を利用すれば特に問題はない。その ための許可は内密な外交取引で取り付けてあるし、足りなければ別の国家の人工衛星から情報を掠め取ればいい だけのことだ。誰にとっても解りやすい悪であるインベーダーに対しては、どんな国も打算混じりだが協力的だ。
 F−15のパイロット達が管制室と交わす通信を聞き流しつつ、伊号は何の気成しに乙型一号の情報を探り出して みた。同じ生体兵器だが用途が違うと言うことで存在以外は隠されているし、山吹も秋葉も乙型一号に関しては口が 硬い。だから、隠し通されると逆に気になって仕方なくなった。他の回線を経由してデータベースに侵入して易々と セキュリティを突破し、乙型一号に関するファイルを探り当てた。変異体管理局内の内線を利用しているので、通信 履歴が残っていようとも大した問題にはならない。せいぜい、伊号が使ったIDの職員が懲戒解雇になるぐらいだ。

「ん……」

 伊号のゴーグルの内側に、見覚えのある顔写真が表示された。乙型生体兵器一号、旧名斎子紀乃。その少女の 名と顔は、政府公報で知っている。元々は一般人であり、万が一国内逃亡されたら困るので、その存在を国民全体に 知らしめるために行われた措置だ。一般人ではあったが世間との接点が皆無だった伊号や呂号、元から変異体 管理局内で生まれ育った波号には無縁だ。羨ましいとは到底思わないが、乙型一号だけが特別扱いされたようで ちょっとだけ面白くなかった。乙型一号、斎子紀乃。十五歳。区立中学校三年生。テニス部所属。

「こらこら」

 すると、いきなりヘッドギアのケーブルが引っこ抜かれ、伊号はぎょっとして首を捻った。背後には、いつのまにか 入ってきた山吹が立っていた。ケーブルをくるくると巻き取った山吹は、首を横に振った。

「これまでの手柄で懲罰はチャラになっているとはいえ、全部が全部チャラになるってわけじゃないんすからね。そこ んとこ、ちゃーんと覚えておかないとダメっすからね。いくら俺達だって、庇い切れないんすから」

「てめぇ、何しに来やがった!」

 情報の採取を中断させられて苛立った伊号が喚くと、山吹は巻き取ったケーブルを床に投げた。

「お目付役っすよ、お目付役。むーちゃんははーちゃんの御世話に忙しいから、俺が寄越されたんすよ。そしたら、 案の定ってーわけっすよ。乙型一号についての細かい情報を規制してんのは局長なんすから、イッチーもその辺は 弁えてほしいっすね」

「局長が?」

「そうっす、最高責任者からの命令っす。だから、俺達みたいな現場の人間は従うしかないんすよ」

「局長が……」

 伊号は焦げ付いたような苦味を胸中に感じ、眉根を顰めた。ちょっと面白くないと思っていた乙型一号の扱いが、 物凄く面白くない、にまでほんの一息で跳ね上がった。指先が動けば膝を叩いただろうし、つま先が動けば足置き をだんだんと踏み鳴らしていただろう。だが、そのどちらも出来ない伊号は唇を噛み締めただけだった。

「あ、出るっすよ」

 山吹が指すと、F−15の編隊が発進した。機体が空中に放たれた瞬間に発生した暴風が窓を揺さぶり、びりびりと 震えた。震動に波打った電波のノイズに眉根のシワを深くした伊号は、盛大に舌打ちした。その音に山吹は肩を 竦め、マスクの下で何事かぼやいたが、聞き取るつもりはなかった。どうせ、山吹には伊号の気持ちなど解らない。 へらへら笑ってやり過ごして、秋葉といちゃついて、伊号らの御機嫌取りに忙しいだけの男に、解ってほしいとすら 思わない。伊号は深呼吸して血中酸素を上げてから、一点集中した。
 海上基地に配備された、パトリオットミサイル発射機に。




 にわかに船上が騒がしくなった。
 暇潰しにミサイルの外装にペンキで落書きしていた紀乃は突然鳴ったサイレンに驚き、手元が狂って書き損じた。 ブリッジの扉が開き、ゾゾが現れた。水素化合物の推進剤を詰め込んだミサイルを慎重に並べていた小松も手を 止め、ミーコも彼に向いた。ゾゾは一度ブリッジに戻ってサイレンを止めると、再度北側の空を注視した。

「レーダーに反応です。前方五百キロ地点に高速に移動する物体が八機、戦闘機の編隊ですね」

「そのミサイルで迎撃するの?」

 紀乃がゾゾの傍に下りると、小松が立ち上がった。

「いいや、それは出来ない。俺の作ったミサイルは七発しかない、無駄には出来ない」

「じゃ、どうするどうするスルスルスルスル?」

 飛び跳ねるようにブリッジ近くまでやってきたミーコに、ゾゾは尋ねた。

「ミーコさんの手玉はこの近くにおられますか?」

「いないいないナイナイナーイ」

 ミーコは首を横に振りながら、手をばたばたと揺らした。

「じゃ、決まりだ。紀乃、お前がやれ」

 小松のマニュピレーターが紀乃を示すと、ミーコがはしゃいだ。

「やれやれやれレレレレレレ!」

「それは良い考えですね、小松さん。紀乃さんでしたら、戦闘機の編隊ぐらいでしたら楽に止められるでしょう」

 ゾゾまでもが頷いたので、紀乃は慌てた。

「ちょっ、それ無理! ていうか、戦闘機なんてデカくて速いのなんて、私の力じゃ止められないよ!」

「頭は使いようだ」

 と、小松が半球状の頭部をがつんと叩いたが、紀乃は俯いた。そんなことを言われても、戦闘機を止める方法を 思い付くわけがない。だが、こうしている間にも戦闘機の編隊は迫りつつある。ミサイルは発射に手間が掛かるので、 この近辺の海域に近付けてしまってはせっかくの計画が台無しだ。必死に知恵を絞りながら空を仰いだ紀乃は、 やっと思い付いた。スペースデブリの流れ星を降らせた時のようにすれば、なんとかなるかもしれない。

「ゾゾ、また手伝ってくれる?」

 紀乃がゾゾに向くと、ゾゾはにんまりした。

「紀乃さんからの頼みでしたら、いくらでも」

「この前、流れ星を降らせた時みたいにしたいの。あの時は上に力を向けて衛星軌道上に届いたんだから、今度は 平たく広げれば届くと思うんだ。範囲が広すぎるから精度が落ちるだろうけど、追い返せればそれでいいんだし」

 紀乃が手を差し出すと、ゾゾは紀乃の手をとても大事そうに両手で包み込んだ。

「ええ、そうですとも。殺す必要はありません」

「じゃ、行くよ」

 紀乃は深呼吸して、ゾゾの冷たく分厚い手から伝わる感覚に集中した。脳波だ何だのと言われてもピンと来ないが、 要するに集中力の問題だ。目を閉じると、紀乃の精神的な皮膚感覚と言うべき感覚が一気に拡大した。物体に 触れずに動かす力は、手で触れていないだけで心では触れている。ただ、それが外側から見れば物体に触れずに 動かしているように見えるだけだ。ゾゾの手の感触が遠のき、無数の波の揺らぎと絶え間ない風の間に広げた感覚が 神経を刺してくる。海と空に這わせるように自分を膨らませ、膨らませ、膨らませた先に、質量と熱量の固まりが 三角形の編隊を組んで飛行していた。それらに感覚を届かせると、熱い金属に触れたように手が跳ねた。

「熱っ!」

 紀乃は一度目を開いたが、捉えた感覚は外さず、今はまだ目視出来ない編隊を見据えた。

「えーと、エンジンって、水を入れたら壊れるよね?」

「壊れる。間違いなく」

 ミサイルの尾翼を微調整している小松が即答したので、紀乃はにいっと口元を広げた。

「よおし!」

 広げていた感覚を収束させた紀乃は、質量と熱量の固まりの目前に水柱を立ち上げた。余波で海面が波打って、 ぐわんと船体が上下したが、集中力の妨げにはならなかった。一度相手を掴めると、最早、目に見える。手探りで はなく、実際に手で触れているのと同じなのだから。紀乃は水柱を凝結させて大量の海水ごと引っ張り上げ、先頭の 機体の機首を掴んだ。突如噴出した海水に動揺したパイロットの表情も見えたが、緊急脱出したことを確認して から、紀乃は先頭の機体のエアインテークに海水の固まりを押し込んで故障させ、墜落させた。
 続いて二機、三機、四機、五機、六機、と次々にエンジンを故障させて落としていくが、訓練されたパイロット達は すぐさま脱していった。第一波の戦闘機を全て落とした紀乃は、緊張のあまりに滲み出してきた汗をセーラー服の袖で 拭って呼吸を整え、第二波の編隊から放たれる衝撃破を感じた紀乃は、緩めていた感覚を再び高めようとしたが、 第二波の上を駆け抜けてくる暴力的な熱量と質量を捉えて目を剥いた。

「ん、な?」

「どうかしましたか、紀乃さん?」

 ゾゾが訝ると、紀乃はゾゾの手を離して力を引っ込めた。

「ごめん、これは無理!」

 凄まじい敵意が漲り、痺れを伴う何かを纏った、巨大な凶器。戦闘機から脱出した自衛官に当たらないかどうかと 懸念を抱きながら、紀乃は目をこじ開けて北側に向いた。ゾゾも紀乃を通じて感じたらしく、瞼を狭めて睨んだ。

「……早い」

 ぎちっ、と舌打ちのように首の関節を鳴らした小松がミサイルを庇うと、船の前方数キロにミサイルが着弾し、海面を 赤く膨らませて爆砕した。紀乃は咄嗟に爆風を凌いだが、突発的な高波が起きて船体が揺さぶられ、ぎいぎいと 悲鳴を上げた。波と飛沫が収まってから、紀乃はサイコキネシスの防御壁を解除してへたり込んだ。

「いやはや、面白いですねぇ」

 ゾゾは紀乃の背を支えながら、にたりと口元を緩めて太い牙を覗かせた。

「ああ、面白い」

 小松の声色も、心なしか上擦っていた。

「面白い」

 波をまともに被ったミーコはびしょ濡れの髪を掻き上げ、男のように低い声を発した。

「は、はははは、ははははははは」

 尖った敵意と明らかな殺意に、排他的な憎悪。今までで一番強くそれを感じ、紀乃はゾゾの腕の中で引きつった 笑い声を上げた。紀乃がここにいようといまいと関係なしに、頭から否定して殺しに掛かって来ている。頬をなぞった 水滴は海水だと認めてから、紀乃は感覚と神経を焦がさんばかりの熱と爆発の衝撃破が抜けるのを待った。人間は 殺さないが、こうなったら手加減はしない。馴れ馴れしく肩に回されたゾゾの手を退かしてから、紀乃は立った。
 敵意を抱かれるのならば、抱き返してくれる。





 


10 7/10