南海インベーダーズ




建設的工作活動



 最初にすることは、もちろん基礎工事だ。
 ゾゾと忌部に手伝ってもらって設計図を紙面に起こし、細部を突き詰めてから、以前から目を付けていた場所の 地面を掘り起こした。ハルケギニアを大量に捕食した口であり、小松の工作場である擂り鉢状の土地から程近い、 海が一望出来る高台だった。吹き曝しでは台風が来た途端に吹き飛ばされてしまうので、背の高い木々に囲まれて いる場所を選んだ。四角く区切った地面を均等に掘り起こしてから、自重で地固めを行った。珊瑚礁と火山灰の島 なので土が軟らかく、踏み締めても踏み締めても硬くならない。こんなところに建てて大丈夫かな、と一抹の不安が 過ぎったが、工事を始めてしまったのだから後戻りは出来ない。第一、ここに決めたのは自分なのだから。

「おーい」

 海に面した斜面側から紀乃の声が掛かったので、小松はメインカメラを向けた。

「砂利、このくらいでいい?」

 小型の漁船を器にして砂利を運んできた紀乃は、木材の傍にそれを置いた。

「足りると思う」

 紀乃が持ってきた砂利の量を確かめてから、小松は地固めの作業に戻った。

「えーと、次はなんだっけ?」

「鉄骨を持ってきてくれ。コンクリートを作るのはその後だ」

「りょーかーい」

 紀乃はふわりと浮かび上がると、小松の工作場に向かって飛んでいった。家の基礎工事に使えそうな鉄骨は先に 選別してあるので大丈夫だと思うが、錆だらけの鉄骨を持ってしないか心配になる。地固めはきちんとしなければ、 せっかく家を建てても沈んでしまうので、小松は地固めに集中した。見ているばかりで実際にやったことはなかったが、 やってみると案外出来そうな気がしてくる。だが、事を急いてはし損じる。一つ一つ、慎重に進めなければ。

「その様子だと、いつもの工作遊びじゃなさそうだな」

 足音と共に近付いてきたフンドシが声を発したので、忌部だと解った。

「最初が肝心だ。特に家は」

 小松は作業の手を止めずに返し、地盤の硬さを確かめた。

「手慣れているみたいだが、建てたことあるのか?」

「いや。練習していただけだ」

 忌部に基礎を覗き込まれたので、小松はメインカメラを心持ち逸らした。出来には多少の自信があるが、途中を 見られるのはなんだか恥ずかしい。忌部のことは、苦手でもなければ嫌いでもない。根暗すぎて掴み所のない甚平 よりも、もう少しはやりやすそうな相手だからだ。忌部らしき宙に浮くフンドシは物珍しげに基礎を覗き込んでいたが、 小松を見上げたらしく、フンドシの位置が少しだけ上がった。

「で、どんなのを建てるつもりなんだ?」

「普通のだ」

「だから、どういう感じに普通なんだ?」

「そこまで言うほどのことか?」

 面倒なのと気恥ずかしさの延長で、小松はぞんざいに言い返した。忌部は加工済みの木材に腰を下ろした。 

「俺も手伝ってやったじゃないか、図面を起こすのを。無関係だとは言わせん」

「大半はゾゾだ」

「ゾゾの製図は恐ろしく正確だったからな。上手い方に任せるのが普通だ。だが、文字の場合はそうもいかなかった。 あいつに書かせたら、数字一つ取っても別の星の言葉になっちまって、読めやしなかったんだ。だから、今度は それを俺が日本語に直してやってだな」

「……見るだけならいい。触るなよ」

 小松が渋々答えると、忌部は足を組んだらしく、フンドシの布地が曲がった。

「どうせ俺は釘の一本も打てないんだ、手出ししやしないさ。本来の仕事を全うするだけだ」

「ミーコはどこにいる。朝から見当たらないんだが」

 基礎を六本足で踏み締めながら小松が問うと、忌部は肩を竦めたらしく、透き通った影が動いた。

「知らんな。あれの行動パターンは把握出来ないから」

「そうか」

 安心出来るが、なんだか寂しい。小松は頭部を一回転させてミーコの姿を探したが、視界のどこにも彼女らしき姿は 映らなかった。怪鳥のような奇声も届かず、砂浜も穏やかで、島全体が平和そのものだ。ミーコが姿を消すのは あまり珍しいことではないが、いなければいないで落ち着かなかった。小松は満足するまで地固めしてから、その上に 砂利を敷き詰め、更にそれを踏み固めた。砂利の地固めが終われば、次は木枠で囲んで鉄骨を入れて、最後に コンクリートを流し込んで固めれば出来上がりだ。コンクリートの材料も既に揃っているし、ゾゾに合成してもらって ある。基礎が完成したら、次は島の木を切り倒して作った木材を組み合わせ、家を建てるのだ。
 都子が住みたがっていた、海が見えるログハウスを。




 他人事ながら、楽しくなってくる。
 ゾゾは人数分のおにぎりを握りながら、音程が外れすぎて完全な別物と化している鼻歌を零していた。小松が家を 造り始めたのは昨日からで、紀乃も手伝いに駆り出されている。仕事を中断して廃校に帰ってきて食事を摂るのは 面倒だろう、ということで、差し入れるためのおにぎりを作っていた。使っているのは、もちろんあの粗塩だ。
 おにぎりと漬け物を竹の皮で包み、適度に冷ましたドクダミ茶が入った水筒を揃えたので、現場に後は持っていく だけだ。甚平とミーコの分は冷蔵庫に入れておいたが、何も言わずに出ていくのは良くないだろう。そう思ったゾゾは、 丹念に手を洗ってからエプロンで拭いて居間兼食堂を後にした。ゾゾが寝起きしている職員室と隣り合っている 部屋、図書室の引き戸を開けると、湿り気のあるカビ臭さが鼻を突いてきた。どれほど換気しても、古い本を次から 次へと引っ張り出されてはカビ臭くなって当然だ。だが、甚平の趣味をとやかく言うのも良くない。彼には彼の世界 があるのだから。離島の学校の割に内容が充実している本棚の間を抜けると、薄暗い隅っこで甚平が本に鼻先を 突っ込んで読み耽っていた。魚眼だから、近眼気味なのだろう。

「甚平さん、お昼は冷蔵庫に入れておきましたからね」

 ゾゾが話し掛けると、甚平はびくっと身震いしてから、恐る恐る鼻先をページから出した。余程熱心に読んでいた のか、灰色の分厚い肌は埃っぽくなっていた。

「あ、う、はい」

 消え入りそうな声で返した甚平は、ゾゾの目線から逃れようとするかのように再び本に顔を埋めた。

「何か、面白いものでもありましたか?」

 ゾゾが近付くと、甚平は尻尾を上げて一瞬後退ろうとした。だが、行き場がないのでその場に止まった。

「あ、その、島の郷土史、みたいなのがあったんで、それを」

「郷土史、ですか」

「あ、う、えっと、いけなかった、かなぁ」

 甚平は気まずそうに大きな肩を縮め、背ビレの付いた背を丸めた。

「いえいえ、そんなことはありませんよ。いかなることでも、興味を抱かれたのでしたら知るのが一番ですとも」

 ゾゾが目を細めると、甚平はほっとしたのか背中が少しだけ伸びた。

「それで、何かお解りになりましたか?」

 ゾゾは膝を付き、甚平と目線を合わせた。いかつい外見と反比例して臆病な青年は、ヒレの付いた手でぺらぺらと 焦り気味にページを捲ってから、ゾゾと目を合わせるか合わせまいか迷うように視線を彷徨わせた。

「あ、え、旧仮名遣いだから、ちょっと読みづらいけど、読めないことはないっていうか」

「それで?」

「う、あ、う……」

 黒板の前で教師に急かされた生徒のように臆した甚平は、本で顔を覆い隠し、不明瞭に答えた。

「う、うぅ、うんと、その、この島って、なんていうか、その、歴史が変っていうかで」

「具体的には?」

「え、え、えと」

 甚平は足元に置いた本を開いてべらべらとページを捲り、内容を確かめてから、自信なさげに言った。

「ええと、その、まず、切り開かれた時代が変、っていうか……。移民が住み着いた年代が古いはずなのに、えと、 その、歴史そのものが薄いっていうか……。それと、ますます変なのは、集落が東西にあって、学校まであるのに、 あるはずの砲台も海軍基地も戦闘機の残骸も見当たらないっていうかで……」

「調べたのですか?」

「調べた、っていうか、まあ、寝付けないから夜中に散歩をしている時に、ちょっと疑問に思ったんで。で、集落とか 廃校の周りを見てみたけど、零戦の一つもないのはおかしいよなぁ、って。えっと、忌部さんの話が本当なら、この 島は第二次大戦前に政府に徴集されているから、沖縄や小笠原諸島みたいに激戦区になっていないのも変だなぁ って……。まあ、うん、そんなことをいちいち考える僕が変なんだけど……」

「変だと思われたら、その次はどうなさいますか?」

「へ」

 思い掛けない言葉だったのか、甚平は元々丸っこい目を更に丸めた。ゾゾは瞬きし、甚平を真っ直ぐ見据えた。

「なぜ驚かれるのですか? 甚平さんの着眼点は素晴らしいものですよ。変でも何でもありませんとも」

「か、関係ないから調べるな、とか、言われるかと思ったんで」

「いえいえ、そのようなことはありませんよ。世の中のあらゆる物事は、御自分に関係しておりますとも」

「じゃ、じゃあ、その」

「ええ、思う存分お調べなさい。そして、考えて下さい。この島では、我々はどこまでも自由なのですから」

「自由って、うん、自由、なんだなぁ」

 甚平は古ぼけた本を宝物のように抱きかかえ、口の端を緩めて凶悪な牙を零した。

「そうだよな、うん、そうだよなぁ。浪人しちゃったせいで、家じゃ勉強しかさせてもらえなかったし、図書館に行っても そうだったから、うん、凄く自由だよなぁ」

「宇宙にあまねく知的生命体は自由であるべきなのです。ですが、自由と無秩序を履き違えてはいけませんよ」

 ゾゾがもっともらしく頷くと、甚平は尻尾を仰け反らせた。

「あ、そ、それは、僕が、その、誰とも付き合わないのを」

「いえいえ、そうではありませんよ。食事時に、私達と食卓を囲んで下されば良いだけです」

 ゾゾが眺めに瞬きすると、甚平はほっとしたのか尻尾をだらりと垂らした。

「あ、はい、それくらいなら」

「では、私はこれで。心行くまで、この島の歴史に浸るとよろしいですよ」

 ゾゾは一礼し、機敏な動作で背を向けて歩き出した。甚平はすぐさま本の世界に戻り、本棚の隅っこに大柄な体を 押し込めてページの間に鼻先を突っ込んだ。その様子を微笑ましく思いながら、ゾゾは尻尾をゆったりと振りながら 板張りの廊下を歩き、四人分の昼食を風呂敷に包んで水筒をぶら下げ、昇降口から外に出た。襲い掛かってきた 日差しで眩んだ目の上に手を翳して歩き出すと、一際背の高い木の枝に座っているミーコが見えた。彼女は小松の 工事現場をじっと見ているが、向かおうとはしなかった。ゾゾの視線に気付いたのか、ミーコは素早く枝を蹴り上げて 跳躍すると、手近な木の枝を足掛かりにして森に飛び込んでいった。枝葉のざわめきが遠ざかってから、ゾゾは 工事現場に向かった。ミーコの行方は気にならないわけではなかったが、手を出さない方が良さそうだ。
 ミーコにもミーコの都合があるのだから。





 


10 8/2