南海インベーダーズ




強襲的追憶峠



 対小松建造作戦は、思いの外早く実行に移された。
 都合の良いことに、その小松建造が本土に向かってきているからだ。小松の移動手段は自力でも船舶でもなく、 前回同様、斎子紀乃のサイコキネシスによる高速移動だった。小松自身の重量があるからか、ゾゾを連れていた 時に比べると速度は格段に下がっているが、それでもマッハ一は出ている。相変わらず、尋常ではない。
 サイボーグボディの上に防護服を纏った山吹は、整備員達が忙しなく動き回っているハンガーを一歩引いた場所 から見ていた。大型コンテナに積み込まれる全長五メートルの機体は地味なアーミーグリーン一色だったが、山吹 の注文でノーズアートが施されていた。Defeat the Invaders!インベーダーを倒せ とデフォルメされた英文字が左上腕の装甲に踊り、 高感度の広角カメラと聴覚センサーを備えた頭部の左側面には、I Love AKIHA! と、秋葉を愛しているとの文字も 書き加えてもらった。最初はいかにもノーズアートらしく、アニメの美少女をリアル調にした美女でも描いてもらおうと 思っていたが、さすがに公務でそれはまずいと思い直して方向性を修正したが、これはこれで士気が上がる。何は なくとも、勝とうという心意気が大事だ。これって死亡フラグすぎるよなぁ、と思いつつも、山吹は防護服のポケットを 探ってビロードの小箱を取り出した。

「丈二君」

 ハンガーの騒音に掻き消されかねないほど控えめな声が、山吹の背に掛かった。

「あ、わ」

 山吹は慌てて小箱をポケットに戻すと、いつのまにか背後に立っていた秋葉に向き直った。

「心配」

「大丈夫っすよ、むーちゃん。ロッキーの援護もあるっすし、俺一人の作戦じゃないんすから」

 山吹は膝を曲げて秋葉と目線を合わせると、秋葉は不安げに眉を下げた。

「でも」

「俺は地上最強のサイボーグっすよ、そう簡単に死ぬわけがないじゃないっすか。つっても、俺以外にサイボーグが いないってだけっすけどね」

 山吹が軽口を叩くと、秋葉は強張っていた頬を少しだけ緩ませた。

「帰りを待っている。だから、どうか無事に」

「ちゃっちゃと終わらせて、すぐ戻ってくるっすよ」

 山吹はマスクを秋葉の頬に当て、ハンガーから搬出される人型軍用機を追って駆け出した。秋葉は名残惜しげに 見つめていたが、踵を返して管制室のある本部へと戻っていった。ゴーグルの端で彼女の後ろ姿を捉えていたが、 山吹は歩調を早めた。行き交う自衛官達から敬礼されたので山吹も軽く敬礼を返したが、現場監督官だった時とは 明らかに態度が違っていた。それもそうだろう、年端もいかない少女達を酷使して給料をもらっている自衛官崩れ ではなく、試作機に乗って最前線で体を張る兵士になったのだから。これぞ、山吹が望んでいた世界だ。

「山吹監督官」

 装甲車の傍でエレキギターをチューニングしていた呂号は、採光ゴーグルを伏せたまま、山吹を呼び止めた。

「ロッキー、乙型一号が現れたら、またギンギラギンのステージを頼むっすよ」

 山吹が笑いかけると、呂号はぎゃらりと弦を軽く撫でた。

「それぐらい解っている。僕の仕事だ。あいつの音は悪くないが気に入らない。乙型一号は嫌いだ」

「士気が高いのは結構っすけど、国防ってのは私情でやるもんじゃないっすよ」

「私情じゃない。私怨だ」

 呂号は修復が済んで新品同様になったエレキギターを手のひらでさすり、滑らかな塗装に指を這わせた。

「今度は力を封じるだけでは済まさない。発狂させてやる」

「だーかーらー……」

 山吹は呂号を諌めようとしたが、輸送班から呼び付けられたのでそちらに向かった。呂号は愛用のエレキギターを 傷付けられたのが腹に据えかねているらしく、十数台の戦闘車両のエンジン音に負けない音量でリフを奏でた。 その心境は解らないでもないが、オーバーキルされては困る。山吹が搭乗する人型軍用機試作一式が搭載された トレーラーと並んでいる同型のトレーラーは、コンテナそのものが広域音波発生器のスピーカーに改造されていて、 ミサイル型アンカーの広域音波発生器に比べれば適応範囲と威力は劣ってしまうが、対地戦闘でも充分に呂号の 能力を発揮出来る。問題があるとすれば、呂号の精神状態だ。乙型一号、斎子紀乃に対する復讐心だけではなく、 伊号に対する優越感も混じっているような気がする。

「面倒なことにならなきゃいいんすけどねぇ」

 山吹は人員輸送用のトレーラーに乗り込み、シートベルトを締めた。先頭車両が発進して間もなく、山吹の乗った トレーラーも発進した。呂号は広域音波発生器の管制設備を備えたトレーラーに搭乗しているので、後続車両だ。 先日のデートと同じように川崎側の海底通路に入った戦闘車両の列は、順序よく走り、小松と紀乃の予測到達地点に 向かった。今回は海上基地ではなく本土を狙うようだが、都心ではない。直進していけばあきる野市に到着するが、 目的が不明瞭だ。渋谷のように略奪をするなら、わざわざ郊外には出ない。かといって、破壊活動してもあまり意味が ない場所だ。だが、敵の目的が何であれ、阻止するのが変異体管理局の仕事だ。

「あきる野、って」

 実家からは遠くもなければ近くもなく、縁もゆかりもないが、何か引っ掛かる。山吹はトレーラーの鈍い震動に身を 任せながら、記憶を反芻した。よくそんな遠いところから毎日毎日。時間が出来るからその分予習も出来るし、本も 好きなだけ読めるから。定期代とかスッゲェのな。うん、それは仕方ない。じゃあバイトとかしてんの。ううん、それは ダメなの。そんなに親が厳しいんだ。そうなの、変なところだけ厳しいんだ、うちって。
 在り来たりの会話と、学生時代の自分の口調。周りに合わせて作っていたから、無理をしていた。素に戻れる時は 家族や秋葉の前ぐらいなものだったから、彼女の前でも作っていた。それらしく振る舞うのを求められていたから、 格好もそれらしくして、肩の辺りに腕を伸ばして。

「あぁ……」

 腕を伸ばして、宮本都子の肩に手を回すふりをした。秋葉にもしたことがなかったことを強要されて、形だけでいい からと言われ、登下校の時間を合わせ、休み時間も一緒に過ごして、休日になれば待ち合わせて出かけて。
 宮本都子の定期券には、あきる野市内の駅名と高校の最寄り駅の駅名が印刷されていた。上っ面だけで中身の ない会話を長引かせるための話題でしかなく、本当に都子のことを知りたいわけではなかった。むしろ、知るのは嫌 だった。クラスメイトとはいえ、秋葉ではない女性の情報を頭に詰め込みたくなかった。けれど、仕方なかったのだ。 頼まれてしまったのだし、秋葉に気が引けるようなことはしなくていいと都子も言ってくれた。
 山吹は流されていた。秋葉が好きだ好きだと思うくせに、都子から利用されていると知っていたくせに、小松建造 をひどく傷付けていると解っていたくせに、中途半端な立ち位置に収まっていた。どちらに転んでも悪い結果にしか ならないのに、なぜか不安は抱かなかった。それどころか、良いようになるだろうと訳の解らない楽観視をしていた。 そして、この様だ。格好悪いなんてもんじゃない、情けない、恥ずかしい、馬鹿馬鹿しい。
 だから、今度は自分を据えて戦い抜く。小松にどんな事情があろうが、紀乃が同情に値する身の上の少女だろうが、 お構いなしに叩き潰す。Defeat the Invaders! の文字が伊達ではないことを見せつけてやる。
 そして、秋葉に結婚を申し込むのだ。




 マッハ一で一気にかっ飛ばすと、さすがに疲れた。
 紀乃は良く冷えたコーラを胃袋に流し込みながら、血糖値が下がりに下がった嫌な感覚を味わっていた。パワー 重視でサイコキネシスを使うと、体力があっても血糖値が恐ろしい勢いで減っていく。いつもならば、ゾゾが熱中症と 低血糖対策に黒砂糖をくれるので凌げているのだが、小松に攫われるような形で忌部島を飛び出してしまったから ろくな準備が出来なかった。おかげで、甘いものが食べたくて食べたくてどうしようもない。

「お腹空いたなぁ。でも、今日はお金を持ってきてないしなぁ」

 紀乃はハーフパンツのポケットに手を突っ込むが、手応えはなかった。

「だが、なんとかなる」

 前面を引き剥がした自動販売機を傾けた小松は、転がり出てきた缶ジュースを紀乃に投げた。

「コンビニ強盗でもしろっての? そりゃ、血糖値はヤバいけど」

 このままでは、最悪、貧血を起こしかねない。紀乃はサイコキネシスで缶ジュースを受け止めると、コーラを開けて 喉を鳴らして飲んだ。だが、強盗をしようにも、肝心のコンビニが見当たらない。紀乃はガードレールにもたれ、セミの 声が降りしきる山林を見渡した。小松の巨体は細い道路を完全に塞いでしまい、対向車が来てしまったら面倒な ことになりそうだ。手回しの良い変異体管理局が早々と封鎖していたら、杞憂に終わるだろうが。
 小松の案内で飛んできたはいいが、ここがどこなのかは定かではなかった。都心から西に逸れて、都道に沿って 移動して降下した。高尾山にでも行くのかと思ったが、高尾山よりも少々北側の山中に降りた。そして、自動販売機を 見つけたので、喉の渇きを癒して血糖値も上げることにした。小松が早々に壊したので、一円も使っていないが。

「あっつー……」

 紀乃はスポーツキャップを脱ぎ、ばたばたと振って気休めの風を送った。気温だけなら、緯度が低い忌部島の方が 高いだろうし、暑さの質も違うだろう。だが、四方が海なので風通しがやたらに良いせいか、東京のような湿気は 感じずにいた。以前は鬱陶しいなと思う程度だったが、久々に感じると耐え難い蒸し暑さだった。

「あーんもういやー、べっとべとじゃーん」

 朝早く風呂に入ったのに、もう台無しだ。紀乃は肌に貼り付くTシャツに辟易し、首筋を曝した。

「しかも蚊が来る!」

 汗の匂いに反応したらしく、あの耳障りな羽音が近付いてきた。手で潰すよりも早いので、サイコキネシスで一匹 ずつ撃ち落とすが、一匹倒した傍からまた現れる。一つでも喰われたら集中力が削げるどころの話ではないので、 紀乃は血糖値の低下で今一つな感覚を強引に広げ、周囲の草むらに潜む蚊を一匹残らず押し潰した。

「お前、面倒だな」

 小松が他人事のように笑うと、紀乃はむくれた。

「当たり前じゃん、人間なんだもん。こういう時はずるいよねー、機械の体って」

「ずるいって、何が基準だ」

「なんでもいいじゃん」

 紀乃はカルピスを呷ってから、小松の足に寄り掛かった。冷たくて気持ち良いからだ。

「で、小松さんはこんな山の中に何をしに来たの? その辺説明してくれないと、私も動きようがないんだけど」

「風見鶏だ」

 小松は頭部を半回転させ、細い道路が伸びる山頂を見上げた。

「それを取りに行く。持って帰って、あの家に飾る。そうすれば、あいつは怒らない。たぶん」

「うん、解った。で、その風見鶏はどこにあるの?」

「この山の上だ」

「だから、山の上のどこ?」

「忘れた」

「はあ!?」

「だから、これから探す。俺一人じゃ無理そうだから、手伝え」

「うっわー、超有り得ないんだけど」

 顔を引きつらせた紀乃は、カルピスの残りを飲み干し、空き缶が溢れ返っているゴミ箱に放った。

「ここまで来ちゃったなら仕方ないし? やることやって帰らないと意味ないし? 変異体管理局に捕まってまた白い 部屋に閉じ込められるのは本気で嫌だし? 腹括るしかないかー」

「すまん」

「そう思うんだったら、もうちょっと具体的に話してよね。甚にいも口下手だけど、小松さんのはベクトルが違うわ」

「そうか?」

「そうだよ」

 紀乃は喉の奥に迫り上がった炭酸をやり過ごしてから、良い機会だから一言言っておこうと口を開けた。すると、 その小松が急に姿勢を変えたので背中から足が外れ、熱したアスファルトに転げてしまった。何事かと見上げると、 小松の頭越しに騒音を撒き散らしながらヘリコプターが通り過ぎていった。サイズも小型で武装もないので、偵察用 といったところだろうか。考えるまでもなく、変異体管理局の差し金だろう。

「上に行くぞ。埋めたのは山頂の植林地だってことは覚えているんだ」

 小松が多目的作業腕を差し伸べてきたので、紀乃はその腕を足掛かりにして操縦席の屋根に上った。

「言った傍からこれじゃ、先が思い遣られるなぁ」

 小松は捜し物の場所を忘れているし、変異体管理局は早々にやってくるし、おまけに空腹だ。飲み干したジュースが 膀胱まで下ってくるのも、十五歳の少女としては由々しき問題だ。戦闘中に催してしまったら、と思うと、蒸し暑い のに鳥肌が立つほど恥ずかしい。こんな山の中に公衆トイレがあるとも思えないし、変異体管理局がトイレに行く暇 を与えてくれるわけがない。二本も飲むんじゃなかったなぁ、とコーラとカルピスで膨れた胃袋をさすりつつ、紀乃は 小松の足を浮かせて細い道路を楽に進む手助けをした。その間にも、着々と水分は下がってきていた。
 これは本当にまずい。





 


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