南海インベーダーズ




可及的復興活動



 変異体管理局海上基地、人型軍用機専用格納庫。
 整備員達から敬礼を受けながら、秋葉は真っ直ぐに歩いていた。左手には人型軍用機に関する資料が詰まった 分厚いファイルを携え、背筋を伸ばして進む。機械油臭さはどことなく彼を思い起こさせ、胸が苦しくなったが、今は それどころではないのだ。鉄骨が剥き出しの天井には機体整備用のレールが身を横たえ、多種多様の整備道具が 配置され、コンクリート製の床にはラインが引かれている。排気ダクトはごおごおと唸りを上げて濁った空気を吸い、 吸気ダクトからは新鮮な空気が送り込まれていた。少し冷たい人工の風を浴びた秋葉は赤茶色の長髪を押さえ、 人型軍用機の量産機に並んで待機している彼と対峙した。

「乙型生体兵器五号」

 秋葉は背後に控えている整備主任に向き、指示を出した。

「管理者権限により、通常起動を許可する」

「了解しました、田村現場監督官補佐」

 整備主任は答え、他の整備員らに命じて起動準備を開始させた。秋葉は薄くグロスを塗った唇を引き締めると、 乙型生体兵器五号・電影を仰ぎ見た。全長五メートルの人型軍用機であり、以前山吹が対小松戦で使用した機体と 同等のスペックを備えている。量産機との区別を付けるために武骨なミリタリーグリーンの外装にはノーズアートが 施され、胸部装甲に真っ白な筆文字で 電影 とあり、左肩には真新しい機体識別番号が目立っていた。無機質な マスクフェイスに二百七十度を一度に認識出来る広角型カメラを内蔵したゴーグル、同じく乙型生体兵器の虎鉄と 芙蓉を援護するために近接戦闘を目的とした両腕の装備があり、胸部に空いていた搭乗者用の空間に耐熱仕様に されたコンピューターが搭載されている。乙型生体兵器一号・斎子紀乃から押収した勾玉を集積回路として使用 したこの世に二つとしてないコンピューターで、あらゆる能力が地球上で製造されたコンピューターを凌駕している。 だが、それはあくまでも紙の上でのことであり、性能を実戦で反映させなければ数字の羅列に過ぎない。

「乙型五号、通電完了しました。間もなく起動します」

 整備員の一人が報告すると、電影のゴーグルが淡く発光した。ぶぅん、と耳に馴染み深いハードディスクの唸りが 漏れ聞こえてくると、電影はビンディングで固定された腕をぎしりと軋ませ、喋った。

「……うきみそーちー」

「言語ソフトに異常がみられる。直ちに正常化措置を」

 秋葉が整備主任に目をやると、整備主任は苦笑した。

「非常に説明しづらいのですが、これは異常ではないんです。なんと言いますか、その、個性のようなもので」

「珪素回路を集積回路として使用し、製造されたコンピューターに個性が生じるとは思いがたい」

「ですが、何度デバッグを行っても、プログラム自体を入れ替えても、部品を交換しても、どうしてもこのクセだけが 直らないんです。やれるだけやったのですが……」

 整備主任は余程困っているのか、秋葉から心持ち目を逸らしていた。

「うんじゅやたーやいびーんか?」

 電影は自由の利く首を動かし、秋葉を見下ろした。秋葉は瞬きしてから、平坦に述べた。

「あなたの言語中枢には致命的な欠陥がある。現状のままでは、任務遂行に際して重大な相違が発生しかねない。 よって、速やかな対処が必要となる」

「あ、あのぅ」

 すると、整備員の一人が挙手した。

「発言を許可する」

 秋葉がその若い整備員に振り向くと、彫りの深い顔立ちの青年は言った。

「俺、そいつの言っていること、解ります。電影は沖縄訛りなんですよ。俺、そっちの出身ですから」

「では、通訳を」

「了解しました」

 秋葉の指示を受け、その青年は敬礼した。秋葉は今一度電影に向き直り、問い掛けた。

「乙型五号、電影。あなたは私が誰か認知しているか」

「うんにゃ。初対面やいびーん」

「いいえ、初対面です」

 と、沖縄生まれの青年が同時通訳した。

「では、電影は自分がどういうものであるかを認識出来ているか」

「うー。わんわ兵器やいびーん」

「はい。私は兵器です」

「では、国防のためにインベーダーと戦うことを厭わないか」

「うー。だぁやむーちーろん」

「はい。それはもちろん」

「現時刻をもって電影は、この私、田村秋葉現場監督官補佐の直属の乙型生体兵器となる。異存はないか」

「ねーらんやいびーん」

「ないです」

「では、これから、本国を侵略せんとするインベーダーについての情報を譲渡する」

「了解しましちぇん」

「了解しました」

 沖縄生まれの青年が敬礼すると、電影もビンディングで固定された右腕を上げようとした。

「整備主任。電影の拘束を解除、格納庫内での自由行動を許可する。電影は我らに従順だ」

 秋葉が言うと、整備主任は不安げだったが、整備員達に秋葉の言う通りに指示を出した。ビンディングを固定する ボルトが緩んでシリンダーが抜け、首筋に接続されていたケーブルも抜け、電影は自由を得て一歩を踏み出した。 最初の数歩は辿々しかったが、すぐに動作に慣れて秋葉の前に膝を付いた。慎重に差し伸べられた右手は大きく、 山吹の手の数十倍はあった。秋葉は電影の手に指を掛けながら、笑みを向けるべきか躊躇したが、警戒されない ためにと微笑んでみせた。電影は発声装置からかすかなノイズを漏らし、指を曲げてきた。ひとまず、今日のところは 電影との意思の疎通を図り、訓練を始めるのはそれからだ。会話のたびに沖縄生まれの青年に通訳してもらう のでは大変なので、沖縄訛りを標準語に近付けるために言語ソフトの調整もしなければならない。仕事は多いが、 遣り甲斐はある。山吹に頼れない分、自分がしっかりしなければ。秋葉が電影の直属の上官になるのは容易いこと ではなかった。現場監督官補佐はあくまでも補佐であり、管理職としての権力は薄い。それを補うためにいくつかの 試験をクリアして、局長である竜ヶ崎全司郎からの許可も得たが、本番はこれからだ。
 忌部と翠への隔離措置の見解の違いを切っ掛けに、山吹と秋葉は擦れ違ってしまった。甲型生体兵器の三人と 接する時は共に過ごし、彼女達には異変を悟られないように気を付けているが、どこまで誤魔化せるものだろうか。 いずれ和解しなければ、とは思うものの、自分の意見を変えるのは簡単ではない。良くも悪くも他人に優しい山吹の 意見も充分理解出来るが、それだけではやっていけない立場にいるのだ。同僚だったから、というだけで、忌部の 扱いを緩和するのは悪いことだ。相手は人間のようで人間でないミュータントであって、人類に重大な危害を加える 可能性を持つインベーダーなのだ。忌部島に隔離しているのもそういった理由があるからであり、変異体管理局の 本分は、国家を守るための盾となることだ。それを個人の些末な感情でねじ曲げてしまっては、無意味極まりない。 山吹の心情がどうであろうと、それが秋葉の信念だ。

「どうかしちゃんぬやいびーん?」

 電影は首を傾げ、秋葉を覗き込んできた。秋葉は電影の手のひらに腰を下ろすと、ディスクを出した。

「大丈夫、問題はない。これより、第一級機密情報の譲渡を開始する。各種無線を遮断せよ」

「了解やいびーん」

 電影はもう一方の手で敬礼すると、秋葉を肩まで持ち上げた。秋葉はストッキングが伝線しないように気を付け、 電影の肩装甲の上に座った。電影は秋葉が座った側である左側頭部の外装を開き、ディスクスロットを曝し出した ので、秋葉はその中にインベーダーに関する情報を満載したディスクを入れた。程なくして電影は読み込みを始め、 集中しているのか、遠くを見るようにゴーグルを上向けた。秋葉は制服の内ポケットから私物の携帯電話を取り出し かけたが、押し戻した。山吹の声が聞きたい、話がしたい、抱き合いたい、キスがしたい、愛し合いたい。けれど、 山吹に頼らずに戦おうと決めたのは自分だ。携帯電話から指を離すことすらも名残惜しかったが、今、執心 すべきは直属の部下の電影だ。沖縄訛りだからか、彼の合成音声には不思議な暖かみがあった。
 山吹の声と同じように。




 開き直ってしまえば、どうとでもなるものだ。
 程良い温度に暖まったドラム缶風呂に浸かりながら、紀乃は寝起きの頭を覚ましていた。簡易風呂場の周囲には 目隠しとしてのシートが張られているが、屋根がないので上から見れば丸出しだ。最初の頃は、それが気になって 気になってどうしようもなかったが、一週間もすると慣れてしまった。サイコキネシスでドラム缶の足元に置いてある 手桶を浮かばせた紀乃は、ドラム缶の中から湯を掬って髪の上から掛けた。寝汗で濡れた髪と地肌が流されると、 気分が一段と良くなった。ドラム缶から出た紀乃は、石鹸代わりのぬか袋で肌を丁寧に擦って汚れを落としてから、 もう一度手桶で湯を掬って体を洗い流した。良く乾いたタオルで肌と髪を拭ってから、下着を身に付け、ジャージを 着込んでからスニーカーを履いた。簡易風呂場から出た紀乃は、掘っ立て小屋の傍で朝食の支度をしているゾゾに 駆け寄った。石を組んで造ったかまどの上では、鍋と釜が白い湯気を昇らせている。

「ゾゾ、今日の朝御飯はなあに?」

 紀乃が近寄ると、何度見ても似合わないエプロン姿のゾゾは笑みを返した。

「それは食べてのお楽しみですとも」

「紀乃ちゃん、お風呂空いた? いた? いた? いた?」

 掘っ立て小屋から出てきたのは、人間らしい表情を取り戻したミーコだった。

「うん。冷める前に入ってきた方が良いよ、ミーコさん。気持ちいいんだから」

 紀乃が答えると、ミーコは着替え一式を抱えて簡易風呂場に向かった。

「じゃ、朝御飯の前にちょっと入ってくるね、ね、ね、ねー」

「いってらっしゃーい」

 紀乃は椅子代わりの丸太に腰掛け、ミーコの背に手を振った。ゾゾも手を振っていたが、鍋の蓋を開けて中身を 掻き回した。適度な食欲と共に精神安定をもたらす味噌の匂いが広がり、辺りに漂う。紀乃はタオルで髪を拭い、 一息吐いてから目線を上げた。現在、皆が暮らしている建物は、廃校の残骸を小松が組み合わせて建ててくれた 掘っ立て小屋である。屋根は廃校のトタン屋根を流用しているので雨漏りもなく、壁の板も古いが厚く、ガラスは なくとも窓は付いているし、男女の空間を仕切っているのは薄い布だけだが、雨風を凌げるのだから文句は言えない。 小松だけはこれまでと同じく体育館の中で寝起きしているが、巨大化した翠が暴れた影響で構造自体が危うくなって いるので、人型多脚重機である小松でなければとてもじゃないが暮らせない。
 虎鉄と芙蓉の襲撃から、一週間が経過した。虎鉄の鋼鉄化能力によって小松が固められ、芙蓉の液状化能力に よってガニガニとミーコが溶かされ、日差しの下に曝された翠は巨大化し、廃校を破壊し尽くした。変異体管理局の 判断によって忌部と翠はインベーダーとなり、忌部島で暮らすこととなった。ガニガニがいなくなってしまったことには 慣れたくないし、ミーコが帰ってきたのだからガニガニもいずれ、と願っているが、いつになってもその気配はない。 ゾゾとその友人である彼を信じるといった手前、疑う言葉は口にしないが、紀乃の心中には不安が尽きなかった。 だが、ガニガニのことばかりを考えているわけにはいかない。まずは生活を立て直すのが最優先事項だ。

「おはよう」

 掘っ立て小屋の立て付けの悪い引き戸が開き、中身が空っぽの作業着が出てきた。忌部である。

「あ、うん、おはよう」

 忌部に隠れるようにして出てきたのが、サメ人間の甚平だった。

「おはようございます、忌部さん、甚平さん」

 ゾゾはかまどから薪を抜き、火を弱めてから二人に向いた。

「おはよう」

 紀乃は二人に挨拶すると、忌部は掘っ立て小屋から離れた木に顔を向けたらしく、襟が動いた。

「ゾゾ、翠はどうしている」

「至って御元気ですよ。私は日の出の一時間前に起きましたけれど、翠さんはその時間まで外でお針子をなさって おられましたしね。カーテンも、順調に仕上げておられましたよ」

 ゾゾは七輪に炭を入れ、かまどから火の付いた木切れを取り出して火種を入れた。

「それと、翠さんは紀乃さんの寸法を知りたいと仰っておりました」

「私の? なんで?」

 紀乃がきょとんとすると、ゾゾはにんまりした。

「翠さんと一緒にやってきたコンテナの中には浴衣が何枚もあるそうなので、紀乃さんに合わせて仕立て直して下さる おつもりなのですよ。実に素晴らしいことではありませんか」

「気の利いた話だな」

 四人の頭上に影が掛かり、給油を終えた小松が見下ろしてきた。

「紀乃。今日の作業工程は昨日の続きだ。基礎は完成し、柱を組み、外壁を張ったが、配管と配線が手付かずだ」

「うん、解った。でも、図面はもうちょっと解りやすくしてくれないかなぁ。あれ、読みづらいんだもん」

 紀乃が小松を見上げると、小松は単眼のようなメインカメラを開閉させた。

「俺の図面は充分解りやすいじゃないか。解らないのであれば、それは解ろうとしていないからだ」

「素人相手に専門用語で書く奴があるか」

 忌部は透き通った手に包帯を巻き、輪郭を作りながら苦笑した。

「あ、まぁ、うん。で、その、今日もまた、僕の仕事は」

 会話に混じろうか混ざるまいか迷いながら、甚平はゾゾに尋ねた。ゾゾは甚平に向き、頷いた。

「昨日と同じく、食料調達をお願いいたします。忌部さんは畑仕事ですからね」

「ああ、解っている。畑が荒れちまったら、後が大変だからな。いくら南の島って言っても、冬が来ないわけじゃない。 だが、校舎の再建が終わったら、二度と服なんか着ないからな。服も包帯もクソ喰らえだ」

 自虐と自嘲を交え、忌部は包帯に隠した頬を引きつらせた。

「透明人間でもちゃんと服を着てくれていた方が、うら若き乙女の精神衛生上良いんだけどなぁ」

 紀乃が顔をしかめると、甚平が頷いた。

「あ、う、うん。えっと、その方が、どこにいるのか解りやすいっていうか、やりやすいっていうかで」

「建ちゃーん! タオル忘れたぁー!」

 すると、簡易風呂場からミーコが悲しげな声を上げた。

「自分で取りに来い、そんなもん」

 小松は面倒そうにメインカメラのシャッターを開閉させるが、ミーコの悲痛な叫びは続いた。

「やだやだやだぁ、恥ずかしいじゃない! でもって、建ちゃんじゃなきゃ嫌ー! やー! やー! やー!」

「……紀乃」

 小松は救いを求めるように紀乃に向くと、紀乃はタオルを浮かばせ、小松のマニュピレーターに引っ掛けた。

「いってらっしゃーい」

「どいつもこいつも面倒臭いな」

 小松はぼやきながらも、六本足を動かして簡易風呂場に向かった。ゾゾは笑いを噛み殺し、忌部は鬱陶しげにし、 甚平は目を向けるか否かを迷った末に足元を見つめた。愚痴を零しながら小松が簡易風呂場の中にいるミーコに タオルを投げ渡そうとすると、ミーコが飛び出して小松に突っ込んだ。おわあ、との小松の裏返った悲鳴に重なる ように、ミーコの感極まった声が聞こえてきた。建ちゃん建ちゃん建ちゃん建ちゃん建ちゃあん、と。女王寄生虫が 再生したことで理性を取り戻しても根本的な部分は変わらないらしく、全裸のミーコは小松の頭部にくっついている。 小松はミーコを引き剥がそうとマニュピレーターを上げるが、水気を帯びた肌に触れそうになった途端に引っ込めた。 これもまた最初の頃は戸惑ったが、今となっては日常の一部なので、紀乃はにやけついでに笑ってしまった。
 平和な朝の始まりだ。





 


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