南海インベーダーズ




湾岸怪獣騒動



 嵐が収まらない。
 数日前に発生した台風が通り抜けた影響で、忌部島近海も荒れていた。空は鉛色に濁り、風は鋭く暴れ、海水浴 など出来るわけもない。紆余曲折を経て完成したばかりの新校舎から海辺を見つめていたが、紀乃はげんなりして 項垂れた。虎鉄と芙蓉による襲撃の後からは、日々働き詰めだった。朝から晩まで超能力を使いっぱなしで、肉体 労働とは違った意味で疲れてしまった。小松とミーコと紀乃がそれぞれの能力をフルに発揮したおかげで新校舎 は破壊されてから二週間ほどで再建出来たが、仕事はいくらでも残っている。翠の地下室も新たに頑丈なものを作る 必要があるし、忌部島周辺の警戒も強めておかなければならないし、夏の盛りを過ぎて収穫量が減りつつある野菜 を長期保存用に加工しなければならないし、他にも細々とした事柄がある。だから、尚更、翠と海で遊びたかった。 彼女の体質上、月明かりの下での海水浴になるだろうが、それはそれで素敵ではないか。それなのに、突発的に 発生した台風が忌部島の真上を通り抜け、日本列島へと突き進んでしまった。

「泳ぎたかったなぁ、翠さんと」

 紀乃は波の高い海を見下ろし、唇を尖らせた。

「夏の盛りは過ぎましたが、この島は常夏なのですから、いくらでも機会はありますよ。そう気を落とさずに」

 以前と変わらぬ造りの台所から出てきたゾゾは、冷えたドクダミ茶の入ったヤカンを手にしていた。

「しかし……これはいかがなものか……」

 以前よりは少し広くなった居間兼食堂に設置されたテーブルの上で、忌部らしき薄い影が水着を睨んでいた。

「えー、いいじゃーん。私が着るとサイズぴったりだけど、翠さんが着るとグラビアみたいにギリギリになるんだから、 最高じゃない。目の保養ってやつだよ」

 紀乃はゾゾから渡されたドクダミ茶を飲みつつ、サイコキネシスでビキニの上下を忌部から奪い取った。

「ねえゾゾ?」

「え、えぇと、私からはなんとも……」

 紀乃から同意を求められ、ゾゾは口籠もった末、甚平に向いた。

「ねえ甚平さん?」

「あ、う、え?」

 テーブルの隅で読書に没頭していた甚平は、急に話を振られて戸惑い、窓の外にいる小松に向いた。

「あ、いや、その、僕は、えと、いや、うん……。ね、ねえ、小松さん?」

「俺に聞かれても困るんだが」

 メインカメラのシャッターを半分閉めた小松が鬱陶しがると、その足の上に座っているミーコが笑った。

「きゃはははははははははははっ! そうだよそうだよ、だよ、だよ、だよー、建ちゃんは朴念仁だもーん」

「せ、せめて、こう、普通なのはないのか? ワンピースのやつとか」

 妹の肌を衆人環視に曝されることを危惧した忌部が紀乃に詰め寄ると、紀乃はビキニを丁寧に折り畳んだ。

「ないよ、そんなの。渋谷に買い物に行った時、せっかくだから今まで着たことがない水着を買おう、って胸に誓って 選んだ末に買ったやつだから、大胆なのばっかりなんだもん。まあ、私が着る時には上にキャミを着るんだけどね。 翠さんほど胸がないから、ビキニを着たって貧相なだけなんだもん」

「キャミソールのサイズは翠には合わないだろうが、さすがにパレオの一枚ぐらいはあるだろうが」

「パレオ付きはないかなー。ホットパンツがセットになっているのはあるけど、翠さんってゾゾみたいに立派な尻尾が 生えているから、パンツの類は履けない……。って、ああ!」

 と、突然紀乃は声を上げ、忌部に詰め寄り返した。

「てぇことは何、翠さんってデフォルトでノーパンってこと!? 着物だし! 何それ超エロい!」

「お前がそれを知ってどうするんだよ」

 事実だけどさ、と忌部が呆れながら付け加えると、紀乃はにやけた。

「だってさぁ、スタイルのいいお姉さんって女の目から見ても素敵なんだもん。色々と知りたくなっちゃうもんよ」

「その気持ちは全力で理解出来るが、この辺にしておいてくれないか」

 忌部が紀乃の肩を叩くと、紀乃はきょとんとした。

「なんで? 純情可憐な翠さんといちゃいちゃするのって楽しいじゃん」

「俺の大事な妹と仲良くしてくれるのは結構なんだが、あっちのトカゲも忘れないでやってくれ」

 忌部は輪郭すら朧な手を挙げ、居間兼食堂の片隅で打ちひしがれているゾゾを示した。 

「いえ……いいんですよ、忌部さん。お気遣いなく。紀乃さんがそういう方面がお好きだと言うのでしたら、私からは 何も言いませんし、それはそれで可愛いなぁって思いますし、それもまた自由なのですから……」

 ゾゾは手を横に振ったが、その仕草は脱力しきっていた。広い背中は甚平のように丸まり、尻尾は情けなく垂れ、 悲哀が滲み出ていた。周囲に誰もいなければ、エプロンの端でも噛んでいたに違いない。

「私、なんか勘違いされてる?」

 紀乃が頬を引きつらせると、ミーコがまたも笑った。

「されてるされてる、てる、てる、てるぅー。気付くの遅いなぁ、紀乃ちゃんは」

「あ、あのねぇゾゾ、私は翠さんが好きだけど、決してゾゾが思っているような好きじゃなくってねぇ!」

 それは良くない、と紀乃は釈明しようとするが、ゾゾはつんと顔を背け、涙声で言い返した。

「どうか私にはお構いなく! 紀乃さんは翠さんと手に手を取って百合の花が咲き乱れるお花畑をキャッキャウフフと スキップなさっていればよろしいんですぅっ!」

「だーかーらぁー!」

 紀乃は困り果て、他の面々にも手助けを求めようと見回すが、皆が笑い転げていた。忌部はフンドシを小刻みに 震わせ、甚平は古びた本の間に尖った鼻先を突っ込み、ミーコは小松の外装をばんばんと叩いて笑い、小松までもが 噴き出して排気筒から黒い排気を撒き散らしていた。しかし、ゾゾは紀乃が翠に恋していると思い込んだままで、 紀乃がどれほど説明しようとも納得してくれなかった。確かに、翠が忌部島に住むようになってからは翠に構いがち だった。外界での暮らしに慣れていないからというのもあったが、同性の友達が出来たのが嬉しすぎたからだった。 だから、クラスの女子同士のノリの延長で翠とべたべたして、校舎と共に新築した風呂場にも毎晩のように一緒に 入り、夜も遅くまで話し込み、昼間も翠の話題ばかりを話してしまった。それでは勘違いされても仕方ない、とは 思うが、そこまでいちゃいちゃしすぎたのかな、と紀乃は恥じ入った。ゾゾはすっかり拗ねてしまい、単眼を伏せて 自嘲の言葉を吐き続けている。翠に対する感情に恋愛感情はないと釈明した後も、ゾゾの機嫌を戻すまでが大変そうだ。 いつもとは逆の立場になってしまったが、こればかりは超能力でも解決出来ない問題だ。
 なんとかしなければ、今夜の夕御飯が台無しだ。




 変異体管理局海上基地、人型軍用機格納庫。
 案外、早く機会が訪れたものだ。秋葉は迅速に最終点検を行われている電影を見上げながら、今一度、頭の中で 状況を整理した。太平洋南洋で発生し、北上した台風が関東一円に暴風雨をもたらした翌朝、東京湾上に奇妙な 漂着物が浮かんでいた。さながら肉塊のような赤黒い物体で、全長は五十メートルもあり、海底から浮上したらしく 不法投棄されたゴミやヘドロなどの堆積物が大量に付着していた。インベーダーによって作られた巨大生物なのか、 或いはインベーダーと関係のある無機物なのか、それとも新手のミュータントなのか、いずれにせよ人類に害を もたらすものであることには違いなく、上陸前に破壊するのが良策とされた。そして、その謎の物体を破壊する任務を 命じられたのは、チームを組んだばかりの秋葉と電影だった。訓練は重ねてきたが実戦経験はなく、謎の物体が 万が一襲い掛かってきたら対処しきれるとは限らないが、真波が秋葉と電影に任務を命じたからにはそれ相応の 成果を期待されているということだ。信頼に値する戦果を上げるには、実に丁度良い機会だ。

「こぉんな木偶の坊、役の立つのか解らないのよね」

 秋葉の背後で液体が渦を巻き、人の姿に成り、芙蓉が姿を現した。

「全くだ。どうして俺らに命令を下さないんだ、主任は。俺と芙蓉は前回の戦闘で成果を上げたじゃないか」

 芙蓉に続いてやってきた虎鉄は、不満げに腕を組んだ。

「私と電影は、主任の判断に従うのみ。あなた方の戦果と今回の任務には何も関係性がない」

 秋葉は手元の書類をめくろうとすると、芙蓉がにゅるりと体を伸ばしてヘルメットを被った顔を突き出してきた。

「あら、それはどうかしら? こういう仕事は、成果主義なのよね。実戦経験もない秋葉ちゃんと木偶の坊ちゃんが、 まともに戦えるだなんて誰も思っていないのよね。だから、私達に譲ってくれるべきなのよね」

「任務の譲渡は認められない」

 秋葉は芙蓉に構わずに書類を見ようとすると、虎鉄が指を添え、書類とファイルを平坦な鉄塊に変えた。

「だったら、なかったことにしてやるだけだ。すぐにその手を離せ、さもなきゃあんたも鉄になっちまうぜ」

「イッター、ワーバサーなのさー」

 突然、電影が声を発し、ビンディングから外れている右腕を上げて秋葉に伸ばしてきた。

「電影、アキハーと同士なんさー。あんまりヤナクトゥしなんさー。でねーらんと、承知さんさー」

「大丈夫、問題はない。だから、彼らに構うことはない」

 秋葉は鉄塊と化した書類とファイルを放り投げ、虎鉄と芙蓉を振り払って電影に歩み寄った。

「アキハー、なんくるないさー? 電影、でーじ心配なんさー?」

 電影は近付いてきた秋葉の前に膝を付き、頭部のカメラを秋葉に据えてズームし、首を傾げた。

「おいおい、なんだよこいつは」

 虎鉄が肩を竦めると、芙蓉が怪訝な顔をした。

「この子、随分と訛ってるのよね」

「これでも、かなり言語パターンに修正を加えた。意思の疎通は可能。よって、問題はない」

 秋葉は電影のマスクフェイスに手を触れると、電影は頷いた。

「そうなんさー。電影、アキハーと同士なんさー。だから、電影はアキハーとまじゅん戦うんさー」

「で、こいつは具体的に何が出来るんだ? まさか、通常の人型軍用機と同じスペックってことはないだろう」

 虎鉄が鉄塊と化したファイルを一瞥すると、芙蓉がそれを拾って虎鉄の能力を中和させて元に戻し、読んだ。

「それが、その通りなのよね。集積回路が珪素生物だってこと以外、特に面白味もないミュータントなのよね」

「だったら、俺らが手出しするだけ時間の無駄だな。行くぞ、芙蓉」

 電影に興味を失った虎鉄が背を向けて歩き出すと、芙蓉はつるりと滑って虎鉄に追い付き、腕を絡めた。

「はぁい、あなたぁん」

「……おかしな人達なんさー」

 格納庫から出ていく二人を見送りながら、電影が呆気に取られていた。変異体管理局が所有する生体兵器の中 でも突出して特殊な能力を持つ虎鉄と芙蓉には、整備員達も気後れしているらしく、二人が近付いただけで足早に 距離を開けていた。かつての同僚である、透明人間の忌部とは大違いである。忌部次郎はただ透明なだけであり、 それ以外の能力は特に持ち合わせていなかったが、透明であることを過剰に誇ったりはしなかった。逆に、透明に なった己の体を疎んでいる節があり、露出趣味に目覚めたのも素肌で外界の刺激を感じ取って自分自身の存在感 を確かめたかったからなのだろう。甲型生体兵器の三人も、徹底した教育のおかげでそれなりに自制が利き、能力を 過剰にひけらかすことはない。だが、虎鉄と芙蓉はミュータントであることに引け目がないらしい。乙型生体兵器と なることを志願するぐらいなのだから、それぐらいの心構えでなければやっていけないのかもしれないが。

「田村現場監督官補佐」

 馴染み深いが強張った声が耳に届き、秋葉は振り返った。電影専用のメンテナンスドックと併設する人型軍用機の メンテナンスドックから、防護服を身に纏った山吹が近付いてきた。秋葉が向き直ると、山吹は最敬礼した。

「この度、乙型五号、電影と共に実戦配備されることとなりました、山吹丈二一等陸尉であります」

「現場責任者であり作戦の指揮官である、田村秋葉現場監督官補佐です。若輩者ですが、よろしくお願いします」

 秋葉も敬礼を返し、パンプスのかかとを合わせた。山吹は敬礼した手を下ろすか下ろすまいかを一瞬迷ったが、 そのまま敬礼を保ち、ゴーグルを上げて秋葉を映した。

「自分は、国防のため、全力を尽くすと誓います! それでは、失礼いたします!」

 山吹は秋葉に背を向けると、大股に歩いて人型軍用機の元に戻っていった。秋葉は敬礼していた手を下げると、 山吹の背に伸ばして声を掛けかけたが、堪え、手を下げた。電影が心配そうに覗き込んできたので、秋葉は表情を 見せないように電影に背を向けてから、いつものような口調で言い切った。

「大丈夫、問題はない」

 そうやって自分に言い聞かせておけば、大丈夫でないことでも大丈夫になるからだ。これまでの秋葉は、山吹との 距離が近すぎていた。変異体管理局まで追い掛けてきたことも、本当は迷惑だと思っていたのかもしれない。もしか したら、山吹は宮本都子を憎からず思っていたのかもしれない。だから、秋葉が宮本都子を遠ざけてしまったことを 腹立たしく思っていたのかもしれない。だとすれば、秋葉が鬱陶しいくらいに山吹に執着しているから、幼馴染みの お情けで秋葉と付き合ってくれているかもしれない。好きだ好きだと言っていても、それだけでは済まされないことは いくらでもある。真実を問い質したいが、忌部に対する措置についての意見の相違を切っ掛けに山吹とはほとんど 言葉を交わさなくなってしまった。仕事の上での会話も交わし、甲型生体兵器の少女達の前では何事もなかった かのように振る舞っているが、宿舎に下がった途端に目も合わせなくなるのだ。メールを送ることもなければ、電話を 掛けることもなく、山吹は秋葉を完全に無視するようになった。秋葉は山吹に何度かメールを送りかけたが、山吹が 許してくれるまではそれも良くないと判断し、未送信のメールばかりが携帯電話に溜まっている。これまでは、終始 べったりとしていたから、胸が切られるように寂しい。だが、いつまでも山吹に甘えていては、国防を担う国家公務員 としても、一人の大人としてもダメだ。これは、田村秋葉という人間が成長するために与えられた機会だ。
 だから、何も問題はない。





 


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