南海インベーダーズ




謀略的実地研究



 福井県小浜市。
 日本海は、忌部島で日々目にしている太平洋とはまるで違う。海の色が濃く、なんとなく暗い。高度二万メートルの 上空から見て解ったが、海は空の色を吸い込んでいるから青く染まっている。忌部島近海のエメラルドグリーンの海も、 鮮やかすぎる空の色を吸収している。だが、日本海は青と藍色を混ぜたような色彩で、海岸に打ち寄せる波も どことなく重たいような気がする。スニーカーの靴底で踏み締めた砂浜の感触は、珊瑚礁の砂浜に比べると粒子が 荒かった。カーブの付いた海岸線沿いに道路が走っているが、車は一台も通っておらず、漁港や民家や商店街も 不自然な静けさに支配されている。甚平の考えた通りに小浜市一帯に政府から緊急避難勧告が発令されたらしく、 紀乃の感覚にも人間の息吹は掴み取れなかった。異様な光景ではあるが、それが正しいことだ。変異体管理局と 戦闘になったとしても、人的被害が出ないだろうし、余計な騒ぎを起こさなくて済む。だが、良心の呵責と共に生じる 物寂しさは否めず、紀乃は少しばかり胸が詰まった。吹き付ける潮風も冷え始めていて、秋の気配がする。半袖の セーラー服では少々肌寒く感じてしまい、紀乃は両腕を抱えてさすった。

「今、何月だっけ?」

「あの島にいると、季節感もへったくれもないからな。えぇとだな」

 紀乃の背後に立つ忌部は指折り数え、答えた。

「紀乃が島に放り込まれたのが七月の上旬だったから、九月の始めだな。……クソ親父の四十九日ももうすぐか」

「うっそぉ! てか、もうそんなになっちゃってんの!? 信じらんないんだけど! 夏休み終了してんじゃん!」

 紀乃が目を剥くと、忌部は透き通った腕を組んだらしく、胸の辺りの屈折率が変わった。

「案ずるな、俺達は万年夏休みだ」

「あ、うん、そういうこと。でも、いざそうなっちゃうと、逆にやりづらいっていうか。だけど、やりたいことが出来るのは いいっていうか。だから、えと、いやでも自律せざるを得ないっていうか、自律しないと堕落の一方っていうか」

 尖った鼻先を上げて潮の匂いを嗅いでいた甚平は、指先で鼻を擦ってから二人に向いた。

「あ、うん。大丈夫みたい。風上に護衛艦が控えているみたいだけど、ここからもっと北だし、護衛艦が南下してくるまで には大分猶与があるっていうか。だから、その間にやることやっちゃうっていうか」

「匂いだけでよく解るもんだ。伊達にサメ人間じゃないな」

 忌部が素直に褒めると、甚平は背中を丸めて鼻先を押さえ、照れた。

「あ、えと、その、まあ、色々と……」

「とにかく行こうよ、じっとしてると寒い!」

 紀乃が砂浜を歩き出すと、甚平は追い掛けてきた。

「あ、待って。迷ったらいけないし、単独行動はまずいっていうか」

「全面的に同意するよ。立ち止まっていると、その分見つけられる確率が高くなるからな」

 二人に続いて忌部も歩き出し、砂浜に足跡が並んでいった。砂浜と市街地を隔てるように設置されたコンクリート 壁に付いている階段を昇ってから、紀乃はスニーカーの中に溜まった砂を落とし、もう一度履き直した。鮫肌なので 靴を履く必要がない甚平は足の裏の砂を払って落とし、常に全裸なので靴も履くわけがない忌部も同じようにした。 道路に続いている階段を下って国道を渡り、市街地に入る。海沿いに軒を連ねる民家の庭先には、今朝干したで あろう洗濯物が揺れている。手入れの行き届いた庭木や植木鉢が玄関先に並び、思う存分に日光を浴びている。 こぢんまりとしたスーパーは品出しの途中だったのか、店の前には今日のセール品が中途半端に出されたままだ。 調剤薬局と同じ建物に入っているドラッグストアは二階から上が民家で、ベランダには家族の人数分の敷き布団が 干されている。年季の入った旅館の軒先に、新鮮な魚貝料理を謳い文句にした看板が設置されている。造船会社の 巨大な工場がそびえ立っているが、今は誰一人として働いていない。どの家からも、テレビの音も、家族の話し声も、 掃除機の音も、世間話をする住民同士の声すらも聞こえてこない。思わず、紀乃は足を止めた。

「どうした」

 忌部も立ち止まり、紀乃に声を掛けた。紀乃は街並みをぐるりと見回してから、呟いた。 

「普通の街に来るのって久し振りだなぁって思って。だけど、人がいないから、凄く寂しい」

「人がいたらいたで、俺達がどう扱われるかは知っているだろうが。だが、気持ちは解らんでもない」

 忌部は腰に手を当てたのか、フンドシが若干反らされた。

「あ、うん。こう言うのはどうかと思うけど、その、僕らはきっと境界を越えちゃったっていうか」

 甚平も水掻きが張った足を止め、背ビレの生えた背を真っ直ぐ伸ばした。

「境界? って、何の?」

 紀乃が聞き返すと、甚平は看板を見て目的地の位置を確認しながら、また歩き出した。

「あ、えと、常世と現世の境界だよ。僕らはその、元々は人間だったけど今は人間じゃないっていうか、人間であった 資格を失っているっていうか、奪われたっていうか、普通に生きていては越えられない一線を越えたっていうかでさ。 簡単に言えば、あの世とこの世。僕らはこうして生きているけど世間的には抹殺されているから、実質的にあの世 の住人なんだよ。人間から線を引かれ、完全に隔てられている。人間の前に姿を見せたら、恐れられ、怯えられ、 攻撃される。だから、こうして僕らは人間を遠ざけて身を隠して行動する。死んでいるからだ」

 歩きながら自分の世界に入ってしまったのか、甚平はいつになく饒舌になった。

「僕らは死んでいる。生きてはいない。だから、誰も彼も僕らを傷付けることを厭わない。生きていないから、殺した ところで死にはしない。死にはしないから、どれほど傷付けても良心が痛まない。それが、常世と現世との違いだ。 僕らは常世からは出られない。現世から乖離されたと同時に常世に浸り切って、生きることから解放されたからだ。 でも、それは現世から見た僕らであって、常世の僕らから見たものじゃない。世間的には抹殺されていても、僕らは 生きなければならない。常世の住人になってしまっても、僕らの肉体は生命活動を続けているからだ。でも、彼女は そうじゃないだろう。生からも死からも解放されてしまったから、きっと、ニライカナイに行くことを選んだんだ。彼女に 関する情報と背景の知識を得た上で、僕らは今後の判断を付けなければならない」

 甚平の口調は険しく、声色も強張りがちだった。紀乃と忌部は口を挟めず、甚平の後に続いて歩いた。

「彼女。ゾゾが言うところの龍ノ御子。過去のミュータントであり、僕の想像では不老不死に等しい自己再生能力を 持った女性だ。彼女が龍ノ御子とされる理由は、ゾゾは決して教えてくれない。知ろうとしても、知るための材料が 欠けているんだ。けれど、何一つないわけじゃない。紀乃ちゃんが能力増幅に使っていた勾玉、砂浜に埋もれて傷を 癒していた生きている銅鏡、僕らを常世へ導いた血筋、慶良間諸島の無人島の地底湖に隠されていた遺跡とその 壁に刻まれていた文章、生き物である可能性が高い忌部島、そしてゾゾだ。考えることは、いくらでもある」

 と、そこまで語って我に返り、甚平は赤面して口籠もった。

「あ、え、う、あ、え、その、いや、うん、まぁ、そんなことをずっと考えていただけであって、まだ、その……」

「俺はそんなこと、考えてみたこともなかったぞ」

「甚にい、今日はよく喋るねぇ。半分も意味は解らなかったけど」

 紀乃と忌部は、揃って甚平に感心した。

「あ、う、えと、なんかこう、落ち着かなくて」

 甚平は喋りすぎたことを恥じ入り、尻尾の先を上げながら歩調を早めた。市街地を抜けると、山へと向かう坂道を 昇り始めた。三人の他には人間が一人もいないことが相まって静けさが増し、甚平が黙り込んでしまったので紀乃と 忌部もなんとなく黙ってしまった。甚平が言ったようなことは、二人は考えたこともなかったからだ。常世と現世の 境界だの、生きているだの死んでいるだの、と。今を生きることで必死だったので、考え込む余裕もなければ考えを こねくり回せるような頭の柔軟さもなかった。傾斜の付いた道路の先には瓦屋根の載った正門が待ち構えており、 その左手には八百比丘尼伝説の地であることを書いた看板が立っていた。
 正門の先には石畳が続き、その奥には瓦屋根の本堂が見えた。本堂に続く道にはアスファルトが敷き詰められて おり、歩きやすくなっている。枝振りの良い松が両脇で枝を伸ばし、石灯籠が並んでいる。瓦にうっすらと残る朝露は 蒸発し始めており、雨上がりよりも湿り気は薄いが粘膜には優しい空気が漂っていた。全体的にこぢんまりとして いる寺だが、門の中に一歩踏み込んだだけで仏閣特有の厳かな雰囲気が感じられた。

「空印寺。曹洞宗のお寺だね」

 門をくぐった甚平は左手に向き、八百比丘尼入定の地、と書かれた看板を見つけると早々に歩き出した。紀乃と 忌部も後に続いて門を開いて石畳が敷かれた道を進むと、その奥では夏の日差しを存分に浴びて生い茂った雑草に 囲まれた洞窟が口を開けて待ち構えていた。苔に覆われた入り口は狭く、奥行きもあまりなさそうである。甚平は己の 肩幅と洞窟の入り口を何度も見比べていたが、ぎりぎり入れそうだと判断し、洞窟に鼻先を突っ込んだ。

「あ、えと、紀乃ちゃんと忌部さんはちょっと待っていて。それと、これ、預かっていて」

 甚平はリュックサックを紀乃に渡すと、腰を曲げて、三日月型の尾ビレが付いた尻尾を引き摺って洞窟に入った。 甚平という結構な質量が入ったからだろう、洞窟の中から押し出されてきた空気が紀乃と忌部の下を滑り抜けた。 外気よりも冷たく、心地良い温度の微風だった。しばらく待ってみても、甚平が出てくる様子はない。紀乃が内部を 覗き込んでいると、甚平が後ろ歩きで引き返してきた。背ビレを洞窟の入り口に引っ掛けながら出てきた甚平は、 外の明るさで目が眩んだのか瞬膜を忙しなく開閉させてから、言った。

「あ、うんと、八百比丘尼のお墓があったんだけど、うん、それが……」

「何か変なのか?」

 周囲を見張るために洞窟を背にして立っている忌部が問うと、甚平は洞窟に振り返った。

「あ、う、その、変なのはお墓じゃなくって、その奥にある岩みたいなものっていうか」

「洞窟にあるんだから、岩なんじゃないの?」

 中途半端に体を浮かばせた紀乃が洞窟を覗き込むと、確かに八百比丘尼の墓の奥に古びた岩があった。

「あ、いや、うん。あれは岩に見えるけど、断じて岩じゃない。ていうか、岩の匂いが……しない」

 甚平は大柄なために元々低めな声を更に低め、目の上に手を翳して光量を調節してから目を凝らした。

「えと、あれと同じ匂いがするものは、僕は凄くよく知っている。だけど、それとこれを直結させるのは安易すぎるし、 判断するのも早すぎる。有り得ない、というか、それが有り得たら怖いからだ。色んな意味で」

「怖いって、何がだ?」

 さっぱり状況が把握出来ない忌部が訝ると、甚平は牙の生え揃った顎に手を添えた。

「あ、うん。あの岩からは、忌部島の匂いがする」

「……え?」

 ますます意味が解らず、紀乃はリュックサックを抱えてきょとんとした。甚平は尻尾を揺すり、地面を擦った。

「あ、えと、僕もさっぱり意味が解らない。そうかもしれない、とはちょっと思っていたけど、だとすると、どっちが先か 解らなくなってきちゃうっていうか。卵が先か鳥が先か、っていうか。竜が先なのか御子が先なのか、八百比丘尼が 先なのかゾゾが先なのか……。僕がこれまで考えてきたことと、ちょっと噛み合ってないっていうか」

「いや、待て待て待て。とりあえず、俺と紀乃にも解るように説明しろ。昼飯でも食いながら」 

 若干混乱した忌部が甚平の骨格が太い肩を掴むと、甚平は視線を彷徨わせた後、小さく頷いた。

「あ、まぁ、うん……」

「で、どこで食べる? ゾゾのお弁当」

 紀乃がリュックサックをサイコキネシスで浮かばせると、忌部は本堂を指した。

「あっちで喰おう。誰もいないからといって本堂に入るのはまずいが、縁側を借りるだけなら問題はない」

「へーい」

 紀乃は軽く浮かびながら、本堂を目指した。甚平は余程考えが昏迷してきたのか、ぶつぶつ言っている。それを 忌部が引っ張っているが、遠目からではフンドシが先導しているようにしか見えない。洞窟から参道に戻り、本堂に 向かうと、ガラスの填った引き戸も雨戸も固く閉ざされていた。紀乃はリュックサックを下ろして中身を出していると、 二人も遅れてやってきた。本堂の縁側に昇るためのコンクリート製の階段に腰を下ろした忌部と甚平に、それぞれ 水筒と竹カゴの弁当箱を渡してから、紀乃も同じものを手にして階段に腰を下ろした。竹製の筒に入れられている 濡れ布巾で手を拭いてから、水筒を開けて冷えたドクダミ茶で喉を潤した後、弁当箱を開いた。

「で、甚にいが考えていたことってどんなことなの?」

 粗塩が利いた塩おにぎりを頬張りながら、紀乃は甚平に向いた。甚平はもそもそと食べながら、返した。

「あ、うん。僕はずっと、ゾゾは本当は地球人じゃないかって思っていたんだ。だって、あの人、ちっとも異星人らしく ないっていうか、むしろ地球人じゃなきゃおかしいっていうか、僕らと同じような理由で姿形がディノサウロイドみたいに なっちゃったんじゃないかっていうか」

「そりゃ確かにな」

 忌部はバナナの葉が内側に敷かれた弁当箱から、甘辛く煮付けられた豚肉に小麦粉をまぶして焼いたピカタに 似た料理を抓み出し、囓った。甚平は二個目の塩おにぎりを半分囓り、飲み下してから続けた。

「あ、えと、だから、これまで僕はそういうことなんだと思って物事を考えてきたんだ。ゾゾは人間だけど、自分が人間 ではないと思い込むためにそう言っているんだ、とか、人間じゃなくなった時間が長すぎるから異星人だっていう嘘が 通用しているんだ、とか。ていうか、まあ、僕は宇宙に異星人がいないとは思っていないけど、ピンポイントで地球に 来るのは都合が良すぎるって思っちゃう方で。だから、ゾゾは異星人みたいに凄いけど異星人じゃなくて元々は 地球人なんだって思った上で考えてみたんだ。これまでに起きた、色んなことを」

 甚平は塩おにぎりを食べ終えると茹で卵を取り、バナナの葉を千切って階段に敷き、打ち付けて殻を割った。

「まず最初に、忌部さんと翠さんとミーコさんと小松さんも含めての家系のこと。生物学上、人間との異種間交配は 不可能っていうか、ゾゾみたいなのと人間が交配したところで何も出来ないっていうかで。出来たとしても着床しない だろうし、成長しないだろうし、万が一色んなことが上手くいって生まれたとしても生命活動が出来るほど完成された 個体が生まれないだろうし、一日も生きられないだろうし。だから、あの、その、御三家っていうか、忌部家と滝ノ沢家と…… その、竜ヶ崎家、その御三家の先祖が忌部島で繁栄していたとしても、どの家系に生まれても純粋な人間である 可能性しかないっていうか。ミュータントとして生まれるにしてもそれ相応の理由があるっていうか、忌部島の 土壌が何かしらの物質に汚染されているとか、もしくは汚染された魚介類を長年食べ続けていたからミュータントが 生まれるようになったんだとか、そう思っていたんだ。で、生きている島ってのは、それもまた何かしらの汚染のせいで 意志を持つように感じられるようになっただけで、とか。生きている銅鏡も、貝が突然変異を起こしてああなった んじゃないか、って。でも、そうじゃないのかもしれない」

 茹で卵を一口で食べた甚平は、ドクダミ茶を呷ってから口元を手の甲で拭った。

「僕と紀乃ちゃんの家系はまだ解らないけど、僕の考えが正しかったとしたら、忌部さん達には確実に異星人の血が 混じっている。その異星人がゾゾ本人であるかどうかは解らないけど」

「……はあ?」

 またも混乱した忌部に、甚平は畳み掛けた。

「だって、そうとしか考えられないっていうか。人間は単体繁殖なんて出来ないし、出来たとしても生まれてくるのは 自分のコピーでしかないわけで。けれど、忌部島で繁栄していた一族は血は濃いだろうけどそうじゃないし、三つの 家系に分岐していることから考えてみても、男女間の交配は行われている。でも、その相手が人間だっていう保証 はどこにもないっていうか、地理的に考えると近親相姦しか出来ないっていうか、近親相姦でなかったら……」

「ちょ、ちょ、ちょっと黙れ!」

 忌部はフンドシを浮かせ、甚平の口を塞いで身を乗り出した。

「何をどう考えたら俺と翠とミーコと小松の一族が異星人の末裔になるんだよ! でもって、なんで御三家に竜ヶ崎 なんていう名字が出てくるんだ! 御三家ってのは忌部と滝ノ沢と本家を指すんであって、局長は無関係だろう!  い、いや、その竜ヶ崎が局長だっていう確証はないし、そんなわけがあるわけないじゃないか!」

「あ、え? 忌部さん、変異体管理局の局長の名字って、竜ヶ崎だったの?」

「あ……ああ。言わなかったか」

 甚平の反応の薄さに拍子抜けした忌部が答えると、甚平は俯いた。

「じゃあ、間違いない。その竜ヶ崎って人が、本家の御前様だ」

「だから、なんでそうなるんだよ! 本家の御前様ってのは、俺達を良いように扱って弄んでいる男だぞ! それが、 局長と同一人物なわけがあるか! 俺が知る限りじゃ一番まともな権力者だ! ちったぁ変なところもあるが!」

「でも、別人だっていう確証もない」 

「突拍子がないにも程があるぞ、甚平。自分が何を言っているのか、ちゃんと解って言っているんだろうな?」

「それはもちろん解っている。でも、そうなるんだ」

 甚平は一度瞬膜を閉じてから、開いた。

「ゾゾはあの男に近付くなと言った。変異体管理局に関われば、あの男、すなわち本家の御前様を誘い出すようなもの だって。忌部島にある郷土史には、竜ヶ崎って名字は何度も出てくる。それこそ、冒頭の一行目から。忌部島の 所有権を持つ忌部家よりも旧いようだし、翠さんの話が正しければ忌部家も滝ノ沢家も分家だから、つまり竜ヶ崎家 が本家ってことになる。だとすると、これまでのことに大体納得が行く。なぜ変異体管理局はミュータントを見つけて 社会的に抹殺するのか、そうでなければ兵器利用するのか。どっちに転んでも、思うがままに出来るからだからだ。 となると、竜ヶ崎って人の目的は、十中八九……」

 最後に残っていたパパイヤの漬け物を食べ終え、甚平は顔を上げると、紀乃も気付き、忌部も気付いた。海岸に 沿って轟音を発する物体が接近しつつある。それも一つや二つではなく、紀乃が無意識のうちに広げていた感覚の 端を凶暴な質量の物体が押し潰していく。三人はそれぞれの弁当を食べ終えると、ゴミも片付け、リュックサックに 詰め込んだ。それを甚平に背負わせてから、紀乃は深呼吸した。神経の隅々まで尖らせて高ぶらせ、目を閉じると、 直接見なくても物事が感じ取れる。潮風を浴びる鋼のクジラ、暴風を纏う機械の巨鳥、そして。
 どうして、と思う暇もなく、紀乃は飛び出した。忌部と甚平から引き留める言葉が聞こえたが、動揺と混乱と安堵が 一度に押し寄せた紀乃には無意味だった。一息で街並みが通り過ぎ、日本海が視界を満たす。真夏には海水浴客 が溢れていたであろう砂浜には揚陸艦が接岸し、戦車を吐き出している。その上には武装ヘリコプターが旋回し、 更にその上空には戦闘機が白い雲の尾を引いている。紀乃は目を配らせて、彼を捜した。息を弾ませながら、胸を 締め付ける苦しさと切なさに涙を薄く滲ませながら、忘れもしないあの色を見つけた。青黒い外骨格を持つ巨体の 甲殻類もまた、紀乃を見つけた。だが、彼の傍には人型軍用機と変異体管理局の局員がいた。
 そして、護衛艦の機関砲が紀乃に向いた。





 


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