南海インベーダーズ




謀略的実地研究



 ガニガニが生きている。
 あれは間違いなくガニガニだ。いや、それ以外に有り得ない。溶けて消えたはずのガニガニが元の姿を取り戻し、 こうして目の前に存在している。ヒゲを動かしている。顎を開いている。外骨格が擦れて鳴っている。青黒い外骨格 と巨大な鋏脚、澄んだ光を宿した小さな複眼、馴染み深い磯の匂い。紀乃は様々な思いが込み上がり、涙が滲み、 揚陸艦の甲板に収まるガニガニに向かおうとした。だが、機関砲が紀乃に正確な照準を据え、ガトリング砲が回転 すると同時に太いチェーンを高速で巻き上げるような金属音と共に発砲され、紀乃は瞬時に意識を切り換えて目に 見えない障壁を張った。凄まじい衝撃がサイコキネシスを破らんばかりに襲い掛かったが、硝煙が晴れると二十ミリ 鉄鋼弾が空中に縫い付けられていた。紀乃は若干呼吸を速めながら、腹の底から叫んだ。

「ガニガニィイイイイイイッ!」

 すると、ガニガニは一歩前に踏み出してヒゲを揺らした。

「どうやって元に戻ったのかは解らないけど、でも、本当に良かったぁあああああっ!」

 続いて放たれた機関砲も全て受け止めた紀乃は、弾丸の雨を漂わせながら、ガニガニに手を差し伸べた。

「ね、一緒に帰ろう!」

「そんなんならんさー!」

 だが、ガニガニは答えず、電影との名前が印された人型軍用機が割り込んできた。

「ガニーは電影とアキハーの同士なんさー! やなインベーダーさー、ガニーはどこへも行きはせんさー!」

「どこの誰が乗ってんだか知らないけど、そんなの勝手に決めないでよね! ガニガニはねぇ、大事な大事な友達で、 仲間で、家族なんだから! 忌部島に連れて帰って、今まで通り一緒に暮らすんだから!」

 紀乃は大きく振りかぶり、無数の二十ミリ鉄鋼弾を護衛艦目掛けて撒き散らした。もちろん、ガニガニは避けて。 

「アキハー、危ないんさー!」

 電影は二人の背後に立っていた局員の女性を庇うため、背を向けた。撃ち抜けと言っているようなものだ、と紀乃は 弾丸の照準を電影の背に据えたが、電影と自分の間にガニガニが滑り込んできた。その外骨格に電流が走った かと思うと、外骨格がずれて筋が広がり、足が生えている部分が割れて二本足に変形し、鋏脚も腕のような形状に 変わり、ガニガニは二本足で直立した。そして、大きく広げた鋏脚から青白い電流を走らせた。

『ええと、超電磁シールドみたいな何かっ!』

 ガニガニのヒゲの尖端が護衛艦のスピーカーに触れ、聞き覚えがない少年の声が聞こえた。と、同時に、紀乃が 放った無数の鉄鋼弾は電流の細かな網によって動きを止められ、電影の背にも女性にも降り注がなかった。

「……ガニガニ?」

 なぜ、敵を庇う。紀乃が目を丸めると、ガニガニは放電する電圧を上げた。

『うぁあああああっ!』

 電流の網が弾け、鉄鋼弾の雨が再び紀乃に向かってきた。紀乃はそれを凌ぐも、ガニガニの行動が信じられず、 サイコキネシスの防壁が不完全になってしまい、鉄鋼弾のいくつかは体の間近を飛び抜けた。袖の端が焼け焦げて スカートに穴が空いたが、気付けないほど打ちのめされていた。

「ね、ねえ、ガニガニ、私だよ、解らないの? ねえ、覚えているでしょ? だって、あんなに仲良しだったじゃない、 ずっと一緒にいたじゃない、皆で暮らしていたじゃない、ねえ、ガニガニ?」

 紀乃は笑顔を浮かべようとしたが、声が詰まり、頬が奇妙に歪んだだけだった。 

『……知らない』

 毟り取ったスピーカーを抱えたガニガニは鋏脚を打ち鳴らして威嚇し、電影と女性を背にして身構えた。

『僕はお前なんか知らない! 僕は乙型生体兵器六号、識別名称ガニガニだ! お前みたいなインベーダーなんかと 仲良しなわけがないし、僕の友達は電影と秋葉姉ちゃんだ!』

「違うよ、生体兵器なんかじゃないよ、ガニガニはガニガニだよぉ!」

『僕の名前はガニガニだけど、お前の知っているガニガニなんかじゃない。お前なんか知らないし、嫌いだ!』

 明確な拒絶と断固たる戦意を漲らせた複眼が、紀乃を睨んだ。鉄鋼弾よりもミサイルよりも重たいものが全身を 貫き、紀乃はサイコキネシスを保っていられなくなった。ふらりとよろけると高度が下がり、そのまま市街地へと落下 した。空がぐんぐん遠くなり、日差しの熱を吸い込んだアスファルトが迫るが、何もする気が起きず、紀乃は脱力した まま全身に訪れるであろう衝撃を待ち受けた。が、叩き付けられる寸前に、太い腕に受け止められた。

「……間に合った」

 腕の主は、エラを開閉させて息を切らした甚平だった。

「紀乃、しっかりしろ! 気持ちは解らんでもないが、落ち込むのは帰ってからだ!」

 宙に浮くフンドシ、忌部も息を切らしているのかフンドシの腰紐が動いていた。甚平は手近な民家の影に隠れて、 紀乃を降ろしてから、透明なのをいいことに顔を出して周囲を窺っている忌部に尋ねた。

「あ、えと、忌部さん。護衛艦のエンジンって、今、止まっている?」

「それはないな。機関砲を撃っていたから、まず止めちゃいないし、接岸しているだけだから動き続けている」

「あ、それで、その、忌部さんの同僚だった人の戦略のクセって?」

「ガニガニと人型軍用機が言っていた名前からすると、この場にいるのは田村か。あいつは融通が利かないんだ、 どんな状況でも。良く言えば手堅いんだが、真っ正面から攻めるか、後ろから攻めるかの二択しかない感じなんだ。 だからか、護衛艦なんてデカブツを遠浅の海に接岸させやがったのは。常識で考えれば、ガニガニと人型軍用機を 揚陸艦に載せて先発部隊として上陸させるもんじゃないか。それをなんだ、無駄な使い方をしやがって」

「無線は傍受出来る?」

「走りながらチューニングしてみたが、変異体管理局の無線のチャンネルが全封鎖されちまったみたいだ。きっと、 連中は俺が来ていることに気付いていたんだな。出ずっぱらなきゃ良かったな」

「そう」

 甚平は口の中でしばらく呟いていたが、顔を上げた。

「あ、えと、じゃあ、何も出来ないわけじゃないっていうか。忌部さん、手伝ってくれる?」

「おいおい。サメ人間のお前はともかく、俺は純然たる非戦闘員だぞ?」

「あ、うん、僕だって戦えないっていうか、戦うことなんて以ての外っていうか。でも、何もしないわけにはいかない」

「そりゃまあ、そうかもしれんが」

「だから、まぁ、その、戦わなきゃいけない。これまでは紀乃ちゃんに任せきりだったし」

 甚平は声を殺して泣いている紀乃の前に膝を付き、その頭をぎこちない手付きで撫でた。

「あ、じゃあ、ちょっと僕らは行ってくるから」

「そういうことなら、ちょっと預かっておいてくれよ。この非常時にごちゃごちゃ言うなよ、お前も紀乃も」

 忌部は立ち上がると、フンドシの紐を解いて股間から布を外し、甚平に押し付けた。

「あ、まぁ、うん。その、忌部さんは地上部隊を攪乱してほしいっていうか、なるべく僕らの戦力を大きく見せてほしい っていうかで。つまり、その、紀乃ちゃんが暴れているみたいな感じで」

 フンドシを丁寧に折り畳んで作業着の懐に入れた甚平は、住宅街を見回した。

「大体解った。なるべく被害を出したくないところだが、こちとら生死が掛かっているんだ。地元住民には、多少の損害を 受けても我慢してもらおう。どうせ政府が口封じに金をばらまくんだし、大した被害にならんさ。そういう甚平は」

 正真正銘の全裸となった忌部が意味もなく胸を張ると、甚平は対照的に背を丸めた。

「あ、えと、僕は海から攻める。護衛艦とガニガニと人型軍用機をなんとかしちゃえば、なんとかなるっていうか」

「頑張れよ、俺も頑張る」

 忌部は透き通った手で甚平の肩を叩いてから、紀乃の頭を撫でた。

「ガニガニは連れて帰れないかもしれないが、俺達は一緒に帰ろうな、紀乃」

 忌部と甚平はタイミングを計り、民家の物陰から駆け出した。忌部の素足の足音と甚平の重たげな足音が過ぎ、 間を置かずに破壊音が始まった。忌部は手当たり次第に物を民家に投げ込んでいるようで、何枚もの窓ガラスが 割られていく。自転車が宙を飛んだり、キーが刺さったままの乗用車が暴走してみたり、無人のスクーターが商店街 を駆け抜けてみたり、と。それが紀乃の仕業に見えるかどうかは定かではなかったが、変異体管理局側の注意を 引けるのは間違いない。事実、上空を飛んでいた武装ヘリコプターはぐんと高度を下げたが、紀乃には気付かずに 忌部が暴れ回っている方向へと向かっていった。紀乃はガニガニから吐き付けられた言葉を抗えず、頭が割れそうな ほどの苦痛に苛まれていたが、震える唇を引き締めて立ち上がった。だが、集中力を欠いている状態では却って 足手纏いになるので、紀乃は両腕を掻き抱いて深呼吸を繰り返した。
 その頃、甚平は忌部が暴れている場所を迂回するように駆けていた。一機しかない武装ヘリコプターは、忌部の 傍若無人な破壊活動にしか注意を向けていないし、砂浜に上陸した戦車もレーダーを回転させるばかりで市街地 へは乗り込んでくる気配がない。恐らく、なるべく市街地を破壊しないようにと、田村秋葉現場監督官補佐が命じて いるのだろうが、素人目にも効率が悪い。かといって地上部隊が派遣されるでもなく、海岸線を固めているだけだ。 ガニガニと電影という名の生体兵器に頼ろうとするあまりに、足元が疎かになっている。だったら、付け入れる隙は いくらでもある。甚平はそんなことを考えながら走り抜け、市街地と海岸の間に横たわる道路の手前で足を止めた。 当然の如く戦車の砲塔が回転して甚平に砲口が向いたが、機銃掃射もなく、砲弾が装填されたような物音すらも しなかった。甚平の読みは当たっているらしい。だったら簡単だ、と甚平は真っ正面から戦車に向かい、牙を剥いて 出来る限り恐ろしげな表情を作った。すると、戦車ではなく護衛艦の機関砲が向いたが、こちらも戦車の操縦士を 傷付けかねないので発砲しなかった。甚平はキャタピラ痕が残る砂浜を蹴って跳躍し、戦車のハッチ付近に乗ると 砲塔の根本に喰らい付いた。苦く、熱した鉄の味が舌に触れる。鋭く尖った牙は難なく鋼鉄製の外装を破って砲身 自体を歪め、両足を踏ん張って顎を引くと、ビス止めが弾けて外装が剥がれる。甚平は牙に刺さった外装を砂浜に 吐き捨てると、続いて機銃を掴み取り、根本から引き千切った。それを手にした甚平は、ごつん、と銃身をハッチに 突き当てると出来る限り恐ろしげな目で護衛艦を睨んだ。

「撃つよ?」

 途端に護衛艦がぐらぐらと左右に揺れ、甲板から電影が飛び出してきた。砂浜に両足を突っ込むように着地し、 円形に抉れた砂が瀑布の如く飛び散る。間もなく立ち上がった電影は、戦車に駆けてきた。

「そんなん、電影がさせないんさー!」

「えっ、と」

 甚平はすぐさま機銃を投げ捨て、戦車から飛び降りて砂浜を走った。実を言えば、あの機銃は手動で発射出来る 代物ではなかったし、銃器を扱った経験が一切ない甚平には発射する方法すら解らなかった。だから、元より使う 気はなかったのだが、充分な挑発にはなったらしい。電影は右腕の外装を開いて飛び出しナイフを出すと、大股に 駆けて追ってくる。揚陸艦から遠ざけるために砂浜を迂回するように走っていた甚平は、途中で横に逸れて浅瀬に 突っ込むと、電影も迷わず海中に踏み込んできた。一応、防水装備はされているらしい。甚平は浅瀬の中程で海に 潜ると、尻尾を振って体を滑らせるように海底を歩き出した。泳げはしないが、尻尾を使うと移動速度は格段に上昇 する。電影の足が着実に背後に近付き、飛び出しナイフの尖端が海面を割る。白く煌めく気泡を纏った右腕が海面 を脱した瞬間、甚平は方向転換して電影の片足を掴んだ。

「あっが!?」

 バランスを崩した電影が仰け反ると、甚平はそのまま電影の片足を担いで押し上げた。

「えい、やっとぉ!」

 盛大な水柱を上げ、電影は背中から浅瀬に没した。手足をばたつかせて起き上がろうとするが、電影は顔すらも 海面から上げられなかった。甚平はするりと海中を滑って頭部まで周ると、心苦しかったが電影の頭部を思い切り 殴り付けた。バイザーが砕けて広角カメラに海水が侵入すると、精密な配線と回路が機能を失い、電影は混乱して 頭を左右に振った。だが、目が見えないので何が起きたのか解らず、甚平の姿を捉えることも出来なかった。甚平は 戦車の塗装がこびり付いた牙を剥いて電影のセンサーに喰らい付こうとすると、ぶべべべ、と鈍い羽音がした。

『僕の友達にぃっ!』

 甚平の頭上に現れたのは、ヒレに似たハネを広げたガニガニだった。彼は鋏脚を振り翳し、電流を迸らせる。

『手を出すなぁあああああああっ!』

 これはまずい、と、甚平は電影の胸部装甲を蹴り、海面を破って跳躍した。直後、ガニガニが振り下ろした鋏脚が 青白い閃光を撒き散らし、海面が淡く発光した。その足元で倒れていた電影は過電流を浴びたせいで更に故障 したらしく、割れたバイザーから露出している配線から細く煙が昇り、電影はノイズ混じりの声を発した。

「が、ガニー、何をするんさー……」

『わあっ、ごめん! 勢い余って電圧を上げ過ぎちゃったよぉ!』

 ガニガニは慌てて電影を抱き起こし、揺さぶるが、電影はそれで余計に故障が悪化したらしく、とうとう声も出さなく なってしまった。凄い能力に目覚めてもガニガニの本質は変わらないんだな、と、変なことに感心しながら、甚平は 護衛艦の船腹にある僅かな出っ張りに手を掛けて安全を確保していた。が、それも長くは持たない。

「い、よっと!」

 甚平は尻尾を船腹に打ち付けて器用に跳ね上がり、甲板を囲む鉄柵を掴むと、即座に銃口が向いた。

「単独で乗り込むとは良い度胸だが、それだけだ」

 銃口の主、田村秋葉現場監督官補佐は表情を崩さずに言い切った。甚平はちょっと臆したが、言った。

「あのさ、一つ、聞いてもいい?」

「インベーダーに答えることなどない。直ちに降伏しろ、でなければ拘束する」

「えと、生体改造を受けた甲型生体兵器って、伊号、呂号、波号の三人だけだよね? 他は全部乙型だよね?」

「それがどうした」

「あ、うん。そっか。それだけ確認出来ればいい、どうもありがとう」

 甚平は一礼しようとしたが、秋葉の指先が引き金を絞りかけていた。咄嗟に甚平は腰を落として尻尾を振るうと、 秋葉の足を払って転ばせ、拳銃を奪い取った。その銃身を握り潰してから甲板に投げ捨てると、自動小銃を向ける 自衛官達に一瞥をくれた。頭を打って呻く秋葉を心配しつつも、甚平は次はどうするかと考えたが、さすがにこれは 分が悪い。海に逃げようにも、帯電したガニガニが待ち構えている。かといって、このまま甲板に突っ立っていては 捕まってしまう。それでは、事実を再確認するためのフィールドワークが行えなくなってしまう、と甚平が危惧している と、頭上が陰って砂が降ってきた。何事かと目を上げると、甚平の歯形が付いた戦車が浮いていた。

「おんどりゃあああああっ!」

 紀乃だった。その背後の景色が歪んでいるので、ちゃんと忌部も連れてきたらしい。護衛艦の十数メートル上空で 操縦士と砲手が入ったままの戦車をサイコキネシスで担ぎ上げている紀乃は、ガニガニを見やった。

「おい紀乃、手加減しろよ。あいつら以外は、全員生身の人間なんだからな」

 空の色と馴染んでいる忌部が紀乃の肩に手を掛けると、紀乃は言い返した。

「それぐらい、解ってるってぇ、のっ!」

 紀乃の両腕が下ろされると、乗員入りの戦車が真っ直ぐ甲板に降ってきた。自衛官達は慌てて逃げ出し、甚平は あまりのことに硬直している秋葉を抱えて海面に身を投じると、ガニガニが抱えている電影の左肩に着地した。

「あの、はい、これ。ごめんね」

 甚平は秋葉をガニガニに渡し、紀乃目掛けて跳躍すると、サイコキネシスに絡め取られて浮かび上がった。紀乃は 鋏脚で秋葉を大事そうに抱えているガニガニを見、にわかに嫉妬に駆られたが、ぐっと堪えた。

「ガニガニ!」

 再度彼の名を呼び、紀乃は思いの限りを叫んだ。

「ガニガニに何があったのかは知らないし、そっち側に付いた理由だって知らないけど、私はガニガニのことは何が あっても友達だって思ってるよ! 私のことを忘れようが、嫌いになろうが、生体兵器に成り下がろうが、ガニガニは ガニガニなんだから! でも、この世の片隅で慎ましく生きている私達に手を出そうってんなら!」

 紀乃は右手の拳を固め、戦車から砲塔を引き剥がすと同時に握り潰して鉄塊に変えた。

「相手になってやろうじゃん!」

『……う、うん』

 ガニガニはちょっと臆し、半歩後退した。その答えに満足した紀乃は、腰に両手を当てて大きく頷いてから、浅瀬の 海水にサイコキネシスの強烈な打撃を叩き込んだ。全長数十メートルもの砂混じりの水柱が立ち上り、護衛艦と 揚陸艦が隠れるほどの飛沫が一帯に広がった隙に、紀乃は忌部と甚平を連れて高度を上げた。武装ヘリコプター が追跡してきたので、それも近くの小学校のグラウンドに強引に不時着させてやると、一息に高度と速度を上げて 飛び去っていった。護衛艦のレーダーで捕捉して太平洋側の別動部隊にも連絡を取ったが、対応が間に合わず、 紀乃らを再び追い詰めることは出来ずに戦闘は終了した。
 浅瀬に取り残されたガニガニは、負傷している秋葉を甲板の上にいる自衛官に引き渡してから、すっかり故障して しまった電影を担ぎ上げた。故障の根本的な原因は甚平による破壊行為だが、止めを刺してしまったのはガニガニ に他ならない。最後に甲板に昇ったガニガニは、無惨に破壊された戦車を退かしてから、海水にまみれて横たわる 電影を見下ろして小さく顎を鳴らした。蓄積させていた生体電流の大半を戦闘に当てたため、変形を保てなくなった ガニガニはヤシガニの姿に戻ると、紀乃と忌部と甚平が飛び去った方向に触角を向けた。
 心の底から大好きな紀乃に、あんなことを言うつもりなんてなかった。出来れば、戦わないでくれと言いたかった。 紀乃が持つサイコキネシスは万能かつ強力な武器だが、変異体管理局や政府を何度も相手にしていたのでは身が 持たないはずだ。だから、大人しくしていてほしかった。忌部にしても、体が透き通っていて変な性癖の持ち主だが、 至って普通の男だ。甚平だって図書室でじっと本を読んでいるのが好きなだけであって、インベーダーの中でも特に 害がない青年だ。海辺の街に来たのだって、彼らに何かしらの理由があったのだろう。スペースデブリの流星こそ 降ったが、ガニガニらが来るまでは何事も起きなかった。これまでにもインベーダーの皆が言っていたように、人間側 から手出しさえしなければ彼らは大人しくしている。事を荒立てているのは、他でもない変異体管理局だ。紀乃らと 敵対するようになると、改めて物事がよく見えてくる。僕はどうすればいいんだろう、と考えてみたが、経験も知識も 不足しているガニガニの頭では良い考えが浮かぶはずもなく、悔しさだけが溜まっていった。
 所詮、ヤシガニはヤシガニだ。




 戦いが終わると、いつも空しくなる。
 紀乃は感覚を広げて忌部島を捉え、衝撃破と暴風の防壁を作った上でマッハ一近くの速度で飛行していた。今と なっては慣れた移動方法だ。戦闘中はその場を凌ぐことで精一杯だから、細かいことを考えている余裕もなければ 頭の隙間もない。サイコキネシスを上手く使うためには色々なことを考えなければならないし、感覚で捉えてからも 力加減を調節しなければならない。だが、騒がしい一時が過ぎ去ってしまい、忌部島に帰る段階になると頭の中が 冷えてくる。これまでにも、伊号、呂号、波号、と甲型生体兵器と戦った後にはごちゃごちゃと考え込んでしまった。 今日はガニガニが相手だったから、尚更だ。フンドシを履き直した忌部と考え事に没頭していた甚平は、黙り込んで いる紀乃を心配げに覗いてきた。紀乃は自分の行動を思い返しながら、二人に向いた。

「私のしたこと、間違ってないよね?」

「俺達に色々あるように、ガニガニにも色々あるんだろうさ」

 フンドシの紐を結んだ忌部が言うと、甚平は大きく裂けた口元の端を緩めた。

「あ、うん。でも、一つだけ確実なのは、ガニガニは元気だってこと。それが解っただけでも、良かったよ」

「うん」

 紀乃は頷き、忌部島への針路を確かめるついでに二人に背を向けた。ガニガニが自分のことを忘れていようとも、 以前とは変わってしまっていても、敵対関係になろうとも、ガニガニを好きな気持ちに変わらなかった。嫌いだ、 と言われた時は驚きすぎて泣いてしまったが、ガニガニが喋れるようになったのだと知ると、今更ながら嬉しくなる。 恐らく、ミーコの時と同じように、ゾゾの友人である彼がガニガニを蘇らせてくれたのだろう。その時に、電気を放つ 能力や変形能力と共に知能を授けてくれたのだ。自分でも言ったし、甚平も言ったようの、敵に回っていたとしても ガニガニがガニガニであることに変わりない。紀乃のことをすっかり忘れていたとしても、また最初からやり直せば いいだけのことだ。また滲んできた涙をセーラー服の袖で拭った紀乃は、機関砲を浴びた際に出来た焼け焦げや 穴に気付いて恥じ入った。忌部島に帰ったら翠が継ぎを当ててくれるだろうが、セーラー服に合う生地があればいい のだが。何の気なしに頭上を仰ぐと、人工衛星に混じって太陽光線を存分に浴びた花弁が咲き誇っていた。
 少し、元気が出た。





 


10 10/11