南海インベーダーズ




ディスポーザブル・ヒーロー



 一筋、硝煙が昇る。

「言っただろ、俺は敵じゃないって」

 ぎち、とハンマーを起こした親指が曲がり、銃身に添えられる。そして、二度、三度と銃声が続く。

「だから、呂号。こっちに来い」

 硝煙が濃さを増し、火薬の粉塵が空気に混じってざらつきを帯びる。呂号はエレキギターを抱えたまま、背後から 漂う血臭と呻き声に顔をしかめた。こじ開けたハッチに足を掛けている甚平は硬直し、忙しなくエラを開閉させては 途切れ途切れの声を漏らしている。阿左見は右田と操縦士と整備士を撃ち抜いたハンドガンを下げると、少女の姿を した大量破壊兵器に気を配っていた時の優しげな面差しのまま、今度は甚平に照準を据えてきた。

「お前は何だ」

 銃声に臆さずに呂号が弦に指を掛けると、阿左見は胸を撃たれて息も絶え絶えの右田から事も無げにマガジンを 奪って戦闘服のポケットに押し込んでから、世間話でもするような調子で話し掛けてきた。

「呂号も、そこのサメ男も、宮本都子って知っているか?」

「……あ、ああ、うん」

 甚平は呂号の腕を引いて脱出を促してきたが、呂号はその手を振り払ってコードを押さえた。

「それがなんだと言うんだ」

「あれは俺の姉だ」

 阿左見は内壁に据え付けられたバーを掴みながら、歩み寄ってくる。

「あれがいなくなってから、俺の家族はすぐに崩壊した。理由は簡単だ、あれは人間じゃなかったが、大事な大事な 金蔓だったからだよ。あれがいてくれる限り、俺の家族は安泰だった。どれだけ金を使おうが、女を囲おうが、男を 喰い漁ろうが、万引きしようが、馬鹿な奴を半殺しにしようが、何をしようが問題なかったんだ」

 一歩、一歩、進むに連れて、阿左見の口調は崩れてきた。

「あれが自分で頭をかち割って馬鹿になっちまってから、俺も両親も好き勝手出来なくなったんだ。当たり前だよな、 それまではあれがいたから、どんな馬鹿をやらかしても本家の御前様が揉み消してくれていたのに、あれが変異体 管理局に捕まってからも同じことをしていたんじゃあなぁ。親はすぐに離婚しちまうし、金目当ての女が来ては父親を 相手にぎゃあぎゃあ騒ぐし、母親も母親で真っ昼間から男を連れ込むし、俺も俺で盗みだの放火だのとやらかしては 警察に捕まっちまうし、やっとのことで少年院を出て御前様と付き合いのある政治家先生に経歴を洗ってもらったが、 くそったれな自衛隊にしか入れやしなかった」

 ジャングルブーツの底で床を強く踏み締めた阿左見は、声色が不気味に上擦っていた。

「俺にはさ、国とか人類とかはどうでもいいんだよ。また、前みたいに好き勝手やりたいだけなんだよ。それなのに、 自衛隊の連中はどいつもこいつも偉そうで、右田だってそうなんだ。俺よりちょっと年上ってだけで格好付けがって、 ウゼェったらなかったぜ。でもって、俺以外の誰もミュータントの本当の価値を解っちゃいない。やれインベーダーだ 怪獣だ、って戦闘に駆り出しては酷使して、挙げ句の果てには廃棄処分だ。そんなの、勿体なさすぎるだろ?」

 阿左見は破れた拘束衣を着ている呂号を、値踏みするように眺め回した。

「呂号、こっちに来い。俺がお前と一緒になれば、また昔みたいな暮らしが出来るはずなんだ。だってそうだろ、あの 寄生虫女がいたから、俺の家族は御前様に良くしてもらえたんだ。てぇことは、お前が俺の家族になりさえすれば、 寄生虫女がいた時と同じ状態になるって寸法だ。外の世界に行きたかっただろ? 遊びたかっただろ? 好き勝手に 生きてみたかっただろ? 俺が結婚してやるよ。十五歳だったな、もうちょっとで十六になるんだろ? 見た目は ガキだが体は出来上がってるみたいだし、顔もそんなに悪くねぇ。そのキモいサメ野郎を殺したら、すぐにでも俺の 女にしてやるよ。どうせ、局長辺りが貫通済みなんだろ? だったら痛くもなんともねぇよなぁ?」

「……最低だ」

 甚平の厚い手が呂号の腕を掴み、引き寄せると、戦意が漲る声が聞こえた。

「ツユノちゃん、少しじっとしていて。僕はあいつを殴らなきゃ気が済まない」

 なぜ、その名を知っている。呂号はエレキギターのネックと弦に指が食い込むほど握り締め、光以外は見えない 目を見開いて甚平を凝視した。甚平は太い両足を曲げてハッチの枠を蹴り、跳躍すると、尻尾を上手く使って砂浜に 着地した。チヌークの外に出るとガソリンの刺激臭が強烈に鼻を突き、波音が不規則に外装を叩いている。甚平を 追って砂浜に飛び降りた阿左見は、ハンドガンを弄びながら、甚平と呂号に近付いてきた。

「なあ、こっちに来いよ、呂号。そんなキモいのを相手にするよりもさ、俺と遊ぼうや。な、おい?」

「気持ち悪いのはお前の方だ!」

 声を荒げた甚平は、砂を散らして駆け出した。

「バッカじゃねぇの、お前が俺に勝てるわけねぇだろ!」

 阿左見はハンドガンを掲げて甚平に狙いを定めるが、甚平はサメ故に強靱な筋力を秘めた尻尾で砂浜を叩き、 一息で五メートル近くの高さまで跳ね上がった。阿左見はハンドガンを構え直したが、尻尾で落下軌道を調節して 真上から降ってきた甚平は、素早くハンドガンを尻尾の先で弾き、海中に沈めた。掠るだけでも強烈な打撃を受けた 手首を押さえ、阿左見は後退った。甚平は間を置かずに大きく踏み込んで阿左見の懐に入ると、骨格も太ければ 筋肉も分厚い灰色の肌で覆われた腕を、格好だけはそれらしい迷彩服を着た腹部に抉り込ませた。衝撃に伴った 質量の空気を肺から絞り出した阿左見は背を丸めてよろけ、顔をぐにゃりと歪めると、取り繕おうとした。

「へへ、悪ぃ、冗談だよ、冗談。つか、何マジになってんだよ、キモいんだよ、そういうの」

「お前は事の重大さを知らなさすぎる」

 怒りすぎて突き抜けたのか、甚平の口調は奇妙なほど冷静で、阿左見の襟首を掴んで軽々と持ち上げた。

「お前は本家の御前様を大富豪か有力者だと思っているようだけど、それは違う。あれは、自分の欲望のためだけに 御三家の血族を擦り切れるまで利用し尽くしているだけだ。そして、最後には使い捨てるんだ」

「い……いいじゃんか、それでもさぁ。楽しく生きられた方が。なぁ?」

 この期に及んで阿左見は呂号に同意を求めてきたが、呂号は無視してエレキギターを抱き締めた。

「だ、大体さぁ、あんな寄生虫の固まりとどうやって家族しろってんだ。それからしてまず無理じゃん? つーか、あれが 俺達のことを家族だって思っていたことがキショいっつーの。しかもアレだし、あの寄生虫女、小松建造なんかが 好きだったらしいし。家族扱いして利用してやっただけ、ありがたく思ってほしいくらいだし」

 阿左見は攻撃する矛先を変えようとしたようだが、逆効果だった。甚平は牙の並ぶ口元を歪めて猛獣を思わせる 唸りを漏らすと、大きく振りかぶって阿左見を沖合いへと投げ飛ばした。情けない悲鳴を上げながら頭上を横切った 阿左見は、二十数メートル先で着水したらしく、波間に悲鳴が没した。甚平は阿左見の襟首を掴んだ右手を作業着に 強く擦り付け、汚れを拭うような仕草をしてから、無意識に仰け反らせていた尻尾を下ろした。

「そこで少しは頭を冷やせ、俗物が」

「……どうしてお前も僕の名前を」

 呆気に取られながら、呂号は甚平に歩み寄った。その声で甚平は我に返り、墜落したチヌークを指した。

「あ、うん、その辺の説明は後。今は、あの人達を助けないといけないっていうか」

「だが。あいつらを助けたらお前の所在が判明してすぐに追っ手がやってくる。それでもいいのか」

 歩み出そうとした甚平に手を伸ばし、呂号はその袖を掴んだ。甚平は立ち止まり、振り向いた。

「あ、うん。周りは海だから、いくらでも逃げようがあるっていうか。それに、放っておけないっていうか」

「なぜこの島に来た。なぜ僕を助けた」

 矢継ぎ早に問い掛けながら、呂号は甚平の後に続いて歩いた。甚平は呂号に合わせて歩調を緩め、答える。

「あ、え、それはこの前のフィールドワークの続きっていうかで。しばらく前に、僕は福井県の小浜市ってところにある 八百比丘尼が入定した洞窟に行ったんだけど、そこでまた色々と考えてみたら、それまで考えてきたことの辻褄が 合わなくなっちゃったっていうかで。だから、もう一度、この島の遺跡を調べ直しに来たっていうか」

「それは誰かに教えたのか」

「え? あ、うん、まあ。黙っていなくなると心配されるから、忌部島の皆には教えたけど、それがどうかしたの?」

「お前がここに来るということを虎鉄と芙蓉から教えられた。その通りだった。だが腑に落ちない」

「となると……ああ、うん、そういうことになるのかなぁ……」

 独り言を呟きながら、甚平は外装をよじ登り、墜落したチヌークの中に入っていった。呂号は追うべきか追うまい かと少し迷ったが、その場にいることにした。どうせ役には立てないだろうし、甚平のように他人を助けるような余力は 持ち合わせていない。それに、腑に落ちない部分が多すぎるので頭の中を整理しなければならない。沖合いからは、 阿左見が情けない声で助けを求めている。軽く弦を弾いて音を反響させると、岩場らしき硬い異物が海面から 頭を出していて、阿左見はそれにしがみついていると解った。溺れ死ぬことはないだろうし、根性が少しでもあれば 自分で泳ぎ帰ってくるだろう。そうこうしている間に、甚平はチヌークから三人を運び出した。最も出血がひどい右田 には、フェルナンデスのZO−3がくるまれていた布を巻き付けて止血しているらしく、きつい衣擦れの音が聞こえて くる。それなりに意識を保っている操縦士は甚平の手で助けられることを躊躇っていたが、操縦席に備え付けられて いる無線機の位置を教えている。整備士は終始無言だったが、応急処置が終わると甚平に対して言葉少なに礼を 述べた。彼らに背を向けて岩場に腰掛け呂号は、フェルナンデスのZO−3を抱き寄せた。
 手元にギターがあるだけで、気持ちが落ち着いた。




 暗く、冷たく、硬い場所。
 再び訪れた地底湖は、やはり呂号にとっては静かすぎた。外界と通じる入り口は、甚平が中から岩を立てかけて 塞いでしまったので、呂号の耳を持ってしても外の様子はよく解らない。ヘリコプターが接近する際に発生する微細な 震動や駆動音は届いていたが、音の幅までは掴み取れない。ヘッドフォンがないから、馴染み深いヘヴィメタルを 聞いて気を紛らわすことも出来ない。だが、その代わり、甚平が声を聞かせてくれた。
 負傷者の応急処置と近隣の自衛隊駐屯地への無線通信を終えた後、保養所という名の別荘から運び出してきた 保存食料や必要最低限の物資と共に、甚平は呂号を連れて地底湖のある洞窟に入った。匂いでも解るほど澄んだ 水を湛えた地底湖に没する遺跡を調べ終えてから、甚平は自分の心の内を整理するかのように話し始めた。
 忌部島と御三家の歴史について調べれば調べるほど、解らないことが増えすぎた。この地底湖に沈んでいる遺跡 と関わりがありそうな八百比丘尼の洞窟に行ってみると、余計に解らなくなった。だから、また最初から調べ直そうと この島を訪れたところ、チヌークが墜落していた。そして、呂号を助け、阿左見を海に投げ捨てた。この前と同じように 海底を歩き通して島に向かってる間に考え抜いて、記憶をひっくり返して、思い出すべきことを思い出した。その中に 隠れていたのが、呂号の本名だった。四歳になった頃に、出産祝いだからと連れて行かれた親戚の家。そこの 居間に置かれていたベビーベッドで眠っていたのは、生まれたばかりの双子の乳児で、床の間に貼られていた 半紙には筆文字で書き記されていた。長女、紀乃。次女、露乃。

「うん、そうなんだよ」

 地下水の滴る鼻先を拭った甚平は、呂号に向いた。

「あ、えと、僕は、最初に会った時から、君は紀乃ちゃんの姉妹じゃないかと思っていたんだ。顔も良く似ているし、 体格だってほとんど同じだし、声もなんとなく近い感じがしたし。でも、その時はそう思っただけだったし、紀乃ちゃんが 双子だっていう証拠はどこにもなかったし、勘違いだったら悪いから言わないでおいたんだ。だけど、どうしても、 それを確かめたかったんだ。えと、これ、間違っていない?」

 甚平は恐る恐る呂号を覗き込むと、呂号はエレキギターをきつく抱き締めた。

「……確かにそれは僕の名前だ。だが僕はそんな名前は捨てた。斎子露乃なんていない。僕は呂号だ」

「うん。僕も、最初は勘違いだって思ったんだ。だって、何年かしてもう一度紀乃ちゃんの家に行ったんだけど、君は どこにもいなくて、服も靴もおもちゃも食器も一人分だけで、紀乃ちゃんしかいなかった。親に聞いても、紀乃ちゃんの 御両親に聞いても一人だけだって言ったから、僕は思い違いをしたと思っていた。だけど、そうじゃない」

「僕には名前など不要だ。僕は純然たる兵器なんだ」

「うん」

「僕には家族なんていらない。お姉ちゃんなんて最初からいなかった。お父さんもお母さんも最初からいなかった。僕の 世界には僕だけしかいない。僕さえいればそれでいい。僕の歌は僕のためだけの歌なんだ」

「うん」

「だから僕にはお前もいらない。近付くな。触るな。触れば殺す」

「うん」

 甚平は優しく頷き、呂号に寄り添ってくれた。呂号は更に文句を吐き出そうとしたが、迫り上がってきた異物で喉が 詰まり、鈍く呻いた後は何も言えなくなった。甚平は呂号の体に触れることもせず、話し掛けもしなかったが、気が 済むまで傍にいてくれた。エレキギターが壊れかねないほど力一杯抱えた呂号は、本当の名前を何度も呼ばれた 嬉しさと戸惑いの中、生体兵器と化してからは堪えてきたものを薄く滲ませた。見えない目が潤い、水滴がギターの 合板に伝い、岩の床に撥ねる。泣いてはいけない、泣いては気が弱る、泣かずにいたから頑張ってこられたのに、 と呂号は必死に自制しようとするが、ぎりぎりと弦が手のひらの肉に食い込んでくる。

「え、っと、その、どっちで呼んだらいいかな。呂号と、露乃ちゃん。僕は、その、露乃ちゃんの方が好きっていうか」

 甚平は爪の尖った指先で頬の辺りを擦っているのか、ごりごりと鮫肌が擦れた。

「僕の名前が好き?」

 呂号が訝ると、甚平は頷いた。

「あ、うん、そう。なんていうのかな、名前っていうのはさ、余程のことがない限り、付けてくれた人の思い入れがある わけだし。僕のは、結構いい加減な感じがしないでもなかったけど、名は体を表してくれているから、これでいいって 思っているっていうか。だけど、呂号、ってのはただのコードネームなわけでしょ。いろはにほへと、の、伊号、呂号、 波号、ってわけだから。旧日本軍みたいなセンスだよね。でも、露乃、ってのは違うじゃない。紀乃ちゃんもだけど、 凄く綺麗な名前だなぁって思うんだ、僕としては。だから、なんていうか、好きだなぁって」

「そんなことを言われたのは……初めてだ」

 呂号は訳もなく戸惑い、頭に血が上って軽く目眩がした。頬が炙られたように火照り、近いはずの音が遠くなる。 気を紛らわすためにエレキギターを掻き鳴らそうとするが、弦を押さえた指先が滑って情けない音が飛んだ。それが 一層情けなさを呼び、呂号は不自然に引きつった顔を隠そうと膝を抱えて俯いた。甚平は呂号の反応に戸惑った のか、あ、う、と怯えたような声を漏らしていたが、近付くこともしなければ離れもしなかった。顔を見られたくないが、 放っておかれるのはなんとなく嫌だ。けれど、近付くなと言ったのは自分の方じゃないか、と呂号はしばらく逡巡して いたが、甚平の地下水をたっぷりと吸い込んだ作業着の裾をほんの少し抓んだ。
 触れられるのは嫌だ。だが、誰かに触れていたい。





 


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