南海インベーダーズ




御三家御前会合 前



 翌日、早朝。
 鏡にまともに映った自分の姿を見るのは久し振りだが、何の感慨もない。むしろ、鬱陶しいだけだ。忌部は久々に 包帯を巻き付けながら、肌が圧迫される不快感と戦っていた。出来るものならフンドシ一丁で行きたいところだが、 さすがに無防備すぎるので、服を着ないわけにはいかなかった。頭と首が白い布に縁取られて形を成していくが、 同時に視界が狭まってしまう。いつもは目どころか頭全体を透かしてものを見ているので、普通の人間に比べれば 視界は恐ろしく広い。だから、包帯に塞がれてしまうと、後ろがよく見えなくなってしまう。頭と首の包帯を巻き終えた 忌部は、目と鼻と口の部分を押し広げて、僅かばかりの解放感を得た。変異体管理局の制服以外のまともな衣服は ないが、あの服は二度と着たいとは思わない。増して、ゾゾからあんな話を聞いた後では尚更だ。

「相変わらず、翠は器用だよなぁ。だから大好きだ」

 忌部は腕に包帯を巻きながら振り返り、背後の机に畳んで置いてある着流しを見やった。紀乃や呂号の浴衣同様、 翠が仕立ててくれたものだ。寸法は忌部の体格と寸分違わぬ正確さで、生地は渋い紺色だ。元々は男物では ない生地で作ったそうだが、傍目から見ればそんなことは解らない。両手足に包帯をきっちりと巻き終え、フンドシを 締め直し、着流しを羽織って襟を正し、翠から教えられた通りに帯を結び、雪駄を履いた。鏡に映った自分を再度 眺めてみると、なんとなく格好が付いたような気がした。制服ではないから、息苦しさが薄れていることもあったが、 服を着ているのも悪くないと思えたのは何年振りだろか。ゾゾが便箋を燃やしてしまったので、封筒だけになって しまった和紙の封書と茶封筒入りの指令書を折り畳んで懐に入れた忌部は、自室から出た。
 慣れない雪駄で歩いた忌部は、紀乃の部屋である衛生室の引き戸を叩いてから、中を覗いた。紀乃は忌部に顔も 向けずに、不満げな様子で外をじっと見ていた。ゾゾから絶対に行くなと言われたのが堪えたのか、今朝は珍しく 朝食の席にも姿を見せなかった。ゾゾはそれに対して文句も言わず、紀乃の分を取り分けていた。更に珍しいことに、 毎朝の呂号のギターも聞こえてこなかった。忌部は、半袖のセーラー服を着た背に声を掛けた。

「色々と言いたいこともあるだろうが、今回ばかりは大人しくしておけ。ゾゾが言ったように、お前が局長に近付くのは よくない。俺だってそう思う。まあ、なんとかなるさ」

「なるとは思えない」

 紀乃は余程機嫌が悪いのか、口調がつっけんどんだった。

「そりゃあな。俺も本気でそう思っているわけじゃない。だがな、これ以上事態を悪化させないためには」

「行くならさっさと行ったらどうだ」

「解ったよ。それと、お土産は期待するなよ」

「誰が期待するか」

 尖った言葉に、忌部は肩を竦めて引き戸を閉めた。八つ当たりするにしても、他の相手にしてくれないだろうか。 忌部島に帰ってくる頃には紀乃の機嫌が治っていてくれればいいが、と思いながら、忌部は慣れない着流しの裾を 気にしながら昇降口に向かった。見送りらしいことはされず、一抹の寂しさは覚えたが、それでいいのだとも思った。 見送らないということは、帰ってくることが大前提だからだ。だが、昇降口の片隅に放置されている箱の主は、怨念が 籠もった眼差しを忌部に注いできた。箱入り状態が継続している山吹は、恨みがましく喚いた。

「忌部さん、どこ行くんすかぁああっ! 行くんだったら、せめてこの鎖をペンチでばっつんと切ってからにしてくれ ないっすかいやマジでマジで! でないと、俺、未来永劫箱の中の息子っすよー!」

「どこってそりゃ、呼ばれたから行くんじゃないか。お前こそじっとしていろよ、捕虜なんだから」

 忌部が箱の前に屈み、山吹を小突いた。山吹は唯一自由の利く頭を突き出し、更に喚く。

「意地悪っすよ、忌部さんってマジ意地悪っすよ!」

「文句を言う相手は俺じゃない、主任と田村だ。じゃあな、山吹。大人しくしていれば、ゾゾも他の連中も悪いようには しないさ。小松はどうだか解らんけど」

 忌部は山吹に手を振りつつ、昇降口から出て日差しの下に出た。閉じ込められっぱなしなのに元気な山吹はまだ 何か喚いていたが、距離が開くと途端に聞こえなくなった。エネルギーの無駄遣いを防いでいるのだろう、あれなら 当分は大丈夫そうだ。忌部は集落に背を向けて、畑仕事をするゾゾや工作場で作業をする小松とミーコを横目に、 山道を上り始めた。普段は一切使わない道だがゾゾは頻繁に通っているらしく、雑草が踏み潰されて出来た道には 一筋の尻尾の跡が付いている。それを辿りながら進むと、山の中腹辺りに甚平が突っ立っていた。てっきり図書室 にいるものだと思っていたので、忌部は意外に思いながら声を掛けた。

「よう、甚平。何してるんだ」

「あ、えと、忌部さん」

 甚平はうっすらと水蒸気を吐き出している火山から目を外し、着流しと包帯姿の忌部に向いた。

「あ……うん、スケキヨ?」

「俺は氷の張った湖に上下逆さに突き刺さって死ぬつもりは更々ないぞ」

「あ、うん、ごめん。でも、その、うん、なんか変だなぁって思ったことがあって。だから、確かめているんだけど」

「変って、昨日のゾゾの話か? ありゃ最初から最後までブッ飛んでいたが」

「あ、あう、えと、それじゃなくて、僕はああいうの凄く好きだけど。変っていうのは、この島のこと。普通に考えれば、 集落があって、家があって、畑があって、人間が生活しているのなら、必ずあるものがないっていうか。だから、最近 はそれを探しているんだけど、見つからないっていうか」

「何がだ?」

「お墓」

 甚平は短く答え、硫黄の匂いが薄く漂う山中を見渡した。

「あ、でも、場所が場所だから、水葬とか、もしかしたら火山葬とか、やっていたのかもしれないけど、でも、そうだと しても墓石も卒塔婆もないのは変かなぁって。でも、その、土着の宗教が解っていないから、墓がどんな形式のものか 知らないから、見つけようがないってことかもしれないけど」

「俺の一族の墓なら、都内に移してあるが。島から本土に渡る時に御先祖のお骨を掘り返して持っていた、って話を ガキの頃にちょっとだけ聞いたことがある。たぶん、滝ノ沢もそうだろう。となると、竜ヶ崎の墓がないのか?」

「あ、うん、そういうことになるね。でも、竜ヶ崎家のお墓がない理由は、昨日のゾゾの話で解ったっていうか。竜ヶ崎 全司郎って人がゾゾの生体分裂体ってんなら、ゾゾみたいに恐ろしく寿命が長いってことになるっていうか。だから、竜ヶ崎 って人はずっと死なずに生きてきたから、お墓を建てる必要がない、っていうことになるから」

「だったら、それでいいじゃないか。そうやって答えが出ているのに、まだ調べるのか?」

「あ、うん。まだ解らないことも多いから。あ、じゃあ、忌部さんも頑張ってきてね。排気の匂いがしているから、迎えは 船はもうすぐ到着するっていうか、そこまで来ているだろうから」

 甚平は草藪に逸れ、道を空けてくれた。

「留守の間、よろしくな」

 忌部は甚平と擦れ違い、北側に続く一本道に進んだ。火山灰が堆積して出来た柔らかな地面を踏み締めながら、 包帯を巻いた足に引っ掛かってくる草を掻き分けて斜面を下っていくと、忌部島には不釣り合いなコンクリート製の 港が見えた。甚平の言った通り、遠方から波間を切り裂いて高速艇が直進してきていた。忌部は高速艇を注視して 腹を据えてから、坂道を下って港に出た。すると、上からは見えなかった木陰に、いつものメタルファッションで身を 固めた呂号が突っ立っていた。

「なんでお前がいるんだよ、呂号」

 忌部は呂号を小突いたが、呂号は振り返った拍子に忌部に目を向けてきたので、すぐに悟った。

「いや違うな、紀乃だな?」

 どうなんだおい、と忌部が腰を曲げて顔を寄せると、呂号の格好をした紀乃は後退った。

「だ、だって、こうでもしないとゾゾの目を誤魔化せないと思って、服を入れ替えてもらって……」

「ゾゾが気付いてないわけがないだろうが。気付いていない格好をしただけに決まっている」

 忌部は透き通った目で紀乃を睨み、着流しの袖に両腕を入れて腕を組んだ。

「今すぐ帰れ、でないと連れて行かれるぞ。子供が辛い目に遭うことなんてない、辛い目に遭うのは大人の役目だ。 お前とか呂号みたいな子供は、あと二三年は親にしっかり育てられるのが仕事なんだよ。今はその親とは離れ離れ かもしれないが、ゾゾがその代わりをしてくれている。少しだけでいいんだ、今はあいつに守られてやれ」

「嫌!」

「我が侭言うな!」

「我が侭じゃない! 子供でもない! ゾゾは親でも何でもない!」

「お前なぁ、いい加減にしないと!」

 忌部が詰め寄ると、紀乃は強く言い返してきた。

「じっとしていられないんだもん。ゾゾがひどい目に遭ったらどうしよう、とか、呂号……じゃない、露乃が本当に本当に 処分されちゃったらどうしよう、とか、また忌部島が襲撃されたら今度こそ私が戦って勝たなきゃ、とか、ガニガニ と仲直りするためにはどうしたらいいんだろう、とか、ちゃんとしたお姉ちゃんにならなきゃ、とか、毎日色んなことを 考えるけど、何をどうしたらいいのか解らなくなってきちゃったんだよ。だから、出来ることからする。本家の御前様 って人に会って、言いたいことを言うだけ言ってみる」

 紀乃は一度唇を閉じ、目線を彷徨わせてから小声で付け加えた。

「私は龍ノ御子なんかになれないし、ゾゾの大事な人には敵わないだろうけど、でも、ゾゾの役に立ちたいの」

「そうか……。全く、お前って奴は」

 真意を察した忌部は苦笑いし、紀乃の肩を軽く叩いた。

「ヤバいと思ったら、お前だけでもすぐに逃げろ。それだけは約束しろ」

「うん。でも、その時は忌部さんも一緒だからね。でないと、翠さんが泣いちゃうから」

 忌部は少し笑い、紀乃の髪を乱そうと手を伸ばしかけたが、引いた。ピンヒールのブーツを履いているせいもある のだろうが、紀乃がほんの少しだけだが成長したように見えた。白い波飛沫を散らしながら迫ってくる高速艇の船影 が徐々に近付き、エンジン音と排気の匂いが爽やかな温度の潮風に混じりながら届いた。紀乃はいつになく真剣な 顔をして高速艇を睨み付けていて、並々ならぬ決意が見て取れたが、顔色は冴えていない。昨夜はほとんど眠って いないのかもしれない。その眠れぬ夜中に悩みに悩んだ末に考えたであろうゾゾを出し抜く手段は子供騙しもいい ところで、本家の御前様、もとい、竜ヶ崎全司郎に異議申し立てをするにしても具体的な案があるとは思いがたい。 だが、その気持ちを蔑ろにはしたくない。忌部をせめてもの励ましになればと、紀乃の華奢な肩に手を添えた。
 少女はまだ見ぬ敵に怯え、震えていた。




 高速艇のエンジン音が遠のいていく。
 紀乃の格好をした呂号は、開け放した窓から滑り込んでくるエンジン音を聞き取っていた。本土のある北に向けて 直進しながら、海面を切り裂く様が伝わってくる。以前ほど正確な距離は測れないが、大体の位置は特定出来る。 音楽の代わりにエンジン音に耳を澄ませ、朝から昼に移り変わりつつある日差しの暑さを肌で感じていると、背後の 引き戸が開いた。尻尾を引き摺る音と足音が重なっていたが、甚平のものよりも軽い足取りだった。畑の土と草の 湿った匂いが鼻を突き、作物の匂いも入り混じっていた。視線が背筋から首筋を這い上がる感覚に襲われ、呂号は 唇を引き締めて身震いを堪えた。こんな浅はかな考えがゾゾに気付かれないわけがない。双子で顔が似ていると いっても、表情も違えば髪型も違えば肌の日の焼け具合も違うはずだ。頭ごなしに怒られはしなくとも、叱責される のはまず間違いないだろう。紀乃に懇願されて折れてしまった自分の情けなさを自嘲しつつ、呂号は覚悟を決め、 ゾゾが近付いてくるのを待った。土と草の匂いと彼独特の匂いが潮風に混じり、緩やかに室内に広がった。

「呂号さん。紀乃さんを行かせてしまって、良かったのでしょうか」

 呂号の座るベッドの傍に来たゾゾは、床板に腰を下ろした。その声は、意外にも穏やかだった。

「良くないと思うのなら今すぐにでも高速艇から引き摺り下ろせばいいじゃないか」

 呂号は掛布をめくって布団の上に横たえていたエレキギターを引っ張り出し、胡座を掻いた膝の上に置いた。

「お前は本心では紀乃を利用したいんだ。紀乃は龍ノ御子とやらに相応しい生体情報を持っているのだろう。だから 局長は紀乃を生体兵器に分類した上で忌部島に隔離したんだ。そしてお前は局長の思惑を感じ取った上で紀乃を 可愛がった。その結果紀乃はお前を慕うようになった。お前の苦しみを取り除くために憎んで止まない局長を倒しに 行った。何も嘆くことはない。お前なんかのために命を張る紀乃が愚かなだけなんだ」

「紀乃さんがクソ野郎の手元に行けば、奴は少しは油断します。ワンの首、龍ノ御子たり得る紀乃さん、そして忌部の 御前たる忌部さんが手元に揃うのですから。その隙を衝き、私はワンの蘇生手術を行う予定です。それが上手く 行く保証はありませんが、クソ野郎を出し抜くにはワンの肉体を私の制御下に置く必要があるのです。ですが、それ が正しいことだとは思いません。私を信じて下さった紀乃さんに対する裏切りです。最低ですね」

 ゾゾは尻尾を緩く振り、床板に擦った。

「いや。僕はそうは思わない。実に合理的だ。事態を打開するためには必要な判断だ。それとも何か。お前は血も 涙もない冷血宇宙トカゲだと罵倒してほしかったのか。それとも紀乃の身を案じもしない僕を責めるつもりなのか。 紀乃と忌部が戦いに出るからといって日常生活を中断して二人の身の安全を祈っていろとでもいうのか」

 呂号が抑揚もなく述べると、ゾゾは口元を薄く広げた。

「欲を言えば、罵倒してほしかったところですね。今も昔も、私は意気地がないですから」

「腑抜けた男は嫌いだ」

「おやおや、それはそれは」

 ゾゾは笑ったような声色だったが、明るくはなく、むしろ自嘲の念が含まれていた。紀乃には行くなと言ったくせに、 紀乃が行くことを止めなかった己を責めているのだろう。呂号は泣き声のようにも思える引きつった呼吸を繰り返す ゾゾの様子を気に留めながら、ギターの弦に指を掛けた。だが、曲を弾く気分にはなれず、呂号はネックを握った手 を緩めて弦から指を外した。窓枠に区切られた日差しが眩しく、外界が見えているような錯覚を起こさせる。舌の上 には紀乃が作ってくれたチーズ味の揚げドーナツの脂っ気と味が残り、胃の中が少し重たい。セーラー服には姉の 匂いが染み付いていて、自分が紀乃になったかのような気分になった。慣れないスカートをギターの本体で押さえて 中身が見えないようにしながら、呂号は竜ヶ崎全司郎に立ち向かうべく旅立った姉の心境を思い描いた。
 ひどく、胸が痛んだ。





 


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