南海インベーダーズ




御三家御前会合 前



 その後、忌部と紀乃は二度三度と乗り換えさせられた。
 最初に乗った高速艇は硫黄島に着港し、その後に小型プロペラ機に乗り換えさせられ、羽田空港に輸送された。 羽田空港に到着すると、今度は自衛隊の戦闘車両に囲まれた護送車に乗せられた。太い鉄格子が填っている上に スモークフィルムが貼られている窓からは外の様子など解るはずもなく、退屈な時間ばかりが続いていた。忌部は 包帯を巻いた足を組み、幅の広い袖に両腕を突っ込んで腕を組んだ。懐に手を動かすような仕草をすると、二人の 警護を担当している数人の自衛官が身動きしかけたが、忌部の手中から物音がしないことに気付いてすぐに腰を 引いた。仕事熱心で結構だ、と彼らに感心しつつ、忌部は紀乃を窺った。呂号から借りたメタルファッションのまま なのと、超能力を抑制する電磁手錠を両手首に填められているので窮屈そうだった。長時間乗り物に揺られている せいもあるのだろうが、顔色は良くなかった。忌部は紀乃の様子が気になり、話し掛けた。

「お前、大丈夫か?」

「あんまり」

 武装した女性自衛官に左右を挟まれている紀乃は、ピンヒールのブーツを履いた両足を抱えた。

「でも、まだ大丈夫。だから、そんなに心配しないで」

「無理だけはするなよ」

「うん」

 忌部は紀乃の横顔を見ていたが、外界を写しもしない車窓に向き直った。二人が短く言葉を交わしても、自衛官 達は微動だにしなかった。戦闘員に過ぎない彼らは忌部と紀乃がどんな理由で都内まで連れてこられたのか、知る 由もないだろう。忌部は懐に入れておいた和紙の封筒の指触りを確かめ、本家の御前様であろう竜ヶ崎全司郎の 思惑に考えを巡らせた。ゾゾの言うことが本当なら、竜ヶ崎は最初から人間ではない。人間の振りをして人間の中で 長らえてきた、れっきとした異星人だ。だが、竜ヶ崎はミュータントを社会から隔絶するために尽力し、インベーダー との戦いを繰り広げてきた。戦後間もなく忌部島に住まうゾゾの存在が日本政府に確認されて以来、竜ヶ崎率いる 変異体管理局の面々はゾゾを始めとしたインベーダーを退け、日本を、引いては世界を守ってきた。竜ヶ崎が人間 であるという前提で考えるとそれは純然たる正義だが、竜ヶ崎がゾゾと同じものだとすれば、事態は根本的な部分 から変わってくる。甚平の言うように、確かめることも、知らなければならないことも、まだまだ多い。昨日のゾゾの話 が全て本当だとは信じられないが、信じてみたい気分ではある。どれほど荒唐無稽であろうとも、自分という存在の 背景が欲しい。紀乃には偉そうなことを言ったが、やはり、心細いのだ。
 都内らしき場所を走ること数十分、護送車は停車した。自衛官達にせっつかれて、忌部と紀乃は薄暗い車内から 明るい屋外に追い出された。秋口に差し掛かっても真昼の日光は鮮烈で、透明なので光に対する耐性の強い忌部 ですらも一瞬目が眩んだ。紀乃に至ってはあからさまに顔をしかめ、不安定なピンヒールのせいもあり、よろけた。 忌部は紀乃を支えてやってから、改めて進行方向に向き直った。周囲の電信柱を見やり、ここが東京都区内である ことを確かめてから、もう一度前に向いた。竜ヶ崎、との表札が付いた門は仏閣を思わせる大きさで、その両脇から 伸びる瓦屋根の漆喰塀は三メートル近い高さがあった。塀の上から覗く母屋の屋根は、漆喰塀に守られるに値する 規模のもので、年季の入った黒い瓦が日差しの細切れを撥ねている。どう見積もっても、竜ヶ崎邸の敷地は二千坪 はありそうだ。門の中央には古びた鉄製の家紋が埋め込まれ、とぐろを巻いた竜が二人を見下ろしていた。
 忌部と紀乃はなんとなく顔を見合わせてから、門に近付くと、門は重たく軋みながら開いた。両開きの扉の奥には 御影石の石畳が連なり、両脇には手入れの行き届いた日本庭園が広がっている。庭木は美しく刈り込まれ、季節に 合った花が品良く咲き、石畳の両脇には玉砂利が敷き詰めてある。その先には母屋があり、家紋の入った瓦が 正面玄関の真上に据えられていた。忌部は紀乃を連れ立って中に入り、熱い石畳を踏み締めた。紀乃はますます 気圧されてしまい、忌部の帯をきつく掴んでいる。忌部はそんな紀乃を励ましてやりながら正面玄関に入り、雪駄を 脱いで上がった。紀乃も同じくピンヒールのブーツを脱ぎ、上がった。足の裏に触れた床板はひやりと冷たく、九月の 蒸し暑い外気とは正反対だ。長く続く廊下を見、忌部は奇妙な既視感を覚えた。

「あれ?」

「何、どうしたの?」

 紀乃は忌部の陰に隠れながら、廊下の先を恐る恐る窺った。忌部は袖から手を抜き、顎をさすった。

「ここには、初めて来たって気がしないんだ。何十年も前に、似たような場所に連れてこられたような」

 忌部は紀乃の手を引き、歩き出した。歩きながら、徐々に記憶の枷が緩み、情景が蘇ってきた。うんと幼い頃に、 この屋敷には一度だけ来ている。その頃はまだ夫婦仲が健在だった両親に連れられて訪れたが、五歳年上の兄は なぜか一緒ではなかった。幼い忌部は母親に手を引かれてこの長い廊下を歩き、大人ばかりが待っている広間に 連れて行かれた。今にして思えば上座に座らされ、母親はすぐに幼い忌部の傍から離れていった。父親はずらりと 並んだ大人達の中に混じり、幼い忌部を見つめていた。そして、忌部の背後には大柄な男が一人。その男が声を 発すると、父親を始めとした大人達は口々に話し合い始めた。それが怖くて、母親が傍にいないのが寂しくて、幼い 忌部は泣き出した。すると、背後の大柄な男が幼い忌部を抱き上げてくれた。その手の冷たさと声色の柔らかさは 長らく背筋に染み付いていたことまで、忌部は思い出した。今にして思えば、あの時に忌部は忌部家の御前として 選ばれていたのだろう。だとすれば、長男である兄が姿を消した理由もそこにあるのかもしれない。
 奥の間の障子戸の前で、忌部と紀乃は足を止めた。入りたまえ、と室内から声を掛けられたので、忌部は床に膝を 付いた。紀乃は突っ立ったままだったので、同じように膝を付いて座らせてから、忌部は障子戸に手を掛けた。

「失礼いたします」

 心中の重たさとは裏腹に、障子戸は滑らかに開いた。まず最初に視界に入ってきたのは、床の間に飾られた花と 開け放たれた障子戸の先に見える中庭だった。小さくも澄んだ水を湛えた池が日差しを撥ねて逆光を作り、ただで さえ薄暗い奥の間との明暗を濃くしていた。床の間を背にした上座には家紋入りの和装姿の竜ヶ崎全司郎が胡座 を掻き、その手前の床脇の前には滝ノ沢家の家紋が入った黒留袖姿の女性が座り、二人の前には冷たい緑茶が 入ったガラス製の茶碗が置かれていた。忌部に倣って奥の間に入った紀乃は、自分の格好の浮き具合でますます 気後れしたが、腹を括って中に入った。忌部は紀乃と並んで下座に座り、二人と対峙した。

「この度は会合にお招き頂き、誠にありがとうございます。御前様方」

 忌部は座布団の脇に座り、深々と頭を下げた。紀乃はかなり戸惑いながらも、一応、礼をした。

「肩の力を抜きたまえ、忌部君。君と私は知らぬ仲ではないだろう」

 竜ヶ崎全司郎は忌部と紀乃の顔を上げさせてから、裂けた口を歪めて笑みらしき表情を見せた。忌部は竜ヶ崎を 見据えるために、包帯の間に隠れた目を細めた。紀乃は竜ヶ崎と向き合おうとしたが、臆し、揃えた膝を見つめる ばかりだった。無理もない、ゾゾの話で予想が付いていたとしても、実際に目にすると戸惑ってしまうだろう。
 屋根に区切られた日差しを浴びた竜ヶ崎全司郎は、ゾゾと寸分違わぬ姿だった。紫のウロコ、赤い瞳孔の単眼、 間に水掻きが張った四本指の手、長い尻尾、人間を遙かに上回る体格。忌部が竜ヶ崎の姿を目にするのは、これが 初めてではない。これまでも、変異体管理局で竜ヶ崎と顔を合わせた際に目にしてきた。だが、様相の特異さに 疑問を持ったことはなかった。竜ヶ崎本人から、若かった頃に体をいじくられたせいで人間らしい姿形を失った、と 聞かされていたからだ。忌部もそれを信じていたし、他の局員もそうだった。そういうこともあるのだろう、とだけしか 感想を抱かなかった。その頃の忌部は、あちら側に一歩踏み込む勇気がなかったからだ。

「忌部君。君がこの屋敷に来るのは初めてではないね。覚えているかね?」

 竜ヶ崎は包帯を巻き付けて輪郭を作っている忌部を、単眼で丹念に見回した。

「ええ、うっすらとですが」

 忌部が硬い口調で返すと、竜ヶ崎は厚い瞼を狭めた。

「あれはだね、前回の御前会合なのだよ。忌部家の御前に相応しい人間がおらぬようになってしまったから、次の 御前に相応しい人間を選ぶために、皆に集ってもらったのだよ。その時に、君が御前となる資格を得た。決めたのは 他でもない私であるがね」

「そうなのですか。ただ単純に、親父が死んで兄貴が失踪しているから、俺に押し付けられたものだとばかり」

 古い記憶の真実を知った忌部が無感動に返すと、竜ヶ崎は一度瞬きした。

「御前というものは、そう簡単なものではないのだよ。よく覚えておきたまえ」

「御前様に呼び付けられたからとはいえ、よくもおめおめと顔を出せたものね」

 黒留袖姿の女性はメガネの下から目を上げ、紀乃を睨み付けた。一ノ瀬真波だった。

「え、なんで、この人が?」

 混乱しきった紀乃が腰を引くと、竜ヶ崎は口元から牙を覗かせた。

「彼女は滝ノ沢家の御前なのだよ、斎子家の御令嬢。真波もまた、我らの血族なのだ」

「分を弁えなさい、インベーダー。あなたは御前様のお目に掛かることすら、おこがましいのよ」

 真波はあからさまに紀乃を敵視し、蔑んでもいた。肩を縮めた紀乃は目を下げ、畳の目を見つめた。

「では、顔触れが揃ったところで、話を始めようではないか」

 竜ヶ崎は座卓の傍に置かれていた盆から冷茶の入った茶碗を取り、二人の前に置いた。

「我が本家、滝ノ沢家、忌部家と、御三家の行く末についての話だ。忌部君、申し立てはないかね?」

「それはもう、いくらでも」

 忌部は茶碗には手も伸ばさず、竜ヶ崎の単眼と目を合わせた。

「局長、いえ、竜ヶ崎の御前。あなたの本懐は何なのですか?」

「私の本懐? そうさな、国家の平和と一族の安泰だよ。それ以外に願うことなどあるものか」

「あなたの素性については、ゾゾから聞きました」

「それが、どうかしたというのかね」

「あなたは忌部島そのものである宇宙怪獣戦艦を利用し、ニライカナイに行きたいのでしょう。そのために俺を始めと した一族に生体改造を加え、ミュータントと化させ、宇宙怪獣戦艦を再起動させるために必要な龍ノ御子を作ろうとした のでしょう。俺と紀乃を呼び付けたと言うことは、竜の首、というか、ワン・ダ・バの首も既に見つけておられる はずです。あなたの最終目的が何かは存じ上げませんが、今すぐに手を引いて下さい」

 忌部が一息に言い切ると、竜ヶ崎は一口冷茶を啜ってから、肩を揺すって笑い出した。

「何を言い出すかと思えば、そんなことかね。忌部君、君はあの島にいる間に随分とアレに毒されたようだなぁ」

「可笑しいことなどないでしょう」

 忌部が真顔で言い返すと、竜ヶ崎はひとしきり笑ってから、また冷茶を口に含んだ。

「龍ノ御子? 宇宙怪獣戦艦? ニライカナイ? いずれも興味深い事柄ではあるが、私の専門分野ではないね。 そうか、そうか、アレはそんなことを言い出すようになったか」

「竜ヶ崎さんは、ゾゾの話が嘘だとでも言うんですか?」

 紀乃が消え入りそうなほど小さな声で発言すると、竜ヶ崎は紀乃に単眼を向けた。

「まさか、アレの話を信じろとでも? アレは自分を異星人だと思い込んでしまった、哀れで愚かで馬鹿げた人間の 末路だよ。この広い宇宙には異星人がいるかもしれないがね、アレは純然たる人間なのだよ。善良で気の利く男では あるのだが、ミュータントと化した際に頭の方をやられてしまったようでね。閉鎖された環境で暮らし続けたせいも あるのだろうが、いやはや……。そこまで悪化していたとはな」

 竜ヶ崎はゾゾとほとんど同じ顔で、紀乃を見下ろしてきた。紀乃は拳を固め、なけなしの勇気を振り絞った。

「ゾゾは人間じゃありません、異星人です。それに、ゾゾは嘘なんか吐きません!」

「本人が嘘だと思わなければ、嘘にはならないのだよ。アレは人間の姿を失ってからというもの、妄想の世界だけで 生きている。ニライカナイなど、本当にあると思うのかね。宇宙怪獣戦艦にしても、幼稚な妄想に過ぎん。龍ノ御子 だの、竜の首だの、何だのと随分と下らないことを吹き込まれたようだね。いやはや、全く」

 竜ヶ崎は太い指の間に挟んだ茶碗を置き、呆れ混じりにため息を吐いた。

「いいかい、忌部君、紀乃さん。ゾゾ・ゼゼなどという異星人は、この宇宙のどこにも存在していないのだよ。アレの 本当の名は竜ヶ崎総次郎といってな、私の兄弟だ。今となっては兄弟だと思うのも煩わしいのだが、血の繋がった 人間を放ってはおけまい。増して、それがミュータントであればな。私とアレがこの姿になってしまったのは、若い頃 のことでね。戦後間もない時代だ。竜ヶ崎家は資産を多く持つ旧家ではあったが、戦争の煽りを受けて傾いていた。 だから、私と総次郎は港に働きに出ることにしたのだよ。そこで、私と総次郎は不幸にも事故に遭った。幸いにも命 だけは取り留めたのだが、私も総次郎も目玉が片方ずつ潰れ、全身の骨や皮にひどく損傷を受けてしまったのだ。 当然、私と総次郎は三途の川を何度も渡り掛けた。両親や親族は八方に手を尽くしてくれたのだが、いかがわしい ものにも手を出してくれてしまったのだよ。大陸から取り寄せた竜の皮だの竜の肝だの何だのと、とにかく妙なもの を次から次へと体に貼り付けられたり、喰わされたりしたのだ。そのおかげかどうかは知らんが、私と総次郎は息を 吹き返した。だが、目を覚ましてみれば、私と総次郎は世にも恐ろしいトカゲと化していた」

 竜ヶ崎は、苦々しげに頬を引きつらせる。

「私は長男ということもあって、本家を継いで残ることを許された。だが、次男の総次郎は違った。一族が所有する 離島、忌部島に島流し同然に送り込まれ、そのままにされてしまったのだ。そして、今に至るというわけだ。なんとも 哀れな弟だよ、総次郎は。アレの話は聞き流すだけにしておいてやれ、本気にすることはない」

「でも、ゾゾは……」

 紀乃は言い返そうとしたが、上手い言葉が出てこず、結局また俯いた。

「人当たりがいいというだけで訳の解らない輩を信用するなんて、つくづく愚かね」

 真波はぴんと伸ばした背筋を全く崩さず、薄く結露が浮いた茶碗を手にして冷茶に口を付けた。

「他に話すべきことはないのかね、忌部君。なければ、私から話をさせて頂こう」

 竜ヶ崎は赤い単眼を左右に動かし、忌部と紀乃を眺めた。

「忌部君。君の父上が忌部家の本邸を売却して取り潰し、商業施設を建てたが廃墟と化した土地があっただろう。 良ければ、あの土地の利権を私に譲ってはくれないだろうか。君は書類の上での利権を持っているだけであって、 あの土地を有効活用出来る立場にはないだろう? 何、忌部家の資産を全て奪おうというのではない。利潤が出た ならば、忌部君や御兄妹に九割は還元すると約束しようではないか」

「あの土地のことですか? ですが、メテオの跡地は変異体管理局の管理下にあるのでは?」

 忌部が訝ると、竜ヶ崎は少し笑った。

「私が変異体管理局を動かしているのだ、その辺りはどうにでもなるとも。どうだね、悪い話ではないだろう」

「紀乃さん。あなたにもお話があるわ」

 真波は膝をずらして紀乃に向き、座卓の上に書類を広げた。

「生体改造手術同意書!?」

 書類を見た途端に紀乃が目を剥くと、真波は平坦に述べた。

「そうよ。呂号を廃棄処分したため、甲型生体兵器の配備枠に一体分の空きが出来たの。けれど、その穴を埋める のに相応しい能力を持ち合わせたミュータントも、生体改造手術に耐え切れる体力を持ったミュータントも、生憎、 手元にいないのよ。この同意書に名前を書いて捺印してくれるだけで、あなたがこれまで行った愚かしい侵略行為を 全てなかったことに出来るのよ。甲型生体兵器・仁号として、インベーダーと戦いさえすれば、以前の生活に戻る ことも許可してあげられるかもしれないわ」

「あげられるかもしれない、でしかないんですよね? 甘言にしても曖昧すぎますよ、滝ノ沢の御前」

 忌部が言い返すと、紀乃は声を上げた。

「そうです! そりゃ、私はお父さんとお母さんと出来れば妹とも一緒に暮らしたいけど、でも、生体改造手術なんて 絶対に受けませんし、甲型生体兵器にもなりません! 私は皆と戦うなんて、絶対に嫌です!」

「やれやれ、困ったものだな」

 竜ヶ崎は首を左右に振ってから、紀乃を見下ろした。その眼差しはゾゾとは違い、鋭利だった。

「いいかね、紀乃さん。総次郎、いや、ゾゾは充分に危険なのだよ。アレは妄想狂で己の世界に浸り切っているが、 決して安全ではない。君を始めとしたインベーダーにいい顔をして近付いているのは、馬鹿げた妄想を具現化しよう としているからだ。宇宙怪獣戦艦などという荒唐無稽な妄想の産物も、紀乃さんのようなミュータントがいなければ 実現不可能だ。逆に言えば、君達のようなミュータントを掻き集めて傍に置くことで、荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい世界 を造り出そうとしているのだよ。ただの妄想で終わるのならいいが、それが実現してしまえば、この国を始めとした 世界は混乱する。ただでさえ不安定な国同士の均衡が、完璧に崩れてしまいかねないのだよ」

「妄想……?」

 紀乃は竜ヶ崎から目を逸らすまいと堪えるが、竜ヶ崎はやや身を乗り出して紀乃に迫った。

「そうだ、妄想だ。全ては総次郎の妄想なのだよ。異星人も、宇宙怪獣戦艦も、龍ノ御子も、何もかもが。いい加減に 目を覚ましたまえ、さすれば現実が見えてくる」

「ですが、竜ヶ崎の御前。全てがゾゾの妄想だと言うのでしたら、なぜ翠は龍ノ御子の話を知っていたのですか?  なぜ妹である翠を俺に宛がったのですか? なぜ極度の紫外線アレルギーを持つ翠を実戦配備したのですか?」

 忌部は紀乃に代わるように、竜ヶ崎に対峙した。竜ヶ崎は身を引き、忌部に向く。

「忌部君と翠さんは兄妹ではあるが、血の繋がりはないだろう。戸籍の上では赤の他人なのだし、夫婦として添った としても何の問題はない。翠さんは体質と能力の都合上、外へは出られない身だ。だから、せめてもの女の幸せを 与えてやりたかったのだよ。だが、翠さんはその力の強さ故、乙型生体兵器二号として分類せざるを得なかった。 対インベーダー作戦に翠さんを運用したのは、やむを得ない措置だったのだ。実はあの時、翠さんを他の医療施設に 移送して紫外線アレルギーを治療したらどうかという話が持ち上がっていたのだが、医療施設側は翠さんを理解 するどころか新薬の実験台として利用するつもりでいた。ああでもしなければ、翠さんを逃がせなかったのだ」

「じゃあ、ハツさんってどんな人なんですか」

 不安と緊張ではち切れそうな声色で、紀乃は呟いた。両手首を狭めると、電磁手錠の鎖が硬く鳴った。

「ゾゾの話に何度も出てくる、龍ノ御子になったって女の人です。ニライカナイに行った人です。きっと、ゾゾの大切な 人だったはずの人です。私はその人のことを全然知りません。ゾゾが教えてくれないからです。これからも、ゾゾは 教えてくれないでしょう。全部がゾゾの妄想だと言うのなら、竜ヶ崎さんはゾゾからハツさんって人の話も聞いている はずです。だから、教えて下さい。その人が本当にいたのかどうか、いたとしたら、ゾゾにとって何だったのか」

「……いやはや、全く」

 竜ヶ崎は額に手を添えると、喉の奥で低く笑みを零した。

「ハツは私の妻だよ。あの愚かな男は、どこまでも勘違いをしているようだ」

 心の底から可笑しげに、竜ヶ崎は笑う。

「確かに、私と総次郎はハツを巡って争ったことがあるかもしれん。ハツは魅力に溢れた女性であったから、無理も ないことだ。だが、ハツは私の妻であって龍ノ御子でも何でもない。そういうことなのだよ、紀乃さん」

 紀乃は混乱してしまい、しきりに忌部と竜ヶ崎の間で目線を動かしている。ゾゾと竜ヶ崎のどちらを信じていいのか、 解らなくなってしまったのは忌部も同じだ。だが、ここで忌部までもが不安を口にすれば、紀乃は余計に混乱に陥る だろう。しかし、何も言わずにいれば混乱を深めるばかりだ。忌部は包帯の下にじっとりと汗を掻き、喉の渇きを 感じたが、結露の浮いた冷茶には手を伸ばさなかった。ゾゾと竜ヶ崎のどちらが正しいのか、判断を付けかねて いた。敵対関係にあったのに、あっさりと忌部や呂号を受け入れてくれたゾゾを信じたい気持ちは充分にあったが、 竜ヶ崎の話は真実味が強かった。筋が通っているし、口調に淀みはなく、態度も平静だ。作戦の都合上とはいえ、 忌部と翠を切り捨てた竜ヶ崎への悪感情は胸中に凝り固まっている。だが、しかし。忌部は心中がぐらつき、嫌な 汗が染みた包帯を巻いた指を握り、拳を固めた。

「忌部君も、紀乃さんも、私に対しては随分と思い違いをしているようだね」

 竜ヶ崎は太い尻尾を振り、ざらりと畳を擦る。

「これまで、私は国家と国民と一族を守るために尽力してきた。竜ヶ崎家の跡を継ぎ、御三家とその分家をまとめる 傍ら、いかにして効率良く成果を上げるかを考えてきた。甲型生体兵器にしてもそうだ。あの子達は生まれ持った力 を生かせずにいたばかりか、他の子供に比べてほんの少しだけ不自由な思いをしていた。だから、私はあの子達の 脳に少々手を加え、その力と才能を解放してやった。あの子達のことを哀れだとでも思うのなら、まずは君達が 愚かしい行為を止めるべきではないのかね。侵略行為さえ行わなければ、インベーダーはインベーダーとならず、 ただのミュータントに止まるのだよ。それが解らぬとは言うまい?」

「だったら、そのただのミュータントはどうなっているんですか? 呂号みたいに、保護施設ってやつに隔離して処分 しているんですか? 本当はただのミュータントなんてどこにもいなくて、皆が皆、生体兵器にされて、呂号みたいに ボロボロになるまで使っただけなんじゃないですか? それで、その後は……」

 紀乃は掠れ気味の声を張ろうとしたが、語尾が弱まった。真波は眉を顰めたが、竜ヶ崎は平静だった。

「では、逆に聞こうではないか。私がミュータントを隔離し、処分したという事実がどこにある? 期待に添えず残念 だが、私はそこまで冷酷な人間ではないのだよ。変異体管理局で存在を確認し、保護したミュータントは、海上基地で しばらく留置した後に身の振り方を決定する。忌部君のように局員として採用する場合もあれば、伊号らのように 甲型生体兵器として生体改造手術を施術する場合もあれば、君の友人のように乙型生体兵器として実戦配備する 場合もあるのだよ。そのいずれにも適していないミュータントの場合は、沖縄の慶良間諸島にある離島の保護施設 へと移送され、一般社会に害を成さないように隔離するのだ。紀乃さんは彼らを隔離することは世にも恐ろしいこと だとでも思っているようだが、彼らに過酷な生体実験を繰り返しているわけでもなければ、人権がないからといって 無遠慮に殺戮しているわけでもなければ、治外法権を傘に刑罰を与えているわけでもない。私は彼らに生きる場所を 与えているだけなのだよ。君達や、伊号らのようにね」

「そろそろ理解してくれたかしら? あなた方がいかに間違っていて、御前様がいかに正しいのかをね」

 真波は優越感に浸った顔で、紀乃と忌部を見やった。紀乃は言い返そうにも言い返せなくなり、とうとう黙り込んで しまった。言いたいことの半分も言えていないだろうが、相手が悪すぎるのだ。竜ヶ崎も、真波も、ただの中学生に 過ぎなかった紀乃が到底言い負かせる相手ではない。だが、ここでやり込められてしまっては、わざわざ敵の懐に 飛び込んだ意味がない。忌部は透明の体を透かさずに突き刺さってくる竜ヶ崎と真波の視線を浴びながら、様々な ことを頭に巡らせた。これまで起きた出来事や見知ってきた物事を。障子戸も雨戸も開け放たれているのに、空気は 粘り着くように重たい。包帯の隙間から吸った空気は、僅かに忌部島の匂いがした。

「……そうだ」

 忌部は顔を戒める包帯を緩め、今一度、深呼吸した。

「俺達が福井県の八百比丘尼の洞窟に行った時、紀乃が機銃掃射を浴びました。ですが、あの戦闘の陣頭指揮を 執っていたのは田村です。俺の知る限り、田村はそこまで過激ではありません。では、誰が紀乃を撃ったのですか。 俺達に生きる場所を与えると仰る一方で、本気で殺しに掛かってきているのはなぜですか」

「確かに、あの場を取り仕切っていたのは田村現場監督官補佐だ。だが、彼女にはそこまでの権限はないよ。あると すれば、この私だ。許してくれとは言わないが、あの場はああする他はなかったのだ。八百比丘尼の洞窟は私と ハツの思い出の地でね。少々手荒であっても、守り通したかったのだ」

 竜ヶ崎は単眼を糸のように細め、冷茶を最後の一滴まで飲み干した。厚いウロコが張り詰めた喉が上下し、吐息と 共にガラス製の茶碗が下ろされた。茶碗から滴った結露の輪の上に茶碗が重なり、水気の残る茶碗を透かして 見える竜ヶ崎の姿は湾曲していた。それが嘘だという証拠はない。だが、真っ向から信じるのはあまりにも愚かだ。 竜ヶ崎の笑みは消えず、真波の態度も柔らがない。紀乃はすっかり弱り、忌部も言葉に詰まってしまった。これが、 御前会合だというのだろうか。一族の行く末について議論するのではなく、インベーダーと竜ヶ崎の間の折り合いを 測っているだけではないか。忌部は動揺と混乱が一巡した末、奇妙なほど冷静になった。
 竜ヶ崎全司郎は嘘を吐いている。





 


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