南海インベーダーズ




珪素生物回路的自立行動



 職員食堂のテーブルには、湯気を立てる丼鉢が並んでいた。
 めんつゆの中には茹で上がったそばが浸り、その上には少々焦げ気味のコロッケが鎮座し、トッピングにワカメと 小口切りのネギが添えられていた。それを作った主であるエプロン姿の紀乃は、居たたまれないと言わんばかりに 俯いてエプロンの裾を掴んでいる。恥じらいと情けなさのあまりに、今にも泣いてしまいそうでもあった。職員食堂に 入ってきた面々はコロッケそばと紀乃を見ていたが、これといってコメントもせずに席に着いた。それが尚更、紀乃の 情けなさを煽り立て、紀乃はぐにゃっと顔を歪めて厨房に振り返った。

「やっぱりダメだよぉ、こんないい加減なのー!」

「仕方ないだろうが。今の俺達は、食堂の在り合わせで喰っていくしかないんだ。普通の料理が出来上がったことを まず喜べ、そして俺のバイト経験が生きたこともな。お前一人じゃ使えなかっただろうが、ここの機材は」

 厨房から出てきた可視状態の忌部は、エプロンは付けていたが上半身は脱いでいた。

「で、でも、そばだよ、コロッケだよ、合わないって絶対にぃ!」

 紀乃が嘆くと、忌部はエプロンを外して脇に抱えた。

「お前は駅そばってのを喰ったことがないのか? 見た目は尋常じゃないが、結構イケるぞ」

「う、うぅ……」

 紀乃は出来る限り身を縮めて、後退った。忌部島が本来の姿を取り戻した際に長い年月で積み重なった地面が 全て崩壊してしまったので、当然、それまで生活を送っていた廃校や畑やその他諸々も崩壊してしまったため、今は 変異体管理局の施設に頼って生活するしかなかった。久し振りに人工物に囲まれた暮らしは悪いものではないし、 使い勝手も良いのだが、ゾゾが作ってくれる南国料理が食べられなくなったのは非常に惜しかった。その上、ゾゾは 竜ヶ崎と一対一でやり合ったが右腕を奪われ、料理を作る以前の状態に陥った。更に言えば、紀乃はゾゾとの間に 微妙な行き違いを起こし、仲直りはしたのだが、その流れでゾゾに食事を作ることを約束した。故に、まともな戦力 になりそうな忌部に手伝ってもらって職員食堂で奮闘したが、結果はコロッケそばだった。

「ま、いいんじゃないっすか? 喰えるんならなんだって」

 真っ先に割り箸を割ったのは、フルサイボーグの男、山吹丈二だった。

「同上」

 その隣に座る田村秋葉は、左手だけを使って割り箸を割った。

「平然とメシを食いに来るなよ、お前らは。お互い立場は微妙だが、一応、敵同士だろうが」

 芙蓉と並んで席に着いた虎鉄が割り箸で山吹らを指すと、採光ゴーグルを被った呂号が怪訝な顔をした。

「全くだ。現金すぎやしないか」

「私達にも事情がある。丈二君と協議した結果、インベーダー側に付くべきだと判断したまでのこと」

 テーブル中央の調味料入れからソースを取った秋葉は、無造作にコロッケに掛けた。

「その辺の事情については根掘り葉掘り聞かせてもらうとして、そっち側の情報も流して欲しいのよねぇ。そりゃもう どばぁっと大盤振る舞いで。後がないのもお互い様なのよね」

 芙蓉が割り箸を振りながら笑うと、呂号の隣に座った甚平はちょっと考えてから、控えめに発言した。

「あ、うん、でも、大方、波号絡みじゃないのかな。波号は僕らとは縁遠いっていうか、この中の誰とも血の繋がりが ないっていうかで。だけど、えと、山吹さんと田村さんは、露乃ちゃんと、伊号、じゃなくて、いづるちゃんとも長いこと 付き合ってきたみたいだから、当然波号とも付き合いが長いわけだし。だけど、その波号は、竜ヶ崎全司郎の懐刀 っていうか、言ってしまえば最も危険な立場にいるっていうか。僕らも充分アレな立ち位置だけど。でも、えと、その、 そういう立場にいる波号を助けるのは、僕らでもちょっと難しいっていうか」

「なんで解るんすか、そんなこと」

 インベーダー側に来た理由はまだ説明していないのに。山吹が臆すると、甚平は背を丸めた。

「あ、えと、悪いとは思ったんだけど、到着してすぐに基地の中を見て回ったから。資料室とか、事務室とか、管制室 とか、いづるちゃんと波号の部屋も。悪いとは思ったんだけど、大事なことを見逃して状況判断を見誤るといけない っていうかで。で、その、波号の部屋で、二人の似顔絵を何枚も見つけたっていうかで。波号本人の顔は描かれて いないけど、山吹さんと田村さんのはきちんと描かれていて、二人がいる絵の中にしか波号は描かれていないって いうかで。伊号と露乃ちゃんのは、一人ずつしか描かれていないっていうか。だから、その辺を踏まえて考えると、 波号は山吹さんと田村さんのことが凄く好きなんだってことで。え、で、だから、田村さんの負傷は脱臼と背中を浅く 切るぐらいで済んだんじゃないかって。だから、希望がないわけじゃなさそうだっていうかで」

「そこまで解っているのなら、私達を止める理由はないはず。協力してくれればそれでいい」

 秋葉は甚平を真っ直ぐに見据え、言い返した。甚平は気後れし、やや身を引いた。

「ゾゾから聞いた話を全面的に信用するなら、波号はワンをそっくりコピーしてもう一つの宇宙怪獣戦艦を造るつもりで いるらしい。波号さえ押さえれば竜ヶ崎全司郎の目的を妨げられることになる。だから、今、僕らと山吹さんと田村 さんが手を組むのは効率的っていうかだけど、いづるちゃんの能力があれば、僕らが何をしているかなんて筒抜け なんだよなぁ。だって、ほら、ねえ?」

 勝手に語って勝手に不安になった甚平が山吹を見やると、忌部は余り物のコロッケを載せた皿を運んできた。

「その辺については心配するな。俺が竜の首から分離される前に、生体電流を放出させて東京湾一帯にだだっ広く ジャミングを掛けておいた。伊号の能力を完全に封じるのは難しいが、海上基地から直径三十キロ圏内は電波が 入らないようにしてあるから、情報は漏れないはずだ。もっとも、そのせいでテレビは見られないがな」

「あらまあ。あれは御兄様の仕業でしたのね、今夜のサスペンスドラマを楽しみにしておりましたのに」

 全身に黒い包帯を巻き付けて黒地の着物を着ている翠は、残念そうに目を伏せた。職員食堂の全ての窓には、 例の花の泡の膜と同じ成分の粘液を塗布してあるが、念には念を入れて、ということで遮光しているのである。

「おい山吹、お前の適当なDVDを貸せ。翠に見せてやる」

 忌部が山吹を指すと、早々にそばを啜っていた山吹は面食らった。

「え? でも、俺のDVDコレクションなんて大半がアニメと特撮っすよ? でなきゃカルトな怪獣映画っすよ?」

「なんでもよろしゅうございますわ。山吹さんのお勧めをお貸し下さいませ」

 翠が丁寧に頭を下げると、山吹はめんつゆを吸ってふやけたコロッケをマスクの隙間に押し込んだ。

「そうっすねー……。んじゃま、俺の二十五年来の特撮ライフで見つけた最高傑作を貸すっすよ。その名も害虫戦士 ブラックローチ! でかくて黒光りする台所の悪魔が正義の味方を倒しまくるっていう、カルトもカルトなっ!?」

「俺の妹を穢す気かぁあああっ!」

 忌部が投げ飛ばした盆が命中し、山吹は仰け反った。が、すぐに持ち直して反論した。

「何を言うんすか御兄様、翠さんの御所望通りのお勧めっすよ超お勧め! ヤバすぎて再販掛からないけど!」

「よぉしそのDVDを今から叩き割ってくる、愛する妹の精神衛生のためだぁ!」

 忌部が職員食堂から飛び出すと、慌てた山吹は丼鉢と箸を抱えたまま駆け出した。 

「おっわあ! 待って下さいっすよ忌部さん、それだけはご勘弁願うっすマジご勘弁! 俺がブラックローチのDVDを 見つけるために割いた金と時間を無駄にするんすかぁー!」

 うるせえ黙れガチオタが、との忌部の罵倒が遠のいていき、二人の騒々しい足音が聞こえなくなると、黙々とそばを 啜っていた秋葉が箸を置いた。紙ナプキンで口元を拭ってから、翠を見やった。

「大丈夫、問題はない。丈二君のコレクションではなく、私の所有する映画のDVDを借用する」

「まあ、よろしゅうございますの?」

「大丈夫。私のものは丈二君ほどカルトではないし、至って健全。地球外生命体が幼生体を人間に寄生させ、腹を 裂いて繁殖を繰り返していくが悉く人間に阻止されるという、若干描写は激しいがストーリーは簡単な映画」

 真顔で答えた秋葉に、芙蓉は愛想笑いした。

「田村ちゃんって、私達のことがまだまだ嫌いなのねぇ」

 芙蓉の言葉に秋葉は反応せず、衣が崩れて崩壊寸前のコロッケを箸で掴み取って食べていた。虎鉄も何かしら 言いたげではあったが、娘の手料理が冷めてしまうのが惜しいので、ヘルメットを半端に押し上げてコロッケそばを 啜り込んだ。上下とも前歯がすっかり折れたのを気にしているためであるが、本人が思うほど周りは気にしていない ので、結果として滑稽である。芙蓉はちょっと困った顔で夫を見たが、コロッケそばに手を付けた。
 秋葉は二杯目を作りに厨房に向かい、甚平はいつものように器に鼻先を突っ込んでそばを啜り、呂号はコロッケと そばの取り合わせの納得が行かないらしく、めんつゆが滲みる前にコロッケを食べ終え、虎鉄は頭の上半分だけ ヘルメットを被った格好で無駄に苦労をしながら食べ、芙蓉はしきりに娘の手料理を褒め、翠は未だに戻ってこない 兄とその友人を気にしながらもコロッケそばを食べていた。紀乃は気後れしながら自分の席に座り、下半分の衣が ふやけきったコロッケそばに箸を付けた。化学調味料の味が目立つめんつゆを吸い込んだそばを啜って、紀乃は ゾゾの様子を窺った。右腕の付け根の傷口に包帯を巻き付けた姿は痛々しく、皆に気を遣っているのか、箸と丼鉢 を移動させ、皆から離れたテーブルで食べていた。紀乃は粉っぽいコロッケをめんつゆで飲み下してから、自分も 箸と丼鉢を持ってゾゾのテーブルに移動した。

「お行儀が悪いですよ、紀乃さん」

 ゾゾは紀乃を見、少し笑った。紀乃はゾゾの隣に座り、そばを箸で掴み取った。

「御飯作ってくれ、って言ったの、ゾゾじゃない。それなのに、離れちゃったら意味がないよ」

「私の腕の切断面は塞がり切っていませんし、酸性の体液の匂いは腐臭に近いので、食欲が失せますよ?」

「いいの、別に」

 紀乃はワカメとネギをそばに絡めて食べ、咀嚼した。そうですか、とゾゾは頷き、左手で箸を使ってコロッケそばを 食べようとした。だが、テーブルが低すぎるのと、ゾゾの体格が大きすぎるのとで、上手く口まで運べなかった。右手が あれば丼鉢を持って距離を調節出来るのだが、左手だけではそうもいかない。箸で挟んだそばを口元まで運ぼうと するも、滑り落ちて丼鉢に戻ってしまう。ふやけたコロッケは掴んだ時点で崩れ、運ぶ以前の問題だった。見るに 見かねた紀乃はサイコキネシスで丼鉢を浮かせ、ゾゾの顔の傍まで近付けてやった。

「ほら、これならいいでしょ」

「おやおや、これはこれは。どうもありがとうございます」

 ようやくコロッケそばに有り付けたゾゾが微笑むと、紀乃は顔を背けたが、おずおずとゾゾを見上げた。

「おいしい?」

「ええ、もちろんですとも。さすがは紀乃さんです」

 ゾゾが糸のように目を細めると、紀乃は胸の内から妙な感覚が迫り上がった。暴走させまいと押さえ込んだせいで サイコキネシスが途切れ、丼鉢は重力を取り戻して落下する。紀乃が慌てて手を出すが、ゾゾは尻尾を使って丼鉢を 受け止め、得意げに口角を緩めてみせた。紀乃は先程の感覚と変な照れが混じり、訳もなくむくれた。

「尻尾が使えるなら、最初からそうしていればいいのに」

「今し方思い出したまでです。いやはや、紀乃さんに優しくして頂けるとは、たまにはケガもしてみるものですねぇ」

 ゾゾはにやけ、尻尾の先で持ち上げた丼鉢からそばを啜る。

「そこまでひどかったら、私でなくても優しくするよ」

 褒められるのがくすぐったくて、腹の底がざわざわする。紀乃はゾゾとの距離を測るように目線を動かしていたが、 自分の分のコロッケそばが冷めてしまうので食べかけの丼鉢を取った。ゾゾは一口が大きいのですぐに食べ終えて しまったが、紀乃は気恥ずかしいのとやりづらいのとで食が進まず、思うように飲み込めなかった。普段なら十分と 立たずに食べ終えてしまう量なのに、今に限って胃が広がらない。無理して食べるほどのものじゃない、と判断し、 紀乃は三分の一程度を残して箸を置くと、コロッケそばをめんつゆまで平らげたゾゾは単眼を丸めた。

「おやおや、これは珍しいこともあるものですね」

「私だって、そういう時ぐらいあるよ」

 紀乃は自分の分を片付けようとすると、ゾゾは紀乃の丼鉢を掠め取り、尻尾の先に乗せた。

「では、私が頂くとしましょう。せっかくのお料理を残しては勿体ないですからね」

「あ、やっ、待ってっ!」

 それってもしかしてアレじゃないのか。混乱した紀乃がゾゾを止めようとするが、ゾゾは早々に食べ切った。

「ご馳走様でした」

 ゾゾが紀乃の手に丼鉢を戻すと、紀乃は混乱が突き抜けて羞恥に至り、なんだか目眩がしてきた。

「……うああああ」

「あれって、うん、なんか、こう、凄いね」

 二人の様子を横目に見ていた甚平が感想を述べると、音だけで状況を把握していた呂号が呟いた。

「どっちもどっちだがな」

「複雑?」

 三杯目のコロッケそばを食べていた秋葉が虎鉄と芙蓉に向くと、虎鉄は鋼鉄化した手で割り箸をへし折った。

「当たり前だこんちくしょう! だがな、俺達も人のことは言えない! だから、止めようにも止められないんだよ!」

「まあ、本人同士がいいって言うのなら、お母さんは止めないのよね」

 芙蓉は苦笑しながら、虎鉄を宥めてやった。虎鉄は折れた割り箸を更に折り曲げて砕き、握り締め、ゾゾに対する 嫉妬やら何やらの感情を発散させていた。

「あらまあ、素敵ですこと。これが痴話ですわね、ケンカなさっていませんもの」

 翠はにこにこしながら、余り物のコロッケに醤油を掛けて囓った。皆の反応は良くも悪くもなかったが、恥ずかしい ことになっているのだという自覚が湧いてきた紀乃は、目眩が収まると今度は逃げ出したくなった。以前であれば、 ゾゾがケガをしていようがしていまいがお構いなしに吹っ飛ばしていたのだろうが、今はそんなエネルギーなど一滴も 出てこなかった。それどころか、手足に上手く力が入らない。ゾゾの顔を見ていたい気もするが、顔を上げてしまうと 変な表情だと解ってしまう。空っぽの生温い丼鉢を抱えたまま、紀乃は動くに動けなくなった。

「紀乃さん」

 ゾゾは腰を曲げ、紀乃に顔を近寄せた。紀乃はぎょっとし、後退る。

「な、な、何ぃっ!?」

「大変おいしゅうございました。おかげで、私も随分と立ち直れましたよ」

 ゾゾは紀乃の頬に左手の甲を添えて軽くなぞり、唇の手前に指先を立てた。

「私は竜ヶ崎のクソ野郎から生体情報を奪うどころか逆に奪われてしまいましたが、私の手元にはこうして龍ノ御子 たる紀乃さんがおられます。そして、多種多様な能力を持ち得た皆さんがおられます。負けたわけではありません、 ですから、屈するなど以ての外です。クソ野郎を出し抜く術は、まだあります。手伝って下さいますか?」

「……うん」

 唇に触れそうで触れてこない太い指先を見、紀乃は頷いた。見るに見かねた虎鉄が立ち上がったのか、椅子が 蹴り倒されたが、芙蓉がすかさず取り押さえたらしく少々乱暴な水音が聞こえてきた。他の面々からの視線を背中に 感じていたが、嬉しさと困惑が混じり合って頭の中を掻き回し、紀乃はサイコキネシスの感覚どころか五感すらも 朧気になってしまうほどだった。体の芯が柔らかく溶かされてしまったかのような気持ちになり、ふらつきながら厨房 に入った紀乃は、上の空で丼鉢を洗って上の空で後片付けをして上の空で職員食堂を後にした。
 我に返ったのは自室に戻ってからで、あまりの恥ずかしさでサイコキネシスが暴発してしまい、せっかく自分好みに レイアウトし始めていた部屋が文字通り爆発した。ベッドは砕けて壁をぶち抜き、家具が暴れて窓を破壊し、バス ルームもバスタブが真っ二つに割れ、基地内から掻き集めてきた服や下着を詰め込んだクローゼットには細切れ の布切れしか残らなかった。それでも尚、恥ずかしさが収まらない紀乃は、猛烈に自己嫌悪した。
 恋がこんなに面倒臭いとは知らなかった。





 


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