南海インベーダーズ




根の国、底の国



 十数日間の航海を経て、三人はワン・ダ・バの本体へと無事に辿り着いた。
 二百年余りも留守をしていたゼンが帰ってきた時、ゾゾは、意外とお早いお帰りでしたね、とだけ言って出迎えた。 ゼンがいない間にワン・ダ・バの表面は大きく変化していて、暇を持て余したゾゾが切り開いた田畑や建築物などが 集落のようなものを築いていた。どうやら、ゾゾは人間社会の知識や技術を調べていたらしく、彼が作り上げた集落は それらしい形になっていた。どうやって本土まで移動したのか、と、ゼンが問うと、ゾゾは生体改造して翼を生やして 空を飛んで渡ったのだと答えた。ゾゾが移動した先の地名や地形を聞かされると、ゼンは納得すると同時に呆れも した。日本各地に伝わっている妖怪伝説のいくつかは、不用意に現れたゾゾを地元の者が妖怪変化と見間違えた のが原因だと解り、それが原因なのであればワン・ダ・バの肉片なんかあるわけがない。それなのに、妖怪のことを ワン・ダ・バの肉片ではないかと勘繰って探し回ったところで、何も見つからなくて当然だ。積年の疲れに任せてゼン が愚痴を零してしまうと、ゾゾは笑った。あなたも変わったのですね、と。
 ゾゾは、ハツと継成の二人を快く受け入れてくれた。ゾゾが見よう見まねで作った掘っ立て小屋も同然の家屋は、 継成がかなり手を加えたおかげでまともに住めるようになり、田畑にはゾゾが本土や琉球から持ち帰った種子から 育った作物がたわわに実り、米も貯蓄されていた。二人はゾゾに何度も礼を言い、慎ましく暮らし始めた。
 生まれも育ちも違う両者は、平穏な日々の中で互いの知識や経験を交換するようになった。ゾゾは宇宙の彼方の 惑星の科学技術を教え、継成はゾゾに日本の創世神話を事細かに教え、ハツは仏門の教えを蕩々と説いた。ゼン からしてみれば無駄な行為に思えたが、継成とハツは人間の技術力では到底操れない生体科学技術をひたすらに 感心し、ゾゾは神道と仏門の教えに深く感じ入った。それが両者の距離を狭めたのは言うまでもなく、彼らは互いを 慕い合い、敬い合うようになっていった。ゼンは敢えてその間に入らず、一歩身を引いていた。生体分裂体の分を 越える行動を取るのは良くないと思っていたのと、ハツはともかく、継成と仲を深めても面白くもなんともないと判断 したからだった。ゾゾはゼンの思いを薄々感じ取っていたようだったが、ゼンの内に芽生え始めた自我を尊重する という名目で注意も進言もしてこなかった。その結果、ゼンは内に籠もるようになり、十数年が過ぎた。
 ある日、ゼンは継成から呼び付けられた。日に日にハツとの愛情を深めていく継成には近付きたくもなかったが、 ハツが悲しむといけないので渋々それに応じた。火山灰が降り積もって出来た柔らかな斜面を登っていくと、凝灰岩 が剥き出しになっている崖の手前で継成が待っていた。青年から中年に差し掛かってきた継成は、日に焼けた顔を 綻ばせてゼンを出迎えた。ゼンは継成と同じ高さにまで昇り、尋ねた。

「何か用か」

「ゼン、ちっと手伝うてほしいんじゃ」

 継成は灰色の岩で出来ている崖を平手で叩き、にっと白い歯を剥いた。

「この岩、削り出せへん?」

「ワンから摘出した珪素を使用すれば可能だが、何に使う気だ」

「儂はな、ハツに墓ぁ建ててやりゃあ思うとるんじゃ」

「……墓?」

 意味が解らない。ゼンが瞬きして訝ると、継成は島の西側に見える小さな家屋を見下ろした。

「実はの、ハツの腹ん中にゃあ儂の子がおるんよ」

「なぜだ。ハツに生殖能力はない。それに、ハツは仏門に」

「そろそろ仏さんも許してくれはったじゃろ、っちゅうって、ハツはもう髪も剃らんようになったんじゃ。毎朝毎晩念仏を 挙げちょるのは変わらへんし、獣の肉は欠片も喰わへんけど、ハツは尼さんとちゃうようになったんじゃ」

「私はそんなことは知らん!」

 目を剥いたゼンが声を張ると、継成も目を丸めた。

「おまさんがそんな声出すんの、初めて聞いたわ」

「では、あのハツが、お前と祝言を挙げたというのか」

 信じられず、信じたくもない。ゼンは軽い目眩を感じ、目元を押さえる。

「ほんで、儂はゾゾに色々と聞いたんじゃ。なんでも、儂の体にはワンとかゆう化け物の血がちっと混じっておって、 それがハツの体に混じっているワンの血ともぴったり合うんやて。そやから、ハツはこれまで色んな男と結婚しても、 相手の男の血と合わへんかったから、子が出来へんやったんやって。ほやけど、儂はそうやあらへん。ハツと同じ 血が体ん中にある。セイタイセンジョウっちゅうんを受けても、儂もハツも元の体には戻られへんかったしな。そん くらいのええことがあったってええんや。ハツもごっつ喜んでくれてな、ほんでな、こう思うたんや。八百比丘尼やった ハツは、儂と祝言を挙げた日に死んだことにしてまえ、ってな」

 ええ考えじゃろ、と、継成は同意を求めてきたが、ゼンは何も答えられなかった。高潔で清廉だったハツが、俗世の 穢れから隔絶していたハツが、苦悩の憂いを帯びていたハツが、ただの女に成り下がった。継成に組み敷かれ、 貫かれたからこそ、ハツは子を孕んだ。その様を思い描くまいとするが、瞼の裏に浮かんでくる。あの粗末な自宅で 枕を並べて暮らす二人が身を寄せ合い、体を開き、重なり合った様が。清潔なほどに青ざめた剃り跡が美しかった ハツは黒々と髪を伸ばし、白く透き通るようだった肌は南海の日差しで浅黒くなり、妻となり、母となる。
 珪素生物を採取してくる、と、継成に言い残し、ゼンはふらつきながら斜面を下りた。畑を横切り、森を抜けても、 ゼンの足取りは定まらなかった。垂れ下がった尻尾は草木や倒木に擦れて皮膚が薄く裂け、血が滲んでいたが、 そんなものは痛みでも何でもなかった。全身の血の気が引いて視界も暗くなり、真昼の太陽すら遠く感じる。ハツと 二人で諸国行脚を続けていた日々が、虚無僧の格好をして下手な尺八を吹いては御布施を催促していた日々が、 継成がもたらした穢れに塗り潰されていく。珊瑚礁の死骸が堆積した白い砂浜に出たゼンは、膝を折り、翡翠色の 海の前で崩れ落ちた。顔を覆って熱砂に突っ伏した瞬間、声にならない声が迸った。

「どうかしましたか、ゼン」

 聞き慣れた声に、ゼンは震える手を外して顔を上げた。赤い勾玉と青い銅鏡を携えた、ゾゾだった。

「ゾゾ……。なぜ、ハツと継成の祝言を止めなかったんだ。ハツは、そんな俗な女ではない」

 ゼンが苦悩に任せて言葉を絞り出すと、ゾゾはゼンの傍に立ち、海を見渡した。

「そうですかねぇ。ハツさんは、私が本土で出会った方々とはなんら変わりのない女性ですよ」

「そんなのは嘘だ。大体、ゾゾが出会った女性など、山道に迷った村娘や海に流されかけた海女ではないか」

「放っておけなかったので助けましたら、鬼やら一つ目入道やら何やら言われてしまいましたが、別に悪いことでは ありませんよ。それに、彼女達とハツさんの違いなど、命が長いか短いかというだけです。それを責めてはハツさんが 可哀想ですし、止める謂われもありません」

「では、なぜ私には、祝言を挙げることも継成の子を身籠もっていることも伝えなかったのだ」

「なぜって、そりゃあ」

 あなたは生体部品だからですよ、と、ゾゾは付け加えた。ざあ、と吹き付けてきた風が乾いた砂を巻き上げ、ゼンの 見開かれた瞳を掠めた。あの二百年余りの時の中で、ゼンはハツの何だったのか。祝言の場にすら呼ばれない ほど、薄い関係だったのか。ハツと寝食を共にした日々が全否定され、引き潮のように下がりきっていた血の気が 凍り付き、尻尾の先すら動かせなくなった。ゾゾは日本の創世神話に登場する神具に似せて加工した珪素生物を 自慢げにゼンに見せてきたが、一切目に入らなかった。出来ることならば、ゾゾを叩きのめして海に沈めて黙らせて やりたかったが、あらゆる生体電流が停止したかのような感覚に陥っていた。
 ゾゾの地下研究室にも二人の暮らす西側の平地にも帰らず、ゼンは一昼夜を砂浜で過ごした。ぼんやりと日差しを 浴び続け、細胞が一つ残らず煮えてしまえばいいと思いながら、自分とゾゾの違いを考えた。自分と継成の違い についても考えた。この身は確かに鼓動を打ち、体温を持っている。生まれ方こそ自然ではないが、生きていること には変わりない。意志も持ち、自我も育ち、肉体も成熟し、知識も知性も兼ね備えている。だから、生体部品の域を 超えた生物に成り上がれた、と、心の奥底で思い込んでいた。けれど、そんなことはなかった。ゾゾが生体部品だと 言う以上はゼンは生体部品以外の何者でもなく、生き物でもなければ身内でもなければ仲間でもない。
 だから、他人を愛する資格すら持てないのか。




 更に百二十年近くの年月が経過し、継成が死んだ。
 ゾゾによる生体改造を受けていた継成は、三十代後半の姿を止めて生き長らえていたが、ハツとは違って老化を 防ぎ切れなかった。外側は若くとも内側は衰えていた継成は、ハツとゾゾに見守られて静かに息を引き取った。ゼン はその様を遠巻きに眺め、安堵と共に清涼感が吹き抜けた。ハツの細く切ない泣き声は聞くに耐えなかったので、 足早に集落を立ち去った。ハツが産み落とした子供達が建てた家屋が立ち並んでいる集落には、ワン・ダ・バの脳 から直接知識を得るために建てた学校が高台に建っていた。港には灯台が、浜には漁船があり、家屋の数も多く、 傍目からでは一家族だけが住んでいるとは思えないだろう。だが、今やその家族はいない。
 ハツと継成の意志で、二人の間に産まれた子供達はある程度成長すると本土へと送られた。ゼンが帆掛け船を 繰り、ワン・ダ・バから採取した翡翠や金銀に匹敵する原子構造の鉱石をいくつか持たせ、ゼンらが諸国行脚時代 に知り合った名のある家に置いてもらえるように手紙も持たせて送り出す決まりになっていた。ハツと継成の最初の 子である司郎は、ワン・ダ・バから得た知識を上手く活用して江戸で大きな財を成して、忌部家を起こした。司郎が 建てた邸宅は、偶然にも継成が遠隔透視で発見した地中に埋没しているワン・ダ・バの首の真上だったが、それは 司郎には伏せておいた。その後、数十年の内に忌部家から滝ノ沢家が分家し、忌部家は江戸でも名だたる家系と して名を馳せるようになった。それは明治維新を経ても変わらず、政治にも経済にも通じる地位を得た。その結果、 ワン・ダ・バの本体は忌部島と名付けられ、忌部家の所有物となった。
 月日が流れると、最初に産まれた子供達は死んでしまった。戦争に出て父親よりも早く死んだ者もいれば、母親を 恋しがって海に出て難破した者もいれば、財に溺れて謀殺された者もいれば、異星の技術を活用しすぎたために 世間から追放された者もいれば、要領よく世間を渡り歩いた者もいた。だが、彼らは両親とは違ってごく普通の人間 でしかなく、百年もしないうちに死に絶えた。よって、継成が死んだことにより、ハツはまた一人きりになった。
 継成の通夜を終えた翌朝、ゼンは遺体を処理するべく、家屋を訪れた。引き戸を開けると、かすかな死臭が漂う 板張りの居間にゾゾが正座していた。ハツの姿はなく、食事の支度をしている様子もない。外に出たのだろう。

「ゼン」

 ゾゾに手招きされたので、ゼンが居間に上がると、布団に寝かされている継成の傍に座るように促された。ゼンが それに従うと、ゾゾは継成の顔を隠している布をゆっくりと剥がした。

「継成さんから、遺言を与っています」

 ゾゾは継成の穏やかな死に顔を見つめながら述べた。

「ハツさんをよろしく頼む、約束を守り通せずに済まなかった、と。それと、祝言の件についても」

「今更、何を」

 ゼンが毒突くと、ゾゾは指先で継成の顔にそっと触れた。

「祝言を挙げることをゼンに伝えるな、と申し出てきたのは、継成さんだったのです」

 思わずゼンが目を見張ると、ゾゾは物言わぬ男を見つめた。

「継成さんは、ゼンがハツさんに並々ならぬ思いを抱いていることに気付いていたのですよ。私も、ですけどね。ハツ さんもまた、ゼンに対しては特別な思い入れを抱かれています。ですから、継成さんは不安になったのですよ。祝言 を挙げるという段階になってハツさんがゼンに心変わりしたら自分には勝ち目がない、と、継成さんは仰っていたの です。ですから、継成さんはゼンを遠ざけたのです。最期はずっとそれを気に病んでおられ、許してくれるのならば 許してほしい、と……」

「誰が許すか、そんなもの。継成は私が許さないことを前提しているのだ、許す気など起きるはずもない」

「でしょうね」

 ゾゾは継成の顔に布を掛け直し、嘆息した。

「あと、もう一つ、遺言がありましてね」

「くどい男だな」

「まあ、そう言わずに。継成さんは、ワンが不時着した際に破損したチナ・ジュンを再生するために生体組織を譲渡 して下さるそうです。ワンが不幸にも失ってしまった生体情報はハツさんで補填出来ますが、チナ・ジュンには上手く 合わなかった上に破損状況が甚大だったので、チナ・ジュンだけは手付かずだったのです。ですが、継成さんは実に 素晴らしい相性をお持ちでして、生体情報がチナ・ジュンに見事に一致するのです。恐らく、継成さんが摂取したという ワンの肉片はチナ・ジュンに近いものだったのでしょう。ですので、継成さんの御遺体は私が処理します。遺骨 は出来る限り残せるようにしますが、内臓や筋繊維はまず残らないでしょう」

「だから、ハツはここにいないのか」

「ええ。無理からぬことです」

 ゾゾは継成の骸を掛布で包むと、尻尾を使って担ぎ上げた。

「手伝って下さい、ゼン」

「……ああ」

 出来ることならば、そんな男は骨も残さずに消してしまいたいのだが。ゼンはその言葉が喉元まで出かかったが、 口には出さずにゾゾに続いた。哀切な泣き声が潮騒に混じって流れてきたので、ゼンが音源に目を向けると、海を 見下ろす崖の上でハツが体を縮めて泣いていた。薄い着物を着た背中はとても小さく、一括りに結った長い黒髪は 乱れ、毛先がほつれていた。ゼンは今すぐ駆け寄って抱き締めてやりたい衝動に駆られたが、継成の遺体が珪素 の固まりになるまでは堪えようと思った。チナ・ジュンがなければゼンとワン・ダ・バの合体は不完全で、恒星間跳躍 航行技術どころか宇宙空間に出ることすら怪しいからだ。だが、逆に言えば、チナ・ジュンがなければワン・ダ・バは いつまでも留まることになる。そうすれば、ハツとも離れずに済む。ゼンが立ち止まると、ゾゾも足を止めた。

「ゼン?」

「いや……なんでもない」

 馬鹿なことを考えるな。ゼンは内心で自嘲しながら、ゾゾに従って地下研究室に入った。学校の地下へと移設した 地下室は広く、木の根を張り巡らした空間は平屋建ての校舎よりも広かった。生体改造を加えたために奇怪な様相と 化した地球の植物に囲まれた作業台に、ゾゾは継成の骸を横たえた。ゼンは継成を包んでいた掛布を剥がすと、 ゾゾはヴィ・ジュルを継成の胸元に置いた。微弱な電流が発せられ、継成の生体組織が溶解する。それからほんの 数十秒で継成の死した生体組織は骨から分離し、どろりとした生臭い液体と化して作業台に溜まった。今度はその 液体にチナ・ジュンの破片を載せ、再度ヴィ・ジュルから生体電流を流すと、継成の液体はチナ・ジュンに集まった。 翡翠色の破片が接触した部分から赤黒い液体は変色すると、さながら凍り付いていくかのように珪素化し、液体は 一滴も残さず翡翠色の結晶となった。ゾゾは縦長の珪素生物にヴィ・ジュルを一つ填め込むと、チナ・ジュンはヴィ・ ジュルを吸収し、翡翠色の剣に姿を変えた。ゾゾはチナ・ジュンを取り、出来に満足して頷いた。

「これでしたら、ワンも動きますでしょう。残すは、首の回収だけですが」

 首を取り戻してワン・ダ・バが目覚めれば、誰がハツを慰めてやるのだろう。一人、孤独に生き長らえる女を癒して やれるのだろう。生体洗浄を受けても元の体に戻るどころか、またも伴侶となった夫と死に別れる苦痛に苛まれた だけだった。その男は出来もしない約束をしたばかりか、ハツを残して勝手に死んだ。挙げ句、ゾゾもハツを残して 勝手に旅立つ準備を始めている。誰も彼も、ハツをなんだと思っているのだろうか。

「ゾゾ」

 拳を固めたゼンが呟くと、ゾゾはチナ・ジュンを継成の遺骨の傍らに置いた。

「これはハツさんのお墓に収めておきましょう。そうすれば、ハツさんも寂しくは」

「お前はハツを一人にする気か?」

「御冗談でしょう。ハツさんを宇宙に連れ出すおつもりですか? 現住生物であるハツさんは、私達とは」

「私が言いたいのは、そんな下らん話ではない!」

 激昂したゼンは作業台を放り投げ、植物の群れに突っ込ませた。激突した瞬間に継成の遺骨が砕けて飛び散り、 チナ・ジュンは回転して土壁に突き刺さる。ゾゾは面食らったのか、後退りながらゼンとの距離を測った。

「ゼン……?」

「お前も継成も、ハツをどうして幸せにしてやろうと思わん! 継成も継成だ、勝手に死んでしまいやがって!」

「いかなる生体改造を与えようとも、死だけは抗えませんよ。それに、ハツさんは充分幸せな時間を」

「ハツが幸せに生きたことなどあるか! 皆、ハツを残して去るばかりではないか! 私も去れと言うのか!」

「私達はこの惑星にはいてはいけないのですよ、ゼン。あなたもそれは解りますでしょう。この惑星にとっては、私達 の能力は生体情報は生態系を大きく乱す異物なのです。ワンが治り次第、ニルァ・イ・クァヌアイの星系に帰還し、 本来の任務に戻るべきなのです。それが道理なのですよ、ゼン」

「いや、解らん! 解りたくもない!」

 大股に踏み込んだゼンは、ゾゾの首を掴んで壁に押し付ける。ゾゾの尻尾がぐにゃりと下がり、鈍く呻く。

「な、何を」

「これから私は、ハツを幸せにするのだよ! 未来永劫に! だが、その場にはお前は邪魔だ! 私がどう変わろう とも生体部品扱いし続けた罰だ! 私はお前の分身ではない、確立した人格を得た知的生命体だ!」

 ゾゾが抵抗の言葉を吐き出したが、ゼンはそれを聞き取らず、尻尾を曲げてゾゾの首に突き刺した。ゾゾはぐっと 唸ったが、ゼンが尻尾の尖端を神経に接触させるとゾゾはすぐに意識を失った。ゾゾの記憶から生体改造技術を 全てコピーして脳内に収めると、生体凍結処理を行ってゾゾの生体機能を完全に沈黙させた。殺そうと思ったが、 生体部品として生み出された時に埋め込まれた生体制御機能が働いてしまったせいだった。けれど、これで当分は ゾゾから余計な口を挟まれずに済む。ゼンは顔全体に笑みを広げながら尻尾を曲げ、チナ・ジュンに触れさせた。 チナ・ジュンが吸収したばかりの継成の生体情報を採取したゼンは、身を割くような激痛に襲われながら生体構造 を変換させ、長い時間を掛けて改造した。体積も骨格も内臓も部品も組み替えた末に、ゼンは継成と全く同じ容姿と 記憶を得た。眼球が二つに増えた違和感は拭えなかったが、高揚せずにはいられなかった。これでようやく、ハツは ゼンを見てくれるのだから。ゼンは地下研究室の入り口を埋めて封鎖してから校舎を出ると、今し方まで継成の遺体 が横たわっていた家屋に戻り、継成の服を着た。日が落ちて闇に沈んでも、尚、ハツの姿は崖の上にあった。 ゼンはなるべく平静を装いながら崖に向かい、ハツの背後から継成と同じ声で言葉を掛けた。

「ハツ」

 名を呼ばれた途端、ハツはひくっと小さく息を飲んだ。肩を縮め、涙に濡れた頬をそのままに振り返った。

「お前様……?」

「よう泣いとったようじゃのう、ハツ。ほんでも、もう、ええんやぞ。ゾゾが儂を生き返らせてくれよったんじゃ」

 ゼンが膝を付いてハツを背中から抱き締めると、ハツはゼンの腕に縋り付いた。

「ああ、ホンマに継成やね。ホンマにホンマね」

 泣き疲れて嗄れた声ではあったが、ハツは喜びに打ち震えていた。彼女の体温はひどく熱く、ゼンの腕に落ちる 涙の粒も同様だった。何度となく夫の名を呼びながら、ハツはゼンを求めてきた。何の疑問も躊躇いも抱かず、これ まで通りの愛情を欲してきた。その思いをこれまでずっと継成だけが受けてきたかと思うと、憎悪が湧いたが、継成は もう死んだのだ。だから、これからはゼンが継成としてハツを支えてやればいい。ハツはゼンの手を導いて体の 至るところに触れさせてきた。その意味を理解したゼンはハツを愛し、三百年以上に渡る思いの丈を注いだ。
 ハツは継成に穢れされたせいで、俗世に引き摺り下ろされてしまっただけだ。だから、ゼンの手で、ゼンの体で、 ゼンの思いで、ハツを今一度浄化してしまおう。細胞を一つも余さず清め、継成が反故にした約束を果たしてやる。 最早、惑星ニルァ・イ・クァヌアイもナガームンもゾゾもどうでも良くなった。ハツさえいればそれだけでいい。戒律にも 生体制御機能にも阻まれずに、心行くまで共に生き、愛し合おう。
 自分だけは、ハツを裏切らないのだから。





 


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