南海インベーダーズ




侵略的大害獣対南海御三家



 数多の粗大ゴミと無数の有害物質を含んだ海が、自己と同調する。
 第二陣である芙蓉は、肉体を細胞の一つも余さず東京湾に溶かし込んでいた。脳まで溶けて消えているのに自分 の意識が健在なのは不思議だが、そういうものだと納得する他はない。海上基地に沿うワン・ダ・バの背から流れて くる翠の血臭を感じ取りながら、芙蓉は意識を拡大させた。途端に、都心に張り巡らされた配水管に東京湾の海水が 注入される。程なくして水道管が破裂し、下水道も逆流し、河川も氾濫し、海水混じりの汚水が暴れ始めた。
 焦りに焦った思念が、生体組織と同じく溶けた珪素回路から伝わってくる。芙蓉は娘と義理の弟に落ち着くように 強く言ってから、やることを終えたら翠の傷を塞ぎに行くと伝えてやった。それで二人は少しは落ち着いたようだが、 勾玉から流れ込んでくる翠の思念が弱まりつつあるのは事実だった。早急に片を付けて海上基地に引き返し、翠の 応急処置を行わなければ。焦りをぐっと飲み込み、芙蓉は能力を高めた。
 スカイツリーに程近い隅田川にも、暴走した海水が流れ込んでくる。それに気付いた竜ヶ崎はスカイツリーの手前で 制止し、振り返った。穏やかだった川面が荒く波打ち、高波が立って屋形船が呆気なく転覆する。腹を見せた船の 上に押し寄せた奔流はぐにゅりと捻れると、尖端が凝結し、芙蓉が姿を現した。

「御機嫌麗しゅう、局長閣下」

「芙蓉、お前か」

 嘲笑を隠そうともしない竜ヶ崎に、芙蓉は好戦的に頬を持ち上げる。

「一度、ちゃあんとお話ししてみたかったのよね」

「手短に頼もうか。私は忙しい!」

 竜ヶ崎は翼を広げてサイコキネシスを放ち、弾丸の如く芙蓉に迫る。瞬時に鋼鉄化した拳を上げた竜ヶ崎は芙蓉 に殴りかかるが、その拳は空しく液体を砕いただけで竜ヶ崎は手応えを得られなかった。

「そうねぇ、私だって忙しいのよね」

 芙蓉は竜ヶ崎に殴り潰された部分を水で補填して元に戻し、水の頂きに立って竜ヶ崎に向き直る。

「だって、露乃がうちに帰ってきてくれるのよ? どんな御馳走を作ってやろうか、今から考えるのが大変なの。部屋 だって準備しなきゃならないし、御布団だって、家具だって、食器だって、学校の制服だって用意しなきゃなのよね」

「確実に鋼鉄化させたはずだが、おかしいな」

 竜ヶ崎は芙蓉の話にはまるで関心を抱かず、再度拳を固め直して飛び出し、全身隈無く鋼鉄化させた。

「ならば、やり直すまでのこと!」

「だってほら、露乃って気難しい子じゃない? 産まれた頃からそうで、もう本当に大変だったのよねぇ。紀乃と双子 なのに泣くタイミングも御飯を欲しがるタイミングも別々でね、離乳食の好き嫌いだってそう、オモチャの好みだって そう、我が強いのよねぇ。だけど、手が掛かる分、可愛くて可愛くてどうしようもなかったのよねぇん」

 鋼鉄化した竜ヶ崎に全身を強かに殴られながらも、芙蓉はにこにこしている。

「黙らんか、やかましい!」

 竜ヶ崎の頑強な拳が芙蓉の豊かな胸を貫き、心臓の部分を握り潰すが、芙蓉の笑顔は陰らない。

「学校に通うようになったら、あの子、やっぱり軽音部に入るのかしらね? そしたら、お父さんと同じなのよね」

「そんな話を聞かせるためだけに、この私に挑むとは愚かの極みだ!」

 業を煮やした竜ヶ崎がサイコキネシスを放ち、芙蓉を粉々に吹き飛ばすが、芙蓉は離れた水面から現れた。

「御飯はどんな硬さが好きかしら? 味噌汁は熱いのとぬるいのとどっちが好きかしら? 目玉焼きには何を掛けて 食べるのかしら? お部屋には、どんなアーティストのポスターを貼るのかしら? 学校ではどんなお友達が出来る のかしら? 真面目な青春を送るのかしら? それとも、今までの反動でやりたい放題やらかして先生から呼び出しを 喰らっちゃうのかしら? スカートは丈を短くしちゃうのかしら、それとも逆に伸ばしちゃうのかしら、髪は染めちゃうの かしら、綺麗な黒のままにするかしら? アルバイトとバンドの追っかけに明け暮れちゃうのかしら?」

「そうか、移動したのだな」

 竜ヶ崎は面倒がりながらも再度サイコキネシスを放ち、芙蓉を吹き飛ばすが、またも芙蓉は離れた水面から再生 した。とぷん、と、つま先から水滴を落としながら肉体を成した女は長い髪を払い、赤く彩った唇を緩める。

「反抗期は来るのかしら? 高校を卒業したら就職するのかしら、大学に進学するのかしら、それともオーディションを 受けまくるのかしら、そうでなければライブハウスに入り浸るのかしら? 紀乃と露乃、どっちが先に家を出て自立する のかしら? あっさり甚平君と結婚しちゃったりするのかしら? うふふふふっ」

「呂号がどうなろうと、私の知ったことではない!」

 竜ヶ崎がサイコキネシスの刃で芙蓉を切断するが、芙蓉はすぐさま再生して微笑みを返した。

「でも、私のだぁいじな娘なのよね。知ってもらいたいことが、いくらでもあるのよね」

「ええい、煩わしい!」

 竜ヶ崎は空中を蹴って急降下して芙蓉に掴み掛かると、初めて生々しい手応えが返ってきた。パールホワイトの バイオスーツの下には骨格と肉があり、確実な体温が指に伝わってきた。竜ヶ崎はこれが本体だと直感し、芙蓉を コンクリートに叩き付けて後頭部をぐしゃりと潰した。頭蓋骨が破損する感触の後、長い髪の下から赤黒い体液が 噴き出して足元を染める。手を引いた竜ヶ崎が少し口の端を緩めると、背後で軽やかな水音がした。

「そうそう、紀乃についても知ってほしいことが一杯あるのよね」

 竜ヶ崎が振り返ると、芙蓉は増えていた。それも、皆、色と生体反応を持っていた。

「このっ!」

 本格的に苛立ってきた竜ヶ崎は、片腕を振って一際威力の高いサイコキネシスで数人の芙蓉を払うが、ただの 水が崩壊して波紋を作っただけだった。すると、竜ヶ崎の足元を這ってきた細い水がヘビのように跳ね、頭を割られた 芙蓉に触れる。その水を指先から吸収した芙蓉は、頭部の破損を修復しながら立ち上がる。

「紀乃ってね、明るくて元気な良い子だけど、思い詰め過ぎちゃう節があるのよね。ホットケーキのことだって、別に 紀乃が作ってきたんだから自分一人で食べちゃっても良かったのよ。そんなことで怒るほど、私もてっちゃんも度量は 狭くないのよね。なのに、あんなに気にしちゃってねぇ」

「やはりこちらが本体か!」

 竜ヶ崎は体を回転させて尻尾を振るい、起き上がった芙蓉を薙ぎ払って首を折った。だが、声は続く。

「色んなことが平均的に得意だけど、突出したものはないのよね。あ、サイコキネシスは別ね。でも、普通なら普通で いいと思うのよね。露乃の才能は凄いけどそれ故に特殊だし、平凡な生き方ってのは、見た目よりもずうっと難しい ものなのよね。だからね、私もてっちゃんも紀乃には真っ当な人生を送ってほしかったの。それなのにあの子ったら あんな人を好きになるなんて、思ってもみなかったのよね」

 首の折れた芙蓉は、口は動いていない。音源を探した竜ヶ崎が視線を左右に動かすが、見当たらない。

「でも、私は反対しないのね。紀乃がどう生きようが、どうなろうが、最後の最後で決めるのは紀乃自身なんだもの。 私達がこうやって戦っているのも、疎ましい能力を使ってまであなたに取り入ったのも、忌部島に攻撃を仕掛けた のも、私達自身が決めたこと。だから、あなたもどうなりたいか決めるが良いのよね」

 芙蓉の声が、僅かに重みを含んだ。直後、水面から噴出した超高圧の水が竜ヶ崎の全身に降り注ぐ。

「小癪な!」

 竜ヶ崎はサイコキネシスの防護壁を張るが、芙蓉の放つ水の弾丸は途切れずに襲い掛かってくる。

「さあ、さあ、さあ! 今ここで溶かされて死ぬ、それともてっちゃんに殴り殺されて死ぬ!?」

「その程度で殺せると思ってか!」

「ええ、思うのよね!」

 芙蓉の叫声に従った水がうねりながら鎌首をもたげ、無数の槍と化す。再び竜ヶ崎はサイコキネシスの防護壁を 張るが、揺るぎない殺意が込められた水の槍は己の身が砕けることも厭わずに降り注いでくる。それは、さながら 局地的な豪雨のようだった。竜ヶ崎が防いでいない部分は槍が命中した途端に派手に抉れ、コンクリートは砕け、 柵は折れ、細かな破片が散る。暴力的な豪雨は数本が捻れ、サイコキネシスが薄めの背後や頭上から狙ってくる が、竜ヶ崎はそれをすかさず弾いた。それを何度も繰り返すうちに竜ヶ崎はしとどに濡れ、足元に浅い池が出来た。 不意に、芙蓉からの執拗な攻撃が途切れた。竜ヶ崎は瞬時に芙蓉の企みに気付いて上昇すると、足元に溜まった 水からぬるりと女の腕が伸びてきた。白いグローブを填めた芙蓉の手は、竜ヶ崎の尻尾を掴みかけたが、後少しと いうところで竜ヶ崎の尻尾は遠のいた。水溜まりから上半身を造り出した芙蓉は、眉根を顰める。

「あら、惜しい」

「……くどい女だ」

 芙蓉の執拗さに少々辟易した竜ヶ崎が漏らすと、芙蓉はよいしょっ、と言いながら全身を作り、立った。それまでの 芙蓉はうっすらと色素を帯びていたが全体的に透明感を帯びていた。しかし、この芙蓉は違った。それもそのはず、 海水に浸して溶かしきった生体組織を全て回収し、本来の肉体を成し上げたからだった。水の分身で竜ヶ崎の手を 探っているだけでは、埒が開かない。他の面々の能力では、竜ヶ崎を圧倒出来ても決定打に掛ける。だが、その点 芙蓉の能力は物理的には最強だ。ここで竜ヶ崎を弱体化させておかなければ、後陣が困る。

「情熱的って言ってほしいのよね!」

 ヒールで足元を蹴った芙蓉は、水の筋を引きながら空中に躍り出た。バイオスーツの足元に絡めていた水を先程の 攻撃と同じ要領で高圧噴水しているからこそ出来る芸当だが、珪素回路によって能力が大幅に拡張されなければ 成し得ない技だ。川から吸い上げると同時に水を噴出しつつ、芙蓉は竜ヶ崎に挑む。しなやかな足を振れば圧縮 された水のムチが踊り、華奢な拳を振るえば水の弾丸が散り、鋼鉄化して防御に徹している竜ヶ崎を文字通り削り に掛かっていった。透き通った肢体が翻り、芙蓉は竜ヶ崎に全体重を掛けた拳を喰らわせた。途端に竜ヶ崎の単眼 が抉れ、潰れ、芙蓉の拳が触れた部分から溶解して貫通した。だが、これで安心するのは早計だ、イリ・チ人の脳は 頭に詰まっていないとゾゾから教えられている。芙蓉は腰を引いて腕を抜こうとすると、その腕が掴まれた。
 
「……ひっ!」

 鋼鉄化を解除して防御を緩めた竜ヶ崎の手が、芙蓉の細腕を握り締めると突如沸騰した。台所で聞き慣れた水音 が爆ぜ、高熱が容赦なく生体組織を煮やしていく。ごぼごぼと気泡が起き、バイオスーツは内側から溶け始め、 沸点を超えた血液が腕を経由して全身に回ってくる。芙蓉は右腕を切り離そうとするが、今度はくびれた腰に尻尾が 絡み付けられ、こちらも触れた部分から沸騰し始めた。

「い、ぁ、あ、あああああああっ!」

 炎に炙られるよりも直接的で、悪辣な攻撃だった。竜ヶ崎は尻尾を下げ、芙蓉を引き寄せる。

「どうだい、素晴らしいだろう? お前が産んだ娘の能力を、私はここまで引き出せるのだよ。それを神と言わずして なんと言おうか。呂号はいちいち音を出さねば音波を操れなかったが、私は違う。物体に対して直接振動を与え、 思いのままに作用を施せるのだよ。そう、このように」

「いや、やあ、あああああああああっ!」

 長い髪を振り乱しながら苦痛で絶叫する芙蓉に、竜ヶ崎は左手の手のひらを震える乳房の間に押し込んだ。

「良い個体を産む腹だが、私に体を開かぬのなら仕方あるまい」

「ぐぇあっ!?」

 芙蓉の心臓が、一瞬にして煮え切り、破裂する。パールホワイトのバイオスーツの背中に無惨な穴が開き、黒髪を 焼き切りながら、心臓の破片がびしゃびしゃと隅田川に飛び散った。竜ヶ崎は芙蓉の溶けたバイオスーツが付着 した左手を挙げると、折れた肋骨を露出させて心肺停止に陥った芙蓉を今一度眺め回し、気付いた。

「そうか。これのせいで、こいつらは妙な自信を得たのだな」

 芙蓉の耳に揺れている赤い勾玉のピアスを見、竜ヶ崎はにたりと口元を引きつらせた。

「ならば、頂くとしよう。珪素回路は一つだけでは足りぬのでな」

 竜ヶ崎が芙蓉の耳元に手を伸ばそうとすると、意識を失ったはずの芙蓉の足元から水が這い上がり、弱々しくも 抵抗を試みてきた。だが、そこには最早力はなく、柔らかな水の紐が竜ヶ崎の手を撫でるだけだった。

「……ふん」

 竜ヶ崎は手の甲で水の紐を払い捨てたが、失血死寸前の芙蓉を見下ろした。

「ここから先は、波号の能力だけでは凌げんかもしれぬな。ならば、お前の生体組織も珪素回路ごと頂くとしよう」

 太く長い尻尾をぬるりと溶かした竜ヶ崎は、それを芙蓉に絡み付かせた。それまで彼女が行使してきた能力と同じ 作用を与え、物質という物質を溶かしきると、波号の吸収能力を応用して肉体に取り込んだ。芙蓉の生体情報には 竜ヶ崎自身の生体情報はそれほど混じっていなかったが、波号が取り込んだヴィ・ジュルと芙蓉が持っていた珪素 回路を使って双方の情報を相互処理すれば支障は来さない。家族に対する愛の言葉を何度となく叫んでいたが、 芙蓉の意識は竜ヶ崎が分解処理を行うに連れて薄れ、生体組織が竜ヶ崎に馴染み切ると途絶えた。

「ん?」

 成人女性一人分の体積を得たことで体格が一回り大きくなった竜ヶ崎は、脳内を駆け巡る生体電流を感知すると、 周囲を見回した。そういえば、インベーダー共が連絡を取り合っているようだったが、連絡手段までは大して気に 留めていなかった。珪素回路を経由して発した生体電流を行き来させているらしく、子孫達の切羽詰まった戦意と 言葉が飛び交っている。一番近い場所で発信しているのは、呂号のようだ。その傍には珪素回路を身に付けている 機械とそれを操る人間がいるらしく、芙蓉の異変を感じ取った動揺が過電流のように襲い掛かってくる。となれば、 次は呂号とその人間を叩き潰すべきだろう。呂号を生かしておけば、後々面倒だ。あれも使い勝手の良い能力の 持ち主だったが、竜ヶ崎が手を出す前に他の男に擦り寄っていったのだから、目を掛けておく理由など何一つない。 その男が、竜ヶ崎の息子であろうとも関係ない。単純な腹立ちに任せ、竜ヶ崎は瞬間移動を行った。
 隅田川の水面では、芙蓉の血が緩やかに筋を引いていた。





 


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