南海インベーダーズ




侵略的大害獣対南海御三家



 芙蓉がやられた。
 言葉すら出せず、呂号はエレキギターのネックを思い切り握り締めた。採光ゴーグルを被った目は熱く潤み、喉は 引きつり、手は震えてくる。こんなことで挫けていては、とは思っても、力が入らない。作戦の上では、隅田川で芙蓉が 竜ヶ崎を液状化させるはずだった。だから、芙蓉と波号の生体組織を沸騰させずに済む音階を見つけ出していたし、 スカイツリーに程近い場所に架かる橋にステージを組んで広域音波発生器も配置した。だが、これでは。
 駒形橋の上に組んだステージで、呂号は涙腺から独りでに滲み出してくる涙を懸命に拭っていた。芙蓉の思いは、 勾玉を通じて嫌と言うほど流れ込んできた。それがどんなに嬉しかったか、言葉では言い尽くせない。帰れる家が あるなんて、どんなに願ったことだろう。家族が出迎えてくれる家に帰れるなんて、どんなに夢見たことだろうか。 だから、呂号も萎れかけていた戦意が蘇り、かつてないほど奮い立った。それなのに竜ヶ崎は、呂号の能力を応用 した攻撃で芙蓉を煮え立たせた挙げ句、その体に取り込んだ。呂号がエレキギターを振り下ろしかけると、呂号の 手前に人型多脚重機が近付いてきた。呂号の護衛と援護を任せられた、秋葉機である。

『ロッキー、落ち着いて』

「ああ、僕は落ち着いている! 物凄くな!」

 長年愛用していたリッケンバッカーのエレキギターをステージに叩き付けて破壊し、呂号は叫ぶ。

「さあ歌わせろ! 僕こそが奴を殺してみせる!」

「それは興味深いね、呂号」

 空間が歪み、駒形橋の水色のアーチに、紫色の影が降り立った。素早く呂号が反応すると、秋葉機は身構える。

『竜ヶ崎全司郎! ロッキー、下がれ、私が戦う!』

「勇ましいものだな。だが、勇気だけでは何も解決せんのだよ!」

 竜ヶ崎は身軽に飛び降りると、秋葉機の目の前に現れ、体を大きく回転させて尻尾を振るった。

『うぐっ!?』

 その一撃だけで秋葉機は煽られ、たたらを踏む。パイプを組み合わせて板を張っただけの仮設ステージを、後ろの 足が踏み付けてしまった。残りの五本の足を踏ん張って姿勢を取り戻し、秋葉機は呂号の前に立ちはだかる。

「そう、全ては愛だ!」

 秋葉機の頭部を蹴り上げて容易く破壊した竜ヶ崎は、誇らしげに両腕を広げる。

「お前達も、継成も、私のハツへの愛の前に屈しているではないか! 私の愛が万能たる証拠だ!」

『何が愛だ!』

 秋葉機は破損した頭部に頼らずに動き、宙に浮かんでいる竜ヶ崎にがむしゃらに鉄拳を繰り出す。

『誰かを愛するためなら、他人を踏みにじっても良いのか! はーちゃんを犠牲にしたところで、あなたの愛する人は 喜ぶものか! むしろ、心の底から軽蔑するだろう! なぜそこまで考えが至らない、竜ヶ崎全司郎!』

「お前如き下劣な人間に、ハツの何が解るか!」

 哄笑した竜ヶ崎は膝を曲げ、秋葉機の操縦席の真上に突っ込む。薄紙の如く、呆気なく操縦席の屋根が破られて 秋葉の頭上に破片が降り注いできた。反射的に秋葉は顔を覆い隠すと、多量のガラス片がヘルメットとゴーグルを 切り付けていった。そのうちのいくつかは防護服を切り裂き、その下の素肌を浅く切り、頬にも粘り気を感じた。手袋 で擦ってみると、真新しい血が染み付いた。秋葉は素早くシートベルトをナイフで切り、操縦席から転げ出す。

「そう、私には何一つ解らない。あなた達の歴史も、過去も、因縁に縛られた人生を生きる苦痛も」

 女の手には分厚く重たいミリタリーナイフを握り締め、秋葉は息を荒げながら立ち上がる。

「だが、あなたの所業が理不尽極まる行為だと判断する。だから、あなたと戦うまでのこと」

「山吹には勿体ない女だな」

 竜ヶ崎は人型多脚重機の足に舞い降りると、腰を捻って回し蹴りを繰り出す。秋葉は操縦席のタラップを掴んで、 転身し、右中足のシリンダーに手を掛けて半回転しながらアスファルトに飛び降りた。そのまま駆け出して竜ヶ崎から 距離を取ろうとするが、竜ヶ崎は秋葉をサイコキネシスで捉え、浮かばせる。

「だが、生かしておくわけにはいかん。生体情報も、これといって役に立たんだろうしな」

「即物的な思考。倫理観の欠如。道徳観の根本的な欠落」

 秋葉が言い捨てると、竜ヶ崎は指先を曲げて秋葉の胴体を締め付ける。

「いかなる理屈も、愛の前では無力だろうに」

「それはない。あなたは実に愚か」

「ならば、お前の信じる愛とやらで生き延びてみせたまえ」

 竜ヶ崎は秋葉を川の上に浮かばせると、上下を逆さにした。そして、手を軽く振り下ろし、加速を与えながら秋葉を 叩き落とした。短い悲鳴の直後、濁った水音が橋の真下から響いてきた。不規則な波音と声らしきものがしばらくは 聞こえていたが、ついにそれが途絶えた。竜ヶ崎は橋の下の様子に気を向けたが、秋葉の気配が波間に消えたのを 確かめると、ステージ上で父親から譲り受けたギターを抱き締めている呂号に向き直った。

「さて、仕切り直そうではないか」

「田村をどうしたんだ!」

 呂号は小刻みに震える手で、ZO−3にアンプのケーブルを差し込んだ。竜ヶ崎は肩を竦める。

「どうもしておらんよ、ただ、黙らせただけだ。何を怒っているのだね、呂号」

「違う! 僕の名前は呂号じゃない! 斎子露乃だ!」

「いやはや、全く。伊号と同様に、その名を捨て、生体兵器として生きることを選択したのは君自身ではないか」

「それは僕もイッチーも退路が断たれていたからだ。だが今は違う。僕にもイッチーにも帰る場所がある」

「お前も随分と頭が悪くなったようだね」

 一息で呂号の目の前に移動した竜ヶ崎は、涙を滴らせている少女の顎を指先で持ち上げる。

「僕に触るなぁああっ!」

 呂号はケーブルの伸びるエレキギターを大きく振り、竜ヶ崎の手を払いのける。竜ヶ崎は心外だと言わんばかりに 嘆息すると、ステージに足を下ろして呂号に一歩一歩近付いていった。

「帰る場所があろうと、なかろうと、お前達に生きる場所はない。脳の中に埋め込んだワン・ダ・バの肉片は、いずれ お前達の命を脅かすだろう。今でこそ沈黙しているが、私が指示を下せば一秒と立たずに呂号自身の免疫が肉片を 悪性腫瘍だと認識して病となる。そうだな、破裂寸前の血腫も与えてやろう。神経も鈍らせてやろう。途方もない痛みが 襲い掛かるぞ、死んだ方が良いと思えるほどのな」

 後一歩、というところで、竜ヶ崎は歩みを止める。

「そうなりたくなければ、再び私に繰られるがいい。さすれば、活路を与えてやらんでもないが」

「そんなものはいらない。血路を開くまでだ」

 呂号はエレキギターの弦を指で押さえると、最初の音を鳴らした。

「ほう」

 感心したと言わんばかりに笑みを浮かべた竜ヶ崎は左腕を溶かして変形させ、呂号の頬を包んだ。触れた瞬間、 呂号はぎくりとしたが抵抗出来なかった。メタルを掻き鳴らすはずだった指先は凍り付き、採光ゴーグルの下で両目を 限界まで見開き、細い肩が怒った。竜ヶ崎は今し方取り込んだばかりの芙蓉の手で、バイオスーツを付けている 手で、芙蓉の記憶から抽出した仕草で呂号の頬を丁寧に撫でる。腕だけではなく全身も芙蓉に作り替えた竜ヶ崎は、 芙蓉の声を出し、呂号に心から優しく囁きかけた。

「そうか。お前は母親を殺せるのだな? 狂おしく求めて止まなかった家族を」

「……違う。お前は母さんじゃない!」

 呂号は頭を激しく振ってから後退り、弦を押さえるが、弾けない。

「そうだ。私は斎子溶子ではない。だが、私には斎子溶子の生体情報が全て宿っているのだよ。つまり、私を煮やす なり爆ぜさせるなり何なりすれば、私ごと斎子溶子も死ぬというわけだ。加熱処理すれば蛋白質など呆気なく壊れ、 生体洗浄を受けさせようとも、ワン・ダ・バの肉片に埋め込もうとも、二度と斎子溶子は再生しない。二度とだ」

 細く長い指を曲げた竜ヶ崎は、呂号の首をやんわりと握る。

「それでも、私と戦おうというのかね?」

 首に吸い付いた指の感触は、紛れもなく母親のものだった。呂号は弦を弾きかけた指を動かせず、竜ヶ崎の手を 振り払えず、唇が切れるほど噛み締めた。浅く滲んだ血が舌を刺し、苦い鉄の味がする。芙蓉と名乗る母親と共に 過ごせたのは、ほんの数日でしかない。その間、呂号は両親に対して後ろめたさを感じていたせいで、姉のように 甘えられなかった。甚平には気を許せるようになったのに、家族の前では意地が緩められなかった。だから、戦いを 終えたら、今度はちゃんと家族らしく振る舞おうと密かに決意していた。だから、ここで芙蓉もを殺してしまったら、 二度と家族は元に戻らない。たとえ、勝利したとしても。だが、ここで屈するのは間違いだ。

「戦う」

 ぎゅいいいいいっ、と、激しくリフを掻き鳴らし、呂号は腹の底から声を張った。

「僕は戦う! たとえ母さんが死んだとしてもだ! ここでお前を殺さなければ誰もお前を殺せやしない!」

 呂号が至近距離で放った音波が芙蓉の柔らかな肉体を震わせ、ごぶり、と煮え立つ。

「それが僕が生き延びてきた理由だ! 戦ってきた理由だ! 兵器になった理由だ! 立っていられる理由だ!」

 英語の歌詞を並べ立てる代わりに心情を吐き出しながら、呂号はひたすらにエレキギターを掻き鳴らす。

「なんともつまらんな」

 呂号の渾身の演奏を間近で浴びている竜ヶ崎は、バイオスーツの表面がとろけるほどに過熱していたが、表情は 一切崩れなかった。駒形橋の前後左右に設置してある広域音波発生器からは、威力も音量も増幅されたメタルが 響き渡る。橋は軽く揺れ、周囲のビルのガラスは一枚残らず砕け、隅田川までもが泡立つ。呂号は喉が嗄れるほど 叫び、歌い続ける。駒形橋のアスファルトにもヒビが走って破片が跳ね、操縦者を失った人型多脚重機がびりびりと 振動する。全身全霊を振り絞った命懸けの演奏の曲目は、メタリカのメタル・ミリティアだった。
 エレキギターを握る手には脂汗が滲み、レザーのホットパンツは下着ごと尻に貼り付き、編み上げブーツの中が べとべとになるほどに汗を掻いた呂号は顎を拭った。目眩がするほど疲れ、喉がひりつき、指が痛む。これまでは どれほど長時間演奏しようとも、こんなに疲弊したりはしなかった。よろけかけてヒールが板に引っ掛かりかけたが、 辛うじて踏み止まる。呼吸を整えた呂号は耳を澄ませて竜ヶ崎の様子を探ろうとするが、竜ヶ崎らしき物体はそこには なく、生臭い臭気を発する液体が広がっているだけだった。では、どこに。

「ふむ」

 竜ヶ崎の声の後、ずぬり、と、呂号の足元に溜まった汗が固まって細く寄り合わされ、呂号の足を戒めてきた。

「うげぇっ!?」

 生々しい体温の残る物体に足を取られた呂号は、取り繕う暇もなく悲鳴を上げた。それは編み上げブーツの隙間 から脹ら脛を絞り、膝を固め、太股が鬱血するほど縛り上げながら、ホットパンツの隙間を目指してくる。

「や……やめろ……やめろぉ!」

 このままでは最悪の事態になる。呂号は青ざめて足を動かそうとするが、編み上げブーツの底が接していた床板 が溶かされ、接着剤で貼り付けられたかのように固定されている。だったら、いっそのこと編み上げブーツを脱いで しまおうとファスナーに手を掛けようとすると、今度はその手首に水の紐が絡んでくる。続いてエレキギターに刺して いたケーブルが独りでに外れ、呂号の腰から胸に巻き付いてきた。ついに立っていられなくなった呂号は膝を付き、 自由の利く手で弦を弾こうとするが、右手首が太い針に貫かれた。手首の骨が硬い異物によって砕かれた感触が 血液の滴る感触と共に、痛みを呼び起こす。骨ごと破壊されたブレスレットが外れて落ち、かしゃり、と小さな金属音が 聞こえた。呂号が戦慄すると、手首を貫いた針が溶けて一握の水と化した。

「珪素回路を得たことで一時的に音波操作能力が回復し、拡張されたようだが、致命的な弱点は変わらんな」

 竜ヶ崎は呂号の背後を取っていた。鮮血の雫が散る床からブレスレットを拾うと、赤い勾玉を毟り取る。

「僕の……弱点?」

 武器であり命である手が、壊された。呂号が右手首を押さえて硬直していると、竜ヶ崎は顔を寄せてきた。

「そうだとも。呂号、お前は己の才能を信ずるがあまりに、戦闘状況中であろうとも音楽に没するクセがあるのだよ。 お前自身は、それが音の幅を広げるために不可欠なことだと信じているようだが、それは違う。いかに優れた能力 であろうと、周りを見通して戦わねば戦いにはならんのだよ。これまでは変異体管理局の者共がお前を手助けして いたが、今はそうではないだろう? だから、私が何をどうしていたかなど、気付きもしなかったではないか」

 本来の姿に戻った竜ヶ崎の太い腕が、呂号を掻き抱いた。分厚く広い胸に押し込まれた呂号は、身を捩って 抵抗しようとするが、捩れば捩るほどにずぶずぶと竜ヶ崎の胸に体が埋まっていく。

「やめろぉおおおっ!」

 呂号は必死に竜ヶ崎の腕から脱そうとするが、足も剥がれず、背中がどろりとした肉の内に没していく。

「僕はお前のものじゃない! 僕の全部は甚平のものだ! お前なんかが触っていい場所は一つもない!」

「あれは私の種の子なのだよ、私自身が触れても大した違いはなかろうに」

 竜ヶ崎は呂号の腰をぐぶりと一息に没させ、芙蓉の能力で溶かしながら言い返す。

「そんなわけがあるか! お前はお前で甚平は甚平なんだ!」

 呂号は辛うじて外に出た左腕を伸ばしてエレキギターのネックを掴むが、すぐに外れ、不規則に弦が震えた。

「たかが女の腹の中に種をぶちまけたぐらいでいい気になるな! 問題はその後だろうが! お前はどれだけ子を 作ろうとその後はなかったじゃないか! だから竜ヶ崎ハツもお前を」

 その続きを叫ぶ前に、呂号の全身は竜ヶ崎の体内に溶けて消えた。尻尾を使って頭部を押し込んでから、竜ヶ崎は 呂号が無意味な戦いを繰り広げたステージに背を向け、翼を広げると、再び都心上空に向かうべき羽ばたいた。 液状化が完全ではないのか、呂号の叫びは竜ヶ崎が体内に取り込んだばかりの彼女の珪素回路を通じて脳内に がんがんと鳴り渡っている。それはさながら大音響の歌声のようで、やかましくてたまらなかった。それを抑えるため に呂号の生体組織を余さず体内に溶かし込むと、竜ヶ崎の体格は更に一回り増した。
 二つの赤い勾玉は、思念通信の感度を倍々で上げてくれた。おかげで、次に戦うべき相手はすぐに見つかった。 それは、妻と次女を失って猛烈な怒りに駆られている虎鉄だった。芙蓉と呂号の能力と生体組織だけでは巨大化は ままならない。だから、他の連中取り込まなければ。竜ヶ崎は首を曲げ、進行方向を定めた。
 虎鉄の元に向かう手間が省けた。





 


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