南海インベーダーズ




インビジブル・インダクション



 寄生虫の夢を見た。
 白くてぬめぬめした糸状の生物が手に足にまとわりつき、ぬるんと喉の奥に入り込み、内臓を這いずり、血管に 絡まり、神経系統を取って代わられる、単純に気持ち悪い夢だった。それもこれも、ミーコがシャコ貝と自分の内で 繁殖させた寄生虫を目にしたからだ。あの時、うっかりミーコに話し掛けた自分を責めずにはいられなかった。
 寝汗と冷や汗でべとべとのシーツから起き上がった紀乃は、目を瞬かせた。今日は物音は聞こえず、息吹も気配も 足音も匂いもない。紀乃は枕に巻いたタオルを外して顔と首筋を拭い、容赦ない喉の渇きに襲われた。洗面台の 水は生水なので飲めないし、冷蔵庫があるわけでもない。そうだと思うと、尚更きんと冷えたドクダミ茶が恋しくなり、 紀乃は寝乱れた髪を撫で付けながらベッドを降りた。スニーカーを半端に履いて衛生室を出ると、居間兼食堂から 電灯のオレンジ色の光が零れていた。テレビの音声に混じってゾゾの声が聞こえてきたので、紀乃が話し掛けようと すると、知らない人間の声も漏れ聞こえてきた。言葉を飲み込み、紀乃は壁に貼り付いた。

「お前は俺に構いすぎだ」

 いくらか重たい声色の男の言葉に、ゾゾが返していた。

「うっかり飢え死にされてしまったら、私も夢見が悪いのですよ。それに、食材が余ってしまいますからね。そんなに お嫌でしたら、食べなければいいのですよ。私の料理など」

「料理に罪はない」

「お褒め頂き光栄です」

 ゾゾが椅子を引いて腰を下ろしたのか、椅子の脚が床が擦れる音と尻尾が落ちる音が重なった。

「して、あなたは紀乃さんをどうなさるおつもりですか? 紀乃さんをミーコさんから守られていたようですが」

「守ったんじゃない、現状維持に努めたんだ。アレに寄生されたら、ただじゃ済まない」

「よくお解りで。紀乃さんさえ御許しを頂ければ、私は紀乃さんの生体情報を操作してミーコさんの寄生虫に対する 免疫と抗体を作って差し上げたいのですが」

「そんなことをされちゃ、あの娘は価値も失う。手は出すな」

「はいはい、承知しておりますよ。私としても、紀乃さんにはこのままでいてもらいたいのです」

「頭以外はまともな人間だからか? それとも、他の理由があるのか?」

「いえいえ、前者ですよ。どうか私を信じて下さい」

「調子の良いことを。この星にお前を信用するような輩は一人もいない」

「いえいえ、そんなことはありませんよ」

 ゾゾは彼の湯飲みにドクダミ茶のお代わりを注いだらしく、湯が落ちる柔らかな水音がした。

「私はこの世界を作り替えたいのです。星に手を加えるためには、その星で最も発達しているであろう生命体に手を 加え、自然の摂理に多大なる影響を与えなければなりません。そのためには、人間は一人でも多く生かしておきたい のですよ。もちろん、あなたもそれに含まれます」

「馬鹿にしやがって」

「いえいえ、馬鹿になどしておりません。あらゆる命は尊いのですよ」

 ゾゾは悠長にドクダミ茶を啜り、男もドクダミ茶を啜ったようだった。紀乃はこの場から立ち去るかどうかを悩み、 結局動けずにいた。男の正体は物凄く気になるが、それを探ろうとすれば紀乃はミーコのように手を下されてしまう かもしれない。だが、しかし。

「ゾゾ・ゼゼ」

 だん、と湯飲みをテーブルに叩き付けた男は、身を乗り出したらしく椅子の脚が床に擦れた。

「金輪際、あの娘を利用しようとするな。乙型一号は今も管理局の所有物なんだ。それを忘れるな」

「ですが、紀乃さんは我々に賛同して下さいました」

「他に逃げ場がなかったからだろうが。ここまで追い詰められりゃ、誰だって正常な判断力を欠いちまう」

「しかし、それもまた明確な事実です。紀乃さんは実に素晴らしい女性です、そしてとても美しい」

 ゾゾは少し笑んだのか、語尾が上擦っていた。その言葉と響きに、紀乃は蒸し暑い夜中にも関わらず背筋が冷え 込んだ。オオトカゲに欲情されるなんて、死んでもごめんだ。二人の会話は続いていたが、聞くのが嫌になり、紀乃 は足音を殺して居間兼食堂から離れた。なんとなく窓の外を見上げると、一際目立つ南十字星が輝いていた。
 どこの誰かは知らないが、比較的まともな人間と思しき男から同情されていると知って、ほんの少し嬉しくなった。 だが、それだけだ。男は味方ではなさそうだし、あの変異体管理局の回し者らしい。ゾゾとのやり取りから察するに、 恐らく監視役だろう。そうと解ると、今し方感じた嬉しさが生臭い感情に塗り潰された。人間だとすれば、どうして 紀乃が忌部島に放り込まれた時に送り返してくれなかったのだ。ゾゾではなく、なぜ彼が紀乃を保護しに来てくれな かったのだ。他にも様々な不満や鬱憤が起きた紀乃は、憂さ晴らしをするように大股に歩いた。
 やっぱり、人類は敵だ。




 出来上がったのは、奇妙な怪物だった。
 少なくとも、人間でもなければ人型重機でもない。不細工な金属の寄せ集めだった。南十字星と青ざめた月光に 見下ろされながら、小松は己の作品と向き合っていた。丸一日、やるだけやってみたが上手くいかない。漁船から 引き剥がした基盤を組み込んでも、部品と部品を繋げても、エンジンが動くように修理しても、鉄板を繋ぎ合わせて 作った物体からは機能性も何も感じられない。自分に似せた設計にした頭部も、回転軸が不安定なのか半球状の 首を回そうとするとぎしぎしと鈍く擦れ、そのうちにシャフトが折れて首が転げ落ちた。

「失敗だ」

 小松は転げ落ちた頭部を拾おうとするが、四本指の一本で潰してしまった。

「失敗だ」

 いびつな溶接痕が連なる頭部に開いた穴から、ぬるりと寄生虫が零れ出した。

「失敗シッパイしっぱいシッパイ!」

 小松の操縦席で寝転がっていたミーコが、けらけらと笑い出した。

「失敗だ」

 小松は穴の開いた頭部から指を引っこ抜くと、六本足を縮めた。ミーコに培養させた寄生虫は、脳漿のように穴から 溢れ出し、汚らしく地面を濡らした。崖を登ってきた潮風が窪地に滑り込み、円に沿って渦巻いて小松にまとわり ついた。舞い上がった砂粒が外装を擦り、ミーコは風の強さにぎゅっと目を瞑った。

「シッパーイ」

 今まで、何をやっても成功した試しはない。子供の頃から小松はずっとそうだった。だから、機械の体になってから は何もかもが都合良く進むと思っていた。普通なら死ぬはずの状況を生き延びたばかりか、人型多脚重機を自在に 操れるようになった。苦労して免許を取り、仕事で使い慣らしても上手くいかなかった細かな動作が容易に出来る のはとても楽しいが、そこから先はない。目的も、未だに果たせていない。

「機械だったら、お前を殺せる」

 小松は四本指で己の操縦席を掴むが、ミーコは動じなかった。

「殺す、コロスコロスコロコロコロ?」

「殺せるんだ」

 小松は操縦席を握り締めたが、最後の最後で力を入れきれず、少しヒビの入ったガラスから平たい指を剥がした。 ミーコは小松の単眼を見上げていたが、小松はその視線から逃れるために頭部をぎゅるりと半回転させ、六本 足のピストンを滑らかに上下させながらアリ地獄状の工作場から這い出した。とりあえず給油してから廃校に戻ろう と灯台に方向転換しようとして、気付いた。ミーコの足よりも一回り大きく、紀乃よりも歩幅の広い足跡が、アリ地獄の 周囲にぐるりと連なっていた。裸足の浅い足跡には砂が溜まっていたので恐らく昼間の出来事だろうが、長時間 見張られていたらしい。見張っていた相手にもそれに気付かなかった自分にも小松は苛立ったが、下手に暴れては 切れかけている燃料が底を突く、と苛立ちを収めて歩幅を整えながら灯台に向かった。
 その間、ミーコは調子外れの奇妙な歌を歌っていた。




 湿った空気が凝る洞窟は、気分が安らぐ。
 暗がりに入るとほのかな光を帯びて輪郭が浮かび上がったが、視認するのは難しかった。鏡があれば見えたかも しれないが、生憎、この十一年は自分の顔を見たことがなかった。いや、見ようとしても見えないからだ。手探りで髪や ヒゲの手入れはしているが、それもどこまで出来ていることか。肌を切ったとしても、溢れ出る血が見えない。骨を 折ったとしても、折れた骨の形も解らない。だから、昨夜に紀乃の超能力が暴発した時には焦った。自分の血は目に 見えないが、匂いだけは以前と変わらないからだ。
 湿った土にべたべたと足跡を付けながら、忌部次郎は奥に向かった。防水布を敷いて置いた強化プラスチック製の トランクを開け、衛星通信のノートパソコンを開くが、バッテリーが切れていて作動させる以前の問題だった。無線機の 電源を入れるとノイズが走ったので一応作動するようだったが、果たして通じるものか。自家発電装置はゾゾに 奪われているし、忌部には都合の良い能力はない。

「全く」

 忌部は冷たい防水布の上に腰を下ろし、胡座を掻いた。

「あの子もそうだが、俺に何が出来るんだよ」

 自分の目の前に出した手は、見えるようで見えなかった。指で擦れば爪らしき部分が解り、指を曲げれば骨が筋 に沿って動いたことが解り、目を凝らせば静脈の血管を滑り抜けていく血液が視認出来る。だが、それもかなり 希薄だ。暗いところで光源を背負えば自分がどんな姿をしているのか見えるかもしれないが、正直見たくない。
 忌部次郎は、二十一歳のある日を境に体が透き通り始めた。最初に肌が透け、次に筋肉と内臓が透け、骨が透け、 脳も神経も透け、さながらクラゲのような姿になった。当然、変異体管理局に捕らえられて徹底的な身体検査を 受けたが、原因は掴めず終いだった。突然変異には違いないのだが、変異する切っ掛けに心当たりはなかった。
 変異体管理局に縋り付いて現場調査官などという役職を得て忌部島に来たのは、ゾゾ・ゼゼに期待を抱いていた からだ。ゾゾはどのミュータントとも異なる外宇宙の生命体で、単なる突然変異体ではなく、科学力も人類を凌駕して いる。彼なら、きっと忌部を元に戻せると信じていたからだ。しかし、ゾゾに近付いてそんな話を切り出しても、ゾゾは 忌部にはまるで興味を持ってくれなかった。かと思えば、半端な超能力者の紀乃に執心し始めた。

「あいつはただのロリコンか?」

 だとしたら、尚更気分は良くない。透明人間と制御不能の超能力者では、透明人間の方が希少だと思うが。 元に戻れるのなら、忌部はどんなこともするつもりでいる。政府の恩恵を受けられなくなっても、寿命が縮もうとも、 ごく普通の生活には変えられまい。いっそ、紀乃に会ってみようか。姿が見えるように砂でも水でも頭から被って、 あいつらに味方するなと説得するのはどうだろう。頭の柔らかそうな都会の娘は、これまで見てきた感覚では状況に 流されやすいようだ。他の連中がいない時に顔を合わせ、捲し立てれば、紀乃はこちら側に。

「戻したところで、どうするんだろうな」

 人類のために戦おう、世界平和を守ろう、悪い奴らをやっつけよう、正義の味方になろう。そんな文句が白々しい のは、忌部は身に染みている。変異体管理局も綺麗事を言うが、要するに現在の人類と自国民を守りたいだけだ。 少しでも進化した人間は異端として弾かれ、忌部もいいように扱われている。だが、安易に人類を裏切るのは。

『応答せよ、応答せよ! こちら海上基地本部、聞こえていたら速やかに応答するっすー!』

 突然、もう一つの無線機が喚き立てたので、忌部は驚いたが無線機を取った。

「なんだ、そっちは無事だったか。こちら忌部、充分聞こえている。オーバー」

『局長からの指令とか定期連絡の不備の罰則とか色々あるけど、乙型一号の戦果はどうっすか? どうぞー』

「前の方が重要じゃないのか、オーバー。最後を日本語にするな、気が抜けるじゃないか。タクシー無線みたいで」

『別にいいじゃないっすか、支障はないんすから。それに、乙型一号も気になるっすし。どうぞー』

「乙型一号の成果は上がっていない。それどころか……」

『それどころか、何すか? どうぞー』

「いや……なんでもない。それについては帰還した時に報告する。アウト」

 忌部は本部との通信を終え、無線機を切った。電力を保持するために本体からバッテリー自体も抜き、無線機が 改造されていないかを一通り確かめてから無線機をトランクに隠した。忌部の役割は、今も昔もこれだけだ。この島に 潜り込み、ゾゾに接近して存在を知られたが、現場調査官の仕事は続けなければならない。そうすることで忌部 は自分が人間であることにしがみつけるし、何より同僚達がいてくれる。姿形が定かではない男に好意的なのは、 変異体管理局の者達だけだけだ。たとえ利用されているだけだと解っていても、働けるだけでもありがたい。
 この世の中、透明人間の働き口など他にないのだから。





 


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