南海インベーダーズ




絶対的少女兵器戦線



 一ヶ月ぶりに肺に入れたニコチンは、目眩がするほど染みた。
 所在を知られないために、忌部は忌部島にモノをほとんど持ち込めない。露出趣味があるので別に服は着なくても いいのだが、持って行けるのは少々の医療品と通信機材だけで、武器すら持たされていない。だから、嗜好品で あるタバコや酒など以ての外で、海上基地に帰還した時にしか吸えない。だが、ここぞとばかりにやりすぎると今度は 手放せなくなって苦しみが増すので、程々にしなければならないのが辛かった。
 忌部は東京湾を渡ってきた潮風で掻き消されそうなライターの火を手で覆うと、二本目のタバコに火を付けた。 山吹も自分の分を差し出してきたので、火を付けてやると山吹はマスクを開けてフィルターを挟んだ。味覚らしい味覚が ないフルサイボーグにタバコの味が解るのかと毎度毎度疑問に思うが、彼らの趣味嗜好には口出ししないことに 決めている。山吹も秋葉も忌部の露出趣味を咎めるが、否定はしないからだ。

「結構あっさり終わったっすねー」

 早々にネクタイを解いた山吹は手すりにより掛かり、川崎側を見やった。

「うん。局長、丈二君も忌部さんも問い詰めなかった。不思議。でも、好都合」

 スタンド灰皿が併設しているベンチに座った秋葉は、売店で買ってきたクリームパンを頬張っていた。

「ありゃ、むーちゃんは俺と忌部さんの話を知ってたんすか?」

 山吹が肩を竦めると、秋葉は微笑んだ。

「当然。だって、丈二君のことだから」

「恐ろしい女だ」

 忌部は手すりにもたれかかり、顔を戒めている包帯を緩めた。かつては東京湾アクアラインと呼ばれていた高速 道路は、今や滑走路に改造されていた。海中に没しているトンネル部分も潜水艦のドックに改造されて久しく、この 海上基地がサービスエリアだったこともにわかには信じがたい。だが、中を歩いてみると軍事施設にしては構造が 妙で、廊下もやたらにだだっ広く、トンネル掘削用カッターのモニュメントまである。今、三人がいるデッキも、本来で あれば観光客でごった返していたのだろうが、通り掛かる人間は管理局関係者ばかりだ。

「にしても、困ったことになったすねー」

 山吹はマスクの隙間から煙を吐き、吸いかけのタバコを金属製の指に挟んで頬杖を付いた。

「このまま紀乃ちゃんがインベーダー側に付きっぱなしだったら、俺達はどうすりゃいいんすかね?」

「人類に対する裏切りだからな。早々に処分するべきなんだろうが」

「非人道的」

 紙コップのココアを飲んだ秋葉が眉根を顰めたので、忌部は言い返した。

「だが、それ以外に決着を付ける方法があるか?」

「紀乃ちゃんにゾゾを抱き込んでもらう、ってのも有効っすけど、あのゾゾっすからねぇ、ゾゾ・ゼゼ」

 怪奇宇宙トカゲ、と山吹が半笑いになると、忌部はフィルターを噛んだ。

「その宇宙トカゲに、俺達はどれだけ苦労させられているんだか。世の人間が知らないのが腹立たしいぐらいだ」

「ゾゾ・ゼゼは未知数であり、不可解」

 秋葉はココアを飲み終えるとクリームパンを食べ終え、次のメロンパンに取り掛かった。

「どこから来たのか、なぜ来たのか、何をしに来たのか、それすらも判明出来ていない。唯一解ることは、ゾゾ・ゼゼは 生体を自在に操作する能力の持ち主であること。ウィルスからクジラの群れまで操作出来るかどうかは定かでは ないけれど、インベーダーの中で最も具体的な脅威である個体。ゾゾ・ゼゼの生体操作による被害は、国内で確認 出来ているだけでも数百件以上にも及ぶ」

「小松建造も、大分アレっすよね」

 山吹がこんこんと側頭部を叩くと、秋葉はメロンパンを飲み下してから言った。

「小松建造は行動理念が不可解。人型多脚重機に脳が癒着した原因である細菌の出所も不明だけれど、機械の 体を手に入れた小松建造の行動は理解出来ない。幼児から老人まで、不特定多数の頭部を引き千切って無差別 殺人を行い、被害者の総数は百を超える。けれど、小松建造に罪悪感はなかった。むしろ、なぜ人間が死んでいく のかを理解していないようだった」

「俺が殺したんじゃない、勝手に死んだんだ、だったか?」

 変異体管理局に捕獲された時に小松が言った言葉を忌部が口にすると、山吹は自分の頭を押さえた。

「頭を引っこ抜かれりゃ、誰だって死ぬもんすけどねぇ。俺だって一度は死んだし?」

「最後に、ミーコこと宮本都子。彼女は完全な被害者ではあるが、加害者でもある。体内に寄生して爆発的に増殖 した寄生虫を飲料や食物を介して近隣の人間に寄生させ、多数死亡させている。脳外科手術で一命を取り留めた 罹患者はいるが、脳死に陥り、回復は見込めない」

 メロンパンを食べ終えた秋葉は、ビニール袋の空気を抜いて細長く折り畳んで結んだ。

「いずれも、脅威に他ならない」

「そんな連中に付いちゃう紀乃ちゃんの気が知れないっすけど、そんなに俺らが信用出来ないんすかね?」

 不満げな山吹に、秋葉は口元に付いたメロンパンのパン屑を舐め取った。

「私達は国家の安全のために日夜働く善良な公務員。乙型一号の判断は理解しかねる」

「最初が悪すぎたんだろ。俺にも覚えがある」

 忌部は変異体管理局に入った経緯を思い出し、頬を引きつらせた。十一年前、大学三年生だった忌部は、ある日 突然手足が透け始めた。幻覚か、或いは病気かと迷いに迷った末に、クラゲのように朧になった手足を包帯で覆い 隠して変異体管理局に良い病院がないかと聞きに行った。だが、受付で用件を話し終える前に何人もの男に取り 押さえられ、五分後には拘束されて全裸でベッドに縛り付けられていた。それから、忌部は変異体管理局の隔離施設 に閉じ込められ、大学にも行けなくなった。透けていく過程を見たい、とのことで服は一切与えられず、おまけに常時 監視カメラで見張られた。そのせいで己の性癖にも気付いてしまったが。あまりにも閉塞的な状況が続くので、このまま 飼い殺しにされては死ぬに死ねないと変異体管理局に協力することを約束した。そして、今がある。

「あ」

 ふと、秋葉が顔を上げた。

「どうしたんすか、むーちゃん」

 山吹が尋ねると、秋葉は東京湾の先に見える太平洋に目を凝らした。

「何か、いる」

「そうっすか? でも、俺のレーダーにも警戒警報にも何も……」

 と、山吹が側頭部のアンテナを軽く叩いた直後、海上基地全体に警報が鳴り響いた。にわかに基地内が騒がしく なり、武装した兵士達が元駐車場の飛行場に駆け出していく。忌部も山吹も秋葉に倣って目を凝らすと、島のような 異物が海面を割って浮上した。船舶であれば航行許可を求める連絡を入れてくるし、航空機が墜落したのであれば その前に解りそうなものだ。かといって、東京湾に島が突然隆起するような予兆はなかった。これは、つまり。

「今日は誰の差し金っすかねー」

 山吹はタバコの吸い殻を捨ててネクタイを締め直すと、秋葉は手近なゴミ箱に空き袋と紙コップを入れた。

「不明。けれど、緊急事態であることは明確な事実」

「んで、田村。今日はどのお姫様が一番御機嫌なんだ? 波号はさっき寝かし付けてきたんだよな?」

 タバコの吸い殻を捨てた忌部が秋葉を見下ろすと、秋葉は淡々と答えた。

「健康状態、精神状態、戦意が安定しているのは伊号。ローテーションで考えても、彼女が相応しい」

「んじゃ、今回はイッチーの出番っすね、出番。さあて今日も元気にちもるっすよー!」

 おかしな略語を叫んで拳を振り上げた山吹は、エレベーターに向かって駆け出した。秋葉もその後に続き、忌部も 駆け出した。山吹の造語を聞き慣れすぎて、違和感を持たなくなった自分に違和感を覚えずにはいられない。山吹に よれば、ちもる、とは、地球を守る、の略だそうだが、略すほど長い単語ではないのではと思う。三人揃ってエレベーターに 駆け込むと、山吹は司令室のある二階のボタンを押した。
 二階に到着し、すぐさま司令室に駆け込むと、主要メンバーが既に揃っていた。ヘッドセットを被ったオペレーター達は 忙しなく情報を読み上げ、レーダーと睨み合っている。全面モニターの司令室を見渡せる席には、局長ではなくその 補佐官である一ノ瀬真波が立っていた。規定通りに着込んだ制服をシワ一つも乱していない真波は、飾り気のない メガネ越しに三人を一瞥して不愉快げに眉根を寄せたが、素早く指示を出した。

「山吹、田村、忌部、配置に付け! 第一級警報が発令している!」

「了解っすー」

 山吹は円形に配置されているオペレーションデスクの自分の席に座ると、ケーブルを伸ばして側頭部に指した。

「うおっ!?」

 が、途端に強烈なノイズと電磁波が山吹の脳を駆け巡り、山吹はケーブルを引っこ抜いた。

「うっわマジ痛ぇー……。一ノ瀬主任、また伊号が俺の指示を拒絶してるっすー。どうするっすかー?」

「伊号、無線全面封鎖しています! こちらからの連絡を受け付けません! きゃあっ!」

 オペレーターの一人である女性職員が叫ぶが、彼女も悲鳴を上げてヘッドセットを外し、耳を押さえた。

「馬鹿な子ね、相変わらず」

 真波はコンソールを叩いて伊号と司令室側の周波数を調節してから、マイクに声を張り上げた。

「こちら司令室、伊号、応答せよ! 単独行動は許可されていない! 繰り返す、単独行動は許可されていない!」

『あーもうっ、ウッゼェエエエエエエ!』

 間を置かずして、心底苛立った少女の声が返ってきた。モニターには伊号が映し出されたが、可愛らしい顔立ちは 豪快に歪んでいた。彼女の背景は脳波増幅器の発信装置が備わった遠隔操作室で、多種多様な計器が壁全体に 詰め込まれていた。その前に収まっている万能車椅子には太いケーブルが四本接続され、伊号はゴーグルの上に ヘルメット状を被っていた。伊号は片目を開き、司令室の面々を睨んだ。

『てか、さっさと遊ばせてくんね? 脳波増幅シークエンスだとか仮想意識並列動作安定化だとか、マジ面倒すぎん だけど。途中に色々しなくっても、あたしは超絶完璧だし』

「遊びじゃないわ、任務よ。今回のあなたの任務は」

『言われなくても解ってるっつの。海底潜行の後に浮上、東京湾に侵入してきた未確認巨大物体の撃破、だって んだろ? 今回のはトロいし、爆弾ばらまくだけで終わっちゃいそうでマジつまんねー』

 不満げに唇を尖らせた伊号に、真波は語気を強めた。

「こちらが立てた作戦があるわ、それに準じた行動を」

『だーから、そんなのかったりーんだっての!』

 伊号はゴーグルの下で両目を見開き、その内側に映し出される映像を見据えながらにたりと笑った。

『全機発進、迎撃開始ぃいいいいいっ!』

 直後、司令室どころか基地全体がびりびりと震えた。滑走路に控えていた無人戦闘機が一斉に発進したため、その 衝撃破が襲い掛かったからだ。モニターには、アフターバーナーを全開にして太平洋側に飛び去る戦闘機部隊が 映し出された。ミサイルと機銃を備えた全二十五機の無人戦闘機は美しささえある精度で三角形の編隊を組んで、 目標に向かって直進していく。同時に発進した無人偵察機が捉えた映像が司令室に届き、モニターに表示された。

「なんだこりゃ」

 それは、全長百メートルはあるシャコ貝だった。山吹が率直すぎる感想を述べると、秋葉が真顔で言った。

「おいしそう」

「シャコ貝だと……?」

 忌部は包帯の下でじっとりと嫌な汗を掻いたが、動揺を悟られないように努めた。シャコ貝といえば、ミーコが寄生虫を 培養していたものだ。紀乃に寄生虫を入れようとしたので、その場でミーコを溺れさせて阻止したが、シャコ貝に までは気を回さなかった。というより、触りたくなかったからだ。ミーコの寄生虫が溢れるほど詰まったシャコ貝は、 その後、所在不明になったと思っていたがまさか短期間で巨大化していたとは。

「X線照射による内部測定結果、出ました。殻の厚さは、最厚部では十メートルはあると思われます」

 秋葉が報告すると、真波は腕を組んだ。 

「となると、伊号のミサイルじゃヒビが入る程度ってところね。でも、何もしないよりはマシだわ」

「ヒビを入れて、その後はどうする気ですか?」

 忌部が問うと、真波は間を置かずに答えた。

「広域音波発生器を投下の後、呂号で音波攻撃を行う。それ以外に良い案はある?」

「いえ。妙案です、主任」

 忌部は頷き、呂号の無線に繋げた。

「呂号、応答せよ! 呂号、応答」

『黙れ』

 忌部の声を遮って、呂号が応答した。伊号の脳波操作で派手な空爆を繰り広げる戦闘機部隊が映るモニターの 右隣のモニターに、レコーディングスタジオに似た音波増幅室に待機している呂号が映し出された。彼女の小さな手 にはかなり大きいエレキギターが握られ、そのギターからは十数本のケーブルが伸びて機械に繋がっていた。弦の 一本をピックで弾いた呂号は、淀みなく言い切った。

『僕には全部聞こえている。イッチーの演奏では何も壊せない。僕の音に壊せないものはない』

 ぎゅいいいっ、と全ての弦が弾かれて機械的に増幅された音が司令室内に響いた。快諾と判断して良いだろう、と 忌部が真波に頷いてみせると、伊号の脳波操作ではない遠隔操作で無人機が発進し、アフターバーナーの排気の 尾を引きながら戦場と化している太平洋に向かった。無人機の翼下には、超硬度を誇る特殊合金製のミサイルが 装備されているが、その中身は爆薬ではなく超大型スピーカーである。呂号が音響兵器として演奏する曲は彼女の 気紛れだが、ジャンルは決まってヘヴィメタルだ。調子が良い時は演奏に乗せて歌うこともあり、その歌も少女らし からぬ声量と表現力がある。彼女の場合、譜面も歌詞も見えないので耳で聞いたものをそっくりコピーして演奏して いるのだが、端々に才能が見え隠れしている。甲型生体兵器にならなければ、きっと優れたアーティストになって いただろう。呂号がブーツのつま先で取るリズムをヘッドセットで聴きながら、忌部は戦況に集中した。
 今日もまた、メタリカだ。





 


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