Event




悪役親睦会



 それから、約一時間後。太陽を除いた面々は、疲弊していた。
 あれほど元気の良かったグレイスも青ざめていて、ペレネは生気のない顔から更に生気が失せてしまっている。
イノセンタスは項垂れ、キースは思い出したように乾いた笑い声を発し、マスターコマンダーは自己嫌悪している。
高揚していても自分が言ったことは覚えているからだ。太陽は彼らに若干同情しつつも、自分の料理を食べた。
これの、どこが親睦会だ。仲良くするどころか、変なことになっている。来るんじゃなかった、と太陽は後悔した。
 テーブルに転がされたドラゴン殺しは、空き瓶になっていた。気付かない間に、皆が飲み干してしまったようだ。

「死ねー人間めー」

 キースはテーブルに頬を貼り付け、引きつった笑いを作っていた。太陽は、三杯目のウーロン茶を飲んだ。

「いい加減にしろよ」

「やる気も魔力も出ねぇ…。くそー伯爵の野郎ー、今度会ったら乾燥させて粉末にして宇宙空間に散らしてやるう」

 グレイスは俯せていたが、髪を乱しながら顔を上げた。マスターコマンダーは、顔を背けている。

「後でメモリーバンクを操作しておこう。あんな記憶、0.1バイトであろうとも残しておきたくはない」

「誰が…誰が…愚弟なんか…。私は、一体…」

 ああ、とイノセンタスが嘆いている。ペレネは、額を押さえている。

「脳内の鈍痛を確認…」

 太陽は、心底呆れていた。いい大人が、それも真っ当ではない連中が、こうもあっさりやられてしまうとは。

「それでも悪役かよ」

 太陽が毒突くと、マスターコマンダーの横長のゴーグルが向いた。改めて見ると、彼の肌の色は浅黒かった。

「悪か。私は悪に堕ちたつもりはない。私は、私の信念に基づいて行動した結果、行き過ぎただけだ」

 饒舌なのは、自白剤が残っているのだろう。マスターコマンダー自身もそう感じていたが、止められなかった。

「銀河連邦政府の腐敗と下らん妄執に囚われた愚かな部下に、その人生を乱されたマリーを救うべくして行動していたに過ぎない。マシンソルジャー達を造り上げたのも、彼らを使って銀河連邦政府に戦いを仕掛けたのも、全ては彼女のためだ。そして、我が子達のためでもある。私と彼女の人格を元にして人格プログラムを生み出した五体のカラーリングリーダーは、ただの道具ではない。彼らは私とマリーの子だ。全てを終えたら、望むままに生かしてやるつもりだった。だが、私の計算よりも先に我がコズミックレジスタンスは疲弊し、残存戦力は全盛期の31.4%にまで落ち込んだ。計算も計画も狂った。銀河連邦政府軍が、いや、マリーが予想以上に強かったからだ。だから私は、二号機を、ブルーソニックインパルサーを地球に放ったのだ。たとえ私が死しても、私と彼女の人格パターンを引き継ぐ者が生き延びさえすれば、私は死したことにはならないからな」

「僕も、人並みに幸せになりたかっただけなんだよね。動機を突き詰めてしまえば」

 キースはテーブルに顔を横たえたまま、喋った。酒で火照った体には、テーブルの冷たさが優しかった。

「まぁ、今となっちゃ、ただの言い訳でしかないけどね。僕の望むものは、何一つ手に入らない。僕に優しくしてくれた女と結婚したらその女はろくでもない奴だったし、母さんは一度も僕と話さないまま死んでしまったし、姉さんも僕のことをずっと嫌っていた。不愉快で理不尽で、何もかもが大嫌いになった。なのに、僕が欲しいものを手に入れる奴がいる。ラミアンだ、リチャードだ、フィリオラだ! そんなの、不公平じゃないか。下等な吸血鬼や人間や竜の末裔のくせして、この僕に勝るなんて最低じゃないか。だから僕はサラ・ジョーンズになって、ラミアン・ブラドールを殺して下僕にして、リチャード・ヴァトラスに特務部隊と戦犯の罪を押し付けて、フィリオラを手に入れたんだ。いいじゃないか、誰も僕にくれないんだから。僕が手に入れようとしても、構わないじゃないか。そのためだったら、いくらだって人も竜も殺してやるよ」

「下らん」

 イノセンタスは目を上げた。

「求めるのならば、奪えばいい。ないのであれば、造ればいい。それだけのことだ。愚弟に向いた妹の心を私に向けさせるためなら、どんなことでしてやるとも。私が愛し私を愛すのはジュリアだけで良い。それ以外は何もいらない。愚弟も、その妻も、子も、友人共も、あの竜の女も邪魔なのだ。世界には、私とジュリアがいればそれでいいんだ。他のものは、不要だ」

「奪う、ねぇ。あんたのことは嫌いだけど、そういうのは結構好きだぜ」

 グレイスが、力なく笑った。

「あんたらには目的はあるけど、オレの場合は目的はねぇな。オレはオレが楽しいから悪いことをするの。だって、マジで面白いじゃねぇか。オレがちょっと手を貸してやったおかげで舞い上がった連中を叩き落として、地獄を見せてやるのって。ぞくぞくするんだよ、そういうの。悪いことするのには、大義名分も信念も愛情も何もいらねぇんだよ。必要なのは、欲望だけさ」

「感情論デス」

 ペレネは、掠れた声を発した。宇宙人でも、疲れるらしい。

「アナタ方の持論は感情に基づいて判断されたものデアリ、理論的思考ではアリマセン」

「理論も何も、それだけじゃやっていけねぇんだよ」

 太陽は、ウーロン茶の氷を噛み砕く。

「綺麗事を言ってるだけじゃ、やり込まれちまうだけだ。高宮が良い例じゃねぇかよ。人間と機械の共存、だなんて、青臭いこと言ってよ、結局出来てねぇじゃん。六号機と七号機が鈴木礼子にベタ惚れしてるからバランスが保ててるだけで、そうじゃなくなったらどうなるか。大体、あの五色のマシンソルジャーだってそうだ。あんなに危険なものを野放しにしておく神経が理解出来ねぇ。人格なんか持ったって、所詮兵器は兵器なんだよ。それをちゃんと理解してるのは、シュヴァルツだけだ。高宮重工は馬鹿の集まりだ。それも、宇宙一のな」

「その認識は大いに誤っている、李太陽。機械を兵器とたらしめるのは人間だ」

 マスターコマンダーが、太陽を見据える。

「確かに、我が子達はお前達の住まう地球人類にとっては過ぎた存在だろう。だが、それはお前達の知的レベルが低いからだ。いかに我が子達が強力な兵器であろうとも、接し方さえ誤りさえしなければ、誰に対しても敵意は持たない。逆に、異物だと判断して攻撃をすれば、我が子達は怒りに震えて破壊を行う。人間と同じことだ」

「まぁ、そうだね。そうかもしれないけど、そんなに器用な奴はいないよ」

 キースはテーブルの板の目を見つめながら、呟いた。イノセンタスは、深く息を吐く。

「一度堕ちてしまえば、後は闇の中を這い進むだけになる。その果てに待っているのは、深淵だけだ」

「けど、オレらはそれでいいんじゃねぇの。そういう生き方しか、出来ねぇんだから」

 グレイスは壁際に置いていたジャケットの中からタバコを取り出すと、銜えて火を灯した。

「まぁでも結局、イノとキースは死んでレイヴンちゃんは冷凍刑でタイちゃんは少年刑務所に逮捕拘留中でペレネはハイブリットヒューマノイドに移行するために廃棄処分されちゃうんだけどな」

「身も蓋もねぇ…。つうかタイちゃんってなんだよ」

 太陽が口元を引きつらせると、グレイスは火の点いたタバコを掲げた。

「そんな中でも、オレだけは生き延びるんだけどな! そういう位置付けだから!」

「そういうの、滅茶苦茶腹立つんだけど」

 上体を起こしたキースは、赤い瞳でグレイスを睨み付けた。グレイスは、へらへらしている。

「戦っちゃダメだぞう、そんなことをしたら色んなバランスが崩れてオレ達どころか宇宙も吹っ飛ぶんだからなあ」

「いっそ、吹き飛ばしてしまおうではないか。どうせ私は死んでいるんだ、失うものは何一つとしてない!」

 立ち上がったイノセンタスは、右手を挙げて構えた。マスターコマンダーは、そのマントを引く。

「私は死んでいない。だからお前の行動を許可するわけにはいかない」

「もう、なんでもいいよ…」

 太陽は状況に付いていくことを、放棄した。グレイスは体力を取り戻したのか、またテンションが復活している。
イノセンタスはグレイスの態度が我慢ならずに魔法を放とうとしているが、マスターコマンダーに阻止されている。
キースもキースで、もうどうでもいい、といった顔で冷めた料理を食べている。親睦など、欠片も行われていない。
 そもそも、このメンバーが仲良くなることからして無理なのだ。誰も彼も身勝手だからこそ、悪役なのである。
協調性があったらストーリーの途中で宥和しているだろうし、妥協出来るのであれば追い詰められたりはしない。
増して、他人を大事にするような気配りがあれば人を殺すはずもない。そんな状態では、上手く行くわけがない。
太陽は近くにいた店員を呼び、チャーハンを追加注文した。中途半端にしか食べなかったので、腹が減っていた。
 それに、食べることで気を紛らわせたかった。




 妙な宴が終わったのは、夜中だった。
 夜中、という時間の表現がこの次元空間に相応しいとは思えなかったが、なんとなくそんな気がしたからである。
 こちらの世界にも歓楽街というものはあるようで、いかがわしいネオンサインが路地のそこかしこで光っている。
ペレネはそれらが物珍しいのか、観察している。キースは早く帰りたいのか、苛立ち混じりに眉を吊り上げている。
イノセンタスは誰とも会話せずに、押し黙っていた。マスターコマンダーも黙っているが、こちらの雰囲気は違う。
黒いマントの下で腕を組み、横長のゴーグルにネオンサインを映し込ませている。低く、重みを含んだ声がした。

「不思議だ。五分二十二秒前まで観測されなかった異次元間の接点が、この空間全体に生まれている。平行してはいたが波のあった時間の流れも、我々が本来いるべき次元空間の時間の流れと添い始めている。この精度、この速さは、我々の持ち得る科学技術の域を超えている。言うならば、魔法とでも表現するべきか」

「やっぱり、解る奴は解ってくれるよなー、うん! マジで嬉しい! オレ様の異空間転移魔法は最高だろ? 但し、魔法陣の調整と魔力出力の比率が難しいし、異空間同士を結びつけて維持させておくのはかなり面倒で魔力を喰うから、そうそう高い頻度で使えねぇのが難点だな」

 グレイスは、自慢気に胸を張った。太陽は辺りを見回したが、魔法陣らしきものはない。

「魔法って、なんか嘘臭ぇな」

「魔法は魔法だ。こちらで言うところの科学に酷似しているが、本質的な部分から異なる全く別の技術の名だ」

 イノセンタスが言うと、キースが続けた。

「それに、魔法陣というのは目視出来る状態でなくても作れるんだ。例えば、空間そのものに刻み付けるとかね」

「上空十五メートルの地点に、異次元相接続空間の発生を確認シマシタ。直径はおよそ三十メートルデス」

 ペレネは夜空を指したが、太陽には何も見えなかった。グレイスは、灰色のジャケットに腕を通し、羽織った。

「じゃ、オレ達は帰るわ。もう少ししたら元の時間系列と次元空間に戻れるから安心しろよ、タイちゃん」

「だから、なんだよそのタイちゃんって」

 太陽が苛立つと、グレイスはにいっと笑った。幼子にするように、ぐしゃっと太陽の髪を乱した。

「オレから見たら、お前みたいな粋がってるガキは痛々しくって可愛くってどうしようもねぇんだよ」

「馬鹿にしてんのか、てめぇ!」

 太陽は抵抗したが、グレイスは太陽を力任せに上向かせた。灰色の瞳は、笑っていない。

「ああ、馬鹿にしてるさ。人のツラ見りゃすぐに敵だと思うような単細胞が、よくも工作員なんてやってられたな。死ななかったのは運が良かっただけだぜ、タイちゃん。覚悟も据わってねぇし、根性も甘いし、武器の扱いだってなってねぇ。もうちょっと修業してから出直しな。お前が絡んでた店員の子、礼ちゃんっつったか、あっちの方がまだまともだ。自分の本分をちゃんと弁えてる。それに比べて、お前はどうだ。中途半端なんだよ、何もかも」

 太陽が拳銃を抜こうとすると、それよりも先にグレイスが太陽の腰から拳銃を奪って側頭部に押し当てた。

「他人の足元に這い蹲ってる以上、お前はそれだけで終わりだ。それ以上には、世界が滅んでもなれねぇよ」

「それは僕も同意する。軽く煽られただけで突っ掛かってくるなんて、イヌ以下だね」

 キースが鼻で笑う。イノセンタスは、目線すら向けようとしない。

「知能の低い人間は好かん」

「大した動機もないのに武器を振り回すな。死期を早めるだけだ」

 マスターコマンダーが冷徹に言い放つ。ペレネは、硬質な声で言う。

「第一印象で物事を判断するのは危険デス。熟考の上で判断を下すベキデス」

「人をちょっと殺したぐらいで、調子に乗るんじゃねぇぞ?」

 グレイスは拳銃の銃身で、太陽の顎を押し上げてから解放した。太陽は身を下げたが、まともに動けなかった。
拳銃の冷たさとは違う、冷たさがある。改めて気付いた。グレイスの眼差しは、太陽を人間として見ていない。
他の面々も、グレイスを諫めるどころか煽る始末だ。まともじゃない、だが、そんな中にいる自分もまともではない。

「親切な灰色の呪術師が、調子に乗って粋がってるだけの頭の足りないガキに、一つ良いことを教えてあげよう」

 グレイスはチェンバーをじゃきりとスライドさせて弾丸を装填すると、それを太陽の額に合わせた。

「死なない奴はいねぇ」

 グレイスは太陽との間を詰めると、メガネの下で灰色の目を見開いた。その色は深く、底がない。

「自分だけは死なねぇとか、自分だけは特別だとか、他の連中はクズだとか思ってんだろうな? それは他も同じだ。お前がクズだと思った相手は、お前のことをそう思ってんだよ。言わなくても、そんなもんは態度で伝わる。お前は強くなんてねぇ。お前は弱っちいガキンチョに過ぎない。オレ達とタメ張ろうなんて、百万年早いぜ」

「…う」

 額の皮にめり込む銃口の硬さと冷たさに、太陽は顔を歪めた。グレイスは、ちっちっち、と舌打ちをする。

「そこでビビるから小物度が一気に上がるんだよ。何されても動じないのが、悪役の美学であり鉄則なの」

「不測の事態に対して、冷静に対応してこそ状況を打開することが出来る。それすらも知らないのか、お前は」

 マスターコマンダーが言うと、イノセンタスは横目に太陽を見下ろした。

「所詮、お前はその程度だ。虫酸が走る」

「そうだね、利用する価値もない。まぁ、僕はそんな三下なんて使わないけどね。そもそも嫌いだし」

 キースは可笑しげに唇を上向け、鋭い牙を覗かせた。グレイスは太陽の額から銃口を外し、懐に差し込んだ。

「じゃ、今日のところはこれで解散。タイちゃん、また表舞台に出る時はもうちょい格好良く立ち回ろうぜ?」

「そうそう。悪い奴ほど、格好良くなきゃつまらないじゃない」

 じゃあね、とキースは一番先に歩き出した。

「ああ、グレイス。お前なんかに言付けを頼むのは癪だけど、姉さんによろしくね。あと、フィリオラにも」

「オレは高いぜ?」

 グレイスの軽口に、キースは一笑した。

「代金は、お前が僕のいる世界に来た時にでも払ってやるよ。黄泉の世界も、そんなに悪いものじゃないよ?」

「私も行こう。これ以上、お前達の近くにいる義理はない」

 イノセンタスが歩き出そうとすると、グレイスはその背に声を掛けた。

「イノ。ギルディオス・ヴァトラスだけど、あいつがあんたのことを忘れたことはないぜ」

「そうか」

 イノセンタスは関心こそなさそうだったが、その言葉には若干の感情が含まれていた。そして、また前に向く。
キースはしなやかな動きで軽く手を振っていたが、路地の奧に消えた。イノセンタスの背も、暗がりに沈む。
 二人を見送っていたペレネは、グレイスに深々と頭を下げた。作り物じみた顔を、ほんの少しだけ緩めた。

「デハ、私モ。貴重な調査を行うことが出来マシタ」

 ペレネはヒールの音を響かせ、遠ざかっていった。グレイスは太陽を見下ろし、手を翳した。

「じゃな」

 太陽は反応を返すこともなく、その場に突っ立っていた。頭が冷えると、次第に悔しさが沸き上がってくる。
なぜ、あそこまで言われなければならないのだ。怒りを滾らせていると、背後から重たい足音が近付いてきた。
 素早い動作で振り返ると、相手は少し驚いたようだった。そこには、鋼太郎に似ているが違う店員が立っていた。
体格は鋼太郎と酷似しているが、頭部デザインが違う。名札には、村田正弘、とある。彼は、伝票を差し出した。

「お客様、お会計を」

「は!?」

 グレイスへの悔しさと動揺で、太陽は声を裏返した。正弘は、ちょっと身を引く。

「いえ、ですから、お代を払って下さい」

「いや、でも、あいつらは」

「日本通貨を持っていないから、持っている人に任せると言っていましたが」

「パラレルワールドなのに、通貨は日本円なのかよ? つうかあいつら大人のくせに払わないのかよ!」

「ええ、誰一人として払いませんでした。で、持っているんですよね、あなたは」

「まぁ、一応…」

 太陽が財布を探ると、正弘は伝票を渡した。

「合計で五万四千三百六十三円になります」

「うわ、高ぇ」

 太陽は財布の中身を確かめていたが、顔を上げた。多少はあったが、代金には全然足りなかった。

「あの、カード使えます?」

「使えますけど。領収書はどうなさいますか?」

「シュヴァルツ工業で切って下さい」

「Vのヴァですか、それともBのバですか? 解りやすく表現すれば、ネオドイツのガンダムシュピーゲルのパイロット名ですか? ちなみにオレはネオスウェーデンのノーベルガンダムが好きです。だってセーラー服じゃないですか」

「いや、そっちの方が解りづれぇよ。つうかオレ、ガンダムとか知らないし。Vのヴァですよ、ドイツ語ですから」

 太陽がクレジットカードを一枚取り出して渡すと、正弘は、少々お待ち下さい、と言って店の中に戻っていった。
 これは、怒るべきだ。決意を固め直そう。次に会った時は、見返すと同時に請求書も叩き付けてやらねば。
程なくして、正弘は店から戻ってきた。太陽にカードとレシートと請求書を渡すと、頭を下げてから店に帰った。
太陽は正弘から渡されたレシートと請求書を見ていたが、唇を引き締めた。最後の最後まで、非常識な連中だ。
しかも、グレイスには拳銃を奪われてしまった。あれもシュヴァルツ工業の支給品で、太陽の私物ではない。
 そのことを、どうやって上司に説明すればいいのだ。太陽は苛立ち紛れに歩き出したが、すぐに立ち止まった。
人の下にいる限り、それで終わる。利用する価値もない。死なない奴は、いない。その言葉は、とても苦かった。
 このままで終わるつもりなどない。確かに、今はまだシュヴァルツ工業の配下だが、そのうち上にのし上がる。
高宮重工、いや鈴木礼子など足元にも及ばない存在になってやる。野望だけは、腹の中で煮え滾っている。
だが、それだけだ。具体的に何をどうするといった策を弄することもなく、工作員として働いているだけだ。
工作員といっても、たかが十代の少年だ。父親には権力はあるが太陽自身には何もなく、地位にも力はない。
 ますます、腹が立ってくる。グレイスらの言っていたことが、毒のように染み込んで太陽の自尊心を痛め付ける。
しかし、どうにも出来ない。焦燥感を持て余しながら、太陽は歩き続けた。気付けば、雑踏の中を歩いていた。
裏路地を歩いていたはずなのに、いつのまにか繁華街を歩いている。聞こえなかった街の音も、聞こえてくる。
恐らく、元の世界というやつに戻ったのだろう。振り返ってみても、あのおかしな居酒屋の姿は見えなかった。
悪い夢だったのか、と思ったが、手の中にはちゃんと領収書が残っており、舌の上にはウーロン茶の味がする。
だが、現実味はない。太陽は酩酊感にも似た奇妙な感覚に囚われながら、人混みの間を擦り抜けていった。
 訳の解らない、夜だった。








07 3/7




Copyright(c)2004-2007 artemis All rights reserved.