翌朝。男達は、砂浜に放り出されていた。 抜けるような青空、緩やかなカーブを描いている珊瑚礁の砂浜、エメラルドグリーンの海辺。そのどれを取っても 南国のリゾートに相応しく、水着を着た若い女性がはしゃいでいる光景が一番似合う。はずなのだが、背景に最も 相応しくない格好の男達が砂浜に立っていた。おまけに、波打ち際には俯せになっているギルディオスが打ち上げ られていて、彼の足にはグレイスと思しき物体が絡み付いている。水死体にしか見えなかったが、ギルディオスは 砂と海水がたっぷり詰まった兜を上げ、ヘルムの隙間からだらだらと海水を零し、両肘と胴体の関節を軋ませながら 上体を起こして三人の男達を捉えた。途端に、彼は自分の状況を差し置いて吹き出した。 「なんでぇお前ら、その成りは!」 「その言葉、そっくり返したいんですがね」 マサヨシは、羞恥に駆られながらも平静を保った。ギルディオスは無造作にグレイスを払い落として起き上がると、 おもむろに兜を引っこ抜いた。首のない姿で、ギルディオスは水を吸って細くなってしまった頭飾りを絞り、兜の中を そっくり洗ってから首を填め直した。片足立ちをして膝を外し、足の中に溜まった海水も捨てながら、ギルディオスは 世間話でもするような軽い口調で語った。 「いやな、昨日の夜、お前らと一緒に校舎で雑魚寝したろ? んで、この野郎に夜這いされてよー」 「色んな意味で御愁傷様です、少佐」 ダニエルが苦々しげに頬を引きつらせると、ギルディオスは足を填め直し、若干動きの悪い肩を回した。 「お前らに迷惑掛けるのもなんだって思って、一晩中逃げ回ったんだけどよ、最終的に海に突っ込んじまったんだ。 だが、俺は見ての通り泳げる体じゃねぇし、グレイスの野郎はべろんべろんになっちまっていたから、どっちも呆気 なく沖に流されちまってな。んで、ぼんやりしていたら夜が明けて、打ち上げられていたんだ」 ギルディオスは装甲に貼り付いた砂を払い落としていたが、再度三人を見渡し、声を上擦らせた。 「で、お前らのそれは何なんだ?」 「最初に言っておきますが、俺達の本意ではありません。全てはあの異星人の仕業です。朝起きたら、俺達の服は 全部ゾゾに洗濯されていまして、その代わりに押し付けられたのがこの薄布一枚なんですよ」 マサヨシは懸命に理性を保とうとしているが、羞恥と自嘲のせいで抑揚が少々波打っていた。ダニエルは無防備な 姿が心許ないのか、しきりに首を動かしている。虎鉄は、ほぼ全裸なのにヘルメットを被っている上に素肌が全て 鋼鉄と化しているので異様さを引き立てていた。それもそのはず、三人は昨日着ていた服を一枚残らず脱がされた 代わりに下着を一枚だけ与えられていたからだ。透明化能力者であり露出癖を持つ忌部次郎の唯一にして最大の 衣服である、フンドシである。御丁寧にゾゾからきっちりと締められたので、三人の股間には木綿の布地が力一杯 食い込んでいる。三人揃ってこんな奇妙な状況を受け入れまいと表情を強張らせているが、それは却って服装との ギャップを醸し出して笑いを誘う一因になっていた。ギルディオスは全身の関節を軋ませ、笑い転げる。 「良い格好じゃねぇか、おい!」 「……泳げってことか?」 虎鉄が剥き出しの尻を所在なげに撫でると、マサヨシは片手で顔を覆った。 「やめてくれ。誰が得をするんだ、そんなことをして」 「だが、少なくとも退屈は紛れる。享楽に弛んだ精神を叩き直すべきだ」 ダニエルは早々に羞恥を押さえ込んだのか、至極真面目な顔で関節を伸ばし始めた。マサヨシは心許なさそうに 虎鉄と顔を見合わせたが、虎鉄が小さく肩を竦めると、マサヨシはダニエルに倣って体を解し始めた。虎鉄も二人 の準備運動を手伝いつつ、己の鋼の体を暖機させていった。ギルディオスは波打ち際に漂っているグレイスを砂浜 に転がしてから、これは訓練の一環だと懸命に自分に言い聞かせている形相の三人を見やった。 身長差と生まれ育った時代の差はあれど、三者三様に鍛え上げられた体である。百九十センチメートル近い上背 を誇るダニエルは、その大きすぎる体格を支える筋肉はどれも分厚い。異能力者であろうと近接戦闘を行う機会は 多く、彼自身が持ち合わせている高出力の念動力を支えるために物理的な腕力も多少なりとも必要だ。ダニエルの 全身には戦闘で受けた傷がいくつも刻まれ、戦場での雑な縫合が開いたであろう傷も二三窺える。中には致命傷に なりかねない傷もあったが、念動力で強引に塞いで繋ぎ合わせたのだろう、その部分だけ皮膚が引きつっている。 身長が百八十センチメートル前後のマサヨシは、スペースファイターのパイロットらしく、過不足のない体付きをして いた。優しげな面差しと全体的に色白な肌のせいか、ダニエルに比べれば頼りなく見えなくもないが、両腕の筋肉は 見るからに力強かった。素早く的確な操縦を行う両手は大きく、指も長い。先程まで少年のような不安に揺れていた 目は定まり、この場で成すべきことを判断するべく、周囲を鋭く捉えていた。ヘルメットを除けばマサヨシよりも僅かに 背は低いが、筋肉量で言えば虎鉄が最も屈強である。鋼鉄であるのを良いことに徹底的に鍛え上げたのだろう、 両腕も両足も丸太のように図太い。胸も背も厚く、もちろん腹筋は綺麗に割れている。正しく重量級、といった肉体 だった。それに引き替え俺は、と、ギルディオスは空っぽの自分がちょっと物寂しくなった。 三人の準備運動が終わり、海に向かおうとすると、唐突に海面が真っ二つに割れた。数十メートルの高さにまで 噴き上がった海水が雨のように降り注ぎ、砂浜にいくつもの水溜まりを作る。それが収まると、爆心地には赤と金の マスクを被って白いマントを翻した、やはりフンドシ一丁のパワーイーグルが浮いていた。その肉体は惚れ惚れする ほど完成していて、マーブルコミックの表紙で踊るヒーローと相違のない体格だった。昨日の宴席でギルディオスが 両断したマントは再生していて、潮風を受けて翼の如くはためいていた。 「ジャーアスティイイイイイッスゥウウウウウッ! 海水浴ぅううううううっ!」 両腕をクロスさせてから大きく広げた後、パワーイーグルはブリッジの如く上体を反らした。 「さあ諸君っ、この母なる海に飛び込むがいいっ! そしてっ、この俺と正々堂々戦うのだぁああああああっ!」 「道理で朝から見かけないと思ったら、さっさと待機していたんだなぁ」 なんて人だ、と、マサヨシが嘆くと、ダニエルは引き気味に返した。 「恐らく、我々と海で遊びたいだけなのだろう、あの人は。絵面はおぞましいが」 「んで、どうする? スーパーヒーローの殺人的な海水浴に付き合うか?」 虎鉄が半笑いになりながらパワーイーグルを示すと、マサヨシは波打ち際に歩み出した。 「まさか。だが、泳ぎはするさ。なぜなら、そこにサチコがいるからだ! 異次元だが!」 昨夜のテンションを引き摺っているのか、マサヨシは波を蹴散らして浅瀬に突っ込んでいった。今度はダニエルと 虎鉄が顔を見合わせる番だったが、マサヨシがそういう男だというのは昨夜のうちに知っているので、マサヨシの妻 への並々ならぬ愛情も理解している。デザートまで食べ終え、ゾゾが普段寝起きしている廃校に引き上げてからも 宴会は続いた。といっても酒ではなく、二日酔い防止と酔い覚ましを兼ねたウコン茶を勧められた。パワーイーグルと グレイス以外はさすがに酒量が多かったと認識していたので、それをありがたく頂きながら、板張りの床に車座に 座ってランプに照らされながら語り合った。呂律が回らなくなっていたグレイスはひっくり返って爆睡してしまった上、 パワーイーグルは酔いすぎて逆に冷静になっていたので、夜は意外にも穏やかだった。昼間の嫁自慢選手権では 言えなかった些細なことや、共感出来ることを話し合った末、彼らはなんとなく通じ合った。刹那の関係に過ぎない だろうが、悪いことではない。その方が、南国の一時をより楽しめるのだから。 その後、弛んだ精神と肉体を叩き直すためという名目で始まった海水浴は、馬鹿馬鹿しい展開になった。パワー イーグルが生真面目に三人に突撃してはデタラメなことを繰り返したため、ダニエルが応戦し始め、虎鉄もそれに 乗して能力を行使し始め、二人に付いていけないマサヨシはさっさと砂浜に引き上げた。その結果、爽やかなビーチ から一転して男臭い戦場と化した。ダニエルと虎鉄は互いの能力を利用してパワーイーグルを追い詰めたものの、 スーパーヒーローには寸でのところで敵わずに返り討ちにされた。三人のじゃれ合いが一段落すると、ゾゾが昼食の 準備を整えていて、手の空いているマサヨシとギルディオスはそれを手伝った。昼過ぎになってグレイスはやっと 息を吹き返したが、酒が抜けていないのか、終始顔色が悪かった。それでも昼食は腹に入れ、気分が戻ってくると 出遅れた分を取り戻すように騒ぎ立てた。立場も生まれも育ちも人種も違う面々ではあるが、南洋の空気と男同士 の気楽さが解放感を生み出し、まるで運動部の合宿のような時間が過ぎていった。 要するに暑苦しかったのである。 二日目の宴会の火照りを冷ますべく、夕日を横目に砂浜を歩いた。 泡盛とオリオンビールをチャンポンするのはあまり良いことではない、と、昨日のうちに知っていたはずなのだが、 ついつい高揚した空気に煽られて飲んでしまった。おまけに、ゾゾが出してくる料理がどれもこれも旨く、酒が進んで 進んでどうしようもなかった。昼間、泳ぎに泳いで能力も多少行使したが、あれだけではカロリーが消費されたとは 考えづらい。宴会は非常に楽しいが、こんなに自堕落な時間が続けば、いかに強固な精神の持ち主でも堕落しか ねない。虎鉄は少々危機感を覚えながら、ゾゾが洗濯してくれたので着心地の軽いライダースジャケットのポケット を探ったが、目当てのものは見つからなかった。すると、背後からそれが差し出された。 「タバコをお探しで?」 紫色の四本指の手には、吸いかけのマルボロとライターが収まっていた。虎鉄は振り向き、それを受け取る。 「悪いな」 「いえいえ、お気になさらず。洗濯をした時に、一度皆さんのポケットの中身を全部出したのですよ。もっとも、パワー イーグルさんの服だけは洗うに洗えませんでしたがね。あの豪傑は、下着以外は何も着ずにバトルスーツだけを身に 付けておられましたから」 ゾゾはにんまりと単眼を細め、尻尾を揺らした。虎鉄はタバコを一本出して銜えると、尖端を手で覆って火を灯す。 渋い煙を肺に入れてから緩く吐き出しつつ、ヘルメットのバイザーにゾゾを映した。 「お前の真意は何だ、ゾゾ?」 「何とは、なんでございましょうか」 「お前みたいな打算的な野郎が、俺達を何の理由もなしに飲み食いさせるわけがねぇだろうが。酒にしてもそうだ、 あんなに上物の泡盛なんか飲んだことなかったぞ。それを惜しげもなく、がばがば飲んだ俺達も俺達だが」 「いえいえ、大したことはありませんよ。どの泡盛も、ざっと二百年程度の年月しか経過していませんから」 「本物の古酒かよ。充分すぎるじゃねぇか」 虎鉄は唇でフィルターを噛みつつ、少々笑った。ゾゾは後ろ手に手を組み、水平線に接した太陽を見つめる。 「ここは、現実でありつつも現実ではない世界です。通常空間の物理的法則は通用しますが、並列空間というわけ ではありません。ですが、誰かの記憶の内側でもなければ、皆さんが本来生きている世界から懸け離れた世界でも ありません。もちろん、夢でもありません。まあ、夢と言えば夢なのかもしれませんがね」 「何が何だかさっぱりだな」 「それでよろしゅうございましょう、無理に理解しようとしたところで混乱が深まるばかりですから」 「で、それとこれとはどういう関係があるんだ」 「そう急かさずに。順序立ててお話しいたしますので」 ゾゾは尻尾の尖端で砂を撫で、さらりと薄く混ぜた。 「御存知のように、私は異星人です。生まれも育ちもあなた方とは違いますし、あなた方からしてみれば途方もない 年月を生きる種族です。脳の位置も違えば呼吸する物質も違い、身に流れる体液の構成も違いますし、精神構造 にしても大きな隔たりがあります。そのせいでしょうね、どうにも思うように紀乃さんに好意を示せないのは」 「そんなの、この世で一番聞きたくねぇ話だ」 虎鉄は半分以下になったタバコを噛み締めて背を向けるが、ゾゾは言葉を続けた。 「精神構造の違いばかりは、いかに生体情報を取得してもどうにもなりません。私と生活を共にしてくれたハツさんや 継成さんは、人でありながら人ではない人生を送られましたから、厳密に言えば人間ではありません。いえ、人間 ではあるのですが、人間の範疇を越えた御自分を認識しておられましたので、お二方は人間らしさを外側から見て おられました。その時点で、お二方は人の境界を越えておられました。ですので、厳密に言って人間である御方とは、 生まれてこの方接したことがないのです。本土に渡った際に何度か原住民の方々とは出会いましたが、それは ほんの一瞬でしたので、人間性というものを理解するには程遠かったのです。かといって、氾濫している情報から ではろくな情報が得られません。そこで考えたのが、ワンが観測出来る範囲での次元から、私が求める情報を持った 方々を呼び寄せるという手段でした。ギルディオスさんからは情熱を、ダニエルさんからは信念を、マサヨシさんから は誠意を、パワーイーグルさんからは正義を、グレイスさんからは図らずも邪念と煩悩を、そして、虎鉄さんからは 親心というものを見せて頂きました。おかげで、随分と勉強になりましたよ」 「……それでも、お前はただの一つ目オオトカゲだろうが」 フィルターだけになったタバコを抓み、握り潰して火を消してから、虎鉄は足元を睨んだ。 「紀乃は俺と溶子の手で幸せにするんだ。俺達の大事な娘を、お前なんかに愛されてたまるか」 「私もそう思ってはいたのですがね」 ゾゾは僅かな罪悪を混ぜた照れを滲ませ、単眼を瞬かせた。 「我が種族でありナガームンの民であるイリ・チ人は、生殖行為での繁殖を行いません。男女の区別はありますが、 肉体的な差はほとんどありません。遺伝子の優劣で相手を判断しますが、それは繁殖衝動に繋がりません。異性 に対する性欲というものは、当の昔に排除されました。恋愛というものは太古には存在していたようですが、今では 誰もそんなものを求めません。なぜなら、異性に心を躍らせるよりも遙かに高揚する快楽、侵略行為がイリ・チ人には 浸透しきっているからです。特定の相手に好意を抱くことはあろうとも、その先に至る感情が芽生えるのは生物学 的に有り得ないことなのです。ですので、私はあなた方から人間的な情緒を取得、学習し、神経細胞の配列に若干 手を加えたというわけです。涙ぐましいとは思いませんか?」 「それがどうした。多少の長話を聞かされたところで、俺はお前を認めもしないし、許しもしない」 「その憎しみを甘んじて受けましょう。それが、虎鉄さんの紀乃さんに対する愛なのですから」 ゾゾは満足げに頷いていたが、ふと、顔を上げた。 「そうですか、ええ、解りましたよ、ワン。並列空間を利用した観測地点を保つために必要なエネルギーが減少し、 時間軸と次元軸がずれ始めたので、皆さんの観測が危うくなったのですね。となると、もう宴は終わりですね。虎鉄 さんも、本来あるべき場所に戻る時が来てしまいましたね」 「上等だ。これ以上、お前と同じ空気を吸っていたくない」 虎鉄が毒突くと、ゾゾは寂しげに口の端を曲げた。 「通常空間にて、またお会いしましょう。もっとも、虎鉄さんはこの出来事をお忘れになっているでしょうが」 「お前のことなんざ、欠片も覚えていたくない。大体、お前はいつ頃のお前なんだ。次元と空間をどうこうして俺達に 接触したってんなら、時系列だって真っ当じゃないだろ?」 「よくお解りで。こうして虎鉄さんに接している私は、虎鉄さんが存在していた時系列に添っているわけではなく、少々 過去の私を引っ張ってきたのです。意識は紀乃さんに出会った後のものですが、人間的な情緒を生むために脳に 生体改造を施すためにはいくらかの時間が必要なので、時間を巻き戻す必要があったのです。もっとも、並列空間 とワンの能力を利用したものなので、本当の意味での時間超越ではありませんし、私とワンが観測地点から離れて しまえば、あなた方はここでの出来事を忘れてしまうでしょう。ですが、私の脳には人間的な情緒が色濃く焼き付く のです。それがどんなに素晴らしいことかお伝えしたいものですが、生憎、時間が足りません」 「出来ることなら、この場でお前の脳を引き摺り出して握り潰してやりたいよ。そうすれば、紀乃もお前なんかに心を 奪われたりはしないだろうし、お前も紀乃を愛したりしないだろうな」 「恐らくは。それにしても、ゼンは随分と図太い神経の持ち主ですね。私は虎鉄さんから疎まれているだけで、こんな にも胸が痛いというのに、ゼンは皆さんから一心に憎まれているのにまるで意に介さないのですから。それがゼン の強さでもあるのでしょうが、到底理解しがたいですね」 「それについては、同意してやらないでもない」 虎鉄がヘルメットの中で小さく呟くと、視界の隅でゾゾは表情を綻ばせたのが解った。そんなことで喜ぶなよ、との 文句が喉まで迫り上がってきたが、ゾゾが本当に嬉しそうだったので言わないでおくことにした。この体験と場所が 夢のようでありながらも現実であり、現実でありながらも紛い物であるが、本来の世界から懸け離れたものではない のだと認識出来ることはなく、虎鉄は二本目のタバコに火を付けた時に視界が切り替わった。 忌部島は、海の彼方に消えた。 11 3/7 |