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路地裏ガールズトーク



 からんころん、とベルが鳴ってドアが閉ざされた。
 少女達の華やいだ会話の余韻と、ケーキの甘い香りと紅茶の香りが濃密に漂う店内に振り返ったレピデュルス は、厨房から顔を覗かせている彼らを見やった。単眼を瞬かせながらこちらを窺ってきたので、レピデュルスが店内 が空席であると示してやると、単眼の爬虫類型異星人は尻尾を揺らしながら店内に入ってきた。

「いかがでしたか?」

「それはもう、皆様、お楽しみでしたよ」

 レピデュルスがきちりと外骨格を軋ませながら頷くと、単眼の異星人、ゾゾは耳元まで裂けた口を広げる。

「それはそれは。とても良いことですね」

「ワンに問題はありませんか?」

「ええ。並列空間と異次元宇宙と物質宇宙の狭間に浮かんでいるのは少し大変ですが、ワンの精神体も生体組織 にもなんら問題は発生していません。この空間が乖離するまでには少々時間がありますので、その間、私達も余暇 を楽しむといたしましょうか」

 エプロン姿のゾゾがレピデュルスに近付くと、レピデュルスは手近な椅子に腰掛けて足を組む。

「他の方々は?」

「グレイスさんはギルディオスさんに連れられて、早々に元の宇宙にお戻りになりました。少々先の時間軸で精神体 のみとなった後にこちらにいらしたカンタロスさんも、今し方、この店から去られました。繭さんの匂いが感じられた だけで充分だと仰って。叢雲さんは物質宇宙との橋渡しを行ってくれておりますので、今頃は彼女達を元の居場所 に導き終えたところでしょうね。サチコさんは、あちらのサチコさんと擦れ違ってからお戻りになりました」

「そうですか。私の未熟な魔法とあなたの科学力を組み合わせれば、奇跡をも起こせるのですね」

 レピデュルスは膝の上で手を組み、満足げに頷いた。

「ですが、そのためには莫大なエネルギーが不可欠です。スポンサーに感謝いたしませんとね」

 ゾゾが振り返ると、厨房の奥から白と黒の機影が現れた。

「コジロウさん。あなたのムリョウから生じるエネルギーは、正に無量大数です。それ故に、あなたの願望が宿った 膨大なエネルギーが私達の息づく宇宙まで至り、このような異次元を生み出してくれたばかりか、私達に愛しい人と 再会出来る機会を与えてくれた。もっとも、顔を合わせると無用なパラドックスが生まれてしまいますから、そのお姿 を目にするだけで精一杯なのですけどね。まあ、目視した時点で別のパラドックスは生まれておりますが、その辺は 宇宙の自己修復能力でどうにでもなりますでしょう」

 ゾゾが目を細めると、警官ロボット、コジロウはマスクフェイスを翳らせた。

「本官では、つばめの精神状態を救済することは不可能だ。よって、助力を求めた次第だ」

「不器用な方だ」

 レピデュルスが手招くと、コジロウは二人の座るテーブルの傍に至った。

「所用か」

「コジロウさんは御満足ですか? この店にいらっしゃったつばめさんは、あなたが遠い昔に見送ったつばめさんの 残留思念のようなものです。若かりし頃、あなたと共に人生を歩み、生命力を振り絞っていた、瑞々しい命の固まり です。ですが、それも過去のこととなってしまったことを、私もゾゾさんも存じております。あなたが生きる年月は私や ゾゾさんを何千倍も上回っておりますし、私達が邂逅した時は既に地球は熱砂の惑星と化しておりました。ですが、 私達はそもそも出会うべきではなかったのですよ。私の生きていた世界と、ゾゾさんの生きていた世界と、コジロウ さんが生きていた世界は、隣り合ってはいるが決して交わることのない平行線でしたからね。その均衡を打ち壊し、 力任せに交わらせたのは他でもないコジロウさんです。救われたいのは、御自身でしょうに」

 ええ、解りますとも、とレピデュルスは複眼を上げ、無数の視界の内に警官ロボットを宿す。

「私とて、何人もの主とその伴侶を見送ってきた身です。通り過ぎていく時間を止めたいと、彼らと時間を共にしたい と願ったことは数え切れません。ですが、実行には移せません。それをしてしまえば、過去の私を否定することにも なりますし、主に対する裏切りになりますからね。けれど、時として欲が出てしまいます。その結果が、この店です」

「経緯がどうあれ、この出会いを楽しもうではありませんか。さあ、お席へ」

 ゾゾが椅子を勧めるが、コジロウは躊躇う。

「木製の構造物では、本官の重量に耐え切れない」

「お気になさらず。どうせ、ここは物質宇宙ではありませんし、コジロウさんは実体を持たない電脳体なのですから、 それぐらいのことで椅子が壊れるものですか」

 レピデュルスが声を殺して笑うと、ゾゾは尻尾を揺する。

「なんでしたら、お茶でもお淹れしましょうか? きっと、味もお解りになりますよ?」

「本官は人型特殊車両だ」

「意固地ですねぇ、見た目通りに」

 ゾゾがにんまりすると、レピデュルスはストロー状の口を動かす。

「では、私達も語らいましょうか。時間と宇宙とコジロウさんのエネルギーが許す限りの間ではありますが」

「御心配なさらず。相手はムリョウですよ、そう簡単には潰えませんよ」

 ですから、いくらでも彼女のことを話せるのです、とゾゾは微笑んだ。レピデュルスもそれに同意したが、コジロウ の表情は変わらなかった。マスクフェイスのロボットなので当たり前と言えば当たり前ではあるが、その頑なさ故に 取り零してしまったものが多いのだろう。だから、かつての主に再会出来る場所を求め、作り出してしまったのだ。 その悔恨の念の深さも、重たさも、空しさも、レピデュルスには痛いほど解る。そうでもなければ、わざわざ喫茶店 を作ったりはしない。五億年の時を長らえた後に更なる年月を長らえているレピデュルスも、かつての主が愛した 女性とまた会いたいと願っていた。そして、その願いを叶えた。
 代償があるとすれば、甘く和やかな時が失われた後の途方もない切なさだ。けれど、その苦しみさえも愛情による ものだと知っているからこそ耐えられるのだ。終わりのない日々の中で立ち尽くさなければならない、やりきれなさを 紛らわせる。目の前を通り過ぎていった人々と思い出に浸り、振り返るための勇気を得られる。人智を越え、惑星 の年齢すらも超越する年月を過ごしている者達の束の間の余暇は、緩やかに始まった。
 どうせ、時間なら飽きるほどあるのだから。




 セルフチェック終了、再起動完了、全センサー作動、情報収集開始。
 単調なコマンドが電子頭脳を駆け巡り、機体の隅々にまでエネルギーが染み渡っていく。胸の奥底に埋められた 捻れた金属板はほのかに熱を帯び、回路に電流を走らせ、ギアを経て機体の各部に動力が伝わってくる。それが 安定するまでは動けないが、大して時間は掛からないので問題はない。数秒の間の後、首を曲げた。
 銀色の外装に覆われた両股の上で、主が寝入っていた。日当たりの良い縁側で隣り合って座っている間に眠気が 訪れてそのまま、というところだろう。警官ロボットの外装は積層装甲で弾力が皆無なので、人間にとって寝心地 は最悪のはずなのだが、寝顔は安心しきっている。パンダのぬいぐるみを抱き締めている時と変わらない。

「んぬ」

 不意にツインテールの髪が揺れ、緩んだ唇の間から呻きが漏れ、小さな肩がひくついた。

「むー……」

 まだ眠いと言いたげな声を零しながら身を捩った少女は仰向けになり、コジロウを視界に収めて我に返った。徐々 に頬に血が上っていき、吊り上がり気味の目が丸まった後、唐突に跳ね起きた。

「あっ、寝ちゃってた!?」

「つばめの起床を確認」

 コジロウが平坦に述べると、コジロウの外装の痕が付いた頬を押さえ、つばめは狼狽える。

「そんなつもりなかったのに、コジロウがセルフメンテしている間にちょっと一緒にいようかなって思っただけで、あー うー、恥ずかしいなーもう……」

「本官は支障を来していない」

「そりゃ、コジロウはロボットだから重くもなんともなかっただろうけどさ」

 あーもう、とつばめは唇をひん曲げて身を引き、コジロウと少し距離を開けた。

「なんか、夢、見たかも」

「夢とは記憶の反芻であり、無意識下で無秩序に再構成された情報の羅列だ」

「うん。だけど、楽しい夢だった気がする」

 つばめはコジロウの腕にそっと寄り掛かると、膝を抱えて天を仰いだ。合掌造りの古い家の茅葺き屋根からは、 春の日差しで緩んだ雪が解け落ちていた。つばめの鼓動よりも少し遅いペースで、滴が地面を叩いていた。

「素敵なお店で、おいしいケーキを食べて、コーヒーと紅茶を飲んで、知らない子達と一杯お喋りしたんだ」

 春の兆しを含んだ生温い風が吹き付け、つばめのクセの強い前髪を巻き上げる。

「つばめは、それが楽しいのか」

 コジロウが首を曲げてつばめを視界に捉えると、赤いゴーグルが陽光を撥ねた。

「そりゃあね。お喋りするのって好きだし」

 コジロウの上腕に寄り掛かりながら、つばめははにかむ。

「だけど、コジロウが一緒だったらもっと良かったな、ってちょっと思っちゃった」

「その理由が見受けられない。本官は飲食は不可能だ」

「それでも、一緒にいたいんだ。その理由は、さすがに言わなくても解るでしょ?」

 ふへへ、と小さく笑みを零したつばめは、コジロウを上目に窺ってきた。その言葉に相応しい言葉を返せるほどの 情緒的な判断能力を取得してはいなかったので、コジロウは直情的に相当する行為で応えた。左手を上げて指先 を伸ばし、つばめに触れる。頼りない弾力と滑らかな肌の感触と共に、優しい体温が外装に染み渡る。

「ずっと、ずっとだよ」

 この瞬間、この一時、この感覚が永遠であればいい。コジロウの思考回路に願望に値する行動理念が過ぎった のは、ムリョウから生じた無量大数のエネルギーが、瞬間的に多次元宇宙を貫いた余波で、時間軸が揺さぶられて 過去と現在のコジロウがザッピングしてしまったからだ。そうでもなければ、現時点のコジロウがここまで情緒的な 判断をするわけがない。そして、その行動理念が無意味であることも認識出来るはずがない。
 けれど、無益ではない。ムリョウが貫いた多次元宇宙の狭間で観測し、認識した少女達は、つばめの代わりには ならないと判断することが出来たのだから。つばめはつばめであり、つばめでなければいけない。なぜなら、つばめ がコジロウを作り上げたからだ。更に言えば、つばめは肉体を伴って生きていてこそつばめであって、コジロウの 記憶要領に保存された情報の固まりでは、つばめは決して再現出来ない。だから、今、この時を味わい尽くすべき だと判断した。それが、遠い時間を長らえる自分を、遙か未来に立ち尽くす己の硬い心を癒せる、唯一にして最大の 手段なのだから。つばめの肩に手を添えると、つばめは恥じらったが、腰を浮かせて顔を寄せてくれた。

「……ふ」

 硬いマスクに重ねていた唇を離して吐息を零したつばめは、目を伏せる。

「あのね、コジロウ。さっき、コジロウの背中を見ていて考えちゃったことがあるの」

 ジーンズを履いた足を狭めて太股に力を入れ、つばめは板張りの床を見つめた。

「私は、コジロウにずっと一緒にいてほしいって言った。コジロウも、そうしたいって言ってくれた。だけど、私は人間 だから、いつか必ず死んじゃうんだもん。お婆ちゃんとお母さんと、大勢の人達のおかげでまた元気になったけど、 それでも何十年か過ぎたら、きっと死んじゃう。そうなったら、コジロウはどうなっちゃうんだろうって。私はコジロウ 以外の誰も好きになるつもりはないし、きっとならないから、子供を産むこともないと思う。だから、コジロウは私が いなくなったら、宙ぶらりんになっちゃう。そう思ったら、なんだか凄く悲しくなっちゃってさぁ」

 つばめは前のめりになり、コジロウの胸部装甲にごつんと額を当てた。

「だから、コジロウが一人にならないようにするにはどうしたらいいかなぁって考えていたんだけど、考え込みすぎて 眠くなっちゃって、つい寝ちゃったの」

 格好悪いったらないなぁ、と自嘲するつばめを見下ろし、コジロウは理解した。ムリョウを発動させて多次元宇宙を 貫通するほどのエネルギーを生み出した原因は、他でもないつばめの管理者権限だったのだ。コジロウを思い遣る があまりに、その感情がムリョウとムジンに力を授け、コジロウの電脳体を全く別の時間軸の宇宙に存在する知的 生命体と接触させたのだろう。あの喫茶店と少女達の戯れは、その副産物に過ぎなかったということか。
 異次元宇宙とニルヴァーニアンから切り離された今でも、つばめの管理者権限の効力は健在だ。増して、それが コジロウへの溢れんばかりの愛情が原動力とあっては。だからこそ、もう二度とつばめを危険に曝してはいけない。 彼女の命が尽きる瞬間まで、全力を尽くして守り通さなければならない。

「コジロウも、夢を見たの?」

 つばめは期待を込めて問い、小首を傾げる。小動物のようだった。

「本官は夢は見ない。休眠時に自動的に取得した情報の整理は行われるが、ランダムに再構成され、再生されると いう事象はない。だが、つばめと共に過ごし、経験と情報が蓄積して人格と情緒に相当する判断基準を取得した 上、それが本官の情報処理プログラムに作用したとすれば、夢を見るという呼称に値する事象が発生する可能性 がないわけではない。しかし、現時点の本官ではそのような段階に至っていない」

「相変わらず回りくどいなぁ」

「専門用語を排除し、一般的な語彙に変換した上で極めて簡潔に表現しているのだが」

「ま、いいけど。じゃ、コジロウもいつか夢を見られるように、一杯一杯楽しいことをしよう。手始めに、一緒にケーキ でも作ってみようよ。夢の中でね、凄くおいしいケーキを食べたんだ。シュヴァルツ……なんだっけ、名前は忘れた けど、ココアスポンジの間にサクランボが挟んであってクリームが塗ってあるケーキ!」

「シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテであると推測する」

「そうそう、それ! 検索するの早いなぁ、さすがだ」

 だったら材料を集めないと、道具も揃えないとね、いつ頃にしようかな、とつばめは嬉々として予定を立て始めた。 あのケーキの情報については、コジロウは仔細に記憶していた。それもそのはず、少女達が去った後の喫茶店で、 レピデュルスとゾゾから懇切丁寧に作り方を教え込まれたからだ。スポンジケーキを綺麗に焼くためのコツや削った チョコレートの振りかけ方、サクランボの甘煮を煮詰める時間、クリームに混ぜるキルシュヴァッサーの分量、などと これでもかと叩き込まれたのである。それらを既に知っていることを悟られないようにしつつ、二人の気遣いを無駄 にしないためにも、つばめに作り方をそれとなく伝えるための手段を思考しつつ、コジロウは主の背を支えた。
 時が過ぎ去ってしまう前に、主を味わわなければ。








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Photo by (c)Tomo.Yun




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