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路地裏ガールズトーク



 仕切り直し、ということで、食べ散らかした皿は一旦下げてもらった。
 その代わりにホールケーキを注文し、皆で切り分けて食べることにした。シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ という仰々しい名前のケーキだが、その実はココア入りのスポンジケーキにキルシュを混ぜたクリームをたっぷりと 塗り、サクランボの甘煮を挟み、その上に削ったチョコレートを振りかけてある洋菓子だ。それをレピデュルスの手で 人数分に切り分けてもらい、小皿に取り分け、ダージリンの紅茶も新しく淹れてもらった。
 つばめは温かな紅茶で喉を潤し、ほうっとため息を零してから肩の力を抜いた。向かい側に座っているヴィクトリア もまたティーカップを手にしていたが、先程までの悪魔じみた余裕は失せていて年相応の態度になっていた。余程、 ギルディオス・ヴァトラスに関することを暴露したことが恥ずかしかったのだろう。あ、ちょっと可愛いかも、とつばめ は思いつつ、不機嫌そうな表情を作って羞恥心を紛らわそうとしている黒衣の美少女を眺めた。レースカーテンが 掛かった窓から差し込んでくる淡い日差しが逆光となり、ヴィクトリアの彫りの深い面差しにほのかに憂いげな影を 与えていた。吉岡りんねにも言えることだが、ずば抜けた容姿はどんな顔をしても絵になるものだ。

「で、さぁ」

 行儀悪く頬杖を付いていた紀乃が、ちょっと声を潜めた。

「せっかくだから、なんか愚痴でも零さない? 他の人達はいないんだし、どうせ聞こえないんだしさぁ」

「たとえば?」

 つばめが乞うと、紀乃はテーブルクロスの下でスニーカーを履いたつま先を揺らした。

「御相手のこととか。私の場合はゾゾで、つばめちゃんの場合はその、コジロウ君って子のことかな」

「コジロウか……」

 愚痴を零そうと思えば、いくらでも零せる。つばめは腕を組み、頭を仰け反らせた。

「コジロウはねー、有能で強くて格好良くてなんでもやってくれるんだけどさぁ、頭がガッチガチで話が噛み合わない ことなんてしょっちゅうなんだよ。いや、それもコジロウの愛嬌だし、そこを含めて好きではあるんだけど、限度って ものがあんだろーって思うことも正直あるね。ありすぎるね。あと、語彙が回りくどい。もうちょっとこう、スパッと簡単 な言葉で説明してくれないと解らないじゃん。私を煙に巻こうとしてんじゃないかって疑いたくなるレベルで、コジロウ の言い回しは面倒臭いんだよねー。それさえなかったら、いや、それがなくてもコジロウはコジロウだな、あの調子 じゃ、いつになったらコジロウを攻略出来るんだか……。長期戦は覚悟していたつもりだけど、あんまりにもあんまり だから、たまに心が折れそうになる瞬間があるんだよねぇ……」

「それ、私にも思い当たる節があるような……」

 繭は両手でティーカップを包み、琥珀色の水面に目線を落とした。

「カンタロスは私のお腹の中の卵に受精させて、自分の子孫を繁栄させて人型昆虫の生態系を掌握したいがために 私と一緒に戦ってくれているんだけど、相手は虫だから理性なんてほとんどなくて、そのせいでコミュニケーションの 手段が暴力しかないんだよね。最近、少しずつやり返せるようになってきたけど、それでもまだまだ。政府の人達 に戦術外骨格に改造された時に電子頭脳を埋め込まれているらしいんだけど、それ、壊れているんじゃないかなぁ って思いたくなるぐらい、理性の欠片もないの。その純然たるワイルドさも含めてカンタロスが好きだけど、だけど、 限度ってものがあるんじゃないかなぁ……。ていうか、動物の世界でオスはメスを大事にするものだよね? 虫の 世界だと、オスはメスに喰われる運命にあるよね? だから、順当に考えれば、カンタロスは私のことを恐れるはず なのに、なんでいちいち噛まれなきゃならないんだろう。まあ、その程度で嫌いになるわけじゃないんだけど、でも、 ちょっとね。面と向かって言ったら、また神経糸を突っ込まれそうだから言えないんだけど」

「相手が人間じゃないと、まー、色々とあるよねー」

 紀乃はテーブルに突っ伏し、白いテーブルクロスに頬を押し付ける。

「ゾゾもさ、凄くいい人で優しくて料理上手で家事も万能ではあるんだけど、異星人で科学者だからなんだろうけど、 変なんだよね。忌部島に送り込まれたばっかりの頃なんか、特にそうだった。私にいちいちちょっかい出してきて、 おかげでサイコキネシスが何度暴発しちゃったことか。いや、それがゾゾなりの気遣いだって今になったら解るには 解るんだけど、だからってセクハラすることないじゃん。私の気分を紛らわそうとしてくれたんだろうけど、何かと変な ことしようとしなくてもいいじゃん。なんで尻尾でスカート捲ろうとするのー! あーもう変態、変態科学者、それなのに なんで私はあんなのが好きなんだー! この敗北感、どうしてくれよう!」

「敗北感って、そこまで言うほどのことじゃないような」

 美花が乾いた笑いを零すと、紀乃がむっつりと美花を見上げた。

「そりゃ美花さんはいいですよね、人外が大手を振って歩ける世界の住人だから。そういう世界だったら、私も皆も、 もちろんゾゾもX−MENみたいに迫害されずに済んだだろうし。アダマンチウムの爪なんて欲しくないし」

「だったら、いっそのこと、ヒーロー活動をしてみたら良かったんじゃないかな」

「それが出来たら苦労はしませんよーう。だって、諸悪の根源が政府側に付いていて甲型生体兵器の子達を使って 私達をガンガン殺しに掛かってきていたんだから。で、それにやり返したら、政府に楯突いたってことにされちゃって 今に至るんですよ。だから、余計に美花さんとこが羨ましいんですよ。話を聞く限りじゃ、悪の秘密結社の方も名前の 割には善良な人達の集まりみたいだし。その善良さの一欠片でも、あの男にあったなら……!」

 拳を固めて悔しがった紀乃に、美花は身を縮めた。

「なんか、その、ごめんなさい」

「いえ、謝らなくてもいいです。これもまた愚痴の一環なので」

 紀乃は片手を上げ、美花を制した。

「まー、そうだぁなぁ。おらも叢雲様に言いてぇけど言えねぇことは、こってあるいや。つばめの御相手みたいなこと だども、叢雲様も旧い神様だすけん、言葉遣いも旧くてちぃと解りづらいんだいや。そんでも、おらに解るように言葉を ひらいてくれるんだども、それでも解らんことが多くてなぁ。見ての通りの貧乏な農民育ちだすけん、学がちびっとも ないせいなんだどもな。そっげん具合だから叢雲様のお話を解った振りをしてはいはい言うとるんだども、叢雲様 はお優しいから、おらが解っとらんって解っておられるんだいや。それがまた、心苦しゅうてなぁ」

 神様の嫁っこなのになぁ、とチヨはぼやき、小さな肩を落とした。

〈マサヨシに対する愚痴なんてないわよ。だって、私のマサヨシはいつだって素敵なんだから。だけど、最近ちょっと だけ思っちゃうのよね。私のどこに不満があるのかしら、って。そりゃ、私はハルちゃんのお母さんにもなれないし、 お姉ちゃんとしてもちょっと微妙な感じだけど、だからって次から次へと家族を増やすことないじゃない。不満な点 があるなら、その部分をアップグレードしてくれたらいいじゃない、設定を変更してくれたらいいじゃないの、マサヨシの 命令だったらどんな注文だって聞いてあげるわ。マサヨシの思いのままの私になってあげるのに。ああそれなのに、 マサヨシったら! ああでも、そこもまた好きかもしれないわ! ああ罪な人っ!〉

 次第にヒートアップしたサチコは、意味もなく紙ナプキンに突っ込んでしまった。彼女達の反応に凍えきった眼差し を向けていたヴィクトリアは、大皿ごとケーキを引き寄せて残りを食べ始めた。先程の暴露大会と代わり映えのしない 有様となったテーブルを見回し、美花はいくらか気まずげに言った。

「大神君に愚痴はないよ、うん。オオカミ怪人で体も大きくて顔もちょっと怖いけど、でも、私にも怪人さん達にも凄く 気を配ってくれるし、強いし、格好良いし、軍服だって似合うし、必殺技だって破壊力抜群だし。それに、どこもかしこ もモフモフしていて、モフモフモフモフで、触らせてもらうと本当に幸せになっちゃうの。強いて挙げるとすれば、その モフモフの抜け毛がちょっと付いちゃうことかな。バトルスーツの上に抜け毛が付いていると、変身を解除した時に 制服に付いちゃうことがあるし。それ以外は……ない、かなぁ」

 えへへ、と照れ笑いした美花に、ヴィクトリアはぽつりと呟いた。

「他人に気を向けられるほどの余裕がある輩は、総じて脳みそが暖まっているのだわ。あの鳥頭もそうなのだわ」

「うん、それはちょっと思ったかも。てめぇこの野郎差し違えてでも、って思うシチューションに陥らないから、美花さん はぽやんぽやんなんだなぁーって。まあ、でも、それはそれで道理だよなぁ。周りに優しくされたいって思うなら、まずは 自分からそうならなきゃいけないもんなぁ。私の欲の皮がぱつんぱつんだから、周りもそうなんだろうなぁ」

 つばめが嘆息すると、紀乃は両腕を突っ張って上体を起こし、乱れた髪を整えた。

「まあ、そうだね。私がゾゾのことを好きになっちゃったのは、ゾゾが私を好きでいてくれたからだもん」

「誰からも目を向けてもらえなくなったから、私を見つけてくれたカンタロスのことを好きにならないわけがないもの。 だから、カンタロスにはもっと好きになってもらいたい。好きになってもらいたいから、戦わなきゃならないの」

 繭の語気が強張り、ティーカップを包んでいる両手に力が籠もる。

「頑張ってね、繭ちゃん」

 美花から朗らかに励まされ、繭はほんのりと頬を染め、躊躇いがちに礼を述べた。

「……はい、頑張ります」

「私達の共通点ってさ、ことごとくひどい目に遭うことの他にもありすぎるね」

 紀乃が笑ったので、つばめは同調した。

「あー、あるある。人間じゃない相手に惚れちゃったってことと、そのせいでやたらめったら苦労するけど、それでも その相手に愛想を尽かせないってことだよね。でも、好きなんだからどうしようもないよね、こればっかりは」

「私はそれには該当しないのだわ」

 不愉快げにヴィクトリアが眉根を顰めたが、美花はにこにこした。

「でも、ヴィクトリアちゃんが大事に思っている人はリビングメイルなんでしょ?」

「あれは御父様の身代わりのようなものなのであって、愛と言えるほど強烈な感情なんて」

「そんなら、ヴィクトリアは幸せだぁなぁ。御両親が御陀仏でも、そん人が見守ってくれとるんだから」

 ええなぁ、とチヨに羨まれ、ヴィクトリアは腰を浮かせ掛けたが座り直した。

「……御父様が気に入っていた男だから、私も無下に出来ないというだけなのだわ」

「変な意地を張らないで、素直になった方が楽だよ。どうせ命を使い切るんだったら、自分が正しいって思ったことに 使い切らなきゃ勿体ないし」

 そう言って、繭は少し口角を上向けた。別に意地なんか張っていなくってよ、とヴィクトリアは唇を尖らせたが、それ きり言い返しはしなかった。サチコはスパイマシンを少し浮かばせ、繭に視線を向けながらレンズを上下させた。

〈ええ、そうね。それはコンピューターでも変わりはないわ〉

「それで、他にこれだけはどうしても許せない、ってことってあった?」

 つばめが紀乃に問うと、紀乃は神妙な顔をした。

「変なタイミングでアレが始まる。環境の変化でストレスが掛かったからだろうけど、それにしたってこのタイミングで 来ることはないだろーって思ったね。忌部島に送り込まれた翌日に始まっちゃったんだもん、最悪すぎる」

「あーあー、ちょっと解るかも。ナプキンとかが確実に手元にない、って時に限って来るんだよね。自分の体ではある けど、あればっかりはコントロール出来ないし。参っちゃうよ」

 つばめが首を横に振ると、繭はちょっと目を逸らした。

「私は卵のせいで止まっているから、別に問題はないかなぁ」

「アレ、って、あー、月の障りのことかぁ」

 おらは死んだから音沙汰ないなぁ、とチヨが肩を竦めると、サチコが身を反転させた。

〈機械には無縁の話題ね〉

「思い出しただけで下腹部に鈍痛が蘇りそうなのだわ」

 ヴィクトリアは心底嫌そうに眉根を顰め、顔を背けた。 

「美花さんはその辺が大変そうだよね。さっきみたいに変身して戦わなきゃならない時に、多い日がかち合ったら、 ナプキンだけじゃ手に負えないだろうし」

 紀乃が哀れむと、美花は赤面しつつ項垂れる。

「そうなんだよぉ。私はヒーロー体質のおかげで、大抵のケガはすぐ治るし、痛い思いをしてもちょっと時間が経てば 収まるし、病気だってほとんどしないんだけど、アレの痛みだけはどうにもならないみたいで。幸いなことに、今まで はジャールの怪人さん達との決闘の時に多い日が重なったことはないんだけど、その前日が一番多い日だったって ことがあってさぁ。ほら、アレの最中って腰に力が入らないじゃない? 貧血っぽくなるからふらふらしちゃうし、腹筋 にも足にも力が込められないから、もう辛くてさぁ。でも、正義の味方がそれぐらいのことで戦いを投げ出すわけには いかないし、ってなんとか頑張ったんだけど、家に帰ったらしばらく起き上がれなかったなぁ」

「辛い時なのに無理しなきゃいけないのって、本当に辛いよね」

 それが一番しんどいよ、とつばめが心底同情すると、美花はちょっと涙ぐんだ。

「うん、うん、そうなんだよ。そうなんだよねぇ」

「あと、何が辛いって、着替えがない時だよね。着替えようがない時に限ってドロドロに汚れちゃったりするの」

 紀乃が力説すると、繭はスカートを握り締めて唇を尖らせる。

「カンタロスと合体させられる時に服を脱ぐ暇があればいいんだけど、それがないと、破られちゃうか、カンタロスの 体液でダメになっちゃうから。勿体ないなぁって思うけど、カンタロスは服を着ないから、服の重要さを解ってはくれ ないし。この前、渋谷で買い込んできた服がダメになっちゃうのも時間の問題かなぁ」

「体液っつーか粘液でダメにされたことはあるなぁ。あれは辛いね、精神的にも物理的にも」

 アソウギは色々な意味で拷問だったなぁ、とつばめが遠い目をすると、チヨが首を傾げた。

「えげつねぇことばっかりだぁなぁ」

「粘液かぁー。諸事情でワン・ダ・バの中に入った時はドログチャになったけど、それで攻撃されたことはないなぁ。 ミーコさんの寄生虫にもまみれたことなかったし」

 紀乃の独り言に、繭が訝る。

「寄生虫?」

「そう、寄生虫。こういう感じのやつ」

 と、紀乃は人差し指を立ててサイコキネシスを放ち、皿に残っていたクリームを剥がして一纏めにし、細長くうねる ミミズに似た物体を作り上げた。途端に美花が青ざめ、椅子を蹴り倒しそうな勢いで後退る。

「ひゃひぃっ!?」

「もう少しまともな連中と絡めないのかしら、私達って」

 ヴィクトリアのぼやきに、サチコは一笑した。

〈ええ、全く……〉

「それ止めて、お願いだから止めて、元がクリームだって解っていても生理的に無理ー!」

 窓の端で束ねられているカーテンにしがみつき、美花が半泣きになりながら喚いた。

「えー、可愛いもんじゃん。ミーコさんの体の中には、こういう感じのがウジャウジャと何百、何千匹と」

「いーやーあーぁーっ!」

 紀乃がねちっこく描写したので、美花は恐怖のあまりに無意識に能力が発動したのか、バトルスーツを装着して しまった。けれど、カーテンに縋り付いたままでへっぴり腰なのは変わらないので、正義の味方らしさは皆無だった。 そのうちしゃくり上げ始めたので、さすがに罪悪感を感じた紀乃はクリームで作った寄生虫を皿に戻した。それでも 美花の動揺はなかなか収まらなかったらしく、テーブルに戻ってきたのはそれからしばらく後だった。

「生体人造魔導兵器もそれなりに気色悪かったけれど、あなたの世界の住人には負けるのだわ」

 ヴィクトリアが冷たく言い放つと、紀乃は頬を引きつらせた。

「そりゃどうも」

「寄生虫とだけは戦いたくない……触りたくない……嫌だよぉ……」

 泣きじゃくりながら椅子に座ったミラキュルンを、チヨがしきりに慰めた。ほらほら、もう虫っこはおらんすけんな、 何も泣くこたぁねぇろ、と。繭もミラキュルンを慰めてやろうと、紅茶を淹れ直してやった。ミラキュルンは何度となく 深呼吸して気分を落ち着けてから、バトルマスクのままティーカップに口を付けた。不思議なことに、熱々の液体は バトルマスクを通り抜けていった。そのおかげか、ミラキュルンは落ち着きを取り戻し、素顔に戻った。

「つまり、なんだ。私達は似たような立場にいるらしいけど、置き換えるのは無理ってことだね」

 ヒーローである美花の醜態を目の当たりにしたつばめが断言すると、美花はハンカチで口元を押さえる。

「うん、たぶん。まかり間違って紀乃ちゃんの世界に行くことがあったとしても、私じゃ無理だよ、色々と」

「確かに。私はサイコキネシスは使えるけど、それだけだし、ゾゾのことがどれだけ好きでも人類を滅ぼしたいって 思えるほどの覚悟は据えられないや」

 紀乃が繭に向くと、繭は頬を緩める。

「大したことじゃないよ。私は他に失うものがないから、得られるものを全部得たいって思っただけだから。だけど、 佐々木さんみたいに強気にはなれないから、私が出来ることをしているだけ」

「それは道理なのだわ。この私に成り代われるような人材なんて、そういるものではなくってよ。あなた方に魔法を 操れるだけの力と才覚があったとしても、呪術師の御父様と乱射狂の御母様を誇って生きられるほどの根性まで 備わるという保証はどこにもなくってよ」

 ヴィクトリアが長い睫毛を伏せると、チヨは笑った。

「そうだなぁなぁ。おら、こっげん馬鹿だすけん、皆みたいに豪儀なことは出来ねぇいや。だすけん、叢雲様のお嫁 になれただけで充分だいや。他にはなーんもいらねぇ」

〈そうね。私達は通じ合える部分は多そうだけど、だからといってお互いの立場を入れ替えられるほど単純な人生は 送ってきていないわ。それが認識出来ただけでも、このお茶会は有意義だと言えるわね〉

 レピデュルスさんに感謝しないとね、とサチコがスパイマシンのレンズを上向けた。そこには、このお茶会を仕立てた 張本人であるカブトエビ怪人が立っていた。彼は深々と一礼した後、少女達を複眼に捉えた。

「皆様方、お楽しみ頂けましたでしょうか」

「もちろん。御菓子も紅茶もコーヒーもおいしかったし、一杯お喋り出来たし。ありがとうございます」

 つばめが率直な礼を述べると、レピデュルスは右手をドアに差し伸べた。すると、独りでに開き、工業地帯のような 金気臭さが入り混じった外気が滑り込んできた。

「あなた方をお招きするようにと私の言伝をなさった方々も、さぞやお喜びでしょう。ですが、私の魔法は付け焼き刃 であるが故に長持ちいたしません。あなた方の住まう次元宇宙と私の店がある異空間を繋げるための穴を保てる ほどの力がなくなってしまいましたので、当店は閉店いたします。そして、今宵のお茶会はこれにてお開きとさせて 頂きます。ですが、第三帝国喫茶・ラングステは消えるわけではございません。あらゆる次元宇宙と、あらゆる世界 の狭間にて、またのお越しをお待ちしております」

 ぎいい、と蝶番が軋み、年季の入ったドアが全開になった。そこから吹き込んでくる風量が増したので、つばめは 思わず目を閉じた。その次の瞬間、体が軽くなり、足元の床が消え失せた。宙に浮いたような感覚に陥りながら瞼を こじ開けると、皆がいなくなっていた。テーブルも、椅子も、店も、紅茶もケーキも掻き消されていた。レピデュルス は緩やかに手を振り、送り出してくれた。つばめは彼に手を振り返し、体を翻した。
 そこには、彼が待ち受けていた。





 



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