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路地裏ガールズトーク



「考えるに、私達の共通点はことごとくひどい目に遭わされる、ということなのだわ」

 レピデュルスに注文してお代わりの紅茶が入ったティーポットを前に、ヴィクトリアは頬杖を付く。

「この私のように優れた容姿でもなければ、抜きん出た才覚を持ち合わせているわけではないけれど、あなた方の 言葉から察するに、何度となく命の危機に瀕していることは確かなのだわ。つまり、私達は過酷な試練を受けること によって真価を発揮する存在であると見出されているのだわ」

「誰に?」

 紀乃が質問するが、ヴィクトリアはそれを無視して長い髪を払った。

「だから、あなた方を極限状態に追い込めば、その辛さに比例した展開が始まるのだわ。この私にしても、事ある事 にろくでもない目に遭わされたのだわ。御父様と御母様を目の前で殺されてしまったし、その時の辛さでしばらく声 を失ってしまったし、他にも様々な困難に直面しては打ちのめされそうになったのだわ。けれど、その苦境から脱出 すべく踏ん張って乗り越えれば、その苦しみに値する対価を得られたのだわ」

「それは確かにそうかもしれないし、頑張れば頑張ったなりにいいこともあったけど、それとこれとは別問題でしょ。 トイレを我慢する必要性が全く見えてこないんだけど。割とソフトに描写されているけど、物凄くアブノーマルなこと だよね、これ? だって、これってああいうことでしょ?」

 つばめが至極真っ当な意見を述べると、美花が泣きそうになる。

「万が一に万が一ってことになったら、ああ、もう、私、死んじゃう! 色んな意味で!」

〈私はこれといって問題はないけど、皆はそうもいかないものねぇ。自然の摂理があるから〉

 サチコが苦笑混じりに呟くと、繭がむっとする。

「それ以前に、なぜ暴露話なの? 話の幅を広げるための力業とはいえ、何もそんな極端なことをしなくてもいいと 思うんだけど。初対面のあなた達に辛かったことや苦しかったことを話して共感を得るのならまだしも、恥ずかしい話 だなんて……」

「わああんっ、しょーしいよう、話しちまうために思い出しただけでしょーしいよぉっ!」

 チヨは顔を覆って髪を振り乱し、がたんがたんと椅子を揺らした。

「話しても話さなくても、いずれ、あなた方は羞恥の極みに曝されるのだわ。さあ、衆人環視の前で粗相をするか、 年頃の女性として耐え難い苦痛を感じる出来事を話すか、そのどちらかを選ぶのだわ」

 ヴィクトリアの陶然とした微笑みに、つばめは言い返した。

「ちょっと気に障ることを言われたぐらいで、そこまですることないんじゃない? てか、そんなことになったとしても、 一体どこの誰が得をするっての。それとも何、ヴィクトリアちゃんってそういう趣味があるの?」

「他人の汚物に興奮を覚えるような、下劣な趣味は持ち合わせていなくってよ。けれど、気付いたのだわ。この私と あなた方を同列に扱うのは屈辱の極みだけど、あなた方と私の共通項はたった一つ。ヒロインという身分よ」

 ヴィクトリアの眼差しが全員を捉えたので、つばめは面食らった。なんだ、その全身がむず痒くなる単語は。

「へっ?」

「いいこと、ヒロインというものは、元来読み手に感情移入されるためのお人形なのだわ。ヒーローが読み手の欲求 を満たす存在ならば、ヒロインはその限りない欲望を受け止めるための器なのだわ。けれど、私達はヒロインという 位置に据えられていながらも、ひたすらに汚れ役なのだわ。この私でさえも、一時期は髪を振り乱して夜な夜な徘徊 しては斧を振り回すという憂き目に遭っていたのだわ。つまり、私達は汚れている時こそ輝く、泥溜まりの中の真珠に なるべく生み出された存在なのだわ。身に覚えがないとは言わせなくってよ」

 ヴィクトリアの強い語気に、皆、気圧された。確かに、それぞれ身に覚えがないわけではない。楽しいことや嬉しい ことがあった後ほど、特にろくでもない不運に見舞われていたからである。かといって、それだけで自分がヒロインで あると言い切れる根拠になるわけではない。人生に浮き沈みがあるのは当たり前だし、集中的に不幸が訪れること だってある。一人一人がそれぞれの人生のヒロインであって主人公なのだから。

「あのぉ」

 美花はおずおずと挙手し、気弱に反論した。

「ヒロインって、もっとか弱くて守りたくなるような子のことだと思うんだけど。私は守る側の人間だし」

「そうそう。大抵の少女漫画に出てくるヒロインは、読者に感情移入されるために大して厚みのない設定とレベルが 異様に低い自己評価の固まりであって、私みたいに何かにつけて粘液と神経糸にまみれたりしないもの」

 繭がとんでもないことをしれっと述べたので、紀乃が青ざめた。

「繭さんって、いつもどんな目に遭っているの……?」

「ヒロインに関するそれぞれの持論は聞いていないのだわ。とにかく、ヒロインでありたければ汚れろと言っているの だわ。大体、人間に生まれたからには生理現象からは逃れられないのだわ。どれだけ見栄えのいい料理や小綺麗 な御菓子でも、口にして消化すれば排泄物になるのだわ。純粋さと幼さを履き違えたような馬鹿に成り下がることは 簡単だし、呪いでもヒロイン補正でもなんでも使えば流行りのハーレムだって作り上げられるだろうけど、それは最早 人形ですらないのだわ。ただの記号なのだわ。妙な名前を付けられた異様に外見が良いだけの記号が右往左往 するだけの文字の羅列を見せられたところで、面白いとは感じる人間はそういないのだわ」

「わあメタ的な」

 つばめが思わず嘆くが、ヴィクトリアは淡々と続ける。

「記号に感情移入する人間も少なくなくってよ。二三の設定と名前だけを付けられた、閉鎖空間を探索するためだけ に生み出されたキャラクターに読み手の主観を与え、その物語の中に新たな世界観を構築するという行為は珍しく もなんともなくってよ。判で押したような設定と登場人物が跋扈するだけの箱庭の世界に快楽を見出す人間も多いと 聞いているのだわ。けれど、それはあくまでも他の層の需要なのであって、私達がそんな三文芝居を演じたところで 白々しいだけなのだわ。語尾でしか書き分けが出来ないような、マスコットに成り下がるのはごめんなのだわ」

「まあ、そりゃ確かにそうかもねぇ」

 ヴィクトリアの持論に紀乃が同意すると、ヴィクトリアは紀乃に目を向けた。

「私達はとても矮小な視点からでしか、物事を把握出来ない立場に据えられているのだわ。それまでに続いていた 平坦な生活が突如として波立ち、荒立ち、激動に放り込まれるのだわ。大体一年間なのだわ。その間にこれでもか と襲い掛かってくる厄介事や苦難を乗り越えるためには、心身共に打たれ強くなる以外の術はないのだわ。私達は 地の文でどれほど美辞麗句を並べ立てられたところで、所詮は文字の羅列で形成されている概念に過ぎないの だから、私達という概念の個性を際立たせるためには困難を乗り越えるしかないのだわ。不本意だけれど」

〈えっと、ひとまずヒロイン云々は置いておいて、苦境に立たされてこそ人格が引き立つってことかしら〉

 サチコが言うと、ヴィクトリアは肩を竦める。

「この私の言葉を蹂躙した罪は重くってよ。けれど、そういうことにしておいてあげなくもなくってよ」

「だからって、これが困難……? 実際、ストレートに困難ではあるけど」

 紀乃が前屈みになってスカートの裾を押さえると、ヴィクトリアは紀乃を見やった。

「とりあえず、紀乃さんから話して頂こうかしら。あなたのお恥ずかしいお話を」

「ふへぁっ!?」

 紀乃が赤面して椅子ごと後退ると、その精神の波立ちによって生じたサイコキネシスがカーテンを揺らした。

「話さなければ、今、最も弱い部分に魔法で圧迫を与えて差し上げるだけなのだわ」

 ヴィクトリアの目線が意味深に下がったので、紀乃は苦々しげに呻いた。

「またか、前にもこんな目に遭ったけど……」

 さあ、とヴィクトリアに促され、紀乃は皆の目線を気にしながら吐露した。

「ええと、その、恥ずかしいことって言っても色々あるし、アレ系からこっち系まであるけど……。だけど、うん、あの、 私が今まで生きてきて一番恥ずかしかったなぁって思うのは、やっぱり、ゾゾのことを勢い余って吹き飛ばしちゃった ことかなぁ。あ、ゾゾって言うのは、単眼で紫色のトカゲの異星人で、私や家族がひどい目に遭う切っ掛けを作った 張本人ではあるんだけど、私のことを凄く大事にしてくれて、それと料理が超おいしいの。まあ、それはそれとして、 そのゾゾが私に事ある事にちょっかいを出してくるわけよ。最初の頃は鬱陶しいなーってだけだったけど、そのうち ちょっと嬉しいかな、になってきたんだけど、その鬱陶しいと嬉しいの中間の頃が一番気が立っちゃってて、ゾゾを 壁ごと吹き飛ばしちゃったんだよ。今は開き直っちゃったからあんまり恥ずかしくないけど、意識し始めた頃が一番 ヤバいんだよね。で、それの何が恥ずかしかったかって、私がサイコキネシスを何度暴発させようが、何を言おうが、 ゾゾは文句一つ言わないの。それが余計に恥ずかしいんだよぉ!」

 あーもう、あー、と紀乃は変な声を出しながらテーブルにヘッドバッドを喰らわせた。その拍子に、皿が跳ねた。

「うわぁ、解る、解るよぉ」

 つばめも身に覚えがありすぎて、紀乃の肩を抱き寄せずにはいられなかった。

「でしょお!? あるよね、そういうことってあるよね!」

 紀乃は羞恥のあまりに涙目なりながら、つばめの二の腕を掴み返して腰を浮かせた。けれど、椅子からは尻が 離れなかった。すかさずヴィクトリアが言う、全員が暴露するのが条件なのだわ、と。では次はあなた、と指名された のは繭だった。繭は恥ずかしい出来事を思い出しただけで頬を染めていたが、両手を握り締める。

「えぇと、うんと、わ、私が恥ずかしかったことは、あれ……かな。私はお腹の中に次世代の人型昆虫の女王になる 卵があるんだけど、その卵が出すフェロモンのせいで、人型昆虫に狙われてしまうの。だから、下手をすればどこの 馬の骨とも付かない人型昆虫に襲われて受精させられるから、カンタロスから離れるべきじゃないんだけど、手持ち の服がどうしても足りなくなっちゃったから買い物に出掛けたの。で、その時もちょっと襲われたんだけど、なんとか なったから無事に帰ってきて、買ってきた新しい服に着替えてカンタロスに見せたんだ。オシャレをすればちょっとは 私のことを意識してくれるかな、なんてこと、思っちゃったから……。馬鹿だよね、だって虫なのにね」

 ああ私の馬鹿ぁっ、と繭は顔を覆ってテーブルに突っ伏し、背中を引きつらせた。あるある、私だってそんなこと はしょっちゅうだよ、と美花が繭の震える背中に手を添え、宥めていた。だったら次はあなた、とヴィクトリアが美花を 指し示したので、美花は引きつった悲鳴を上げた。椅子の脚を左右に動かしてがたごとと後退し、変身した。

「純情戦士ミラキュルン、以下略! へ、変身するとちょっとは度胸が付くから!」

 椅子に尻を貼り付けられたまま、ピンクでハートのヒーローであるミラキュルンと化した美花は、拳を固めた。

「では、お話しします! あー、でも、その、私の人生は恥ずかしいことだらけでどれが一番恥ずかしいのかちょっと 解らなくなっちゃったので、考え直します! 恥の多い人生です、ごめんなさい!」

 強く言い切ってから、ミラキュルンはピンクのバトルマスクを両手で抱え、しばらく俯いていたが顔を上げた。

「では改めまして! 私、純情戦士ミラキュルンは、その名の通りに純情をエネルギーに変換して戦闘能力にして 戦っているんだけど、その純情のエネルギー源は、あ、うんと、その、恋心なの。初恋なの。んで、その相手が悪の 秘密結社ジャールの社長さんで、暗黒総統のヴェアヴォルフさんの正体だった大神剣司君なんだけど、私も大神君 もお互いの正体に気付くまでに時間が掛かっちゃって、そのせいで何度もトンチンカンなことをしちゃったんだけど、 中でも一番恥ずかしかったのは、大神君の弟の鋭太君と二人きりで遊びに行くことになったから練習台になってくれ ってヴェアヴォルフさんに頼んじゃったことだよぉっ! いやぁもうっ、嫌、私の頭の足りなさが本当に嫌ぁあっ!」

 ごめんなさぁいっ大神君、鋭太君、全部私がいけないんですぅっ、とミラキュルンはハート型のゴーグルの下から ぼろぼろと涙を流しながら体を丸めた。それは色々な意味で恥ずかしい。他人事ながら羞恥に駆られたつばめが 頬を歪めると、ミラキュルンはそれに気付いたのか、尚更体を丸めてしまった。その次はあなたよ、とヴィクトリア がチヨを示すと、チヨは肩を跳ねて甲高い変な声を漏らした。

「お、おらけぇ!? あうぅ、うー、んー、なんだいや、えぇっと、おらが一番しょーしいって思うたんは、やっぱりあれ だすけんなぁ。叢雲様と夫婦の契りを交わした後に、その、床を共にした時かなぁ……。あの時、叢雲様は神通力 を豪儀使ってしもうた後で、ヘビぐらいの大きさにちっこくなっとったんだども、それでも初夜は初夜だすけんに、やる ことはやらんとならんかったんだいや。だからな、こう、床を敷いてな、綺麗な晴れ着を脱いで襦袢だけになってな、 その、叢雲様を……ああんもうダメ、ダメぇっ、そっから先を話したら死んじまういや! もう死んどるけどぉ!」

 ひぃん、とチヨは右目からぼろぼろと涙を散らしながら、テーブルクロスを掻き抱いて顔を押し付けた。思春期故 に結婚に対して羨望と幻想を抱いている少女達は、初夜という単語だけで頭に血が上ってしまった。つばめもまた 例外ではなく、その後で何がどうなったんだ、という想像が脳内を駆け巡った。紀乃はチヨを凝視し、繭は恐る恐る 目を上げてチヨを窺い、ミラキュルンはきゃーきゃーと言いながら身悶えている。そんなお茶会のメンバーを横目 に、ヴィクトリアはサチコに順番を回した。サチコは初々しいリアクションの数々を気にしつつ、話した。

〈ええと……そうねぇ。私が羞恥心に相当する疑似人格の感情変動を検知した場面は、私のマスターである元軍人 のスペースファイターパイロットで現在は機械生命体と手を組んで傭兵家業を行っている、マサヨシ・ムラタが愛機に 搭載した私のメインコンピューターをメンテナンスをしている際に、私がフォルダに保存しておいた彼の画像を発見 されてしまったことかしら。いえ、別に後ろめたい気持ちがあるわけじゃないのよ。傭兵家業なんて、ただでさえ危険 が付き物だし、依頼主に訴訟を起こされたら証拠を提出する必要があるから、異変が起きていようといまいと関係 なく常に情報を収集しておくのが、私のようなナビゲートコンピューターの役割なのよ。だから、私はマサヨシの画像 を常日頃から撮影しては保存しておいたのよ。それで、マサヨシは記憶容量を確保するために、不要になった古い ファイルやフォルダを削除していたんだけど、その時にマサヨシがフォルダを見つけたの。これがその一つよ〉

 声色を少々上擦らせながら、サチコがスパイマシンのレンズから投影したのは、半裸の男性の画像だった。それも 一枚や二枚ではない。次々にウィンドウが現れ、重なっていく。そのマサヨシ・ムラタと思しき男性は、名前の通りに 日本人に近い外見だったが、体付きは西洋人のように逞しかった。元軍人で傭兵、との肩書きに相応しい硬い筋肉 を備えている。濡れ髪にタオルを被ったシャワー上がり、体に密着する形状のパイロットスーツを脱いで上半身を 曝した姿、汗を吸ったトレーニングウェアが貼り付いているもの、などなど。そのどれもが際どかった。

〈い、いいじゃないのよぉおおっ! だって、だって、私のマサヨシは格好良いんだからぁっ! この肉体美、無下 にするには惜しいじゃない! 個人的に楽しむ分にはいいじゃない! 私のマスターなんだからぁっ! マサヨシが 私を咎めもしなかったんだけど、それが余計に罪悪感を掻き立ててくるの! 笑って許してくれたのはありがたいし、 ああマサヨシって素敵って改めて思ったけど、時にはその優しさが痛いのよ! でもそこも好きぃっ!〉

 少女達から変質者を見る目を向けられ、それに耐えかねたサチコはすっかりシワの寄ってしまったテーブルクロス にぐりぐりと身を埋めた。サチコの言う通り、マサヨシという名の男性は人目を惹く外見だ。穏やかな眼差しといかにも 善良そうな顔付きと、軍人らしい屈強な肉体とのギャップが激しいが、それもまた彼の魅力だろう。しかし、だから といって舐め回すように撮影するのはどうかと思う。ナビゲートコンピューターの領分を超越している。つばめは一番 まともそうに見えていたサチコの奇行にげんなりしたが、人のことは言えないな、とも自戒した。つばめの携帯電話に 保存されている画像のほとんどは、他でもないコジロウの格好良いショットだからである。すると、今度はつばめが 指名された。つばめは下半身の重みを気にしつつ、記憶を反芻し、頬を火照らせながら話し出した。

「んー、と、なんだ、あれだ、うん。私が一番恥ずかしいって思うのは、まあ、色々あったけど、あれかなぁ。コジロウ と……うん、コジロウってのは私のボディーガードをしてくれている警官ロボットで、なんでそういうことになっている のかを話すと長くなるから割愛するけど、コジロウはロボットらしいロボットで感情がないんだ。いや、本人がないと 言い張っているだけで、それっぽいものは時々感じるんだけど、すぐに全否定しちゃうんだ。勿体ないけど。で、その コジロウは高性能だから、私のボディーガードから外されて別の任務に回されることもあるんだ。んで、そんな時に 限って一緒に出掛ける約束をしていた日で、おまけにその日のためだけに普段は絶対着ない少女趣味な服を買い 込んでみたりしてさぁ。それだけでも恥ずかしさが脳天突き抜けそうなんだけど、一緒に出掛けられなくなったから ってだけで逆ギレしちゃったりして。コジロウの下位個体っていうか量産型の警官ロボットを付けてくれたんだけど、 服を褒めてくれなかったってだけで怒っちゃったりして、まー、とにかく最低だったんだ。その日は。挙げ句の果てに コジロウだけどコジロウじゃない警官ロボットに、その、ちょっと、ね。そしたら、コジロウが豪速で任務を終わらせて 私のところに帰ってきたもんだから、意識するなっていう方が無理でしょこれ。無理無理、絶対無理。だから、もう 感極まっちゃって、ええと、ああ、あー言えるかぁーっ!」

 肝心要の最後がどうしても話せず、つばめは八つ当たり気味に拳を振り回した。だが、それでも尻は椅子からは 剥がれなかった。椅子の脚が磨き上げられた床と擦れるばかりで、一向に腰は浮き上がらなかった。このままでは、 本当に大惨事を迎えてしまいかねない。もしかするとヴィクトリアがまだ恥ずかしい話をしていないからでは、と 思い当たったのは、つばめだけではないようだった。おのずと全員の視線がヴィクトリアに向かうと、ヴィクトリアは 鬱陶しげに眉根を寄せながら、ティーカップを下ろした。

「何よ、その目は」

「さあ、話してもらおうじゃないの! 言い出しっぺが何もしないのはナシだからね!」

 紀乃は危機迫っているらしく、殺気立ちながらも的確にサイコキネシスを操ってヴィクトリアを椅子に貼り付けた。 ヴィクトリアは両手足を突っ張って身を起こそうとするが、局地的に発生した重力からは逃れられなかったらしい。 が、与えられた刺激はそれだけではなかったらしく、ヴィクトリアは長い睫毛に縁取られた目を見開いた。先程から 紅茶を何杯も飲んでいたので、無理からぬ話である。取り澄ましていた顔が徐々に曇り、唇が曲がる。

「……解ったのだわ」

 若干青ざめながら、ヴィクトリアは小声で話し出した。

「この私はとてもとても優れた御父様ととてもとても美しい御母様の間に産まれた、この世の素晴らしさの結晶とも 言うべき存在なのだわ。けれど、世間一般には御父様の素晴らしさは伝わらないのだわ。だって、御父様は呪術師 で五百年以上を長らえてきた、人間の姿をした悪魔ですもの。その御父様が唯一友人として接している、愚劣で俗 で荒々しい鳥頭のリビングメイル、ギルディオス・ヴァトラスは御父様のことをそれなりに評価してくれているから、 少しは目を掛けてやっていたのだわ。馬鹿は馬鹿なりに、私の価値を理解しているようでもあったから。御父様と 御母様が目の前で殺されてしまった後も、あの男だけは私を見限ろうとはしなかったのだわ。それは至極当然なの だわ、私を切り捨てれば世界にとって恐ろしく大きな損失になってしまうのだもの。だから……あの男には、一度、 礼を述べてやったのだわ。だって、それが頂上に立つ者の役割なのだもの。けれど、それが恥ずかしいといえば、 恥ずかしいことなのだわ」

 そのギルディオス・ヴァトラスに気を許しているのだろう、その男の名を口にしてからはヴィクトリアの表情が一変 した。攻撃的な強張りが次第に和らいでいき、口元を押さえて表情を隠そうとすらした。これでお終いにして下さら ないかしら、と言い残し、ヴィクトリアは下半身を捩ったので、紀乃がサイコキネシスは止めた。途端にヴィクトリアは 店の奥に駆け込んでいき、程なくして水を流す音が聞こえた。そして、自由を取り戻した皆もそれに続いた。
 それから、水音が延々と繰り返されたことは言うまでもない。





 



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