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路地裏ガールズトーク



 つるりとしたババロアを食し、薫り高いコーヒーを傾ける。
 そのどちらも、思わず喉の奥から押し殺した呻きが出てしまうほど、おいしかった。ババロアはクリームの濃さと 甘さが釣り合っていて、バニラの香りがほのかに鼻に抜け、口に入れただけでほろりと溶けてしまうほどの柔らかさ だった。添えられているイチゴのソースも甘酸っぱく、ババロアのまろやかさを引き立ててくれる。コーヒーは苦味と 酸味のバランスが絶妙で、煎りたての豆を挽いているのか香ばしかった。
 こんなにおいしい御菓子とコーヒーなのに金をもらわないなんて物凄い損だ、とつばめは若干の苛立ちを感じる ほど、レピデュルスの料理に感じ入ってしまった。怪人なのに、怪人のくせに、いや怪人だからかも、と的を外れた 理不尽な憤りすら抱いてしまうほど、レピデュルスの料理は絶品だった。

「で、つばめちゃんってさ、どんな目に遭ってきたの?」

 キツネ色のケーゼトルテをフォークで切り分けている紀乃に問われ、つばめは我に返った。

「へ?」

「私はさ、こういうことになったから島流しされちゃったんだよね」

 そう言いつつ、紀乃は目線を動かした。それに従って働いた未知の力で、ケーキ皿がふわりと舞い上がる。

「えぇー、それだけでぇ? 信じられないなぁ」

 リンゴの入ったケーキ、アプフェルクーヘンを切り分けて口にしながら、美花が驚く。

「確かに紀乃ちゃんのサイコキネシスは強そうだけど、たったそれだけの理由で隔離されちゃうんだったら、うちの お父さんは太陽系どころか宇宙から追放されちゃうよ。了見が狭いなぁ。なんだったら、レピデュルスさんにジャール と話を付けてもらったらどうかな。総統のヴェアヴォルフさんはいい人だから、きっとなんとかしてくれるよ」

「悪の秘密結社なのに?」

 紀乃が訝ると、美花は頷く。

「悪の秘密結社だからだよ? ジャールは怪人オンリーで魔法少女の採用枠は作っていないみたいだけど、怪人 業界には横の繋がりがあるから、その辺はどうにでもなるって。だから、サイコキネシスが使えるようになった程度 で人外扱いされちゃう方が変なんだよ。それでなくても地球上の知的生命体の多様化が進んでいるんだから、人外 なんて珍しくもなんともないんだし」

「いやいやいやいや、人外はいないから! てか、いないのが当たり前だから!」

 紀乃が全力で手を横に振ると、美花はきょとんとする。

「え? そうなの?」

「そうだよ、人外はいないよ」

 熱々のハンバーグステーキをナイフで切り分けて味わってから、繭が言った。

「人間に成り代わって繁栄するのは虫なんだから。遠からず、人型昆虫が繁栄することになっているけどね」

「あんなに低俗な生き物が人間に成り代われるはずがなくってよ。浅学だわ、あなた」

 バウムクーヘンをナイフで切り分けながら、ヴィクトリアが繭を睨める。が、繭は動じない。 

「虫はね、本能だけで生きているの。私も、斎子さんが言っていたようなひどい目には少しは遭ったけど、おかげで とても大切な相手に出会えたの。それが人型昆虫の次世代の王、カンタロス。だけど、彼一人じゃ王にはなれない。 彼の優れた遺伝子を受け継いだ子孫が繁栄しなければ、人類を陵駕出来ないから。だから、私は彼のために卵を 育てているの。そのせいで、いつもお腹が空いちゃって大変だけどね」

 朗らかな口調ではあったが、内容が禍々しすぎた。つばめは軽く目眩を覚え、身を引く。

「た、卵って」

「そりゃ、カンタロスと一緒に戦うのは辛いし、痛いし、怖いことも沢山あるよ。だけど、カンタロスだけは私のことを 必要としてくれるから。だから、卵を育ててあげるんだ」

 そう言って、繭はスプーンで掬ったライスを頬張った。先程までの暗澹とした表情は消え失せていて、カンタロスと いう名の虫のことを話している時はなんだか嬉しそうだった。その気持ちはつばめにも解らないでもなく、他人から 好意を寄せられることは最大の自己肯定になるのも確かだが、虫だ。繭の言葉が正しければ、人型昆虫なのだ。 その卵を、どんな経緯で体の中に入れられてしまったのだろうか。そんなこと、考えただけで寒気がする。

「そう、頑張ってね。繭ちゃん」

 だが、美花だけはにこにこしていた。繭は応援されたのが意外だったのか、目を丸め、口籠もる。

「あ……えっと、頑張り、ます」

「い、いいんですかぁっ!?」

 紀乃が美花に詰め寄ると、美花はきょとんとした。

「いいって、そりゃいいに決まっているじゃない。だって、人型昆虫なんて当たり前にいるから。私の一番の友達の 七瀬は人型テントウムシだしね。そっかぁ、繭ちゃんの彼氏さんって、単独で世界征服を狙っちゃうような、凄く強い 昆虫系怪人なんだねー。私も頑張らなくちゃね、ヒーロー活動」

「美花さんって、なんか」 

 つばめが思わず漏らすと、紀乃も失笑した。

「なんか、うん、アレだね」

 野々宮美花という女子高生は、いわゆる天然ボケという人種らしい。言葉の端々から察するに、美花は特撮番組 のようなヒーローと怪人が跋扈する世界の住人らしい。レピデュルスからも純情戦士ミラキュルンと呼ばれているの で、それが変身後の名前なのだろうが、ヒーローらしさは欠片もない。緊張感もなければ、正義の味方には不可欠 な凛とした強張りがない。のほほんとした日常を謳歌している、人畜無害なタイプだ。そんな女子高生に世界平和を 任せちゃっていいんだろうか、とつばめは一抹の不安に駆られたが、胸の奥に押し込めた。

「そんならあれだいや、繭はお母さんになるっつうこったろ? ええなぁ、ええなぁ」

 あー甘い、幸せ、とチヨは満面の笑みでシフォンケーキを食べていた。その言葉に、繭は赤面する。

「あ、はい、たぶん」

「ええなぁ、羨ましいなぁー。おらはな、叢雲様っつう御立派な水神様と夫婦になったんだけんども、百年前に人柱に されて死んでしもうてな、この体はしゃっこいままなんだいや。だから、叢雲様の稚児ややこを孕めんでなぁ」

 ああん甘いぃ、とチヨは身悶えしたが、紀乃は顔を引きつらせた。

「人柱? 百年前? じゃあ、チヨさんって、もしかして、その、ゾンビみたいな……?」

「ぞんびがなんかは知らんども、まあ、たぶんそういう感じのもんだと思ういや」

 はーあったかい、とチヨは香ばしい焙じ茶を啜り、弛緩した。

「で、人柱にされる前にな、丹厳様っちゅう一つ目入道の坊様に左目を抉られちまってなぁ。そんでも、今は叢雲様 や糸丸がおるすけんに、寂しいとか辛いっちゅうことはないや。八重姫様はおっかねぇども、好きになった相手には こって優しくする御方だすけんに、慣れちまえばどうってことねぇ。九郎丸は気紛れで面倒だども、悪い奴じゃないす けんになぁ。だから、おらを人柱にした丹厳様も、腹の底からは恨めねぇんだ。だって、叢雲様の嫁っこになれたのは 丹厳様のおかげだすけんに」

「人柱は……きついです……」

 あれって生き埋めにされるんですよね、と繭は渋面を作る。紀乃は体を浮かばせると、チヨの手を取る。

「良かったねぇ、良かったねぇ! 神様のお嫁さんにしてもらえて!」

「あはー、誰かに祝ってもらったんは初めてかもしれんね」

 嬉しいけどしょーしいなぁ、とチヨが恥じらうと、紀乃はチヨの冷たく小さい手を握り締めた。

「その一つ目入道が、あのトカゲじゃありませんように……! そうだとしたら、また余計な不幸が……!」

「はしたないのだわ、目の前から消えて下さる?」

 テーブルの上に浮かんでいる紀乃に、ヴィクトリアがナイフを向けた。紀乃は身を引き、自分の席に戻る。

「ああ、ごめんごめん。思わず」

「その程度のことを自慢し合うだなんて、あなた方は低俗極まりないのだわ。泥水の中に滑り込んで濁った水を啜る スライムの方が、遙かに洗練されているのだわ。それだったら、私の方が余程過酷で苛烈で鮮烈な人生を謳歌して いると胸を張って言えるのだわ」

 いつのまにかバウムクーヘンを平らげたヴィクトリアが毒突いたので、つばめは問うた。

「じゃ、話してみてよ」

「本当なら、あなた方のような魔力の片鱗も感じられない俗物には目すらも向けて差し上げないのだけれど、この場 にはあなた方しかないから、特別に聞かせてあげてもよろしくてよ?」

 ヴィクトリアの高飛車な物言いに、つばめはある男が脳裏に過ぎった。底なしのプライドと果てしない上から目線の 持ち主であるヘビ怪人、羽部鏡一の言動にどことなく似通っている。

「誰かに似ている……」

「確かに、誰かを思い出すなぁ」

 紀乃が思い出したのは、双子の妹であり甲型生体兵器であった呂号である。斎子露子としての名前を取り戻した 今でこそ落ち着いているが、呂号だった頃は何かにつけて他人を見下していたからだ。

「ああ、いますね、こういう人。私にもちょっと心当たりが」

 繭が思い出したのは、カンタロスよりも先に生み出された戦術外骨格、人型クワガタムシのセールヴォランの女王 である鍬形桐子である。セールヴォランと自分自身以外は無価値だと信じ込んでいる、女王様気質の美少女だ。

「ああ、おるおる」

 チヨが思い出したのは、人間の女性と蜘蛛妖怪が融合した妖怪、鬼蜘蛛の八重姫である。愛して止まない相手には 惜しみない情を注ぐが、それ以外には極めて冷淡で、チヨもまた無下に扱われてばかりいる。

〈いるわねぇ。我が家にも一人……〉

 サチコが記憶容量から情報を再生させたのは、コロニーの住人の一人である機械生命体、トニルトスであった。 かつては将校として最前線で戦ってきた彼は正にプライドの固まりで、事ある事に屈辱だ屈辱だと叫んでは、同族 のイグニスだけでなく、マサヨシ達も見下しきっている。そのくせ、アイドルオタクなのだから始末に負えない。

「え、あ、いる……のかなぁ?」

 だが、美花だけは思い当たらず、首を捻った。美花の周囲には、ヴィクトリアのような自尊心を全面に押し出した 言動を取るような人間も人外もいないからだ。

「あなた方、この私を愚弄するおつもり?」

 ヴィクトリアは癪に障ったのか、やや声を低めて全員を睨み付けた。

「希代の天才呪術師であるグレイス・ルーを父親に持つこの私を、どこの誰とも知らない人間と重ね合わせて評価 するだなんて下劣の極みなのだわ。あなた方がそのつもりなら、呪って差し上げてもよろしくてよ」

「え」

 怒らせるつもりは毛頭なかったのだが。つばめが面食らうと、ヴィクトリアはレモン水の滴を指に付けて紙ナプキン に滑らせ、二重の円と六芒星を描き、その周囲に奇妙な形の文字を書き加え、指先でそれを小突いた。直後、目に 見えない衝撃が訪れ、つばめはたたらを踏んだ。紀乃、繭、美花、チヨ、サチコも同様で、皆、よろめいた。テーブルの 上の皿も一瞬浮き上がった後、重なり合いながら落下した。

「な、何?」

 紀乃が額を押さえながら上体を起こすと、美花は目を瞬かせる。

「あれ、なんともない? てっきり、攻撃の類かと思って変身しそうになっちゃったけど……」

「穏やかじゃないなぁ。カンタロスがいたら、すぐにやり返してやるんだけど」

 これはまだ食べかけだったのに、と繭は嘆き、ヴルストが零れた皿を未練がましく見つめた。

「まじないだなんて、そっけんおっかねぇこと言うもんじゃねぇって。おいしいものを喰っとるんだすけんに」

 チヨがちょっとむくれながら自分の席に座り直したが、ふと違和感に気付いた。

「ん?」

〈ええ、全くよ。荒っぽいことから遠ざかるために、レピデュルスさんのお誘いを受けたんだから〉

 サチコもテーブルの上に戻り、スパイマシンを落ち着けた。

「さっきはごめんね、ヴィクトリアちゃん。悪気があったわけじゃないけど、気に障ったのならごめんなさい」

 美花は謝りながら、椅子に腰を下ろした。

「しっかし、呪いなんて本当にあるとは思えないんだけどなぁ」

 椅子に座り直したつばめは、コーヒーを飲もうとテーブルに手を伸ばした。テーブルとの間に若干の距離があった ので、腰を浮かせれば届く距離だった。が、腰が浮き上がらなかった。力が足りなかったのか、とつばめはもう一度 腰を上げようとするが、椅子から尻が剥がれなかった。スカートと尻が椅子に癒着しているかのような状態に陥って いて、だったらスカートを剥がせば、とスカートを引っ張ってみるがびくともしなかった。

「え、えええ?」

 つばめが困惑していると、他の皆も異変に気付いたらしく、椅子をがたがたと鳴らしている。

「もしかして、これが呪いなの?」

 紀乃が椅子ごと体を浮き上がらせながらヴィクトリアを問い質すと、ヴィクトリアは悠長に答えた。

「ええ、そうよ。地味ではあるけど、とても有益な呪いなのだわ。ちなみに、衣服を脱いでも椅子から体が離れること はなくってよ。椅子自体を破壊しようとしても無意味なのだわ、私の魔力であなた方と椅子を繋ぎ合わせてしまったから、 椅子を破壊すればその痛みが自分自身にも伝わってくる寸法になっているのだわ」

「あ、確かに、ここを触ると自分の背中を触っている感じがする……」

 椅子の背もたれをさすった繭は、僅かに顔を曇らせた。

「とてつもなく嫌な予感しかしないんだけど」

 紀乃が眉根を歪めると、つばめは店の奥を窺った。

「てか、これ、トイレに行けなくなるってことだよね。それ、拙すぎない?」

「その呪いを解呪する方法は至って単純にして差し上げてよ。ありがたくお思いなさい」

 心なしか勝ち誇っているヴィクトリアに、美花が尋ねた。

「それで、その方法って?」

「あなた方が最も恥ずかしいと感じた出来事を暴露することが、解呪の条件なのだわ」

 にたりと口角を吊り上げたヴィクトリアの面差しには、紛れもない悪意が漲っていた。あ、これはちょっとヤバい、と 紀乃が俯いた。サイコキネシスがあるからまだいいではないか、とつばめは反論しかけたが、店の奥にあるトイレの ドアの幅と椅子の幅を目測してみると、ドアの幅の方が遙かに狭かった。それでは、いかに紀乃がサイコキネシスを 使って浮かび上がろうと、通り抜けられない。
 しかし、一番恥ずかしい出来事を暴露するのもまた辛い。それが、年頃の少女なら尚更である。美花に至っては、 話を始める前から赤面しすぎてテーブルに突っ伏している。繭も目線をしきりに動かしていて、両手を体の前で硬く 握り締めている。だが、このままではいずれ大惨事になる。つばめも、最初に飲んだカフェオレと二杯目のコーヒー の水分がじわじわと溜まってきている。単純だがそれ故に凶悪な呪いを施した少女、ヴィクトリアは涼しい顔をして 紅茶を傾けていて、それがどうしようもなく腹立たしかったが、コジロウもいないのでは抗いようがなかった。
 腹を括るしかなさそうである。





 



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Photo by (c)Tomo.Yun




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