左腕のデストロイドリルの艶は、一際良かった。 作戦終了後のオーバーホールの後に、丹念にワックスを塗り込んで手間掛けて磨き上げたのだから当然だ。 装甲も傷一つ付いておらず、関節の動きも良く、キャタピラも順調だ。ゴーグルも、交換したばかりだから綺麗だ。 側頭部のアンテナも感度良好で、背部の排気筒も眩しいほど艶々で、どこからどう見ても新品のロボットである。 何度となく、廊下の姿見に映る自分を眺めてしまう。浮かれすぎて、無意識のうちに鼻歌が漏れるほどだった。 視界の隅にある時刻表示を見て、約束の時間を確かめる。だが、彼が来るのは、もうしばらく先になるだろう。 「ご機嫌だな、グラント」 その声に顔を上げると、報告書などの書類を抱えた神田が奥からやってきた。 「Oh! カンダタ!」 「今日は礼子ちゃんが丸一日休みだし、北南もいないんだから、大人しくしているんだぞ」 「Oh,Yes! 礼子ノ久々ノ休日ダ、下手ナコトデ邪魔ヲシタラ悪イカラナ!」 「あの二人も、それぐらい素直で真面目だったらありがたいんだがなぁ」 「Hahahahahahahahahahaha! ダガ、今日ハ North star ハ礼子ト一緒ナンダロ? 心配スルンダッタラ、オレジャナクテ South star ノ方ジャネェノカ?」 「まぁな。でも、南斗はまだオーバーホールから上がってきていないから、今回は平気じゃないかな。上がってきたらごねるのは間違いないけど。北斗の方も、礼子ちゃんと二人きりならある程度は大人しいしね。それに、偵察の名を借りた久々のデートなんだし、さすがにあいつも礼子ちゃんの前では下手は起こさないだろう」 「男ノ見栄ッテヤツダナ!」 グラント・Gはそう言いながら、内心ではにやにやしていた。予想通り、二人の兄と礼子を遠ざけることが出来た。 大規模テロを計画していたテロリストとの戦闘は予想以上に激しく、最も消耗したのは関節の柔らかい南斗だ。 南斗は格闘性能を格段に引き上げているために関節が最もデリケートで、クッション素材も一人だけ違っている。 だから、彼が最も整備に時間が掛かる。北斗も北斗で、グラント・Gがルージュに言わせた一言が効いている。 彼氏としても仲間としても礼子の疲労に気付けなかった己が不甲斐ないと思ったらしく、いつになく礼子に甘い。 礼子もまた、普段は北斗に冷たい態度を取っているが、本音は北斗に弱みを見せてしまいたいと思っている。 そういったことは、以前に礼子自身から聞いたことがあった。だから、作戦後の皆の行動は容易に想像が付いた。 人工知能の中で何度もシミュレーションしたが、それと全く同じ結果だ。我ながら、頭が冴えているとすら思う。 そして、厄介な朱鷺田も出張で他の駐屯地に出掛けてしまい、特殊機動部隊営舎には神田とグラント・Gだけだ。 今日を逃せば次はない。だから、本気を見せよう。グラント・Gはドリルを緩く回転させながら、決意を固めた。 すると、営舎前にミリタリーグリーンの車両が止まった。それは、この駐屯地内を移動するための車だった。 そこから降りた制服姿の青年は運転手に礼を言ってから、振り向いたが、青年は物凄く嫌そうな顔をしていた。 「おや、伊原三尉」 神田は、彼の名を呼んだ。寸分の隙もなく制服を着込んだ青年、伊原英介三等陸尉は、作り笑いを浮かべた。 「どうも、神田一尉」 「今日はまた、何の用事でいらしたんですか」 神田は書類の束を手近なテーブルに置いてから、玄関に向かった。伊原は、頬を引きつらせる。 「幕僚長命令なんです」 「はい?」 神田が呆気に取られると、伊原は顔をしかめた。 「あなた方の誰かは知りませんけど、この間のテロ未遂事件に関する上層部の不備をネタにして、幕僚長を揺さぶったんですよね? そうでもなかったら、出勤してすぐの僕のデスクに、幕僚長から直接電話が入るわけがないじゃないですか。直接ですよ、直接」 「まあ、でしょうね」 神田はゆっくりと目を動かし、グラント・Gに向いた。伊原の視線も、グラント・Gに据えられる。 「君の仕業か、グラント」 「Me?」 グラント・Gはドリルで己を指すと、伊原は大股に上がり込んできた。 「そうだ、君以外に有り得るか! 識別名称・Gって、君以外に有り得ないだろうが! あの二人はNとSだしな!」 「Oh Yes!」 グラント・Gが誇らしげに胸を張ったので、伊原はグラント・Gに詰め寄った。 「おかげで今日の仕事の予定が滅茶苦茶だし、部署の連中からは変な目で見られるし、良い迷惑なんだ! 確かに僕は君達の世話になって、一度助けられたかもしれないが、それだけの関係なんだ! 悪いが、用事がないなら帰らせてもらう!」 「Non!」 グラント・Gは首を横に振り、ペンチ状の右手で伊原の制服の裾を掴んだ。 「なんだよ、その手は」 伊原は制服の裾を引き抜こうとしたが、思い切り挟まれていてびくともしなかった。 「神田一尉、あの、助けてくれませんか? 何か物凄く嫌な予感がするんですけど」 伊原は神田に助けを乞うたが、神田はドリルで顔を押さえてもじもじしているグラント・Gを見、首を横に振った。 「無理だと思います」 「いや、だって、ねえ!?」 必死の形相の伊原に、神田は深く深くため息を吐いた。 「そういうことか、グラント。確かにお前はあのお茶会の後、彼を諦める、とは言ってくれたが、その前に今のところが付いていたもんな。ロボット三原則が守られている以上、オレ達に嘘を吐くことは出来ないから、誤魔化すことは覚えたんだな」 「え、それって、どういうことですか!」 照れているグラント・Gから少しでも離れようと努力しながら、伊原が叫んだ。神田は、うっすらと笑う。 「どういうわけかは知りませんけど、伊原三尉が我々の部隊で研修を終えた後、グラントは妙にあなたのことが気に入ってしまったんですよ。その延長で、いわゆる恋愛感情を」 「…嘘だと言って下さい、神田一尉」 僅かに声を震わす伊原に、神田はゆっくりと首を横に振った。 「嘘なもんですか」 「制服! 制服!」 グラント・Gは伊原の足にしがみつくが、伊原は革靴で蹴り飛ばそうとする。 「だからなんで僕なんだ、訳が解らない! ロボットに恋愛感情もクソもあるかよ!」 「それがあるんですよ。その実例を見たでしょう、あなたも」 北斗と南斗、との神田の言葉に、伊原は徐々に青ざめた。 「じゃあ、本当に、こいつは…」 「こうなったらもう、誰も止められません」 「グラントは王蟲か何かですか」 「あながち間違いではないかもしれませんね。というか、ジブリがお好きなんですね」 「ええ、まあ。特にナウシカが」 伊原は足にしがみついているグラント・Gを見下ろしたが、やるせなくなった。彼女は、本当に嬉しそうだった。 暗殺未遂の一件以降、特殊機動部隊に関わることはなかった。だから、彼らとの縁は切れたものと思っていた。 だが、甘かった。あのまま平穏にキャリア組として人生を終えられると思っていたのに、そうではなかったのだ。 グラント・Gはいつも通りの野太い声で、だが年頃の少女のような口調で、主に英語で伊原への愛を喚いている。 それがまた、やかましい。早口、かつネイティブの発音に近い英語なので、聴き取れる単語の方が少なかった。 それでも、しきりに繰り返される Love は聴き取れた。伊原は抵抗することを諦め、グラント・Gを見下ろした。 グラント・Gはそろそろと顔を上げるも、伊原と目が合うと顔を背けてしまい、やけに可憐な仕草で恥じらった。 「制服…。Meid ハ好キカ?」 「は?」 「百合子ガ言ッテイタ! 男ハ Meid ニ萌エ萌エダトナ!」 「ぼっ、僕は違う! 断じて秋葉原になんか行くものか! 本当だ、信じてくれ!」 伊原は神田を見やるも、神田は微妙な表情をしていた。それは嘘だろう、とでも言いたげな顔だった。 「嘘なもんか! そっ、そりゃ、たまに通ることはあるが、入っても中古ゲーム屋ぐらいだ! 本当に本当だ!」 「ジャア、Meid ジャナカッタラ何ダ?」 「…答えられるわけがない」 徐々に切羽詰まってきた伊原を、神田は軽く煽ってみた。 「妹属性とかですか。でも、あれはまだノーマルな部類で」 「妹なんか違います、同級生です、幼馴染みです! 年下なんか面白味の欠片もないじゃないですか!」 すると、伊原は予想以上の反応をした。思わず言い返してしまってから、伊原は顔を引きつらせて固まった。 「あ…」 「Wow!」 グラント・Gは途端に声を上擦らせ、身を乗り出して伊原に迫る。 「ジャア、オレハ制服ノ幼馴染ミニナッテヤルゼ!」 「無茶を言うな! 君は幼いかもしれないが馴染みはしない! 絶対に!」 お願いだから離れてくれ、と伊原はグラント・Gの腕の中から足を抜こうとするが、彼女の腕は少しも緩まない。 「Oh! 制服ハツンデレナンダナ! ルージュモソウダッタゼ!」 「断じて違う! 普通に拒絶しているんだ!」 「TU・N・DE・RE! TU・N・DE・RE! TU・N・DE・RE! TU・N・DE・RE! TU・N・DE・RE!」 「連呼されても違うものは違うんだあ!」 「ヘビークラッシャーガ言ッテイタ、恋モ戦闘モ攻メテ攻メテ攻メ抜クモンダッテナ!」 「攻められても崩れる気はない! それに僕には結婚を約束した女性がいるんだ!」 「Hahahahahahahahaha! オ前ミタイナ奴ハ、絶対イイ人止マリダゼ! 根ガ真面目デナマジ人ガイイモンダカラ、浮気サレテモ文句ハ言エナイノサ! ソノクセ、アナタハ面白味ガナイトカ言ワレテ、勝手ニ女ハ男ヲ作ッチマウンダヨナ! 女ノゴ機嫌取リガ上手イバッカリニ、女ニ振リ回サレルタイプッテヤツダ!」 「人の古傷を抉るな! 今度こそ大丈夫に決まっている、だから余計なことを言うな!」 「ソノ点、オレハ身持チガ固イゼ! Machine soldier ダカラナ!」 「それはアメリカンジョークのつもりかあー!」 全然笑えない、笑えるわけがない、と伊原はグラント・Gを押しのけようとするも、やはり微動だにしなかった。 グラント・Gははしゃいでいて、伊原から決して離れようとしない。彼と会えたのが、本当に嬉しかったのだろう。 神田はぎゃあぎゃあと騒がしい伊原とグラント・Gを眺めていたが、妙に微笑ましく思えてきて、笑ってしまった。 伊原にとってはかつてない災難だが、北斗と南斗の礼子に対する執着心を日常的に見ていると普通に見えてくる。 むしろ、グラント・Gの行動など生易しい方だ。幕僚長を使って伊原を呼び出したのは、少しばかり頂けないが。 伊原はグラント・Gを本気で拒絶しているが、グラント・Gは全く怯まず、大型犬のように伊原にじゃれついている。 それもこれも、あのお茶会のせいだろう。グラント・Gの発展途上だった恋愛感情は、あのお茶会を境に完成した。 南斗と北斗が呼び寄せた女性型ロボット、うち二人はサイボーグだが、の影響を受けて、グラント・Gは成長した。 それはいいことなのだが、悪いことでもある。現に目の前では、伊原が泣きそうになりながら彼女と戦っている。 しかし、これからの人工知能の研究と発展には欠かせないことなので、彼らにはもっと成長してもらいたいと思う。 神田は考え方をどちらに傾けるべきか考えていたが、今は書類整理が先なので書類を抱えて事務室に入った。 背後から伊原の絶叫に似た救助要請が聞こえたが、最優先事項は書類なので、神田は気にしないことにした。 こんなにもグラント・Gに気に入られてしまっては、もしかしたら、伊原もこの部隊の仲間入りをするかもしれない。 現に、礼子の前例もある。だったら今から慣れさせておいた方がいい、と判断し、神田はデスクワークを始めた。 特殊機動部隊は、今日も至って平和である。 何もない。それだけで、とても心が安まる。 礼子は人気のない海岸を見下ろしながら、缶コーヒーを飲んでいた。残り少なくなったので、呷って飲み干した。 あまり飲み過ぎては胃に悪いとは思うが、カフェインの刺激と甘ったるさが心地良いので、ついつい飲んでしまう。 空き缶を傍らに置き、礼子は体を伸ばした。筋肉が付いて重たくなった腕と足は、伸ばしただけで痛みが走った。 礼子は僅かに顔をしかめて、姿勢を戻した。筋肉痛との付き合いは長いが、好きになれるものではなかった。 「なーんにもないねぇ」 礼子は上体を反らし、背後にある広い胸に頭を預けた。 「うむ。敵影もないが、味方の機影もない」 その胸の主は黒いフルフェイスのヘルメットを被ったままで、同じく黒いライダースーツを全身に着込んでいた。 二人の背後には、大型バイクが留まっている。磨き上げられた黒いタンクには、Kokuoh と白抜きの文字がある。 つまり、黒王号である。礼子は大型バイクの後部に乗せてもらい、人気のない海岸まで連れてきてもらった。 そして、その大型バイクのライダーは、フルフェイスのヘルメットとライダースーツで正体を隠している北斗だった。 礼子が丸一日の休暇を得たので、北斗は偵察任務という口実で外出許可をもらい、久々に二人きりになった。 デートに向かった先は、何のことはない海岸だった。オフシーズンなので、海に出ているのはサーファーぐらいだ。 そして、今日はただの平日なので人気はない。イヌの散歩に出ている人影はたまに見かけるが、その程度だった。 だから、とても静かだった。波も穏やかで風も温かく、日差しも柔らかい。ぼんやりするには、打って付けだった。 「しかし、本当にこれで良いのか、礼子君?」 北斗は疑問に思いつつ、揃いのライダースーツを着た礼子を見下ろした。礼子は、北斗のヘルメットを小突く。 「駐屯地から離れられたらなんだっていいの。それに、町中に出たら、あんたと一緒にいられないでしょ」 「自分は何ら問題はないのだが」 「メットを外せないんだから、その時点で問題大有りでしょうが」 全く、と呟いた礼子は、北斗の太い腕に肘を置いて頬杖を付いた。 「グラントも余計な気を回すようになっちゃうとはなぁ。いつまでも子供だとばかり思っていたのに」 「しかし、それだけが真意とは思えないのだ」 「だよね」 礼子は体を傾けて、北斗の腕に身を預けた。 「うちの官舎の内線から幕僚長に電話を入れた履歴が残っていたし、関係者のアドレス帳のア行のページが開きっぱなしだったし、その上書類棚の前にはキャタピラ痕。今頃、制服三尉はどんな被害に遭っているやら」 「つまり、自分と礼子君は、グラント・Gと制服が逢い引きするために厄介払いをされたということだな」 「そういうこと。でも、まあ、たまにはいいか。グラントの言う通り、疲れていたのは本当だしね」 「だが、今回は礼子君のために外出許可を得たのだ。今度ばかりは、グラント・Gと制服の接触を阻むために戻るわけにはいかん。グラント・Gの貞操も心配だが、それ以前に、礼子君を放り出すことなど言語道断であるからな」 北斗は上体を屈め、礼子に近付いた。 「して、礼子君。先日のお茶会をどう思うのかね?」 「どうって、そりゃ、ちょっとは羨ましかったかな。たまにだけど、あんなふうに騒ぎたくなるから」 「では、また」 「それは勘弁して。ていうか、あんな馬鹿げたこと、何度もやってたらマジでやばいから」 「ならば、どうすればいい。自分に出来ることがあるのなら、執事だろうがメイドだろうが何だろうが」 「相変わらず極端だなぁ、もう」 礼子はぼやきながらも体を起こし、北斗に顔を近寄せた。 「何もしなくていいよ」 「本当にそれでいいのか、礼子君?」 「いいんだってば」 礼子は再び北斗に寄り掛かると、波が煌めいている海を見やった。 「いてくれたら、それでいいの。たぶん、それはあの子達も同じだと思う」 「そうだな。自分も同じだ。礼子君がいてくれれば、それで充分なのだ」 北斗は頷くと、ヘルメットの下で笑った。礼子も北斗に顔を向け、笑った。 「それで良し」 戦うことは、厳しく、辛い。たとえ何を守っているのであろうとも、心身を犠牲にしていることに変わりはない。 それは、機械の体であろうとも生身であろうとも同じだ。戦いに明け暮れていると、ふと、我に返る時もある。 戦う意味を見いだせなくなる瞬間もある。立ち止まりそうになる時もある。銃口を上げることを躊躇う日もある。 どんなに踏ん張っても、挫けてしまう時もある。その時、手を差し伸べてくれる人がいるから、また明日も戦える。 戦おうと思える。 この宇宙に、星の数ほど兵器はあれど、恋する乙女に勝るものはない。 08 2/21 |