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竜神温泉に行こう



山の斜面に造られた露天風呂に、彼女達は浸かっていた。
温かく香りの良い湯によって、深夜バスと長旅の疲れが癒されていく心地良い感覚に、フィリオラは表情を緩めた。
はあ、と意識せずとも感嘆の息が漏れ、肩を落とした。露天風呂を囲んでいる柵の向こうには、森の木々がある。
自分達のいる世界のものとは、葉の形も枝振りもどことなく違っていて、ここが異世界であると実感させてくれた。
空気には魔力の類が一切ないので、無意識に過敏になってしまう感覚が落ち着いており、気分も安らいでいた。
フィリオラは、はしたないかな、と思いながらも湯の中に足を伸ばした。細かな波が起き、肌を舐めていった。

「極楽って、こういうことを言うんだねぇ…」

すっかり脱力しきった由佳は、岩にもたれた。外ハネの髪は簡単にまとめられていて、一つに結んである。

「そうですねー。すっごく気持ちいいですよねぇ」

フィリオラが上機嫌に笑むと、由佳は水面下のフィリオラの体形を眺め回した。

「ねぇ、フィオちゃん」

「はい?」

フィリオラが聞き返すと、由佳は訝しげに眉根をひそめた。

「これであたしより年上だなんて、信じられないなぁ…」

「えっ、あっ、本当に十八ですってば!」

フィリオラは慌てて身を捩り、胸元を隠した。由佳を睨むようにその体形を見ていたが、次第に情けなくなってきた。
湯に浸かっている由佳の胸は、見るからに大きかった。それから、自分のものを見下ろすと、一層貧弱に感じた。
手を当ててみても手応えは頼りなく、呆気なく押し潰せてしまう。フィリオラは背を丸めると、うぅ、と小さく唸った。

「どうせ幼児体型ですよぉ…」

「ああ、いや、そういう意味じゃなくって」

由佳は湯の中を進み、落ち込んでしまったフィリオラに近寄った。フィリオラは由佳を見、力なく笑う。

「いいですよ。別に気にしちゃいませんから。いつもレオさんにそう言われてますし、事実なんですから」

少し離れた位置で湯に浸かっていた礼子は、岩に座って遠くを眺めるフィフィリアンヌの背を、まじまじと見てみた。
白く薄い背からは、竜の翼が生えていた。細い骨が確かに繋がっていて、翼の部分から皮の色が変わっている。
人間じゃないんだ、と改めて感じた。すると、フィフィリアンヌは急に礼子に向いたので、目が合ってしまった。

「無理もあるまい。こちらの世界では、私のような存在は珍しいだろうからな」

「あ、まぁ。すいません」

礼子が平謝りすると、フィフィリアンヌは岩から下りてざばざばと湯を掻き分けながらやってきた。

「別に謝らずとも良い」

フィフィリアンヌは華奢な体に巻き付けているバスタオルを押さえ、温泉に浸かった。

「悪くない。グレイスの奴が造ったにしては、なかなかの趣味だな」

礼子は、彼女の美しく整った横顔を見ていたが、すぐに目を外した。あまり見入ってしまうのは、悪いと思った。
フィフィリアンヌの長い緑髪は一括りにされていて、後頭部で軽くまとめてある。フィリオラの手によるものだ。
折れてしまいそうに思えるほど細い首筋に、数本の後れ毛が落ちていた。白い肌も、温泉で多少上気している。
見た目は十二歳程度の少女なのだが、端々に色気がある。礼子は、それをあまり見てはいけないような気がした。
そもそも、自分の存在は場違いなのだ。自分以外の女性陣は年齢が上であるし、何より、釣り合っていない。
由佳は女の子らしさのある可愛らしい顔立ちだが、体型はメリハリが付いていて、女子に羨まれる類の外見だ。
フィリオラは体型も言動も子供っぽくはあるが愛らしい少女で、柔らかな笑顔には育ちの良さが滲み出ていた。
フィフィリアンヌは見た目は幼いものの、顔立ちだけでなく雰囲気にも、ぴんと張り詰めている美しさがあった。
そんな中で、自分はどうだ。礼子は露天風呂の傍にある、脱衣所の扉に目をやり、そこに映った自分を見てみた。
顔立ちもそう目立つものでもないし、体型に至っては子供そのもので、これ以上の発展もあまり望めなかった。
いづらいなぁ、と思いながら、礼子は温泉に肩を沈めた。元々あまり乗り気でなかったし、来るべきではなかった。
フィリオラは、あまり表情の冴えない礼子に向いた。由佳と一度顔を見合わせてから、礼子の傍に近寄った。

「あの、礼子さん」

「なんですか」

「礼子さんと北斗さんって、同じ世界から来たんですよね? どういう関係なんですか?」

「そういうフィリオラさんとレオナルドさんは?」

礼子はあまり答えたくなかったので切り返すと、フィリオラはぱっと頬を染め、半歩程度ずり下がった。

「どうって、そりゃあ…まぁ…」

「レオナルドさんって結構怖い感じがするんですけど、どの辺がいいんですか?」

あまり興味はなかったが、話を逸らすために、礼子は尋ねた。フィリオラはもじもじしていたが、顔を伏せる。

「いいっていうか、なんていうか、そのぉ…」

「あ、あたしも聞きたいな」

フィリオラの背後に、由佳も寄ってきた。フィリオラは目線を彷徨わせていたが、更に頬を紅潮させる。

「じゃ、じゃあ、その代わり、後で由佳さんも言って下さいね?」

「それじゃ、フィルさんも」

由佳に話を振られ、フィフィリアンヌは急に立ち上がると、慌てた様子で身を下げる。

「わっ、私もか!?」

「恥ずかしいのは皆同じなんだからさぁ、どうせなら全員で話しちゃった方がいいじゃん」

ね、と由佳に振り向かれ、礼子は仕方なく頷いた。

「はぁ」

「んじゃ、フィオちゃんからね」

由佳がフィリオラを示すと、フィリオラはざばっと上半身だけ湯から上げた。

「で、でしたら次は由佳さんが言って下さいね!」

「あ、うん」

由佳が頷くと、フィリオラは湯の中に上半身を戻した。ちゃぽん、と弱い波紋が水面に広がる。

「じゃあ、言いますよ。えっとですね、レオさんは凄く意地悪です。いつもいつも文句ばっかり言ってくるし、どんなに些細なことだろうとも突っ掛かってきて、しかもその言い回しがきついんです。すぐに馬鹿とかガキだとか言ってくるし、本当に意地悪なんです。ですけどね、たまーに優しいんです。本当にたまーになんですけど、優しくて、大きくて、温かいんです。いつも怒ってばかりいるんですけど、たまに笑ってくれたときなんか、すっごく素敵だし、それに、レオさんって、結構、カッコ良いし…。だから、その、私は、レオさんが…」

そこまで言って、フィリオラは口を噤んだ。ただでさえ赤らんでいた頬がすっかり真っ赤で、のぼせたようだった。
フィリオラは、そのまま黙りこくってしまった。由佳は自分の番が回ってきたのだと察し、言いづらかったが言う。

「えー、と。具体的に何がどうしたってわけじゃないんだけど、気付いたら好きだったんだよねぇ、パルのこと。マシンソルジャーだし、情けないし、好きになんてなるはずないって思っていたんだけど、好きだ好きだってパルに言われ続けていたら、なんかその気になっちゃって、気付いたら、あたしもパルが好きになっちゃってたんだ。クラスメイトにあたしのことを好きだって言ってくれる人がいたんだけど、そっちには目が行かなくて、パルにばっかり向いてたの。相手はロボットだし、って思っても、どうにもならなくってさぁ。で、こうなっちゃった」

はにかみながら、由佳は締めた。あーもう何言ってんだあたしは、と由佳は顔を背けていたが、目線を上げた。
その先にいたフィフィリアンヌは身動ぎ、体を強張らせた。薄い唇をぎゅっと引き締めていたが、緩めた。

「わ、私は別にその気はなかったのだが、カインの奴が、あまりにも揺らがないから、ついほだされてしまったのだ。脆弱で頼りなくて女々しいが、ごくたまにだが芯のあるところを見せるし、私が竜であることを含めて、好いて、くれておるから、無下に出来なくなってしまってな…」

惚気に次ぐ惚気に、礼子は消えてしまいたくなった。彼女達のように、惚気ることなど一切合切ないからだ。
釣り合わないし、なにより話題がない。上がっちゃおうかなぁ、と思っていると、フィフィリアンヌが向いた。

「礼子。貴様の番だ」

「私は、惚気ることなんてないんですけど…」

礼子が苦笑すると、フィフィリアンヌはしなやかな指で前髪を掻き上げる。

「そうなのか? あのホクトとか言う機械人形は、貴様をどうしようもないほど好いているように見えたのだが」

「そりゃ、あいつはそうかもしれませんけど、私は別に」

礼子が素っ気ない言い方に、フィリオラは不思議そうにする。

「え、じゃあ、礼子さんと北斗さんって、一体どういうご関係なんですか?」

「一言で言うのは面倒ですけど、簡潔に言い表すなら戦友ってところです」

礼子の言葉に、ふむ、とフィフィリアンヌは意外そうにした。

「ならば貴様は、魔導師か何かの類か?」

「いえ、違います。現代日本の平均的な四人家族の長女で、公立中学の二年生です。それ以外は別に何も」

一気に言い切ってから、礼子は小さく息を吐いた。この場にいる他の三人に比べたら、かなり下の存在なのだ。
普段は気にしていなかったはずなのに、こうしてあからさまに上の存在に近付くと、嫌でも身に染みてくる。
あまり冴えない表情の礼子に、フィリオラは湯を掻き分けて近付いた。礼子が振り向くと、フィリオラは微笑む。

「でも、素敵なことじゃないですか。あんなに好きになってもらえることって」

「自動小銃持ち出されるほど好かれたくはありません」

心底嫌そうにした礼子に、フィリオラは苦笑いした。

「まぁ、そりゃ、そうですけど…」

礼子は、間近のフィリオラを何の気なしに眺めてみた。西洋人に近いが、どこか雰囲気の違う顔立ちだった。
青い瞳の瞳孔は縦長で、色素の薄い肌は白く滑らかで、小さなドラゴンのツノが髪の間から突き出ている。
可愛らしいだけでなく美しさも垣間見えていて、これで体形さえ豊かであったなら、申し分のない女性だ。
礼子は、彼女達に羨望と劣等感を感じている自分が嫌になってきた。なんかもう泣きたい、とすら思った。
立ち上る温泉の湯気が、いやに目に染みた。


脱衣所手前の休憩所では、彼らは彼女達が上がるのを待っていた。
レオナルドは冷え切った缶コーヒーを呷ると、深く息を吐いた。きっちりと着付けられた浴衣が、嫌だった。
隣を見ると、インパルサーが満足げにしている。風呂上がりに、どういうわけだが彼に着付けられてしまった。
レオナルドは別にどうでも良かったのだが、逃げるに逃げられなかった。男に着付けられるのは、初めてだった。
着慣れない浴衣に戸惑いながらも、レオナルドはこれと似たものをフィリオラが着ている様をつい想像していた。
襟から覗く上気した首筋や裾から伸びるほっそりとした白い足を思い浮かべてしまい、多少、自己嫌悪に陥った。
こんな場所でも何を考えているんだオレは、と内心で自虐したレオナルドは、右隣に座る青いロボットに向いた。

「おい」

「なんでしょうか、レオナルドさん」

女湯の出入り口を見ていたインパルサーは、レオナルドに向いた。レオナルドは、変な顔をする。

「お前、機械人形のくせになんで湯に入っていたんだ? 錆びるだろうが」

「ああ、あれですか。僕は耐水装備がされていますので、入れるんです」

ほら、とインパルサーは手首を曲げた。つい先程まで露わだった関節を、黒いカバーのようなものが塞いでいる。
レオナルドの隣でフルーツ牛乳を飲んでいたカインは、ストローから口を外すと、左側の二人に顔を向ける。

「ですけど、北斗さんは入っていらっしゃいませんでしたね。あの方とあなたは同種族ではないのですか?」

廊下に繋がる出入り口の傍に突っ立っていた北斗は、カインに向いた。

「自分はマシンソルジャーではない。確かに自分の父に当たるロボットはマシンソルジャーなのだが、自分はれっきとした日本製の人型自律実戦兵器であって、惑星ユニオンとやらで生まれたマスターコマンダーとやらの手によって生まれたわけではないし、コズミックレジスタンスとやらの一員でもないしギャラクシーグレートウォーなどという反逆戦争に荷担した覚えもないのだ」

「はい?」

いきなり並べ立てられた単語にカインが目を丸くすると、インパルサーが補足した。

「ええとですね。つまり、僕は北斗さんと親戚なんですけど、全く別の過程で生まれたんです」

「要するに、ドラゴンとワイバーンみたいなもんなんだな」

レオナルドの呟きで、カインはすぐに納得した。

「ああ、そういうことですか!」

「時に、お前達」

北斗は、窓際の長椅子に座っている三人に向き直った。三人の視線が向くと、北斗は腕を組む。

「お前達はどういう戦略を展開して、あの女人達とイチャイチャでベタベタな関係になったのだ?」

「どうって…どうなんでしょうね」

カインは、空になったフルーツ牛乳の紙パックを下ろした。

「僕は、フィフィリアンヌさんが好きでしたけど、まさか僕に傾いてくれるなんて思ってもいなかったので…」

「オレは別に、まともなことをした覚えはない」

レオナルドは缶コーヒーの缶を軽く放り、がしゃっ、とゴミ箱に投げ入れた。

「確かに、まぁ、あの女にほだされたのはオレの方だが、あの女に惚れられようとしたことはないな」

「僕の場合は、思い当たる節があるとすれば、何度も好きだと言ってしまったことでしょうか」

気恥ずかしげにがりがりとマスクを掻いているインパルサーに、北斗は詰め寄った。

「その作戦は有効なのか、インパルサー!」

「一概にそうだとは言い切れませんけど、まるっきり無駄ではないと思います」

インパルサーの答えに、北斗は急に張り切って拳を握った。

「そうか! ならば自分もその手を使ってみるとしよう!」

北斗はにかっと笑い、女湯の出入り口に向かって駆け出した。インパルサーが止めたが、間に合わなかった。
女と書かれた桃色の暖簾を盛大にめくって乱暴な足音を立てながら、脱衣所を駆け抜けて露天風呂に向かった。
数秒後。礼子くぅうううん、という北斗の絶叫と同時にフィリオラの叫び声が聞こえ、レオナルドは腰を浮かせた。
が、すぐにレオナルドは腰を下ろした。金属を殴る強烈な音と、一転して威圧的なフィリオラの声が聞こえてきた。
どうやら、フィリオラは変身したらしい。良い度胸をしてますねぇこのガラクタ機械人形がっ、と激しく罵倒している。
インパルサーはセンサーを作動させて、状況を把握した。フィリオラの生体反応が、飛躍的に向上している。

「行かない方が良さそうですね、これは」

「下手に手出しして、やられるのは嫌ですもんね」

カインが力なく笑うと、レオナルドは浴衣の袖に手を突っ込んで腕を組む。

「フィリオラの奴、変身したみたいだしなぁ。この分だと、しばらくは収まりそうにないぞ」

「北斗さん、何をしようとしたんでしょうか?」

インパルサーが首をかしげると、レオナルドは肩を竦めた。

「さぁな。ろくでもないことなのは確かだが」

女湯の露天風呂からは、若干低めの声のフィリオラが北斗をなじる言葉が続き、それを由佳が止める声もする。
インパルサーは、北斗が無事に戻ってこられるか不安になった。彼は、基本的には陸戦用のロボットなのだ。
温泉の中にでも叩き落とされたりしたら、関節から湯が入ってしまい、機能に支障を来してしまう可能性がある。
だが、インパルサーは助けに行く気にはならなかった。うっかり由佳の裸身を拝んだりしたら、命令違反になる。
それに、とインパルサーはレオナルドに向いた。レオナルドはやたらと怖い顔をして、女湯の方向を睨んでいる。
まかり間違ってフィリオラに何かをしてしまったら、間違いなく、レオナルドの放つ炎に焼かれてしまうだろう。
装甲を焼かれるのは嫌だなぁ、塗り直したばっかりだし、と思いながら、インパルサーはセンサーを弱めた。
女湯からは、北斗の絶叫が聞こえていた。




広間での夕食の席で、北斗はぐったりとしていた。
変身したフィリオラによる打撃に次ぐ打撃で、関節が軋んでいる。痛みはないのだが、各部分に違和感があった。
彼女の鋭い爪に引き裂かれた迷彩服の袖を見、項垂れた。なぜこんなことになったのだろう、と思い悩んでいた。
北斗としては、ただ、礼子の元に行って好きだと言うだけのつもりだったのに、フィリオラに応戦されてしまった。
フィリオラは急に体の姿形を変えて竜の翼を生やすと、北斗と互角か、それ以上のパワーで打ちのめしてきた。
まるで、特撮ヒーロー番組の悪役のようだった。実際そんな感じの外見だったし、豹変ぶりも悪役っぽかった。
フィリオラは、一見すれば清純そうで可愛らしいがその実はかなり違っているな、と北斗は彼女の認識を改めた。
ダメージセンサーを作動させると、思っていた以上にダメージを受けているのが解る。彼女は、本気だったらしい。
北斗は、向かい側でレオナルドと並んで座っているフィリオラに向くと、元の姿に戻ったフィリオラは顔を逸らす。

「北斗さんがいけないんですよぉ」

「だが、自分は、ただ」

北斗が言い淀むと、北斗の右隣に座っていたフィフィリアンヌは、ニジマスの塩焼きを食べる手を止めた。

「貴様が悪い。弁解の余地など無いぞ」

「いきなり飛び込んできたんだもん、マジでビビっちゃったよ」

由佳は、固形燃料で煮えている小さな鍋をつつきながら、北斗に目を向けた。そして、傍らのインパルサーに向く。

「でも、なんでパルは止めなかったわけ? パルなら止められるじゃん、北斗よりもずっと速いんだし」

「いえ、その…。止めるよりも前に駆け出してしまいましたし、僕まで女湯に行くのはどうかと思いまして」

それに、とインパルサーは顔を伏せると、気恥ずかしげにマスクを手で覆った。

「由佳さんの体を拝見するのは、命令違反ですから」

彼のレモンイエローのゴーグルに赤みが差しているのを見、由佳は少し困ったような顔をした。

「そりゃそうかもしれないけどさぁ」

礼子はどんどんゴーグルの色を赤くするインパルサーから目を外し、北斗を見上げた。北斗は、疲れ果てている。
相当落胆しているようで、普段は固まりがちな表情が弛緩している。それが、いやにだらしなく見えてしまった。
彼が女湯に飛び込んできた時は、礼子もかなり驚いたのだが、リアクションをする前にフィリオラが変身したのだ。
フィリオラの姿形と性格の変わりように余計に驚いて最初の驚きが引っ込んだので、今は逆に落ち着いていた。

「礼子君。女人というものは、たかだか裸身を見られたぐらいであそこまで激昂するものなのか?」

不可解そうな北斗に、礼子は素っ気なく言った。

「んー、まぁ。フィリオラさんの反応はちょっと過剰だったけど、たぶんね」

「女人の扱いは難しいな」

「あんたが極端過ぎんのよ」

礼子は冷淡に返すと、茶碗蒸しを食べ始めた。北斗は、温泉の残り香が漂っている幼い彼女を見下ろした。
ショートカットの襟足には、うっすらと汗が滲んでいる。その首筋は華奢というよりも、まだまだ子供らしい。
他の三人の女性に比べてしまうと多少見劣りする部分はあるが、それでも、北斗は礼子から目を離せずにいた。
突き放した口調も素っ気ない態度もひっくるめて、礼子が好きでたまらない。勝利への執念に似た気持ちだ。
だから、尚のこと礼子にベタベタしてほしかった。有り得ないだろうが、彼女が甘えてくる様を想像してしまう。
この一泊二日の温泉旅行が終わってしまえば、当分の間、北斗は訓練に明け暮れるので礼子に会えなくなる。
ならば、この機会を逃す手はない。北斗は礼子に向き直ると、姿勢を正した。礼子は、ん、と北斗に振り向いた。

「何?」

「礼子君!」

北斗は畳に拳を当てると、身を乗り出した。

「自分は礼子君が好きだっ!」

「…は?」

礼子が戸惑っていると、北斗は更に詰め寄ってくる。

「礼子君も自分が好きだろう!」

「まぁ、嫌いじゃないけどさぁ」

口の端を引きつらせる礼子に、北斗は彼女の両肩を掴む。

「言え、好きだと言ってくれ! そして、他の連中のようにベタベタして来たまえ遠慮せずに!」

「遠慮するっていうかしたくない」

「礼子君ー!」

礼子の両肩を離した北斗は、よろけながら崩れ落ちた。畳に突っ伏して、嘆かわしい、と力なく漏らしている。
その哀れみすら誘う姿に、礼子は同情したが、今更訂正する気もなかった。本当に、遠慮したいのだ。
北斗と一緒にいるのは悪くないし、楽しいと思う時もあるけど、こうやって過剰に好意を示されるのは困る。
礼子は泣き出しそうな北斗を見ていたが、ふと、周りを見渡した。フィリオラが、哀れむような目をしている。

「ちょっと、可哀想ですねぇ」

「その可哀想な奴に、回し蹴りとかかと落としと正拳突きを喰らわせた挙げ句に投げ飛ばしたのはどこの誰だ」

レオナルドがにやりとすると、フィリオラは気恥ずかしさで頬を染め、う、と言葉に詰まった。

「…だってぇ」

礼子はいつになく弱り切っている北斗に、少し悪い気はした。だが、本当に遠慮したいのだから仕方ない。
北斗は礼子に対して恋愛感情にも似た感情は抱いているかもしれないが、礼子としてはただの友人なのだ。
直情的で軍国主義で戦闘以外のこととなるとさっぱりで北斗の拳をこよなく愛している、ロボットの友達だ。
それ以上でも、それ以下でもない。それどころか、なんで私なんか、という思いが礼子の内に湧いていた。
見た目も中身も大したこともないし、愛想も悪い。そんな子供を、どうしてここまで好きになるのだろうか。
礼子は程良く脂ののったマグロの刺身を食べながら、ちらりと北斗の様子を窺ってみたが、まだ潰れていた。
さすがに言い過ぎた、と感じた。





 



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