Metallic Guy




第十話 赤い、熱情



「じゃ、またね」

門を出た鈴音は、軽く手を振っていった。
あたしは手を振り返しながら、しっとりと長い黒髪の流れる背を見送った。しっかりした歩き方だ。
夕方で風がひんやりと冷たくなって、秋の匂いが混じっている。夏が、終わりかけている。
なんとなく、うちの向こうの裏山を見上げた。植林された斜面の上には、住宅造成地がある。
重機の動く騒がしいエンジン音が聞こえてきていて、着々と家を建てるための工事が進んでいるようだ。
あの戦いはほんの数日前のような気もするけど、もう一週間くらい経っている。日が過ぎるのは早い。
不意に、こつん、と固いヒールの音が響いた。
あたしは、条件反射で振り返る。


西日の中に、天使がいた。


ウェーブの掛かった見事な金髪が、肩に乗っている少女。十四五歳くらいだろうか。
この近所では見たこともない顔立ちと、髪の色。最近、この辺りに引っ越してきたんだろうか。
エメラルドをはめ込んだような瞳が、オレンジ色の光を浴びてきらきらと輝き、優しく笑っていた。
真っ白い翼があれば、間違いなく彼女は天使だ。鈴音も美人だけど、こっちは美少女って感じだ。
柔らかそうな白い頬を、ふわりと金髪が撫でていく。まるで絵画から抜け出してきたようだ。
着ている服はどこのものか解らないけど、制服じみていた。深い紺色で、胸に見たこともないマークがある。
中心に円があって、それに重なった二本の細くて青い線がバッテンになっている。何のマークだろうか。
あたしは、ついその天使に見とれていた。


天使は、桜色の唇を開いた。

「ごきげんよう」

日本語だ。しかも、お嬢様言葉。初めて聞いたよ。
天使は目を細め、体の前で組んでいた手を解いて口元に添えた。仕草もお嬢様っぽい。

「あの方々は、お元気にしていらっしゃいます?」

「あの…?」

さしあたって、誰も思い付かない。こんな美少女との知り合いが、あたしの知り合いなんて。
ざあ、と少し強い風が抜けた。天使の耳元を隠していた髪が広がり、その下にあるものを露わにさせる。
白くて尖ったものが三枚重なった、言うならば機械の翼が耳全体に付いている。アクセサリーにしては、大きい。
天使の微笑みが、少し陰る。口元が、きっと引き締まっている。

「ブルーコマンダー」


「戦いしか知らないお二方に、お伝え下さいまし」

くるりと天使は背を向け、ふわりと長い髪が広がった。
こつん、と小柄な体格に似合わないハイヒールがアスファルトに当たる。


「マスターコマンダーは拘束しましたわ。冷凍刑に処され、銀河連邦政府本部で捌きを待っております、と」


「それでは、また」

天使は会釈し、家々を隠す塀の間を歩いていった。
その姿と容姿からは想像も付かないくらい、恐ろしげな言葉が出てきた。
戦いしか知らない二人、ってのは、まさかとは思うけど、パルとボルの助のことか。
なんで、あの子はマスターコマンダーのことを知っているんだろう。あたしと鈴音にしか、話されていないのに。
マスターコマンダー絡みの話は神田にはしていないし、涼平にもハードすぎるから話していない。
しかも。あたしを知っている。リボルバーみたいに、役割で呼んだ。どういうことだ。
さっぱり話が掴めない。何がどうなってるんだ。
とりあえず、あの子のことをインパルサーとリボルバーに報告しよう。
あたしだけじゃ、どうにもならない。




すっかり夜も更け、気温が下がって過ごしやすくなる。
リボルバーは昨日の夜と同じく暗くなってから帰るつもりなのか、あたしの部屋に残っていた。
座り込んでいる二人の色が薄暗い部屋の中にまるで馴染まず、目立っている。
あたしは頭を整理しながら、ベッドに座った。

「パル、ボルの助」

こちらへ振り向いた、二人を見下ろす。

「あんたらって、長い金髪の美少女と知り合いだったりするの?」

「長い金髪、ですか?」

心当たりがあるのか、インパルサーは顔を上げた。
リボルバーは意外そうに口を開き、うへぁ、と変な声を洩らした。
あたしは膝を抱え、続ける。

「その子がね、マスターコマンダーは捕まえて、冷凍刑にしたんだって」

「そうですか」

良かったぁ、と力の抜けた声を出したインパルサーはへたり込んだ。
リボルバーはにやりと笑い、そうかそうか、と何度も頷く。

「だがあの姉ちゃん、わざわざここまで来るたぁ…また随分と几帳面だな」


「二人とも、あの美少女と知り合い?」

どうもそんな感じだ。二人とも、あの天使を見知っている態度だ。
インパルサーは少し情けなさそうに頬を掻きながら、頷く。

「知り合い、と言いますか…つい先日まで、僕らの敵だった方です」

「敵? ってことは、銀河連邦政府軍の人なの?」

「おうよ。オレらがちょくちょく相手にしてたフロントアドバンサー部隊のリーダーパイロットでな、生身で戦場に出るのが好きな変わった女さ。ま、サイボーグだから厳密に言やぁ生身とは言い切れねぇかもしれねぇけどな」

と、リボルバーは苦笑した。昔の戦いでも思い出したのだろうか。
そう言われてみれば、アステロイドベルトの戦いの話にその名前が出てきた気がする。
マスターコマンダーと愛し合っていた、リーダーさんだ。
色々と思い出してみると、見た目の描写とかも合致する。ただ、あんなに幼いとは思っていなかった。
てっきり、ナイスバデェなお姉様系だとばかり思っていたからだ。あたしの軍人のイメージって、一体。
ということは、あの天使がインパルサーの右腕をもぎ、ロボット兄弟の三男坊のシールドをばしばし攻めたのか。
まるで想像が付かない。虫も殺さないような笑顔で、お嬢様言葉を使っていたのに。
そんな戦場の天使の名を、あたしは聞くのを忘れていた。

「あの美少女の名前、何て言うの?」

「リーダーさんの呼称…ですか? 僕は知りません」

インパルサーは、首をかしげた。

「マスターコマンダーはリーダーさんを一度も名前で呼びませんでしたし、リーダーさんも名乗りませんでしたから」

「うっわぁー…」

あたしはつい、そんな声を出してしまった。なんたることだ。
マスターコマンダーは名前で呼びたくない程、あの天使を恨んでいたというわけか。凄まじい。
インパルサーは苦笑する。

「何度か聞いてみようと思ったんですけど、聞く前に殴られちゃうんですよね」

「聞かれたくねぇんじゃねぇのか?」

リボルバーは何か面白そうに笑った。いや、それはちょっと違うと思うぞボルの助。
インパルサーはふと、ベッドの目覚まし時計を見、文字盤を指しながら時間を確かめる。

「さん、しー、ごー…もうすぐ六時ですね。お母様のお手伝いに行ってきます」

「いってらっしゃい。今日は何?」

「ハンバーグだそうです。それでは」

インパルサーは立ち上がり、敬礼した。
ドアを開けて体を屈めるようにして廊下へ出、とんとんとん、と軽く階段を下りていく。


部屋には、あたしとリボルバーが残された。結構おかしな取り合わせだ。
ボルの助はカーテンを銃身で少しめくり、外の暗さを確かめたが、すぐに引いた。横着なことを。
残念そうに背を丸め、腕を組む。

「あともうしばらくしねぇと、帰れねぇな…」

はぁ、とリボルバーは切なげに息を漏らした。

「早いところ、スズ姉さんに会いてぇなぁ…だーもうこんちきしょー」


ふと、あたしは思った。

「そういえば、ボルの助ってさ」

「んあ?」

「今更ながら思ったんだけど、鈴ちゃんのどういうところに惚れたの?」

リボルバーは面食らったように、口が半開きになる。
だがすぐに満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに頷く。どうやら、ずっと聞いて欲しかったらしい。
しばらく笑ってから、上目にあたしを覗き込んできた。

「聞きてぇか、ブルーコマンダー?」

「いや、それ程でも」

「なんでぇ」

ちっ、と舌打ちしながら彼は目を逸らした。言いたかったらしい。
相当聞いて欲しいのか、じいっとライムイエローの目がこちらを見ている。
仕方ないので、あたしは頷いた。

「んじゃ、聞いてあげるから」

「おう」

喜々としながら、リボルバーは語り始めた。
あの台風の日に、何があったのかと言うことを。




最初の目的地は、ここだった。ブルーコマンダーのライフスペースだな。
ソニックインパルサーのいる場所だし、どうせ行くなら真上から行った方が手っ取り早いと思ったからだ。
だがあの強烈な嵐のせいで着陸軌道やらコントロールやら色々ミスってな…、ってなんでそこで笑うんだよおい。
で、その後は知っての通り、スズ姉さんちに真っ逆さまだ。いやあ、あの時は焦った焦った。
どんどん地面が近付いてくるし、その下には住宅地だ。なんとも厄介だ、と思ったぜ。
普通はそこで地面に向けてフルパワーで撃つんだが、撃ったらみんな焼けちまうし、死んじまう。
そうなったら取り返しが付かねぇから、目一杯グラビトンコントロールに徹底したよ。これがまた、大変だったぜ。
インパルスの影響もあってハイパーアクセラレーターブースターが弱まってたから、余計にな。
なんとか落下速度を弱めて着地しようとしたんだが、その時にはもう遅かった。

目の前に、あの池だ。

雨で散々濡れたボディが突っ込むには、お誂え向きすぎた。
まず、水だろ。で、どろどろした植物に、べっちゃべちゃな泥。その順番で、頭から突っ込んじまった。
あ、また笑ったな。いちいち笑うんじゃねぇよ、ブルーコマンダー。ったくよう。
しばらくその泥の中にいたんだが、池の側に誰か来ちまったんだ。軽ーい足音が、急いでな。
このままいてもどうしようもねぇと思って頭出して、起き上がった。そしたら、そこに立ってたんだ。

忘れやしねぇよ、あの光景は。

雨のせいで、長い髪がぺったりしててな。スズ姉さんは、そのまま部屋から出てきたみてぇだった。
頼りないくらい細いボディを縮めて、ぎゅっと手ぇ握って、一見すると怯えたようにオレを見てたな。
じっと綺麗な目でこっちを見てて、だが、唇はくっと締められてた。怯えてるんじゃなくて、警戒してたんだ。
今までオレにそういう目を向けた女っつーか、ロボットもそうだが、あのリーダーの姉ちゃんだけだった。
だがスズ姉さんは、どっから見ても軍人とかじゃねぇ。普通の世界っつーか、社会に生きてる人だ。
それがすぐに解ったから、意外だったつーのもあるし、感心したし驚いた。
で、思ったんだ。
この人ぁ、すげぇ綺麗だ、ってな。
お、ここは笑わねぇな、ブルーコマンダー。おうよ、姉さんは誰よりも綺麗だ。うっつくしいわけさ。

ゆっくり近付いてきた姉さんが、まずオレに何をしたと思う。
叫ぶんでも、攻撃するでもなくて、心配そうに泥まみれのオレを覗き込んできたんだ。
白くて細い手ぇ伸ばして、言ったんだ。

「出られる?」


「おう」

オレはなんとも間の抜けた返事をして、池を出たわけだ。だがま、その手ぇ、掴むわけにはいかなかったけどな。
掴んだら姉さんまで池の中に落っこちちまうのが、目に見えていたからな。
当然だがよ、全身泥と植物と水だ。池から出た拍子にばっちゃばちゃ落ちて、スズ姉さんにも掛かっちまった。
姉さん、目の前に立ったオレを見上げて今度はなんて言ったと思う。
ちょっと身を引いて、呆れたみたいに笑ってよ。

「あんた、何してんの」

「落ちたんだよ」

なんて女だ、とか思いながら言い返しちまった。見りゃ解るだろうが、ってな。
スズ姉さんはオレを上から下までじっと眺めてから、恐る恐る訊いてきた。

「ねえ」

「あ?」

「ブルーソニックインパルサー、って知ってる?」

「ああ、オレはそいつを捜しにだな」

「良かった。そうじゃなかったら、どうしようかって思ってた。それなら、誰にも見つからない方がいいわね」

「どういうことだ?」

一瞬、訳が解らなかったが、あとで合点が行ったよ。
ブルーコマンダーとソニックインパルサーの話を、聞かされたからな。

姉さんはオレを手招きして、ちょいと離れた場所まで連れてってな、細いホースを引っ張り出した。
シャワーホース、つったっけか、とにかくそれで洗ってくれようとしたらしい。優しいんだ、姉さんは。
だがどうにも手に力が入らないらしくてな、水を出すために回すところ…ああ、ジャグチだ、そいつが回せない。
何度もやってるんだが、ダメなんだ。それ見て、オレは気付いたんだ。ああ、やっぱり怖ぇんじゃねぇか、って。
そのうち姉さん、情けなさそうに笑ってな、横目にオレを見上げるんだ。

「もうちょっと待って。ちゃんと洗うから」

「無理するんじゃねぇよ。オレが怖ぇんなら、それでいい。別に、そこまでされる義理はねぇし」


スズ姉さんは、俯いたまんま動かなくなった。
無理しやがって。
軍人でもねぇただの女が、キャノンを両肩にくっつけた野郎を相手にまともに相手出来るわけねぇんだ。
だが、相当に度胸の据わった女だ、っつーのはよく解った。解ったから、余計に残念だった。
見た目で解る程武装を固めたヒューマニックマシンソルジャーは、何をしなくとも恐れられちまうんだ、ってな。
多少なりとも期待してたから空しくてな、ついでに悲しかった。

兵器は兵器でしかねぇんだな、とか思えてよ。

そんなんで、姉さんに背中向けてぼんやりしてたら、いきなり後頭部に衝撃が来た。
振り返ると、今度は顔にだ。水をすげぇ勢いで掛けられて、泥がどんどん剥がれて足元に落ちていく。
水を防いでその先を見ると、恥ずかしそうにしながら姉さんがホースを向けてるんだ。
姉さんは水をオレの胸ん辺りに掛けながら、叫んだんだ。

「怖かったんじゃないから!」

なんか、いきなり怒ってるんだ。
さっきオレが言ったことが、どうにも癪に障ったみてぇでよ。
白い頬がほんの少し赤くて、それがまた、綺麗なんだ。

「ただちょっと、蛇口が固かっただけなんだから!」


スズ姉さんてよ。
綺麗なんだか可愛いんだか、弱いんだか強いんだか、なんだか良く解らねぇ人だよ。
だがよ、なんかすげぇ、守ってやりてぇとか一緒にいてぇとか、もっと近付いてみてぇとか思ったんだ。
で、それが何に当てはまるか考えて考えて、出てきた言葉があれだ。



「愛してる、ってのが?」

と、あたしは言った。だけど、リボルバーはその後に続けなかった。
深く頷いただけだ。解禁されたのは一回だから、それを忠実に守っているらしい。
照れくさそうに笑いながら、がしがしと後頭部を掻いている。

「おう。なんだか解らねぇけど、そう思うんだ」

「そっか。だからあの時、池に落ちたはずのボルの助が鈴ちゃんの部屋にいたんだ」

やっと合点が行った。きっと鈴音は、洗った後にもちゃんと拭いてやったんだろう。
あたしよりもずっと丁寧で、優しいなあ鈴ちゃん。パルを部屋から追い出した、あたしとは大違いだ。
リボルバーは散々話してすっきりしたのか、気分が良さそうだった。

「ま、そんなわけだ」

「あーもう、鈴ちゃん可愛いー!」

あたしはリボルバー相手に奮闘する鈴音の姿を想像し、悶えた。
ボルの助を警戒してみたり、怖がってみたりとか、凄く可愛い。可愛すぎるよ鈴ちゃん。
普段は落ち着いて大人びているから、それとのギャップがたまらない。くう。
リボルバーは、にやにやしていた。

「だぁろ? スズ姉さんは、最っ高の女性だ」

「うん、うん。ボルの助が惚れちゃうのも解る。ていうかあたしも惚れ直したよー」

あたしは、本気でそう思っていた。


あまりにも鈴音に悶えすぎていたため、ドアが開いたことに気付かなかった。
ふと影を感じたので顔を上げると、いつのまにか入ってきたインパルサーが、天井近くに浮かんでいる。
蛍光灯の逆光の中、レモンイエローのゴーグルが無表情にあたしを見つめていた。
ジーンズのエプロンが前に垂れていて、彼はそれをわざわざ膝に挟んで落ちないようにしていた。律義すぎる。

「由佳さん」

「…何?」

「そろそろバンゴハンですけど、お邪魔でしたか?」

と、パルはどこか嫌みがましい。
あたしは少し笑い、その膝に挟んであるエプロンを引っ張った。

「妬いたの?」

「てめぇも可愛いなぁ、ソニックインパルサー」

リボルバーは、エプロンを押さえているインパルサーを笑った。
パルはなんとかめくられないようにしながら、あたしの目の前に下りてきた。めくり損ねたか。

「何するんですか、もう」

「だってひらひらしてたんだもん」

そう笑いつつ、あたしはもう一度引っ張ってみた。もっと強く押さえられた。しぶとい。
インパルサーはエプロンを押さえたまま、ずいっと顔を寄せた。が、すぐに身を引く。
ゆっくりと下がって床に降り、びしっとあたしを指した。今度は何だ。

「由佳さん!」

「ん?」

「別に僕、なんとも思ってませんからね! さっきのやりとりだって、気にしてませんからね!」

と、絶対に気にしてるであろう口調で言い、インパルサーはばっとドアを開け、出て行ってしまった。
あたしはその姿がおかしく、おまけに微笑ましくてならなかった。パル、何をそんなにむきになっているんだ。
リボルバーはまたカーテンをめくって外を見、しばらく唸っていたが立ち上がった。

「ま、もういいだろ」

「帰るの?」

「おう。あんまり長居すると、ソニックインパルサーに何されるか解ったもんじゃねぇからな」

と、リボルバーが笑った。すると廊下から、なんですかもう、と文句が返ってきた。
階段を下りずに、二階にいたままだったらしい。なんたることだ。
窓とカーテンを開けてやると、リボルバーはするっと外に出、すぐに上昇して姿が見えなくなった。
あたしがそれを見送っていると、インパルサーが背後にやってきた。

「何、そんなに心配?」

「そんなんじゃないですよ」

ぷいっと、パルはそっぽを向く。
レモンイエローのゴーグルが、薄暗い中でぼんやりと光っている。
あたしは彼を見上げ、この間から気になっていることを尋ねてみた。

「ねぇ、パル」


彼が、こちらに振り向いた。
突然顎が冷たくなって、それが頬にも当たる。パルの手で、持ち上げられたらしい。
くいっと上向けられた目線の先に、パルの顔がある。身長差があるせいで、首筋が痛い。
しばらくそのままでいさせられたけど、手が放される。

何がしたいんだ。一体。
ちょっとだけ、本当にちょっとだけだけど。


期待しちゃったじゃないか。


さっきまで顎と頬を支えていた冷たい感触がなかなか取れず、つい擦ってしまう。
早いところ消えて欲しいと思いながら、もう一度インパルサーを見上げた。
花婿修行を望むくらい乙女チックに恋するロボットなのに、このきざったらしさはなんなんだ。
たまにこういうことをするから、侮れない。行動が一貫してるんだかしてないんだか、よく解らない。
インパルサーはくるりとあたしに背を向けて、照れくさそうに頬を掻いている。

「それから先は、知りませんから。いえ、知っていても、やりませんから」


なんだ。結局パルは、知っているんじゃないか。

この分だと、きっと、この間あたしからパルにしたことも知っている。
言わないだけだ。聞かないで、と命令したから追求してこないだけなんだ。
なんか、凄く悔しい。パルに、いいように振り回されているような気になってきたからだ。
パルはあたしに背を向けたまま、俯いた。あたしも、彼に背を向ける。

今は、顔を合わせたくない。


「お返しです」

かしん、と頬を掻く音が止まる。

「僕のエプロン、めくろうとしたからですよ」


なんだそりゃ。また随分と無茶苦茶で、無理矢理な理由付けだ。
ということは、全部めくったら最後まで行く、ということになるのか。いや、実行しないけど。
あたしは自分の手を見つつ、言い返す。

「そんくらいのことで、あれなの?」

「はい」

ぎしり、と一度彼は頷く。

「だってエプロン、大事ですから。由佳さんが僕にくれたものですから」


大事にし過ぎだ。
エプロンてのはそりゃめくるもんじゃないけど、それにしたって。
なんだろう、あたし。
何をここまで、いちいちパルのことを意識しているんだろう。
ただちょっと抱き締められただけだし、この間のあれは、あたしからやっちゃっただけだし。

なのに。

なんだ、これ。
胸の中って、こんなに熱くなるんだ。
こんなに、痛くなるもんなんだ。
知らなかった。


だけど。

認めたくなんてない。


冷たくて、固くて、やっぱりどこか温かい。
そんな複雑な感触が背中にあって、肩にも回る。
こん、と後頭部にインパルサーの胸板が当たったのが解った。
これで、三度目だ。
あたしは、彼の腕の中にすっぽり収まっていた。まるであつらえたみたいに、ぴったり丁度良い。
背中を伝わって、パルの声が聞こえてくる。

「すいませんでした」


「もう、いいよ」

それしか、答えられなかった。


ゆっくりと肩に当てられた手が外され、解放された。彼の胸も、外れる。
振り返ると、インパルサーは今度こそ廊下に出ていた。
気恥ずかしげに視線を逸らしながら、部屋に半分頭を突っ込んでいる。

「もうユウゴハンですから」


「もうちょっとしたら、行くから」

「はい」

インパルサーは敬礼してからドアを閉め、とんとんと階段を下りていった。
あたしは開け放したままの窓を閉めて、代わりにレースカーテンを引いた。すっかり、外は夜だ。
レースカーテン越しに見える夜空には、細くなってきた月の姿が見える。青白く、煌々と眩しい。
本当に、あたしは一体どうしたというんだろう。
考えても考えても結論なんて出なくて、逆にぐるぐるしてしまう。落ち着かない。
さっき持ち上げられた頬の感触が、まだ残っていた。触ってみると、ちょっと熱い気がする。
胸の中は、まだ落ち着かない。
いや、もっとひどいことになっている。

苦しいくらいだ。



今夜は、眠れそうにない。







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