Metallic Guy




第十三話 二学期、到来



西日に照らされた教室は、窓の周辺以外は薄暗い。
グラウンドからは運動部の掛け声が聞こえ、練習に励んでいるようだった。
大半の生徒達が校舎から出てしまったため、昼間の喧噪が消え去り、妙な静けさがある。
あたしはこういう空気が結構好きだったりするが、それと同時にどこか怖かったりもする。


「センセイ、さようなら」

律義に頭を下げ、インパルサーは小学生のようなことを言った。
教卓に立つ坂下先生は集めたプリント類をまとめながら、少し笑う。

「はい、さようなら」

「それ、昨日涼平がクー子に教えてたことでしょ。パルは別にやらなくてもいいじゃない」

と、あたしが言うと、インパルサーは顔を上げた。
首を横に振り、通学カバンを握っている方の手をがしりと突き上げた。

「いえ! こういうことは、きっちりしておくべきだと思うんです」

「そりゃそうだがよ…」

廊下に出ているリボルバーが、開け放した扉から顔を覗かせた。その横で、鈴音があたしへ顔を向けた。
あたしは水泳道具の入ったスポーツバッグを担ぎ、とりあえず教室から出た。残りは、あたし達だけだった。
廊下の窓から見下ろす校門周辺は、部活がないせいで生徒が多く、騒がしい。
やっと教室から出てきたインパルサーは扉を閉め、廊下を歩き出した。がしゃんがしゃんと足音がうるさい。
階段を下りながら、リボルバーは背を丸めている。肩の弾倉が、引っかかりそうだからだ。
昇降口へ出ると、マリーが待っていた。その周囲には、女子達が集まっている。
取り巻いている女子達へマリーは断ってから、あたし達へ近付いてきた。あたし達の後ろを見、頬を押さえる。

「葵さん、いらっしゃいませんの?」

「葵ちゃんは練習。グラウンドに行けばまだいると思うけど、まだ部活時間終わってないし」

髪を掻き上げながら、鈴音はグラウンド側へ向いた。マリーの指示通り、敬語ではない。
あたしも出来るだけ努力しようと思いながら、こちらを見上げる天使を見下ろす。

「なんか用事でも?」

「用事、と言いますか。彼の操縦センスはなかなかのものですし、昨日はとうとうアドバンサーを走らせましたの」

「それは凄いですね」

素直にインパルサーが感心する。うん、これはあたしも凄いと思うぞ。
マリーは通学カバンを探って、あの腕時計じみたコントローラーを取り出した。クロムメッキというか、黒っぽい色だ。
丸みのある文字盤部分が、つやりと西日を跳ねて眩しい。表示されているのは、現在の時刻だ。

「ですから、言語表記を日本語に改良したものをお渡ししようと思ったのですけど、休み時間に会えませんでしたの」

「マリーさん、昼休みは教室にいなかったっけ? 神田君もいたと思うのに」

そうあたしが訝しむと、マリーは背後で待ちかまえる女子達を横目に見た。

「あの方々が、なかなか解放してくれませんでしたの。いいですわ、これは後日葵さんにお渡ししますわ」

マリーは軽く会釈し、小走りに人の輪に入っていく。美少女も大変そうだ。
騒がしく喋り合いながら出て行く彼女らを見送りつつ、ふと、隣のインパルサーを見上げた。
リボルバーと彼は揃って落ち着きなく、早いところ帰りたさそうにしている。その理由は、明白だ。

「パル、そんなにクー子が心配?」

あたしが尋ねると、二人は同じ動きで頷いた。唐突に、パルはひょいっとあたしを抱え上げた。
じゃきんと背中の翼を伸ばしたインパルサーの肩を押さえて、飛び立たないようにさせる。

「飛んじゃダメ。飛んで帰ると、あたしも鈴ちゃんもスカートん中丸見えでしょうが」

「本当に、本当に飛んじゃいけねぇのかよ」

と、多少不満げにリボルバーが鈴音を見下ろす。鈴音は腕を組み、顔を背ける。

「ボルの助。あんた、私にパンツを晒せと言いたいの?」

「そいつぁ…」

唸りながら、リボルバーは顎に手を添える。そのまま俯き、ゆっくり息を漏らす。
インパルサーは渋々あたしを下ろしたが、本気で飛んで帰るつもりだったらしく、残念そうにしている。
その間に、鈴音はさっさと昇降口へ向かっていった。長い髪がさらりと揺れ、背中に広がった。
あたしが付いていこうとする前に、ロボット二人はやけに急いで鈴音を追い越し、さっさと昇降口を出てしまった。
下駄箱を開けた鈴音はローファーに履き替えながら、呆れたように外で待つ二人を眺めた。

「全く…あんまり過保護にするのは、良くないんじゃない?」

「保護はしねぇよ。保護してやるほど、ヘビークラッシャーは弱くねぇ」

と、リボルバーが真剣な顔付きで鈴音を見下ろす。

「だがな、心配で仕方ねぇんだ。あいつぁやることなすこと危なっかしくて、見てらんねぇからな」

「やけに凛々しいわねぇ、ボルの助」

とんとん、とつま先をコンクリートに当てながら、鈴音は顔を上げた。その言葉にリボルバーは詰まる。
確かに鈴ちゃんの言う通り、昼休みの時といい今といい、今日はやたらに兄らしい。下がいるからか。
彼は褒められたと取ったのか、やりづらそうに、だが嬉しそうに表情を緩めた。

「…そうか?」

「いっつもそうだったら、私はどれだけ楽だったことか。今朝だって、何度もカバンの中身ひっくり返してたし」

「あ、ありゃあ姉さんが確かめろって」

「一度で良いのよ、あんなこと。それを二度も三度も四度もやられたら、騒がしくってありゃしない」

そう言いながら、鈴音はリボルバーを追い越した。校門に向かうその背を、慌ててリボルバーが追っていく。
何やら言い訳をしているらしいが、鈴音はそれを聞かずに行ってしまう。彼は一度振り返り、片手を挙げる。
お願いだから待ってくれよスズ姉さん、と悲劇的なボルの助の叫びが遠ざかっていった。
隣で、インパルサーが軽く手を振っていた。あたしも同じようにした。




うちに帰ると、当然ながら涼平とクラッシャーが先に帰っていた。
リビングのフローリングに、ぺたんとクラッシャーが座っていた。やっぱり、ソファーには座らない。
その腕には、あのうさぎが抱かれている。欲しそうにしていたので、あげたのだ。
ほにゃほにゃした白い耳をいじりながら、クラッシャーは楽しげに小学校のことを報告する。

「わかんないことの方が多いんだけどね、でも、すっごく楽しいの」

「だけどクー子、なんで跳び箱飛べないんだよ。あれくらい、出来るだろ」

ゲームをしていた手を止め、涼平が振り返った。クー子はむくれる。

「だって涼平がブースター使うなって命令するから!」

「使うとすぐに天井に突っ込むだろうが!」

と、すかさず涼平が言い返す。クー子はぷっと頬を膨らませた。

「コウシャの中、狭いんだもん」


「それで、お友達は出来たんですか?」

リビングテーブルで国語の教科書を読んでいたインパルサーが顔を上げ、尋ねた。
クラッシャーは頷き、満面の笑みを浮かべる。本当に嬉しそうだ。

「うん。さっちゃん」

「まーさかクー子が神田と仲良くなるとは、意外だったよ」

「神田って」

あたしは、あの神田で葵ちゃんしか思い浮かばなかった。とすると、妹か。
涼平はゲームを進行しつつ、頷く。

「神田さゆり。兄貴がいるって言ってたから、きっと妹だよ。全然似てないけどね」

「うん、似てない」

ぎゅっとうさぎを抱き締め、クラッシャーはソファーに座るあたしを見上げた。

「似てないけど、葵ちゃんと一緒でマシンは好きみたいだよ。今度、兄さん達に会いたいって」

「僕も是非、そのさゆりさんに会ってみたいです」

インパルサーは手を伸ばし、軽くうさぎを撫でる。長い耳が、ふわふわ揺れた。
クラッシャーはうさぎの丸い前足を指先で掴み、ぱたぱたと上下させる。

「私もさっちゃんと兄さん達とで遊びたいなー。でもそうすると、メガブラストはお留守番だね」

「…メガ、ブラスト?」

呆気に取られたように、インパルサーが呟いた。
ゲーム機のコントローラーを下ろした涼平は振り返り、変な顔をする。

「そのうさぎの名前だよ。クー子のネーミングセンスって、すっげぇ変だよ」

「変じゃないよー。この子はメガブラスト! って感じの子だもん」

やけに元気良く、クラッシャーはうさぎの両手を振り上げさせる。そうか、お前の名はメガブラストか。
黒く丸いボタンの目に、小さな鼻と口が刺繍された、ころんとした体型の白いうさぎの名前にしては仰々しい。
どの辺りがメガでどの辺りがブラストなのか、あたしにはさっぱりだった。パルもそうらしい。
うさぎの耳をつまんで広げながら、インパルサーは首をかしげた。

「ですが、この形状の有機生命体はウサギというのではないですか?」

「うさぎさんはうさぎさん。だけどこの子はメガブラストなの」

放さないように胴を抱き締めながら、クラッシャーは上目にインパルサーを睨む。
インパルサーにメガブラストを取られまいとするためか、抱えたままぷいっと体を背ける。
その様子にインパルサーは困ったようにあたしを見上げたが、あたしは肩を竦めるしかない。

「メガブラストはメガブラストなんだから、仕方ないんじゃないの?」

「おねーさんは解ってるう」

ぱあっと表情を明るくし、クラッシャーはメガブラストを撫でた。
涼平は解りかねる、と言いたげな目をあたしに向けた。今更何を。
インパルサーは腕を組むと、唸り始めた。妹のネーミングセンスが、まだ理解出来ていないようだ。
あたしも理解は出来ない。これ以上、突っ込む気が起きなかっただけだ。
突っ込みどころがありすぎて。




外は、すっかり暗くなっていた。青白い月明かりが、家並みを照らしていた。
あたしは机に座っていたが、後ろでインパルサーが顔を上げたのに気付き、振り返る。
するとその視線の先の窓には、ぺったりと。

イレイザーが張り付いていた。

あたしは心の準備が出来ていなかったせいで、椅子から落ちかけた。が、なんとか堪える。
何も言わずに立ち上がったインパルサーは、しゃっとレースカーテンを開けた。紫のボディがはっきり見える。
パルが窓を開けると、軽い動きで彼は屋根に移った。かとん、と雨どいに片手を掛けたイレイザーは俯く。
インパルサーはやれやれ、と首を横に振り、腰に両手を当てた。

「なんでここから来るんですか? きちんと玄関から入ってきて下さい」

「びっくりするじゃんか」

あたしは立ち上がり、屋根にぶら下がったままのイレイザーを見下ろす。
彼は少し顔を上げたが、またすぐに逸らした。いや、目ぐらい合わせなさいよ。
赤いゴーグル状の目がぼんやり光っていて、薄暗い中では目立っている。

「…ブルー、コマンダー」

「あんたもそれかい。あたしがそう呼ばれるのは、ボルの助だけで充分だよ」

「いや、だが…」

言葉に詰まりながら、イレイザーは徐々に身を引いてしまう。落ちるぞ。
とうとう手を放し、空中に浮かんで四メートル程間を開き、あたしから目を逸らした。
背中を向けて飛んでいこうとするイレイザーを、一瞬でインパルサーは捕まえた。やっぱり速い。
片腕で首根っこを押さえられながら部屋に引きずり込まれたイレイザーは、パルが窓を閉めたあとに解放された。
下ろされた途端に後退り、カーテンの前で止まってしまった。ああ、めちゃめちゃ情けない。
あたしが試しに近付いてみると、がくがく震えて首を振り、ずりずり足を擦って避けてしまう。
イレイザーは肩を震わせながら、恐る恐るあたしを見下ろしたが、またすぐに目を逸らす。

「…おっ、お願いでござるから」

「近付くなと?」

すぐさま、イレイザーは頷く。
あたしは更に近寄ってみると、イレイザーは壁伝いに避けていったが、タンスの前で止まった。
大きく肩を上下させながら、首を振る。ゴーグルの色を弱めながら、震えた声を出す。

「せっ、せっしゃ、その、あの、じょっ、じょせいは」

「じゃあなんでわざわざあたしの部屋に来るの。そりゃパルがいるけどさぁ」

「あっ、兄者ー!」

突然駆け出し、イレイザーはくるっとインパルサーの背に隠れた。なりがでかいから、隠れたことにならない。
インパルサーは翼を掴まれた状態のまま、頬を掻いた。後ろを見、震える弟に尋ねる。

「ヘビークラッシャーのことですか?」

「…いかにも」

インパルサーの陰に隠れたからか、いくらか落ち着いた声が返ってきた。でも上擦っている。
何度か深呼吸のあと、イレイザーは横顔だけあたしに向ける。なかなかカッコ良い。
が、すぐに目を逸らし、肩をいからせながら背を向けてしまった。根性がない。
あたしはインパルサー越しにイレイザーを覗くが、彼は一向に目を合わせようとしない。

「クー子だったら大丈夫よ。涼平がきちんとコマンダーしてるみたいだし、そんなに心配しなくても」

「…それくらい、承知してござる。だが」

ぎりぎりと握り締めた拳を振り上げ、イレイザーは叫んだ。

「我らがヘビークラッシャーが、あの小童にたぶらかされてはいやしないかと思うと!」



「誰がだぁ!」

ばん、と勢い良くドアが開かれた。
涼平が腹立たしげに、イレイザーを睨んでいた。その後ろで、クー子がきょとんとしている。
うさぎのメガブラストを抱えたまま、彼女は兄とコマンダーを見比べる。
やたらに力強く歩いてきた涼平は、インパルサーに押さえられて逃げ損なっているイレイザーを見上げた。
そして思い切り手を振り上げ、びしっと指した。

「大体なぁ! 昼休みとか休み時間とかいちいち窓の外に来るんじゃねぇよ!」

「…気付かれて、いたか」

「ったりまえだぁ! 光学迷彩使ったってな、影は出来るんだよ、影は!」

よっぽど溜まっていたのか、涼平は口調が荒い。その後ろで、クラッシャーはこくんと頷く。
イレイザーは自分の手と涼平を見比べ、そしてクラッシャーを見、また声を上げる。

「おぬしには解らぬのか、拙者はただヘビークラッシャーを案じてだなぁ!」

「案じてんだったら、余計に来なくていい! それに、クー子のコマンダーはオレだ!」

力一杯、涼平は声を張り上げた。

「イレイザーはオレがコマンダーなのが、そんなに気にいらねぇのかよ!」


こっくりと、イレイザーは頷いた。

「いかにも」


そこで肯定するんかい。あたしはそのシスコンぶりに、脱力した。
思わず身を引いたインパルサーがあたしに振り返り、肩を竦めた。色んな意味で不安になったらしい。
クー子はそうでもないようで、対峙するコマンダーと四男を見比べている。結構余裕だ。
涼平は思い切り嫌そうな顔をして、あたしへ目を向けた。なんであたしなんだ。

「…姉ちゃん、こいつ」

「シスコン忍者」

「メカニズムもアーマーもないね、おねーさん」

と、クラッシャーはあたしの言葉に笑った。意味としては、身も蓋もない、だろうか。
インパルサーは立ち尽くしているイレイザーの肩に手を当て、振り向かせる。
彼は四男の鼻先を指さし、声を上げた。

「物事には限度ってものがあるんですからね!」

「心得ているでござる」

「…どこがですか」

呆れ果てたのか、インパルサーはげんなりと肩を落とした。
そしてあたしへ振り向き、はぁ、と大きくため息を吐く。本当に、いつか胃に穴が開くかもね。胃があれば。

「シャドウイレイザーにも、コマンダーは必要のようですね」

「だねぇ」

あたしは頷く。ていうか、いなきゃダメだよシスコン忍者。
イレイザーはそうは思っていなかったようで、腕を組んで首を捻る。

「拙者に必要でござるか? コマンダーが」

「どう見たって必要でしょ」

あたしが言うと、そうは思えぬが、と腑に落ちない様子でイレイザーが呟く。それはあんただけだ、イレイザー。
考えてみると、ディフェンサーって結構常識的なのかもしれない。割に社交的だし、物分かりも悪くないし。
リボルバーは直情的だけど問題なのはそこだけで、イレイザーほど凄まじくはない。クー子はいい子だし。
パルは今更言うまでもない。
もしかして、いやもしかしなくとも。ロボット兄弟で一番問題的なのは。


シスコン忍者、パープルシャドウイレイザーだ。


「由佳さん」

力なく、インパルサーが呟いた。

「ご迷惑、お掛けします」

「ううん」

あたしは首を横に振る。

「一番迷惑被るのは、イレイザーのコマンダーになる人間だと思うよ」

「…それもそうですね」

かしんかしんと軽く頬を掻きながら、インパルサーはゴーグル越しに不安げな眼差しを弟に向けていた。
イレイザーがまた涼平に突っ掛かったので、涼平はそれに必死に応戦している。これはこれで長引きそうだ。
外に車が止まる音がし、ドアが開く音が廊下伝いに聞こえてきた。クー子はそれに気付き、行ってしまった。
おかーさんお帰りなさーい、と明るい声が響き、母さんがただいま、と返している。
インパルサーはエプロンを手にし、言い争い続ける二人の隣を、ぐったりしたように歩いていった。
頑張れ、涼平。クー子の明るい未来と将来は、あんたに掛かっている。たぶん。




翌朝。
今日もすかっと天気が良く、薄い雲の隙間から柔らかな朝日が地上に降りている。清々しい。
でも、目の前の光景はあまり清々しいとは言い難かった。
逃げられないように首根っこを掴まれたイレイザーが、インパルサーに引き摺られているのだ。
かかとをがりがりとアスファルトに擦りながら、イレイザーは腕を組んでいた。不機嫌そうに口元を曲げている。
ちりちりとマウンテンバイクを押しながら、神田は変な顔をした。

「それ、何?」

神田の後ろから、黒髪ツインテールの少女が顔を出した。胸元の名札からして、この子が神田さゆりのようだ。
大きな目の可愛い子だけど、確かに涼平とクー子の言う通り、神田とはあまり似ていない。
その上から、クラッシャーがさゆりを覗き込んだ。胸に前に抱えた赤いランドセルを落とさないように、両手で持つ。

「パープルシャドウイレイザー兄さんだよ」

「クー子ちゃんの兄さん?」

「うん、そうだよさっちゃん」

クラッシャーは頷き、するりと降りて涼平の手前を進む。なんで前に出るんだよ、とか涼平が言っている。
あたしはケンカになりそうでならない二人から目を外し、インパルサーの後ろを見下ろした。
イレイザーは相当不満げに表情を歪めてはいたが、パルの手から脱しようとはしない。いや、出来ないのだ。
首元のアーマーを強く握られていて、ちょっとやそっとでは外れそうにない。結構辛そうだ。
がりがりと金属がアスファルトに擦れる音が響き、うるさい。インパルサーは力を入れ、大股に歩いている。

「いいですか、シャドウイレイザー!」

インパルサーの口調は、やけに強かった。

「僕達が行くのは、コウコウです。今度ショウガッコウに行ったりしたら、関節にカレー入れちゃいますからね!」

「…兄者、それは、一体?」

「なんでもいいんです。とにかく、承知しません、てことです」

珍しく、インパルサーは憤っていた。そりゃそうだろう。シスコンもあそこまで行くと、尋常じゃないから。
イレイザーを引き摺ったまま、横断歩道の前に付いた。ここを渡って右に行けば高校に、左に行けば小学校だ。
信号が変わるまでの間、立ち止まる。ふと、さゆりが身を屈めてインパルサーの後ろを見る。
さゆりはツインテールを揺らして、興味深そうにイレイザーを覗き込むが、イレイザーはすぐに顔を逸らした。
それでもじっと眺めていたさゆりは、呟いた。

「あんたの負け」

「…は?」

面食らったように、イレイザーが振り向いた。予想外の言葉だったからだろう。
さゆりは表情を変えず、淡々と続ける。少しだけ、唇の端が上向く。

「目を逸らしたから、あんたの負け。私の勝ち」

いきなり掴み所のないことを言う子だ。あたしは一瞬、何が何だかよく解らなかった。
さゆりはくっと口の端を戻して、また無表情に近い状態に戻る。将来美人になる部類の顔立ちだ。
神田はマウンテンバイクのハンドルに体をもたせかけながら、眠そうに車の通りすぎる道路を眺める。

「ネコじゃないんだから…」

「拙者は、おぬしに負けたのか?」

イレイザーが不思議そうに尋ねると、さゆりは呟く。

「負け」


車が更に数台通り、ごわっと排気混じりの強い風が吹き付けた。
スカートがめくれそうになったので、それを押さえる。さゆりのツインテールが、ばさりと広がる。
少し上でふよふよ浮かんでいるクラッシャーは、何台も続いて通るトラックを眺めていた。
さゆりがまたイレイザーを見上げると、イレイザーはまたすぐに目を逸らす。本当に根性がないぞ、四男。
彼女はじっと赤いゴーグルフェイスの横顔を見つめていたが、不意に呟いた。



「いっちゃん」



「イレイザーだから、いっちゃん」

真っ直ぐにイレイザーを指し、さゆりはまた少しだけ笑った。
イレイザーはぎょっとしたように、目があれば見開いているであろう表情になった。
動こうとする弟を押さえながら、インパルサーはさゆりへ顔を向けた。

「あの、そうすると、あなたはシャドウイレイザーの」

「いっちゃんはいっちゃん」

それだけ言い、さゆりは横断歩道へ向き直った。
赤が消え、青が灯る。車の止まった道路をとんとんと歩いていき、その後ろにクラッシャーが続く。
涼平は何か言いたげな顔をしていたが、慌てて二人を追っていった。
あたしは呆然としながら、ツインテールを揺らす赤いランドセルの後ろ姿を見つめた。
インパルサーはイレイザーの首根っこから手を放し、彼を解放した。イレイザーは前のめりになるが、立つ。
突っ立ってから、あたしと同じようにぼんやりとさゆりを眺め、呟いた。

「いっちゃん…?」

「ということは、そういうことですね」

と、インパルサーは、少し困ったような口調になる。

「シャドウイレイザーがショウガッコウへ行く名目、出来ちゃいましたね」


信号の青が点滅し、赤くなってしまった。
また車が通り始め、向こう側の歩道が見え隠れする。
イレイザーは半開きになっていた口をやっと締めて、事態を理解したらしい。

「コマンダー認証…完了、してしまった」

「つーことは何か、オレんちに来るのか、イレイザーが」

げんなりした様子で、神田が項垂れた。うん、そうなると思うよ葵ちゃん。
イレイザーはすぐにぱっと表情を明るくさせてさゆりを追おうとしたが、その肩をインパルサーが掴む。
ぐいっと引き寄せて信号機の下に追いやってから、語気を強める。

「ダメです! まださゆりさんは、あなたに命令を下してはいませんからね!」

「だがしかし、兄者。部下たるもの、上官のお側におらぬと…」

「それはそれ、これはこれです。さゆりさんの命令がない限り、あなたはショウガッコウに行っちゃダメですからね」

インパルサーは胸を張り、ずいっと迫った。イレイザーは言い返せず、少し唸る。
信号はまた青になり、車が止まる。あたしはこれ以上遅れてはいけないと思い、歩き出した。
神田はイレイザーが自宅に来た光景を思い浮かべているのか、苦笑いしている。
あたしはまだ引き摺られているイレイザーと、それを引っ張って先頭を行くインパルサーの後ろ姿を見上げた。
気が立っているためか、背中の青い翼がぐいっと上向いている。鋭い先端がきらりと輝いて、眩しい。
まさか、こうなってしまうとは。予想外の事態だ。
マリーさんに報告したら、どんな顔をされるやら。でもその前に、パルはまた蹴られるのかもしれない。
なんにせよ、大変なことになったのは確かだ。

一番の問題ロボット、イレイザーのコマンダーが小学生なのだから。


「先が思いやられるなぁ」

思わず、あたしはそう声に出してしまった。
マウンテンバイクを押しながら、神田は深くため息を吐いた。

「全くだよ」



怒濤の二学期は、始まったばかりだ。
予想通りの、いや、それ以上の出来事もまだ始まったばかりだ。

本当に大変なのは、これからだ。







04 5/7