「リボルバーの兄貴」 ディフェンサーはマリンブルーの目を伏せ、頬杖を付いていた。 「あんた、馬鹿だろ?」 屋上のフェンスの上に座るディフェンサーを、手前に胡座で座るリボルバーは見上げた。 これで何度目だよ、とかぼやいている。朝の愛してる宣言から、何度となく色んな人に言われているのだ。 午前中の授業を終えたことですっかり気力が果てたのか、俯いたまま鈴音は動かない。 膝の上に置いた空のお弁当箱を閉じてから、律子は心配げに屈んだ。 「大丈夫、高宮さん?」 「ぎりぎり」 消え入りそうな声で呟き、鈴音は少しだけ顔を上げた。長い髪が顔全体を覆っていて、まるでリングの貞子だ。 ざらりと流れた黒髪の間からリボルバーを見たが、またすぐに目を逸らしてしまった。見るのも嫌なのか。 あたしは可愛らしい小さなおにぎりを食べてしまってから、リボルバーの上に立つインパルサーを見上げた。 パルはリボルバーの両肩の上に仁王立ちしていて、動かさないようにしている。 リボルバーは、自分の上で腕を組んでふんぞり返る弟を見上げる。 「降りろよ。じゃねぇと、放り投げるぞ」 「ダメです」 と、インパルサーは首を横に振る。昼休みぐらいは、鈴音に平穏を与えたいらしい。 フェンスの上から飛び降りたディフェンサーはちらりと律子を見たが、すぐに兄達へ向き直る。 大きな手を腰に当て、じっと長兄を見下ろす。 「つーかさぁ…兄貴、あんまり強引なのも良くねぇんだぞ?」 「強引とかそういうんじゃねぇ。ただオレはエモーショナルの示すまま、素直にだな」 「それが強引なんですよ、全く。物事には、限度ってものがあるでしょう!」 強く言い、インパルサーはぎしりと強く兄を踏んだ。意地でも動かさないようだ。 鈴音は項垂れたまま、動こうともしない。三回もキスされて、更に愛してると宣言されたら当然だろう。 あまりにも普段と違うその様子に、律子は困ったように目を伏せ、呟く。 「リボルバー君の声、校舎中に響いちゃってたしね…。あれ、先生達にも聞こえちゃったみたいだし」 「…帰りたい」 力なく、鈴音は洩らした。あんまり無理しないでね、鈴ちゃん。 その様子に、さすがに悪いとは思ってきたのかリボルバーは苦々しげに笑ったが、何も言わなかった。 言ったことを取り消す気もないし、後悔もしていないのだろう。男らしい。 リボルバーは片目を被っていたゴーグルを多少擦り、そしてまじまじと鈴音を眺める。 「スズ姉さん」 「何よ」 力の抜け切った鈴音の声に、リボルバーは返した。 「これでオレの気は済んだ。だから後は、姉さんの好きにして構わねぇぞ。ばらそうが、潰そうが、溶かそうがな」 思い掛けない言葉だ。 あれだけ鈴音の気持ちを無視したから、最終的な判断は鈴ちゃんに任せる、ということか。 鈴音もこれは予想外だったのか、顔を上げる。 リボルバーは頷き、にいっと笑った。 「オレは姉さんの忠実なる部下だ。いかなる処罰も受ける覚悟で、行動したに決まってんだろ」 「馬鹿」 それだけ言い、鈴音はゆらりと立ち上がる。 引き摺るように階段へ向かい、出て行ってしまった。 インパルサーはそれを止めようと思ったが、リボルバーの上から動けないのでそのままだった。 リボルバーはうんうんと頷き、腕を組む。長い銃身が、ざりっとコンクリートを擦る。 律子は、リボルバーを見下ろす。 「あの」 「ん?」 「追いかけなくて、いいの?」 「ああ」 リボルバーは頷き、律子を見上げた。 「上官侮辱は、さすがにこれ以上やる気は起きねぇからな」 「上官とか部下とか、なんか、軍隊みたいだね」 と、不思議そうに律子は首をかしげた。 あたしは答えに詰まってしまったが、なんとか嘘を捻り出す。ああ、こういうの苦手だ。 「えと、上下関係がしっかりしてた方が色々とやりやすいからって、マリーさんが、その」 「それじゃ、マリーさんが総司令官ってとこ?」 「うん、まあ」 「そっか」 納得したように、律子は頷いた。また、良心が痛む。 横目にインパルサーを見上げると、彼は真実を言いたそうにしていた。あたしも言いたい。 だけど言ってしまったら、今までのマリーさんの苦労が無駄になってしまう。 そうなってしまったら、それこそ取り返しの付かないことになるかもしれないから。 恐れられるだけで済んだらまだいいのだけど、侵略者とかいう認識をされてしまうかもしれない。 それが一番怖いのだ。一度敵だと思われたら、その警戒心は簡単には抜けないから。 なんとなく会話が途切れてしまい、妙な間が続いた。 しばらくすると予鈴が鳴り、昼休みは終わってしまった。早い。 結局、鈴音はお昼を食べることもしないまま、屋上にも戻ってこなかった。 本当に無理だけはしないでね、鈴ちゃん。 授業が終わり、下校時間になった。 あたしが昇降口からパルと一緒に出ると、夕陽に照らされた校門の手前に鈴音が立っていた。 その隣で座り込むリボルバーは、複雑そうな表情をしている。何があったんだ。 鈴音はあたしに気付くと、顔を上げた。あたしは彼女に近付き、ボルの助と見比べる。 「鈴ちゃん」 「ここじゃなんだから、とりあえず土手行かない? 途中で何か食べたいし」 「あ、うん」 あたしは頷く。あたしの隣でインパルサーは首をかしげた。 「まだ変ですね」 「うん。だけど、この間の妙に大人しいのよりかは良くない?」 「それもそうですね」 と、インパルサーは頷き、歩き出した。あたしはそれを追う。 オレンジ色に染まった道路を歩く鈴音の背には、さらりと長い黒髪が揺れていた。 すっかり鈴音は元に戻っていて、冷静な雰囲気が漂っている。感情的じゃなくなったし、上の空でもない。 うん、これでこそ鈴ちゃんだ。 あたしは鈴音に追いついて歩きながら、なんとなく嬉しくなっていた。 土手に行く途中で買ったメロンパンが、実においしかった。 外はカリッと、中はふわっと。焼き立てだから、余計に。 それをもくもくと食べていると、隣で鈴音はあっさりと二個平らげていた。お昼の分を取り戻しているらしい。 土手に座ると見下ろせるだだっ広い河川敷には、イヌを散歩する人が何人も見えた。そういう時間帯のようだ。 鈴音は締めに缶のレモンティーを飲み、ふう、と息を吐いた。落ち着いたようだ。 「お昼食べ損なうのって、きっついわねぇ」 「ボルの助のせいだよ」 と、あたしが言うと、手前の草の上に座っているリボルバーは苦笑した。 「ああ。そのようだな」 「由佳さん。メロンパンて、おいしいんですか?」 物珍しそうに、背後に立つインパルサーはあたしの手元を覗き込む。 あたしは、半分になったメロンパンを口元から離す。 「うん。作りたいの?」 「ええ。見ていると面白そうなので」 「楽しみにしてるよー」 「了解しました」 インパルサーが敬礼したため、長く伸びた彼の影も敬礼した。 河原を滑ってきた風が、少しひんやりして肌寒い。そろそろ、本格的に秋になる。 鈴音は残りのレモンティーを飲み干すと、かん、と強めにアスファルトに下ろした。 「根性なしめ」 「誰が?」 あたしが尋ねると、代わりにリボルバーが答えた。 「杉山の先輩さ」 「ほい。第二弾」 と、鈴音は胸ポケットからあの淡いブルーの封筒を取り出した。前回と同じく、鈴ちゃんの名前が書いてある。 あたしはそれを受け取り、広げた。すると、あの角張った文字が便箋の中央に少しだけ書かれていた。 屈み込んであたしの手元を覗いたインパルサーが、それを読み上げる。 「先日の手紙は、なかったことにして下さい…?」 「え、これどういうこと?」 訳が解らない。あたしはその手紙と、鈴音を交互に見た。 鈴音は細身のアルミ缶を握り、ぐしゃりと歪めた。磨かれた長い爪が、ひしゃげた金属に埋まる。 「見ての通り。ボルの助の愛してる聞いて、ビビッたんじゃないのー?」 「それ、ダメじゃん」 「マジでダメだよ、そういうの。勝手に盛り上がって、勝手に決着付けるなっつの!」 ばぎゃん、と歪んだアルミ缶がアスファルトに叩き付けられた。鈴ちゃんは、まだ怒っている。 細い眉を顰めて頬を紅潮させながら、その缶を握る。痛そうだ。 「大体ね、ボルの助は後輩よ。たかが後輩の告白に、ビビッて取り消すなんて情けないどころじゃないわよ!」 「予想外の展開だね…」 と、あたしが思わず呟くと、インパルサーはあたしの隣に座ってから頷いた。 「ですね。てっきり、フレイムリボルバーが杉山先輩を体育館裏に呼び出して、という展開かと思っていましたから」 「なんだそりゃ」 解りかねるのか、リボルバーは変な顔をした。よくある青春ドラマの展開だけど、彼はそれを知らないのだろう。 あたしは四分の一になったメロンパンを食べつつ、リボルバーに尋ねる。 「で、これはボルの助の作戦?」 「いんや。オレぁ姉さんに色々した後ぁ、何も考えちゃなかったからな」 と、リボルバーは首を横に振った。なんともボルの助らしい。 インパルサーは少し肩を竦め、呟いた。 「無謀ですね」 「いつものことだろ。コアブロックさえ壊れなきゃ、それでいいんだよ」 悠長に笑いながら、リボルバーは太く大きな足を投げ出した。どん、と地面が鳴る。 西日を受けた川面が揺れて、きらきらとオレンジ色に眩しい。また、弱い風が抜けていった。 鈴音はあたしの手から手紙を取り返し、乱暴に封筒に突っ込んだ。 「良くないわよ。だからって、なんで三回もあんたにキスされなきゃならないのよ!」 「四回だ」 「は?」 訝しげに声を上げた鈴音に、リボルバーはにやりとして振り向いた。 「姉さんが起きる前にも、一度な」 「やりすぎですよ」 「そうか?」 と、リボルバーはインパルサーを見上げた。パルは頷く。 「そういうことはきっちり手順を踏んで、前置きをして、ここぞと言うときにしないとダメなんです!」 「そういうもんなのか?」 「そうですよ。だから僕は、由佳さんにはまだ…」 続きを言いそうになったインパルサーの翼を、あたしは思い切り引っ張った。いい加減にして欲しい。 ていうか、パルはやっぱりあたしにする気だったのか。解っちゃいるけど、改めて言われると恥ずかしい。 鈴音はというと、回数が一回増えたことが衝撃だったのか、口元を押さえている。 「四回か…ていうか、なんで気付かないかなー、私は…」 「寝起き悪いからね、鈴ちゃん」 言っておきながら、フォローにも何にもなっていない。ダメじゃんよ、あたし。 鈴音は長い髪を掻き上げて少し整えてから、リボルバーを見下ろした。 「で?」 「で、って」 リボルバーは立ち上がり、振り返った。鈴音は、西日をまともに受けてぎらつく彼を見据える。 逆光の中、鈴音は目を吊り上げていた。腕を組み、つんと胸を張る。 長い銃身と太い腕をぶらりと下げた格好のままのリボルバーへ、彼女は言う。 「これからどうしてくれんのよ。正直、明日学校に行く気起きないんだけど」 「悪ぃ」 「悪いと思うなら、なんであんなことするのよ。しかもクラスの真ん中で。非常識も甚だしいわよ」 「そいつぁ…」 次第に目を吊り上げてきた鈴音から、リボルバーは目を逸らした。 照れくさいのか、後頭部をがしがしやっている。 そしてライムイエローの目を鈴音へ向け、呟いた。 「姉さんが悪い」 「何よそれ」 「いや、な」 くるりと背を向け、リボルバーは言いづらそうにする。あたし達がいるせいか。 インパルサーはあたしに顔を寄せ、僕達は邪魔でしたか、と小さく言った。あたしは頷き、みたいだね、と返す。 リボルバーはしばらく言葉に詰まっていたが、やっと続きを言った。 「最初は一度だけのつもりだったんだがよ、一度したらもうリミットブレイクしちまったんだよ。で、四回」 「だからそれが、なんで私のせいなのよ」 鈴音は苛ついている。口調が刺々しい。 リボルバーは続ける。開き直ってしまったのか、すっかり落ち着いていた。 「ずっと言わせてもらえなかった分、溜まってたみてぇなんだ」 「好きってやつがよ」 直後、リボルバーに鈴音の通学カバンが命中していた。 それは丁度彼の後頭部に当たっていて、その衝撃でリボルバーはよろけ、俯せに土手に倒れてしまった。 隣で鈴音は投げた格好のまま腕を伸ばしていたが、それを下ろし、立ち上がる。 あたしをちらりと見てから、背を向けて歩き出した。 「帰る」 「あ、うん。ばいばい」 あたしが手を振ると、鈴音は後ろ手に振り返した。 隣で同じようにインパルサーは手を振っていたが、土手の斜面を見下ろした。 見事に頭から草に突っ込んだリボルバーは、多少土を削ってそれを被っている。情けない。 その隣に落ちている鈴音のカバンをあたしは拾い、倒れたままのリボルバーを覗き込む。 「ボルの助ー」 ぎしりと顔を上げ、リボルバーは起き上がった。土を払い、草も払う。 あたしが差し出した鈴音の通学カバンを受け取って、自分のも持つ。 「明日の朝にゃあ、スクラップにされちまうかもな」 「いちいち言い過ぎなんだよ、ボルの助は。大体、今更好きだって言わなくたって、鈴ちゃんは知ってるのに」 「ま、ここまでしちまったら、なるようにしかならねぇさ」 と、リボルバーは笑った。開き直ってしまっている。 二つの通学カバンの持ち手を固く握りしめると、地面を強く蹴って飛び上がった。 あたしは藍色とオレンジのグラデーションになってきた空に消えるその姿を見送り、自分のカバンを持つ。 インパルサーはリボルバーの姿が消えるまで見ていたが、あたしを見下ろす。 「由佳さん」 「ん?」 「フレイムリボルバーって、本当に鈴音さんのことが好きなんですね」 「だね」 あたしはそう返して、歩き出した。いい加減に帰らないと、夜になってしまう。 土手を降りて歩道を歩きながら、あたしはリボルバーの恋が叶うかどうか、考えていた。 どこまでもどこまでも一直線で強烈すぎるから、突き抜けてしまうボルの助の愛情。 突き抜けてしまうから、それを受け止めきれない鈴音。 だけど、脈がないわけじゃない。と、思う。 根拠はないけど。あたしには、そう思えて仕方なかった。 翌日。 教室に入ると、今日はさすがにリボルバーは落ち着いていた。とりあえず、平和だ。 昨日あれだけ発散したのだから、当然というものだろう。 自分の机に座っていた鈴音は鏡を開いていて、目元の化粧を整えている。今度こそ、元に戻っている。 神田は眠そうな目のまま、自分の席に座った。よくもまぁ、部活の後に訓練が出来るものだ。 女子に囲まれて騒がしい机の中央で、マリーがにこにこと微笑んでいる。朝日に髪が光って、なんとも美しい。 インパルサーはあたしの後ろを抜けて自分の机に通学カバンを置き、ふとリボルバーへ顔を向けた。 「あの」 「なんだよ」 「スクラップにはなっていませんね」 パルの言葉に、リボルバーは気の抜けた顔をした。 「なるわけねぇだろ。本気にするなよ」 「なら、いいんですけどね」 すとんと椅子に座り、インパルサーはカバンの中身を机に入れ始めた。 大きく膨らんだ通学カバンから大きめの青い蓋のタッパーを取り出し、少し開けて中を見、安心したように頷く。 半透明の容器にたっぷり詰められた保冷剤の間には、昨日あたしが食べ損ねた黄桃のタルトがある。 わざわざ持ってきてくれたのは嬉しいけど、あたしとしてはちょっと複雑だ。これ以上丸くなりたくないけど、けど。 鈴音はふと思い出したように振り返り、リボルバーへ目を向ける。 「ボルの助」 「んあ?」 「もう二度としないでね。次、いきなりあんなことしたりしたら、マジで追い出すから」 冷たいくらい落ち着いた鈴音の言葉に、リボルバーは敬礼した。 「イエッサ。もうしねぇよ、スズ姉さん。オレもまだ、あのどでかいライフスペースにいたいしよ」 「解ればよろしい」 と、鈴音は頷いた。どうやら、決着は付いたらしい。 要するに、もう一度キスやらなんやらしたりしたら、ボルの助は鈴ちゃんちから追い出されるということだ。 結構厳しいように思えるけど、当然と言っちゃ当然の判断だ。しっかりコマンダーしてるね、鈴ちゃん。 リボルバーは困ったように、だけどどこか安心したように、にやりと笑っていた。気丈なことだ。 二人のやり取りを見、やよいは物凄く残念そうにむくれていた。 「ラブコメ、終わっちゃったわけ?」 「みたいだねぇ」 「もうちょい、なーんかあると思ってたのにぃ」 物足りないらしく、唇を尖らせながら、やよいはどっかりと椅子に座った。 あたしはその気持ちが多少解らないでもなかったけど、鈴音の大変さを思えば、これで良かったのだ。 大体、やよいは彼らと接することの大変さを知らないのだ。だからこんなに、悠長に見ていられる。 その立場は楽そうだけど、それはそれで面白みがないなぁ、とあたしは思っていた。 すっかり日が傾いて、西日が薄暗い廊下に差し込んできていた。 近頃はロボット兄弟も学校に慣れたから、まともに授業が進んでくれるので、一日が経つのが早い気がする。 あたしは腕の中に抱えたファイルを一つ取り出し、ぱらぱらめくって資料を確かめる。 これだけあれば、文化祭の展示物もそんなに苦労せずに出来るだろう。といっても、新聞部は展示だけだけど。 多少地味ではあるけれど、今までに作った記事やら写真やらを大きくして、掲示板に貼り出すのは結構楽しい。 ふと、隣を歩いていた鈴音が足を止めた。西日の向こうに、人影があった。 影の中から出てきたその姿は、大きく番号の付いたサッカー部の水色のユニホームを着ていた。 あたしも何度か取材したことがあるから、少しだけだけど面識はある。 杉山先輩だ。 鈴音は表情を硬くし、頭一つ背の高い杉山先輩を見据えた。 彼はゆっくり近付いてきて、鈴音を見下ろした。 「あの手紙、読んでくれたかな」 「読みましたけど」 つっけんどんに、鈴音は返した。話したくもない、という顔だ。 杉山先輩は困ったように笑う。 「随分と、オレは嫌われたようだな」 「なかったことにするくらいなら、最初から入れたりしないで下さい」 「いや、そういう意味じゃないんだ」 「じゃあなんですか」 声は落ち着けているけど、明らかに鈴音は苛立っている。ちょっと、怖い。 あたしは鈴音と杉山先輩を見比べ、一歩身を引いた。今日もあたしは邪魔なようだ。 杉山先輩は一度目をグラウンド側へ向けたが、すぐに戻し、真っ直ぐに鈴音を見据えた。 「考えてみたら、古典的で女々しい方法だったからね。きちんと真正面から行こうと思って、取り消したんだ」 西日の中、先輩は真剣な表情になった。 「オレは、君が好きだ。だから、付き合ってくれたら嬉しいんだけど」 グラウンドから、運動部員達の掛け声が聞こえてくる。 薄暗い廊下に差し込んでいた西日が次第に翳って弱くなり、暗さが増す。 オレンジ色の光を受けた鈴音の黒髪が艶やかで、その下で吊り上げられた目が強い。 ごお、と上空を通った巨大な機影は、きっと神田のアドバンサーだ。今日も訓練に勤しんでいるらしい。 一文字に締められていた鈴音の唇が、開いた。 「お断りします」 「他に、誰か好きな奴でも?」 「そうじゃないです。ただ私は、まだ誰とも付き合う気がないだけです。無論、あんたとも」 冷たく言い放つ鈴音に見据えられ、杉山先輩は目を伏せた。 これは強烈だ。やけにぴりぴりした空気を感じ、あたしは動くに動けない。 しばらくしてから、やっと杉山先輩は顔を上げた。 「あの赤いロボットが、いるせいか?」 「ロボットじゃありません。レッドフレイムリボルバーです。私の部下の、ヒューマニックマシンソルジャーです」 「部下、か…」 オウム返しに呟き、杉山先輩は少し笑った。 「だが部下にしては、行動が過激すぎないか?」 「そういう奴です、ボルの助は」 「なるほど。確かに強敵かもな」 可笑しげに笑い、杉山先輩はくるりと背を向ける。 が、振り返って嫌な笑いを浮かべた。 「だが、まだ勝ち目はある」 「なにせ相手は、ただの金属の固まりだしな」 気付いたときには、杉山先輩の姿は廊下の奥に消えていた。 間を置いてから、やっとあたしはその言葉を理解した。 違う、違うよ先輩。パルもボルの助もディフェンサーもイレイザーも、クー子も、単なる金属の固まりじゃない。 そんなこと、すぐに解るじゃないか。パルと一緒にサッカーをしたんなら、もうとっくに解っているはずなのに。 あたしは悲しいよりも先に悔しくて悔しくて、泣きたくなった。言い返せば良かった。 泣くのを堪えていると、鈴音があたしの頭にぽすんと手を置いた。 見上げると、鈴音は呟いた。表情が、怖い。 「良い度胸してんじゃないの」 「鈴ちゃん。あたし、言い返せば良かったかな。パル達は、ただの機械なんかじゃないのに」 「由佳は優しいねぇ。ホント、なんか言っておけば良かったかも」 と、鈴音は人の増えてきた昇降口へ顔を向けた。スポーツバッグを抱えた運動部員が、多い。 あたしはその雑踏の中に杉山先輩を見つけ、また悔しくなった。もう、めちゃめちゃ幻滅したぞ。 このことは、パル達には言っちゃいけない。言ったらきっと、怒るより先に泣いてしまう。そして、苦しんでしまう。 段々腹が立ってきた。だけど、もう杉山先輩の姿は見えなくなっていた。くそう。 鈴音はひとしきりあたしを宥めるように撫でていたが、その手を外した。 やけに大きな腕と足が目立つ、小柄なシルエット。塗装がぎらつき、マリンブルーの目がこちらに向いている。 ディフェンサーは開け放たれた窓枠に座ったまま、今までに聞いたことがない程、気落ちした声を出した。 「…なぁ、レッドコマンダー、ブルーコマンダー」 固く拳が握られ、ぎりぎりと装甲が軋んでいた。 「オレらって、何なんだよ?」 窓から、ふわりと弱い風が漂った。 鈴音の髪が広がり、それと同時に弱く香水が漂う。 「答えてくれよ」 だらりと下げられた大きな腕が、こん、と壁に当たる。 瞳の色が、薄くなっていた。 「なぁ!」 軽い足音が、とん、と後ろに止まった。 あたしは鈴音と一緒に振り返ると、薄い日光の中にメガネのレンズを光らせながら、階段から彼女が降りてくる。 音楽室からの帰りなのか、楽譜の入ったファイルと、通学カバンを抱えていた。 律子は俯いたままのディフェンサーを見、立ち止まった。きっちり編まれた三つ編みが、肩の後ろで揺れる。 「クラスメイト、かな」 「兵器じゃなくてか?」 「ディフェンサー君て、兵器なの?」 「ああ」 あたしはディフェンサーを止めようと思ったけど、その前に彼は吐き捨てた。 「下らねぇ目的でマント野郎に作られちまった、戦闘専門の破壊兵器なんだよ!」 意外そうに、律子は目を丸めた。でも、目を逸らさない。 ゆっくりとあたし達の隣を抜け、窓枠の前に止まる。高さのせいで、律子はディフェンサーを見上げる。 見上げられたままのディフェンサーは顔を背け、片腕を伸ばす。黄色い装甲が開き、中身が覗いた。 「今は弾とか抜いてあるけど、中には武器がごってりだ。防御専門つーのは、ちょっと嘘だな」 「知らなかった」 「知るわけねぇよ。第一、永瀬は最初からオレらに関わってるわけじゃねぇからな」 と、ディフェンサーは力なく呟いた。相当に落ち込んでいる。 律子はその様子に、困ったようにあたし達へ振り向いた。あたしは頷く。 「話せば長いんだけど…。ごめんね、りっちゃん。嘘、吐いちゃってて」 律子は、首を横に振った。 少し申し訳なさそうにしながら、あたしと鈴音を見比べる。 「いいよ。私も、薄々そうじゃないかなって思ってたし」 「私も由佳も、嘘が下手すぎたしね。慣れないことは、するもんじゃないわねぇ」 鈴音は苦笑し、ごめんね、と目を伏せた。 律子は少し頷いて、またディフェンサーに向き直った。彼は、まだ顔を背けている。 西日に照らされて輪郭が薄まっている、少年じみたロボットの横顔から伸びた影に、律子は納まっていた。 胸の前に持っている楽譜のファイルが、細くて長い指にぎゅっと握られる。 「ディフェンサー君」 「…んだよ」 「ディフェンサー君は、ディフェンサー君だと思うな。二のAの、出席番号七番の」 ちょっと自信なさげに、律子は笑った。 「違う?」 面食らったように、ディフェンサーは律子を見下ろした。意外だったらしい。 彼女は気恥ずかしげに白いファイルで顔を覆い、伏せてしまった。 ディフェンサーは窓枠から降り、律子を覗き込む。 「永瀬」 「なに?」 「まだ、オレが怖いか?」 ふるふると、律子は首を振る。ゆっくりファイルを下ろして、頭一つ背の低い彼へ目を向けた。 「もう大丈夫。ごめんなさい、本当に。私が悪かったの」 「いや、別に…」 ありゃあオレが悪かったんだよ、と小さく呟き、ディフェンサーはくるりと律子に背を向ける。 その顔は、照れくささと気恥ずかしさと情けなさと、諸々の感情が混じっている。 窓の下に放り投げてあった自分の通学カバンを掴むと、とん、と窓から外へ出た。 一度横顔だけ律子へ向け、吐き捨てた。 「またな」 「あ、うん。また明日」 はにかみながら、律子は笑った。 途端にディフェンサーは飛び上がり、あっという間に空へと消えていった。 あたしはそれを見送ってから、ふう、と深く息を吐いている律子に顔を向ける。 「りっちゃん。本当に、もう大丈夫なの?」 「うん。でも、良かった」 心底嬉しそうに、メガネの奥で律子の目が細まる。 「ディフェンサー君、私のこと嫌いじゃないみたいで」 ほっとして気が緩んだのか、律子はほにゃっと表情を緩めた。可愛いなぁ、りっちゃんは。 あたしはその様子に、安心した。ディフェンサーと律子は、これからはちゃんと仲良くなれそうな気がする。 ふと鈴音の方を見ると、鈴音はじっとディフェンサーの飛び去った窓を見つめていた。 一見冷たく感じられる程に整った目鼻立ちで、一番目立つ吊り上がり気味の黒い瞳が、少しだけ潤んでいる。 薄い唇が僅かに開いていて、細い眉が顰められていた。凄く、切なそうだ。 鈴ちゃん。 鈴ちゃんは今、誰のことを考えているのかな。 04 5/12 |