黒く細身の小さな手が、くるくるとキッチンペーパーに糸を巻き付けていく。 ティッシュを入れて丸く膨らませた下にきゅっと糸が結ばれ、丸々とした頭部が完成する。 黒マジックでちょんと書かれた可愛らしい顔立ちのてるてる坊主が、高々と掲げられた。 「いよぉーし、完成!」 「なぁ、クー子?」 リビングのテーブルに、涼平はしゃがみ込んだ。周囲は、紙とハサミが散らばっている。 テーブルを埋め尽くす大量の白い物体を一つ掴み、弟は上目に彼女を見る。 「作りすぎだろ」 「そうかなぁ?」 と、クー子は上機嫌に笑った。さっきから、ずっとこの調子だ。 ぱちん、とてるてる坊主を持っていない方の指を弾き、涼平ごとテーブルの上の白い山を浮かび上がらせた。 途端にぼわっと空中に広がったてるてる坊主の数は、ざっと数えても百以上ありそうだ。 空中に漂っていた涼平はカーテンレールに手を掛けると、呆れたようにクラッシャーを見下ろす。 「たかが運動会だろ。それに明日は晴れるって」 「わっかんないもーん」 クラッシャーは片手をすいっと動かし、大量のてるてる坊主をカーテンレールに引っかけた。 糸が縦に通されていて、千羽鶴の如くカーテンレールに下がる。夜中に見たら、絶対怖いぞ。 クラッシャーはレースカーテンの代わりにするかのように、ずらずらと連なったてるてる坊主を広げた。 「戦場は、いかなる時いかなる状況に陥るかは誰にも予測が付かない。だから整備と装備だけは怠るな、って」 「誰が?」 どん、と床に飛び降りた涼平が尋ねると、クラッシャーは首をかしげる。 「誰だっけ。まぁいいや、たぶん兄さんの誰かじゃないの?」 「ウンドウカイですか」 凄く嬉しそうに、インパルサーはすだれ状態のてるてる坊主を整える妹を眺めた。 「楽しみですね」 「パル、あんまり変なことしちゃダメだよ。あんたがしなくとも、イレイザーは止めてね」 あたしは、これが物凄く心配だった。下手なことをして、他の子供に迷惑が掛かってはならない。 インパルサーは心外な、とでも言いたげに声を上げる。 「解ってますよ、それくらい」 「ならいいんだけどさぁ…」 あたしはダイニングテーブルの端に置かれた卓上カレンダーを手に取り、赤く丸の付けられた日付を見た。 インパルサーのちょっと歪んでずれた字で、運動会と書いてある。今日はその前日の、土曜日だ。 その赤い丸から目を離し、あたしは足元のフローリングに正座する彼を見下ろす。 「明日、鈴ちゃん来られないから、心配なんだよねぇ。ボルの助を押さえられる人がいない、ってのは」 「マジかよ」 急にやる気が失せたように、涼平は呟いた。あたしは頷く。 「久々に鈴ちゃんの両親の都合が付いたから、一緒に買い物してくるんだってさ」 「なんだよ…」 顔を逸らし、涼平はむくれる。人生ってそんなもんさ、弟よ。 インパルサーは首だけ回してあたしへ振り向き、不思議そうな声を出す。 「ですがそうだとしたら、なぜフレイムリボルバーは鈴音さんに付いていかないんですか? 無理でも何でも、付いていきそうですが」 「鈴ちゃんが押し切ったの。どうせ行くなら運動会の方がいいでしょーとかなんとかで」 と、あたしは昨日の帰り道を思い出した。 土手の上を歩きながら、食い下がってくるリボルバーを鈴音はあしらい、結局運動会の方に行くよう命令した。 リボルバーはしばらく決めかねていたようだったが、やっぱり最後は、鈴ちゃんに従った。 あたしには、鈴ちゃんの気持ちが解らないでもない。たまには、コマンダーを休みたくもなるだろう。 だけど、こっちはそうも行かない。 大事な大事な可愛い末っ子の晴れ舞台に、クー子を溺愛しまくりの四人の兄達が黙っているわけがない。 想像しただけで気力が削られてしまった。だけど、今度ばかりはあたしがしっかりしなければ。 ロボット兄弟を止められるのは、きっとあたしだけだろうから。 翌日。 クラッシャーの作った大量のてるてる坊主は一応効いたようで、空はすっきりとした雲一つない快晴だった。 河川敷から流れてきた風は程良くひんやりしていて、少々日差しの強い今日には丁度良い。 Gジャンに膝丈スカートのあたしの格好は、間違っていなかった。可もなく不可もないけど。 土手の右手に立っている小学校は、どっしりと構えていた。その手前、土手の下にグラウンドがある。 その周囲や土手は、すっかり車に埋め尽くされていた。子供達の親の持ち物だ。 狭い駐車場にはみっちりと乗用車が溜まっていて、観客席にはビデオカメラを構えた親達が控えている。 グラウンドにはまだ子供達はおらず、校旗のはためく掲揚塔から吊された長い万国旗が、風に揺れていた。 あたしが立ち止まると、後ろでインパルサーが止まった。両手には、母さんに持たせられた荷物がごっそりある。 「わぁ、凄いですね!」 「運動会だからね」 あたしはそのまま観客席に行こうとしたが、その前に駐車場に置かれた、見覚えのある巨大な物に気付いた。 白くて艶やかな流線形のボディを持った、女性型のアドバンサー。プラチナが、姿勢良く直立していた。 その肩の上にいた少女は、そこから軽く飛び降りた。プラチナのボディを蹴り、ふわりとマリーが着地する。 プリーツでチェックのミニスカートの上に白いのカーディガンを着ていて、実にお嬢様っぽい。実際は軍人だけど。 マリーは頭に乗せたベレー帽を整えてから、少し頭を下げた。 「ごきげんよう」 「マリーさん。近所なんだから、プラチナ使わなくたっていいじゃない」 あたしは、いきなりげんなりしてしまった。そういえばこの人も、多少常識がずれているんだった。 プラチナは体操服姿の子供達に取り囲まれていて、すっかり大人気だった。巨大ロボだもんね。 その影も、何か妙に騒がしい。移動してプラチナの背後を見、あたしは更にげんなりした。 「うわ…」 神田操る黒いロボットが、プラチナと背中合わせで立っていた。葵ちゃん、あんたも何やってるんだよ。 思わず呆然としていると、観客席から神田がやってきた。やあ、と片手を挙げる。 あたしは駐車場で圧倒的な存在感を誇っている二体の巨大ロボを差し、尋ねる。 「ねぇ、神田君。あの黒いのなんでここにいるの?」 「ナイトレイヴンってんだ、オレの相棒は。肩のとこに、昨日書いたんだ」 得意げに笑い、神田は胸を張った。いつのまに、そんな名前が付けられていたんだ。 よくよく見ると、滑らかな真っ黒い装甲の右肩、つまりパルの002と同じ位置に英文字が白く書き記されている。 NIGHT RAVEN、と。Kがないから騎士じゃなくて、夜だ。 あたしは一見カッコ良さげな名前の意味を察し、神田のネーミングセンスを疑った。 それ、闇夜のカラスじゃないか。そりゃ英語だから響きは良いけど、カラスはカラスだよ、葵ちゃん。 神田は、段々騒がしくなってきたグラウンドを見下ろした。子供達の身内が、増えに増えていた。 「さゆりの奴に頼まれたんだよ。どうせ他に使う機会なんてないんだから、せめて見せびらかせってさ」 「きっついねぇ」 あたしは苦笑した。さゆりちゃん、あなたは本当に小学生なんですか。 神田は頷き、ナイトレイヴンを見上げた。マスクフェイスの隙間に、鋭い真紅の目が覗いている。 「全くなぁ…クラッシャーみたいに、もうちょっと可愛げがあってもいいと思うのに」 「運動会なぁ」 あまり興味なさそうに、ディフェンサーがグラウンドを眺める。 「大体、なんだってこんな人数でたかがガキの競技大会を見に来るのさ? 人間の感覚って、わっかんねーなぁ」 「親心ですわ。私も士官学校時代に競技大会に参加いたしましたけど、一般客よりも身内の方が多かったですわ」 マリーはそんなディフェンサーを見、少し笑う。 「あの人が動ければ、ここに来ていたかも知れませんわね」 「うげ」 表情を引きつらせ、ディフェンサーは変な声を出す。マスターコマンダーのことを思い出したのだろう。 リボルバーもマスターコマンダーが観客席にいるところを想像したのか、顔を背けて口元を歪める。 かなり嫌なのか、ちょっと声が落ちていた。 「ちぃと冗談きつすぎるぜ、姉ちゃん」 あたしは、なんとなくインパルサーを見上げた。そのゴーグルの色は、ピンクだ。 嫌だとピンクになるらしい。いや、絶対その色は違うと思う。なんでこう、いつもどこかがずれてるんだろう。 両手に抱えた大荷物を落とさないようにしながら、ピンクのゴーグルを光らせながらパルはあたしを見下ろした。 「嫌ですよ。マスターコマンダーがビデオカメラ構えて、僕らの姿を追うなんて」 「うん、あたしも嫌」 あたしは頷いてから、つい想像してしまった。 がっちりしたサイボーグの男が黒マントをひらひらさせながら、グラウンドでビデオカメラを回し続ける。 笑えるようで笑えない、なんともシュールな光景だ。それ以前に不気味だし、合わなさすぎる。 神田はげんなりしているロボット兄弟とあたしを見比べ、そして苦笑した。 「マスターコマンダーって、ああ、インパルサー達の生みの親か。そいつが運動会に来るのは、確かに嫌だな」 どうやら、神田は訓練の最中にマリーさんからマスターコマンダーの説明を受けたらしい。 あたしはいい加減にビデオカメラを持った黒マントの男の姿を頭から払拭したかったけど、なかなか消えない。 その発端であるマリーは涼しい顔をして、とんとんと軽い足取りで階段を下り、グラウンドへ向かう。 ウェーブの掛かった長い金髪に隠されたマリーの後ろ姿を、あたし達は追っていった。 学校名の入った白いテントの前に、ずらっと子供達が整列していた。 その前から二人、男子と女子が出、中央に置かれた壇に昇ってマイクの前に立つ。 すっと片手を伸ばし、二人は声を張り上げた。 「宣誓!」 型通りの選手宣誓が、はっきりした口調で読み上げられた。どちらも六年生だ。 紅白に分かれた子供達の元へ二人は戻り、今度はそのマイクの前に校長らしき人物が立つ。これからが長い。 きっちりと整列した子供達は少しだけ姿勢を崩したが、ぴっと背筋を伸ばしたままだ。大変そうだ。 いかに運動が素晴らしいか、物事は勝ち負けじゃない、などと延々と続く話を聞き流すのは億劫だ。 あたしはビニールシートに座り、隣で直立する四体のロボットを見上げた。イレイザーは、ついさっき来た。 彼らは今にも動きたさそうで、じりじりとしている。表情が出ていても出ていなくても、そんな雰囲気だ。 イレイザーの側頭部に繋げられた細い二本のコードが、しゅるっと回ってウエストポーチに繋がっている。 あたしは身を乗り出して中身を覗くと、中には銀色の長方形。デジカメだ。その奥にも、何かある。 「イレイザー」 「な、なんでござろう、ブルーコマンダー」 ふいっと視線を逸らしてから、イレイザーは答えた。パルとクー子以外は、まだこの呼び方をやめてくれない。 あたしは黒いウエストポーチから目を外し、あらぬ方向を見る赤いゴーグルを見上げた。背が高いなぁ。 「あんたが撮影係なの?」 「いかにも」 こっくりと頷き、イレイザーはあまり似合っていないウエストポーチからデジカメを取り出した。 例のコードはこれに繋がれていて、そのままイレイザーの視界が撮影されるようになっているようだ。 「さゆりどのに頼まれたのだ。拙者ならどんな位置からでも撮れるだろう、とのことでな」 「もう一本の方は?」 と、あたしが尋ねると、後ろで神田が答えた。 「ビデオカメラだよ。せっかくだからって、母さんがイレイザーに持たせたんだ」 「任務は任務でござる。だが…」 辛そうに、イレイザーは肩を落とす。そして、グラウンドから目を逸らした。 人見知りがまだ直っていないイレイザーにとっては、随分と辛い作業なのだろう。 「パープルコマンダーに命令されたんだろ。ちゃんとやれや、シャドウイレイザー」 背けたままの弟の首を、ぐいっとリボルバーは押した。 無理矢理グラウンド側へ向けられたイレイザーはたじろいだが、その背はディフェンサーの手で止められる。 更にその両肩の上にインパルサーが乗り、くいっと体を曲げてイレイザーを覗き込む。 「任務は任務ですからね」 「兄者方…殺生でござるな」 泣きそうな声で呟き、押さえ込まれたイレイザーは仕方なしにグラウンドへ目を向けた。 やっと校長の話が終わり、子供達が動き出していた。整列を崩し、紅白に分かれて散っていく。 その中で一際目立つ黒い小さなボディの少女ロボットが見えた途端、兄達は控えめながらも歓声を上げた。 さすがに飛び上がることはしなかったけど、四人揃って食い入るように見つめている。 クラッシャーはこちらに気付くと振り返り、にっこり笑って軽く手を振った。可愛らしい。 表情を明るくした四人は身を乗り出しそうになったので、あたしはとりあえずインパルサーの翼を掴む。 「こら」 「あ、はい」 仕方なさそうに身を引いたインパルサーは、情けなさそうに俯いた。自制心、利かなかったのか。 グラウンドと観客席を仕切るロープを切る勢いで踏み出した四男を押さえ、ずるっと引っ張り下げた。 「出ちゃダメですよ。それに出なくたって、あなたなら相当な感度で撮影出来るんですから」 「だがしかし兄者ぁ!」 と、イレイザーは声を上げた。が、そのせいで一瞬にして周りの保護者達の注目を集めてしまった。 彼は周囲の視線を感じて耐えられなくなったのか、すいっとその影を消した。根性が無さ過ぎる。 だけど光学迷彩は自分以外には作用しないのか、ウエストポーチだけが残って浮いていた。かなり変だ。 空中に飛び上がったウエストポーチは、とん、と掲揚塔を踏み台にして、校舎の屋上に消えてしまった。 それを見送ったディフェンサーはおもむろに右腕を挙げ、屋上へ向けた。何をする気だろうか。 「フォトンシールダー一号機、分離!」 ばこん、と右肘から先が外れた。大きな腕が拳を握ったまま、すっと屋上へ飛んでいく。 ディフェンサーはくいっと左手の指先を曲げながら、あまり面白くなさそうに兄達へ顔を向ける。 「手応えあり。こっちに投げるから、受け取ってくれよ」 「おう」 リボルバーが一歩踏みだし、待ちかまえた。すると、屋上から何かを握った右腕が現れる。 それはぐるっと振りかぶり、こちらへ勢い良く手の中の物を投げ飛ばしてきた。 一直線に落下してきたウエストポーチの上辺りへリボルバーは手を伸ばし、がしりと握った。 すると次第に色が出、ラベンダー色の姿が現れた。リボルバーはイレイザーを投げると、彼はくるりと着地する。 頭を握られたらしく、イレイザーは草むらに膝を付きながら装飾の少ない頭部を押さえている。 腕を戻して繋いだディフェンサーは、ぎっちょんがっちょんと右手を握りながら、弟を見下ろした。 「オレ、こんなことのために腕が外れるわけじゃねーんだけど」 「手間掛けさせやがって」 イレイザーの肩に片足を乗せ、体重を掛けながらリボルバーはため息を吐く。 ぎしりと踏まれながら、イレイザーは顔を伏せていた。さすがに情けないと思っているらしい。 「拙者というマシンソルジャーは…なんという、なんという」 「逃げなきゃいいんですよ」 と、インパルサーは言った。いや、それはそうなんだけどね。 片足を外したリボルバーは腕を組み、うんうんと頷いている。 「だが、だが」 落ち込みに落ち込んだイレイザーが項垂れていると、競技が始まった。 グラウンドの各所に備えられた大型のスピーカーから、一斉に天国と地獄が流れ出した。 ロボット兄弟を見ていた保護者達の視線が、すぐさまビデオカメラと共にグラウンドへ向けられた。 駆け出した低学年らしき子供達が、必死にゴールへ向かって走っていった。が、途中でこちらを向く。 丁度ゴール手前に、あたし達はいたのだ。そりゃ、嫌でも注目を集めるだろう。ロボットだし。 あたしの後ろに立つマリーは、また逃げ腰になっているイレイザーの後頭部へ足を当てた。 ミニスカートが大きく広げられ、パステルピンクのパンツが丸出しになる。だけど、マリーは気にしていない。 ショートブーツのかかとをイレイザーへぐりっと押しながら、にっこりと微笑んだ。 「あら、たかが子供じゃありませんの」 後頭部を押され、イレイザーは前傾姿勢になってしまう。さっきから押さえ込まれてばかりだ。 マリーは身を屈めて顔を寄せ、一層優しく笑む。だがその声は、落ちていた。 「それとも。初動時に私達の前線部隊を壊滅させた程の実力を持つ戦士が、子供の前から逃亡いたしますの?」 俯いたまま、イレイザーは何も言わない。マリーは続ける。 「お逃げになるなら止めはしませんわ。ですが逃げてばかりだと、何も進みませんわよ?」 あたしは黙り込んでしまったイレイザーより、先程から見せつけられている状態のパンツが気になった。 神田は目を逸らしていて、やりづらそうにしている。男子としては当然の反応だ。 あたしは立ち上がり、マリーのスカートを指した。いや、女子でもこれはやりづらい。 「マリーさん、その…パンツ」 「あら」 と、思い出したようにマリーは足を降ろした。本当に気にしていなかったらしい。 やっと解放されたイレイザーは、片手を固く握っていた。それを地面に打ち付け、ぎしりを奥歯を噛む。 イレイザーのその表情を見下ろし、マリーは呟く。 「弱いことが悪いとは言いませんわ。ですけれど、逃げているばかりではどうにもならないことがありますわ」 「承知している。拙者はそこまで愚かではない」 打ち付けた拳を草と土の中から抜き、ぐっと握り締めた。 イレイザーは顔を上げ、悔しげな声を洩らす。 「だがこれを直すには、リミットブレイクさせねばならぬ。感情を感じぬためには、暴走させるしかないのでござる」 ぱん、と乾いた破裂音が響いた。途端に、手前のトラックを子供達が駆けていく。 無数のフラッシュと歓声が観客席から上がり、短い距離を疾走する子供達を追っている。 それが遠ざかって消えた頃、リボルバーはおもむろに片腕を突き出し、ごっ、とイレイザーを殴り飛ばした。 ずしゃりと地面に倒れたイレイザーに、リボルバーは吐き捨てる。相変わらず、良く殴る。 「じゃあ切れ。ぶった切って自分を見失って、てめぇはそれでいいんだな?」 「赤の兄者!」 起き上がったイレイザーは、苦しげに叫ぶ。 「拙者はそれが正しいとは、微塵も思ってはおらぬ! ただそれしか、手段がないのだ!」 表情を歪めるイレイザーの肩に、ぽん、とインパルサーは手を置く。 一度頷いてから、自分のレモンイエローのゴーグルに弟のゴーグルの色を映した。 「解ってるじゃないですか。なら大丈夫ですよ、シャドウイレイザー。きっと、他の方法を見つけられますよ」 「ええ。逃げていても、現実は追いかけてきますもの」 と、マリーは言いながら、あたしの隣に座った。また随分と手厳しい。 その横顔からはあの笑顔は消えていたが、彼女はそれをすぐに戻してしまった。 優しく笑みながら、グラウンドを手で示す。 「もうそろそろ、涼平さんが走るようですわよ」 上手く話題を逸らされたなぁ、とあたしは思いながら、パルが担いできた荷物の中からカメラを取り出した。 母さんと父さんは別の位置にいて、ここではない。つまり、二カ所から撮影する態勢になっているのだ。 そこまでする必要があるんだろうか、と思いながら、あたしはファインダーに目を当ててトラックを見つめる。 直線上のスタート地点に、赤いハチマキを額に巻いた涼平は真剣な表情をして立っていた。 ぱん、とスタートの合図の音がした。 弾かれたように飛び出した少年達は、一気に駆け出した。短いようで長い、百メートルの半分を終える。 途中で失速する子もいれば、更に加速する子もいる。弟は、その中間辺りで走っていた。 運動靴が地面に擦れる音が近付いてくる。ゴールはもうすぐそこだ。 数人の間から抜け出したのは、涼平だった。が、隣に一人付いてきていて、追い越されそうだ。 そろそろ追い越されてしまうか、と思った直後、弟の体でゴールテープが切られていた。 あたしは何回かシャッターを下ろしながら、自慢気に笑う涼平を眺めた。なんだかもう、すっかり成長している。 ついこの間まで、幼稚園に通っていたと思っていたのに。妙に嬉しいなぁ、こういうの。 スタート地点の方を見ると、ぴょんぴょんとクラッシャーが飛び跳ねていた。他人事なのに、かなり喜んでいる。 涼平は一番を示す旗の下に立ち、ぐっと親指を立ててみせた。すると、クー子も同じようにする。 その姿をもう一枚撮ってから、あたしはふとイレイザーを見た。手の甲から、しゃきんとクローが飛び出していた。 「イレイザー。あたしの弟、切らないでよ?」 「あ」 彼は気付いたように、長く銀色の爪が伸びた手を挙げた。 それにもう一方の手を当ててすとんと収納してから、苦笑する。 「すまぬ。つい、出てしまうのだ」 あたしは、かなり心配になった。大丈夫か、涼平。 さすがに人間相手だから何かする、ということはないにしても、イレイザーはずっとこの調子なのだろうか。 だとしたら、想像しなくてもかなり大変だ。涼平は、その苦労をあたしに言わないだけかもしれない。 すると、イレイザーは顔を上げた。次に走り出た子供達が、一斉にゴールへ向かっていった。 手前で疾走する少女のツインテールがなびき、少し遅れてゴールした。さゆりちゃんだ。 イレイザーは撮影のためなのか、じっと己のコマンダーを見ていた。すると、さゆりはこちらに振り向いた。 すいっと片手を挙げ、影絵のキツネのような形にさせる。イレイザーはそれを見、敬礼する。 「御意」 「あれ、なんなの?」 と、あたしがイレイザーに尋ねると、彼が答える前にまた神田が答えた。 さゆりがしたのと同じような手の形を作り、笑う。 「そのまま任務を遂行せよ、って意味さ」 神田は人差し指と親指だけを立て、残りの指を握る。鉄砲のような形だ。 「これが帰れ。で」 今度は親指と小指だけを立て、内側の三本は全部握った。携帯電話を示すポーズに似ている。 「これがこっちに来い。いちいち言わなくてもいいように、ってことらしい」 「よーく考えてあるねぇ」 と、あたしは素直に感心した。さゆりは手を元に戻し、四番目の旗の後ろに座った。 イレイザーは立ち上がり、じっとスタート地点へ顔を向けた。他に三人も立ち上がる。 そのスタートラインの前で、クラッシャーが真剣な目でこちらを睨んでいた。 「よぉい!」 教師の声が上がる。 高々と右手を掲げ、ぱぁん、とまた乾いた音が響いた。 女子達に混じってクラッシャーもスタートしたらしいのだが、ちっとも走ってこない。 足元を見ると、重力制御をしながら地面を蹴っているのか、しきりにトラックへつま先を当てていた。 が、それが上手く行かないのか、まるで前進しない。どんどん追い抜かれて、周りには誰もいなくなった。 力を入れずに蹴って、ゆっくりと進んでいると、半分くらいでようやく走っているような形になる。 「とえりゃあ!」 妙な掛け声を出しながら、首元に赤いハチマキをリボン結びにしたクラッシャーは近付いてきた。 なんとかゴールまで辿り着くと、女性教師がクラッシャーを褒めた。この人は確か、涼平のクラスの担任だ。 クラッシャーはくるっと振り向き、涼平の方向へ飛び出した。 「出来た、出来たぁー!」 威勢良く飛び込んできたクラッシャーを、涼平は体で受け止めた。が、すぐにそれを離す。 嬉しそうに満面の笑みを浮かべながら、クー子は涼平に迫る。 「出来たよ、ブースター使わなくても移動出来たよ! 今日は転んでないよ! ねぇ涼平、私偉い?」 「偉いから、離れろ」 困ったように、涼平はべったりと抱き付いてくるクラッシャーを押していた。いつのまにか仲良しになっている。 クラッシャーは仕方なしに涼平から離れると、さゆりに近付いた。さゆりはクー子の手を取り、うん、と頷く。 「凄いよ、クー子ちゃん」 「にーさぁーん!」 と、クラッシャーがこちらに振り向いた。 ショッキングピンクの丸みのある目が細められ、思い切り口元が広がっている。子供らしい笑顔だ。 その表情を見た途端、兄達は更に表情を明るくする。クラッシャーは、高い声を上げる。 「わたし、えらいー?」 「銀河一!」 揃えたように、四人の叫びが重なった。素晴らしすぎるチームワークだ。 その後にインパルサーの、ですよ、という敬語と、イレイザーの、でござるよ、と侍言葉が続いた。 褒められに褒められて嬉しさが極まったのか、クラッシャーは笑いっぱなしだった。 兄達はいきり立っていて、騒がしい。あんたら、喜びすぎだ。 あたしは多少恥ずかしくなっていたが、マリーは素知らぬ顔をして缶のコーラを飲んでいた。 マリーさん。やっぱりあたしには、あなたが年下だとも同年代だとも、どちらにも絶対に思えない。 グラウンドには、様々な色の大玉が転がされていた。 低学年の子達はそれを必死に押して、赤いコーンで折り返して更に走っていった。 親達のビデオカメラは下ろされることはなく、ずっと子供達を睨んでいる。大変そうだ。 あたしは途中で買ってきたレモンスカッシュを飲みつつ、プログラムを広げていた。まだまだ競技は残っている。 すると、インパルサーが隣にしゃがみ込み、覗き込んできた。彼のマリンブルーの指が、ある種目を指す。 「由佳さん。これって、どういう競技なんですか?」 その先は午後の競技で、父兄参加の百メートル走だった。 あたしは多少嫌な予感がしたが、一応説明した。 「その学年の親が保護者が百メートル走るの。まぁ、うちはたぶん父さんが出るんじゃない?」 「ホゴシャってあれだよな、兄弟も入るよな!」 インパルサーを押し退けて、ディフェンサーが詰め寄ってきた。でかい腕が邪魔だ。 あたしはピンク色の紙に印刷されたプログラムを取り上げて遠ざけながら、返す。 「だけど、クー子の保護者はうちの父さんと母さんになってるし、あんたらが出なくても…」 「いいえ! 是非出なくてはなりません!」 勢い良く立ち上がったインパルサーは、いつもリボルバーがするように拳を突き出して胸を張った。 胸を張り、ぎらりとレモンイエローのゴーグルを光らせた。気合いが入りすぎている。 その後ろで、三人もなにやら構えている。あんたらの気合いの元は、さしずめシスコン根性か。 インパルサーは握った拳を下ろし、兄弟達へ振り向いた。あたしがその足を掴むと、彼はこちらへ顔を向ける。 「なんですか?」 「全員で出ようなんて思っちゃダメ。こういうのは、子供一人に対して親一人だから。大抵父親ね」 あたしはインパルサーのかかとのブースターを掴んだまま、彼を見上げた。 するとリボルバーが、くいっと片手で上を指した。残りの三人は、その方向を見上げる。 ボルの助はにやりとしながら、どん、と強く胸元を叩く。まさか、この流れは。 「そうと決まりゃ、ちぃとやってくるか。当然、勝った奴が出る」 「武器は使っちゃダメですよ。ですが、接近戦は僕の得意分野ですから負ける気はしませんけど」 と、インパルサーは笑った。妹のこととなれば、パルもちょっと理性が崩れている。 あたしはそれを止めようとしたけど、くるっと背を向けられた。ああ、ついに無視されてしまった。 ディフェンサーはばしんと拳を手のひらに当て、にぃっと口元を広げる。 「さあてそいつはどうかな。ただ速いだけじゃオレは倒せないぜ、兄貴」 「力任せにぶつかってきても同じことでござる。最後に物を言うのは、確実なテクニックでござるよ」 兄達を見、イレイザーは片手を胸の前に挙げ、人差し指と中指を立てて残りは握った。そして、すいっと消える。 それが合図であったかのように、戦士達は上空へ飛び出した。ごお、と強い風が抜ける。 あたしはとりあえず落ち着くため、レモンスカッシュを飲み干した。酸味と炭酸がなんともおいしい。 快晴の空を見上げると、早速四人は戦い始めていた。ばきん、と激しく彼らがぶつかっている。 空き缶を持ったまま、あたしはその光景を見上げていた。何か、空しい。 「あたしじゃ抑止力にならないってことか…」 「由佳さんは鈴音さんに比べて、押しが弱いからですわ」 マリーはポシェットを探り、あの腕時計のようなコントローラーを取り出して、細い右手首に巻く。 丸みのある銀色の文字盤を軽く押してから、片手を上げた。何をするつもりだろう。 「葵さん。あの四人の馬鹿に、見境を取り戻させましょう」 「え、あ、了解!」 突然のことに戸惑っていたが、神田は勢い良く敬礼した。 彼はマリーと同じように右手を突き上げ、声を上げる。その手首には、あのクロムメッキのコントローラーがある。 「美空! しっかり見とけ、ナイトレイヴンの勇姿を!」 「うん、まぁ、適当に」 あたしはあまり興味がないから、こうとしか返せなかった。いや、ホントに巨大ロボって好きでも何でもないし。 神田は心底残念そうに息を吐いてから、地面を蹴り上げた。そのすぐ上に、黒い機影がやってきていた。 その腹部が開いていて、神田は見事にその中へ納まった。直後、マリーさんも同じようにする。 白と黒の流線形のボディがするりと空へ昇り、激しい戦闘を続ける四人を挟んだ。何をする気だろうか。 プラチナは細身の腕を伸ばし、装甲を開いて長く鋭い刃を出した。ナイトレイヴンは、背中の翼を外す。 黒い三角の翼はぐいっと引っ張って伸ばされ、ナギナタのようなものが出来る。そんな武器があったのか。 身長程もあるナギナタをぐるぐると振り回したナイトレイヴンは、刃先を下ろしてポーズを付ける。 「えっと、マリーさん、こういうときは?」 あまり自信のなさそうな神田の声。プラチナは、びしりとナイトレイヴンを指す。動きはマリーそのものだ。 「バリアフィールド展開ですわ! 右から三番目のスイッチでエネルギー充填、それからバリアユニットの作動!」 「了解!」 と、ナイトレイヴンは先程の神田と同じ動きで敬礼した。最初に比べると、かなり操縦が上達している。 グラウンドではまだまだ競技が続いていたが、子供達は揃ったように上空の巨大ロボ二体を見上げている。 ナイトレイヴンはナギナタを真ん中から二つに割って鎌のようにし、高々と掲げて頭上で刃をクロスさせる。 ばちり、と青白い電流が走り、ナイトレイヴンのボディを被う。エネルギーを充填しているようだ。 プラチナはもう一方の腕からもソードを伸ばし、それを胸の前でクロスさせる。こちらも、電流が迸る。 その間で戦闘を続ける四人は気付いてはいるようだが、それどころではないらしく、手を休めない。 ナイトレイヴンとプラチナは、声を揃えて叫ぶ。 「バリアフィールドフォーメーション!」 二体から放たれた激しい電流が球形になり、くるりと戦士達を包む。 ナイトレイヴンのナギナタが元に戻され、プラチナのソードも元に戻る。 青白い球体は放電を繰り返しながら、徐々に小さくなっていく。パル達、大丈夫かな。 「ヘビーグラビトン、ターゲットロック!」 急に、高い声がした。 見上げると、グラウンドの少し上辺りでクラッシャーが両手を掲げている。 広げた両手の指を絡めてぐっと握り、一際強く叫んだ。 「クラァッシュ!」 ばきっ、と鈍い音が響いた。 あれほど騒がしかったグラウンドが、妙な静寂に包まれた。 上空に突然現れた光の球体は爆ぜ、一瞬にしてその姿を消した。パル達、本当に大丈夫なんだろうか。 別の意味でざわつき始めた観客席に座ったまま、あたしは空中で動きを止めた四人を見上げる。 彼らは半ば呆然としながら、攻撃を放つ姿勢の妹を見下ろしていた。 拳を握り締めるクラッシャーの横顔は、怒りと憤りに満ちていて、心なしか瞳の色が強い。 これはあたしも怒ってもいいと思うよ、クー子。 04 5/15 |