ずらりと掲示板に張り出された名前の一番上は、珍しいことになっていた。 文化祭の前にあった中間テストの順位表は、五クラス分で二百人そこいらあるから結構でかい。 あたしは今一度、一番最初の名前を見上げた。ちょっとどころか、かなり珍しいことになっている。 何度も見ても間違いがない。投げやりな教師の字で、しっかりカタカナで書いてある。 「ちょっと…」 後頭部へ手を当てたインパルサーは、申し訳なさそうに身を縮めた。 「真面目にやりすぎました」 一、ブルーソニックインパルサー 五百点 パルは五教科全て綺麗な百点だったという紛れもない事実を、その字が表していた。 その真下には、いつもなら一番上のあった名前が押し下げられていた。ちょっと哀れだ。 三位にマリーの名があり、少し飛んで十二位に鈴音の名がある。二人とも、頭良いなぁ。 あたしはその下をずっと辿って辿って、九十四番目の自分の名前をもう一度確認した。皆、遠すぎる。 これまた投げやりな、美空由佳、の前後に他の兄弟達の名前がある。一番下はリボルバーで、百十二位だ。 離れた位置で自分の名前を見ていたリボルバーは、思い出したように上を見て変な顔をする。 「何やってんだよ。いちいち真面目にやるこたぁねぇだろ、こんなもん」 「インパルサーの兄貴は、手の抜き方を知らねぇんだよなー。お堅いこったぜ」 片手をひらひらさせながら、ディフェンサーはにやりとした。確か、ディフェンサーの名前は六十四位にあった。 その隣で、うんうんとイレイザーが頷く。こっちは、五十一位にあった気がする。 「そうでござるよ、兄者。一教科ごとに一つ二つ記入を洩らしておけば、程良い順位に落ち着くのでござるのだから」 「今回はそんなに頑張らなかったからなぁ…ま、妥当でしょ」 順位表の目の前に立つ鈴音は、髪を細い指で梳いて整えていた。あれで頑張ってなかったのか。 あたしは鈴音の後ろ姿と、隣で困り果てているインパルサーを見比べた。秀才ばっかりだ。 掲示板の反対側、つまり廊下の窓側から、遠巻きに律子が順位表を見ていた。 不安そうな面持ちで順位表を見つめていたが、目線が止まった。メガネの奥で、愛嬌のある目が笑う。 「あ」 「りっちゃん、良かったの?」 あたしが尋ねると、律子は嬉しそうに頷いた。 「うん。四十三。前よりも四つ上がってた」 「良かったね」 そう力なく返し、あたしはへたり込みそうになった。なんでこう、なんでこうあたしの周りは。 思わず人生を悲観しそうになっていると、鈴音が戻ってきた。おもむろに、彼女は軽くあたしの額を小突く。 艶やかに磨かれた爪先を伸ばし、順位表の末尾が書いてある左側を指した。 「そう落ち込まない。もっとひどいのがいるじゃん」 末尾の方で、愕然と突っ立っている姿があった。神田だ。 あまりの様子につい心配になり、近付いて神田の後ろから順位表を覗き込んだ。 下から数えた方が早い順位に、彼の名前がある。百五十一、神田葵、と。 その事実をあまり信じたくないのか、神田は目を逸らし、消え入りそうな声で呟いた。 「マジかよ…」 「前はいくつだったの?」 神田の後ろからその順位を見つつ聞くと、神田は力なく答えた。 「八十三」 「マジで!?」 なんだ、その物凄い落ちっぷりは。あたしより良かったじゃないか。一瞬、信じられなかった。 神田は肩を落としつつ、順位を睨んでいた。そこまで勉強が疎かになるくらい、訓練は凄まじいのか。 あたしの隣に立ったインパルサーは、神田を励ますように軽く肩を叩いた。 「次がありますよ。訓練が一段落したら、また時間が出来ると思いますから」 「ロボットってのは、こういうときに便利だよなぁ…。暗記とかが楽なんだろ?」 そう羨ましげに呟いた神田に、インパルサーは少し笑う。 「そう僕らも万能というわけでもありませんよ、葵さん。これでも色々、欠点はあるんですから」 取り巻きに一言断ってから、マリーがこちらにやってきた。軽く頭を下げ、ごきげんよう、と挨拶した。 白くて柔らかそうな頬に軽く手を添えながら、顔を上げて順位表を見ていく。 上から順番を追っていたようだが、三位でその目が止まる。その順位が不満なのか、形の良い眉が顰められた。 「結局、試験勉強のせいで作戦がほとんど進みませんでしたわ。早く立ててしまわないと、間に合いませんのに」 「一度僕らも、オーバーホールしないといけませんしね」 と、インパルサーは片手を開いた。それを握ったり開いたりしてから、下ろす。 オーバーホール、と聞いた途端にリボルバーは顔をしかめた。 「そうだなぁ。だがありゃあ、ばらされてるときの気分が悪くていまいち好きになれねぇや」 「そのための準備は、ご自分達でなさって下さいませんこと? 予備のパーツは、格納庫に揃っておりますわ」 マリーはそう言い残し、教室へ向かっていった。途中、ごきげんよう、とにこやかに生徒達に挨拶していく。 その背を見送り、あたしはインパルサーを見上げた。そうか。久々の戦闘のために、整備しなきゃならないのか。 オーバーホールだから、全部をばらばらにしてダメな部分は取り替えて直される、ということだ。 インパルサーの首筋で、あたしの目線が止まる。彼の首が何度も外れていたことを、ふと思い出したのだ。 「パル、首んとこはしっかり直しておいたら? また外れるかもしれないし」 「ええ、そうですね。また外れてしまったら、それこそ大事ですから」 首根っこを押さえながら、インパルサーは振り向く。あたしも、もうパルの生首は見たくない。 少し離れた位置で、ディフェンサーは嫌そうに口元を曲げていた。 「変なとこやられたんだなー、インパルサーの兄貴は」 「外れると凄く変な感じがしますよ。自分で自分の首を持つのも、また凄い変な感じがしまして」 「そりゃそうだろうな。…思い出しちまったじゃねーか」 苦々しげに呟いたディフェンサーは、ずるずる歩いて教室に入っていった。何を思いだしたのやら。 なんか、ディフェンサーらしくはない。いつもなら、もうちょっと威勢が良いはずなのに。 鈴音もそう思っているのか、怪訝そうな目でディフェンサーを見送る。 「あれで終わり? 普通なら、もう少し言い返してくるもんじゃなかったっけ?」 「昨日したあの話、思い出しちゃったのかなぁ。坂を転げ落ちる首の話。大して怖い話じゃないのになぁ、あれ」 あたし達へ近付いてきた律子は、可笑しそうにしていた。あんたのせいか。 ディフェンサーの入った扉を見ていたが、振り向く。悪気のない、可愛い笑顔だ。 「ディフェンサー君て、不思議なの。適当な怪談を三つくらい話してみたら、すっかり怖がっちゃって」 ロボットなのにねぇ、とくすくす笑いながら、律子はディフェンサーに続いて入っていった。 あたしは、ディフェンサーにめちゃめちゃ同情した。りっちゃんのあの趣味に、付き合わされちゃったのか。 律子は悪い子じゃないし、むしろ良い子なのだけど、困った趣味があるのだ。特に、あたしはかなり困る。 怪談話をどこからか集めてきては、それを臨場感溢れる口調で語って聞かせてくれる。きっちり最後まで。 しかもそれを不意に始めるもんだから、対処のしようがない。逃げる前に、聞き終わってしまう。 そのせいか、あたしのお化け嫌いが更にひどくなってしまった。だって怖いんだもん。 だけど、ディフェンサーもあたしと同系統だったとは。ちょっと、いや、かなり意外だ。 リボルバーは変な顔をして、インパルサーと顔を見合わせていた。 「たかが化けもんじゃねぇか。何が怖ぇんだか、さっぱりだな」 「そうですね。実体のないものより、ある方が余程恐ろしいと思うのですが」 そうインパルサーはリボルバーに返してから、不思議そうにあたしを見下ろした。 あたしはむくれ、顔を逸らす。仕方ないじゃないか、本当に怖いんだから。 「怖いもんは怖いの!」 「はいはい」 鈴音は笑いながら、くるりと背を向けた。長い髪がさらりと広がり、背を被う。 その姿が教室へ消えた頃、丁度良く予鈴が鳴った。インパルサーは顔を上げ、窓の外を見ていた。 あたしもなんとなくその方向を見たが、彼はすぐに視線を落としてこちらに向ける。 「僕達も行きましょう。先生が来てしまいます」 「そだね」 そう返すと、インパルサーは先に行ってしまった。あたしは、彼の見上げていた方向が少し気になった。 柔らかそうな雲がいくつか並んで、青い空に漂っている。風が強いのか、雲の動きは比較的早かった。 ゆっくりと動いた白い影の向こうから、不意に何かがきらりと光を跳ねた。 飛行機ではない何かが見えたかと思った直後、それは消えていた。見間違いかと思ったが、確かに何かがいた。 あたしはそれが一体どういうものなのか確認したくて、一瞬だけ見えた何かの形を、必死に固めた。 見間違いでなければ、銀色ですらりと両手足の伸びた人間型の何かが、確かに存在していた。 ああいう形をした、あんな大きさのもので、あたしが知っているものと言えば。 「…アドバンサー?」 それしかない。だけど銀色なんて、今まで見たこともなかった。 あたしが呆然と突っ立っていると、背後に影が立った。振り返ると、イレイザーが同じ方向を見ていた。 赤いゴーグルに空の景色を映り込ませていたが、顔を伏せる。 「由佳どのが目視出来る範囲まで近付いてきているとは…襲い掛かれ、と言われているようなものでござるな」 「いっちゃん。じゃあ、やっぱりあれはアドバンサーなの?」 「紛う事なきアドバンサーでござるよ。スピードタイプのミドルクラス、ごく平均的なアドバンサーでござる」 やれやれ、と首を振り、イレイザーは背を向けた。 「もう授業が始まってしまうでござる。由佳どの、早く教室へ行かれた方がよろしいでござるよ」 あたしはまだまださっきのアドバンサーが気になってはいたけど、仕方なしに頷いた。 では、とイレイザーは先に教室へ向かっていった。その重々しい足音が、やけに廊下に響いた。 すっかり人のいなくなった廊下を、あたしは小走りに走って教室の扉を開ける。 生徒で埋まった席の間を通って自分の席に座ると、インパルサーがこちらを見ていた。 少し首を横に振ったが、何も言わずに黒板へ顔を向けてしまう。気にするな、ということか。 だけど、そればっかりは無理な話だ。あんなものをすぐ忘れられるほど、あたしは切り替えが早くない。 結局、あのアドバンサーが気になって気になって、授業内容はほとんど頭に入らなかった。 まだこの近くにいるんじゃないか、と思うと、空を見ずにはいられなかったのだ。 昼休みになったので、いつものように屋上に出た。 扉を開けて晴れ渡った空の下に出ると、そこには見慣れた小さな姿が待っていた。 尖り気味のヘルメットを上向けてこちらを見上げる彼女を作っている、黒く滑らかな装甲がぎらついている。 クラッシャーはひょいっと片手を挙げ、屈託のない笑顔になる。 「こんちゃーっす。おねーさん達」 なんで、いきなり高校に来てるのさ。しかも昼休みに。 あたしが思わず面食らっていると、クー子は鈴音と律子を見上げる。 「初めまして、メガネのおねーさん! ブラックヘビークラッシャーでぇす」 「…こんにちは」 驚いていたのか、小さく律子が返した。クラッシャーは、うんうん、と満足げに頷く。 クー子は屋上の中央辺りへするっと移動してから、びしりと片手を上げて空中を指した。変なポーズだ。 「ちゃんと涼平にも先生にも言ってきたから、ご心配なく。ちょーっとマリーさんとやり合うだけだしぃ」 「やり合う? ブラックヘビーちゃんが?」 鈴音が不思議そうに尋ねるとクー子は、おうよ、と頷いた。リボルバーの真似か。 「時間がないんだもーん。戦闘のタイミング思い出すには、どつき合うのが一番簡単で確実な方法だから」 「そういうことですわ」 あたし達の隣を、マリーが抜けて屋上へ出た。つまり、昼休みを利用して格闘戦をするつもりらしい。 それはちょっと無茶じゃないのか、とあたしは思ってしまった。確かに屋上は広いけど、地上ほどじゃない。 フェンスがあるし、何より学校の中じゃないか。こんなところでそんなことをして、大丈夫なんだろうか。 屋上の中央辺りで待ちかまえていたクラッシャーは、腰を落として足を伸ばして構えている。やる気満々だ。 「兄さん達が来るまでに、何回出来ると思う?」 「せいぜい二回くらいですわね」 購買で買ったパンの袋をフェンスの前に置いてから、マリーは長い髪を掻き上げる。ふわり、と風に広がった。 彼女は一度深呼吸してから、きっと目を見開いた。マリーの雰囲気が、一変する。 あたしは屋上の出入り口に突っ立ったままだったが、とりあえずフェンスの下に座ることにした。お昼も食べないと。 フェンスの前に座ると、二人の格闘が始まった。マリーはまた例によって、スカート全開でジャンプしている。 コーヒー牛乳のパックにストローを差し込みつつ、鈴音は悠長にその姿を眺めている。他人事だからだ。 「今日はピンクのチェックかぁ」 「マリーさんて、凄い人だね…」 パンツ全開で戦うマリーの姿に、呆気に取られたように律子は呟いた。まだまだこんなもんじゃないぞ、りっちゃん。 あたしはお弁当の蓋を開けて、その中身を見た。今日は箸がないと思ったら、サンドイッチが詰まっている。 トマトやレタス、ハムや卵などが挟まっている色とりどりの小さなのサンドイッチだった。可愛すぎる。 ハムとレタスのサンドイッチを取り出し、食べてみる。ああ、やっぱりおいしい。 それを二つほど食べ終えた頃、クラッシャーはマリーの強い蹴りを食らっていた。 「いやん!」 高い声を上げたクラッシャーは、肩を強く蹴られ、フェンス側に吹き飛ばされていた。 フェンスに突っ込んでしまう前に、くるんと体を反転させた。ざりざりっ、とコンクリートに膝を擦って止まった。 勢いが完全に消えてから、クラッシャーが顔を上げた。頬を膨らませながら、マリーを指す。 「関節狙わないでよー、痛いんだから」 「敵の弱点を知っているなら、突くのが当然ですわ」 とん、と着地したマリーは微笑む。クー子はまた構え、マリーを睨む。 「それじゃあ、こっちも行かせてもらうからね!」 軽くコンクリートを蹴って滑り出したクラッシャーは、腰を捻って片手を大きく振り上げた。 そのままマリーを掴むかと思われたが、その直前で下半身を上げて足を伸ばし、マリーの顔に飛ばす。 だがその蹴りが顔に届く前にマリーは身を引き、それを避ける。軽く跳ねて、逆にその足に乗った。 クラッシャーはマリーの乗った足を降ろしてもう一方の足を上げたが、同じだった。 とん、とつま先だけでクラッシャーの足に乗ったマリーは、微笑みを崩してすらいなかった。 「ちいっ!」 舌打ちしながらクラッシャーは身を引き、足を降ろして拳を握る。 ふわりと降りたマリーは、腰を落として片手を挙げた。 「遅いですわね」 「マリーさんが軽すぎるの!」 高めにジャンプして拳を突き出したクラッシャーは、一気に落下しながら飛びかかる。 マリーは動くこともせずに構えたまま立っていたが、小さな拳が届く寸前に手を出して、それを軽く掴んだ。 腕を引き寄せてくるんと背を向けさせ、大きなブースターを二つ付けた背中に、強く足を当てる。 少しクラッシャーを押してからもう一方の足を振ったマリーは、どん、と蹴り出した。 前のめりに押し出されたクラッシャーは前傾姿勢になり、そのまま頭から屋上に突っ込むかと思われた。 「てぇいっ」 だがその前に片手を伸ばし、たん、と手を付いて上下を反転させる。 一回転してから着地したクラッシャーは、少し浮かんでから、残念そうな顔をした。 「やっぱりつおいー」 少し乱れた髪を整えてから顔を上げたマリーは、うっとりと目を細めていた。何か様子がおかしい。 両手を頬の脇に添えていたが、それを外し、おもむろに手の甲を口元に添えた。 どこかで見たことあるポーズだ。と、あたしが思った直後。 「ほーっほっほっほっほっほ!」 とにかく機嫌の良い声で、いきなりマリーは高笑いした。頬が、ほんのり紅潮している。 ひとしきり笑ってから胸の前で両手を組み、満足そうに声を上げる。 「これ、これですわぁー! 勝利の快感を味わうには、これがないといけませんものねー!」 「…リアルでやる人、初めて見たかも」 コーヒー牛乳を啜ってから、鈴音は呟いた。うん、あたしも初めて見た。 あまりのことに訳が解らないのか、律子はただぽかんとしながら屋上を見つめていた。 マリーはちらりと横目にクラッシャーを見、そしてまた、高笑いを続けた。 クー子は次第に腹が立ってきたのか、不機嫌そうに唸った。あたしを見ると、近付いてきた。 ずいっと目の前に迫られたので、あたしはちょっと身を引く。クー子は、あたしのブレザーを掴んだ。 「おねーさぁん」 「負けちゃったねぇ、クー子」 「なんかあれ、マジで腹立つぅー」 ぷうっと頬を膨らませたクラッシャーは、腕を組む。その気持ち、ちょっと解るかも。 負けた挙げ句にあれを見せられたら、誰だって多少は気に障る。マリーさんも、やっぱり変だ。 マリーはまだしばらく笑っていたが、不意に笑うのを止めた。そして、屋上の出入り口へ顔を向けた。 あたしがつられてそっちを見ると、四人の兄達が必死の形相で構えていた。 狭い出入り口から多少はみ出ている彼らは、ぎっと目を強めてマリーを睨んでいる。ちょっと怖い。 一番前に出ているイレイザーは両手の甲からすらりとクローを伸ばし、今にも飛びかかりそうだった。 「止ぉめてくれるなぁ、兄者ぁー!」 そう叫んで、イレイザーは飛び出しかけた。その後頭部を、がこん、とリボルバーの拳が殴りつける。 勢い良く前に転んだイレイザーは、コンクリートの上を滑ってマリーの隣を通り過ぎた。威力がありすぎたらしい。 屋上の反対側で倒れたままの弟から目を外し、リボルバーは嫌そうに口元を曲げながらマリーを見下ろした。 「姉ちゃん…それ、まだ止めてなかったのか」 「本気の戦闘の時はやりませんわよ。分別くらいは弁えておりますもの、あなたと違って」 澄まして微笑み、マリーは彼らに背を向けた。フェンスの下にやってくると、自分の昼食を取り、座る。 袋を開けたマリーは何事もなかったかのように、パンを食べ始めた。今回も四個、いや、それ以上はある。 本当に、この小さな体のどこに入っていくんだろう。結構、気になっていたりする。 兄達が屋上に出てきた後に、神田が顔を出した。クラッシャーがいることに、少し驚いている。 それに気付いたディフェンサーはマリーを指しながら、同情するような目で神田を見上げた。 「葵ちゃん。マリーのあれ、まだまだ聞くことになりそうだぜ?」 「ああ、みたいだな。はっきり聞こえたよ、あれ」 げんなりと呟いた神田は、ずるずる歩いてあたし達の少し前に座った。 その後ろに立ったディフェンサーは親指を立て、神田を指す。苦笑しながら肩を竦める。 「訓練のたびに、あの高笑い聞かされてるんだぜ。よーくもまぁ、葵ちゃんは耐えてるもんだぜ」 「慣れてきたけど、慣れてきたけどさぁ…」 相当に参っているらしく、神田は項垂れてしまった。頑張れ、葵ちゃん。 マリーはコロッケパンを食べていたが、半分になったそれを口元から外した。 「葵さんが私に勝てばよろしいんですのよ」 「それが出来たら苦労はしないさ」 と、ぼやいた神田に、マリーは笑う。 「そうさせるために、私はあなたを鍛えているのですわ。もうしばらく、頑張って下さいませ」 「了解」 力なく敬礼してから、神田は深く息を吐いた。 あたしはサンドイッチを食べながら、インパルサーを見上げた。腕を回したり、足を上げたりしていた。 こちらに気付いたパルは、逆手にリボルバーを指した。 「それでは僕も、フレイムリボルバーとやり合ってきます」 「スズ姉さん! オレがいかに強いか、よぉーく見といてくれよ!」 にやりと笑ったリボルバーは、がつんと自分の胸を叩いた。鈴音は興味なさそうな顔で、小さく頷いた。 それを見たボルの助は少し残念そうにしていたが、くるりとインパルサーに向き直った。 インパルサーは腰を落として拳を握り、構えていた。クー子の構えと、良く似ている。 対するリボルバーは両足を広げて、重心を前に置いた。両腕を少し上げているが、拳に握ってはいない。 ばきり、とその広げた指先を鳴らしたリボルバーは、声を上げた。 「てめぇが相手ってのが、ちぃと不満だけどな!」 だん、と強くコンクリートを蹴って駆け出したリボルバーは、がしりと拳を握って右腕を振り上げた。 インパルサーは軽く身を引いたと思うと、その拳の下へ膝、そして蹴りを出した。 足の裏で拳を止め、そのままぎりぎりと押し返していった。押しながら足を絡め、リボルバーの拳を下に向ける。 リボルバーは拳にしていなかったもう一方の左腕で、上がっているインパルサーの足を掴んだ。 「そぇりゃっ!」 無理矢理体を曲げられたインパルサーだったが、それに逆らわずに横に倒れる。片手を付き、両足を伸ばす。 つま先を伸ばし、一気に二回、リボルバーの側頭部を蹴る。蹴り終わると同時に、パルはバック転をする。 そのまま立ち上がると、構え直した。リボルバーは少しもよろけておらず、すぐさまインパルサーへ向かっていく。 大きな足を振り上げ、力任せにインパルサーへ蹴りを出していく。 頭へ向かってきた力強い蹴りを、ばしん、と腕で受け止めたパルは、ぎりぎりと関節を鳴らす。 「やりますね…」 「てめぇもな!」 上げていた足を降ろしたリボルバーは、すぐさま踏み込んでインパルサーの頭部を殴り飛ばした。 ばきん、と激しく金属がぶつかる。衝撃で上半身を反らしたパルは、後ろに一歩よろけてしまった。 だがすぐに姿勢を戻し、更に飛んでくる拳を掴む。そして、同時に踏み込んで間合いも詰めた。 そのまま掴んだ拳を捻り上げ、ぐわっとリボルバーを投げ飛ばした。赤い巨体が、空中へ軽々と振られる。 インパルサーの手が離されたと同時に、彼は姿勢を戻して膝を曲げ、ずざりと着地する。器用なことだ。 あっさりと着地した兄を見、インパルサーは一度肩を上下させる。効かないと、予想はしていたらしい。 「ですがあなたにしてはパワーもスピードも格段に落ちましたし、追撃が甘いです。整備不足ですね」 「てめぇも蹴りが弱くなってるぜ!」 駆け出してきたリボルバーは銃身を伸ばし、それを強く振った。銃身が当たる寸前、インパルサーはしゃがむ。 が、彼がしゃがんだ先でリボルバーは膝を曲げていた。銃身は、フェイントだったのだ。 青いマスクフェイスに、すぐさま赤い装甲の膝が打ち込まれる。 少し浮かんだインパルサーの体を、リボルバーは蹴り上げた。細身のボディが、勢い良くフェンスへ飛ばされる。 フェンスに叩き付けられる前に足を伸ばしたインパルサーは、かしゃん、とつま先をフェンスに当てる。 それを軽く蹴ったインパルサーは、すとんとコンクリートの上に立った。彼は背筋を伸ばしてから、屋上を見渡した。 「やっぱりここ、狭いですね」 「仕方ねぇだろ。だが、こんなこたぁグラウンドでやるわけにもいかねぇからなぁ。邪魔になっちまう」 がしがしと後頭部を掻きながら、リボルバーはぼやく。確かに、屋上は戦うには向かない場所だ。 インパルサーは上を見たが、すぐに首を振る。その方向を見てみると、またあの銀色の姿があった。 「軍の方々が網を張っていますから、上空にも出られませんし…困ったなぁ…」 「うわぁ…」 お弁当を食べ終えた律子は、リボルバーとインパルサーを眺めていた。 あたしと鈴音は割と見慣れているからそうでもないけれど、律子にとっては新鮮だったらしい。 リボルバーは鈴音へ振り向くと、にかっと笑って拳を突き上げた。 「どうだぁ、スズ姉さん!」 「はいはい、ボルの助は強いねー」 と、鈴音は投げやりに褒めた。リボルバーはそれだけでも嬉しいのか、猛っている。 あたしがふとインパルサーを見ると、彼もじっとこちらを見ていた。褒めて欲しいのか。 「パルも強いよー」 そう言ってやると、パルは照れくさそうにがりがり頬を掻き始めた。なんか、可愛い。 律子の隣に座っているクラッシャーは、足をぷらぷらさせていた。 「凄いでしょー、兄さん達」 「うん、凄いね!」 律子は相当に感心したのか、何度も頷く。そりゃ、初めて見るならそうだろうなぁ。 少し離れた位置で座っているディフェンサーを見ると、こちらを見ている。が、すぐに目を逸らす。 所在なさげにフェンスの上に立つイレイザーは、小学校の方を見ていた。さゆりが気になるのか。 だが時たま振り返り、クラッシャーを見ては表情を綻ばせている。シスコンは、まだまだ治りそうにないようだ。 ディフェンサーは何か面白くなさそうに胡座を掻き、あらぬ方向を見上げてむくれていた。 朝といい、なんといい。なんか変だぞ、ディフェンサー。 「さて」 大量のパンを全て食べ終えたマリーは、白いハンカチで口元を拭った。 すっかり雑談に入っていたあたし達を見回し、足を組む。 「皆さん、こちらにご注目頂けませんこと?」 静かながら、明らかに命令口調だった。あたしは、マリーへ向き直った。 屋上にいるメンバー全員の視線が集まったことに頷いたマリーは、組んだ足の上で頬杖を付く。 エメラルドの瞳を細め、にやりと口元を上向ける。少女らしい顔立ちには、あまり似合わない表情だ。 「ご存知の通り、私達は銀河連邦政府軍の襲撃を待っている。連中は武装を固めて辺りをうろついているところを見ると、私達へ奇襲を仕掛けるタイミングを計っている段階ですわね」 あたしは、空を見上げた。銀色の機影はもう見えないけど、まだどこかにいるのだろう。 マリーも上目に空を見ていたが、またあたし達へ目線を戻す。 「なのに、こうしてカラーリングリーダーを五体揃えても、まだ仕掛けてこない。どういうことだと思われます?」 「武装が足りないからでしょ?」 そう鈴音が答えると、マリーは頷く。 「いい答えですわ、鈴音さん。地球とユニオンの距離は、相当な開きがありますの。だから今来ているのは偵察部隊で、本隊はまだまだ後方にいるようですわね」 「その本隊が来る前に、偵察部隊を追い返しちゃえばいいんじゃないの?」 と、律子が言うと、インパルサーは首を横に振る。 「それこそ相手の思う壺です。一度でも仕掛けてしまっては、僕らは銀河平和協定を破ってしまいます。そうなると」 「そうやってオレらが平和協定を破っちまったら、戦闘行為に対する大義名分が出来ちまう。そうなるとだな」 インパルサーの言葉を遮りながら、ディフェンサーはずいっと律子を指す。 「この星とその周辺に、大艦隊がどかんとご登場だ。ユニオンの連中は、本気でオレらを壊す気でいるからな」 「難しいなぁ…」 口元を押さえながら、律子は俯く。あたしは、軽くフェンスに寄り掛かった。 「パル達コズミックレジスタンスと、銀河連邦政府軍との戦争の延長だからね。今度の戦いって」 「そうなんだよねぇ」 むくれたクラッシャーは、胸を反らして唇を尖らせる。 「もう戦わなくてだいじょーぶだと思ってたのにぃー!」 「本隊が来たら、オレも戦うことになるわけか」 硬い表情で、神田が手を握り締める。決心は、すっかり固まっているらしい。 しばらく上空を見上げていたイレイザーは、側頭部に手を当てていた。それを外し、振り向く。 「距離二十七万、隻数五…。うむ、ここまで解るとなると、本隊の連中も大分近付いてきているでござる」 「いっちゃんて、便利だねぇ」 あたしは感心してしまった。宇宙のことだからここからは相当離れてるのに、よく解るなぁ。 イレイザーは指を立て、こん、と軽く側頭部を叩く。にんまりと、得意げな顔になる。 「お褒めにあずかり光栄でござる、由佳どの。拙者のマルチソナーに、捕らえられぬものはないでござるからな」 すると、手前で正座しているインパルサーがぷいっと顔を逸らした。拗ねたのか、それともまた妬いたのか。 どっちにしろ、子供っぽいことには変わりない。あたしはパルに呆れつつも、可笑しくなる。 かちん、かちんと指を折って何かを数えていたリボルバーは、その手を顎に添えて背を丸める。 「二十七万か…シャドウイレイザー、船はどんなんだか解るか?」 「トランスポートシップが四隻にヘビーバトルシップが一隻でござる、赤の兄者。速力は、いずれも八千前後なり」 「のろすぎる…ああ、偵察待ちだな。つーことは…単純計算で、二週間そこいらすれば本隊は地球まで来ちまうな」 がしがしと後頭部を擦りながら、リボルバーはぼやいた。 「しっかし舐められたもんだぜ。カラーリングリーダー全員がいるっつーに、たったの五隻の小艦隊たぁなぁ」 「二週間…?」 訝しげに、鈴音があたしへ目を向けた。そう言われてみれば、何か思い当たりそうだ。 しばらく何か思い出していた律子は、あ、と声を上げた。困ったように、彼女は曖昧な笑顔になった。 あたしも思い出したので、二人へ振り返る。そうだ、その頃は。 「文化祭の頃じゃんか」 「ボルの助。きっちり計算したら、何日くらい後に本隊は着くの?」 と、鈴音はリボルバーに尋ねる。そうだ、文化祭の頃だと言っても前後ならまだなんとかなる。 リボルバーは少し考えるように唸ってから、鈴音を見上げた。また、何本か指を折る。 「地球歴で十五日後だから、丁度そのブンカサイとやらの当日になっちまうな」 「…マジ?」 ちょっと待てボルの助。そんなの、あってたまるか。 ただでさえ忙しいそんな時期に、ただでさえ大変なそんな時期に、わざわざ戦いが来るなんて。 深くため息を吐いた鈴音は、額を抑えた。その隣で、律子は困り果てた顔をしている。 お願いだから否定してくれ、ボルの助。あたしは痛烈にそう願った。 リボルバーは苦笑しつつ、あたし達を見上げた。 「マジだぜ。まぁ、めんどっちいことにはなるだろうな」 「おいおい…」 頭を抱えた神田はそう呟き、がっくりと肩を落としてしまった。頑張れ、あたしも頑張るから。 マリーはそれほど大変だとは思っていないのか、あら、と手を頬に添えただけだった。 今年の新聞部の出し物を何にするか、それすらまともに考えていないのに。なんてことだ。 どうしてこう、都合の悪いときに都合の悪いことって重なっちゃうんだろう。 銀河連邦政府軍め、計ったんじゃないだろうな。ここまでタイミングがいいと、そうとしか思えない。 インパルサーはあたしを見、仕方なさそうに言った。 「頑張るしか、ありませんよ」 「…うん」 あたしはとりあえず、頷いた。 解ってるよ、そんなことぐらい。解っているけれど。 このショックは、そう簡単に抜けるもんじゃない。 04 5/29 |