Metallic Guy




第十八話 戦略、始まる



着替え終わった自分の格好を見下ろして、もう逃げ出したくなっていた。
あたしはこの役目を引き受けたことを後悔していたが、もう諦めるしかない。だって引き受けちゃったんだもん。
うちのクラスの今年の出し物は、演劇になっていた。その内容は、ありがちな西洋風ファンタジーだ。
だけど、だからって。なんでわざわざあたしが悪役にならなきゃならないんだろう。
しかもなんだ、この衣装は。教室の壁に掛けられた鏡に映っているあたしは、物凄いことになっていた。

「出来たー?」

隣で衣装を着込み終わった鈴音が、黒いマントに入った髪を抜く。多少整えてから、振り返った。
あたしは長くてずっしりとした黒マントに体を隠して、頷いた。この中身は、とんでもないものだ。
鈴音は黒いレザーのチューブトップの下に、同じく黒いミニスカートを履いていた。結構似合っている。
腰を被う布がないため、綺麗なラインが腰から長い足まで続いている。スタイルいいなぁ、鈴ちゃん。
所々に金のチェーンベルトやアクセサリーが付いていて、両肩には、これまた黒い鎧を乗せてある。
首元でマントを止めている大きなブローチを光らせながら、すっかり悪女の鈴音はあたしを見下ろした。

「私もストッキングじゃなくて、網タイツ履くべきだったかな?」

「そうじゃなくってさ…こんなの着て、マジでやるの?」

あたしは、正直もう嫌だった。こんなに恥ずかしいものを着て、立ち回らなきゃならないのか。
鈴音はもう開き直っているのか、笑っている。切り替えが早いなぁ。

「仕方ないでしょ。私も由佳も、こうなっちゃったんだから」


「出来たー?」

教室の扉を細く開け、やよいが覗き込んできた。彼女が、この状況の元凶だ。
今回の演劇にファンタジーを提案して通したのも、女で悪役なら魔導師だろうと譲らなかったのも。
やよい本人は演劇部に所属しているのだから、自分でやればいいと思うのに。なんであたし達なんだろう。
台本を丸めてそれを握り締め、やよいは満足そうにあたし達を見て頷く。扉を開け、廊下に声を上げる。

「出来たってさー、いらっしゃいナイト達!」

重い足音がやってきて、先にインパルサーが教室に入った。そして、リボルバーもやってくる。
二人とも白いマントを着せられていて、妙な具合になっている。長い剣が、揃って腰に下げられていた。
ヘルムのようなものを頭に乗せられたインパルサーはまだ良かったが、リボルバーは無茶苦茶だった。
元々の体型のせいもあるけど、まるでマントが似合わない。正義の騎士のはずなのに、ちっとも正義っぽくない。
インパルサーと同じくヘルムっぽいものを乗せられた頭を押さえつつ、ボルの助はやりにくそうにしていた。
リボルバーは鈴音に気付くと、上から下までじっくり眺め回した後、ぱっと表情を明るくさせた。

「最っ高だぁ、うっつくしいですぜスズ姉さん!」

あたしも、鈴音は綺麗だと思った。美人は、実に悪役がよく似合う。
尖った両肩のアーマーに白マントを引っかけられたインパルサーは、あたしを覗き込んでいた。見ないで欲しい。
あたしが背を向けようとすると、鈴音に腕を掴まれてしまった。そのまま引き寄せられ、前を向かされた。
その拍子に黒マントを掴んでいた手が外れ、前が広がってしまった。中身が、全開になる。

「あ」

きょとんとしたような、驚いたような、色々と入り混じった声をインパルサーは洩らした。


あたしは改めて自分の格好を見下ろし、物凄く恥ずかしくなった。
上半身は鈴音と大して変わらない黒いチューブトップだけど、ちゃんと腰は被ってある。水着だから。
だけどそれは今まで着たこともなかったきついハイレグのもので、その下は編み目の粗い網タイツ。もう嫌だ。
腰にはごっついベルトが巻いてあって、これまた金だ。バックルには、宝石を模した赤くて丸いプラスチック。
でもって足元が、とどめのハイヒールだ。かなりつま先が尖っていて、痛くてたまらない。
上から下までじっくり眺め回したインパルサーは、あたしに一歩近寄った。あんまり近寄らないで欲しい。

「由佳さん」

「…似合わないでしょ?」

「すっごく素敵です!」

本気でそう思っているのか、パルの声は上擦っていた。予想外のリアクションだ。
更に近付いてきたので、あたしは長いマントを胸の前でかき合わせる。胸がやたら目立っていて、嫌なのだ。
インパルサーの側頭部には、よく見ると銀色の羽根っぽいものが三枚付いている。マリーさんみたいだ。
あたしは、パルのヘルムがあるものに似ていることに気付いた。彼のマスクを指し、見上げる。

「ねぇパル。それ、わざわざ乗せなくてもいいじゃないの? マスク開いて、その上にくっつければ」

「あ、そうですか?」

身を引いたインパルサーは、くいっとヘルムを上げる。そして、開いた。
ここしばらく見ていなかった彼の本当の顔、整った美形っぽい顔が露わになる。
思った通り、丁度良く彼のマスク部分がヘルムを支えた。これで、ますますナイトっぽくなった。

「これでいいですか?」

台本を握り締めたやよいは高い声を上げ、ぱしんと両手を組む。

「そんな顔あったんだー! マジでそっちの方がいいよー、インパルサー君!」

「うん、悪くない悪くない」

あたしが頷いてみせると、インパルサーは嬉しそうに頬を掻いた。これをやるから、半減するのだけど。
肩アーマーに乗せた白いマントをぶわりと広げて腰を落とし、ベルトに掛かっていた鞘から剣を抜く。
いわゆる模造品の両手剣を掲げてから横に一度振り、それを、ひゅん、と真正面に振り下ろす。綺麗な動きだ。
広がったマントが落ち着き、インパルサーは剣を鞘に戻す。照れくさそうに笑い、あたしを見下ろす。

「どうでしょう」

「いいじゃんか」

そうあたしが褒めると、インパルサーはあまり締まりのない笑顔になった。ちょっとカッコ良くない。
締められた教室のドアが、軽くノックされた。やよいはそれに気付き、返事する。

「二人とも出来てるから、入っていいよー」


「こちらも出来ましたわ」

真っ白いふわふわしたドレスを広げながら、マリーが入ってきた。その周囲を、女子が固めている。
長い金髪はポニーテールに結い上げられていて、その結び目にはレースのリボンが結んである。
裾の長いドレスを踏まないように持ち上げながら近付いてきたマリーは、にっこり微笑んだ。

「悪役らしくなりましたわね、由佳さん、鈴音さん」

「マリーさん、お姫様似合いすぎー!」

あたしはおとぎ話のお姫様そのものなマリーに、思わず見入ってしまった。マジで可愛い。
この劇のヒロインは、満場一致でマリーさんになったのだ。正にお姫様、って感じの見た目だし。
マリーの周囲を取り巻いていた女子や男子が、インパルサーが素顔を晒していることに気付いたらしい。
途端に女子の黄色い声が上がり、どやどやと駆け込んできた。美形ならそれでいいのか、あんた達。
彼女らに囲まれそうになったインパルサーはちょっと戸惑った顔をして、とん、と床を蹴る。
ふわりと白いマントを広げながら、離れた位置の机に乗った。狼狽えつつ、身を引く。

「あの…僕、そんなに面白いですか?」

女子達は口々に、なんで今まで見せてくれなかったの、とか、マジでカッコ良すぎる、とか繰り返している。
インパルサーは今度こそ女子達に囲まれてしまい、出るに出られなくなっていた。
彼は困り果ててしまったのか、しきりにあたしを見たが、あたしにはどうにも出来ない。あれを静めるのは無理だ。
あたしの隣に立ったマリーは、呆れたような目をしていた。あたしも少々、現金な彼女らに呆れている。
細い銀色のティアラを頭に乗せられているマリーの耳元は、いつもの機械の羽根がなかった。
丸みのある柔らかそうな耳が、金髪の下に覗いている。機械の羽根の下には、ちゃんとした耳があったようだ。

「マリーさんて、ちゃんとした耳があったんだ」

ちょっとそれを意外に思いつつ、あたしはマリーを見下ろす。
マリーは耳へ髪を掛けながら、少し笑う。

「当然ですわ。あれは単なるユニットにすぎませんもの」

「大人気だねー、ブルーソニック」

どこか面白そうに、鈴音はまだ騒がれているインパルサーを眺めていた。あたしはふと、廊下を見た。
するとそこには、他のクラスの生徒達がしきりに覗いている。なんか、恥ずかしい。
彼らの視線はフランス人形のようなマリーと、美形のナイト、インパルサーにばかり注がれていた。
後ろ側の扉もいつのまにか開いていて、ギャラリーがまだまだ集まっている。その中に、見覚えのある姿があった。
荷物を抱えたまま、律子が呆然と突っ立っていた。その隣で、ディフェンサーがけらけら笑っていた。
律子はあたしと鈴音をまじまじと見比べてから、ちょっと臆したように言う。

「美空さん、高宮さん。悪役って…そんなに、派手でいいの?」

「悪役だからこそ派手なんじゃーん」

と、元気良くやよいが返す。評判が良いからか、上機嫌だ。
教室に半分だけ体を入れたディフェンサーはリボルバーを指し、にやりとした。

「リボルバーの兄貴の方は、正義の騎士って感じじゃねぇよなー」

「るせぇ!」

リボルバーは腹立たしげに言い返し、ディフェンサーに振り返った。
白いマントに被われた胸を、がん、と強く叩いた。

「オレだって、こんなもん絶対似合ってねぇと思ってるよ! だが、頼まれちまったんだ!」

「ボルの助って色が濃いから、どうしても白みたいな色は負けちゃうのよねぇ」

と、鈴音はリボルバーの長いマントをつまんで持ち上げる。ボルの助の体格に合わせてあるため、かなり長い。
リボルバーは何度も頷き、心底不機嫌そうな声を出す。ナイトは気に入っていないらしい。

「おうよ。白なんざ軟弱な色は、オレには似合うはずがねぇんだ」

「やっぱりあんたが悪役すべきだったんじゃないの?」

白いマントから手を離し、鈴音はまじまじとリボルバーを眺めた。彼は気恥ずかしげに、表情を緩めた。

「かもな。だが、姉さんらが敵ってのだけがやりづれぇけどな」


「うぇ!?」

突然、素っ頓狂な声が上がった。インパルサーは、ぎょっとしたようにこちらを見ている。
軽く机を蹴って飛び上がり、マントをなびかせながらあたしの前に着地した。女子達は、ちょっと騒ぎを止めた。
そしてくるりとリボルバーに振り返り、詰め寄る。マスクを開いているから、真剣な表情がよく解る。

「ということはなんですか、由佳さんもやっぱり僕の敵なんですか!」

「おうよ。てめぇの好きな勧善懲悪の悪の方だ、オレらのコマンダーはな。今更なんだ、変な声出しやがって」

逆手にあたし達を指したリボルバーに、インパルサーは落胆したように呟く。

「どうしても、敵なんですか…」

「お芝居ですのに。そこまで、深刻になるようなことでもありませんわよ?」

呆れたように、マリーがインパルサーを見上げる。その拍子に、ポニーテールの髪がふわりと揺れて広がった。
パルはしばらく頬をがしがし引っ掻いていたが、はぁ、と深くため息を吐いた。何を悲観してるんだか。
近くにやってきた男子が、笑いながら乱暴に彼を叩いた。

「どうせなら、ナイトを代わってやってもいいぜ?」

「いえ、引き受けてしまったからには最後までやります」

泣きそうな声で呟きながら、インパルサーはその男子を離した。真面目すぎる。
白いマントの背中に出ている妙な二つの出っ張りは、彼の翼だろう。後ろ姿は、かなり変だ。
あたしはその深刻そのものな姿に、つい笑ってしまった。

「そんなに深く考えないの。敵って言っても最初だけだし、後半で仲間になるんだから」

「ああ、そうでしたね」

少し気を持ち直したのか、インパルサーは横顔だけ向けた。
あたしは台本をめくり、広げて彼へ突き出す。

「ほら、第二部。ちゃんと読んでなかったの?」

「読みました。ですが、ついさっきまで敵だった方々とすぐに仲間になるのは、いくらなんでも無茶な気がして…」

「そういうもんなの!」

あたしとインパルサーの間に割り込んだやよいは、びしっと彼を指した。

「ファンタジーのお約束に、あんまり突っ込んじゃダメ! ナイトなんだから!」

「…はぁ」

腑に落ちていないのか、インパルサーは曖昧な返事をした。まぁ、あたしもそこは突っ込みたいけど。
あたしと鈴ちゃんの悪役コンビがあっさり寝返って、ナイト側に付くのは唐突過ぎる。マジで。
だけど、あたし達が悪役になっているのは魔王の力のせい、ってことらしい。で、パル達ナイトが持っている聖剣に倒されると、その魔王の力は消えるらしい。かなり強引な気がするけど。
でもって、捕らわれたお姫様、マリーも仲間になる。戦えるほど強いなら、最初から自分で逃げたらどうなんだ。
その辺も突っ込みたくて突っ込みたくて仕方なかったけど、ハイテンションのやよいには言えなかった。
やよいと一緒に騒いでいる脚本担当の子達にも、言えそうにない。言ったら、きっと押し切られそうだから。
あたしが台本を閉じてから、顔を上げると教室が少し薄暗かった。何かが、日光を遮ったらしい。
窓の外を見ると、見覚えのある鋭い流線形のマスクフェイスがあった。途端に、やよいは満面の笑みになる。

「そう、これよこれぇ! マジでいいじゃーん!」

なぜか教室の窓の外にやってきたナイトレイヴンは、首を動かして中を覗き込んでいた。
神田がいないと思ったら、外に出てたのか。だけど、いつのまに持ってきたんだか。
ナイトレイヴンは赤くて鋭い目を強め、ずいっと窓へ顔を寄せる。妙な姿勢だけど、ちゃんと浮いている。

「なぁ…西野。いくらなんでも、たかが演劇にナイトレイヴンを使うことはないんじゃないのか…?」

「何よ今更ー、やってくれるって言ったじゃーん」

にやりとしながら、やよいはナイトレイヴンを台本で指す。

「神田君は、無敵の魔王なんだからね!」

「無敵っつったってさぁ…どうせインパルサー達に負けるんだから。無敵じゃないぜ、それ」

空中で腕を組み、首をかしげる。ナイトレイヴンのマスクフェイスが、あたしに向いた。
直後、風を残しながら黒い機体が遠ざかる。そして、顔を逸らしてしまった。
あたしはナイトレイヴン、もとい神田の反応があまり面白くなかった。着ている方が恥ずかしいんだぞ。

「何よぅ」

「いや…その」

くるりと背を向けたナイトレイヴンの翼は、四枚に戻っていた。ちゃんと修理されている。
やりづらそうに空中で両手を垂らすその姿は、インパルサー以上に情けない。
校庭の上に浮かんでいるため、大きな機影が校庭に落ちていた。その周囲に、人が集まってくる。
インパルサーはどうにもしゃっきりしないナイトレイヴンの後ろ姿に、声を上げる。

「葵さーん、覚悟して下さいねー! 僕らが敵なんですからー!」

片手を挙げて軽く振ったナイトレイヴンは、ゆっくり上昇していった。屋上に置くつもりらしい。
間近で巨大ロボを見たせいか、男子達が沸き立っていた。これから大変だぞ、葵ちゃん。
肘まである長い手袋を填めた腕を組んでいた鈴音は、あたしに振り返った。

「あんなのに操られる私らって、ちょっと情けなくない?」

「かもね」

あたしは、即座に同意した。ずん、と重たい音の後、校舎が僅かに揺れた。
ナイトレイヴンは無事に屋上に置かれたようで、それ以上音はしなかった。神田は、かなり進歩している。
ふと、インパルサーを見ると、またマスクを閉じていた。それを見た女子達が、残念そうにしている。
彼はレモンイエローのゴーグルで目元を被ってから、あたしに顔を向けた。

「こっちの方が、やっぱり落ち着きます。開くのは、演じている最中だけでいいですよね?」

「その方が、パルも楽だと思うしね」

あたしがそう返すと、パルはほっとしたように息を吐く。囲まれるのは、あまり好きではないようだ。
マリーは二人のナイトを眺めていたが、あたし達へ振り向いた。にやりとした、あの顔になっている。
まさかとは思うけど、マリーさん。この演劇、戦いに利用するつもりじゃないだろうな。
だけど、こんな劇をどうやって戦いに利用するんだろう。さっぱり見当が付かない。
マリーはあたしに気付くと、すぐに表情を戻し、にこにこしていた。食えない人だなぁ。
あなたは一体、何を考えているんですか。




その夜、あたしは勉強を二の次にして、劇の内容を頭に叩き込んでいた。
リビングのテーブルに乗せた劇の台本を、クラッシャーがぱらぱらめくっていた。
インパルサーの物だから、セリフの上下にト書きが一杯されている。主役はなかなか大変そうだ。
あたしはダイニングテーブルに座って、自分の台本を見ていた。結構セリフが多いぞ、悪役も。
クー子はふわりと漂ってあたしの前にやってくると、最初のページを広げて役名を指す。

「烈火の騎士・ルベオンがリボルバー兄さんで、疾風の騎士・サファイスがインパルサー兄さんなの?」

「そう」

あたしは自分の手元の台本を広げ、その隣の役名を指していく。
これらの名前の元ネタは宝石なのが、一見すればよく解る。あたしは、指を止めた。

「で、魔導師・アメジスティが鈴ちゃんで、魔導師・ガーネッタがあたし」

「このお姫様は?」

と、クラッシャーはその次の名前を指す。あたしは、クー子を見上げる。

「ジュエラルド王国の姫君・エメラルダはマリーさん。お姫様だし、この話の主役だね」

「大変そー」

台本を読みつつ、クー子は最後に書いてある役名を指した。

「それじゃ、この魔王オニキスは?」

「魔王は神田君というか、ナイトレイヴンだよ」

そう返しながら、あたしは台本に綴られたストーリーを追っていった。
タイトルは、メタリック・サーガ。要するに、鋼鉄英雄譚だ。ナイトがロボットだからだろう。
勧善懲悪な、剣と魔法の世界。敵は魔王ただ一人で、あたし達魔導師は操られているだけ。
その魔王がなぜ姫君をあたし達に攫わせるのか、その理由が今一つ解らない。書いてないし。
良くあるパターンだと、魔王と姫君が婚礼を、とか、姫君の命を我に、とかなんとかがあるはずなのに。
最後まで読んでみても、さっぱり出てこない。やよい、書き忘れたんじゃないだろうな。
だけど、ちょっとした伏線はきっちり消化してあるから、それはなさそうだ。だけど、そうなってくると。
余計に腑に落ちない。魔王が姫君を攫う理由って、本当になんなんだ。
台本を一通り読み終えたのか、クラッシャーは台本をぽいっと投げ、器用にリビングテーブルの上に落とした。
あたしの横にするりとやってきたが、ダイニングカウンターの向こうを見上げる。

「ねー、インパルサー兄さん」

そう呼び掛けられ、食器を洗っていたインパルサーは手を止めた。

「なんですか?」

「おねーさんとチューする?」

わくわくしているのか、クー子は両手を胸の前で組んでいた。お願いクー子、勘弁して。
インパルサーは、手に持っていたあたしのマグカップを水盤に落とした。ごわん、とステンレスが鳴る。
しばらく間を置いてから、パルは全力で否定した。かなり焦っているのか、声が上擦っている。

「しませんよ!」

「つまんなーい」

不満げに頬を膨らませたクラッシャーは、組んでいた手を外して腰に当てた。
その視線があたしに向いたが、あたしは早急に目を逸らす。テレビの前で、涼平が変な顔をしていた。
クー子はこれ以上詮索するのは無駄だと解ったのか、また台本を手にする。今度はあたしのだ。
それをめくりながら、洗い物を続けるインパルサーを見上げる。

「だけどこれ、最後まで出来るのか心配だね、インパルサー兄さん」

「こればかりは、襲撃のタイミング次第ですね。僕としては、最後までやりたいですが」

洗い物を終えたインパルサーは水を止め、あたしを見下ろした。

「由佳さんを仲間にして、それからまた戦いに出るくらいまでは」

「けど、そんなことしててマジで大丈夫なのか? パル兄達の敵って、その文化祭の日に来るんだろ?」

テレビの前から立ち上がった涼平は、心配げにあたし達を見上げた。
クー子は、するりとその後ろに滑り込む。

「だよねー。抜け出すタイミング、しっかり作っとかないと学校ごとやられちゃうよー」

「そこなんですよね」

かちゃり、と拭き終わった皿を重ねてから、インパルサーはあたし達を見下ろした。
布巾を広げて棒に掛け、ゴム手袋を外して捨ててからダイニングカウンターから出てきた。
パルはエプロンを外して畳みながら、振り返る。

「応戦のタイミングを見誤ってしまうと、取り返しの付かないことになると思いますし」

「だーけど下手に早く動いちゃうと、あっちから撃たせることなんて出来ないしぃ」

クラッシャーは、口元に指を添えた。

「いつも以上に、慎重に行かないとなー」

銀河連邦政府軍から攻撃を仕掛けさせることは、ちょっと考えただけでも大変そうだ。
あちらとしては、ヒューマニックマシンソルジャー達に平和協定を破ってもらいたいだろう。
だけど、こちらとしてはそれを破るわけにはいかない。地球を、戦場にしてしまわないためにも。
だからこそ、どちらも動きが慎重になってしまうだろう。
こういう場合にどう動いたら効果的なのかちょっと考えてみたけど、さっぱり思い付かない。
それに、文化祭の最中に戦うなんてどうやるんだろう。大方空中戦だろうけど、あまり想像が付かない。
ついでに考えれば、一体どこから、どこへ敵はやってくるんだろう。それも、結構大事なことだ。
一度戦いのことを考え出したら、さっぱり台本の内容は頭に入ってこなかった。
なんとか台本に集中しようと思ったけど、無理だった。切り替えが下手だなぁ、あたしは。




それでも、寝る前までなんとか頑張ってみようと思った。
あたしはベッドに腰掛けて、多少よれてきた台本を睨む。なんで、ここまで頭に入らないんだろう。
ついさっきピンクの蛍光ペンでアンダーラインを引いた自分のセリフを目でなぞる。結構長い。
その一つを、とりあえず読み上げてみた。

「お姉様のゴーレムを倒して、ここまで来たことは褒めてやるわ。だけどお前達の進撃も、ここで終わりだよ! 偉大なる魔王様のお力を借りているあたし達の闇魔法に、騎士如きが勝てるはずがない!」

ト書きにあった身振りを加えながら、あたしは立ち上がる。が、どうにも恥ずかしい。
なんだよお姉様って。そうか、鈴音のことか。神田魔王が、そんなに偉大とはやっぱり思えない。
気を取り直して、次のセリフを見る。鈴ちゃんの次に、また長いのがあった。

「まずはその邪魔な聖剣を折ってやるわ。目障りなのよ、その輝きが! あたしが相手よ、サファイス!」

思わず、あたしは台本に顔を埋めた。なんだこれ、もっと恥ずかしい。
こんなセリフを、あんな格好で言わなきゃならないのか。開き直ろうにも、直れない。
そのままベッドに倒れ、唸ってしまった。ぶっちゃけ、やりたくない。
ドアが開いたので顔を上げると、インパルサーが立っていた。部屋に入ってくると、あたしを見下ろす。

「大丈夫ですか、由佳さん?」

「…恥ずかしい」

あたしがそう呟くと、インパルサーは少し笑った。

「僕の方がもっと凄いですよ。ちょっと、やってみせますね」

マスクを開いたインパルサーは、剣を抜くような振りをした。それを掲げ、胸を張る。

「随分と威勢の良いことだな!」

薄めの唇を締めて真剣な表情をした彼は、足を広げて腰を落として構えを作る。

「だが我らは、負けるわけにはいかないのだ! エメラルダ姫を救い出し、悪しき魔王オニキスを打ち倒すまでは、私の膝は大地へ付くことを許されてはいない!」

ひゅん、と突き出していた腕を振り、真正面を睨み付けた。

「魔王に魅入られし者達よ! エメラルダ姫を今解放するならば、私は剣を振るわないと約束しよう!」


あたしは、つい見入ってしまった。
やたら偉そうな口調はパルらしくはない。だけど、ちょっとだけカッコ良く見えた。
さすがに自分でなりたい、と言っていただけのことはある。かなり、ナイトっぽい。
マスクを開いているから、中のきりっとした表情が良く見える。こういう顔をしているときのパルは、結構男前だ。
しばらくポーズを付けて突っ立っていたが、インパルサーは腕を下ろした。あたしを見、気恥ずかしげに笑う。

「あの、どうですか?」

一気に緩んだ。せっかく男前だったのに、またいつものパルだ。
あたしはそれがかなり残念に思えたけど、とりあえず頷いた。

「いいんじゃない? 偉そうだけど」

「そこなんですよね」

テーブルの上に置いた台本をめくったインパルサーは、もう一度ポーズを付けた。

「私達の力を甘く見てもらっては困るな、魔物共! 行くぞ、ルベオン!」

一息吐いてから、彼はやりづらそうに苦笑した。台本を指しつつ、あたしを見下ろす。

「こんな感じに、ずっと僕が主導権を握っちゃってるんです。フレイムリボルバーではなくて、僕が」

「ボルの助は納得してないだろうねー、それ」

「ええ。理不尽だー、って散々叫んでました。僕も、ちょっとこれはやりづらいです」

がしがしと白銀色の頬を掻きながら、インパルサーは座った。あたしはベッドから立ち、その前に座る。
表紙にでっかく黒マジックで、ブルーソニックインパルサー、と書かれた台本をちょっとめくった。
あたしと同じようにしたのか、パルのセリフの部分には水色の蛍光ペンで、アンダーラインが引いてある。
それらはいかにも騎士らしい強気のものばかりで、ヒーローらしくするためなのか、大抵のセリフが言い切る形だ。
そのうちの一つで、あたしは目が止まってしまった。こんなセリフがあったのは知ってたけど、よく見ていなかった。
こういうファンタジー物でよくある、最後に姫君が騎士に求婚する、ってシーンにこんなのがあったのだ。


  サファイス「(膝を付いて顔を上げ)エメラルダ姫…私の心は、元よりあなたのものにございます。
        エメラルダ姫が国を愛されるように、私もあなたを心から愛しております」


あたしは台本を閉じ、テーブルに置いた。これも全て、やよいのせいなのか。
こんなに、歯のガタガタ浮きまくった気障ったらしさの固まりみたいなセリフを、パルがマリーに言うというのか。
隣であたしの様子を見ていたインパルサーは、少し笑っていた。
何か言ってやろうと顔を向けると、彼はどこか面白そうにしながら、あたしを覗き込む。

「妬きました?」

「誰が!」

そう言い返してから、あたしは彼に背を向けた。顔なんて、合わせられるか。
頬が熱いのが、自分でもよく解る。おまけに、絶対に変な表情をしているに違いない。
どう言い表せばいいのか掴めないけど、とにかく胸の辺りが変だ。言うならば、胃もたれに近い。
なんだよもう、たかが文化祭の劇のセリフじゃないか。何をそんなに反応してるんだ、あたしは。
それに、なんでマスクを戻さないでいるんだよ。結構、いや、かなりやりづらいじゃないか。
そんなに綺麗で整ってる顔で笑ったりしたら、凄く、凄く。


カッコ良いってこと、自分で知らないのか。


ああ、落ち着かない。じりじりするし、なんか苛々する。
サフランイエローの目を少し細めながら、インパルサーは笑っていた。肩まで震わせている。
それがやけに腹立たしく思えたので、あたしは振り返って彼を睨む。

「なんで笑うの!」

「いえ、別に」

そうは言いながらも、パルは笑うのを止めない。ホントに、何がそんなに可笑しいのさ。
さっぱり解らない。自分のことも、彼のことも。だから、苛々するのかな。
ひとしきり笑って満足したのか、一息吐いてからインパルサーはあたしを見た。まだ、可笑しそうだ。

「大丈夫ですよ」

「何が」

自分でも、明らかに不機嫌だと解る声で返事をしてしまった。そんな声しか、出なかった。
だけどパルは怒るでもなく、笑っているような声で返してきた。
まだ、そのマスクは閉じていなかった。


「そんなこと、僕が由佳さんの他に言うわけがありませんよ」



なんだよ、もう。
そんなこと、改めて宣言されなくったって。前からあたしは。

解ってるよ。


今度は、なんだろう。
苛々してたのが熱さに変わって、じりじりしてたのが強くなって、それが痛みになった。
焼けるような強い痛みじゃない。だけど、確実に痛い。
どうにかして消したいとは思ってみたけど、まるで消えそうにない。
少しインパルサーへ目をやると、彼はマスクを閉じていた。あんなに長く見せてたの、久々かも。
いつもの丸っこい感じのマスクフェイスは、ちょっとだけあたしに平常心を取り戻させた。
意外な効果がある。見慣れているから、かもしれないけど。
レモンイエローのゴーグルに、あたしが映る。インパルサーはマスクを軽く押して、かちりとはめ込んでいる。

「由佳さん」

「ん?」

多少ほっとしながら返すと、インパルサーは首をかしげた。

「由佳さんは、こっちの方が好きなんですか?」


どっちも好き。
だけど、本当の顔のインパルサーは、気障ったらしすぎるんだ。
何をしたって何を言ったって格好が付くから、余計に。
そう言おうと思ったけど、言えなかった。


好き、って。


これだけなのに、どうしても言い出せなかった。







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