Metallic Guy




第十九話 作戦、開始



文化祭の準備に急かされる日々は、あっという間に過ぎた。
あたし達は授業以外のほとんどを演劇の練習に明け暮れて、おかげですっかりセリフは頭に叩き込まれた。
戦いも、確実に近付いてくる。ヒューマニックマシンソルジャー達は、全員オーバーホールを終えた。

そして。

文化祭の当日が、訪れた。




一歩校門を入ると、そこはもう別世界だった。
あたしは衣装とその他諸々の入ったトートバッグを通学カバンの上に重ねて、抱えていた。
様々な部活やクラスが、出し物の準備をしている。まだ開祭には時間があるから、今は最後の大詰めだ。
昨日一日で何度かやった通し稽古を思い出しながら、あたしはグラウンドの右端へ顔を向けた。
やけにでかいステージが、グラウンドの一角に組み上がっていた。この上で、あたし達の演劇は行われる。
トレーラーを一回り大きくしたみたいな大きさで、その上には照明やスピーカーがくっつけられている。
結構大仕掛けで、ちゃんと幕が出し入れ出来るようになっていた。手間と金が掛かっている。
あたしは何の気なしにそれに近付くと、その脇に立て掛けられた看板に気付いた。

「うおぅ!」

それを見た途端にのけぞってしまい、そんな声が出た。
写真部が撮ったであろう、やたらにカッコ付けたナイト二人の写真が、ポスターに加工されて貼ってあった。
やけに色んな部分がキラキラしていて、まるで少女漫画の世界だ。背景もピンクだし。
美形のナイトと金髪碧眼の姫君が前面に押し出されていて、すぐにこの二人が主役だと解る。
下半分には凝っているロゴが付いていて、メタリック・サーガとタイトルがあった。まるでヒーローショーだ。
第一部の開演は、午前十時三十分から午前十一時。第二部は、午後二時から午後二時四十五分。
あたしはその両方に出番があるので、その間、他のクラスを見て回れないのが残念だった。
この立て看板の脇には、長い紙の円筒が大量に詰まっている箱がある。
大方、このポスターが一杯あるんだろう。変なところに予算を回したなぁ、うちのクラスは。
しばらくステージの前でぼんやりしていると、ステージの下を被っているシートがべろっとめくられた。

「おはようございます、由佳さん」

シートから顔を出したインパルサーは、工具箱を片手に提げていた。
あたしは半笑いになりながら、ポスターを指す。

「おはよ、パル。これ、すっごいねぇー…」

「やよいさん達が、ついさっき持ってきたんです。刷り上がったから、って」

工具箱を足元に置き、インパルサーはポスターを眺めた。

「これ、僕じゃないみたいですね…」

「ね、何してたの?」

あたしは、シートを少しめくってステージの下を覗いた。薄暗い中、パイプの接続部分が補強されている。
インパルサーはべろりと大きくめくり上げると、その補強部分を指す。

「僕とフレイムリボルバーも立ち回りますから、壊れてはいけないと思いまして。補強してたんです」

「だからあたしより早く出たんだ」

あたしは、ちょっと納得した。いつも一緒なのに、今日だけ別なんて変だと思ったら、ちゃんと理由があった。
インパルサーは身を引いて、立派なステージを見上げる。複数の部やクラスが使うから、上には色々付いている。
ここで、あたしはあの恥ずかしい衣装で恥ずかしいセリフを叫び、立ち回るのか。
さすがにここまで来ると開き直ってしまったけど、やっぱり恥ずかしい。いい加減に諦めよう。
インパルサーは工具箱を資材の隣に置き、あのポスターの入った箱を担ぐ。

「これ、配ってきますね。どのくらい貼られるかは解りませんけど」

「あ、うん」

あたしが頷くと、インパルサーは、では、と校舎側へ歩いていった。主役なのに、よく働くなぁ。
また、なんとなくステージを見上げてしまった。劇を利用して戦いなんて、マリーさんも無茶苦茶なことを。
背後の屋上を見上げると、どっかりとナイトレイヴンが突っ立っている。昨日から、置きっぱなしだったようだ。
天気も良く、爽やかな朝だ。だけど、空気が違う。お祭り騒ぎの前の、微妙なバランスだ。
少しの切っ掛けでこれは溢れて、凄い騒ぎが始まるのが解る。あたしは、こういう空気は嫌いじゃない。

「おはよ」

声を掛けられたので振り返ると、鈴音が立っていた。二人分の荷物を担いでいる、リボルバーもいる。
あたしは二人へ向き直り、挨拶してから後ろのステージを指した。

「おはよ、鈴ちゃん、ボルの助。ステージ、出来てたよ」

「立ち位置とかは体育館でしたのと変わらないし、通し稽古は昨日二回したから、もう大丈夫でしょ」

と、鈴音はステージを見上げた。段差が高いので、近くだと見上げないとダメなのだ。
リボルバーは鈴音の衣装やら自分の衣装やらが入ったバッグを抱え、ステージを見上げる。

「あれだけ練習させられたのに、やるのはたったの一回たぁなぁ。儚ぇなぁ、なんか」

「そういうもんだよ、文化祭って」

そう返して、あたしは空を見上げた。その先には、近頃見慣れたあの姿がある。
銀色の、すらりとしたアドバンサー。マリーさんによれば、あれは確実に銀河連邦政府軍のものだそうだ。
もう隠す気すらないのか、それともあたし達に余裕を見せつけるためなのか。
やたらと姿を現していて、銀色の機影が空にあるのは、日常の一部と化しそうな感じだった。
リボルバーは銀色の機影を睨んでいたが、少し笑う。

「奴さん、オレに覚悟しろ、だとよ。覚悟するのはそっちだろうが」

「何、通信でもしたの?」

鈴音が尋ねると、リボルバーは片手を挙げて親指を横にし、びっと首根っこに走らせた。

「いんや。奴さん、こいつをしやがったのさ。随分とまぁ、余裕振りまいてやがるぜ」


「おはよう、美空さん、高宮さん」

その声に振り向くと、律子がディフェンサーと立っていた。ディフェンサーは、何かの箱を肩に担いでいる。
エプロンを何枚か抱えた律子はステージに近付き、うわぁ、と声を上げる。

「でっかいねぇ。この上で、美空さん達がやるんだね」

大量のキャベツが詰まった箱を肩に乗せたまま、ディフェンサーはステージを見回す。
数歩身を引いてから地面を蹴り、軽く飛び上がってステージの上を見、すたんと着地した。
ディフェンサーはしばらく上空を見ていたが、箱を担いでいない方の腕を突き出し、ぎりっと握り締める。

「さぁーて、今日はオレの出番みてぇだな。きっちり全部、防いでみせらぁ」

「でもその前に、ちゃんと仕事はしてね?」

律子が笑うと、ディフェンサーはむくれる。

「解ってるさ、そんくらい。けど、なんでわざわざオレに作らせるんだよ。食えねぇのに」

すると、始業を始めるチャイムが鳴った。とりあえず、教室には行かないと。
あたしはディフェンサーが何を作らされるのかは多少気になってはいたが、教室へ行く方が先だ。
今回の文化祭のスローガンが大きく書かれた横断幕が、校舎の壁を被っている。
青春を貫け、みたいなことが書かれていて、色が結構派手だ。実行委員会も頑張ったんだなぁ。
あたしは校舎へ向かいながら、もう一度空を見上げた。銀色の機影は、もう姿を消していた。




劇の開演時間はすぐに近付いてきため、あたし達出演者は控え室に押し込まれていた。
目の前の鏡を見るのが、ちょっと怖かった。
これでもかとグラデーションに塗られた濃いアイシャドウに、睫毛はマスカラで重たい。
今までに見たことがないほど、あたしの顔は派手になっている。こんなに、化粧を濃くされたのは初めてだ。
あたしはあまりの形相に不安になりながら、背後のやよいへ振り向く。

「やっちゃん、これ、ちょっと濃すぎない?」

「もっと赤いのなかったっけー…」

あたしの話を聞かずに、やよいはメイク担当の水原麻美とバッグを漁っている。おい、ちょっと。
仕方がないので、隣で似たような派手な化粧を整える鈴音を見た。こっちは、きつくても違和感がない。
鈴音は元々美人だし、目鼻立ちがはっきりしてるから化粧に負けていない。だけど、あたしは。
童顔でどんぐり眼の子供っぽい顔立ちだから、こういう化粧がまるで似合わない。むしろ怖い。
衣装を見下ろすと、最初の頃よりどんどん派手になっている。黒い水着に、金の刺繍がされているし。
マント止めのブローチもでっかくなったし、ブレスレットやイヤリングも着けさせられた。耳たぶが、重いし痛い。
あまり長くない髪もいじられてしまい、カラーヘアスプレーで金に近い茶髪にされた。凄い色だ。
鏡の中のあたしは、別人だ。ていうか誰よこれ。元がちっとも残っていないよ。
黙々とメイクを続けている鈴音の長い髪も、軽くウェーブが掛けられていた。こっちは色っぽい。

「由佳ー」

「ん?」

あたしは正直見られたくなかったが、呼ばれたからには振り向く。
ローズレッドの口紅を唇に乗せてから、鈴音は一度唇を合わせて開ける。

「その顔でその髪の色なら、口紅は赤よりもオレンジ系の方が良くない? その方が、違和感ないでしょ」

「だ、そうだけど」

あたしは、まだ化粧道具のバッグを探っている二人に言った。やよいは顔を上げる。
麻美はしばらくがしゃがしゃとやっていたが、口紅とグロスを取り出した。

「オレンジ系ならあるよ。だけどこれ、正義の味方用だから明るすぎて、黒服には似合わないんじゃない?」

「私のと混ぜればいいでしょ」

と、鈴音は自分の使っていた口紅を向ける。麻美はそれを受け取り、意外そうに鈴音を見る。

「いいの? 高宮さんのって、結構」

「いいの。どうせ消耗品なんだし、あるなら使わなきゃ」

そう笑いながら、鈴音はまた自分の化粧に戻った。そりゃまぁ、確かにそうだけど。
麻美はブランドのロゴが入った鈴音の口紅と、手元のグロスと口紅と見比べる。

「それじゃあ使うけど…本当に」

「いいって。今は私より、由佳を仕上げる方が先でしょ?」

にいっと真っ赤な唇を広げ、鈴音は笑う。麻美は嬉しそうな顔をして、頷いた。

「そだね、今は由佳の方が先か。ありがと、高宮さん」

すぐに、麻美は紅筆で鈴音の真っ赤な口紅を取り始めた。パレットに乗せ、そこにオレンジの口紅を混ぜる。
赤は和らいだけど、今度はオレンジが濃すぎる。そこに、もう少しだけ赤を混ぜたら程良くなった。
麻美はあたしをこちらに向け、それを付けた紅筆をあたしの唇に乗せていく。

「うん、確かに。こっちの方が、やたら赤いより下品じゃないね」

「でしょ?」

と、鈴音はにやりとした。大半の化粧が終わっていて、悪の魔導師が出来上がっていた。
いつもよりくっきり描かれた細い眉毛を整えながら、鈴音は笑う。

「妹ってことなんだし、幼めの方がいいだろうしね」

口紅を塗り終えられ、あたしは今一度鏡を見る。幼めとはいえ、派手な化粧に変わりはない。
やよいはにんまりと笑み、満足そうにキャスト達を見渡している。大半が、化粧も終えていた。
あたしは上機嫌なやよいに、ちょっと尋ねてみた。結構、気になってたことだ。

「けどさ、なんでやっちゃんは自分でやらないの? 演劇部なのに」

「私はね、映画監督になりたいの!」

即答したやよいは、がしりと台本を握り締める。

「だから、こういうの一度やってみたかったんだ! ああもう最高よ、ビバ青春!」


離れた位置で、マントの位置を調節しているインパルサーがいた。
背中部分にスリットが入れられたのか、背中からは青い翼が二つ飛び出ている。いい感じじゃないか。
やはりこちらも最初に比べて装飾が増えていて、腕や足に銀色のアーマーが付いている。ますますナイトだ。
マスクを開いてヘルムを乗せ、耳にあの銀色の羽根を三枚置く。腰に剣を下げ、完成した。

「やよいさん、こちらも準備完了しました」

「こっちもだ」

やはり鎧が増えたリボルバーは、腰の後ろに納めている大きな剣の位置をいじっていた。
柄を握って鞘を少し上向けてから、両腕に付けられた銀色の装甲を眺めた。

「ちぃと動きづらいぜ、これ。なんで前より増えてんだよ、付属物が」

「リボルバー君を正義っぽくするには、銀色を増やさなきゃだったんだもん。仕方ないでしょ」

と、衣装担当の子が胸を張る。リボルバーは、困ったように腕を組む。

「だったら、なんでオレを悪役にしねぇんだよ?」

「サファイスが理知的な模範的騎士ってことを示すためには、対象となる荒くれな無頼の騎士が必要だったんだよ」

脚本担当の男子が、仕方なさそうにリボルバーを見上げた。

「そしたらルベオンは、役作りがほとんど必要なさそうな、ただの荒くれになっちゃったけどね」

「小道具、壊さないでくれよ」

あたしが使う魔法の杖をいじっていた小道具担当の男子が、心配げに呟く。
リボルバーは辟易したように、口元を歪める。何か壊すと思われているらしい。

「ああ、何も壊さねぇよ。どうせ剣を振るう相手も人間だ、力は入れねぇさ」

「ボルの助、私との殺陣の時はあんまり早くしないでよ」

気恥ずかしげに、鈴音が振り向いた。リボルバーは、笑いながら頷く。

「解ってらぁ、スズ姉さん。あんまりオレが早く動くと、姉さんはすーぐ転んじまうもんなぁ」

チークで既に赤らんでいる鈴音の頬の色が、更に強くなった。恥ずかしかったのか。
それでも言い返さないのは、運動神経皆無なことが鈴ちゃんの弱みだからだろう。なんか可愛いぞ、鈴ちゃん。
インパルサーは緊張しているのか、表情が引き締まっている。カッコ良さ、二割増しだ。
そのせいか、女子達の視線を集めていたし、開け放した控え室の扉を女子達が覗いていっては騒いでいた。

「パルー、こっち出来たよ」

なんとなく呼んでみると、一瞬間を置いてからインパルサーは振り向いた。

「あ、はい」

きょとんとしたように、サフランイエローの目が丸まっている。今度は可愛い。
インパルサーは、派手な化粧でほとんど別人なあたしをまじまじと眺めた。そして、表情を明るくした。

「由佳さん、すっごく可愛いです!」

「そお?」

前回といい、なんといい。あたしは、パルのこういう反応がいまいち信じられなかった。
本当にそう思っているようだけど、ちょっとすっきりしない。お世辞を言われてるみたいな気がする。
インパルサーはマントを翻しながら、あたしの前にやってきた。

「そうですよ。由佳さんは、そう思わないんですか?」

「思えない」

あたしは、自分の衣装を見下ろした。網タイツとハイヒールが、凄まじい。
インパルサーは、本当なのになぁ、と不満げに呟いた。いや、そんなこと言われても。
あたしは鏡の隣に置いてあった、ラインストーンがごってり付いたカチューシャを取り、被った。
カチューシャの隣に折り畳まれて置いてあったレースのリボンが、白く小さな手に取られる。
長い金髪を綺麗にポニーテールに結い上げられたマリーが、その根元にリボンを結んでいた。

「こういった扮装は、似合うとか似合わないとか、そういうものではありませんわよ。一時のことですもの」

「そうだけどさぁ」

あたしは、ばっちりとお姫様なマリーを眺めた。ピンク系の柔らかいメイクが、ますますお姫様だ。
銀色のティアラの他に、小さなトップの付いたチョーカーが首筋に巻かれている。
パールピンクのマニキュアを薄く塗られた指先で口元をいじってから、マリーはくすりと微笑んだ。

「ですけど…楽しいですわ、凄く」

「だから文化祭って、楽しいのよ」

後頭部に金色の派手なバレッタを止めながら、鈴音はマリーを指す。
マリーはエメラルドの瞳を細め、にっこり笑む。

「ええ。そのようですわね」

「とにかく! 主役陣、本番頑張ってきなさい! 堂々とやれば、とちってもなんとかなるんだから!」

この二週間に渡って、みっちりと演技指導をしてくれた子が声を上げた。熱がかなり入っている。
書き込みだらけでよれている台本を丸め、びしりをあたしに向ける。

「特に由佳! 女は度胸、悪役は堂々とね!」

その勢いに驚いていると、彼女はずいっと迫ってきた。

「オゥケィ?」

「…了解」

とりあえずあたしが敬礼すると彼女は、うん、と頷いて身を引いてくれた。ちょっと、びびった。
そうだ。ここまで来たら、恥も何も掻き捨ててやるしかない。腹を決めて、頑張るだけ頑張るんだ。
時計を見上げると、いつのまにか十時を過ぎていた。劇が始まるまで、もう間近だ。
ええい、もう。どうにでも、なってしまえ。




ステージの裏は、斜めに組まれたパイプや配線が露わになっていた。
張りぼてのセットの裏も、見えている。観客席側の幕が下ろされているから、中は薄暗い。
薄暗い幕の向こうからは、観客のざわめきが感じられた。ああ、緊張する。
左手をちらりと見ると、インパルサーは背を丸め、頭を抱えて唸っている。今更ながら、緊張してきたらしい。
それを呆れたように、リボルバーは見下ろしている。こっちはそうでもないようだ。
隣で背筋を伸ばす鈴音を見上げると、きっと口元を締めていた。

「鈴ちゃん」

「セリフ思い出してたの。最初、なんだったか解る?」

そう尋ねられたので、あたしは思い出す。

「えーと…お呼びかしら、エメラルダ姫! だったっけ?」

「その魔王様の元へお連れに参りましたわ、エメラルダ姫。さあ、こちらへいらして下さいませ」

長い杖を振り上げ、鈴音はにやりとした。悪役の顔だ。

「来ないというのなら、力ずくで捕らえるまでさ! おいで、ゴーレム!」

「シャドウパペット!」

あたしはそれに続けて、腕を振り上げた。うん、ちゃんと覚えている。
セリフが、緊張で吹っ飛ばなきゃ良いなぁ。いや、吹っ飛ばしてたまるものか。ここまで来て。
あたしは一発腹に気合いを入れ、拳を握る。もう、行くところまで行ってしまえ。

「ぃよっしゃあ!」

「そろそろ開幕だから、準備しといて」

そうやよいに言われ、あたしはステージの階段を見た。ドレスの裾を引きずり、マリーが昇っていく。
ゆっくりとした軽い足音が進み、中央で止まる。ぎらついた白い光が、落とされる。
ナレーターの子によって上演のアナウンスがされ、ゆっくりと、幕は上がっていった。
鋼鉄英雄譚、メタリック・サーガの始まりだ。




眩しいライトを浴びたマリー、エメラルダ姫はこの上なく美しかった。
ふわりと金髪とリボンを揺らがせながら、切なそうに目を細め、見上げる。

「なんという、ことでしょうか」

静かに落ち着いた、それでいて悲しげな声がスピーカーを通してグラウンドに広がった。
エメラルダ姫はゆっくりと観客席へ振り向くと、綺麗、とか、可愛い、とか観客達の中から聞こえた。
白いドレスの裾を広げながら、先程とは反対側へ顔を向ける。

「永久の眠りに付いていたはずの魔王が、北の大地で蘇った…闇が、広がっている」

ベビーピンクのグロスを塗られた唇が、きゅっと締まる。

「また、どこかの街が闇に飲まれた…。我が王国にその力が及ぶのは、時間の問題ですね。ですが」

姫君の背後へインパルサー、疾風の騎士・サファイスが膝を付いた。
観客の間から、驚いた様子が伝わってきた。そこにいるのは本物のロボットだよ、皆さん。
サファイスは顔を上げて胸に手を当て、多少強張った声を出す。

「エメラルダ姫様。その時は、この私、サファイスへなんなりとご命令を」

「頼りにしています、サファイス。あなたと、あなたの聖剣の力を信じています」

振り返り、エメラルダ姫は微笑んだ。屈んで、サファイスへ手を伸ばす。
サファイスは驚いたように目を見開いたが、胸に当てていた片手を姫君へ伸ばした。
二人の手が重なるかと思われた直後、どん、どん、と重々しい足音がやってきた。リボルバーだ。
マントを翻したリボルバー、烈火の騎士・ルベオンが剣を抜き、がちんと肩に担ぐ。

「サファイス、いるか!」

「なんだ、騒々しい。少しは静かに城内へ来られないのか、ルベオン。姫様の御前だぞ」

呆れたように、サファイスはルベオンに言い放つ。
ルベオンは肩を竦め、へっ、と笑った。確かにこれは、演技というより素のボルの助だ。

「オレはてめぇとは違って、雇われの騎士だ。確かにそこの姫君には恩はあるが、そこまで義理堅くはねぇよ」

「少しは礼儀を弁えたらどうだ!」

そう声を上げて迫るサファイスを、エメラルダ姫は制止した。

「いいのです。少しは大目に見ておやりなさい。私も、気にはしません」

「しかし、エメラルダ姫!」

振り返って声を上げたサファイスに、エメラルダ姫は口元へ指を添えて微笑む。

「彼は腕の立つ騎士なのですし、あなたの仲間ではありませんか」

顔を逸らして不機嫌そうな表情を作ったサファイスは、ルベオンに背を向けた。

「あのような無頼の者は、騎士とは思えません。少なくとも、私には」

「オレもてめぇみてぇな堅苦しい男は好きじゃねぇ。なんでもかんでも、鎧の中に押し込めたみてぇでな」

と、ルベオンは言い返す。どちらも相容れない考えを持つ騎士、ということだ。
あたしは舞台袖からこの光景を見ながら、出番が近付いてきたせいで緊張が戻ってきた。
ああ、どきどきする。小学校の時に学芸会でやった劇とは、比べものにならない出番とセリフの量だし。
舞台の上では、サファイスがルベオンをけなしていた。

「魔王の手の者が来たとしても、お前の力は借りないだろう。邪なる力を退ける剣は、私が操るのが相応しいのだ」

「オレの聖剣は紛い物だと言いたいのか? しっかりお師匠さんから受け継いだ、本物だぜ?」

ひたすらに嫌味なサファイスに、ルベオンは迫る。エメラルダ姫は、可笑しそうに笑った。

「まあ、仲間割れですか? ですがそんなことでは、魔王が来たときに、その聖剣の力は…」


とん、とあたしの肩がやよいに叩かれた。よし、今だ。
階段を駆け上って、転ばないようにしながらステージへ昇る。
同じタイミングでやってきた鈴音と、足元に貼られた黒いテープの位置で立ち止まった。
赤い装飾の付いた魔法の杖を突き出しながら、あたし…魔導師・ガーネッタは叫ぶ。

「お呼びかしら、エメラルダ姫!」

よし、とちっていない。その後に、鈴音が続ける。

「我らは魔王様に仕える魔導師! 我が名はアメジスティ!」

「その妹、ガーネッタ!」

なんとかするっと出てきた。ああ、でも。もう緊張で胸が痛い。
鈴音、もといアメジスティは一歩前に出、かつんとブーツのヒールを高く鳴らした。

「その魔王様の元へお連れに参りましたわ、エメラルダ姫。さぁ、こちらへいらして下さいませ」

アメジスティが手を伸ばすと、エメラルダ姫は怯えたように身を引く。
すぐさま前に出たサファイスはすらりと剣を抜き、構えた。きっと目を強め、叫ぶ。

「誰が貴様らのような闇の者に!」

「嫌われたものね」

あたしは斜に構え、にぃっと表情を作る。これ、見た目よりも大変だ。
ルベオンが肩に乗せた剣を振り下ろした瞬間、あたしは杖を掲げて声を上げる。

「闇の力よ、我が意の形となれ! 出でよ、シャドウ…」

イレイザー、と出かけた。なんでこんなときに思い出しちゃうんだ、いっちゃんを。
い、をなんとか飲み込んでから、気を取り直して続ける。

「パペット!」

一瞬タイミングがずれたが、逆の舞台袖から黒ずくめの使い魔役が走り出てきた。
二三人でルベオンを取り囲み、長いマントを引っ張って踏み付ける。
踏み付けられたために、ルベオンは中腰になって膝を付いた。腕を引っ張られると、剣を取り落とした。
サファイスはそれに気付いて振り返り、声を上げる。

「ルベオン!」

「どこを見ているのかしら、お兄さん」

アメジスティは杖を高く掲げ、サファイスへ振り下ろした。

「おいで、ゴーレム!」

今度は、あたし達の後ろから使い魔役達が走り出てきた。
ゴーレムだから、茶色っぽい扮装だ。一気にサファイスを取り囲み、やはりマントを抑え付ける。
サファイスは抵抗するが、両足を押さえ込まれた。泥に埋まった、という描写だ。
腰の剣を抜こうとしたサファイスの腕が引っ張られ、柄を掴めない。

「くっ…! 聖剣さえ、聖剣さえ抜ければ!」

「ざーんねんでぇしたぁ」

と、あたしは変に甘ったれた口調になった。妹って設定だから、だそうだ。
腕を持ち上げられたままのサファイスに近寄り、杖をその目の前に突き付ける。

「そんなもの、単なるナマクラじゃない。聖気があったら、あたし達は魔法を使えないはずでしょ?」

「そんな…」

絶望したように、サファイスは力なく呟いた。演技なのか、本気なのかよく解らない。
あたしは黒マントを広げながら、くるりとサファイスに背を向ける。

「動いてみなさいよ、聖剣とやらの力が」

横顔だけ向け、叫んだ。ちょっと喉に来る。

「本当にあるんだとしたらね!」


「ガーネッタ。あまり遊ぶと、帰りが遅くなってしまうわよ」

アメジスティがエメラルダ姫の首元を抱え、ステージ袖へ近付いていく。
あたしはアメジスティに近付き、その肩アーマーに軽く手を乗せた。

「解っているわ、お姉様。魔王様がご所望のお姫様を、連れて帰らなくっちゃ」

「ばぁい、へっぽこの騎士さん達」

あたしは振り返り、軽くサファイスに手を振った。

「せいぜい抵抗することね。その子達は、あともう五分もしないであなた達を闇へ誘っちゃうんだから」


それだけ言い残し、あたしはさっさとステージから降りた。
階段から落ちないように、転ばないようにして降りると、それだけで気が抜けそうになった。
エメラルダ姫はアメジスティの腕から解放されると、麻美によって髪やメイクを整えられていた。
アメジスティ、鈴音は深く息を吐き、深呼吸を繰り返している。鈴ちゃんでも緊張するのか。
あたしはなんとか自分の緊張を押さえながら、ステージを覗く。二人は、まだまだ出番が終わらない。


次第に地面へ引きずり込まれてきた、ということで、二人は膝を付いていた。
サファイスはぎりぎりと腕を伸ばして聖剣を掴もうとしていたが、やっぱり届かない。

「手さえ届けば…! 早く、姫様をお救いせねば!」

「邪魔だぁ、どきやがれこのぉ!」

シャドウパペット達を振り解こうとしたルベオンは、本当に振り解きかけた。力を込めすぎだ、ボルの助。
足元の剣を引っ掴み、叫んだ。

「さっさとどかねぇと、エメラルダ姫様が!」

直後、実にあっさりと使い魔達は剥がれた。サファイスの腕も解放される。
二人はすぐさま剣を構え、ゴーレム達に斬り付けるふりをした。ゴーレム達は、ばたばたと倒れていく。
あたし、というか、ガーネッタの放ったシャドウパペット達も斬られて倒れていく。皆、ご苦労様。
全ての敵を倒し終わった二人の騎士は、それぞれの剣を掲げて、かしゃん、と刃を合わせた。
サファイスはルベオンに背を向けてから、鞘へ剣を収める。

「無頼の騎士にしては、なかなかの腕だな」

「てめぇもな。お堅いばっかの男にしては、悪くないぜ」

と、ルベオンは笑った。サファイスは少し情けなさそうに、苦笑する。

「エメラルダ姫様から、こんな話を聞いたことがある。二本だけ生み出された聖剣は、持ち主の心が揃ってこそ真の力が現れ、揃わぬ時はただの剣でしかないと…」

「要するに、オレ達ぁ仲良くしなきゃいけねぇってことか」

と、ルベオンは腕を組む。サファイスは頷く。

「ああ。あまり気は進まないが、これ以上お前と言い争う暇もなさそうだしな」

おもむろに手を伸ばし合った二人は、握手した。
だけどそれは互いに固く握り合って、とてもじゃないけど友好的には見えない。まだ仲良くないしね。
勢い良く手を振り解いた二人は、すぐに背を向けてしまった。

ここで、一旦幕が下りた。


どったんばたんとステージを駆け下りてきた二人は、真っ直ぐにあたし達の元へやってきた。
サファイス、もといインパルサーはあたしの目の前にやってきた。情けない顔をしている。
今にも泣き出しそうな声を洩らし、背を丸める。

「由佳さん…その」

ステージの向こうでは、ナレーションが続いている。サファイスとルベオンの旅の話だ。
インパルサーはぐいぐいと目元を擦ってから、はぁ、と深く息を吐く。

「僕、上手く出来てますか?」

「出来てる出来てる、パルはちゃんとナイトしてるよ。だから、今泣いてどうするの」

「はぁ…」

声を落としたインパルサーは、とてもじゃないが騎士には見えなかった。
リボルバーは、パルとは逆にテンションが上がりすぎている。その証拠に、笑いっぱなしだ。
ついでに気が立っているのか、ばっきんばきんと拳を手のひらにぶつけている。

「さぁーて、お次はどんなのだったか」

淡々と、だけど適度に情感を込めたナレーションがまだまだ続く。放送部員の子だから、上手い。
階段の傍でへたれ込んでいるマリーが、大きく肩を上下させた。顔を上げ、呟いた。

「もう、戦っている方がずっと楽ですわ!」

「僕もです」

目元を押さえたインパルサーは、もう一度、魂の抜けそうなくらい深いため息を吐いた。
あたしを見た途端、端正な表情がぐしゃりと崩れる。このままじゃ、本気で泣いてしまいそうだ。
これで泣かれてしまっては、英雄譚が台無しだ。あたしは、魔法の杖でぱこんとパルの胸を叩く。

「泣かない! 今泣いたりしたら、ヒーローじゃないでしょ!」

「…はい」

気合いを入れ直したのか、インパルサーはぐっと表情を元に戻した。そうだ、その意気だ。
いつにも増してハイテンションのリボルバーは意味もなく拳を振り上げ、変な笑い声を出している。
変なものでも見るような目で鈴音はリボルバーを見ていたが、あたしと同じように魔法の杖を振り下ろした。
だけどそれは胸ではなく、ヘルムに被われた前頭部だった。ごん、といい音がする。

「ボルの助もちったぁ落ち着きなさいよ。ほら、出番でしょ」

「ん、ああ。そうだな」

曖昧な返事をし、リボルバーはステージの反対側で手招きするやよいへ顔を向ける。
早々に、またナイトに戻ったインパルサーはそちらに向かっていく。ナレーションは、そろそろ終盤だ。
リボルバーはまじまじと鈴音を見下ろしてから、にっと上機嫌に笑った。

「悪ぃスズ姉さんも充分綺麗だが、やっぱりいつもの姉さんが最っ高にうっつくしいぜ」


マントを翻して舞台袖に走るリボルバーの後ろ姿を、鈴音は少しむくれながら睨んでいた。
しばらくしてナレーションが終わり、ステージに戻った二人の会話が聞こえてくる。
鈴音はちらりとステージへ目をやったが、すぐに逸らした。

「馬鹿」

彼女の整った鼻筋の先にある薄い唇は、少しだけ上に曲げられていた。
言葉尻からも棘は消えていて、笑い混じりの、馬鹿、だった。


何かが少し、変わったように思えた。







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