文化祭の準備に急かされる日々は、あっという間に過ぎた。 あたし達は授業以外のほとんどを演劇の練習に明け暮れて、おかげですっかりセリフは頭に叩き込まれた。 戦いも、確実に近付いてくる。ヒューマニックマシンソルジャー達は、全員オーバーホールを終えた。 そして。 文化祭の当日が、訪れた。 一歩校門を入ると、そこはもう別世界だった。 あたしは衣装とその他諸々の入ったトートバッグを通学カバンの上に重ねて、抱えていた。 様々な部活やクラスが、出し物の準備をしている。まだ開祭には時間があるから、今は最後の大詰めだ。 昨日一日で何度かやった通し稽古を思い出しながら、あたしはグラウンドの右端へ顔を向けた。 やけにでかいステージが、グラウンドの一角に組み上がっていた。この上で、あたし達の演劇は行われる。 トレーラーを一回り大きくしたみたいな大きさで、その上には照明やスピーカーがくっつけられている。 結構大仕掛けで、ちゃんと幕が出し入れ出来るようになっていた。手間と金が掛かっている。 あたしは何の気なしにそれに近付くと、その脇に立て掛けられた看板に気付いた。 「うおぅ!」 それを見た途端にのけぞってしまい、そんな声が出た。 写真部が撮ったであろう、やたらにカッコ付けたナイト二人の写真が、ポスターに加工されて貼ってあった。 やけに色んな部分がキラキラしていて、まるで少女漫画の世界だ。背景もピンクだし。 美形のナイトと金髪碧眼の姫君が前面に押し出されていて、すぐにこの二人が主役だと解る。 下半分には凝っているロゴが付いていて、メタリック・サーガとタイトルがあった。まるでヒーローショーだ。 第一部の開演は、午前十時三十分から午前十一時。第二部は、午後二時から午後二時四十五分。 あたしはその両方に出番があるので、その間、他のクラスを見て回れないのが残念だった。 この立て看板の脇には、長い紙の円筒が大量に詰まっている箱がある。 大方、このポスターが一杯あるんだろう。変なところに予算を回したなぁ、うちのクラスは。 しばらくステージの前でぼんやりしていると、ステージの下を被っているシートがべろっとめくられた。 「おはようございます、由佳さん」 シートから顔を出したインパルサーは、工具箱を片手に提げていた。 あたしは半笑いになりながら、ポスターを指す。 「おはよ、パル。これ、すっごいねぇー…」 「やよいさん達が、ついさっき持ってきたんです。刷り上がったから、って」 工具箱を足元に置き、インパルサーはポスターを眺めた。 「これ、僕じゃないみたいですね…」 「ね、何してたの?」 あたしは、シートを少しめくってステージの下を覗いた。薄暗い中、パイプの接続部分が補強されている。 インパルサーはべろりと大きくめくり上げると、その補強部分を指す。 「僕とフレイムリボルバーも立ち回りますから、壊れてはいけないと思いまして。補強してたんです」 「だからあたしより早く出たんだ」 あたしは、ちょっと納得した。いつも一緒なのに、今日だけ別なんて変だと思ったら、ちゃんと理由があった。 インパルサーは身を引いて、立派なステージを見上げる。複数の部やクラスが使うから、上には色々付いている。 ここで、あたしはあの恥ずかしい衣装で恥ずかしいセリフを叫び、立ち回るのか。 さすがにここまで来ると開き直ってしまったけど、やっぱり恥ずかしい。いい加減に諦めよう。 インパルサーは工具箱を資材の隣に置き、あのポスターの入った箱を担ぐ。 「これ、配ってきますね。どのくらい貼られるかは解りませんけど」 「あ、うん」 あたしが頷くと、インパルサーは、では、と校舎側へ歩いていった。主役なのに、よく働くなぁ。 また、なんとなくステージを見上げてしまった。劇を利用して戦いなんて、マリーさんも無茶苦茶なことを。 背後の屋上を見上げると、どっかりとナイトレイヴンが突っ立っている。昨日から、置きっぱなしだったようだ。 天気も良く、爽やかな朝だ。だけど、空気が違う。お祭り騒ぎの前の、微妙なバランスだ。 少しの切っ掛けでこれは溢れて、凄い騒ぎが始まるのが解る。あたしは、こういう空気は嫌いじゃない。 「おはよ」 声を掛けられたので振り返ると、鈴音が立っていた。二人分の荷物を担いでいる、リボルバーもいる。 あたしは二人へ向き直り、挨拶してから後ろのステージを指した。 「おはよ、鈴ちゃん、ボルの助。ステージ、出来てたよ」 「立ち位置とかは体育館でしたのと変わらないし、通し稽古は昨日二回したから、もう大丈夫でしょ」 と、鈴音はステージを見上げた。段差が高いので、近くだと見上げないとダメなのだ。 リボルバーは鈴音の衣装やら自分の衣装やらが入ったバッグを抱え、ステージを見上げる。 「あれだけ練習させられたのに、やるのはたったの一回たぁなぁ。儚ぇなぁ、なんか」 「そういうもんだよ、文化祭って」 そう返して、あたしは空を見上げた。その先には、近頃見慣れたあの姿がある。 銀色の、すらりとしたアドバンサー。マリーさんによれば、あれは確実に銀河連邦政府軍のものだそうだ。 もう隠す気すらないのか、それともあたし達に余裕を見せつけるためなのか。 やたらと姿を現していて、銀色の機影が空にあるのは、日常の一部と化しそうな感じだった。 リボルバーは銀色の機影を睨んでいたが、少し笑う。 「奴さん、オレに覚悟しろ、だとよ。覚悟するのはそっちだろうが」 「何、通信でもしたの?」 鈴音が尋ねると、リボルバーは片手を挙げて親指を横にし、びっと首根っこに走らせた。 「いんや。奴さん、こいつをしやがったのさ。随分とまぁ、余裕振りまいてやがるぜ」 「おはよう、美空さん、高宮さん」 その声に振り向くと、律子がディフェンサーと立っていた。ディフェンサーは、何かの箱を肩に担いでいる。 エプロンを何枚か抱えた律子はステージに近付き、うわぁ、と声を上げる。 「でっかいねぇ。この上で、美空さん達がやるんだね」 大量のキャベツが詰まった箱を肩に乗せたまま、ディフェンサーはステージを見回す。 数歩身を引いてから地面を蹴り、軽く飛び上がってステージの上を見、すたんと着地した。 ディフェンサーはしばらく上空を見ていたが、箱を担いでいない方の腕を突き出し、ぎりっと握り締める。 「さぁーて、今日はオレの出番みてぇだな。きっちり全部、防いでみせらぁ」 「でもその前に、ちゃんと仕事はしてね?」 律子が笑うと、ディフェンサーはむくれる。 「解ってるさ、そんくらい。けど、なんでわざわざオレに作らせるんだよ。食えねぇのに」 すると、始業を始めるチャイムが鳴った。とりあえず、教室には行かないと。 あたしはディフェンサーが何を作らされるのかは多少気になってはいたが、教室へ行く方が先だ。 今回の文化祭のスローガンが大きく書かれた横断幕が、校舎の壁を被っている。 青春を貫け、みたいなことが書かれていて、色が結構派手だ。実行委員会も頑張ったんだなぁ。 あたしは校舎へ向かいながら、もう一度空を見上げた。銀色の機影は、もう姿を消していた。 劇の開演時間はすぐに近付いてきため、あたし達出演者は控え室に押し込まれていた。 目の前の鏡を見るのが、ちょっと怖かった。 これでもかとグラデーションに塗られた濃いアイシャドウに、睫毛はマスカラで重たい。 今までに見たことがないほど、あたしの顔は派手になっている。こんなに、化粧を濃くされたのは初めてだ。 あたしはあまりの形相に不安になりながら、背後のやよいへ振り向く。 「やっちゃん、これ、ちょっと濃すぎない?」 「もっと赤いのなかったっけー…」 あたしの話を聞かずに、やよいはメイク担当の水原麻美とバッグを漁っている。おい、ちょっと。 仕方がないので、隣で似たような派手な化粧を整える鈴音を見た。こっちは、きつくても違和感がない。 鈴音は元々美人だし、目鼻立ちがはっきりしてるから化粧に負けていない。だけど、あたしは。 童顔でどんぐり眼の子供っぽい顔立ちだから、こういう化粧がまるで似合わない。むしろ怖い。 衣装を見下ろすと、最初の頃よりどんどん派手になっている。黒い水着に、金の刺繍がされているし。 マント止めのブローチもでっかくなったし、ブレスレットやイヤリングも着けさせられた。耳たぶが、重いし痛い。 あまり長くない髪もいじられてしまい、カラーヘアスプレーで金に近い茶髪にされた。凄い色だ。 鏡の中のあたしは、別人だ。ていうか誰よこれ。元がちっとも残っていないよ。 黙々とメイクを続けている鈴音の長い髪も、軽くウェーブが掛けられていた。こっちは色っぽい。 「由佳ー」 「ん?」 あたしは正直見られたくなかったが、呼ばれたからには振り向く。 ローズレッドの口紅を唇に乗せてから、鈴音は一度唇を合わせて開ける。 「その顔でその髪の色なら、口紅は赤よりもオレンジ系の方が良くない? その方が、違和感ないでしょ」 「だ、そうだけど」 あたしは、まだ化粧道具のバッグを探っている二人に言った。やよいは顔を上げる。 麻美はしばらくがしゃがしゃとやっていたが、口紅とグロスを取り出した。 「オレンジ系ならあるよ。だけどこれ、正義の味方用だから明るすぎて、黒服には似合わないんじゃない?」 「私のと混ぜればいいでしょ」 と、鈴音は自分の使っていた口紅を向ける。麻美はそれを受け取り、意外そうに鈴音を見る。 「いいの? 高宮さんのって、結構」 「いいの。どうせ消耗品なんだし、あるなら使わなきゃ」 そう笑いながら、鈴音はまた自分の化粧に戻った。そりゃまぁ、確かにそうだけど。 麻美はブランドのロゴが入った鈴音の口紅と、手元のグロスと口紅と見比べる。 「それじゃあ使うけど…本当に」 「いいって。今は私より、由佳を仕上げる方が先でしょ?」 にいっと真っ赤な唇を広げ、鈴音は笑う。麻美は嬉しそうな顔をして、頷いた。 「そだね、今は由佳の方が先か。ありがと、高宮さん」 すぐに、麻美は紅筆で鈴音の真っ赤な口紅を取り始めた。パレットに乗せ、そこにオレンジの口紅を混ぜる。 赤は和らいだけど、今度はオレンジが濃すぎる。そこに、もう少しだけ赤を混ぜたら程良くなった。 麻美はあたしをこちらに向け、それを付けた紅筆をあたしの唇に乗せていく。 「うん、確かに。こっちの方が、やたら赤いより下品じゃないね」 「でしょ?」 と、鈴音はにやりとした。大半の化粧が終わっていて、悪の魔導師が出来上がっていた。 いつもよりくっきり描かれた細い眉毛を整えながら、鈴音は笑う。 「妹ってことなんだし、幼めの方がいいだろうしね」 口紅を塗り終えられ、あたしは今一度鏡を見る。幼めとはいえ、派手な化粧に変わりはない。 やよいはにんまりと笑み、満足そうにキャスト達を見渡している。大半が、化粧も終えていた。 あたしは上機嫌なやよいに、ちょっと尋ねてみた。結構、気になってたことだ。 「けどさ、なんでやっちゃんは自分でやらないの? 演劇部なのに」 「私はね、映画監督になりたいの!」 即答したやよいは、がしりと台本を握り締める。 「だから、こういうの一度やってみたかったんだ! ああもう最高よ、ビバ青春!」 離れた位置で、マントの位置を調節しているインパルサーがいた。 背中部分にスリットが入れられたのか、背中からは青い翼が二つ飛び出ている。いい感じじゃないか。 やはりこちらも最初に比べて装飾が増えていて、腕や足に銀色のアーマーが付いている。ますますナイトだ。 マスクを開いてヘルムを乗せ、耳にあの銀色の羽根を三枚置く。腰に剣を下げ、完成した。 「やよいさん、こちらも準備完了しました」 「こっちもだ」 やはり鎧が増えたリボルバーは、腰の後ろに納めている大きな剣の位置をいじっていた。 柄を握って鞘を少し上向けてから、両腕に付けられた銀色の装甲を眺めた。 「ちぃと動きづらいぜ、これ。なんで前より増えてんだよ、付属物が」 「リボルバー君を正義っぽくするには、銀色を増やさなきゃだったんだもん。仕方ないでしょ」 と、衣装担当の子が胸を張る。リボルバーは、困ったように腕を組む。 「だったら、なんでオレを悪役にしねぇんだよ?」 「サファイスが理知的な模範的騎士ってことを示すためには、対象となる荒くれな無頼の騎士が必要だったんだよ」 脚本担当の男子が、仕方なさそうにリボルバーを見上げた。 「そしたらルベオンは、役作りがほとんど必要なさそうな、ただの荒くれになっちゃったけどね」 「小道具、壊さないでくれよ」 あたしが使う魔法の杖をいじっていた小道具担当の男子が、心配げに呟く。 リボルバーは辟易したように、口元を歪める。何か壊すと思われているらしい。 「ああ、何も壊さねぇよ。どうせ剣を振るう相手も人間だ、力は入れねぇさ」 「ボルの助、私との殺陣の時はあんまり早くしないでよ」 気恥ずかしげに、鈴音が振り向いた。リボルバーは、笑いながら頷く。 「解ってらぁ、スズ姉さん。あんまりオレが早く動くと、姉さんはすーぐ転んじまうもんなぁ」 チークで既に赤らんでいる鈴音の頬の色が、更に強くなった。恥ずかしかったのか。 それでも言い返さないのは、運動神経皆無なことが鈴ちゃんの弱みだからだろう。なんか可愛いぞ、鈴ちゃん。 インパルサーは緊張しているのか、表情が引き締まっている。カッコ良さ、二割増しだ。 そのせいか、女子達の視線を集めていたし、開け放した控え室の扉を女子達が覗いていっては騒いでいた。 「パルー、こっち出来たよ」 なんとなく呼んでみると、一瞬間を置いてからインパルサーは振り向いた。 「あ、はい」 きょとんとしたように、サフランイエローの目が丸まっている。今度は可愛い。 インパルサーは、派手な化粧でほとんど別人なあたしをまじまじと眺めた。そして、表情を明るくした。 「由佳さん、すっごく可愛いです!」 「そお?」 前回といい、なんといい。あたしは、パルのこういう反応がいまいち信じられなかった。 本当にそう思っているようだけど、ちょっとすっきりしない。お世辞を言われてるみたいな気がする。 インパルサーはマントを翻しながら、あたしの前にやってきた。 「そうですよ。由佳さんは、そう思わないんですか?」 「思えない」 あたしは、自分の衣装を見下ろした。網タイツとハイヒールが、凄まじい。 インパルサーは、本当なのになぁ、と不満げに呟いた。いや、そんなこと言われても。 あたしは鏡の隣に置いてあった、ラインストーンがごってり付いたカチューシャを取り、被った。 カチューシャの隣に折り畳まれて置いてあったレースのリボンが、白く小さな手に取られる。 長い金髪を綺麗にポニーテールに結い上げられたマリーが、その根元にリボンを結んでいた。 「こういった扮装は、似合うとか似合わないとか、そういうものではありませんわよ。一時のことですもの」 「そうだけどさぁ」 あたしは、ばっちりとお姫様なマリーを眺めた。ピンク系の柔らかいメイクが、ますますお姫様だ。 銀色のティアラの他に、小さなトップの付いたチョーカーが首筋に巻かれている。 パールピンクのマニキュアを薄く塗られた指先で口元をいじってから、マリーはくすりと微笑んだ。 「ですけど…楽しいですわ、凄く」 「だから文化祭って、楽しいのよ」 後頭部に金色の派手なバレッタを止めながら、鈴音はマリーを指す。 マリーはエメラルドの瞳を細め、にっこり笑む。 「ええ。そのようですわね」 「とにかく! 主役陣、本番頑張ってきなさい! 堂々とやれば、とちってもなんとかなるんだから!」 この二週間に渡って、みっちりと演技指導をしてくれた子が声を上げた。熱がかなり入っている。 書き込みだらけでよれている台本を丸め、びしりをあたしに向ける。 「特に由佳! 女は度胸、悪役は堂々とね!」 その勢いに驚いていると、彼女はずいっと迫ってきた。 「オゥケィ?」 「…了解」 とりあえずあたしが敬礼すると彼女は、うん、と頷いて身を引いてくれた。ちょっと、びびった。 そうだ。ここまで来たら、恥も何も掻き捨ててやるしかない。腹を決めて、頑張るだけ頑張るんだ。 時計を見上げると、いつのまにか十時を過ぎていた。劇が始まるまで、もう間近だ。 ええい、もう。どうにでも、なってしまえ。 ステージの裏は、斜めに組まれたパイプや配線が露わになっていた。 張りぼてのセットの裏も、見えている。観客席側の幕が下ろされているから、中は薄暗い。 薄暗い幕の向こうからは、観客のざわめきが感じられた。ああ、緊張する。 左手をちらりと見ると、インパルサーは背を丸め、頭を抱えて唸っている。今更ながら、緊張してきたらしい。 それを呆れたように、リボルバーは見下ろしている。こっちはそうでもないようだ。 隣で背筋を伸ばす鈴音を見上げると、きっと口元を締めていた。 「鈴ちゃん」 「セリフ思い出してたの。最初、なんだったか解る?」 そう尋ねられたので、あたしは思い出す。 「えーと…お呼びかしら、エメラルダ姫! だったっけ?」 「その魔王様の元へお連れに参りましたわ、エメラルダ姫。さあ、こちらへいらして下さいませ」 長い杖を振り上げ、鈴音はにやりとした。悪役の顔だ。 「来ないというのなら、力ずくで捕らえるまでさ! おいで、ゴーレム!」 「シャドウパペット!」 あたしはそれに続けて、腕を振り上げた。うん、ちゃんと覚えている。 セリフが、緊張で吹っ飛ばなきゃ良いなぁ。いや、吹っ飛ばしてたまるものか。ここまで来て。 あたしは一発腹に気合いを入れ、拳を握る。もう、行くところまで行ってしまえ。 「ぃよっしゃあ!」 「そろそろ開幕だから、準備しといて」 そうやよいに言われ、あたしはステージの階段を見た。ドレスの裾を引きずり、マリーが昇っていく。 ゆっくりとした軽い足音が進み、中央で止まる。ぎらついた白い光が、落とされる。 ナレーターの子によって上演のアナウンスがされ、ゆっくりと、幕は上がっていった。 鋼鉄英雄譚、メタリック・サーガの始まりだ。 眩しいライトを浴びたマリー、エメラルダ姫はこの上なく美しかった。 ふわりと金髪とリボンを揺らがせながら、切なそうに目を細め、見上げる。 「なんという、ことでしょうか」 静かに落ち着いた、それでいて悲しげな声がスピーカーを通してグラウンドに広がった。 エメラルダ姫はゆっくりと観客席へ振り向くと、綺麗、とか、可愛い、とか観客達の中から聞こえた。 白いドレスの裾を広げながら、先程とは反対側へ顔を向ける。 「永久の眠りに付いていたはずの魔王が、北の大地で蘇った…闇が、広がっている」 ベビーピンクのグロスを塗られた唇が、きゅっと締まる。 「また、どこかの街が闇に飲まれた…。我が王国にその力が及ぶのは、時間の問題ですね。ですが」 姫君の背後へインパルサー、疾風の騎士・サファイスが膝を付いた。 観客の間から、驚いた様子が伝わってきた。そこにいるのは本物のロボットだよ、皆さん。 サファイスは顔を上げて胸に手を当て、多少強張った声を出す。 「エメラルダ姫様。その時は、この私、サファイスへなんなりとご命令を」 「頼りにしています、サファイス。あなたと、あなたの聖剣の力を信じています」 振り返り、エメラルダ姫は微笑んだ。屈んで、サファイスへ手を伸ばす。 サファイスは驚いたように目を見開いたが、胸に当てていた片手を姫君へ伸ばした。 二人の手が重なるかと思われた直後、どん、どん、と重々しい足音がやってきた。リボルバーだ。 マントを翻したリボルバー、烈火の騎士・ルベオンが剣を抜き、がちんと肩に担ぐ。 「サファイス、いるか!」 「なんだ、騒々しい。少しは静かに城内へ来られないのか、ルベオン。姫様の御前だぞ」 呆れたように、サファイスはルベオンに言い放つ。 ルベオンは肩を竦め、へっ、と笑った。確かにこれは、演技というより素のボルの助だ。 「オレはてめぇとは違って、雇われの騎士だ。確かにそこの姫君には恩はあるが、そこまで義理堅くはねぇよ」 「少しは礼儀を弁えたらどうだ!」 そう声を上げて迫るサファイスを、エメラルダ姫は制止した。 「いいのです。少しは大目に見ておやりなさい。私も、気にはしません」 「しかし、エメラルダ姫!」 振り返って声を上げたサファイスに、エメラルダ姫は口元へ指を添えて微笑む。 「彼は腕の立つ騎士なのですし、あなたの仲間ではありませんか」 顔を逸らして不機嫌そうな表情を作ったサファイスは、ルベオンに背を向けた。 「あのような無頼の者は、騎士とは思えません。少なくとも、私には」 「オレもてめぇみてぇな堅苦しい男は好きじゃねぇ。なんでもかんでも、鎧の中に押し込めたみてぇでな」 と、ルベオンは言い返す。どちらも相容れない考えを持つ騎士、ということだ。 あたしは舞台袖からこの光景を見ながら、出番が近付いてきたせいで緊張が戻ってきた。 ああ、どきどきする。小学校の時に学芸会でやった劇とは、比べものにならない出番とセリフの量だし。 舞台の上では、サファイスがルベオンをけなしていた。 「魔王の手の者が来たとしても、お前の力は借りないだろう。邪なる力を退ける剣は、私が操るのが相応しいのだ」 「オレの聖剣は紛い物だと言いたいのか? しっかりお師匠さんから受け継いだ、本物だぜ?」 ひたすらに嫌味なサファイスに、ルベオンは迫る。エメラルダ姫は、可笑しそうに笑った。 「まあ、仲間割れですか? ですがそんなことでは、魔王が来たときに、その聖剣の力は…」 とん、とあたしの肩がやよいに叩かれた。よし、今だ。 階段を駆け上って、転ばないようにしながらステージへ昇る。 同じタイミングでやってきた鈴音と、足元に貼られた黒いテープの位置で立ち止まった。 赤い装飾の付いた魔法の杖を突き出しながら、あたし…魔導師・ガーネッタは叫ぶ。 「お呼びかしら、エメラルダ姫!」 よし、とちっていない。その後に、鈴音が続ける。 「我らは魔王様に仕える魔導師! 我が名はアメジスティ!」 「その妹、ガーネッタ!」 なんとかするっと出てきた。ああ、でも。もう緊張で胸が痛い。 鈴音、もといアメジスティは一歩前に出、かつんとブーツのヒールを高く鳴らした。 「その魔王様の元へお連れに参りましたわ、エメラルダ姫。さぁ、こちらへいらして下さいませ」 アメジスティが手を伸ばすと、エメラルダ姫は怯えたように身を引く。 すぐさま前に出たサファイスはすらりと剣を抜き、構えた。きっと目を強め、叫ぶ。 「誰が貴様らのような闇の者に!」 「嫌われたものね」 あたしは斜に構え、にぃっと表情を作る。これ、見た目よりも大変だ。 ルベオンが肩に乗せた剣を振り下ろした瞬間、あたしは杖を掲げて声を上げる。 「闇の力よ、我が意の形となれ! 出でよ、シャドウ…」 イレイザー、と出かけた。なんでこんなときに思い出しちゃうんだ、いっちゃんを。 い、をなんとか飲み込んでから、気を取り直して続ける。 「パペット!」 一瞬タイミングがずれたが、逆の舞台袖から黒ずくめの使い魔役が走り出てきた。 二三人でルベオンを取り囲み、長いマントを引っ張って踏み付ける。 踏み付けられたために、ルベオンは中腰になって膝を付いた。腕を引っ張られると、剣を取り落とした。 サファイスはそれに気付いて振り返り、声を上げる。 「ルベオン!」 「どこを見ているのかしら、お兄さん」 アメジスティは杖を高く掲げ、サファイスへ振り下ろした。 「おいで、ゴーレム!」 今度は、あたし達の後ろから使い魔役達が走り出てきた。 ゴーレムだから、茶色っぽい扮装だ。一気にサファイスを取り囲み、やはりマントを抑え付ける。 サファイスは抵抗するが、両足を押さえ込まれた。泥に埋まった、という描写だ。 腰の剣を抜こうとしたサファイスの腕が引っ張られ、柄を掴めない。 「くっ…! 聖剣さえ、聖剣さえ抜ければ!」 「ざーんねんでぇしたぁ」 と、あたしは変に甘ったれた口調になった。妹って設定だから、だそうだ。 腕を持ち上げられたままのサファイスに近寄り、杖をその目の前に突き付ける。 「そんなもの、単なるナマクラじゃない。聖気があったら、あたし達は魔法を使えないはずでしょ?」 「そんな…」 絶望したように、サファイスは力なく呟いた。演技なのか、本気なのかよく解らない。 あたしは黒マントを広げながら、くるりとサファイスに背を向ける。 「動いてみなさいよ、聖剣とやらの力が」 横顔だけ向け、叫んだ。ちょっと喉に来る。 「本当にあるんだとしたらね!」 「ガーネッタ。あまり遊ぶと、帰りが遅くなってしまうわよ」 アメジスティがエメラルダ姫の首元を抱え、ステージ袖へ近付いていく。 あたしはアメジスティに近付き、その肩アーマーに軽く手を乗せた。 「解っているわ、お姉様。魔王様がご所望のお姫様を、連れて帰らなくっちゃ」 「ばぁい、へっぽこの騎士さん達」 あたしは振り返り、軽くサファイスに手を振った。 「せいぜい抵抗することね。その子達は、あともう五分もしないであなた達を闇へ誘っちゃうんだから」 それだけ言い残し、あたしはさっさとステージから降りた。 階段から落ちないように、転ばないようにして降りると、それだけで気が抜けそうになった。 エメラルダ姫はアメジスティの腕から解放されると、麻美によって髪やメイクを整えられていた。 アメジスティ、鈴音は深く息を吐き、深呼吸を繰り返している。鈴ちゃんでも緊張するのか。 あたしはなんとか自分の緊張を押さえながら、ステージを覗く。二人は、まだまだ出番が終わらない。 次第に地面へ引きずり込まれてきた、ということで、二人は膝を付いていた。 サファイスはぎりぎりと腕を伸ばして聖剣を掴もうとしていたが、やっぱり届かない。 「手さえ届けば…! 早く、姫様をお救いせねば!」 「邪魔だぁ、どきやがれこのぉ!」 シャドウパペット達を振り解こうとしたルベオンは、本当に振り解きかけた。力を込めすぎだ、ボルの助。 足元の剣を引っ掴み、叫んだ。 「さっさとどかねぇと、エメラルダ姫様が!」 直後、実にあっさりと使い魔達は剥がれた。サファイスの腕も解放される。 二人はすぐさま剣を構え、ゴーレム達に斬り付けるふりをした。ゴーレム達は、ばたばたと倒れていく。 あたし、というか、ガーネッタの放ったシャドウパペット達も斬られて倒れていく。皆、ご苦労様。 全ての敵を倒し終わった二人の騎士は、それぞれの剣を掲げて、かしゃん、と刃を合わせた。 サファイスはルベオンに背を向けてから、鞘へ剣を収める。 「無頼の騎士にしては、なかなかの腕だな」 「てめぇもな。お堅いばっかの男にしては、悪くないぜ」 と、ルベオンは笑った。サファイスは少し情けなさそうに、苦笑する。 「エメラルダ姫様から、こんな話を聞いたことがある。二本だけ生み出された聖剣は、持ち主の心が揃ってこそ真の力が現れ、揃わぬ時はただの剣でしかないと…」 「要するに、オレ達ぁ仲良くしなきゃいけねぇってことか」 と、ルベオンは腕を組む。サファイスは頷く。 「ああ。あまり気は進まないが、これ以上お前と言い争う暇もなさそうだしな」 おもむろに手を伸ばし合った二人は、握手した。 だけどそれは互いに固く握り合って、とてもじゃないけど友好的には見えない。まだ仲良くないしね。 勢い良く手を振り解いた二人は、すぐに背を向けてしまった。 ここで、一旦幕が下りた。 どったんばたんとステージを駆け下りてきた二人は、真っ直ぐにあたし達の元へやってきた。 サファイス、もといインパルサーはあたしの目の前にやってきた。情けない顔をしている。 今にも泣き出しそうな声を洩らし、背を丸める。 「由佳さん…その」 ステージの向こうでは、ナレーションが続いている。サファイスとルベオンの旅の話だ。 インパルサーはぐいぐいと目元を擦ってから、はぁ、と深く息を吐く。 「僕、上手く出来てますか?」 「出来てる出来てる、パルはちゃんとナイトしてるよ。だから、今泣いてどうするの」 「はぁ…」 声を落としたインパルサーは、とてもじゃないが騎士には見えなかった。 リボルバーは、パルとは逆にテンションが上がりすぎている。その証拠に、笑いっぱなしだ。 ついでに気が立っているのか、ばっきんばきんと拳を手のひらにぶつけている。 「さぁーて、お次はどんなのだったか」 淡々と、だけど適度に情感を込めたナレーションがまだまだ続く。放送部員の子だから、上手い。 階段の傍でへたれ込んでいるマリーが、大きく肩を上下させた。顔を上げ、呟いた。 「もう、戦っている方がずっと楽ですわ!」 「僕もです」 目元を押さえたインパルサーは、もう一度、魂の抜けそうなくらい深いため息を吐いた。 あたしを見た途端、端正な表情がぐしゃりと崩れる。このままじゃ、本気で泣いてしまいそうだ。 これで泣かれてしまっては、英雄譚が台無しだ。あたしは、魔法の杖でぱこんとパルの胸を叩く。 「泣かない! 今泣いたりしたら、ヒーローじゃないでしょ!」 「…はい」 気合いを入れ直したのか、インパルサーはぐっと表情を元に戻した。そうだ、その意気だ。 いつにも増してハイテンションのリボルバーは意味もなく拳を振り上げ、変な笑い声を出している。 変なものでも見るような目で鈴音はリボルバーを見ていたが、あたしと同じように魔法の杖を振り下ろした。 だけどそれは胸ではなく、ヘルムに被われた前頭部だった。ごん、といい音がする。 「ボルの助もちったぁ落ち着きなさいよ。ほら、出番でしょ」 「ん、ああ。そうだな」 曖昧な返事をし、リボルバーはステージの反対側で手招きするやよいへ顔を向ける。 早々に、またナイトに戻ったインパルサーはそちらに向かっていく。ナレーションは、そろそろ終盤だ。 リボルバーはまじまじと鈴音を見下ろしてから、にっと上機嫌に笑った。 「悪ぃスズ姉さんも充分綺麗だが、やっぱりいつもの姉さんが最っ高にうっつくしいぜ」 マントを翻して舞台袖に走るリボルバーの後ろ姿を、鈴音は少しむくれながら睨んでいた。 しばらくしてナレーションが終わり、ステージに戻った二人の会話が聞こえてくる。 鈴音はちらりとステージへ目をやったが、すぐに逸らした。 「馬鹿」 彼女の整った鼻筋の先にある薄い唇は、少しだけ上に曲げられていた。 言葉尻からも棘は消えていて、笑い混じりの、馬鹿、だった。 何かが少し、変わったように思えた。 04 6/4 |