屋上に直立するナイトレイヴンの影は、大きくて広かった。 いつものようにフェンス前に座ってお昼を食べながら、足元からその漆黒の機体を見上げる。 すっきりと晴れ渡った空をバックに、かっちりとしたマスクフェイスと鋭く赤い目がどこかを見据えていた。 近くで見てみると、これはこれでカッコ良いかもしれない。巨大ロボも、そんなに悪いもんじゃない。 「でっかいねぇ」 感心したように、エプロン姿の律子はナイトレイヴンを見上げる。日光が、彼女のメガネに跳ねた。 あたしは、律子と同じようなエプロン姿のディフェンサーに気付いた。なんであんたまで。 出店の焼きそばを食べていた鈴音は手を止め、缶のお茶を傾けて一気に半分ほど飲み干した。 こん、と缶をコンクリートに置いてから、鈴音は深く息を吐く。濃い化粧は落としてあり、ほぼ素顔の鈴ちゃんだ。 「かなりエネルギー喰うわね、演劇って」 「うん。思ったより、凄いよねー」 あたしは頷き、お弁当の続きを食べる。パルはそれを予想していたのか、結構お腹に溜まるおかずだ。 あれだけ濃い化粧を一度落としたため、顔が突っ張っている。クレンジングで、少し脂っ気も抜けた気がする。 最初ほどではないにせよ、また後でこの上に化粧をしなければならない。肌、荒れそうだ。 衣装を脱いだインパルサーはマスクも閉じて、ぼんやりと正座していた。まるで、魂が抜けちゃったみたいだ。 「まだ、やるんですよね。あれを…」 「第二部こそが、私達にとっての本番ですわ。あまり呆けている暇はありませんわよ、ソニックインパルサー」 三つ目の空パックを置き、マリーは息を吐く。たこ焼きの名残の爪楊枝が、その中に突っ込まれた。 五百ミリリットルのペットボトルのコーラを半分ほど飲み干してから、ソースの付いた唇を拭う。 「戦いは、まだ始まってもいないんですもの」 「なぁ、鈴音」 少し離れた位置で胡座を掻いていたディフェンサーは、鈴音を見上げる。 鈴音は手を止めて足を組んでから、訝しげに見下ろす。 「何よ」 「それ、どうだった?」 「それ?」 鈴音は、傍らに置いた空容器を指した。ついさっきまで、焼きそばの入っていたものだ。 ほとんど空になった缶をいじりながら、鈴音は返す。 「可もなく不可もない味だったわよ、これ。それがどうかしたの?」 「それねぇ」 嬉しそうに笑いながら、律子はディフェンサーを指した。 ディフェンサーは気恥ずかしげに、顔を逸らす。 「…オレがさ」 「てめぇが作ったのかよ」 驚いたような可笑しいような声を出し、鈴音の手前に座っているリボルバーは笑った。 インパルサーは首をくるりと回し、恥ずかしげにする三男へゴーグルを向けた。 「ああ、だから僕に聞こうとしてたんですね。生鮮食料品の調理法を」 「ディフェンサー君てね、結構器用なんだよー。手、おっきいのに」 楽しげに、律子は笑う。ディフェンサーはやりづらそうに、律子から目を逸らした。 「言わなくてもいいだろ、そんなこと」 「言うべきだよー、こういうことは」 にこにこしながら、律子は両手を胸の前で合わせる。 「だって、ディフェンサー君て本当に上手なんだもん」 「…そうか?」 訝しげに呟きながら、ディフェンサーはおずおずと律子へ目を向ける。ちょっと嬉しそうだ。 律子は、うん、と頷いた。同じ動きで、三つ編みが揺らぐ。 「そうだよ」 屋上に繋がる扉が開き、神田が入ってきた。その後ろに、イレイザーがいる。 イレイザーもA組の軽食屋の担当なのか、二人と同じようにエプロンを着せられていた。 その裾を、さゆりがぎゅっと握っている。彼女の隣で浮かんでいたクラッシャーが、高く片手を挙げた。 「やほー、おねーさんたちー」 「こんにちは」 イレイザーのエプロンから手を外したさゆりは、軽く頭を下げた。相変わらず礼儀正しい。 クラッシャーは一度階段の下へ顔を突っ込み、声を上げる。 「涼も早く来なよ」 「解ってるさ」 あまり機嫌が良いとは言えない涼平の声が、階段を伝わって聞こえてきた。足音も上ってくる。 間を置いてから、クラッシャーの後ろに涼平がやってきた。目深に野球帽を被り、あたしから目を逸らした。 クー子はそれをぐいっと引っ張って外してしまうと、野球帽をあたしに向けてけらけらと笑う。 「おねーさん、涼っておかしーんだよー」 「返せよ!」 声を上げて手を伸ばすが、クラッシャーは涼平の頭上をするりと抜ける。 アメリカの球団名が入った青い野球帽を指に引っかけ、回しながらクー子はにんまりとした。 「鈴音おねーさんとかインパルサー兄さんとか気になって仕方なかったのに、まともに劇見なかったんだよー」 「誰が好き好んで、身内の恥をまともに見るかよ」 と、涼平は嫌そうに呟いた。あたしのせいか。 あたしはその気持ちが理解出来ないでもなかったが、とりあえず言い返す。 「あたしの方が恥ずかしいんだから。それにあれが似合ってないのは、あたしもよぉく解ってるんだから」 「私はおねーさん、素敵だと思うなぁ」 すぽんと野球帽を被ってから、クラッシャーは涼平を見下ろす。パルと同じ意見だ。 涼平はクー子から野球帽を取り戻すことを諦めたのか、扉の脇にもたれかかった。 首を限界まで曲げてナイトレイヴンを見上げると、表情を綻ばせる。小学生らしい反応だ。 「うひゃー…改めて見ると、ストレートに悪役ロボだよなぁ」 「だから魔王なんだよなぁ、オレの相棒は」 苦笑しながら、神田は制服のポケットに手を突っ込む。かちゃり、とその中で何かが鳴った。 しばらく探ってから、あのクロムメッキのコントローラーを取り出して涼平に投げる。 「こいつで動かすんだ。一度見たことはあるだろうけど、こいつはオレ専用だからまだないよな」 そのコントローラーを受け取った涼平は、まじまじと眺めていた。心底嬉しそうにしている。 クラッシャーもそれが物珍しいのか、涼平の手元を上から覗き込んでいた。 涼平はコントローラーを手首に乗せてみたが、サイズが神田に合わせてあるのでベルトが余っていた。 一応止めてみたが、ずるりと抜けてしまう。そりゃそうだ。 涼平はもう一度ナイトレイヴンを見上げてから、コントローラーを神田に返す。 「だけどすげぇよなー、こんなん動かせるんだから」 「お兄ちゃんにも一つは取り柄があった、ってこと」 イレイザーの肩に乗り、ナイトレイヴンを見ていたさゆりが呟く。手厳しい。 神田はやりづらそうに顔をしかめていたが、言い返さなかった。さゆりは、イレイザーの頭にもたれる。 ピンクのゴムで結われたツインテールを揺らがせながら、顔を逸らして空を見上げた。 「いっちゃん。敵って、どのくらい来るの?」 「拙者の予想としては、それぞれのカラーリングサブリーダーが五体最初に来るかと」 顔を上げ、イレイザーはあらぬ方向を見上げる。さゆりはそれに従う。 イレイザーは片手を側頭部に添えて少し唸ってから、続ける。 「我ら五人を一旦それぞれの部下に釘付けてから、百体近いマシンソルジャーで強襲を行うつもりでござろう」 「なんでそう思うの?」 さゆりが尋ねると、イレイザーはくいっと街の方を指す。 「市街地の真上でござるからな。地形も複雑ゆえ、目標の存在位置を明確にするのが先決なり」 「アドバンサーは何体いますの?」 コーラを飲み干してから、マリーはイレイザーを見上げた。イレイザーは返す。 「現在確認出来るだけで、せいぜい一体。最近うろついていた、偵察機ではない。これは…リーダー機でござるな」 「装備は解ります?」 「マリーどののプラチナとは、正反対の機体でござる。装甲を削りに削って、接近戦用の武器まみれでござる」 「それだけ解れば充分ですわ、シャドウイレイザー」 そうマリーは言い、にやりと口元を上向けた。例の、あの顔だ。 空になったペットボトルを左手に持つと、ぐしゃりと握り潰した。ちょっと怖い。 「覚悟しておきなさい! 私の学園生活に水どころかレーザー砲を撃ちやがったあんたを、絶対に許しませんわ!」 息も荒く、マリーは握り潰したペットボトルを更に小さく潰した。この人も、相当怒っている。 手のひらサイズにまで潰されたそれを、更に握るマリーは顔からは、あのにやり笑いが消えない。 それを見たインパルサーは、ゆっくりと首を動かしてあたしを見上げ、恐れるように呟く。 「あの…僕、もう二度とマリーさんとは戦いたくないです」 「だろうねぇ」 あたしも、絶対にマリーさんだけは敵にしたくはない。ていうかそもそも、相手が悪すぎる。 さゆりは不安げな面持ちで、イレイザーを見下ろしていた。イレイザーはそれに気付き、にっと笑う。 「大丈夫でござるよ、さゆりどの。何があろうとも、さゆりどのには」 「いっちゃんが心配」 目を伏せたさゆりは、優しげな手付きでイレイザーの赤いゴーグルを撫でる。 イレイザーはその手に指先を当ててから、深く頷いた。 「さゆりどの、そう心配なさるな。拙者は暗躍と隠伏の戦士、シャドウイレイザーでござるよ」 「だぁいじょーぶだぁって」 ふわりと浮かんだクラッシャーは、さゆりに後ろからぺたりと抱き付く。 笑いながら、ごんごんとイレイザーの頭を何度か叩く。リボルバーのようだ。 「イレイザー兄さんはね、インパルサー兄さんとは違った速さがあるの。負けたりなんてしない」 「そーれによぅ、オレのシールドに防げねぇものなんてねぇんだぜ。ボルトの一本も、下に落とさせねぇよ」 片手を挙げたディフェンサーが、得意げに言う。 ナイトレイヴンの足元でコントローラーをいじっていた神田が、不満げにさゆりを見上げる。 「オレは心配じゃないのか?」 さゆりはやっと思い出した、と言いたげな表情をしたが、すぐにいつもの無表情に戻す。 クラッシャーに抱き付かれたまま、イレイザーに体を預けて神田を見下ろして呟いた。 「少しは。でも、負けるほど弱いんだったら、最初から出撃なんてしないでしょ?」 「まぁ、そりゃそうだな」 神田は少し笑い、ナイトレイヴンに近付く。起動させているのか、鋭い目が少し明るい。 さゆりから離れたクラッシャーはナイトレイヴンの周囲を少し見回していたが、不思議そうに首をかしげる。 「ねぇマリーさん、プラチナは?」 マリーは、人差し指を立てて上空を指す。クー子は、その方向を見る。 「まだ動かしておりませんけど、出撃予定ポイントは今示した場所ですわ。連中のワープアウト地点も、きっと」 「そこまで上手く行くもんなの?」 心配げな目で、鈴音がマリーを見る。あたしも、ちょっと心配だ。 相手も馬鹿じゃないだろうし、そこまでちゃんとマリーの思うがままに動いてくれるんだろうか。 マリーは満面の笑みを浮かべて、こくんと頷く。可愛らしい動きだ。 「ええ、行きますわよ。いえ、行かせてみせますわ」 膝を揃えてその上に手を重ね、ロボット兄弟達を見回した。 「あなた達を、守るために」 「…守るだと?」 理解しかねるのか、リボルバーは表情を歪める。 「姉ちゃん。今まで散々オレらを追いつめて、何度もばらす寸前まで攻撃してきやがったくせにか?」 「ええ」 マリーは頷き、申し訳なさそうに眉を下げる。 「今更何を虫の良いことを、と思われるのは仕方ありませんわ。ですが私は」 「オレらがマント野郎から造られたから、とかなんとかぬかすんじゃねぇだろうな!」 声を荒げ、ディフェンサーは立ち上がってマリーを睨んだ。マリーは、少し笑う。 「違いますわ。確かにそれも少しはありますけれど、一番の要因は」 「あなた達が、私とあの人との」 一息吐き、マリーは顔を伏せる。 「子供のようなものだからですわ」 こども。 あたしは、思わず目の前のインパルサーを見ていた。インパルサーは、座ったままだ。 突っ掛かっていきそうな姿勢のまま、ディフェンサーはよろけた。後退り、恐る恐る腕を下げる。 リボルバーは口を半開きにして、呆然とマリーを見ていた。 肩からさゆりとクラッシャーを下ろしたイレイザーは、言葉を詰まらせながら、呟く。 「では…拙者達は、いつも…母上どのと」 「そんな、マリーさんが私達のママだなんて、そんなこと!」 いきなり言われたことを信じられないのか、クラッシャーは目を見開き、叫ぶ。 マリーはそれを否定するように、首を横に振った。目線が落とされ、膝の上の手に向けられる。 「本当ですわ。私とあの人の人格を写し取ったメモリーを元に、あなた達のエモーショナルは生み出されたのです」 「マジかよ…」 信じたくないのか、ディフェンサーは座り込んでしまった。 マリーは続ける。 「感情や人格のプログラムは、一朝一夕で出来るものではありません。経験を重ね、時間を費やして、私達が成長するのと同じようにしなければ出来上がらない。ですがあの人、マスターコマンダーはそれを易々と行った」 「ですが、だからといって、それが」 狼狽えながらインパルサーが言うと、イレイザーが呟いた。 「…設計図、でござるか?」 マリーは笑み、イレイザーを見上げる。 「察しが良いですわね。ええ、そうですわ。マザーシップから奪い取ったあなた達の設計図に書かれた、コアブロックの初期メモリーに入れられたデータコードと、その中身を見るまでは私も知りませんでしたわ」 強めに吹き付けた冷たい風が、彼女の波打つ金髪を広げる。同時に、ふわりとした何かの甘い香りが漂う。 マリーはふわふわと揺らぐ柔らかな髪を掻き上げて、小さな耳へ乗せる。 「数えるのも嫌なくらいあなた達と戦ってきたのに、少しも解りませんでしたわ。私の人格が使われているなんて」 「僕もです。きっと、基礎だけが僕らのエモーショナルに使用されて、関連する部分は全て消されたのでしょう」 インパルサーは、少し笑う。 「僕らが揃って惚れっぽいのは、どちらの影響なんでしょうね」 「さあ。それは、私には解りませんし答えられませんわ」 マリーはくすりと笑み、彼らを眺めた。そのエメラルドの瞳には、様々な感情が入り交じっている。 幼さの残る顔立ちに浮かぶ笑みは、あのにやりとしたものでもいつものようなものでもなく、柔らかい。 「ですけど、現金ですわね。あなた方が子供のようなものだと知った途端、破壊する気が失せたのですもの」 「いっそ、ずっと敵のままでいた方が良かったと思うぜ」 表情を歪めたリボルバーに、マリーは頷く。 「そうですわね。あなた方とは理解し合えない相手として生きることも、当然考えましたわ」 制服のポケットに入れた手を握り締め、マリーは目を伏せる。 小さく金属音をさせながら、その手を出す。その中には、細いチェーンの付いた銀色の逆三角形が握られていた。 それは、インパルサーの中に入れられていたバックアップメモリーに似ていた。大きさも形も、ほとんど同じ。 だけどこれにはチェーンが付いているから、あれとは違う、別物だ。 「けれど、一度知ってしまうと、もう二度と本気で攻撃は出来ませんわ」 「マリーさんて、本当にマスターコマンダーが好きだったんですね」 どこか羨ましげに、律子が言う。マリーは彼女を見たが、すぐに目を逸らす。 「どれだけあの人がユニオンや他の惑星を破壊をしようと、他人を傷付けようと…嫌いに、なれませんでしたわ」 切なそうに唇を締めたマリーの横顔は、軍人でも戦士でもなんでもない、一人の女性のものだった。 この人は、まだ恋をしている。最大の敵となった男に、マスターコマンダーに、まだ恋を。 小さな逆三角形のエンブレムをぎゅっと握り締め、マリーは呟く。消え入りそうな、苦しげな声だ。 「あの人に銃口を向けたときに、全て割り切れたと思っていたのに」 「それってきっと、恋ですよ」 と、インパルサーは頷いた。マリーは顔を上げ、意外そうな目でインパルサーを見る。 彼はちらりとあたしを見てから、笑ったような声を出した。 「恋じゃなきゃ、なんだって言うんですか?」 マリーは手の中に納めた逆三角形へ目を落としたが、何も言わなかった。 「ねぇ、マリーさん」 おずおずと、クラッシャーがマリーの手前にやってきた。 言いづらそうにしていたが、ぎゅっと両手を握り締めて顔を上げる。 「マスターコマンダーって、どんな人だったの? 私、あいつは大っ嫌いだけど、なんか…知りたくて」 「今度、教えて差し上げますわ。私が知っている、あの人のことを」 マリーはクー子へ頷いてから、あたし達を見回した。 「由佳さん達も、聞くべきですわね。カラーリングリーダーのコマンダーですもの、知る権利はありますわ」 「あ、うん」 あたしは頷いたが、今し方聞かされた真実というかを飲み込むのに必死だった。 マスターコマンダーがパル達の生みの親だ、ってのは周知の事実だし、何度も聞かされている。 だけど、まさかここでマリーが関わってるなんて。少しだって、予想していなかった。 マスターコマンダーと恋人同士だった、それだけだと思っていた。それなのに、パル達と親子関係だったとは。 事の概要を大体は知っているメンバーはなんとか飲み込もうとしていたが、律子はかなり困っていた。 混乱してきたのか、ディフェンサーとマリーを見比べては変な声を洩らしている。動転しすぎだ。 座り込んで頬杖を付いたディフェンサーは、呆れたような顔をしていた。 「永瀬、お前なぁ…これから戦うってのに、こんな話聞かされたオレらの方が大変なんだぜ?」 「うん、だから」 律子は一度メガネを外して目元を擦ってから、また掛け直した。 「こういうときにどうしたら落ち着くかなぁって思って、皆の気持ちになって考えてみたら、余計に」 「アホか」 即座に言い放ち、ディフェンサーは律子から目を逸らす。本気でそう思ったらしい。 インパルサーも似たようなもので、さっきからおろおろと首を動かしている。ちったぁ落ち着け。 鈴音は難しそうな顔をしながら、フェンスに背を預けていた。 とん、とコンクリートの上に降りたクラッシャーが涼平を見下ろすと、涼平は困ったように息を吐く。 「オレに何しろっつーんだよ」 「べーつにぃ」 クー子は顔を逸らしたが、あからさまに不満げだった。こっちは、言って欲しかったようだ。 涼平はしばらく困ったようにしていたが、あたしへ振り向いた。いや、だから。 なんでこういつも、あたしに頼ろうとするんだろうか。そんなに女心が理解出来ないのか、弟よ。 あたしが何も言わないでいると、涼平はクラッシャーを見上げ、手を伸ばす。 「とりあえず、オレの帽子返せ」 「やだ」 余計にクー子は機嫌を損ねてしまい、先が尖ったヘルメット部分に更に野球帽を押し込む。 困り果てたのか、涼平はさゆりに助けを求めようとしたが、さゆりはその前に顔を逸らしていた。 自分でなんとかしろ、ということらしい。さゆりは、いっちゃん以外には本当に手厳しい。 どこか吹っ切れたようなマリーの横顔を見、あたしはふと思い出した。 「ね、マリーさん」 「はい?」 「コマンダーシステムがなんであるのか、知らない? ある理由が、いまいち掴めなくて」 ずっと前からあたしの中に引っかかっていた、最大の疑問だ。 マリーはいつもの笑顔に、表情を戻す。 「それも一緒に、お話しいたしますわ。多少ですけど、それには見当が付いていますの」 「良心の呵責じゃないの? 黒マント男の」 しばらく黙っていた鈴音が、不意に口を開いた。なんだよ、そのマント男って。 マリーはその言葉にきょとんとしていたが、笑う。 「遠からず近からず、ですわね」 ふと神田を見ると、ナイトレイヴンを見上げてぼんやりしていた。蚊帳の外だったしなぁ。 なんとなくその目線の先を追うと、右肩の装甲に塗られた白い文字、NIGHT RAVENで止まっていた。 白い文字の下は不自然に盛り上がったりへっこんだりしていて、塗りつぶしたのが解る。 神田はあたしに気付くと、機体名を指した。 「ああ、あれか? 下の文字の意味が解らなかったんで、塗りつぶしたんだ」 「それも教えて差し上げますわ、葵さん」 そうマリーが返すと、神田はまたナイトレイヴンを見上げた。 「なんとなく、見当は付いてるけどな」 校舎に、聞き慣れたチャイムが響いた。昼休みも、もう終わる。 あたしと鈴音はほぼ同時に腕時計を見、顔を見合わせた。もうこんな時間か。 鈴音は食べ終えたゴミを掴んで立ち上がった鈴音は、真顔で一言、呟いた。 「やばいね」 「衣装とメイクの時間、ちゃんと逆算してたのにぃ」 あたしはそう嘆いてから、駆け出した。今から行けば、ぎりぎりながら準備は終えられそうだ。 少しはリハーサルもしなきゃならないし、まだまだ長ゼリフが多いからそれもちゃんと覚え直さなきゃならない。 階段を駆け下りて廊下を走り、控え室へ飛び込むと同時にやよいに引っ張り込まれた。 ぐいっと押されて鏡の前に座らされ、メイク道具を整理していた麻美が駆け寄ってきた。ごめんよ、遅れて。 しばらく間を置いてから、インパルサーとリボルバー、マリーもやってきた。 マリーもあたしと同じように座らされ、メイクをされ始めた。先程の余韻があるのか、表情は浮かない。 隣で顔にベースを作っている鈴音はちらりと横目に、マリーとあたしを見たが、作業を続行する。 「とにかく急ぐっきゃないでしょ。私達が悪いんだから」 「うん」 鏡に映るあたしの顔は、また違うものになっていた。ホントにこれ、誰よ。 背後を鏡越しに見ると、インパルサーはマントを被せられて飾りを付けられ、ベルトを腰に巻いて剣を下げた。 あっちは化粧しなくていいから、なんて楽なんだろうか。肌も荒れないだろうし。 ちょっとだけ、ナイト達が羨ましいかもと思ってしまった。 なんとかリハーサルを終えると、第二部の開演時間はどんどん迫っていた。 あたしはまた衣装を着込んでばっちり化粧をされ、落ちかけた髪の色も付け直されていた。 ステージの裏は機材や大道具の搬送でごたごたしていて、騒がしい。開演まで、時間はそんなにない。 第一部の最後の辺りで、あたしと鈴音は魔王の魔力から解放されて元に戻った。 だから今度の衣装は白っぽく、正義っぽい。肩に乗せられた装甲は銀色で、化粧も可愛い感じになっている。 腰のベルトに下げた短刀はあまり大きさはないけれど、金属だからずっしり重い。 また白いマントを被せられたインパルサーは剣をすらりと抜いて、構えていた。マスクはまだ、開いていない。 彼はあたしが来たことに気付いたのか、剣をすとんと鞘に収めた。 「由佳さん」 準備に奔走する裏方の生徒達に当たらないように動きながら、インパルサーはやってきた。 あたしを見下ろすとマスクを開き、表情を綻ばせる。凄く嬉しそうだ。 「前のも良かったですけど、今度はもっと素敵です、可愛いです!」 「ありがと」 あたしも、これは悪くないと思った。下はちゃんとスカートだし、胸も隠れているし。 鈴音が来ていないかと辺りを見回してみたが、まだ化粧を終えていないらしく、いなかった。 後半のセリフを確認しているのか、マリーは女勇者っぽい、だけどひらひらな衣装を着て台本を睨んでいる。 インパルサーは屋上を見上げ、切れ長の瞳で直立したままのナイトレイヴンを見据えた。 「さて…どこまで劇が出来るか、それだけが心配です」 「出来るところまでやるしかないよ」 あたしには敵がいつ来るかはさっぱり解らないため、そう返すしかない。 生徒達を掻き分けて、リボルバーがやってきた。よう、と片手を挙げて機嫌良さそうに笑う。 「正義の味方も悪ぃもんじゃねぇな」 「何か良いことでもあったんですか?」 いきなり意見の変わったリボルバーに、インパルサーが不思議そうに尋ねた。 リボルバーは顎に手を添え、にんまりと笑う。よっぽど嬉しかったらしい。 「ガキンチョに囲まれた。で、写真ごってり撮られて、頑張ってくれだとよ」 くぁー、と変な声を上げながら、リボルバーは高々と両手を突き上げている。喜びすぎだ。 ばさりと広がったボルの助のマントを被ったインパルサーは、それをどけてから彼を見上げる。 「フレイムリボルバーって、子供が好きなんですか?」 「決まってんだろ!」 即答したリボルバーは、ばしんとインパルサーの頭に手を置いた。ちょっと意外だ。 パルのヘルムを壊さない程度に動かしながら、がしりともう一方の手を握り、強く突き上げた。 「かぁわいいじゃねぇかよぅ、お子様は! ちぃと性根が汚ぇが、その辺もまた好きなんだよ!」 「そろそろ出番だよー」 台本を振り回し、やよいが駆け寄ってきた。あたしの衣装を見、満足げに頷く。 やよいはインパルサーとリボルバーのマントをぐいっと引っ張って急かすと、すぐにどこかへ走っていった。 監督役は、相当忙しいようだ。だけどやよいは凄く楽しそうで、こっちまで楽しくなりそうだった。 片手を挙げてからインパルサーはあたしに背を向け、ふわりと白いマントを広げながらステージの袖に向かう。 青い長身の後ろに、その倍以上は横幅のある背が続く。 すらりとしたマリンブルーの翼が目立つインパルサーの広い背は、いつになく強いものに見えた。 きっと、あれが戦士の姿なのだろう。これから戦いに赴くための決意が漲っているのが、よく解る。 二人が階段を昇る前に一瞬だけ見えた、固く唇を引き締めたインパルサーの横顔が、やけに強く残った。 なんだろう。 この、感じ。 04 6/7 |