こいつは、ドジだ。 開け放した玄関のドアの前で頭を抱え、しゃがみ込んでこちらに背を向けて唸っている。 その頭上の壁は、そりゃあもう見事に頭の形にへこんでいた。結構凄い。 インパルサーの右肩には、あの後瞬間接着剤によってくっ付けられた羽根が戻っている。 少しだけずれているのは、なぜか率先してやりたがった涼平が不器用だったからだ。 小学生の技術には、限界ってものがあるだろうに。 あたしは彼を見下ろしていると、リビングから涼平が顔を出した。 「父さんに説明終わったよ」 「で、どう?」 「考えさせてくれ、だってさ」 涼平はその気持ちは解る、と言いたげな顔をしていた。 そりゃあそうだろう。イヌやネコや彼氏だったら解るかも知れないけど、うちにいるのはロボットなのだ。 しかもそれは、自分の身長を忘れて行動したために、玄関に頭をぶつけて唸っている。まだ痛むのか。 いきなりそんなことを話されても、そんなものを見せられても、すぐに理解して受け入れろという方が無理な話だ。 あたしは情けない当事者、いや、当事ロボットの肩へ手を当てた。夏だから、金属といえど生温い。 「いい加減に立ちなさいよ、パル」 「えと…その」 恐る恐る、インパルサーはあたしへ顔を向けた。そんなに怖がらなくてもいいじゃないか。 「僕、どうなります?」 「あたしに聞かないでよ」 本気でそう思った。だって、あたしはインパルサーが部屋に突っ込んできただけだ。 直接関係があるとすればそこだけで、他はさっぱりだ。 別に宇宙の運命を握ってるわけでもないし、ミラクルパワーの美少女でもなければ、ロボットのパイロットでもない。 「どーしろっつーの」 「由佳さん」 「何?」 「いえ、別に」 そう言い、インパルサーは目を逸らした。 玄関のたたきから立ち上がると、あたしを見下ろした。レモンイエローのゴーグルが、夜だからよく光って見える。 それが、またあたしから逸らされた。 「なんでもありません」 「…ホームシック?」 と、あたしは思い付いたことを言ってみた。 するとインパルサーは、気恥ずかしげに頷いた。正解なのか。 彼はドアの向こうの夜空に横たわる天の川を、じっと懐かしげに眺めている。 「似たようなものです」 「ロボットなのにぃ?」 「おかしいですか?」 と、インパルサーは、今度は笑ったらしい。ころころ感情の変わる男だ。 起伏が激しいというか、自制が弱いというか、とにかく不安定だ。やりづらい。苛々する。 あたしは彼の隣を大股で通ると、ドアを閉めてチェーンを掛け、鍵を回した。 靴箱へ一歩身を引いたまま、インパルサーは、また廊下へ戻るあたしを目で追っている。 その視線を感じ、振り返った。気が立った自分の声が、直後に聞こえた。 「あんた、もうちょい落ち着きってものはないの?」 「そんなに僕、落ち着いてませんか?」 「落ち着いてない! さっきからすぐに落ち込んだり笑ったり泣いたり、ちょっとは落ち着くことって出来ないの?」 「僕のエモーションリミッターは、そんなに弱くありません」 インパルサーは、今度は怒ったらしい。うん、そりゃ怒るわ。あたしは結構、ひどいことを言っている。 解ってはいる。でも、今更になって部屋の窓をぶっ飛ばされた怒りが戻ってきたらしい。 あたしは、もっとひどいことを言ってしまった。 「ああもう、苛々する!」 右手が痛い。インパルサーの、胸の辺りを思い切り叩いていた。 「なんであんたに生活乱されきゃならないの、わざわざあたしの部屋に落ちてくることもないじゃない!」 あたしは、泣いている。 「あのカーテン、大好きだったのに! なんであんたなんかに、破られなきゃいけないの!」 「本当に、すいません」 情けない声だ。 インパルサーは、あたしに叩かれるがままになっている。 「僕は、やっぱり由佳さんに悪いことをしていました。僕を殴って気が済むのなら、それでどうぞ。慣れてますから」 何度か叩いていたけど、あたしは手を止めた。右手がじんじんして、痛い。 どうにも悔しい。解らないけど、 あれだけインパルサーのことを情けないって言っていたのに、情けないのはあたしの方だったようだ。 たかがカーテン、されどカーテン。 自分で言っておいてなんだけど、あたしはそんなにあのカーテンが好きだったのか。子供みたいだ。 インパルサーは、あたしに何もしない。じっと立っているだけだ。 殴られても散々罵倒されてしまっても、怒ることはない。さっきのあれは、性能を馬鹿にされたからだろう。 自分が悪い、って解ってるのか。いや、あたしも充分悪い。 あれだけ最初にインパルサーが謝っていてくれたのに、一度許しているのに、もう一度責めている。 あたしの方が、ひどい。 何か言おうと思ったけど、泣いているせいで言いたいことが言い出せない。 うん。やっぱりあたしの方が、インパルサーよりもずっと情けなくて落ち着きがなくて、女々しい。 いや、それはあたしは女だから間違ってるわけじゃないけど、でもそんな感じだ。 しばらくすると、やっと何か言えそうだった。 その間、ずっとインパルサーは黙っていた。確かに、こいつの理性は強いのかも知れない。 「パル」 キュイッ、とモーターの音がした。 インパルサーが、ちょっとだけ首をかしげたのだ。 あたしは涙でぐしゃぐしゃになった目元を擦りながら、喉の詰まった変な声を出す。 「…ごめん」 「いえ」 彼は、首をゆっくり横に振った。 「悪いのは、完全に僕ですから」 Tシャツの袖で、あたしはべったりする涙を拭う。 汗と涙に濡れた袖から顔を放して、顔を逸らした。きっと今、あたしはひどい顔をしている。 インパルサーは、少し落ち着いたあたしを見下ろしている。 母さんが彼にしたように、子供へ向けるような優しい口調になっていた。 「落ち着きました?」 「あたし、馬鹿だなぁ」 自虐的に笑う。そうでもしないと、情けなさ過ぎる。 「パルに八つ当たりしたって、どうにもならないのに」 「的確な相手ですよ」 「そりゃあんたとあたしは当事者同士なんだから、そうかもしれないけど…」 「もういいですよ、由佳さん。由佳さんは、悪くありません」 「でもあたし、あんたにマジでひどいこと言ってた。ごめん」 あたしは顔を上げた。 「あたしより、ずっとあんたの方が大変なんだもんね」 仲間とはぐれて。番号振ってあるだけの、見知らぬ惑星に突っ込んで。帰ろうにも肝心の空が飛べなくて。 武器のエネルギーはすっからかん。おまけに、肩の羽根まで取れた。今はくっ付けてあるけど。 うん。どう考えても、インパルサーの方が大変だ。 「ごめん」 もう一度、あたしは謝ってしまった。 インパルサーは、頷いただけだった。 くそぅ。 あたしの、完敗だ。 何の勝負かは解らないけど、そんな気分だ。 二人して廊下に突っ立っていると、キッチンから母さんが呼んだ。 もう、夕飯の時間なのか。喚いて泣いていたら、そんな時間になってしまったらしい。 目の前のインパルサーは何も言わず、立っているままだった。 そしてあたしは、ふと思った。 「あんたってさ、ご飯、何?」 「テイクエネルギーの種類、ってことですか?」 少し期待しているのか、彼の声は弾んでいた。 「この惑星、シャインジェムありますか!」 「しゃいん…じぇむ? 光る宝石?」 「エネルギー効率はあれが一番なんですよ! 排出物も出ませんから、フィルターが詰まることもありませんし…」 喜々として、あたしににじりよる。 「ありますか?」 綺麗なレモンイエローのゴーグルが近付いた。よく見ると、その向こうに何かある。 すらっとした形の良い、目みたいなモノが。 それを見ていると、じりじり距離が狭まってくる。なんか、やばそうだ。 その目みたいなものが何なのか、しっかり確かめている間に押し潰されたらたまったもんじゃない。 ぐいっとインパルサーの顔を押し返し、程良く距離が開いたところで言った。 「あるわけないでしょ」 あたしは、げんなりした。 前言撤回。インパルサーに負けたことは認めない。そして、絶対にさっきのことはこいつには言わない。 あっさりと否定されたことで、またインパルサーは落ち込んだようだった。本当に忙しい。 そうですか、と消え入りそうに呟いている。 あたしは彼に背を向けると、足早にリビングへ向かっていった。 怒ったせいもあるのだろうけど、やたらにお腹が空いていたからだ。 夕飯の時に、あたしの部屋はしばらく使ってはいけない、と満場一致で決定した。 当然だ。 割れたガラスの破片とか壁の破片とかが、床一杯に広がっていて危ないことこの上ない。 だから壁を修理して片付けるまでの間、あたしはしばらくリビング暮らしになった。 和室は一つ空いているけど、仏間だから気が進まないのもあるし、あそこは北側だから薄暗くて好きじゃない。 だから今、あたしは布団とタオルケットを抱えて階段を下りているわけだ。 なんとか降りて、廊下に置く。そんなに重いモノじゃないが、かさばってやりづらい。 ふと二階の方を見上げると、照明の傘を後頭部に当てながら、インパルサーがぬっと立っていた。ちょっと驚いた。 気配がなかったのだ。ロボットだからだろうか。 インパルサーは何かを持っているのか、その両手は塞がっている。 照明の逆光で、レモンイエローが目立っている。つくづく、印象的な目だ。 「あの」 「どしたの、パル」 「僕、どこで眠ればいいんでしょう」 「ロボットも、寝るの?」 と、あたしが呟くと、インパルサーは言った。 「寝る、といいますか…これもばらさなきゃですし、途中で機能を休めたいですし」 つまるところ、ちょっと場所が欲しい、ということらしい。 あたしは迷ったけど、先程のこともあるし、あんまり強く出る気が起きなかった。 それにインパルサーが持っているのは例の武器の山で、あれをばらせ、と言ったのはあたしだ。 とん、とん、とん、と意外に体重は軽いのか、軽い音と共に薄暗い廊下へインパルサーが降りてきた。 両手に抱えた銀色の山が、照明を浴びてぎらぎらしている。 あたしは布団を降ろし、逆手にリビングを指した。 「仕方ない。リビング行こうか」 「え、でもリビングは由佳さんが」 「そんなに狭くないって」 あたしは布団を抱え上げ、タオルケットを引きずっていった。 本当はもう少し早く移動させておきたかったんだけど、ガラスとか壁の破片を片付けたり整理したりで結局遅くなってしまい、あたし達以外はもう眠ってしまっている。 しんとした家の中、あたしの水っぽい足音と、インパルサーのがちんがちんうるさい足音が響いた。 階段は、そんなにうるさくなかったのに。なんでこう、こんなにもうるさいんだろう。 アニメの効果音は、決して大げさじゃなかった。 廊下の右側へ入ると、リビングの豆電球がオレンジ色に光っている。 あたしはその下へ向かうと、テーブルを窓側へ移動させて対面式のソファの間に布団を広げた。 先に掛けておいたシーツが歪んでいるけど、気にはならない。 その上に寝転がってタオルケットをお腹の上に掛けたけど、これだけでもう蒸し暑い。ああ、日本らしい。 お風呂に入ったばかりだったのに、もう汗がべったりしている。布団を二階から下ろすのは、結構大変だったのだ。 インパルサーはあたしの枕元にしゃがみ、ばらばらと武器を広げた。 薄暗い中でよく見ると、その配線とかは切られている。二階にいた間、作業をしていたらしい。 彼はその戦車が踏んでも壊れない武器の外側の、銀色の部分を器用に外して中身を出していく。 すると、インパルサーは一度あたしを見下ろした。そして、あの優しい声を出した。 「こういうときは、何て言うんです?」 「おやすみなさい、って」 「了解しました。おやすみなさい、由佳さん」 「おやすみ、パル」 あたしは上半身だけ起き上がり、少し笑って返した。 また寝転んで、彼に背を向ける。 分解しているのか、しきりに時計の秒針が動くみたいな音が、枕元でかちかちしている。 せわしない金属音を聞きながら、あたしは眠った。 変な夢を見ていた。 言い表しようがないけど、とにかく物凄く変な夢を見ていた。 だけど、目が覚めたと同時に枕元で鳴った凄い音のせいで、一気にすぽーんと忘れてしまった。 慌てて起き上がってみると、枕元でずっと内職していたらしいインパルサーが、部品の山に頭を突っ込んでいた。 さっきの凄い音の正体は、きっとこれに違いない。 時計を見てみると、まだ午前五時にもならない。あたしにしては珍しい、早朝に目が覚めた。 頭を突っ込んで、というより部品の上に彼は寝ている。恐らくこれが、休眠なのだろう。 でもその光景は、間抜けそのものだった。 正座しているまま突っ込んだのか、足はきちんと折り曲げられている。ここまで律義だと、いっそ可笑しい。 でもだからこそ、その几帳面な感じと頭を突っ込んでいる様子が合わなさすぎて、間抜けなのだ。 カーテンの隙間から朝日が差し込んで、そんな珍妙な格好のロボットが照らされている。 結構、嫌な目覚めだ。これは初夜じゃないぞ、断じて。 寝言でも言っているのか、電子音みたいなものがインパルサーから聞こえている。 あの好青年みたいな声は、日本語を使うために作った声なのかも知れない。 それを聞いていたらまた眠気が戻ってきて、あたしはぱたんとシーツの上に寝っ転がった。 テレビの後ろに貼ってあるカレンダーへ何気なく目を向け、今日が何日か悟った。 夏期講習の日だった。 思わず顔を逸らし、現実から逃れてみたけど、やっぱり今日は今日だ。 昨日のごたごたで勉強するのを忘れていて、予習復習をしていない。今から始めても、たった二時間で何になる。 頭を抱えて、あたしは深くため息を吐いた。 そりゃ元々あんまり成績はいい方とは言えないけれど、理解はしていたい。 日が昇って気温が上がってきたのか、次第にリビングの空気がぬるくなってきた。 それと同時に、外も車やバイクの音がする。朝だ。確実に、朝なのだ。 全ての元凶である青いロボットは、すやすやと実に平和そうに眠っていた。マスクフェイスだから肝心の寝顔は解らないけど、とにかく平和そうだ。 仕方なしにあたしは起き上がり、俯せに眠ったせいでぐしゃぐしゃになった前髪を掻き上げた。 腹を括るしかなさそうだ。 じぃじぃじぃ、と裏山でセミが鳴いている。 やかましいことこの上ない。 04 3/5 |