神田の誕生日と共に現れたスコットが、あたし達コマンダーへ発した警告。 だけどそれから、何も起きずに一ヶ月が過ぎた。マシンソルジャー達も、やってこない。 何もないならそれに越したことはないけど、その静寂が返って恐ろしかった。 ゼル・グリーンがどこにいて、何を考えて、何をしようとしているのか。あたしには、予想も付かなかった。 このまま、パル達が戦わずにいてほしい。苦しまずにいて欲しい。 そう、願わずにはいられなかった。 今日は、朝から空が薄暗かった。 鉛色の分厚い雲を眺めていると、今にも雪が降ってきそうに見える。でも、降らない。 玄関の前でぼんやりしていると、後ろでドアが開いた。振り返ると、大荷物のインパルサーが立っている。 彼はドアを閉めてからあたしの隣に来ると、同じように見上げた。薄暗いから、ゴーグルの色がよく目立つ。 「降りそうですけど、降らなさそうですよね」 「でしょー? せっかくクリスマスイブなんだし、雪でも降ってくれた方が気分が出るのになぁ」 あたしは珍しく、天気予報の内容が外れて欲しいと思っていた。曇りだけなんて、つまらない。 朝から結構冷え込んでいるから、もしかしたら、とかあるかもしれない。むしろあってくれ。 雲をじっと睨むように見ていたインパルサーは、トートバッグを持った手を挙げて空を指す。 「ソニックサンダーを撃てば、静電気で水蒸気が凝固して落下しますから、あの雲は雪になると思いますよ」 「…それ、本気?」 「いえ、冗談です。ソニックサンダーはエネルギー消費が激しいので、あまり好きではない技ですし」 そう笑いながら、インパルサーは玄関を抜けて門を開けた。あたしはそれに続く。 突き刺さるほどの寒さではないけど、寒い。吐き出す息が白くて、冬の実感がありありと感じられる。 あたしが彼の隣を通ると、門が閉められて、かしゃんと鍵が掛けられた。もう、うちには誰もいない。 クリスマスイブだと言うことで、涼平とクラッシャーはクラスのクリスマス会に行っている。 父さんと母さんは、平日だから通常通り仕事に出ているし。あたし達は冬休みだけど。 つい、また空を見上げてしまった。灰色が、ただ一面に広がっていた。 マリーの家がある住宅造成地へ繋がる細い道路は、すっかり枯れ葉で茶色くなっていた。 杉の葉や広葉樹の葉が溜まっているのだけど、ほとんど車が通らないからそのまま残っている。 ゆるやかな、だけど結構長い坂をインパルサーと一緒に歩いていると、久々に見る姿があった。 この寒いのにグレーのマフラーを首に巻いただけのスコットが、木々の隙間に置かれた細い電柱の上にいた。 黒いゴーグルにあたし達を映り込ませながら、よっ、と片手を挙げる。同時に、背中の翼も広げられた。 「いよーぅお二人さん、久し振りぃー」 「スコットさん、寒くないんですか?」 あたしには、スコットの姿が寒々しくて仕方なかった。せめてコートは着てほしい。 黒いスーツとスラックスだけなんて、絶対に寒いはずだ。すとん、と、細身の影は軽くあたしの前に着地した。 マフラーを緩めて垂らすと、スコットは首を横に振った。コウモリのような翼が、ばさりと畳まれる。 「いんや全然。なんとなくこれ付けてみたけど、むしろ暑いだけだな。そんなに寒いのか?」 「見てる方が寒いんですけど」 「そぉかぁ? ああ、基礎体温の違いのせいか」 と、スコットは勝手に一人で納得して頷いた。出来れば、どこがどう違うのか説明して欲しい。 でも、なんとなく解る気がしないでもない。空を飛べるなら、その分あたし達よりエネルギーを使うだろう。 となれば、体温も高くて当然だ。と、いうことにしておこう。たぶんそんなとこだろうから。 インパルサーは色々と物が詰まったバッグを抱え直してから、スコットを見下ろした。 「それで、スコットさん。何か用ですか?」 「オレが用があったのはお前らじゃない、大佐どのにだ。ここんとこの、ゼルに関する捜査の成果報告をだな」 後ろ手に坂の上を指し、スコットはにっと笑う。 「どこにどう、ゼルの野郎が隠れてるのかは大分掴めてきたんだ。そいつの報告をしてきたのさ」 「それ、どこなんですか?」 あたしは、ちょっとそれが気になった。まさか、この近辺にいるとは思えない。 スコットは少し躊躇したようだったが、ずいっとインパルサーを指した。 「銀河平和協定を破らないって誓えるか? 情報を渡しても、下手な行動を取らないって誓えるか?」 「ええ、解っています。例えゼルの居所が解ろうとも、僕らは攻撃は仕掛けません。不利になるだけですから」 頷いたインパルサーを、スコットは拳でどかんと叩いた。 「いよぉし、いい根性だ。そんじゃ、心して聞けよブルーのお二人さん。オレからのクリスマスプレゼントだ」 ちゃんとしたことを言う前のクセなのか、またやけに大袈裟な咳払いをした。 ポケットに両手を突っ込むと、身を屈めてあたしの視線に合わせて神妙な表情になる。 「月の裏側だ」 あたしはそれを聞いて、ちょっと拍子抜けしてしまった。なんだ、結構近いじゃないか。 そんなに近いなら、とっくにイレイザー辺りが気付いていたんじゃないだろうか。なのに、なぜ今頃。 スコットはあたしとインパルサーを見比べ、むっとした。ころころ表情が変わる人だ。 「今更とか思ってんだろー。そりゃオレも、月なんて近い場所にいるとは思ってなかったさ。ユニオン船籍のスペースシップの反応がやたらと地球の周りにあったから、全部調べるのに、ちょいと手間が掛かっちまったんだよ」 「ああ、あれですか」 思い出したように呟いたインパルサーに、スコットは不満げに口元を曲げる。 「なんだ、もう知ってたのかよ」 「いえ、スペースシップの反応のことです。あれは単なるトランスミッターだと、シャドウイレイザーが言っていたので」 そうインパルサーに言われた途端、スコットは拍子抜けしたようにがっくりと肩を落とした。いちいち動きが大きい。 ゆっくり顔を上げてブラウンゴールドの髪を掻きむしりながら、ああ、そうだよなぁ、とか呟いた。 またジャケットのポケットに手を突っ込むと、はあ、とため息を吐いた。そこから、煙草が一本取り出される。 器用に同じ手の中から出したライターで火を点けると、煙を深く吸ってから吐き出し、口元から外す。 「そうだよなぁ…お前らには、あの超高性能ソナーのシャドウイレイザーがいる。オレの動きは後手後手か」 「ですけど、月の裏側には微弱な反応しかないとシャドウイレイザーが…」 マスクに手を添えたインパルサーはしばらく黙っていたが、あ、と顔を上げた。 「エンジンを切っていたんですね。エンジンさえ切れば、エネルギーウェーブの流出はかなり抑えられますから」 「ごっ名答ー!」 煙草を軽く振り、煙をくゆらせる。スコットは、それを銜え直した。 「まぁ、そういうことだから今まで手間が掛かっちまったんだ。反応が微弱だから、解析に時間喰っちゃってよ」 「でもその間、なんでゼルは動かなかったんだろ?」 あたしには、それが不思議だった。すると、スコットは自慢気に胸を張る。 「そりゃあ決まり切ったことだぜお嬢さん、このオレが地球にいるからさ!」 なんだろう、この自信は。テンションもそうだけど、どこから溢れてるんだ一体。 スコットは一度妙な高笑いをした後、胸の内ポケットから取り出した丸い携帯灰皿を開き、煙草を擦って消す。 ぱこん、と金属製のそれを閉じて内ポケットに入れてから、ばさりと翼を広げた。 「んじゃなお二人さん、オレはまだまだ仕事が残ってるんでね。アスタラヴィスタァー!」 地面を蹴って飛び上がると、飛んでいってしまった。なんだよ、そのアスタラヴィスタって。 骨張った翼の生えている黒いスーツ姿は鉛色の空に馴染み、あっという間に遠ざかっていった。 インパルサーはスコットの飛び去った方をしばらく見ていたが、坂の上、マリーの家の方を指した。 「足止めを喰らってしまいましたけど、行きましょう。準備は、早く終わらせていた方がいいですから」 「そだね」 パルの指した坂の上を見上げると、ナイトレイヴンが立っているのが解った。その奥に、プラチナも。 よく見ると、二体の巨大ロボの前が微妙に歪んでいる。いつかディフェンサーが張った、シールドみたいだ。 白と黒のアドバンサーはしばらく睨み合っていたが、勢い良く双方は駆け出した。と、思ったら。 軽く蹴り飛ばされたナイトレイヴンは、頭からこちらに突っ込んできた。が、あの弱い歪みの前で止まる。 ばちばち帯電するシールドから、ずるっとナイトレイヴンが滑り落ちる。プラチナは、顔に手の甲を寄せた。 「ほーっほっほっほっほっほ! まだまだですわね、葵さん!」 ひとしきり、上機嫌なマリーの高笑いが続いた。 ぎりぎりと関節を鳴らしながら起き上がったナイトレイヴンは、瞳の色を強めてプラチナを睨む。 腰を落として構え直すと、駆け出した。肩からプラチナに突っ込もうとしたが、ひらりと避けられた。 ナイトレイヴンは勢い余ってよろけそうになったが姿勢を戻し、プラチナに蹴りを放つ。 プラチナはそれを軽く手の甲で受け止め、ナイトレイヴンを弾くように転ばせた。どん、と地面が揺れる。 だが、ナイトレイヴンは転ぶ前に地面に手を付いて姿勢を整えた。真っ直ぐ立つと同時に、神田の声が響く。 「次、お願いします!」 「いい度胸ですわ、葵さん!」 今まで構えていなかったプラチナは片手を伸ばして、軽く構えた。そして、また向かってきた黒い機体を受ける。 畳んでいた翼を広げ、長くてすらりとした足を上げたプラチナは、ナイトレイヴンを蹴った。 見た目よりかなり強烈な一撃だったのか、ナイトレイヴンはよろけた。それでも、なんとか踏ん張った。 この感じだと、まだまだ終わりそうにはない。マリーの高笑いを聞きながら、あたしは提案した。 「もうちょっと、後の方が良くない?」 「巻き添えは嫌ですからね」 こくん、とインパルサーは頷いた。今行ったら、絶対ろくなことにはならないし。 ばっぎゃん、とまたナイトレイヴンが蹴飛ばされた。今日も、神田の訓練は続いている。 でもよく見てみると、プラチナの的確な蹴りを避けたり、突き出した拳が掠りそうになったりしていた。 シールド越しのせいか、多少籠もっている神田の猛りが聞こえてきた。 十数分後。ようやくどちらの動きも納まったので、あたし達はマリーの家に行くことが出来た。 淡いオーロラのようだったシールドも掻き消えて、元に戻っている。中は、凄いことになっていた。 赤土の地面には、ナイトレイヴンが転倒するたびに出来たものらしい、大きな線が何本も走っていた。 マリーの家の手前に直立するプラチナの純白のボディには、汚れ一つなかったけど、ナイトレイヴンはその逆だ。 膝を付いて前傾姿勢になっている黒い機体には、赤茶けた土と傷がたっぷり付いている。綺麗な黒が台無しだ。 あたしは地面にある窪みに足を突っ込まないように歩き、ナイトレイヴンの前に出た。 「神田君、お疲れさまー」 すると、コクピットが開いた。中には、疲れ切った様子の神田がいた。 コクピットの中は暑くなるのか、汗の滲んだ額を拭っている。あたしに気付くと、中から出た。 とん、と地面に着地すると、神田は苦笑いしながら近付いてきた。 「やっぱり、マリーさんには勝てないな」 プラチナのがっちりした胸元が開き、マリーが姿を見せた。長い髪を二つに結んで、高校のジャージを着ている。 ふわりと降りて軽く地面に着地し、ごきげんよう、とあたしとインパルサーに微笑んでから神田に振り向く。 「あら、そうでもありませんわよ。葵さんの攻撃は、一度プラチナの翼を掠りましたもの」 「でも、当たらなきゃ意味がないんだよなぁ…」 悔しげに、神田は拳を手のひらに当てた。頑張れ、葵ちゃん。 耳の下辺りで分けて結んでいた髪から、マリーはヘアゴムを外して手首に絡めた。 一度長い金髪を掻き上げてから、ふう、と一息吐く。そして、あたしを見上げた。 「そういえば、もうそんな時間ですのね。クリスマスですか…どこにも、似たような習慣はありますのね」 「ユニオンにもあるの? クリスマスみたいなのって」 「ええ。ユニオンにも、唯一神宗教はありますの。その神が、天界から地上へ降りてきた日を祝いますのよ」 両手を胸の前で組み、マリーは微笑んだ。神様の概念は、宇宙共通のようだ。 疲れが押し寄せてきたのか、神田は足を引き摺るように歩いてマリーの家へ向かっていく。 「…すんません、寝させてもらっていいっすか?」 「構いませんわ」 そうマリーが返すと、神田は力なく玄関に入っていった。戦うことは、かなり大変なようだ。 あたしはコートの袖の下から腕時計を見ると、皆が来るまでまだまだ時間がある。結構、早く出たからなぁ。 空は相変わらず鉛色で、昼間のはずなのに夕方のように暗かった。雲の向こうの、月の裏側にゼルがいるのか。 戦いをもたらす自分勝手な男が、こんなに近くにいるなんて。なんだか、いきなり現実味が増してきた。 あまり家具のない広いリビングの端を、真新しいクリスマスツリーが陣取っていた。 一応飾り付けはされていて、電飾がぺかぺか光っている。これがあるだけで、かなりクリスマスっぽい。 そのツリーの後ろに押し込まれているのは、昨日のうちに、あたし達が持ってきたパル達へのプレゼントだ。 せっかくクリスマスなんだから、ということで買ってきたのだ。中身は、後のお楽しみだ。 コートを脱いでマフラーと一緒に壁に掛けて、リビングへ振り返ると、ソファーの上で神田がへばっている。 さっき自分で言った通り、眠っている。そんなに、アドバンサーの操縦は疲れるんだろうか。 いくら家の中が暖かいとはいえ、さすがにこのままじゃ冷えちゃうだろうに。何かないか。 もう一方のソファーの背もたれに、男物の黒いジャケットが引っかかっている。神田のものだろう。 それを広げて乗せてやると、キッチンの方からインパルサーが顔を出し、こちらを覗き込んでいた。 「葵さん、相当マリーさんと戦ったんですね」 「そのマリーさんは?」 「さっき、プラチナとナイトレイヴンを格納庫へ入れてくると言って」 薄手のゴム手袋に包まれたマリンブルーの手を、くいっと足元へ向ける。地下に行ったのか。 神田は目の上に腕を乗せていて、表情は見えない。あたしは、インパルサーを見上げる。 「そういえばさぁ」 「はい?」 広いリビングに、インパルサーの声がやけに響く。静かだから、余計に。 あたしはエプロン姿の彼に、尋ねてみた。ここしばらく、気になっていたから。 「パルって、神田君と仲が良いの、悪いの?」 「僕と葵さんの仲ですか?」 「そう。よく解らないんだもん」 傍目に見ていると、不思議なのだ。どちらも近付かないけど、雰囲気は険悪じゃない。 ちゃんと話したりしているから、そうそう激しく悪いわけじゃないんだろうけど、なんか距離が空いている。 インパルサーはしばらく考えていたようだったが、ゴムに包まれた指で頬を掻く。ぎしり、とその音が止まった。 「悪いかもしれませんね」 「そうなの?」 「はい。僕は葵さんが嫌いではありませんし、葵さんもそんなに僕が嫌いというわけではなさそうなんですが」 インパルサーの目線が、神田へ向く。レモンイエローのゴーグルに、リビングが映り込んでいる。 「習性というか、本能みたいなものなんでしょうね。張り合ってしまうんですよね」 「張り合うって、何を?」 「色々です。その時によって違いますし、そうそう大したことではありませんけど」 少し笑ったような、インパルサーの声。そんなことしてたなんて、知らなかった。 まるで気付かなかった。というか、気付かせなかったのかもしれない。 淡々と、パルは続ける。あたしの知らなかったことを。 「葵さんは、僕が来る以前の由佳さんを知っています。そのことが、どうしようもなく悔しく思えました」 神田から目線が外され、あたしへ向いた。 「だから、つい張り合ってしまうのでしょうね」 つまり、パルが神田に妬いていたのか。 どうしようもなく、って付けるくらいだから、今までたまに見せていた嫉妬よりもかなり強いんだろう。 ちっとも、知らなかった。パルが神田に妬いていたことも、それを押さえ込んでいたことも。 もっとあるんだろうな、色んなことが。彼はただそれを、表に出そうとしないだけだ。 なんか、複雑だ。そりゃ、恋心は綺麗な部分だけじゃなくて、その裏側もちゃんとある。 あたしも、少しはあった。けど、そんなに強くはなかった。パルがあたししか見ていないと、解っていたから。 でも、パルはそうじゃないかもしれないと思っていたから、内心じゃ神田に嫉妬しまくりだったのか。 あたしは、パルに悪いことをしているかもしれない。進むだけ進んだのに、未だに好きだと言えていないし。 だけど、何度頑張ってみようと思っても、どうしても言えないんだ。ただ、言うだけなのに。 あまりに情けない自分に呆れていると、インパルサーはまたキッチンに戻っていった。 彼の後ろ姿を見送っていたら、なんとなくここにいる気は起きなくなってしまい、付いていくことにした。 広いダイニングテーブルは、材料と道具で埋め尽くされていた。 それらを手際良く仕上げていくインパルサーは、かなり手慣れている。本当に、料理が好きなんだなぁ。 来てみたけれど、あたしにはこれといって仕事があるわけでもない。最初からパルの仕事だし。 あたしは、何のためにここにいるんだろう。なんか、空しくなってきた。 「んー…」 やることがないかと考えて唸っていると、インパルサーが振り向いた。 「暇なんですか?」 「見りゃ解るでしょ」 本当に、やることが見つからない。インパルサーに付き合って、早くうちを出たせいだ。 インパルサーは下ごしらえの終わった鶏肉が入ったボウルにラップを掛け、中身を確かめてから頷く。 それをやたら大きな冷蔵庫に入れてから、テーブルの上に広げた材料を眺める。 「そうですねぇ…」 一通り見回してから、インパルサーはあたしを見下ろす。 「クッキーでも作ります? あれなら、時間を潰すのに丁度良いと思いますし」 「クッキーねぇ」 あたしは開け放したままのキッチンのドアから、ちらりとリビングを見た。神田はまだ寝ている。 「甘くないのって、作れる?」 「ええ。作れますけど…」 インパルサーはあたしの目線の先を辿り、意味を察したらしい。 「もしかしてとは思いますけど、由佳さん。葵さんへのプレゼントにするつもりなんですか?」 「さっぱり考えてなかったし、今までちっとも思い付かなかったから」 と、あたしは開き直った。だって、本当にそうなんだから。 がしがしとマスクを掻いていたインパルサーは、複雑そうに呟いた。 「由佳さん。…さっきの僕の話、聞いてましたよね?」 「うん。こんなときにそんなことするのも、どうかと思ったんだけどさぁ…」 あたしは、インパルサーに悪いことをしている気がした。いや、確実に悪いことをしている。 パルは神田に妬きまくりなのに、それを知った上で、あたしは彼に神田へのプレゼントの相談をしている。 これ、一歩間違えば嫌がらせみたいなもんじゃないか。ああもう、あたしは。 さすがのインパルサーも、これには複雑を通り越してしまったらしく、顔を背けてしまった。 うん、あたしなら絶対にされたくない相談だ。でも、このまま神田にだけ何もあげないのも悪い。 しばらく悩みに悩んで、やっと、解決策になりそうなことが思い付いた。 「あのさぁ」 「なんですか」 パルは、明らかに不機嫌な声だ。あたしは、彼を見上げる。 「とにかく量作って、皆にばらまけばいいんじゃない? そしたら、神田君にだけじゃないし」 ちょっと、間が空いた。レモンイエローのゴーグルが、一度リビングへ向いた。 それをまたあたしに向けたパルは、仕方なさそうに頷いた。 「そういうことなら、なんとか許せない範囲ではありませんね。丁度材料もありますから、早急に作りましょう」 「ごめん」 「いえ、由佳さんが謝ることはないんです」 あたしに背を向けながら、インパルサーは首を横に振る。はあ、と深くため息を吐いた。 彼の背中の伸びている二枚の翼が、へにゃりと情けない角度になっていた。 「僕が勝手に妬いているだけなんですから」 チーズ混じりのクッキー生地を型で抜き、オーブンへ入れた。これで、あと十数分もすれば焼き上がるだろう。 オーブンを閉じてから、あたしは横目にインパルサーを見た。まだ、翼がへたっている。 そりゃ、パルの立場になって考えてみたら嫌だろう。結局、あたしから神田にクッキーをあげるわけだし。 あたしはダイニングテーブルに寄りかかり、パルを見上げた。目を合わせようともしない。 「だーから、ごめんってば」 「いえ…」 そう力なく呟いて、インパルサーは顔を逸らした。まだダメか。 あたしはここまで落ち込んでいるパルが、少し意外だった。いつか、ドライバー傷を付けちゃったとき以来だ。 あの場合は体の傷で、この場合は心の傷なのだろう。ホントにごめん。 こういうときに、はっきり好きだと言えればどんなに楽なことか。そしたら、パルは妬かなくて済む。たぶん。 マスクフェイスの横顔をじっと見ていても、何かいい手が思い付くわけじゃない。ええい、もう。 言えないなら言えないなりに、示す方法があると前に誰かが。リボルバーだ、ボルの助が言っていた。 あの時はええと、ああ、そうだ。でも、この場で出来るかなぁ。ここ、マリーさんちだし。 でも、これ以上インパルサーに落ち込んでいてはもらいたくない。見ていて辛いし。 とりあえずダイニングテーブルから離れて、リビングに繋がるドアをゆっくり閉じた。つい、慎重になってしまう。 ドアを閉じてから向き直ると、パルはやっとあたしへ顔を向けた。 「何ですか?」 いざ実行に移そうとすると、リボルバーの方法はかなり過激だと思った。まず行動ありき、だし。 でもこのままの状態でいるよりは、一発キスしてしまった方がずっといい。たぶん、いや絶対に。 緊張してきてしまったが、それをなんとか押し込めて、あたしはパルの目の前に立った。 一歩身を引いたインパルサーは、きょとんとしているらしく、軽く首を傾げる。 「あの」 「黙らっしゃい」 そう命令すると、パルは頷いた。あたしは、目一杯かかとを上げて手を伸ばす。 彼が屈んでいないから、そのマスクフェイスにも手が届かない。首辺りに、手を掛けるので精一杯だ。 ここまでされてやっと気付いたのか、背を曲げてあたしに合わせてきた。うん、そうしてくれないとダメだ。 パルの顔が近付く前に、かちり、と目の前で何かが外れる音がする。マスクが開いて、ゴーグルが収納される。 慣れた手つきであたしの顎と頬に手を添えたパルが、更に距離を詰めようとした。 と、その時。 甲高い呼び鈴が、玄関から鳴った。 素早くあたしを離したパルは、開いたばかりのマスクを閉じてしまった。 ダイニングテーブルに背を当てたあたしは、気が抜けてきた。あれだけ緊張したのに、無駄だったとは。 なんとなく気まずくて、彼と顔を合わせられないでいると、キッチンのドアが開いた。 ワインレッドの長いジャンパースカートに、白いカーディガンを羽織ったマリーは、玄関の方を指す。 「鈴音さん達がいらっしゃいましたわよ」 「え、あ、そうですか」 しどろもどろに返したインパルサーとあたしを見比べてから、マリーは口元に手を添えて笑む。 「苦労しますわね、あなた達も」 「え、いえ、僕らは何も!」 インパルサーは素っ頓狂に裏返った声で否定したが、まるで説得力がない。 何かしていた、と言うようなものだ。隠し事が出来ないんだなぁ、パルは。 マリーは可笑しげにしていたが、ドアから出ながら横顔を向けた。 「場所は弁えることですわ」 マリーがキッチンから出て、やっとあたしは気力が戻ってきた。 なんてタイミングに来るんだ、鈴ちゃんは。マリーさんも、解ってるなら言わないで欲しい。 深呼吸してからパルを見上げると、ゴーグルはオレンジ色になっている。今更照れてきたらしい。 「あの、由佳さん」 「うん?」 がりがりとマスクを引っ掻いていたが、パルはかなり小さな声で呟いた。 「つまり、その。由佳さんが僕を…好きだ、と、受け取っていいんですか?」 あたしは、頷いた。 安心したように息を吐いたインパルサーは、嬉しそうに笑った。 リボルバーの方法は、間違ってはいなかったらしい。するタイミングと、使い方によっては、だけど。 だけど、言えないのはこんなにも苦労するなんて。ボルの助、あんたはマジで偉いぞ。 インパルサーは、じっとあたしを見下ろした。ゴーグルは、まだオレンジだ。 だがすぐに、目を逸らしてしまった。両思いだと改めて知ると、恥ずかしいものらしい。 「準備、さっさと終わらせてしまいましょう!」 やけに気合いの入った声を上げ、パルはあたしに背を向けた。 あたしはその変わりようがちょっと可笑しく思えて、笑ってしまった。立ち直りが早すぎる。 でも、この方がいい。神田に妬いたままよりも、ずっと。 ドアを開けてリビングを覗くと、鈴音とリボルバーだけでなく、他の面々も揃っていた。 丁度、クッキーの焼き上がりを知らせるタイマーがオーブンから鳴った。神田への、プレゼントも出来た。 既に大方の料理は出来上がっていたのか、インパルサーは仕上げに掛かり始めた。 あたしはオーブンから取り出した熱いクッキーを冷ますため、網の上に置いていく。綺麗に焼けている。 すると、寝起きの顔をした神田が、開け放したままのドアに寄り掛かっていた。あたしは、手元のクッキーを指す。 「神田君、これ、クリスマスプレゼント。今度は、ちゃんとまともだから」 神田は一瞬驚いたような表情になったが、すぐに嬉しそうに笑った。 「ありがとな」 「心して頂いて下さいね、由佳さんの作った物なんですから!」 と、インパルサーが声を上げると、神田はにやりとする。 「ああ、そんなことは解ってるさ」 敵対、というには殺気が足りない。 友達、というにはちょっと空気が張り詰めすぎている。 どちらも相手が嫌いじゃないのは見ていて解るし、普通にしていれば仲は良い方だ。 でも、あたしが絡むとこうなっちゃうのか。ちょっと、複雑な心境だ。 パルも神田も、敵同士に。そんな光景は、見ていてあまり気分の良いものじゃない。 あたしって、三角関係の中心にいるんだ。 今更ながら、そんなことを実感した。 04 7/6 |