「思ったんだけどさぁ」 テーブルに腕を載せたやよいが、あたしを見上げる。 「由佳って、結局どっちが好きなのよ?」 「あ?」 思わず、変な声が出てしまった。自然と、他の二人の目線もこちらに向く。 あたしは福袋に囲まれた彼女らを見ていたが、どうしても答えなければならない状況のようだ。 間を詰めたやよいが、じっとあたしを見据える。ああもう、やっちゃんて。 この状態のままではいたくはないので、出来るだけはぐらかそう。 「どっちって、どっちが」 「だーかーらぁん」 妙に甘ったるい声を出し、やよいは笑む。 「インパルサー君と神田君、どっちが好きなわけー?」 黙々とストロベリーパフェを食べていた鈴音はスプーンを止め、あたしを見下ろす。 「どっからどう見ても、由佳は葵ちゃんに惚れてるようには見えないから、やっぱりブルーソニックよねぇ」 「だよねぇ。美空さん、インパルサー君のことが好きなんだなってこと、見ていてよぉく解るもん」 ホットチョコレートの入ったカップを置いた律子は、にこにこしながら両手を胸の前で組んだ。 あたしは目の前のカフェオレを啜ってから、もっと問い詰めたさそうにしている三人を見た。 なんだよ、目的は福袋じゃなかったのか。さっきまで別の話だったのに、なんでいきなりこうなるんだ。 カフェの雑踏に話が紛れていることが、ほんのちょっとだけど救いだ。学校じゃなくて良かった。 空になったチョコレートケーキの皿を脇へ押しやってから、やよいは更に距離を詰める。 「でもさぁー、神田君のこともまんざらじゃないでしょー?」 にやりとしながら、やよいは頬杖を付く。何を根拠に。 でも確かに、考えようによってはそうかもしれない。やたらと神田君が近くにいるし。 温くなりつつあるカフェオレを飲んで返答を先延ばしにしていたが、これ以上は無理そうだった。もう、中身がない。 飲み干してしまったマグカップを置き、椅子を少し引く。隣で、律子がじっとあたしを眺めている。 ストロベリーパフェの半分以上を食べ終えた鈴音はスプーンを口から外し、面白そうに笑う。 「葵ちゃんの入れるような隙間なんて、由佳とブルーソニックの間にあるわけないでしょー」 「だけど、万が一ってのも無きにしも有らずだと思うのよぉ」 と、やよいは鈴音へ振り向く。だから、何の根拠があってそう考えるんだ。 福袋を避けてから、律子はあたしに近付いて目を輝かせる。 「美空さんとインパルサー君、どっちから好きだって言ったの?」 「んー…そりゃあ」 あたしは次第に距離を詰めてくる律子から、少し離れる。りっちゃんまでもか。 照れくささと気恥ずかしさで、どうにかなりそうだ。あたしは彼女らから顔を逸らしてから、呟いた。 「パルに決まってるでしょ」 「で?」 上機嫌な声を上げ、やよいがにじりよる。お願い、これ以上近付かないで。 あたしはずり下がった椅子を後ろの壁に当ててしまい、もう後退出来なくなった。ああ、どうすれば。 テーブルを乗り越えそうな勢いで迫ってくるやよいの目を見ないようにしながら、問い返す。 「で、って…」 「だーかーらぁーん」 先程よりも高めに言い、やよいは胸の前で手を組む。 「由佳はそれに応えたのかーってこと。好きなんでしょ、インパルサー君が?」 椅子から下りて、やよいはあたしの隣へ回り込む。逃がさないつもりか。 とにかくにこにこしながら覗き込んでくるやよいから目を逸らし、鈴音と律子へ向いた。 でも、二人も続きが聞きたいらしく、興味深げに見ている。お二人さん、助けてくれないのね。 だけど、あたしがパルを好きなことは事実だ。はぐらかし切れそうにないので、あたしは仕方なしに頷いた。 「うん、まぁ」 「両思いなら。ちゃんと付き合ってること示しときなさいよー? 神田君て、結構手強そうだしぃ」 ぎゅっとあたしを抱き締めてから、やよいは頭をぽんぽんと叩いてきた。 「んで、デートぐらいしたんでしょ、あんた達」 「デート?」 あたしがきょとんとすると、律子は頷く。 「両思いなら、しちゃうべきだと思うなー」 「ていうか、今までしてなかったの?」 意外そうに、鈴音が目を丸める。そういえば、そうだ。 あたしもパルも、そういうことに疎いし、何より今まで考えたこともなかった。 どっちも好きだってことはつまり恋人同士になるわけで、ということはつまり彼氏と彼女なわけだ。 改めてそう考えると、照れくさいことこの上ないけど。そっか、そうだよな。 あたしの首を腕で締め上げながら、やよいは怪訝そうに眉を曲げる。このことが、信じられなかったらしい。 「…まさか、マジでそこまで至ってないわけ?」 「悪いか」 あたしは言い返した。色々とゴタゴタしてたし、そんなこと考えたこともなかったんだから。 ストロベリーソースの絡んだクリームを食べていた鈴音は、ほう、と息を吐く。 「ま、色々あったからねぇ」 「そういう時間が取れなくても、仕方ないよね」 と、律子は苦笑した。ゼルのこととか、その辺りのことを言っているのだろう。 あたし達の面倒な事情を知らないやよいは、腑に落ちない顔をしていたが、あたしを見下ろす。 「どうせなら、冬休み中にやるだけやっときなさいよ。休みが明けたらテストの嵐だしね」 「でもなぁ…」 あたしはやよいに押さえ込まれたまま、ずるりとへたり込んだ。 デートの仕方なんて、知らない。ていうか、パルとどこに出掛けろと。 やよいはあたしの体の上に腕を下ろし、肩に顔を乗せる。 「深く考えることもないってー。二人してイッチャイチャしとけば、それでデートになっちゃうんだから」 「そんなんでいいの?」 「デートってのは、お二人さんが幸せならそれでいいのよ」 やけに達見したことを言いながら、やよいは頷いた。それで、本当に良いんだろうか。 あたしはあまり納得していなかったが、確かに考えようによってはそれで良いのかもしれない。 やよいの体重を背中に感じながら、あたしはぼんやり考えていた。 デートしちゃうのは、いい機会かもしれない。状況を追い込んじゃえば、好きだと言えるかもしれない。 そろそろ、ちゃんと言わなければ。あたしは間違いなく、パルのことが好きなのだから。 きょとんとしたように、インパルサーはあたしを見下ろした。 白くてふわふわした長めのマフラーを掲げていたが、ゆっくり下ろして畳み、丁寧にテーブルの上に乗せた。 ベッドに座ったあたしをまじまじと眺めていたが、インパルサーは少し戸惑ったような声を出した。 「えと、それは」 「何よぅ。行きたくないの?」 身を乗り出して、目を逸らしてしまった彼を見据える。 パルはがしがしとマスクを掻いていたが、嬉しそうな、でもどこか信じられないような声で呟く。 「…まさか、由佳さんの方から言い出されるとは思ってもみませんでした」 「悪いー?」 あたしは、ついむくれてしまった。そんなに驚かなくても。 完成したマフラーを丁寧に折り畳んでから、インパルサーはマスクの顎部分に手を添えて、なにやら考え始めた。 ベッドに置いてあるクッションを抱えたあたしは、それを押し潰すように体重を掛ける。何を考えているのやら。 考え事をするパルの姿は、なかなかカッコ良い。両耳の銀色のアンテナが、蛍光灯にぎらついていた。 しばらくそのままでいたが、インパルサーは手を外して振り向く。ゴーグルが、つやりと光る。 「由佳さん。行く場所は、僕が決めていいでしょうか」 「どこに連れてってくれるの?」 あたしが尋ねると、パルは笑う。 「明日の夜まで秘密です。せっかくなんですから」 「夜ってことは、夜中に出るつもり?」 「ええ。寒いですけど、夜の方がいいでしょうから」 楽しげな口調で、彼は頷いた。立ち上がり、マフラーを指す。 「それに、せっかく作ったんですから、これも使って頂きたいですし。僕には必要ありませんからね」 ドアを開け、いそいそとインパルサーは出て行った。そろそろ、夕飯の準備をする時間だからだ。 あたしはテーブルの上のマフラーを眺め、連れて行かれるであろう場所を色々と想像してみた。 でも、さっぱり見当が付かない。だから余計に、楽しみで仕方なかった。 クッションを抱えたまま、ぱたりとベッドに倒れた。明日の夜、何を着ていこうか。 こんなこと考えちゃうなんて、本格的にあたしはパルの彼女になっている。こういうの、なんだか新鮮だ。 机の引き出しを開けて、メモ用紙の後ろに突っ込んでおいたリングのケースを取り出す。 ぱこんと蓋を開くと、オープンハートのリングが蛍光灯の光を浴びて、彼のアンテナのようにぎらついた。 リングを抜いて握り締めると、その冷たさが消えていく。胸の奥から、痺れが溢れてくる。 早く、明日にならないかなぁ。 「もうちょっと待って」 あたしは声を落としながら、背後のドアに言う。向こうから、はぁ、と気の抜けた返事がある。 クローゼットから取り出した服を片付けて、着るべき服をまとめる。一日考えたのに、今まで決まらなかったのだ。 姿見の前に出、それらを着ていく。掛け時計を見ると、時刻はもう十二時近くなっていた。 今回のことは家族に気付かれているかもしれないけど、それならそれでいい。どうせ周知の関係だ。 厚手の白い靴下を履いてから、ボルドーの大きいチェック柄のプリーツスカートを着た。昨日、買ってきたものだ。 白いセーターを被って頭を抜いて、髪を整える。時間がないので、ちゃんと化粧をすることは諦めよう。 壁に掛けておいたベビーピンクのハーフコートを取り、羽織ってから、あのマフラーを巻いた。 ふわふわしたマフラーに顔を埋めながら、ちょっと不思議な気がしていた。普通は逆だろ、こういうの。 あたしは前髪からずれそうになっているヘアピンを元に戻し、丸っこい感じのニット帽を頭に乗せた。 うん、これでなんとかなった。足は素足だから、防寒性なんてちっともなさそうだけど。 もう一度、姿見を見た。机に戻り、一番下の引き出しを開けてリップグロスを取り出す。 それを唇へ塗って馴染ませ、また自分の顔を見る。大して変わらないけど、しないよりはマシだ。 リングを左手の薬指に填めてから、ドアを少し開いた。廊下では、彼が突っ立っている。 片手にあたしのブーツを下げていて、身を屈めて入ってきた。そして、上から下まで眺めた。 「あの、由佳さん」 「文句でもあるの?」 「足、寒くありませんか? 外気温もそうですけど、体感温度が」 「そんなもんどうにでもなるの!」 そんなに心配しなくてもいいじゃないか。あたしはベッドに座り、ブーツを受け取る。 足を突っ込んで引っ張り上げ、ファスナーを閉めた。もう片足にも履き込み、リュックを背負う。 ハーフコートのポケットから手袋を出して付けると、ようやくあたしの装備は完了した。 インパルサーは困ったようにマスクをがりがり掻いていたが、仕方なさそうに呟く。 「でしたら、いいんですけど」 あたしが伸ばした手を、パルは取った。そのまま、ひょいっと抱え上げられる。 いつものお姫様抱っこだけど、膝の裏が冷たい。彼の手の温度が、直に伝わっているからだ。 それが温まった頃、インパルサーはつま先で軽く窓を開け、窓枠をするりと器用に抜けた。 あたしがカーテンを閉めてから、彼が外から同じようにして窓を閉めると、くるりと背を向けた。 「では、行きますよ」 あたしを見下ろしたインパルサーは、すいっと姿勢を傾けた。 多少前傾気味になると同時に、背中の翼が倍以上の大きさになる。かちり、と何かの音がした。 彼の背に付いている三つのブースターから、熱い空気の揺らぎが感じられた。 方向を確かめるように頷いてから、彼は夜空へ飛び出した。 ぴんと張り詰めた夜の風が体に当たり、寒かった。でも、それは体の方だけだ。 あたしの頭上にある、パルのマスクフェイスを見上げていると、どんどん胸の奥が熱くて痛くなる。 その熱が、寒さなんて忘れさせてくれた。 しばらく飛ぶと、都市部に差し掛かったようだった。 色とりどりのネオンと車のヘッドライト、ビルの窓明かりがわっと溢れている。 夜とは思えない眩しさは、東京らしい。見上げると、パルのマスクにその明かりが映っていた。 夜風を切り裂いているから足は冷え切っていたけど、あまり気にはならない。我慢出来る。 徐々に高度を下げ、高層ビルの隙間に入る。窓に明かりも点いていないし、夜だから、誰も見ていないだろう。 パルの動きと同じ動きで、ミラーガラスにレモンイエローの光がすいっと滑っていった。 ビルの谷間を抜けると、時折排気ガス混じりの強い風が吹き付ける。すると、パルがあたしの頭を押さえた。 帽子が飛ばないようにするためか、マスクを軽く当てている。硬い感触が、少し下へずれる。 「参りましたね…」 困り果てたように、パルが呟いた。手が空いていれば、頬を掻いているだろう。 だんだん高度が上がり始めて、すぐ手前にある、ミラーガラスに覆われた高層ビルの頂点が近付いてきた。 エレベーターで上昇するような感覚に酔いそうになりながら、パルの首辺りにしがみつき、あたしは尋ねる。 「どうかしたの?」 「相手もお仕事ですからね。文句は言えませんけど…」 はあ、と、パルのマスクの中でため息が吐かれた。余程の事らしい。 ゆっくりと上昇していくと、不意にビルが切れた。直後、大きな貯水タンクの並ぶ屋上が目の前に現れた。 くるりと旋回してから足を伸ばしたインパルサーは、薄汚れたコンクリートに足を降ろした。 多少擦ってから勢いを止め、あたしを下ろす。こういうところに来たの、初めてかも。 物珍しさもあって、周囲の夜景を眺めていると、頭上で大きな羽音が響いた。同時に、強い風も吹き付けてくる。 見上げると、夜景を覆い隠すように骨張った翼が広がっている。その持ち主の輪郭が、夜景で明確になる。 灰色の獣じみた毛で覆われた、太い腕が目立っている。目元は、見覚えのある黒いゴーグルで覆われている。 下半身は闇に溶けそうなアーミーズボンで、腰に巻かれている太いベルトには、長方形の何かが下げられていた。 これまた黒のがっちりしたブーツが、とん、とコンクリートに付けられる。翼を折り畳みながら、着地した。 「グッドナーイト、ブルーソルジャーズ。いい夜だな、飛行日和だ」 ダークブラウンのベストの襟元を緩めてから、その者の鋭い牙の伸びた口元が開いた。 「不利な状況下での単独行動は命取りだって、軍人の親父さんは教えなかったのかい、ソニックインパルサー?」 多少低いけど、この口調と声は。 「…スコットさん?」 あたしは、唯一思い当たった人物の名を呟いた。 でも目の前にいるのは、スコットとは似ても似つかぬ、コウモリっぽい翼を持ったでかいケモノだ。 すると、ケモノはにかっと朱色の口元を広げ、象牙色の牙を覗かせながら鋭い爪の伸びた手を握る。 「よく解ったな、お嬢さん! そうよ、これこそがオレの真の姿、メタモロイドの真骨頂だぜぃ!」 「わざわざ武装してまで、人のデートの邪魔ですか、スコットさん?」 いやに刺々しい口調で言いながら、インパルサーはスコットを見上げた。今のスコットは、リボルバーよりでかい。 長い爪の目立つ指先で灰色の毛をがりがり掻きむしっていたが、スコットは苦笑する。 「オレの仕事はゼルの捜査だけじゃなくってな、コマンダー諸君の護衛もあるんだよ」 「それこそ、僕ら部下の仕事ですが」 「そんなに怒るなよ、ソニックインパルサー。オレもそう思うんだけどさーぁ」 サツの体面ってやつがあるんだよ、とスコットは大きな肩を竦める。 「まぁ、オレのガン捌きを示す機会がなきゃいいんだがね。どうにもさっきから、嫌な予感がしてならねぇんだ」 「メタモロイドの本能ですか?」 と、インパルサーは先程よりは和らいだ口調で言う。スコットは笑った。 「そう来たか。だがこいつには、多少なりとも根拠がある予感なんでね」 スコットの手が、腰のベルトへ向かう。一瞬、パルは構えたが、それをすぐに緩めた。 大きな手には小さすぎる煙草とライターを取り出し、牙の隙間へ一本挟む。ライターの火が、辺りを照らす。 よれたマイルドセブンの箱とライターをベルトの後ろに挟んでから、スコットは煙を吐き出した。 「ミス・ミソラ。コマンダー諸君は、ソルジャーブラザースの弱点でしかない。解るよな?」 「あ、はい」 あたしは頷いた。それは、間違いないことだ。 戦いになったときに、あたしがパルの足手纏いにしかならない存在だというのはちゃんと知っている。 ビル風に広がって薄くなった煙の向こうで、スコットは続ける。 「夜に弱点連れで単独行動なんて、襲って下さいって言ってるようなもんだ。それともこれは、お前の作戦か?」 「戦闘を助長するような行為を、僕が好むように思えますか?」 インパルサーは首を横に振り、スコットを見据える。彼のゴーグルの色が、僅かに強まっている。 煙草のフィルターを噛み締めていたスコットは、深く煙を吸ってから吐き出した。 「それを聞いて安心したよ。だが自分からは撃つなよ、正当防衛に持ち込め。銀河平和協定を忘れるなよ」 「ええ、解っています。そういうスコットさんには、武装許可は下りているんですか?」 インパルサーに尋ねられ、スコットは腕を組む。 「あ、そう見える? ちゃんと地球警察言いくるめて、発砲許可も帯刀許可も下ろさせたよ。オレ、刑事だもん」 「装填済みのオートマチックが二挺にマガジンが六つ、両足首と腰に大型ナイフなんて…どこの戦争帰りですか」 刑事というより軍人ですね、とインパルサーは呆れたように呟いた。あたしには、そこまで解らなかった。 暗くて良く見えないけど、確かにホルスターが二つ腰に下げられている。ナイフらしき、細長い影も。 煙草を口から外したスコットは、けらけら笑った。とてもじゃないけど、そんな重装備には見えない態度だ。 「生身相手なら得意なんだが、マシン相手に戦うのが苦手でよー。ついな、つい」 何かが詰まっているのか、膨らんだ胸ポケットから小さな携帯灰皿を出して、ぱこんと開いた。 じりっと煙草を押し付けて火を消してから、スコットは蓋を閉じる。 「だが、用心するに越したことはないぜ、お二人さん。デートの邪魔して悪かったな」 同じ胸ポケットに携帯灰皿を入れてから、スコットは翼を広げる。一瞬、強い風が吹き付けた。 屋上を蹴るようにして飛び上がってから羽ばたいて上昇しながら、スコットは軽く敬礼する。 「コミュニケーターの番号は教えてあるよな、何かあったら連絡してくれ。アスタラヴィスタァー!」 そのまま滑るように飛行したスコットの姿は、ビルの間に消え去った。灰色と黒の姿が、夜に溶ける。 あたしはしばらくその方向を見上げていたが、インパルサーを見上げた。 レモンイエローのゴーグルの色は落ち着いてきていて、いつもの明るさに戻っている。 スコットの起こした風のせいでずれてしまった帽子を元に戻し、あたしは軽く彼に寄り掛かった。 そうだった。デートに浮かれて忘れかけていたけど、今はかなり危険な状況なのだ。 馬鹿も良いところだ。わざわざ自分から、やばい方向に突っ込むなんて。情けなくて、泣きたくなってきた。 自分の馬鹿さ加減にうんざりしていると、インパルサーはあたしを覗き込む。 「由佳さんのせいではありません。今回のことには、僕が賛成したんですから」 「でも」 「大丈夫です。何かあったとしても、僕は必ず由佳さんを守りますから」 パルは、あたしを向き直らせた。うん、と彼は一度頷く。 あたしは背伸びをして手を伸ばし、彼のマスクに触れた。手袋越しでも、かなり冷たい。 かしゅん、とマスクを開けたパルは、冷え切った指をあたしの顎に添えた。 いつものように上向けられてから、あたしはちょっと身を引く。 「あ、ちょっと待って」 「どうかしましたか?」 「グロス塗ったんだけどさ…その、パルの方に付いちゃうよ」 今更ながら、あたしはそれを思い出した。したあとにパルの口元を拭ってやるのは、ちょっと照れくさい。 顔を逸らしてからパルは笑い、あたしの顎から手を外した。なんで笑うのさ。 彼は身を屈めて、あたしの耳元へ顔を寄せる。瞳の明かりがすぐ近くに感じられて、結構眩しい。 「でしたら、こうするまでです」 マスクよりも多少は温度のある、白銀色の滑らかな頬が当てられた。でも冷たい。 それが離されてから、これまた同じ温度の唇があたしの頬に、優しく付けられた。 しばらく軽く押し当てていたが、パルは身を引いた。マスクを閉じてから、あたしを見下ろす。 「まだ、そちらにはしていませんでしたしね」 「気障ったらしいなぁーもう」 彼の冷たさの残る頬を押さえながら、あたしは笑う。パルは頬を掻いた。 「そうですか?」 「そうなの」 手を外し、あたしはパルを見上げた。様々な色のネオンが、装甲をてからせている。 ちょっと前に出て、スカイブルーの胸板に額を当てる。かつん、と前髪のヘアピンがぶつかる。 「何も、起きなきゃいいね。せっかくのデートなんだもん」 「ええ」 心配げな声で呟いたパルは、あたしを軽く抱き締めた。本当に、そう思う。 嬉しくて楽しい気分の奥に隠れていた不安が、内側から迫ってきた。 今だけは、そんな気分は感じていたくないのに。彼のエンジン音を聞き、それを払拭する。 しばらくそうしていると、ふと、ある感覚に気付いた。夜も遅いから、なんだろうなぁ。 「パル」 「なんでしょう」 「お腹空いた」 そう言ってから、あたしは自分で笑っていた。何も、こんな時に。 あたしを離してから、パルは可笑しそうな声を出した。 「前にも似たようなこと、ありませんでしたっけ?」 「思い出させないでよ」 言い返しながら、どん、と彼の胸を突いた。なんか、無性に恥ずかしい。 その手を下ろすと同時に、ひょいっと肩と膝の裏を持ち上げられた。上昇する感覚がある。 目の前にあるパルの首元に腕を回し、落ちないようにする。落とさないと解っていても、少し怖いのだ。 とん、と軽くコンクリートを蹴って上昇しながら、パルはあたしを見下ろした。 「どこか、お店に寄って行きますか?」 「近くにコンビニあると思うから、そこに」 「了解しました」 頷いてから、インパルサーはビルの上から飛び出した。 車の途切れない道路の上を滑り、冷えた風が通るビル街を抜けて下降する。 ふと上を見ると、スコットらしき巨体が翼を広げ、少し離れた位置から追っているようだった。 見張られているのか。知っている相手とはいえ、あまり気分は良くない。 スコットの影の奥にある月は、欠け始めていた。明るくて目立っているので、ついそれを凝視してしまう。 不意に、月が陰ったような気がした。大きな腕と足を持つ、何かの影が見えたような。 すぐ側のパルを見ても、マスクフェイスだから表情が解らない。今のが本当にいたなら、解ったはずだ。 でも、それを言う気は起きなかったし、パルも黙ったままだ。でも、確かに影は過ぎった。 不安を紛らわすために力一杯抱き付くと、あたしを持つ手にも力が入ってくる。 やっぱり、パルは解っているんだ。この近くに、ゼルの操るマシンソルジャーがいることを。 お願い。もう少し、このままでいさせて。 まだ、戦いを始めないで。 04 7/23 |