温かいリンリンリンガーを飲むと、やっと緊張がほどけていった。 あたしは柔らかなソファーに身を沈めながら、砂糖で甘くしたお茶を味わっていた。 リビングの大きな窓の外は、すっかり白く覆われている。戦いの名残が、消されていくみたいだ。 反対側のソファーに座るマリーは、空になったティーカップをソーサーの上に置いた。 ティーポットからそのカップにお茶を並々と注ぐと、慎重に持ち上げて口元へ運び、ゆっくり傾ける。 三分の一程飲んでから、ふう、と息を吐いた。マリーは頬に手を当て、恥ずかしげに俯く。 「怒りと殺意に我を忘れてしまうなんて、私らしくありませんでしたわね」 「大佐どのだって、人間なんだ。そういうことはあるもんさ」 既に二杯目のお茶を飲みつつ、スコットは頷く。湯気と気温差で、ゴーグルが曇っている。 神田はリビング奧の壁を見ていたが、またお茶を飲むことに専念した。ついさっき、ロボット兄弟が入ったのだ。 戦闘を終えたので、ボディの洗浄を兼ねた簡易のメンテナンスをするんだそうだ。汚れてたもんなぁ、皆。 マリーは髪に付いた汚れを払っていたが、ふと、腰と胸に手を当てる。 「あら。そういえば、外すのを忘れていましたわ」 ソファーから立ち上がると、丈が長めの白いセーターをめくり上げた。その下には、太いベルトがある。 革製らしきベルトの下、腰から胸に掛けてには黒っぽいプロテクターが着込まれている。重装備だ。 ベルトには先程の小さな拳銃が下げられていて、弾丸の詰まった予備のマガジンも、まだ二つも残っていた。 留め具を外したマリーは、腰からベルトを外してガラステーブルの上に置いた。ごとん、と重い音がする。 背中へ手を回してプロテクターを外し、ぱちん、と腰も緩める。それもまた、ベルトの隣に置かれる。 シワの寄ったブラウスとミニスカートを直してから、マリーはセーターを下ろした。よくもまぁ、こんなに。 「アドバンサーの訓練と一緒に、銃の訓練も怠らずにいて良かったですわ。実銃なんて、久々に撃ちましたもの」 「その割にゃ見事な腕だったぜ、大佐どの。伊達にフロントのリーダーをしてない、ってことか」 もう空になったティーカップへお代わりを注ぎながら、スコットは笑う。マリーは座り直し、微笑む。 「あなたには負けますわ。狙撃兵の射撃能力には、私も敵いませんもの」 「え、知ってたのか?」 きょとんとしたように、スコットはマリーへ振り向く。昔は、軍人だったのか。 マリーは頷き、ティーカップを傾ける。それを外してから、翼を畳んで座るスコットへ目を向ける。 「ええ。ゼルの第一支援部隊に配属されたメタモロイドの狙撃兵の逆らいぶりは、私の隊でも評判でしたもの」 「粋がってたからなぁ、オレ…」 と、スコットは嫌そうに表情を歪める。あまり思い出したくないらしい。 くすりと笑い、マリーはお茶に角砂糖を落とす。スプーンがカップに擦れる音が、ひとしきり続いた。 「ゼルの手緩い作戦にいちいち意見しては、その度に懲罰処分を受けていましたわよね」 「だからーあーもう!」 声を上げながら、スコットは慌てて立ち上がった。かなり恥ずかしいようだ。 いわゆる、若気の至りってやつか。今よりももっと、スコットは調子に乗っていたらしい。 スコットの珍しい反応がおかしくて、あたしが笑っていると、マリーは申し訳なさそうな顔をする。 「由佳さん。銃口を向けてしまって、申し訳ありませんでしたわ」 「あたしは大丈夫だから。なんか、こういうのには慣れてきちゃって」 あたしは、土手で銃撃されたことを思い出していた。あれに比べたら。 テーブルに載せたベルトから銃を抜いたマリーは、じゃきん、と銃身を動かしてからテーブルへ置いた。 「弾を装填したけれど、銃身には装填していませんでしたわ。それでも、悪いことをしてしまいましたわね」 「謝るのはあたしの方だよ」 あたしは中身が半分ほどになったティーカップを置き、マリーへ向き直る。 「ゼルを油断させて、戦いを起こしちゃったようなもんなんだし」 「もう終わったことなのですから、あまり気にするものではありませんわ」 にっこり微笑み、マリーは頷いた。ああ、心が広いなぁ。 あたしの隣で黙々とお茶を飲んでいた神田は、顔を上げてスコットへ振り向く。 「そういや、スコットさん」 「ん?」 マリーが出してくれたクッキーを食べる手を止め、スコットは神田へ顔を向ける。 神田はティーカップをソーサーに置いてから、壁の方を指す。 「イレイザー達から裏切ったんじゃないかと思われてたの、知ってます?」 「まぁな。オレは経歴が経歴だから、ソルジャーブラザーズから簡単に信用される方がおかしいのさ」 クッキーを食べ終えてから、スコットはぐいっとお茶を流し込む。相変わらず慌ただしい。 少し広げていた翼を畳んでから背を丸め、腕を組む。面白くなさそうな顔だ。 「だーが、もうちょい信用してくれたっていいじゃねぇか。せっかく、今日の総攻撃の情報を渡してやったのに」 「それがあたし達のところまで来てなかったから、余計に疑われちゃってましたよ」 と、あたしが言うと、スコットは額に手を当てた。 「あー、そっかー…そういうことか。コマンダーズのコミュニケーターの番号、調べ忘れてたからなぁ…」 「よくそれで、刑事が勤まりますわね」 呆れたように、マリーが呟く。がしがしと髪を掻きながら、スコットは項垂れた。 「結果オーライ…てわけにも行かねぇな、こりゃ。帰ったら、間違いなく上司に怒られるな」 何かが止まる音が、壁の向こうから聞こえた。途端に、赤い光が長方形に広がる。 素早く開いたエレベーターの中には、すっかりボディを綺麗にしたロボット兄弟が立っている。 インパルサーのゴーグルのヒビもなくなっていて、元通りになっていた。良かった良かった。 するりと出てきたクラッシャーは、気分の良さそうな笑顔になる。 「さっぱりしたぁーん」 「雪、ひどくなってきてませんか?」 窓の外を見、インパルサーは頬を掻いている。つられて、あたしも外を見る。 雪の降る勢いは弱まるどころか、増している。窓の曇りもあって、視界は真っ白だ。 思わず、あたしは変な声を洩らしていた。これで本当に、帰れるのかな。 「…うっわぁ」 「ま、なんとかなるだろ。またシールドで止めてやろうか?」 そう笑うディフェンサーの背からは、あの箱はなくなっていた。代わりに、羽根っぽいものが戻っている。 クラッシャーはディフェンサーの前に来ると、むくれる。腕を組み、頬を膨らませる。 「そんなのつまんないじゃんよー、このまま降らせておけばいいじゃない」 「ボディの過熱が少なくて、気分がいいじゃねぇか。オレはこういう天気は好きだぜ?」 にやりとしながら、リボルバーは窓の外を眺める。寒いと、彼らにはそういう利点があるらしい。 機械に熱は大敵だから、寒さはありがたいってことか。いかにも、ロボットらしい意見だ。 スコットはイレイザーを見上げ、あからさまに不機嫌そうな声を上げた。 「シャドウイレイザー、ひどいじゃないか。オレが裏切ったなんて、変なこと考えるなよ。ついでに話すなよ!」 「拙者は的確な情報を判断し、兄者方の作戦の手助けをするのが最大の仕事でござる」 どこか意地の悪い笑みを浮かべ、イレイザーは腕を組む。 「それに、元々そなたには疑わしい部分があったのだ。恨むなら、己を恨むが良いでござる」 「性格悪ぅ」 イレイザーから顔を逸らし、スコットはむっとする。うん、性格悪いぞ、いっちゃん。 窓からじっと外を見つめていたクラッシャーは、こつんと尖り気味のヘルメットを窓に当てる。 ショッキングピンクの吊り上がった大きな目でまじまじと見ていたが、振り返る。 「アドバンサーの倒れた痕跡が、三つかぁ。ここにいたのと同じ数だね。あれって、全部葵ちゃんが倒したの?」 「うん、まあ」 神田はクラッシャーから目を逸らし、曖昧な笑顔になる。嬉しいけど照れくさい、といった感じだ。 へー、と感嘆の声を洩らしたクー子はするっと上昇し、神田の上に滑り込む。 「でもさあ葵ちゃん、どんな相手でも一撃で倒せないとダメだよー。戦いってのは、効率が良いのが一番だから」 「そうですよ。相手がアドバンサーだったから、的が大きくて戦いやすかったかもしれませんが」 広げた手に拳を当てながら、インパルサーが頷く。ダメ出ししている。 「僕達みたいなマシンソルジャーが相手なら、余計に一撃必殺の威力とテクニックが必要なんですから」 「あんまり、火器に頼るんじゃねぇぞ。銃撃ってのは、相手を確実に射程距離へ誘い込んでから、ドカンだ」 立てた人差し指を上げ、リボルバーは神田を撃つ格好をした。 「だが、今の腕なら、金と手間が掛かるが無駄弾を散らして充分引きつけてから、だな。その方がいい」 「ちょっと撃たれたくらいで、ばかすかバリアー展開するんじゃねぇぞ。あんまり多用すると、命取りだ」 ディフェンサーは自分の腕を、こん、と軽く叩いた。 「エネルギー食いだからな、フォースバリアーの類は。いざって場合に張れなかったら、それこそ意味がねぇし」 「敵影を確認する際にソナーに頼るのは良いが、あまり頼りすぎてはならぬ」 と、イレイザーは神田を見下ろした。 「それを、逆手に取られる場合もあるでござる。ソナーとパルススキャナーを常に併用するのが、良策でござる」 一気にまくし立てられたせいか、神田はまじまじとロボット兄弟を見上げていた。 お茶をぐいっと流し込み、一息吐く。今し方言われたことを確認するように指を折りながら、彼らへ顔を向ける。 「それらを踏まえれば、もっと強くなれるのか?」 「ええ。戦いの基礎の基礎、ですけれど」 ティーカップの底に手を添えながら、マリーは神田へ笑む。そして、慎重にお茶を傾けた。 考え込むように、神田はソファーに深く座り込んだ。もっと強くなる方法を、考えているようだ。 皿の上に並べられていたクッキーの大半を食べ終えたスコットは、ティーカップを軽く揺らしている。 「葵ちゃんの戦い方は、大佐どのが訓練相手だからってこともあるんだろうけど、対アドバンサー戦なんだよな」 くいっとカップの中身を煽ってから、スコットはソファーにもたれる。 「だから、マシンソルジャー相手には動きが大きすぎて、むしろ隙だらけなんだ。そこが、最大の弱点だぜ」 神田の目線が上がり、インパルサーを捉えた。だがそれはすぐに下げられ、神田はまた考えている。 いつになく真剣な表情の神田から目を外し、あたしはパルを見上げた。 レモンイエローのゴーグルが陰っていて、あまり表情が解らない。でも、こっちも何か考えているようだ。 いつ、どこで、どういう戦いを始める気なんだろう。どっちも、無茶しなきゃいいけど。 かちん、と金属音が響いた。見ると、マリーが拳銃から銃弾を抜いている。 彼女の手よりもちょっと大きいだけの銃は、蛍光灯の明かりを受け、黒くぎらついていた。 グリップから抜いたマガジンを置いてから、銃身を動かして開き、装填されていた金色の弾丸を抜いた。 マガジンの傍にその弾を横たえて、マリーはまた銃身を元に戻した。じゃきり、と金属が擦れる。 「そうですわね」 弾を抜いた銃を下ろし、マリーは楽しげに呟く。 「私があの人を本当に守りきるためには、私もあの人に付き合わなければいけませんわね。…決めましたわ」 銃をテーブルに置いたマリーは、胸元から銀色のエンブレムを取り出す。 それを固く握りしめ、白くふわふわしたセーターに包まれている、控えめな胸に押し当てた。 愛おしげに細められた目の下で、優しげな笑みが浮かんでいる。 「ユニオンに戻ったら、私はレイヴンの傍で眠りますわ」 レイヴンに課せられた、七百年の冷凍刑に付き合うつもりなんだ。 本当に、マリーはレイヴンが大好きなんだ。どんなことをしてでも、傍にいたくなるくらいに。 七百年の眠りなんて想像も付かないけど、眠るんだから、一瞬みたいなものだろう。 かちん、とティーカップをソーサーに載せてから、スコットは背を丸めて腕を組んだ。 「大佐どのが、レイヴン・シルバーの身元引受人になる、ってことか?」 「それもありますけれど、もう一度あの人に会うには、もうこれしか方法はありませんでしょう?」 そうは言いながらも、マリーはとても幸せそうな笑顔だった。胸の前で手を組み、目を伏せる。 「聞いてやりますの。なぜ戦いを起こしたのか、なぜ私を敵に回したのか、気になって仕方がないんですもの」 「オレ、ちょっと思ったんすけど」 神田が顔を上げると、ほんのりと頬を上気させているマリーは振り向いた。 「戦いを起こした理由は、マリーさんの気を自分に向けさせて、ゼルを殺させないためだったんじゃ?」 「葵さんの考えが正しいのかどうかも、聞いて差し上げますわ。何せ、七百十年分も話がありますもの」 頬へ手を当て、マリーはあたしと神田へ目を向けた。少し、寂しげになる。 「ですけれど、その時代にはあなた方はいらっしゃいませんわね。それだけが、心残りですわ」 「七百年かーぁ…」 その頃、地球はどうなっているんだろう。あたしには、さっぱり見当が付かなかった。 長い長い年月を越えて、やっとマリーとレイヴンが再会出来るんだ。なんか、ロマンチックかも。 冷凍睡眠から覚めた二人にとっては、タイムスリップするようなものだ。目覚めた後は、大変なんだろうな。 でも、マリーは楽しそうだ。時代の違いや世界の変化なんて、きっと、大した障害じゃないんだ。 こんなに満ち足りて幸せそうなマリーを、もっと幸せに出来るのは銀河でただ一人、レイヴンだけだ。 二人の戦いは終わっても、恋はまだまだ終わりそうにないようだ。 翌日は、大雪が嘘のように空が晴れていた。なんのこっちゃ。 それでもすぐには雪は溶けず、高校の屋上は真っ白くなっていた。日差しは温かいのに。 無理矢理開け放したドアの前で、あたしは鈴音と律子とで顔を見合わせた。 「どうしよ」 「今更教室へ戻る、ってのもねぇ…」 購買のパンが入った袋を抱え、鈴音は腕を組む。あれ、と、律子が階段の下を見る。 どん、と重たい足音が昇ってきた。その姿に、鈴音はちょっと身を引く。 「ボルの助。何するつもりなの?」 「まぁ見てな、スズ姉さん。そんなに出力は上げねぇから、安心してくれや」 屋上へ踏み出たリボルバーは、快晴の空の下で仁王立ちした。じゃこん、と肩の弾倉が回る。 片腕の銃口を上げ、真っ白な屋上へ向ける。足を踏ん張りながら、叫ぶ。 「フレイム、ボンバァーッ!」 掛け声と共に、リボルバーの銃口から溢れた炎が広がり、屋上を覆い尽くす。 炎と熱風が消えたあとには、ふわふわと弱い湯気の立ち上るコンクリートが広がっていた。 ばしゅん、と銃口から蒸気を吹き出して胸を張ったリボルバーは、機嫌の良さそうな笑い声を上げる。 リボルバーの後ろから顔を出し、屋上を眺めてから、鈴音は呆れたように彼を見上げる。 「…無茶苦茶やるわね」 「いちいち除雪するよりは、早ぇだろ。あ、フェンスには触らない方がいいぜ。過熱してるからよ」 満足げに笑いながら、リボルバーは屋上へ出ていった。鈴音はため息を吐いたが、笑う。 「平和的な利用法だしね。とりあえず、ありがと」 「なぁに。これも全て、スズ姉さんのためさ」 どっかりとコンクリートに座って胡座を掻き、リボルバーはにぃっと口元を上向ける。 その正面より少しずれた位置に腰掛け、鈴音はあたし達を手招きする。鈴ちゃん、なんか嬉しそうだ。 鈴音の隣にあたしが座り、あたしの隣に律子が座る。いつもの並び方だ。 少し遅れて、インパルサーがやってきた。ディフェンサーも、後ろに付いてきている。 「リボルバーの兄貴らしいぜ。一瞬で、みーんな蒸発させちまった」 「地道に除雪した方が安全だと、僕は思いますけど…」 がしがしとマスクを掻きながら、パルは屋上を見渡した。まだ、ちょっと湯気が出ている。 あまり腑に落ちない様子でやってきたインパルサーは、あたしの正面に正座した。これも、いつもの位置だ。 兄二人より少し離れた場所へ、ディフェンサーは腰を下ろした。胡座を掻いて、頬杖を付く。 「昨日のドンパチが、嘘みてぇだな。静かなもんだぜ」 「本当だね。フェンサー君がここにいるから、なんだかすっごく落ち着くなぁ」 嬉しそうに顔を綻ばせた律子が、ディフェンサーは笑う。ディフェンサーは、すぐに顔を逸らした。 やりづらそうに口元をひん曲げている横顔を見、更に律子は笑った。この二人は、相変わらずだ。 ディフェンサーは何か呟いていたが、くるっと背を向けてしまう。この意地っ張りめ。 その姿を見、リボルバーはいやに楽しそうに笑った。鈴音の態度が柔らかいからか、余計に上機嫌だ。 パルの作ったお弁当の包みをほどいて、箸を取り出す。すると、階段の方から足音がした。 小走りにやってきたマリーへ、神田が追い付く。マリーの両手には、パンの詰まった袋が抱えられている。 雪の無くなった屋上を見渡して、神田は不思議そうにしていたが、リボルバーに気付いた。 「あ、そういうことか」 「フレイムリボルバーの火力は、役に立ちますもの」 にこにこしながら、マリーはあたし達の近くへやってきた。神田も続く。 少し離れた位置に座ってから、マリーはビニール袋を膝の上に載せ、中に詰めていたパンを取り出していく。 制服のポケットからコーラを出してすぐに開け、おいしそうに飲む。半分ほど飲んで、ほう、と息を吐く。 「そう、これですわ、これですわぁ! 久々に飲むと、また格別ですわねぇ」 「コーラ、飲んでなかったの?」 あたしが尋ねると、マリーはコーラをもう少し飲んでから、頷いた。 「ええ。ああいう状況でしたから、買い出しに出ることも出来なかったんですの。食料は、船にありましたけれど」 焼きそばパンの包みを破ると、マリーはあまり大きく口を開けずに食べる。上品なことだ。 あたしもいい加減に食べ始めようと思い、お弁当箱の蓋を開ける。中身は、かなり気合いが入っている。 色合い良く並べられたおかずには、ハートが乱舞している。これでもか、てなぐらいに。 あたしはハート型に焼かれたハンバーグを箸で割り、食べた。冷めてもおいしい。 下の段を開けると、ご飯もまた凄いことになっていた。やっぱりハート型のおにぎりが、みっしり詰まっている。 その一つ、薄焼き卵に包まれたものを食べていると、隣から覗いた律子がにんまりしていた。 「わぁ、ラブラブだねぇ。羨ましいなぁもう」 「ホーントよねぇ」 と、鈴音もにやりとする。二人して、それかい。 あたしはハートの入り乱れるお弁当を食べる手を止め、言い返す。 「今に始まったことじゃないでしょ、パルのこれは」 「ですが今日は、特に気合いを入れてみました!」 がしりと拳を握り、インパルサーは立ち上がった。ゴーグルが、日光にぎらりと光る。 「ここ一ヶ月、由佳さんに会えなかった分の溜まった愛情を全て…」 「恥ずかしいこと言わない!」 あたしは力一杯、パルへ叫んだ。それ以上、言われてたまるか。 ゆっくり拳を下げてからあたしへ向き直った彼は、少し首をかしげる。 「僕はそう思いませんが」 「あたしが思うの」 少しは、人の気持ちを考えて欲しい。あたしはむくれながら、顔を逸らす。 はあ、と返事をしたインパルサーは、また座る。きっちり膝を揃えて、背筋を伸ばして正座した。 あたしは恥ずかしいお弁当の中身をさっさと処理してしまうべく、食べるのを続けた。 どれもあたしの好みに合わせた味になっていて、濃さも丁度良い。パルは、確実に料理の腕を上げている。 ほんのり甘い卵焼きを食べていると、パルはじっとあたしを見ていた。 「おいしいですか?」 「うん」 条件反射で頷いてから、あたしはなんとなく可笑しくなった。パルに怒ってたんじゃないのか、あたしは。 前にパルが言っていたことは、本当のようだ。おいしいものさえあれば、機嫌が直るってのは。 そうですか、と彼は満足げに頷いた。あたしが喜んだことが、嬉しいらしい。 お弁当を食べながら、ふと神田へ目をやる。近頃、いやに見てしまう回数が多い。 いつものように、神田はさっさと食べ終えていた。空になったお弁当箱を袋に入れてから、目線を上げた。 あたしが神田を見ていたせいで、目が合ってしまった。慌てて逸らし、パルへ向ける。 マリンブルーのマスクフェイスを視界に捉えてぼんやりしていると、彼は小学校の方へ顔を向ける。 「シャドウイレイザー。小学校、どうでしたか?」 その先を見ると、フェンスの角の上につま先を乗せたイレイザーが立っていた。 今日から、小学校がやっと再開されたのだ。涼平もさゆりもクー子も、登校している。 それでもまだ危険があるかもしれない、ということで、しばらくは集団登校が続くようだけど。 イレイザーは名残惜しげに小学校を見ていたが、兄達を見下ろしながら、腕を組む。 「ヘビークラッシャーも、我らと同じく変わりはござらん。どうやら、察されずに済んだようでござるな」 「もうしばらく、慎重に行こうじゃねぇか。オレ達が戦っていたと知られると、姉さんらに迷惑が掛かるからな」 リボルバーが頷くと、イレイザーは屋上に降りて膝を付いた。立ち上がり、小学校へ振り返る。 「うむ。我らの力は破壊の力でござるからな、あまり知られては行かぬでござる」 「マント野郎の設定があるから、オレ達に人間は殺せないって教えても、恐れる奴は恐れるからな」 それが良いぜ、とディフェンサーはにっと笑った。 一通り食べ終えたマリーは、ハンカチで口元を拭う。それを外し、制服のポケットへ入れる。 マリーが顔を上げるのと同時に、イレイザーが屋上の出入り口へ振り向く。 強めの風が一瞬吹き付け、ばさり、と羽音がする。スーツ姿のスコットが、出入り口を塞ぐように降りた。 脇に紙を丸めたものらしい長い筒を抱えていて、空いている方の手を挙げた。なぜか、白い手袋を付けている。 「よぉ!」 スコットはおもむろに紙の筒を振り上げると、あたし達へ向けた。 「先に言っておくがな、オレは裏切りも表返りもしてねぇからな! オレは常に正義の味方だ!」 「由佳と葵ちゃんから聞いたから、知ってます」 鈴音が言うと、律子が頷く。感心したような目を、メガネの奧からスコットへ向けた。 「逆らってばっかりの狙撃兵だった、ってことも聞きました。刑事さんの前は、軍人さんだったんですね」 「人が忘れたい過去を…ひでぇなーもう、お兄さんやさぐれちまうぞ」 むくれながら、スコットはあたし達の傍に座り込む。だって、面白い話だったんだから。 スコットの抱えている紙の筒には、見覚えのある文字が書いてある。これは確か、あのときの。 あたしはその内容を思い出しながら、スコットへ尋ねる。 「スコットさん。それって、あの怪文書?」 「ああ、ゼルの脅迫状だよ。親愛なる戦場の堕天使へー、なんて…よくもまぁそんな気障ったらしいセリフを」 オレなら絶対言わない、とスコットは力一杯頷いた。いや、誰もそんなこと聞いていない。 胸元から出した何かの袋を広げると、それは縦長になる。スコットは袋を開くと、その中へ怪文書を入れた。 袋の口をぴったり密閉すると、白い手袋を外し、スーツのポケットへ無造作に突っ込んだ。 「こいつも立派な証拠だからな。ちゃんと鑑識に渡して、きっちり調べないとな」 スーツの内側に手を入れてマイルドセブンとライターを取り出し、くわえて火を点けた。 「これで、オレの仕事の大体は終わっちまった。残るは、護送ぐらいなもんだな」 「護送って、ゼルの?」 神田が尋ねると、スコットは首を横に振る。一度、マリーへ目線が向いた。 だがすぐにあたし達を見回し、深く煙草を吸った。そして、大きく息を吐く。 携帯灰皿を出して開き、中に灰を落としながら、スコットは呟く。 「大佐どのと、ソルジャーブラザーズを守って帰るのさ」 「ユニオンにな」 ざりっ、とスコットが煙草を灰皿に押し付けた。煙が風に広がって、消える。 スーツの胸元を広げ、もう一度煙草を取り出す。その奧には、大型の拳銃が下げられていた。 二本目の煙草をくわえて火を点し、軽く吸ってから外した。指に挟んだ煙草から、細く煙が伸びる。 「これは勧告じゃない、命令だ」 あたしは、スコットを見据えていた。それは、一体。 苦しい戦いがやっと終わって、ゼルも逮捕されて、また皆が学校に来られるようになったのに。 いきなり、ユニオンに帰るだなんて。なんで、そんなことに。 「これがオレの仕事なんだよ、コマンダーズ。少々手酷いが、仕方のないことなのさ」 スコットは煙草を吸って火を強めてから、呟く。 「ソルジャーブラザーズが地球に居続ければ、危険が及ぶのは時間の問題だ。こいつらの戦闘能力を狙って、奪取しに来るような輩もいないとは限らない。ソルジャーブラザーズを奪うためだけに、コマンダーズが今度こそ殺されるかもしれない。ここら辺一帯が、一瞬で焦土と廃墟になる可能性だって、ゼロとは言い切れん」 「だから」 不意に、マリーが口を開いた。寂しげな微笑みを浮かべている。 冷たい風を受けた髪が、ふわりと広がった。顔に掛かった髪を掻き上げ、膝を揃える。 その上に手を載せたマリーは俯き、目を伏せた。 「私は、地球から離れることにいたしましたの。彼らにも、異存はありませんでしたし」 マリーの目が、あたし達を捉えた。 「別れはいつか、必ず訪れることですもの。ただその時期が、ほんの少し、早まってしまっただけですわ」 パルが、いなくなる。 銀河の果てに、宇宙の果てに、帰ってしまう。 あたしは頭の隅では、このことに納得はしていた。だけど。 納得したくなんてなくて、受け入れたくなんてなくて、信じたくなんてなかった。 せっかく、また、パルと一緒にいられる日々が戻ってきたのに。 だけど。 一番、信じたくなかったのは。 「異存が…ない?」 自分でも解るほど、力の抜けた声が出た。マリーは、頷く。 「ええ。五人それぞれに聞きましたけれど、私の決定に対して反対意見はありませんでしたわ」 涙が出れば、良かったかもしれない。 だけど、何も出てこなかった。ただとにかく、信じたくない。 あんなに地球が好きだって言ってたじゃないか、あたしが好きだって言ってたじゃないか。 やっと好きだって言えたのに。パルも、あたしが好きだって言っているのに。 なのに、なんで。わざわざ自分から、離れるなんて決めちゃうんだ。 どうして。 「世の中にはよ」 スコットの声が、いやによく聞こえた。 「気持ちだけじゃどうしようも出来ないことなんて、いくらだってあるもんさ」 04 8/31 |